◆たぶん週1エッセイ◆
映画「いのちの戦場 アルジェリア1959」
アルジェリア独立戦争終盤の泥沼化した山岳部でのゲリラ戦でのフランス軍の大義なき戦いを描いた映画「いのちの戦場 アルジェリア1959」を見てきました。
封切り2週目日曜日、新宿武蔵野館はもう1日2回上映に落としていましたが、上映館が少ないこともあってか、満席でした。観客層の多くは中年以上男性という感じ。女性(特に若い女性)比率が少ない映画です。
フランス軍同士で敵と誤認して撃ち合い戦死した中尉の後任として派遣されたテリアン中尉(ブノワ・マジメル)は、ゲリラの協力者の村人への拷問や捕虜の銃殺に反対し、「立入禁止区域」を通行する者の無差別銃撃に反対します。しかし、テリアン中尉が、農民だ、撃つなと別部隊に伝えた相手が射殺され、近くで見ると農民を偽装したゲリラが機関銃を運んでいたことがわかります。ゲリラに襲撃され部下の多くが射殺され、応援を求めるとやってきた爆撃機が、使用が禁止されているナパーム弾でゲリラを焼き払います。アルジェリア独立を認めないフランスの姿勢は誤りでこの闘いには正義はないと言っていたテリアン中尉も、ゲリラ側の双方に協力する村人の虐殺やフランス軍兵士の遺体の損傷などを見せられ、ゲリラと戦うことが犯罪への処罰だと説得され、戦闘で次々と部下を失い自らも危険にさらされていくうちに、次第に変貌していきます。除隊してフランスに戻るはずだった負傷兵を目の前で襲われ殺戮された後、テリアン中尉は、協力者の村人を自ら拷問して殺してしまい、捕虜の殺害や村の焼き討ちを命じ・・・というお話。
スクリーンが小さく、それに合わせて字幕が小さめの上に、アルジェリアの砂漠・岩場の山岳地帯のシーンが中心のため背景が白いことが多くて、字幕が読み取りにくくついて行けませんでした。おまけに早口気味のフランス語。
そのため十分理解できませんでしたが、フランス軍兵士たちが、フランスから派遣された白人たちと別に現地のアルジェリア人で第2次世界大戦でともにドイツと戦った者が多数いて、このアルジェリア人のフランス軍兵士とゲリラ・村人の間合いというか心情が微妙な複雑な感じがします。そのあたりを台詞について行けなくて十分読み取れなかったのが残念です。
テリアン中尉が、村人を拷問して殺し捕虜の殺害を命じた後に、休暇でフランスに戻った際、自宅の前まで行きながら、戦争ごっこをする子供たちと夕食に子供たちを呼び戻す妻を見て、会わずに街に出て映画を見、アルジェリア戦争の真実を語らず美化するフィルムを見るシーンが印象的です。戦争の醜い真実を目の当たりにし、自ら殺戮に手を染めた中尉が、無邪気に戦争ごっこをする子どもたちを見るに堪えなかったのか、妻子の前で自分のやっていることを説明できないと思ったのか。
さらに、テリアン中尉が休暇から戻ると、テリアンの理想主義を批判していたドニャック軍曹(アルベール・デュポンテル)が部下に命じて自分を拷問させている姿を目にします。拷問で相手が受けるダメージを体感し、効果を図るとともに殺害前に止めるため前からやっていたのか(とすれば冷静で実務的)、テリアン中尉が村人を拷問死させたことにショックを受けたためか。私は前者かと受け止めましたが、ドニャック軍曹がその最中に拳銃を撃とうとしたり、この後すぐ脱走することからすると後者かも知れません。いずれにしても印象的なシーンでした。
ゲリラ側の残虐さが強調されて、フランス軍の行為を正当化しようとする要素も相当程度ありますし、アルジェリア側の主張や人物が見えませんが、「シェルブールの雨傘」で見た静かな反戦(ギイが徴集され派兵されたのがこのアルジェリア戦争です)ではなくストレートな問題提起として受け止めておきたいと思います。
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