◆たぶん週1エッセイ◆
映画「哀れなるものたち」
幼かろうが、不思慮だろうが、不道徳だろうが、自分のことは自分で決めたいというアピールが鮮明な作品
大量のセックスシーンは、女性の奔放なセックスや売春をけしからんと非難する意欲を萎えさせマヒさせる意図かと思う
アカデミー賞に作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞の主要部門を含めて11部門でノミネートされている映画「哀れなるものたち」を見てきました。
公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター8(157席)午前10時35分の上映は8〜9割の入り。
大学で教鞭を執る天才外科医ゴドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は、入水自殺した妊婦の体にその胎児の脳を移植して蘇生させ、ベラ・バクスターと名付け、屋敷内に住まわせていた。ゴドウィンに呼ばれてベラ(エマ・ストーン)の観察記録を取るようにいわれた学生マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)は、ベラの美しさに魅了される。大人の体と幼児の脳を持つベラは、思うままに行動し、屋敷の外に出られないことに不満を持つようになり、さらには性的快感に目覚めて自慰を始め、マッキャンドレスがそれをたしなめたのに対し、ある日忍んできて平然と誘惑を仕掛ける放蕩ものの弁護士ダンカン・ウェバダーン(マーク・ラファロ)とともに駆け落ちを決意する。ベラにそれを告げられたバクスターは反対しつつもベラに緊急時のためと金を服に縫い付けて渡し、ベラは止めるマッキャンドレスにクロロホルムを嗅がせてダンカンとともに世界を旅するが…というお話。
幼かろうが、不思慮だろうが、不道徳だろうが、自分のことは、自分の体のことは自分で決めたいと強くアピールしそのように行動するベラに対し、それを抑圧する男たち(典型的にはダンカンとブレシントン将軍(クリストファー・アボット))を対置することで、自己決定権について考えさせる作品です。
18禁指定(R18+)にふさわしく、これでもかというほどヌード・セックスシーンが登場します。それは、観客サービスの意図もあるのかもしれません(著名女優のフルヌードですから、もちろん客寄せの意図はあるでしょう)が、貞操観念とか、女性が奔放なセックスをすることに対する忌避感・嫌悪感とかに対して、そんなことを気にすることがバカらしくなる/感覚がマヒするまで、セックスシーンを見せてやるという意志のように思えました。ベラが娼婦として稼働する場面は、こうあっけらかんとやられるとセックスワーカーが自由意思で、好きでやっている(救済も規制もその他の政策も、不要だ)という描き方にも見えるのが気になりますが、ここではそれよりも自己決定だ(ダンカンに非難されたり、ブレシントンに許してもらったりするいわれはない!)ということなのでしょう。
こうして見ると、「バービー」はずいぶんとお上品だったのだなと思えます。
原作とは、原作がマッキャンドレスの文章を基本にそれにこの本の記述はウソだというベラの手紙をつけて真実がどこか疑わせる構成を取っているのを採用せず、バクスターが原作ではマッキャンドレスの大学の同級生なのを長年経験を積んだ大学教員の外科医に変更し、ベラと婚約するマッキャンドレスは原作ではベラとそれまでに2回しか会っていないのを連日通って観察・接触を続けていることに変更し、ブレシントン将軍を原作ではバクスターが追い返しているのをベラがブレシントン将軍について行くことに変更しています(その結果ラストも大きく違っています)。最初の3点は、その方が自然ですし、最後の点は映画の展開としてはその方がなじみ(最後にひとひねり)、いずれも原作から変更して正解だと思います。(原作の感想記事は私の読書日記2024年1月分28.)
ベラがバクスターの屋敷に閉じ込められている間はモノクロで、ダンカンと旅立ったあとはフルカラーになり、海のシーンをはじめとして映像の色彩が美しく、映像の面でも楽しめる作品でした。
(2024.1.28記)
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