◆たぶん週1エッセイ◆
映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
3時間10分の長尺だがエピソードがぎっしり詰め込まれ間延びは感じない
主要人物以外もほぼ全員実名は、今どき大丈夫だろうか?
事実関係はほぼ裁判の認定に忠実、むしろあさま山荘の構造に違和感を感じた
自営業の強みに加えて裁判所の期日の入らない(裁判官の人事異動の季節のため)春休みを利用して、若松プロダクション「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見てきました。平日の昼間に、2回見に行ったんですが、2回ともほぼ満席でした。東京では新宿テアトル単館上映ということもあるんでしょうけど、日本映画もまだ大丈夫みたいです。客層は、やはり全共闘世代とおぼしき人々が中心ですが、意外に若い(若く見える?)人も来ていました。
上映時間3時間10分という、興行的にはかなり厳しい長編ですが、60年安保の終結から共産同(ブンド)の誕生と分裂、赤軍派の誕生、革命左派の登場、連合赤軍の結成まで、節目のエピソードはそこそこ押さえ、山岳ベース事件で12人の犠牲者への総括要求過程を盛り込んで、あさま山荘への籠城、銃撃戦、逮捕までの事実関係を詰め込まれると、見ていて長いとは思えません。むしろよくこれだけのエピソードを押し込んだなという感じです。
わりと多くのことを字幕で表現していますので、日本映画ではありますが字幕が読めないとちょっとわかりにくい。私は目が悪いにもかかわらずめがねもコンタクトも使わないので、初回、後の方の席で字幕が読めず、往生しました。登場人物も初回登場時と死亡時に字幕で紹介していて、それが覚えきれないくらい多い。字幕を見て俳優の顔と登場人物をリンクさせていっても、山岳ベースで多数のメンバーが次々出てくるときには誰だか区別できなくなります。
そして、登場人物は、あさま山荘前に突然現れて射殺された新潟から来たスナック経営者と名乗る人物が仮名で、あさま山荘管理人が匿名となっている以外は、全て実名。いまどきのご時世で、いかに歴史的事件とはいえ36年前の事件について主要人物以外も実名はちょっと勇気いりますね。裁判対策大丈夫なんでしょうか?
多数の登場人物が登場するだけに、主人公は設定されていないように見えます。
冒頭は赤軍派議長塩見孝也が格好良く描かれていますが、それは当時の風潮を示すという感じです。前半は、人物的には赤軍派の半合法メンバー遠山美枝子にスポットが当たります。闘争への入口から重信房子への憧れ・交遊、山岳ベースでの永田洋子の追及から総括要求が開始し、総括しようと努力しながらも受け容れられずに、永田にいたぶられ最後にはうわごとを言いながら死んでいく様子が前半のメインストリームをなしています。普通に見ていれば、遠山の真摯な姿と永田の底意地の悪さが対比され、総括要求の理不尽さを強く感じさせます。ただ、今風にいえば、総括要求に対する遠山の対応は、傍目にもいかにも外しているというか空気が読めないという対応。他の犠牲者も含めて、空気の読めないヤツが独裁者に巧く対応できずに殺されていったとも受け取れ、昨今の風潮からすると若い世代には私たちの世代とは違う評価も出るかも。そう読む場合も逆にいかにも巧く森に取り入って巧く立ち回った永田がいやらしく描かれているので、どちらにしても遠山に同情が集まるとは思いますけど。
山岳ベースからあさま山荘にかけては、メインには森恒夫と永田洋子からの総括要求と総括を要求された者や周りのメンバーの苦悩が描かれ、山岳ベースの終盤で永田の裏切りとそれを受け容れることと総括要求への疑問を呈することで坂口弘に共感が向くような流れになります。
しかし、観客にとってシンパシーを感じさせるのは、登場人物としては脇役的ではありますが、加藤兄弟の末弟です。兄に対する総括要求シーンで永田から兄を殴るように求められて躊躇し泣きながら「総括しろよ」と言って兄を殴るシーンは涙を誘います。その後は兄が死ぬシーン以外は台詞はあまりないのですが、リンチの場面で苦悩を感じる様子が顔で演技され、あさま山荘内で終盤に堰を切ったように指導部を追及し絶叫するシーンが印象的です。メインではないはずなんですが、主役を食っている感じです。
このサイトの常連の方には断るまでもないですが、私は坂口弘の最高裁での弁護人(そのいきさつについては「あさま山荘事件の場合」を見てください)として刑事記録を読んでいますが(もちろん、ずいぶん前ですから細かいことは覚えていませんが)、事実関係についてはほとんど違和感なく見ることができました。それぞれの台詞が言われた場面と相手、順番が違うことはありましたけど、言われていないことが入っていることはなかったと思います。山岳ベースでの指導援助とか処刑のための行為を誰がやったかとかは、映画を見ていても誰がやったと描かれているのか自体が(俳優の顔で)区別できなかったので、間違っているケースがあったかどうか何とも言えませんが。
一般の観客の立場では、作ったように見えるであろう、坂東つまみ食い事件も、管理人からの将来の裁判の証人に呼ぶなという要求も、実際にあったことです。ついでに指摘すれば、管理人からの要求に対する約束は、愚直に守られました。弁護人からすれば、巧くやれば最高の情状証人、並みの尋問でも警察の調書よりはいい証言が期待できる、絶対に呼びたい証人なんですが、被告人たちが管理人との約束を楯に断ったそうです(私は最高裁段階ですので証人尋問はあり得ず、前の弁護人との関係の話ですが)。
ただ、描かれている事実は基本的に間違いないのですが、かなりの部分が省略されているために印象が違うことはあります。山岳ベースでの総括要求や死刑宣告について、映画でも12人それぞれについて問題とされた事柄は取りあげています。しかし、実際の場面では、遥かに長時間の追及とやりとりがあるわけで、あそこまで単純な理屈で総括要求がされたり、処刑されたわけではありません。もっとも、総括要求の過程を現実に沿って描いたら、映画よりもっと執拗で陰湿に感じるでしょうけど。
事実関係で一番違和感を感じたのは、実はあさま山荘のセットです。なぜかあさま山荘事件部分はあふれるほどあるはずの実写フィルムが全く使われておらず、あさま山荘の構造がかなり違っています。実際のあさま山荘は崖際に建てられていて、3階建てで、管理人室や居間や玄関は3階にあり、その3階は道路からは1階というか道路より低くなっています。警察が対峙している正面は道路側ですので、あさま山荘内で道路より高いところは天井裏しかありません。で、現に天井裏に登って、道路側に土嚢を積んで陣地を構築する警察に向けて発砲していたわけです。ところが映画では、あさま山荘が平地の3階建てになっていて玄関は1階、管理人室や居間は3階、で3階のフロアから外の警官に向けて下向けに発砲するというスタイルになっています。関係者とマニア以外には気にならないかも知れませんが、そのあたり、どうもなじめませんでした。
監督は、事実をして語らしめようという姿勢なんでしょう。評価は前に出さないようにしているのだと思います。
最後は森の遺書と「自殺」の字幕、その後は関係者等のその後を字幕で流して終わっています。最後の森の遺書をどう感じるか、それぞれでしょうけど、全体として総括要求の理不尽さと永田洋子の意地悪さは動かし難い印象になります。その評価も、そうなるでしょうけど、森について闘争を前に逃亡したことを自己批判して一兵卒から赤軍派に戻った経緯から二度と日和れないというプレッシャーがそのようにし向けていったという伏線を張るのならば、永田についても一介の救対だった永田が森の場合と同様に幹部の相次ぐ逮捕でトップに押し上げられ実力以上のことを求められて無理をして突っ張っていった経緯も少しは描いてやってもよかったように思えます。
(2008.4.4記)
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