庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その9)
ここがポイント
 津波についての直接証拠から素直に推論する限り、1号機A系の非常用交流電源喪失の原因は津波ではない
 それを否定するための東電の新解析は、津波速度を異様に速くしたもので信頼性に欠ける
 原子力規制委員会の評価は、電源盤が電源喪失時のままでなければ成り立たないが、その前提が確認できない 
 『科学』(岩波書店)2021年3月号特集「原発事故下の10年−継続する論点」の中で掲載された「津波原因論は採用できない−1号機非常用交流電源喪失の経過から」に説明の補足や柏崎刈羽原発差止訴訟での議論を追加するなどの加筆をして掲載します。
    

 新潟県技術委員会は、2020年10月26日付の報告書で、福島第一原発1号機非常用交流電源について、「津波以外の要因で電源喪失した可能性を否定することはできない」と結論づけた(報告書13ページ、14ページ)。巷間流布されており、また東京電力が長期間をかけ、新たな解析も行って訴え続けた津波原因論(津波が敷地に遡上して電源盤を浸水させたことが非常用交流電源喪失の原因とするもの)は、新潟県技術委員会では採用されなかった。

 国会事故調においてこの問題の調査を担当し、新潟県技術委員会での議論に一部参加した(参考人としてヒアリングを受けた)者として、この問題の経緯を整理し、改めて津波原因論を言い続ける原子力規制委員会と東京電力の主張の誤りを指摘しておきたい。

何故1号機非常用交流電源A系の電源喪失は津波が原因でないといえるのか

私の出発点

 私がこの問題を考えた出発点は、@1号機の当直員引継日誌に「15:37 DG1Bトリップ→SBO(A系はいつ?)」と記載されており(東電公開の「4.運転日誌類」16枚目)、A系の非常用交流電源が15時37分より前にいつの間にか停止していたこと(※非常用交流電源はA系とB系の2系統あって両系統が停止して初めて全交流電源喪失(SBO : Station Blackoutの略)となる。B系非常用ディーゼル発電機(DG1B)が停止(トリップ)してSBOとなったことは、A系がそれ以前に停止し、その後B系が停止したことを意味している)、A東電が2011年5月19日に公表した4号機南側での津波襲来を撮影した連続写真で津波が初めて敷地に遡上した時刻が当時の東電公表の時刻では15時42分頃であったこと(「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)」前半の第1の3にその写真を示して説明している)の2点であった。この2つを組み合わせると、1号機の非常用交流電源喪失(15時37分以前)が津波が敷地に遡上した時刻(15時42分頃)以前に生じており、その原因が津波でないことは明らかである。私の考えが、元々東電が公開した情報に基づいて考えればごく自然に出てくるものであったことを確認しておきたい。私には当然と思えたことが、東電を相手にしていると、東電に不利な情報は次々と誤っていたことになり、それが無間地獄のように繰り返されたというのが、この問題の経過なのだ。

A系の非常用交流電源喪失時刻

 国会事故調で運転員4名を集めた(他に東電側1名も立ち会った)ヒアリングで、A系が先にこけた、時間差は「ものの1、2分」「長くても2、3分かな」という供述があった。報告書作成前に東電にそれを事前通告したら、東電は、運転員に再度確認したところ運転員は「ほぼ同時」と言っていると回答してきた。国会事故調報告書では、15時37分に電源喪失したB系より1、2分前として、15時35分か36分と考えられると認定した。

 国会事故調報告書公表後の2013年5月10日、東電は、国会事故調の提出要求に対しては他にはデータは存在しないとして提出しなかった過渡現象記録装置の1分周期データを「発見した」として公表した。このデータによれば、A系の電流が15時35分59秒時点で定格、15時36分59秒時点で0なので、A系の非常用交流電源喪失は15時36分台であったことになる。

津波の敷地遡上時刻の直接証拠

 実は、国会事故調は、津波が1号機敷地に遡上した時刻について、目撃証言を得ている。その者は1号機北側の汐見坂下の駐車場にいるとき津波により重油タンク(※原発の建屋より港側のより低い場所=4m盤にある)が流されるのを目撃してその際に所持していたPHSで時刻を確認したところ15時39分であった、その後津波が10m盤(1号機敷地)に遡上してきたので汐見坂を上って免震重要棟まで避難したという。

 報告書作成前に東電に福島第一原発構内で用いていたPHSについて時刻が自動較正されていたかを質問したところ、されていないと回答された。国会事故調報告書ではこの証言に基づいて津波の敷地遡上時刻を認定することはしなかった。

 何かあったときにPHSで時刻を確認することが習慣となっている者はPHSの時刻が狂っていれば気づき修正するものであり、自動較正されていなくてもその時刻には相当な信頼性があると考えられる。国会事故調は、そして私のこれまでの議論では、手堅く慎重に控えめに、客観データで論証することにこだわってきたが、本来的には、以下のような議論をするまでもなく、津波の1号機敷地への遡上時刻は15時37分より遅い(15時39分以降)と認定してよいはずである。

津波についての客観データの少なさ

 国会事故調の調査を通じて、福島原発敷地に遡上する前の津波に関する客観データは、沖合1.5km地点に設置された波高計(東電は2019年8月20日になって、実は波高計の設置位置は沖合1.3kmと言い出した)による観測データと、4号機南側から撮影した44枚組の連続写真、5号機・6号機寄りの高台から撮影した6枚組の連続写真しかなかった。非常用電源喪失時刻の特定も併せて、この問題では客観データがあまりにも少ないことが真相解明の大きなハードルとなっている。
 津波に襲われた当日、福島第一原発サイトには東電の従業員約750名と協力企業の従業員約5600名が構内に勤務していたと言われている(政府事故調中間報告10ページ)にもかかわらず、津波をビデオ撮影した者が皆無で、写真撮影した者が2名だけなどということがあるだろうか。本当は、より決定的な映像があるが、東電が隠蔽しているのではないかという疑いを払拭できない。

 波高計の測定データではその地点を通過した津波のその後の動きはわからないし、途中から測定不能になり途切れている。4号機南側から撮影された連続写真は、写真と写真の間の津波の動きがわからない上、カメラの内蔵時計が不正確で相当程度進んでいたものと考えられた。さらには6枚組の写真の方は撮影時刻データさえ欠けていた。その結果、4号機南側から撮影された写真に写り始めた後の動きは撮影時刻差から、波高計位置から写真に写り始めるまでは津波速度の公式を用いて、波高計位置から敷地までの津波の動き(所要時間)を推定するしかなかった。

津波写真と波の特定:伊東vs東電の対立点

 波高計の測定データは次の図のとおりである。


波高計による津波測定データ

 この波高計地点での波形と写真の対応関係が後に大きな争点となった。4号機南側から撮影した連続写真は、津波の敷地遡上までに関しては、約30秒間隔で撮影された満ち潮状の写真4枚(写真1〜4)、その後3分34秒の空白の後に11秒間隔で撮影された2枚(写真5、6)、その後57秒の空白の後に4〜23秒の間隔で撮影された南防波堤を乗り越えて迫る津波の写真6枚(写真7〜12)、その後4号機南側の敷地側の2枚を挟んで33秒の空白の後に15秒間隔で撮影された南防波堤を乗り越える大津波の写真2枚(写真15、16)に分けられる。写真はここでは再掲しないが、例えば「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)」(後半の第3の6)に掲載している。
 私は、波高計データの第1波が写真1〜4、第2波1段目が写真5と6、第2波2段目が写真7〜12であると考えた。その理由は、写真に写っている津波の形状(波高・高低差)と時間間隔がほぼきれいに一致することにある。ここでも、私の考えは、客観データの最も素直な評価によっていることがわかるだろう。

 これに対し、東京電力、原子力規制庁など津波が原因だと主張する者たちは、波高計データの第2波1段目が写真7〜12だというのである。そう考えるためには、波高計位置で波高4.5m、高低差3mに過ぎない第2波1段目が、南防波堤屈曲部付近では高さ5.5mの南防波堤を軽々と乗り越え、また写真8で防波堤から離れたところでも津波の高低差が4.6m以上と評価できる(そのことは「科学」2017年1月号で論証:同機種のデジカメでさまざまな幅のカラーパターンを近距離で撮影して写真上のピクセル数と対象物の幅の対応関係を確認して遠距離にあてはめた)ほどに大幅に増幅する必要があるが、各種の波源モデルに基づいて東電が行った解析でもそのような増幅は示されていない(これについては、「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)」(終盤:第3の6後半)で具体的に説明した)。

 東京電力と原子力規制委員会が写真7〜12が波高計データの第2波1段目を撮影したものだとする根拠は、第1波を撮影した写真1〜4の後に写真7まで津波を撮影した写真がないという主張、つまり写真5と6に津波が写っていないという主張であり、それだけである。言い換えれば、写真5と6に波高計データの第2波1段目に相当する津波が写っているのかどうかが、決定的なポイント、分岐点になる。柏崎刈羽原発差止訴訟の第34回口頭弁論(2021年10月21日)でのプレゼンに使ったスライドで示せば次のようになる。


柏崎刈羽原発差止訴訟第34回口頭弁論プレゼン用スライドから

 私の考えに対する東電の批判は、写真5と6に写っているのは津波ではない、津波ならその1分後の写真7や8で敷地付近に写っているはずだという、ほぼその1点のみである。写真5と6には防波堤の先沖合約1km前後に直線上の波が写っている。写真6そのものと写真6の防波堤沖合の直線上の波にマークしたものを示す。


写真6

写真6の防波堤沖合の直線上の波を赤線でマークしたもの

 写真が640×480ピクセルの低解像度のため、その津波は写真上高さ2〜3ピクセルに過ぎないが、それは1km先(※写真撮影場所から南防波堤先端までの距離は約1km:写真に写っている防波堤のうち右側が南防波堤である)では高低差約3mに相当する(そのことは「科学」2017年1月号で論証:同機種のデジカメでさまざまな幅のカラーパターンを近距離で撮影して写真上のピクセル数と対象物の幅の対応関係を確認して遠距離にあてはめた)。人間の目やビデオでは動いているものは遠くでもよく見えるが、これを標準レンズで(望遠レンズを用いずに)写真撮影すると小さくてほとんど見えないということは、日常経験するところである。この写真撮影者は、3分34秒間撮影しなかったのに、写真5を撮影した後すぐ11秒後に続けて写真6を撮影している。それは撮影者がまた津波が来たと思ったからと考えるのが自然だろう。何故写真5と6を撮影したのか、そこに写っている沖合の津波はその後どうなったか、どちらも撮影者に聞けばすぐわかることだ。私は国会事故調時にこの写真撮影者のヒアリングを要求したが、東電はこれを拒否した。国会事故調での経験では私が東電にヒアリング要請して拒否されたのはこの1名だけである。新潟県技術委員会も検討の過程でこの写真撮影者のヒアリングを東電に求めたが拒否されたと聞いている(福島事故検証課題別ディスカッション「地震動による重要機器への影響」説明資料37ページ)。写真5と6に写っているものが津波でないとかその津波がその後どうなったかなどというのであれば、撮影者に聞けばいい、私はそう思うのだが、東電がここまで頑なにそのヒアリングを拒否してきたのは何故だろうか。

写真解釈と津波到達時刻

 連続写真に写っている津波が波高計データのどの津波かが決まれば、写真7〜12の津波が波高計位置を通過した時刻が15時33分30秒頃(東電等の主張)か15時35分頃(私の主張)かが決まり、その時刻を起点に波高計位置から写真7なり8の津波の位置までは津波速度の公式による所要時間、その後は写真の撮影時刻差を足していくと津波の敷地遡上時刻は自ずから決まる。写真7〜12が第2波2段目という私の考えを採用すれば、写真15と16の津波が南防波堤から写真の視野外で東波徐堤を乗り越えて1号機敷地に達するまでの評価で若干の差は出ても、また波高計の設置位置が沖合1.5kmから1.3kmに変更されても、津波の1号機敷地遡上が早くても15時37分以降(自然に考えれば38分前後)であることは動かず、少なくとも1号機A系の非常用交流電源喪失は津波が原因ではあり得ないことになる。

 なお、写真の解釈において私の考えを採用した場合、津波の1号機敷地遡上時刻は15時38分前後でA系非常用交流電源喪失時刻としてあり得る最後の時刻である15時36分59秒よりも相当程度後になるが、写真について東電等の考えを採用した場合の津波の1号機敷地遡上時刻は15時36分台の後半で、あまり余裕がない。2016年に東北大学の今村文彦教授らが行った解析では、東電の主張を前提としても、津波の1号機大物搬入口到達時刻は15時37分18秒となった(「修正された東北地方太平洋沖地震津波モデルによる福島第一原発サイトへの影響再評価」5枚目)。
※細かい話だが、福島原発での高さはすべて「O.P.」(Onahama Peilの略)と呼ばれる小名浜港工事基準面を基準として表記されていた。下の図の今村教授らの解析は東京湾平均海面(T.P.:Tokyo Peilの略)を基準としている。O.P.+10mだった福島原発1号機〜4号機敷地高さは、東京電力によるT.P.表記では+8.5mとされる(東京電力の見解はこちら)(今村教授らは1号機〜4号機敷地高さはT.P.+8.6mと扱っているようである)。


今村教授らの解析での1号機タービン建屋大物搬入口入り口(T.P.8.6m)での津波水位(青)

 今村教授らは敢えてその点は指摘していないが、そうなると、写真の解釈を東電の主張どおりにした場合でさえ、1号機A系の非常用交流電源喪失の原因は津波ではあり得ないこととなる。

新潟県技術委員会での議論

 新潟県技術委員会において、この問題については、前半は先に述べたような点が議論され、2014年4月28日には私と東電が順次プレゼンを行う場も設けられた(当日の配付資料はこちら:非公開会合のため議事録はない)。その場でのやり取りでも、私と東電の見解の相違は津波の写真を波高計データのどの波と解するかの点のみであり、写真の解釈において私の見解が正しければ津波の1号機敷地遡上時刻が1号機A系非常用交流電源喪失後になることに関しては意見の一致が見られた。

 その後、今村教授らの解析が公表され、鈴木元衛委員が今村教授らとともに新たな解析に取り組み、それを受けて東電もN04と名付けた新たな解析を行った(「福島第一原子力発電所波高計記録を再現した東北地方太平洋沖地震津波モデル」)。東電の新たな解析は、結論的に1号機敷地への津波遡上時刻を15時36分台としており、主張の結論の変更はなく、ただ波高計データと写真に基づく推定ではなく、津波の解析によりその結論が導かれたという点が追加されたものである。

 新潟県技術委員会は、これらの議論を踏まえ、最終的に津波の1号機敷地遡上時刻については「波高計位置の津波の時刻歴波形、連続写真、過渡現象記録装置の記録、津波シミュレーション結果(波高計位置修正後)などを基に検討したが、津波が発電所敷地や1号機タービン建屋に到達した正確な時刻を断定することは困難である。推定時刻ではあるが、1号機タービン建屋大物搬入口に津波が到達した時刻を鈴木元衛委員は15 時37 分台、東京電力HD は、15 時36 分台としている。また、場所を特定していないが、同建屋に津波が到達した時刻を伊東良徳氏は15 時38 分台としている。」とし、さらに非常用電源喪失原因について、「タービン建屋に津波が到達したとしても、建屋内にある電源盤(M/C)に津波が到達し、母線電圧がゼロとなるまでにはさらに時間を要することから、タービン建屋大物搬入口に最も早く到達する東電の津波シミュレーション結果を用いても、1号機A系の非常用交流電圧が15時36分台に喪失する原因となった事象は、津波が建屋内の電源盤(M/C)に到達する以前に生じた可能性がある。」とした(報告書参考資料6:137ページ。pdfファイル141枚目)。

東電の新解析の誤り

 東電は、波高計の観測データを再現するために、従前の波源モデルを用いたインバージョン解析に、波高計の沖合の水深50m地点に波高計観測データに合うような「仮想津波記録」を入力するという手段を用いて、新たな解析N04を作成して自らの主張を正当化しようとした(なお、N04は波高計の位置を沖合1.3kmとしている)。

 東電の解析については、私は様々な疑問を持っているが、議論がややこしくなるので、ここでは1点だけ指摘しておきたい(その他の疑問・疑念は、東電から裁判で反論があれば、そのときに議論の俎上に載せることにする)。


東電からデータの提供を受けた解析点

 東電から上の図の各地点でのN04の波高の計算値の提供を受け(新潟県技術委員会で田中三彦委員が伊東に検証させるためと目的を示して東電に要求して提供されたもの)、波高計位置から南防波堤屈曲部付近までの各解析点での第2波1段目の時刻歴波形を再現したところ、次の図のとおりとなった。


東電のN04解析の波高計位置から南防波堤屈曲部付近までの各解析点の第2波1段目の波形

 この解析上第2波1段目は波形がほとんど変化しないままに進行しており、解析上の津波の進行速度が容易に判断できる。波高約5m、高低差約3mの第2波1段目の進行を波高3mの位置で見ると波高計地点が15時33分20秒(グラフの左端の青い曲線が波高計位置の波形であり、これと左の縦軸目盛り3mの交点が15時33分20秒)、南防波堤屈曲部到達が15時34分11.5秒(グラフの右端の薄緑の曲線が南防波堤屈曲部付近の波形であり、これと左の縦軸目盛り3mの交点が15時34分11.5秒)であり51.5秒で進行したと読める。念のために波高3.5mの位置で見ると波高計地点が15時33分23秒、南防波堤屈曲部到達が15時34分12.5秒で49.5秒で進行、同様に波高4mの位置で見ると波高計地点が15時33分26秒、南防波堤屈曲部到達が15時33分14秒で48秒で進行している。
 波高計から南防波堤屈曲部までは、波高計の位置が沖合1.3kmの場合には直線距離で約800m(約100m間隔の解析点が両端を含めて9点あるため。なお、東電は、波高計位置を沖合1.3kmに訂正した際に波高計から南防波堤屈曲部の直線距離は900m程度としている:訂正発表はこちらの一番下の方を参照、訂正後の直線距離はこちらの33枚目参照。そうだとすると、解析点が「約100m間隔」というのは、実は110m余りの間隔なのかも知れない)、津波の進行方向での距離を評価すると約700mである(東電の報告書どおり波高計位置と南防波堤屈曲部付近の直線距離が900m程度なら、もっと長い距離になるだろう)。
 そうすると、N04解析では、第2波1段目は、この間(約700m)を秒速13.59m〜14.58mで進行している。波高計地点の水深は約13m、南防波堤屈曲部付近の水深は約6mとされており、この間の平均水深を10mとした場合の波高5mの津波の進行速度は、公式((水深+波高)×重力加速度)0.5によれば毎秒12.12mであるのに対して、N04解析の津波進行速度は1〜2割も速い(この区間で一番深い水深13mで評価した場合の毎秒13.28mと比較しても速い)(東電の報告書どおり波高計位置と南防波堤屈曲部付近の直線距離が900m程度ならば、さらに速すぎることになる。例えば津波の進行方向での距離が750mとした場合、N04解析の津波進行速度は公式よりも1〜2割どころか2〜3割近くも速いことになる)。

 波形の再現性がどうであれ、津波の進行速度を速く設定すれば、津波到達時刻が早くなるのは当然である。

原子力規制委員会の誤り

 原子力規制委員会は、津波の敷地到達時刻に関しては、東電の主張(N04解析以前のもの)を、東電が不確定部分を比較的控えめに見積もった点を東電以上に東電に有利に断定して主張し(2014年10月「中間報告書」32〜37ページ)、それとは別に1号機タービン建屋内の非常用電源盤の状態(スイッチやリレーのON-OFF位置、継電器の動作表示等)からあり得る選択肢を消去法で潰すなどして電源喪失が電源盤の津波浸水によるものと推定している(同報告書19〜31ページ)。

 原子力規制委員会の報告書の結論は、電源盤の調査によって積極的に津波が原因で電源喪失したという根拠を得られたというのではなく、あくまでも消去法で推定をしているに止まるものである。
 そしてこの原子力規制委員会の現地調査は、事故後3年前後が経過した後に行われたものであり、原子力規制委員会は報告書において、現地調査時の電源盤の状態が電源喪失直後と同じであるか否かについてまったく検討さえしていない。福島原発事故は電源喪失事故であり、事故の進展過程において現場での至上命題は電源の復旧であった。しかも、この事故の際は電源喪失のため免震重要棟や中央操作室と現場間の通信が遮断されて現場で何が行われているかがリアルタイムではわからない状態にあった。未曾有の事態の大混乱の中で、電源復旧が至上命題とされる中で、電源喪失後誰も非常用電源盤を操作しなかったと誰が言えるのであろうか。

 東電は、新潟県技術委員会での田中三彦委員からの質問に対し「事故から原子力規制委員会の調査までの期間において非常用電源盤を開放・操作していないと考えています。なお、客観的な根拠はありません。」と回答し、「東京電力は、1号機の事故の進展の過程において、1号機の非常用電源盤等の原子力規制委員会の上記調査の対象となった機器について、協力企業の従業員を含めたすべての者が行った操作等をすべて把握していると考えているか。」という質問に対しては、正面から答えず(把握していると考えているかには一切答えないままで)上記と同じ回答をしている(「田中委員の質問への回答」3枚目及び4枚目)。

 東電は、新潟県技術委員会では、比較的謙虚な姿勢をとっているが、柏崎刈羽原発差止訴訟では、東電の福島原子力事故調査報告書別紙2(主な時系列)の記載(同報告書18〜21ページ)を引用して「指示を得ずに現場に行った者がいたなどの報告はこれまでに確認されていない。」3月11日「18時頃から復旧班他計5名の作業員により現場の状況確認が開始され、同作業員らは、同1号機タービン建屋内に入り、1階に設置されていたM/C1C、M/C1D、M/C1A、M/C1B及びM/C1S、並びに低圧配電盤(P/C1S)を目視して、それらの外側に砂や海藻が付着し、高さ1m位の浸水跡があることを確認し、同日18時30分ころ、発電所対策本部の復旧班にその旨を報告した。」と主張して「以上のような状況であったことから、全交流電源喪失確認後に作業員が同1号機のM/C1Cに何らかの操作を試みた可能性はおよそ考えられない。」としている。

 東電の主張では、3月11日に1号機の高圧電源盤(M/C)を確認しに現場に行った作業員は18時台の1組だけであり、その者は電源盤に触っていない(外側に砂や海藻が付着し高さ1mの浸水跡があるのを目視で確認しただけ)とされている。
 より正確には、政府事故調に対して磯貝拓グループマネージャーが、1号機から4号機の状況の確認は3名の班で16:00頃出発し1時間程度で戻ってきたと述べている(2011年8月23日付政府事故調磯貝調書2〜3ページ)ので、18時台という2012年6月20日付の東電の報告書の方が間違いで、東電本店(あるいは免震重要棟の緊急対策室)が把握している目視確認は実際には16時台と考えられる(磯貝GMの供述の方がより早い時期になされているし、次に述べるホワイトボードの書き込みにも合致する)。

 しかし、1号機の現場では、東電の裁判での主張とはまったく異なる動きがされていた。1号機・2号機の中央操作室のホワイトボードには、事故進行中になされた書き込みがあり、東電はこれを公開している(東電公開の「4.運転日誌類」17〜27枚目、37〜47枚目)。
 その中で、1号機(ホワイトボードでは「1u」と書かれることが多い:uはunitの意味)の3月11日の書き込みでM/Cに関する書き込みは、私が見つけた限りで3箇所ある。なお、1号機の高圧電源盤(M/C:Metal Cladの略)は、常用が1A、1B、1S、非常用が1C、1Dで、すべてタービン建屋(T/B:Turbine Buildingの略)1階(1F)にあり、A系の非常用電源のM/Cは、M/C1Cである。
 1つめは、時刻は明示されていないが16時41分の書き込みの下、16時55分の書き込みの上になされているのでその間のものと考えられ、「M/C水没」と記載されている。

 2つめの書き込みは、時刻は明示されていないが19時22分の書き込みの下になされているので19時22分以降のものであると考えられ、「1S M/C 1m位水上昇 盤内も冠水、M/C A、B、C、D 同上」と記載されている。

 3つめの書き込みは薄くなり読みづらいが、「23°55′1u T/B BF 水タマリ M/C 1F 床ヌレ」と記載されている(ただし、水タマリの「リ」は消えており判読できず、合理的な推測をした)。

 すなわち、現場では、全交流電源喪失後、3月11日中に少なくとも3回、16時41分以降16時55分までのどこか、19時22分以降のどこか、23時55分には、高圧電源盤(M/C)の状況を確認に行っている(他に直接にM/Cに言及していないが、M/Cのあるタービン建屋(T/B)の状況についてなされた書き込みがいくつかある)。
 1回目視して使用不能と諦めてその後確認に行っていないという東電の主張とはまったく違う。
 そして、2回目の書き込みで「盤内も冠水」と記載されていることは、確認に行った作業員が高圧電源盤のカバーを開けたことを示唆している。
 また、現場は、最初に「水没」と確認しても、2回目に「盤内も冠水」と確認しても、それでもさらに3回目の確認に行っている。このことから、現場の人々は、なんとか電源盤を使えないかと希望を捨てずにいたことがわかる。
 このような書き込みからすれば、現場確認に行った作業員がなんとかできないかと盤内を触った可能性は十分にあると言える。
 そして、現場に作業員が現に行ったことを東電(本店あるいは免震重要棟の緊急対策室)は把握もしていない。
 このように、福島原発事故時、福島第一原発1号機の現場では、電源復旧を意図して高圧電源盤の確認を繰り返しており、東電本店(あるいは免震重要棟の緊急対策室)が把握していない動きをしていた。福島原発事故が電源喪失事故であり、現場では電源復旧が至上命題であったのであるから、電源盤を操作した可能性は否定できない。
 そもそも平時でさえ、再稼働に向けて実施する必要がある工事が柏崎刈羽原発で実際に行われたかどうかさえろくに把握できていない(例えばこちら)東電が、福島原発事故の進展中という未曾有の大事故の混乱の最中で現場作業員が行っていた行動を逐一把握できているなどと主張すること自体おこがましい。

 原子力規制委員会の主張は、現地調査時の非常用電源盤の状態が電源喪失直後と同じであることを大前提とするものであり、そのことが保証されていない以上、前提を欠く砂上の楼閣に過ぎない。

まとめ

 福島原発事故については、すべてを津波が原因とする風潮があり、原子力規制委員会がそのような結論を出したことからその根拠を十分に吟味することなくこの問題が決着したかのように考える者が少なくない。しかし、ここで指摘したように、原子力規制委員会の判断は前提事実を欠いているもので根拠があるとは言えず、東電の主張も公正なまたは説得力のある根拠を持つものではない。

 福島原発事故を破局的な大事故に至らせた最大の原因である非常用電源の喪失が津波以外の原因で生じたのであれば、現在実施されたり予定されている再発防止対策・重大事故対策は、その有効性・信頼性を論じる以前に、そもそも対策たり得ているかに疑問を生じる。

 私としては、福島第一原発1号機A系の非常用交流電源喪失の原因は津波ではあり得ないという私の主張が採用されることを希望しているが、少なくとも新潟県技術委員会が8年あまりの歳月をかけて判断したように、福島第一原発1号機A系の非常用交流電源については津波以外の要因で電源喪失した可能性を否定することはできないとの認識に基づいて、原発の今後をどうするかが冷静に論じられることを願ってやまない。

    
(2021.10.16記、10.23更新)

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