◆女の子が楽しく読める読書ガイド◆
タッチ
あだち充作
1981年〜1986年 「少年サンデー」連載
お薦めしないのなら書かなくても・・・とも思いましたが。今年の秋、実写版の映画が公開されるとかで話題になっていて、娘と読みましたので、コメントします。(2005.7.7記)
引用は小学館文庫版(1999年〜2000年)全14巻でします。
ラブコメの名作です。天才ピッチャーで成績抜群の超優等生上杉和也と、飽きっぽくて何をやっても続かず成績も悪い双子のダメ兄貴上杉達也、2人の隣人で容姿・成績抜群で人気者の浅倉南のラブストーリー。「南を甲子園に連れてって」という南の夢をかなえようとがんばる上杉和也は、高校1年夏の地区大会決勝の日に交通事故で死に、その後、双子の兄上杉達也が驚異的ながんばりで野球部を率いて3年夏にその夢を果たすというような話です。
(余談ですが、私はこの作品を野球漫画とは位置づけていません。野球は脇役です。だから、甲子園へ行くことがテーマなのに春の選抜の予選に当たる関東大会が一度も出てこない。後半最大のライバルで和也と戦うために野球を始め対決直前まで行った(6巻158頁)新田明男がその地区大会決勝のスコアボードに名前がない(須見工の4番サードは「上村」:4巻209頁、157頁。これくらい単行本化するときに直しときゃいいのに)。甲子園での試合を1カットも書かずに優勝させる。なんてことができるんです)
ラブコメとしては、かなり早い段階から、決着はついてしまっています。浅倉南は、和也が生きている時点から、達也が好きと心を決めていて、そのことは、早くも1巻で示唆され(浅倉南の発言:1巻46頁、篠塚かおりのコメント:1巻169頁、浅倉南の日記をめぐる発言:1巻212頁〜213頁)、3巻ではキスシーンも登場し(3巻156頁)、「南だって本気だよ」とだめ押しされています(3巻289頁)。普通だとその後も心変わりがあったりするわけですが、この作品では、浅倉南が完全無欠の理想の女性として描かれていますから、そういうことは考えられません(例えば、達也が新田由加の計略に乗せられて南に黙ってデートしていたことがわかったときも、ラブコメおきまりの嫉妬・けんかさえなく、すべてお見通しです。9巻118頁〜120頁)。
ハラハラドキドキのストーリー展開はなく、最初からわかっている結末に向かって進んでいく、「見ていて安心」なお話です(「刑事コロンボ」みたいですね)。
それでも読ませるのは、絶妙の間の取り方、心理描写の巧さ、軽妙なギャグの力だと思います。批判的な目で読み返しても、つい引き込まれる魅力があります。
さて、この作品で、読者は、上杉達也に感情移入して読むことが想定されています。そうしている限りでは、たいへん気持ちよく読めます。完全無欠の理想の女性浅倉南が自分のことを思ってくれていて、自分は、最初はごく平凡な存在なのが、がんばっているうちにどんどん成功して甲子園出場(優勝までしてしまう)ですからね。アイドル歌手にまで言い寄られて、それを振っちゃいますしね。もっとも、最後の方はとんとん行き過ぎて現実感がないでしょうけど。この漫画は、もともと少年漫画誌に連載されたものですから、読者も男の子を想定するのは当然です。しかし、その後、テレビアニメ化され、アニメ映画化され、今回は実写版の映画にもなるそうです。そうなると女性の視聴者も考えなければならないのですが・・・
女性読者・視聴者は、この作品で誰に感情移入できるでしょうか。
浅倉南は、容姿抜群、成績抜群、女生徒も含めて人気抜群。このあたりでも現実感がなくなりますが、浅倉南の立場から考えると、この話にはなかなかついて行けません。そもそも、浅倉南は、何故、この作品の原点となる「南を甲子園に連れてって」という夢を、和也に託したのでしょうか。甲子園に行ったって浅倉南はただスタンドで応援するだけです。相手が恋人なら、その晴れ姿を見たいから、恋人が自分のためにがんばっている姿を見たいからという動機として理解できます。でも浅倉南は一貫して達也が好きで、和也はただの幼なじみです。ただの幼なじみに、自分には大してメリットもないことで、どうしてそんな重い重圧をかけ、幼いときの思いつきはともかく高校生までそれを続けられるのでしょうか。そのスタートからして、浅倉南の立場で考えたら、とても理解できません。そして、達也に心を決めているのに、どうして和也に思わせぶりな態度を続けられたのでしょうか(和也と2人のシーンでは、自分の心が達也にあることは示唆してはいますが)。浅倉南に感情移入しようとすると、そのあたりから居心地の悪い思いをします。
浅倉南以外の女性は、浅倉南の引き立て役として登場するだけです。後半で結構重要なキャラとなる新田由加は、かなり性格悪く描かれているので、ちょっと感情移入できそうもありません。
感情移入できるかどうかをおいて、浅倉南の生き方はどうでしょう。
容姿・成績・人気とも抜群の浅倉南は、お話の後半で新体操を始め、高校スポーツ界のアイドル、「今一番輝いてもっとも魅力的な、日本中のあこがれの女の子」(14巻317頁)になります。それでいながら、その夢は「南を甲子園に連れてって」であり、達也のお嫁さんになること(4巻65頁〜66頁)です。高校生のうちから、達也の気持ちはすべてお見通し。それ以前からも含めて、炊事、洗濯、掃除と南が達也らのめんどうを見ています(達也も喫茶店「南風」を1人で店番任されてるんですから、スパゲッティや焼きそばくらい自分で作れるんですけど)。心理的にも行動面でもまるっきり世話女房です。
能力のある女性も、能力を活かした自己実現はほどほどにして結局は男につくす。それを強制されずに自分で選び取る。なんか、そういう女性観が見えますね。
サブキャラの新田由加の描かれ方もあんまりな感じ。性格が悪いのは、与えられた役柄上、そういう設定として、それはいいんです。でも、積極的な性格、合気道2段の元気な女が、上杉達也を好きになったために選んだ道は、野球部のマネージャーになり、料理がうまく作れるように思い悩む姿。これまた、元気で強い女も家庭で男につくしなさいって話ですね。
それ以外のキャラは、容姿の美しい人は浅倉南の引き立て役、容姿の美しくない人は問題外の扱い(勢南高校の西村君の幼なじみのマネージャーは最後に恋が実りそうですけど・・・それでも容姿が悪いためにぼろくそにいわれ続けています)。容姿についての作者の姿勢は厳しいものがありますね。
それから、他にもあちこちかなり古風な感覚が見られます。例えば、舞台回し役の原田君の発言で、達也には浅倉から自立しろといい、浅倉が浅倉らしく力を出すためには達也が必要だというので、達也が反論すると、「おまえは男で、あいつは女だ」(9巻319頁)とか。
というようなことで、女の子に読ませるという観点で見ると、マイナス評価しかできないですね。それでいて、なまじっか明るく楽しく読めたりする点が困りものです。
小学生の娘に読後の感想を聞いたら、「犬がかわいかった」だけしか出てきませんでした。
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