たぶん週1エッセイ◆
映画「のぼうの城」
 
ここがポイント
 戦国時代の戦を題材にしつつ厳しい局面での決断と人間の器がテーマ
 短い場面だが戦闘終了後ラスト前の交渉が白眉 弁護士の視点
 歴史的敗者・弱者側の視点からの描写は、勝者を賞賛する「清須会議」とは志の違いを感じる

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 関白軍2万余に囲まれた忍城の戦いを描いた映画「のぼうの城」を見てきました。
 封切り5週目土曜日映画サービスデー、TOHOシネマズ渋谷スクリーン2(197席)午前10時の上映は8割くらいの入り。

 天下統一に向けて最終段階の小田原北条氏攻めに向かう豊臣秀吉(市村正親)は、小田原城の支城攻めで腹心の石田三成(上地雄輔)に手柄を立てさせようと2万の軍勢を指揮して館林城と忍城を攻め落とすよう命じる。忍城主成田氏長(西村雅彦)は、北条氏から小田原城に援軍を出すよう求められ、家臣に秀吉に密通して生き残る、秀吉軍と戦わずに開城するよう言い渡して小田原城に向かった。日頃から武闘を嫌い農民と戯れて過ごし、農民からも「のぼう様」と親しまれていた城代の息子成田長親(野村萬斎)は、病に伏せる城代成田泰季(平泉成)に代わり、忍城を取り囲んだ石田三成軍の軍使長束正家(平岳大)に対するが、長束の尊大な態度に加えて城主の娘甲斐姫(榮倉奈々)を秀吉に差し出すよう言われ、事前の家臣の協議に反して戦うと宣言してしまう。城代が息を引き取り、忍城に結集した農民たちを前に、自分のせいで皆を巻き込んでしまったと泣いて謝る長親に農民たちは声を上げて士気を高めていく。緒戦で圧倒された石田三成は忍城の水攻めを決意するが・・・というお話。

 戦国時代の戦を題材にしていますが、厳しい局面での決断と人間の器をテーマにした作品だと思います。(ビジネス誌が戦国武将を題材に経営者論をやりたがるのと同じか)
 豊臣陣営で、諸大名の中で自ら総大将として戦功を立てたことがなく軽んじられている石田三成に手柄を立てさせたい秀吉(それは三成への寵愛とともに家康らを抑え込むためにもバランスをとりたいという策略もあるでしょう)、手柄を挙げたいと焦る三成、三成の軽率さを危ぶむ大谷吉継(山田孝之)、弱い者に対してはかさにかかる長束正家、成田陣営では城主への忠誠を重んじ心配性の丹波(佐藤浩市)、勇猛剛胆をよしとする和泉(山口智充)らの人物像と思惑が交錯し見どころとなっています。
 その中で、主人公の成田長親が、表情が飄々とし過ぎているところが、その人物像をつかみにくく感じられ、どこか「おもしろいけどストンと落ちない」という評価を産むような気がします。私は、長親なりの悩みも決断も描き込まれていたと思いますし、甲斐姫とのラストについても長親なりの苦悩の決断(甲斐姫を切り捨てたというよりは甲斐姫にもこれから落ちぶれて暮らす自分とともにいるよりも、また甲斐姫の父の城主の言いつけに背いた自分という関係も考えての決断)かなと思います。でも、友人にも内心を吐露することなく、葛藤もあらわにしない長親には、こいつ剽軽だけど目が笑ってないとかいう評価がされがちかとも思います。

弁護士の視点
 私の目には、職業柄ということもありますが、派手な戦闘シーンよりも、戦闘終了後ラスト前の成田長親が石田三成と対峙する交渉シーンが一番興味深く思えました。一応勝者として入城したものの現実の戦いでは敗北し大きな犠牲を払っている石田側と緒戦で勝利したものの水攻めで城壁を失い再度戦えば勝ち目はない成田側の、互いに戦いを再開はしたくない状況での有利な決着と落としどころを探る心理戦。短い場面ですが、自分ならどこまでの条件を出しどこで決着を図るかを考えて見ると、ちょっと痺れますね。戦は、戦自体の勝ち負けだけじゃないんだということを感じられることもいいなと思います。

 水攻めのシーンの水しぶきは確かに迫力がありましたが、広大な土地で大規模なセットを組んだという公式サイトのプロダクションノートの説明から期待し過ぎた私には水流が押し寄せるシーンの視界が狭かったなと残念でした。土地の問題よりもタンクの水量とかの問題なんでしょうね。

 長親の船上での田楽踊りのシーン、「西のサル」の寝小便とか、ひょうたん(千成瓢箪は秀吉の馬印ですよね)を腰に当ててそこから放水しているのとか、豊臣方の兵隊がみんな笑ってて、誰も怒ってないのちょっと不思議。戦国時代だし、親分のいないところでも親分を侮辱するやつは許さないとかいう点数稼ぎをする官僚タイプはいないってことでしょうか。それは少し和む感じでもありますが。
(2012.12.1記)

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