たぶん週1エッセイ◆
お薦め本が、書けない
 「私のお薦め本」のコーナーを作りましたが、リーガル・サスペンス、あなたは死ぬまで騙される!、ハリー・ポッターを書いたあとが続かずにいます。
 リーガル・サスペンスは、言ってみれば、弁護士の業界の話。その上、「リーガル・サスペンスを読む」を見てもらえばわかるように、主要なものは読み尽くしたという自信を持って書いてます。「あなたは死ぬまで騙される!」は詐欺商法の話で、これも私の仕事の領域の話。ハリー・ポッターは・・・弁護士の領域じゃないけど娘に各4〜5回読み聞かせた(「不死鳥の騎士団」は2回しか読み聞かせてないけど)話。
 他の領域になると、なかなか自信を持ってお薦めというのが出てきません。今にして思えば、「読んで損した本」なんてコーナーの方が自信を持って書ける対象が多いかなと・・・
 2005年は年間300冊ペースを上回るスピードで読んでいますが、中学生の息子に「これは面白いぞ」と勧め、息子も意見が一致したのは、2冊だけです。1冊は、すでに紹介した「あなたは死ぬまで騙される!」。もう1冊は、「ミッキーマウスの憂鬱」(松岡圭祐、新潮社、2005年)。ディズニーランドを舞台にした、ある種、昔の伊丹十三映画ふうの作品で、娯楽としては結構いけます。ただ、エンターテインメント系の小説はあまり読んでないので、他よりお薦めという自信もないのと、ディズニーランドのリピーターでないと楽しめないかなという思いがあって書いていません。
 自分が詳しくない分野なのでこの本が適切なのかどうかはわからないけど、こういう問題を知っておきたいという感覚で、「子どもたちのアフリカ」(石弘之、岩波書店、2005年)をお薦めしようか、関連本で「難民キャンプの子どもたち」(田沼武能、岩波新書、2005年)と「イヤー・オブ・ノーレイン」(アリス・ミード、鈴木書店、2003年・日本語版は2005年。こちらは子ども向け)も・・・なんて考えていました。その矢先、2005年6月5日の朝日新聞朝刊の書評欄で「子どもたちのアフリカ」が取りあげられ、書こうとしていたこととほぼ同じ内容。で、取りやめました。
 純文学系となると、ますます、いい悪いが単なる好みの問題となってきます。
 例えば「純愛」系。「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一、小学館、2001年)。私は涙腺が緩くなっていますので、泣かせてはくれました。これが、20歳とか15歳とかが書いたのなら何も言いません。でも作者は私より1つ年上。最後にプロフィールを見てのけぞりました。白血病で恋人が死ぬ、「いかにも」の設定。私たちの世代なら誰しも、山口百恵主演の「赤い疑惑」を思い出します。恋人の死から立ち直れない姿を冒頭に持ってくる構成ですから、あと時代を追って恋人の死、散骨と来た後は、読者としては、当然、主人公がどうやって立ち直るかの描写を期待します。それが、書かれてないんですね。立ち直れずに涙に暮れていたのが、最後に、若い女を連れて現れて想い出を語る形にして終わり。しかも、そのシーンは直接には描かれてないけど、その女を連れて死んだ恋人の墓に行って、その想い出を聞かせてるんですよ!そこは、カルチャーショックを受けました。墓に対する信仰がないにしても(でもこの主人公は遺灰にはこだわってその時まで持っていたわけですけど!)、そこまで思いつめた恋人の墓に新しい恋人を連れて行きます?そして、何の説明もなく、遺灰を校庭にばらまいてしまうラスト。こうなると、さんざんもったいぶって立ち直れないとかいってたけど、ただ、新しい恋人ができたら過去のことはすべて忘れようって、それだけのことじゃないのって思います。かわいそうって同情されるのが普通の朔ちゃんも、スタートが似たような感じで、後半ただの色情狂のようになる「そして、愛する彼女のために (原題:One for my Baby)」(トニー・パーソンズ、河出書房新社、2001年・日本語版は2005年)と大して変わらないかも、なんて思ってしまいました。
 「あなたへ」(河崎愛美、小学館、2005年)。恋人が約束の日に交通事故で死んでしまう。いいでしょう。15歳ですから。全編手紙文の語り。ある意味新鮮な文体といってもいいでしょう。こちらも、立ち直りのいきさつはよくわかりません。それも15歳なんだからいいでしょう。でも、それにしても、息子の死に涙に暮れる親から、形見の品は何でも持って行っていいといわれて、大量に持って行った手紙や写真を、すぐに写真1枚を残して全部墓の前で燃やしてしまうのは、あんまりだと思います。だったら親に残しておいてやりなよとしみじみ思いました。
 「きみに読む物語 (原題:THE NOTEBOOK)」(ニコラス・スパークス、新潮社、1996年・日本語版は1997年)。アルツハイマー病で相手を認識できない妻に語りかけ続ける最初の5ページと最後の78ページは、読ませますし、考えさせます。ただ、その間の167ページは、ひたすら10代の時の初恋が14年後に女性が29歳で他人との結婚直前に思い直して「焼けぼっくいに火がついた」状態で成就する話。その後49年間もの結婚生活の話は省略されます。試練に耐える夫は、普通なら、幸せだった49年間の結婚生活を糧にしようとすると思います。それがほとんどないんです。この夫にとっては、他人から婚約者を奪い取った瞬間が栄光で、それを糧に試練に耐えているのでしょうか(こういう物語で寝取られ役に弁護士が多いのは、アメリカで弁護士が嫌われている証拠でしょうか?)。何かこういうストーリー展開をされると、アルツハイマーが他人の婚約者を奪ったことへの天罰であるかのようにさえ読めてしまいます。他人の婚約者を奪って初恋を成就するという話とアルツハイマーの妻に献身的に振る舞う話とを書きたくて、その2つをつなげただけなんでしょうけど。その14年間、女性の方だけは一切他の男とセックスしていないという設定も、男性作者に都合のいい願望で書いてるだけって感じですし、前半は違うストーリーだった方がよかったと思います。
 純愛系ではなくセックスに満ちた(セックスシーンの描写が多いというわけではありませんが)ものも、なんかなじめません。「そして、愛する彼女のために」とか「ラヴ(原題:LOVE)」(トニ・モリソン、早川書房、2003年・日本語版は2005年)とかも食傷気味。ましてや、「恋をしたらぜんぶ欲しい! (原題:ДАЙ МНЕ!)」(イリーナ・ジェーネシキナ、草思社、2002年・日本語版は2005年)なんて、ロシアでは売れたらしいけど、限りなく透明に近いブルーと山田詠美を読んだ後の日本で今さら読めるかって感じだし。
 期待の新人、ジュンパ・ラヒリも、短編集「停電の夜に (原題:Interpreter of Maladies)」(新潮社、1999年・日本語版は2000年)は短くて食い足りない感じで、長編「その名にちなんで (原題:The Namesake)」(新潮社、2003年・日本語版は2004年)はこのテーマでこの長さはちょっとつらい感じ。
 純文学系の小説を論評していると、じゃあどういう小説なら気に入るのか、自分でよくわからなくなります。
 要するに、わがままな読者なんですね。
 てな感じで、お薦め本が書けなくて困っています。

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