◆たぶん週1エッセイ◆
映画「落下の解剖学」
「サントメール ある被告」に続き、フランスの裁判での尋問の運用の違いに驚く
犬のスヌープの好演が光る
2023年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作にしてアカデミー賞作品賞ノミネートの法廷サスペンス「落下の解剖学」を見てきました。
公開初日祝日、新宿ピカデリーシアター5(157席)午前10時25分の上映は、ほぼ満席。
ドイツ人の人気作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)がフランス人の夫サミュエル(サミュエル・タイス)と事故により視力を失った11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)とともに住むグルノーブルの雪深い山荘に、ダニエルが愛犬スヌープを連れて散歩から帰ってきたとき、サミュエルが頭から血を流して死んでいるのを発見した。解剖医は他殺であることを否定できないとし、サンドラは殺人罪で起訴され、知人の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)に弁護を依頼し、公判が始まるが…というお話。
法廷サスペンスで、作品の多くの場面が裁判関係のやりとりなのですが、弁護士の目からは、フランスとの法廷慣行、尋問の運用の違いに、一種のカルチャーショックを受けました。
証人の尋問/証言の途中でそれに関して被告人にも質問をする場面が多々ありました。これは、日本の裁判では通常はやりません(私は刑事裁判、もう十数年離れていますのでひょっとしたら変わっているのかも知れません)が、労働審判ではそれに近い運用がされている(使用者側の出席者:上司とか総務関係者とかに質問して答えがあったところでそれに関して労働者に質問したりというのは、ふつうに行われます)ので、そういうやり方もさほどは違和感はありません。
しかし、検察官の尋問も弁護人の尋問も、証人や被告人に質問し証言を引き出すよりも、議論をすること、自分の意見を言うことに重きを置いている感じです。裁判では、証人の証言は証拠になっても検察官や弁護人の意見は証拠になりません。日本の弁護士の感覚では有利なというか使える証言を引き出せずに尋問としては失敗に終わって負け惜しみ/捨て台詞を言っているようにさえ聞こえます。裁判官がヴァンサン弁護士の意見を述べるだけの「尋問」のあとに、参審員に今のは弁護人の最終弁論ではありませんと注意していたのは、明らかに弁護人への皮肉でしょうから、フランスでもそれがスタンダードではないのでしょうけれども、「サントメール ある被告」でも同じような「尋問」がなされていた(そちらは実際の裁判記録に基づいて脚本を書いたとされていますし)のに続いてこういうのを見ると、フランスの裁判ではこういう尋問がふつうであったり効果があったりしているのかもと思ってしまいます。そうだとすると、裁判文化というか尋問の運用の違いに驚きます。
また、日本でもそういうきらいがないではないですが、ちょっと証人に推測というか「意見」を求めすぎに思えます。専門家証人以外の証人は本来経験した「事実」を証言するもので、自分の意見を言う立場にはありません。そしてその専門家証人ではない証人の意見(推測)が裁判結果を左右する/裁判官が証人の意見(推測)に依拠するというのもどうかなぁと思います。
スヌープが白目を剥いているところを始め、スヌープの表情や仕草がどうやって撮影したのかと思うほどはまっています。パルム・ドッグ賞受賞も納得の好演と言っていいでしょう。
(2024.2.23記)
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