庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2024年3月

36.「いいね!」を集めるワードセンス 齋藤孝 ちくま新書
 著者がセンスがいいと思う言葉の用い方、切り返し方などについて紹介し論じた本。
 タイトルの「いいね!」を集めるというのは、いかにものキャッチコピーで、それに向けたとかそれに特化したような記述は見られません。
 著者は、芸人と文豪がお好きなようで、紹介事例、文例はその方面が多くなっています。
 状況に合わせて間髪を入れず言葉の返しができるような「運動反射神経」を鍛えるためにといって、著者は、テレビを見ながらツッコミを入れる練習をすることを勧めています。私の89歳の母親がいつもテレビを見ながらテレビに文句を言っていると聞きますが、そうか、ワードセンスを磨く効果があるのか…

35.漫画を描く 凜としたヒロインは美しい 里中満智子 中央公論新社
 漫画家里中満智子が、作品を描く姿勢、これまでに描いてきた作品やこれまでの人生などについて語った本。
 里中作品については子どもの頃~若い頃に読んだ記憶があり、タイトルも覚えていなかったのですが、「男のことばなんか信用しちゃいけない 男にとって行動が第二 ことばは第三の価値しかない」(149~150ページ)というのを読んで、これは読んだことがあると覚えていました。発行年を見ると、私が中学生のときです。で、作者はこの台詞を書いたとき、第一の価値を考えていなくて、あちこちから第一の価値は何だという質問が来て困ったと告白しています(149~150ページ)。そうだったのか…当時、この第一の価値について答える台詞(本文ではタネ明かしをせずに、151ページの絵で答えを示しています)、わりと感動した覚えがあるのですけど。
 さまざまな個性と主体性を追求してきた作者の姿勢にはもともと共感を覚えていました。この本で説明されているところでそれが強められたところもありますが、スペースシャトルの搭乗ツアーにポンと1000万円払って申し込んだ話(197~199ページ)とか政府や自治体の委員とかの話は、功成り名を遂げるとそうなるものとは思いますが、私にはちょっとねというところでした。

34.カケラ 湊かなえ 集英社文庫
 テレビ番組でコメンテーターなどを務める売れっ子の論客で元ミス・ワールドビューティー日本代表の美容外科医橘久乃が、小学校時代の太った同級生横網八重子の娘吉良有羽が自殺した原因を調べるために関係者に面談した際の聞き取りの形式で横網八重子と吉良有羽の周囲と様子を描き出して行くミステリー小説。
 久しぶりに読んで、あぁこの人はこういう構成、こういう文体の人だったなぁと思い起こしました。聡明で美人の橘久乃に対してあからさまに持ち上げる人、敵愾心を露わにし辛辣に非難する人の物言いを、作者は自分がそういう人に向ける気持ちで書いているのか、自分がそういう視線を受けているという思いで書いているのか…
 最後にこの小説のモデルとなっている美人女医(そう明記されているので)が「解説」を書いています。それはそれで珍しい趣向ではあるのですが、ミステリーなのですから解説者が架空/虚構の人物でその「解説」も作品の一部だったというオチの方がしゃれていると思います。

33.Excelの本当に正しい使い方 田中亨 日経BP
 Excel のセルへの入力・表示・書式、数式の基本的な考え方、関数の使い方、シートのつくり方等について解説した本。
 いろいろ気づきがありましたが、そもそもエクセルを何のために使うのか、計算じゃなくて文書を作るの止めようよという怒りというか叫びが、一番共感できたように思えます。
 テクニカルな面でそうかと思ったのは、INDIRECT関数でシート名をセルにいれ、例えば+INDIRECT(A3&"!B3")のようにして各シートのB3セルのデータを一覧表にする(133~134ページ)とか、ホームタブの「ふりがなの表示/非表示」ボタンでふりがなをふれる(48~51ページ。以前、ふりがなを打つためにマクロ書いたことも (-_-; )とか。
 SUMIF、SUMIFSで、合計範囲は1列しか指定できない(複数列指定するとそのとおりには集計してくれない)とか、間違いやすいんじゃないかと思うのですが、そういうところも説明してくれると親切だと思うのですが。ふつうの人はそういう間違いしないのかな。

32.言いわけばかりの私にさよならを 加賀美真也 角川文庫
 中学最後の大会で相手チームのエースのスパイクを自分がブロックできなかったことを自分のミスで負けた、自分には才能がないんだと悲観して高校ではバレーボール部を避けて帰宅部となっていた白河鈴乃が、向かいに住む男子バレー部2年のエースでストイックにトレーニングを続ける一ノ瀬隆二に惹かれ、放課後や朝に一緒のトレーニングするようになり、隆二の科学的な探究に基づく鍛錬と知識に圧倒されながらバレーボール部への復帰を決心するというスポーツ恋愛小説。
 スポーツ根性ものとしての側面と、恋愛小説、難病もの、兄弟愛の要素が絡み、読んでいて興奮と哀感を持ちます。鈴乃自身、そして隆二の弟達也のひねた感情・態度が表されながら、基本的に素直さ・まっすぐさを感じさせる作品で、読後感はいいです。
 あとがきで才能がないことを理由にあきらめるな、成功に必要なのは長期的かつ効率的な訓練だと書かれていて、作者からの強いメッセージとなっています。

31.教誨 柚月裕子 小学館
 10年前に当時8歳の自分の娘と5歳の近所の子どもを殺害したとして死刑に処せられた三原響子の身元引受人と登録されていたために遺骨と遺品の受け取りを求められた遠縁の32歳吉沢香純が、響子の郷里の本家に遺骨の引き取り・埋葬を求めに訪れるが断られ、途方に暮れつつ、事件の真相、特に響子の動機・心情を知ろうと奔走するという小説。
 濃密な閉塞した人間関係の中で、生きづらさを感じ追い込まれて行く様子に涙し、見て見ぬ振りで手を差し伸べる者のいない状況にも哀しみを感じます。世間から非難を浴びる死刑囚と犯罪のそういった部分を描き出そうとする作者の思いが沁みました。

30.インタビュー大全 相手の心を開くための14章 大塚明子 田畑書店
 インタビューで相手から話を聞き出す、特にこれまで明かしていなかったことを聞き出すための準備や会話での心がけやテクニックを解説した本。
 あくまでもインタビューに応じた基本的には話をしたい人から友好的に聞き出すという条件でのことですので、私たちが裁判で行う尋問とは場面や条件が異なるのですが、自分と相手ですいすいわかって進めてしまうと第三者が聞いた(読んだ)ときにわかる話になっていない(相手の言葉にできていない=大事なところが相手の言葉として記録に残っていない)というミスに注意(141~143ページ)とかは、証人尋問などにも通じる話です。
 そういう点以外でも、尋問の場以外でもさまざまな場面で情報を聞き取るしごとには、心がけとしてためになりそうなところが多々ありました。

29.四月になれば彼女は 川村元気 文春文庫
 3歳年上の獣医坂本弥生と都心のタワーマンションの28階に住み、同棲して3年でセックスレス2年の状態で1年後の4月に結婚式を挙げることを決めた精神科医藤代俊の元に、大学3年生だった9年前に別れた元カノ伊予田春のウユニ湖畔からの手紙が届き、学生時代を回想する藤代の1年を描く小説。
 恵まれた境遇にあるがマリッジブルーの青年藤代の視点からのノスタルジーを描いたもので、藤代の生き様・人生観に共感できるかどうかが作品の評価に影響すると思います。私は、春にしても、また藤代の先輩の大島にしても(あるいはその妻にしても)もう少し描き込んで欲しかったなと思いました。私には、藤代よりもはるかに魅力的な人物に思えるので。
 タイトルは、ストレートにサイモン&ガーファンクルの有名な曲から。学生時代の合宿で大島がギターを手に歌っている場面(88ページ)から引いているのですが、他人の有名な作品を自分の作品のタイトルにしてしまえるセンス、私には理解できません(章タイトルとかで使うのはよく見られますし:私もやってますし…違和感ないのですが、作品自体のタイトルにするのは)。冒頭にウユニ湖畔からの手紙、その後もプラハから、アイスランドからの手紙を置き、もういかにも映像化を最初から意識しているような作品を書ける人・境遇だからなんでしょうね。
 映画の感想記事は→映画「四月になれば彼女は」

28.センセイの鞄 川上弘美 文春文庫
 高校時代に国語を習った30歳あまり年上の教師松本春綱と駅前の一杯飲み屋で再会した37歳の大町ツキコが、特に約束もない居酒屋での遭遇を続けるうちにさまざまな思いを持ち逢瀬を重ねて行く高年恋愛小説。
 酒をつぐのがうまい(1滴もこぼれない:43ページ)巨人ファンの60代後半のセンセイと、酒をよくこぼすアンチ巨人のツキコの不器用な恋愛というか、古風で不器用なおっさんにアラフォーの女性が恋心を抱いて迫って行くという構図が、切ないというか、高年齢のおっさんの心にヒットします。「おいしいコーヒーのいれ方」がジャンプ読者層の青年たちのニーズ・幻想に奉仕する設定とストーリーだったのと同様、おっさん読者層の幻想・妄想に奉仕する作品なんでしょうね。

27.仕事と江戸時代 武士・町人・百姓はどう働いたか 戸森麻衣子 ちくま新書
 江戸時代の旗本・御家人、武家奉公人、経済官僚、家持町人・地借・店借、商家奉公人、奥女中奉公・下女奉公・遊女、百姓、運送業、漁業、鉱山労働などのさまざまな立場、業種での労働について取りまとめて解説した本。
 人に雇われて働く、それも長期間安定して働く「正社員」のような雇用形態が歴史的にはまだ新しいもので、江戸時代までは自営業者が中心であったということが基本になり、その中で短期雇用がなされた場面や例外的に集団的な雇用がなされてきた業種などを解説しています。
 江戸時代はまだ奉公人が主人を訴えることは許されず(正確には、主人が許せば訴えられるが、許すはずがない)(主人を相手どることは忠義に反するから許されない)、賃金未払いがあっても泣き寝入りせざるを得なかった(192~193ページ)のだとか。民事裁判も、民の権利を守るのではなく、強きを保護して権力者に都合のいい秩序を守るための制度だったわけですね。時代劇でよく見られる「越後屋」と悪代官が示し合わせている図が頭に浮かびます。
 そういった事情もあってか、奉公人の待遇は劣悪で、大店の「白木屋」(後の東急百貨店)でさえ「採用された奉公人の半数弱が病気により退店あるいは死亡している」(161ページ)状態だったとか。
 遊女奉公の身代金は、民間の下女奉公の給金相場と比べて格段に高いわけではないが、前金で一括してもらえるのでその身代金を受け取る者のために多くの女性が遊女にされ続けた(180~183ページ)というのも悲哀を感じさせます。
 いつの世も、富豪や特権階級のために虐げられ踏みつけられる労働者が多数いることをも、改めて感じました。

26.きらきらひかる 江國香織 新潮文庫
 アルコール依存症で他にもメンタルに疾患を抱え内職程度にイタリア語の翻訳をしている家事の苦手な笑子と、同性愛者で掃除好きの内科勤務医睦月の新婚夫婦と、睦月の恋人の学生紺の関係の推移、親たちからのプレッシャーなどを描いた恋愛小説。
 ささいなことで気分が浮き沈みし情緒不安定で号泣する笑子と、それに苛立つことも怒ることもなくむしろ自分が笑子を追い込んでしまっていると反省し包み込むように接する睦月の関係は、どこか女性側に都合のよさそうな幻想を感じますが、睦月が紺と肉体関係を続けながら笑子は昔の恋人を思い出したり会ってもなびかず、むしろ思い出させたり会うように仕向けた睦月に抗議するというあたりでその辺のバランスが取られているような気がします。
 酒に溺れ当たり散らしながら笑子が心情的には睦月を思い続けるところで、夫婦間のプラトニックラブが描かれるという希有の作品となり得ていると感じました。

25.サクラサイト被害救済の実務 〔第2版〕 サクラサイト被害全国連絡協議会編 民事法研究会
 インターネット上の出会い系サイトなどサイト内でのメッセージ交換等に利用料やポイント購入が必要なしくみのサイトで、異性を装ったり儲け話を持ちかけて繰り返しメッセージを送らせるなどすることによって利用料・ポイント購入費等を騙し取るサイトの被害救済の方法と実情を説明した本。
 サクラサイト被害に特化した部分よりもまず、業者が被害者からの支払を受ける決済手段のしくみの解説に、オジさん弁護士としては、驚きます。もう次々と新たな決済手段が出てきて、ついて行けません。でもそこをまず理解しないと被害救済ができないわけですね。詐欺業者自体は正体を明かさなかったり、明かしていてもすぐに逃げるし…
 ところが、後半の裁判例紹介では、詐欺業者に対する勝訴判決は重ねられていても、決済代行業者、電子マネー業者に対する裁判では敗訴事例が累々と積み重ねられ、勝訴事例は少数(116~125ページ)。第2版が出るほどに歴史があっても、なお道は厳しいか。

24.相続調停 松原正明、常岡史子編著 弘文堂
 遺産分割を中心とする相続関係の調停の際によく問題となるような当事者の主張を取り上げて家庭裁判所の実務での取扱を説明した本。
 調停の運用を中心にしているので、理屈はこうで当事者がそこを(理屈に従って)主張すると調停では扱えなくなり地裁で裁判で決着してから来てねとか長引くけれども、当事者がこだわらずに柔軟にやれば調停内で解決できるとかいう説明も多く、弁護士としてもそこは悩ましいんだけどねと思いながら読むところもわりとありました。
 遺産分割の調停で問題となることの多くがコンパクトに理解でき、実際の調停の進行がイメージできていい本だと思います。後半になるとふつうの解説書っぽくなっていきますが、そちらでも家裁の調査官の仕事の説明を興味深く読めました。

23.クリスティーヌ クリスティーヌ・アンゴ アストラハウス
 シングルマザーの下で育った13歳のクリスティーヌが、母がクリスティーヌの認知を求めた際にやってきた欧州評議会の翻訳部統括を務める父ピエール・アンゴから性的な行為を求められ、困惑しながらそれに従い、精神的に不安定になり、父と離れたり会って関係を続けたり、他の男と関係を持ったり結婚したり別居したりしながら自らの経験を書く作家となった35歳までとその後を描く小説。
 近親姦あるいは性的虐待が子どもに与える被害の深刻さ・重大さ、そしてそれがシンプルなものではなく被害者の置かれる境遇と心理の複雑な様子を描こうとしているのはわかりますし、実際そうなのだろうと思います。
 しかし、近親姦の経験から男性を受け入れられなくなったというのはわかりますが、夫との性行為は緊張してできない一方で、行きずりの男を誘い込んであっさりセックスし、誰とでもすぐセックスするような日常と夫の元に戻るときを繰り返すクリスティーヌを、また父に対しても拒絶して長らく会わなくなったと思ったら自分から会いに行ってまた肉体関係を持つというクリスティーヌを、父の性的虐待の被害者だからとまるごと受け止めるのは、なかなか難しい気がします。
 作者が最終盤で経験してみないとわからない、世間の人は近親姦被害者を理解しないと声高に言う姿と合わせて、読者をどこまで付いてこれるかと挑発する作品のように思えます。そこまでしたくなる心情を持つに至る経験と経緯に哀しみは感じますが、同時に付き合いきれなさも感じてしまいます。

22.体のトリセツ あなたの不調をナースがやさしく解説 渡邉眞理(執筆者代表) 法研
 心身の不調や病気について看護師が説明した本。
 コロナ禍の影響などで体調が悪いのにすぐに病院に行けないときに症状の原因や病院ではどう対応してくれるか、気をつけるべきことは何かなどを知り安心してもらうことを目的として出版された(はじめに:2ページ)ということでさまざまなことがらについて、1つのクエスチョンに2~8ページで説明されています。最初の方では心身の不調についてこういう症状はというものもありますが、後半に行くほど病名別の説明になっています。この本の目的やサブタイトルからは、もっと症状の方からの説明を増やして欲しいと思いました。
 私自身、風邪をひいた後、咳がずっと治まらないということが何度かあり、年をとると風邪がなかなか治らないのだなと思っていたのですが、風邪の症状が治まっても咳だけが8週間以上続いている場合は咳喘息という別の病気の可能性がある(19ページ)と書かれていて、そうなのかと思いました。別のところでは高齢の方で2週間以上咳が続く場合は結核を疑うことがある(98ページ)とも書かれていますが。
 タバコについては厳しい一方、飲酒については薬にもなるという立場を保っています(14~15ページ、159ページ)。今どきの本としては、それでいいのか少し疑問に思いますけど。

21.剱の守人 富山県警察山岳警備隊 小林千穂 山と渓谷社
 剱・立山エリアを中心に山岳救助に取り組む富山県警察山岳警備隊に同行取材して、訓練、パトロール、救助の実情、歴史や装備、隊員やサポートする人々の様子などを綴ったノンフィクション。
 人の命がかかった仕事で、それ故に時期を問わず緊急出動を余儀なくされる、その仕事自体が足場の悪さ、雪や霧などの厳しい環境の下で、谷底に落ちたり滑落した人を救い出し負傷者などを背負ったりして山小屋などまで運び送り届けるという危険があり体力を消耗するものなのですから、ただただ頭が下がります。救助要請があった場合だけでなく、登山者の様子を把握して遭難していないかを気にして積極的に確認作業をしている(もちろん、いつもしているわけではないでしょうけど)ことまで書かれていて驚きました。
 2021年10月末に立山に行き、登山はまったくしませんでしたが、室堂の賑わいや雪深さ、霧などは体感しました。そのときは存在も気づきませんでしたが、室堂警備派出所などにここで書かれている人たちが詰めていて活動していたのだなぁと感慨深く思いました。

11.~20.おいしいコーヒーのいれ方 Second Season Ⅰ~Ⅸ、アナザーストーリー 村山由佳 集英社文庫
 おいしいコーヒーのいれ方Ⅹに続く2年間の和泉勝利と花村かれんと周囲の者たちの関係、できごと、思いを綴る本編Ⅰ~Ⅸと、後半のターニングポイントになるいくつかのエピソードを別の語り手が語ったり、その後の若干を描くアナザーストーリーからなる読み物。
 ⅠとⅡは、おいしいコーヒーのいれ方Ⅹのそのまま続きで2人の幸せな甘い日々が描かれ、たぶん、読者にも一番幸せな読み物となっているでしょう。しかし、それはある種読者の欲望・幻想に奉仕しているだけで、このままでは小説に、あるいは Second Season にもならないと作者が感じたのでしょう。ⅢとⅣで勝利の大家の森下家の事情に軸足を移し、さらにⅤから大きな展開を加えて話を揺すぶっていきます。昨日は今日の続きではない/続きとは限らない、人生には何が起こるかわからないということを、作者が作品に投げ込んできたもので、あとから一気読みしている私には東日本大震災で世の無常と無情を痛感したことの反映かとも思えたのですが、作者が事件を書き始めたのはその前年で、その時点で何か思うところがあったのでしょう。しかし、大きく展開させすぎてどう収拾を付けていいかが見えなくなったのか、作者がラス前のⅧを書いたあと最終巻のⅨまで実に7年もの年月を要しています。作者の構想の大きさあるいは試行錯誤の大胆さとともに、主人公の恋の行方を決着させてしまったあとに恋愛小説を書き続けることの難しさが感じられます。

01.~10.おいしいコーヒーのいれ方 Ⅰ~Ⅹ 村山由佳 集英社文庫
 小2の時母に死に別れて父親と2人暮らしで家事全般をこなしてきた陸上部長の高校生和泉勝利が、高3のはじめから2年間、父親の九州転勤と叔母夫婦のロンドン転勤が重なり、大学を卒業して美術教師となる従姉かれんと中2になる従弟丈と3人で暮らすこととなり、長らく会ってなかったかれんの変貌を見て恋に落ち…その後の3年半、勝利が大学3年の夏までを描いた青春恋愛小説。
 前半は…子どもが3人で一緒に暮らす設定、恋愛小説ながら早々に勝負は決まるというか、ヒロインの思いが明示され、ヒロインが「誰と」結ばれるかより紆余曲折を経て「どのように」結ばれるかに関心が集まるというあたり、私はあだち充の「タッチ」をイメージしてしまいました(ついでに言えば、強面のキャラの名前が「原田」とか…)。まぁ、早々にかれんの思いが明示されるのは、もともと連載ではなく単発の短編として書かれたためということですが(シリーズタイトルも、第1話にしか関連しませんし)。
 当初「少年ジャンプ」増刊の「ジャンプノベル」に掲載・連載された作品ということもあり、主人公が高校生で、相手が5歳年上の女性でありながら、初心で純情で(23歳でキスの経験もない!)主人公が守ってあげたいと思い現実の行動でも庇護対象であり、主人公の方が主導的に振る舞うという、いかにも「少年ジャンプ」読者層の願望というか妄想に奉仕した設定になっています。主人公が年上の女に翻弄されそのしたたかさにほぞを噛むという場面がないというのは、私にはむしろ不自然に思えますが、そういう展開は読みたくないという読者のニーズを考慮したのでしょう。
 勝利が料理を始め家事全般を遂行することや、かれんの気持ちを大切にするよう、自らの嫉妬心や欲望を抑え込む(それに失敗して自ら悔やむ)叙述が多いことは、読者側の妄想を放置・増長させるだけではまずいと考えた作者の読者青少年への姉貴的な立場からの指導・要請なのかなと思いました。
 勝利(かつとし)のことを「ショーリ」と呼ぶのはただ1人かれんだけという設定です。しかし、運動部所属の高校生が勝利という名前だったら、ほぼ間違いなく友人たちからは「しょうり」と呼ばれると思うのですが。
 ずいぶんと久しぶりに、自分自身が高校生のときの同い年だけど自分より大人びた同級生との、19歳のときの年上の女性との、どちらも数か月だったけど、ときめきわくわくしじりじりしヒリヒリした日々を思い出しました。

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