◆たぶん週1エッセイ◆
映画「大名倒産」
原作よりも相当わかりやすく共感しやすいが、他方でここまでシンプルにして悪役を一部に押しつけていいのか疑問もある
エンドロールに期待させるならもう少し工夫が欲しかった
浅田次郎の小説を映画化した時代劇コメディ「大名倒産」を見てきました。
公開3日目日曜日、松竹の本丸ともいうべき新宿ピカデリーは公開初週末に最大スクリーンをあてがわず、シアター2(301席)午前10時45分の上映は4割程度の入り。
越後丹生山で鮭役人間垣作兵衛(小日向文世)・なつ(宮崎あおい)夫婦の子として育った小四郎(神木隆之介)は、ある日突然藩主の子であると告げられて江戸の越後丹生山藩上屋敷に連行され、先代(佐藤浩市)から、長男は落馬して死亡、次男新次郎(松山ケンイチ)はうつけ者、三男喜三郎(桜田通)は病弱なため藩主はお前に継がせると宣告された。登城した江戸城で献上品の未納を老中(勝村政信)から叱責された小四郎は、家臣たちを問い詰めて、越後丹生山藩が25万両(約100億円)の負債を負っていることを知る。慌てて先代を訪ねた小四郎に対し、先代は5か月後には商人たちが騒ぎ始めるからそれまでは黙っていてそこで返済できぬといえばお家お取り潰しは避けられないが家臣や民は幕府が引き継いで生き延びられると言い放つ。いったんは納得したものの疑問を持った小四郎は、町中で再会した幼なじみのさよ(杉咲花)とともに調査と倹約作戦を始め…というお話。
冒頭、この作品の結末はエンドロールの後にありますという告知があり、何かな?と思います。まさか、そう言っておかないとエンドロールが始まるやバタバタと観客が立つと予想してその予防のためなんてことじゃないでしょうねと訝しく思いました。
原作と異なり幸せそうな幼少期を描き、母からお守りを渡され命を大切にするように言い聞かされるシーンが置かれているのが、小四郎の行動のバックボーンとなり、わかりやすくまた共感を呼びやすい設定となっています。幼なじみが磯貝平八郎(映画では天野大膳の部下として登場)と矢部貞吉(映画では登場せず)ではなく、さよで、母なつが小四郎が成人する前に死んでいなくなるなども、原作とは違っています(側室に迎えられる前に死んだことにした方がイメージがいいという判断なのでしょうけれども、小四郎が9歳の時に認知されて側室に迎えられ江戸の下屋敷に住んできたが作兵衛に操を立てて夜とぎを拒否しつづける原作の方が、私には共感できます)。
メインストーリーの借金の処理について、原作では小四郎の有力な助っ人として登場する同様の経験をした他家の勘定役だった比留間伝蔵が登場せずその代わりを幼なじみのさよにさせていることに象徴されるように、さまざまな人物、さらには神まで登場させてさまざまな偶然や努力の貼り合わせで進めていた原作を、もっぱら内輪の人間の努力で解決するという物語に変えています。この点も、作品としてわかりやすくなり、神の力を外したことでより納得感なり共感が出てくると感じました。私が原作を読んで感じた不満(それについて読書日記の記事はこちら→私の読書日記2023年5月分13.14.「大名倒産 上下」:もっともその不満自体がこの映画の予告編を先に見たことに触発されている面がありますが)はほぼ払拭されています。他方で、さまざまな人の陰影や綾の部分を消してシンプルにして悪役をごく一部に押しつけることが、原作の味わいを損なっているところもあると思います。
冒頭で期待を持たせたエンドロール後の結末ですが、そこまで引っ張るならもっとひねりなりパンチを効かせて欲しかったなと思います。小四郎のつぶやきに反対側に視線を送っているさよが、実は私の好きな人はこの人(例えば磯貝平八郎)とか言ったら観客の期待とは別方向でも、驚きを与えられたと思うのですが…
(2023.6.25記)
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