庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

   ◆活動報告

 4.28処分取消・無効確認訴訟東京高裁判決に寄せて

  はじめに

 1978年年末・79年年始の全逓信労働組合(「全逓」今はJPU)の業務規制闘争を理由に1979年4月28日に行われた懲戒免職処分を争う訴訟で、2004年6月30日、東京高裁は、1審の原告全面敗訴の判決を覆し、控訴人全員について懲戒免職を取り消し、無効を確認する判決を言い渡しました。

  事案の概要と受任までのいきさつ

 1978年末、全逓は、郵政当局の全逓敵視の姿勢を改めるため、業務のスピードを極端に落とし、集配課では一日中郵便局内での郵便の区分作業に終始して配達に出ないなどの業務規制闘争を行いました。このような闘争自体は、当時はよく見られたのですが、この年は全逓も郵政当局も強硬姿勢をとり続け、前代未聞の越年闘争となり、年賀状配達は大混乱に陥いりました。
 3が日はもちろん、当時は15日に固定されていた成人の日を過ぎても、配達されない年賀状が大量に残り、お年玉くじの抽選も延期される事態となりました。
 当時の郵政省の最大のイベントだった年賀状配達を大幅に混乱させたこの争議に対して、郵政当局は争議の実行者の一般組合員の大量処分で応じました。1979年4月28日、懲戒免職58人、停職286人、減給1457人、戒告1425人という前代未聞の処分がなされました。関係者の間では4.28処分と呼ばれています。
 当時は「権利の全逓」と呼ばれていた全逓は、もちろん、直ちに反処分闘争の実施を決め、全逓の指導の下、人事院に公平審査の申立が行われました(公務員の懲戒処分は、いきなり裁判を起こすことはできず、先に公平審査の申し立てをしなければなりません)。しかし、人事院では、怠業日数の認定に誤りが認められた1名が救われただけで、1986年5月、それ以外の申立はすべて退けられました。
 1986年8月、全逓の指導の下、東京地裁に懲戒免職処分取消訴訟が提起されました。この時点では原告は45名に及んでいました。
 しかし、全逓は、1990年8月、反処分闘争の終結を決定し、裁判の原告となっている被免職者に対して訴えの取り下げを求めました。その際、全逓側からは、金丸(自民党)・田辺(社会党。当時)間の政治折衝により年齢制限上再受験可能な者は再受験すれば採用されて職場復帰できると宣伝されました。全逓の説得によりほとんどの原告が訴えを取り下げ、原告は6名にまで減少しました。訴えの取り下げ直後に発表された試験結果では取り下げ再受験者は全員不採用でした。それにもかかわらず、全逓は反処分闘争終結の方針を変更しませんでした。それどころか、1991年6月30日、取り下げをしなかった者と、取り下げたが再受験問題で全逓執行部に抗議した者を組合から追放したのです。
 この段階で全逓弁護団が全員辞任したため、取り下げをしなかった6名と取り下げたけど訴訟を継続したいと希望した人は新たな弁護団を探すことになりました。取り下げ後訴訟継続を希望した人は、全逓執行部との関係で対立を辞さない(組合員資格の回復を求める)者とそうでない者に分かれました。
 この政治的・運動的にはかなり絶望的な状態で、取り下げをしなかった6名と取り下げた1名から、懲戒免職処分取消訴訟の継続と全逓の組合員資格の回復等の訴訟(こちらはうち4名から)の依頼を、私を含む6名の弁護士で(正確に言えば、全逓の組合員資格回復は4名の弁護士で、取り下げ者の訴訟継続は1人で)受けることになりました。
 全逓の組合員資格剥奪は、組合規約上の根拠もない(全逓の執行委員が、法廷で、規約のどの規定に基づくものか聞かれて、規定はありませんと証言したほどです)でたらめなものでしたから、裁判所も当然に無効と判断しました(それでも全逓は最高裁まで争いました)。
 取り下げ組は、私が依頼を受けた1名と他の弁護士に依頼した3名が別々に、取り下げの無効を主張して期日指定を求めることになりました。私は、取り下げ再受験交渉の際の郵政省側の官僚や当時の全逓委員長の証人尋問まで行いました。しかし、取り下げが詐欺・脅迫に基づくものであるとの主張は、裁判所の受け入れるところとならず、1994年12月14日、期日指定請求はされず、裁判の終了が宣告されました。この段階で、私は、期日指定で上訴しても裁判上の展望もないし運動的にも早く取消訴訟本体と合体することを優先すべきと判断しました。そこで、依頼者に取消訴訟は断念して新たに無効確認訴訟を提起して併合請求することを勧め、直ちに実行しました。他の3名は期日指定で上訴し、最高裁まで争ったとのことですが、主張は通らなかったようです。

  裁判上の争点

 このようないきさつで、私たちは、大弁護団が人事院段階を含めて10年も積み上げてきた大量の記録を前に茫然としながら、全逓相手の組合員資格回復の裁判と、取り下げ者の期日指定請求の手続を同時進行しながらの状態で取消訴訟に取り組むことになりました。しかも取り下げ問題のしこりがあり原告間に感情的な問題も抱えながらのスタートでした。このころは、正直なところ、ただ何か大変なものを引き受けてしまったなあという思いでした。
 私たちが引き継いだ段階で、裁判上の争点は、公労法の争議行為の一律禁止の違憲性(憲法第28条が争議権を含む労働基本権を保障しているのに公務員に争議行為が全面禁止されていることは憲法違反という主張)等の法律論上の争点の他は、処分の不公平にありました。処分の不公平性は、組合での地位の上下間での不公平、郵便局間での不公平、同一郵便局内での不公平に整理されます。闘争は全国で行われたけれども懲戒免職処分は東京郵政局管内に集中していました。懲戒免職処分を受けたのは全国で58名。うち55名が東京郵政局管内でした。東京郵政局管内での懲戒免職55名はいずれも争議の単純参加者で組合の指導者側は1人もいませんでした。郵便局間でも闘争の激しかった千歳郵便局では懲戒免職処分を受けた者はいないなどの不均衡が見られました。各郵便局内でも闘争はすべての課で行われたのに懲戒免職は集配課(郵便配達)に限られていました。集配課内でも全逓組合員は大半が同様の闘争を行っていたのに、一部の者だけが懲戒免職となりました。
 引き継ぎ前段階での主張立証は、このうち特に同一郵便局内での不公平に集中していました。人事院での証言は、闘争中の各日に管理者が行った現認(現認書の作成)の対象者の選定基準と闘争参加者の闘争の程度(業務のスローダウンの程度)の同一性、懲戒免職となった者と同程度ないしそれ以上の闘争を行っていながら現認をされず懲戒免職とされなかった者の存在に集中していました。
 前弁護団の方針は、実務的には優れた方針であったとは思いますが、各郵便局毎の蛸壺に入りがちで全体がわかりにくくなっているし、「他に処分を免れた者がいるからといってどうしてその者の懲戒免職処分が違法と言えるか」について弱さがあるように私には感じられました。
 そこで私たちは、この闘争に至るまでの郵政当局側の全逓差別の事実の発掘を強め、不公平の主張のうち上下間の不公平の主張を強めました。全逓差別の事実は、争議行為の動機面での正当性の主張とともに郵政当局の処分の動機・目的の不当性の主張につなげました。つまり、ただ「同レベルの闘争を行っていながら処分を免れた者がいる」というだけでは処分が違法と言えなくても、その処分が全逓つぶしのために活動家を追放する目的だったということになれば処分の違法性は(理論上)明らかです。上下間の不公平を強調したのは、やはり同レベル同士なら他に処分を免れている者がいるといっても取消までは難しいとしても、地位と処分が逆転しているとなれば違法と言いやすいし、幹部の指導行為による処分では地位と処分が逆転しているケースでは取り消した裁判例もあったからです。
 各郵便局レベルでいうと、私の担当した郵便局では、懲戒免職を受けた4名のうち3名までが闘争以前から年賀状配達を外されたり夜勤が集中するなどの業務上の差別を受けていました。残りの1名は、その局での管理者と第二組合の全郵政結成準備者との会合に乗り込んだ者でした(そのためにこの郵便局での全郵政の結成はかなり遅れたと言われています)。このように闘争開始前から当局に嫌われにらまれていた者が、大量の闘争参加者の中から毎日常に現認対象者とされて集中的に現認書を作成されて懲戒免職となったのです。ただ、この点は、全逓の支援が得られないために、証拠資料がたまたま原告と支援者の手元にどれだけ残っていたか(私の担当した原告は物持ちがよかったために当時の分会の機関誌・ビラがきちんと残っていました)に左右され、全局に共通の主張とはできませんでした。
 郵便局間の不公平については、千歳郵便局という1つの局との比較では説得力がないと感じたので別の検討をしました。どういうルートで入手したのかよくわかりませんが、原告の1人が「郵務だより」という当局側の日報のコピーを持っていました。これに闘争当時の郵便局毎の郵便物の滞留数が集計されています。実は、闘争期間中の郵便物の滞留数については組合側と当局側の主張が食い違っているのですが、当局側は裁判上の主張の根拠としていたこの「郵務だより」を証拠提出していませんでした。この「郵務だより」の集計を表計算ソフトに入力して集計し各郵便局の懲戒免職者数と対照すると、滞留数の上位5局までは懲戒免職ゼロであり、闘争の激しさと懲戒免職者数は全く無関係であることが一目瞭然でした。端的に言えば、その郵便局の管理者が闘争参加者の現認という懲戒処分のためだけの後ろ向きの行為を優先したか、管理者も郵便物の処理つまり郵便物の配達という国民のための行為を優先したかによって懲戒免職処分の数が違うに過ぎないと考えられるのです。
 上下間の不公平については、証拠上は明らかというか、被告側も幹部の処分をしていないことは争わずただ「指導行為を現認できなかった」とか、「幹部は既にそれまでの闘争で首を切られており切る首がなかった」という主張でしたので理論上の主張を詰めることにしました。私は、争議行為の適法性にそれほどこだわっていませんので、「仮に違法としても」という主張は平気で行いました。最高裁は、名古屋中郵事件大法廷判決(公務員の争議行為の一律禁止が合憲であるという理論を完成させたといわれる、労働側の弁護士に評判の悪い判決です)で「争議行為そのものの原動力となる指導的行為は、単純参加行為に比し、その反社会性、反規範性が強大であって」と評価し、条文上特段の限定のない郵便法第79条第1項の郵便物不取扱罪について、争議行為の場合には単純参加者は処罰されず指導的行為に出た者のみを罰する趣旨と解すべきであるとしています。つまり、最高裁は争議行為での指導者の責任と単純参加者の責任は処罰の有無(量刑の程度の問題ではない)を分けるほどの重大な差異があると評価しているではありませんか。集団的違法行為にあたる組織犯罪事件で共犯者間の量刑の均衡は裁判官の主要な関心事ではありませんか。実際、公務員の争議行為の懲戒処分についても、組合幹部の指導行為での懲戒処分については(単純参加者の懲戒免職については前例がなかったのでもちろん裁判例もありませんでした)、同じ地位の者の多くがより軽い処分を受けていることや、より上位の者がより軽い処分を受けていることを理由に取り消した裁判例がいくつかあったのでそれをできるだけ詳しく引用しました。
 現認対象者の選定について、郵政当局側が渋りに渋った末に1人だけ出してきた処分者側の証人(処分当時の東京郵政局人事部人事課長)は、法廷で、現認対象者を選定するにあたり個人的な感情とかそういうものが入り込む危険性というのは感じませんかと聞かれて「人間の感情ですから、あるいは先生の言われるようなこともなきにしもあらずだとも思いますけれどもね。」と証言しました。
 上下間の不均衡についても、この証人は「やはり指導行為も重いし、参加行為も同じだと。まあ一般的にいうなら煽りそそのかした人のほうが重いんじゃないかという気もしますけれども、本件の場合については、あまりそういうことは考えませんでした。」と証言しました。最高裁の名古屋中郵事件判決があった後にもかかわらず、指導者も単純参加者も同じだと考えて処分したというのです。
 その上、闘争当時・処分当時の全逓委員長は、処分直前、当時の郵政省人事局長との交渉の際に人事局長が東京郵政局管内の被免職者55名の内訳について「セクト34、共産党2、民青4、その他15」と説明したという驚くべき証言もしました。このことは、処分当時の郵政省の人事局長が(そしてもちろんその資料を準備した郵政官僚も)党派の者であれば懲戒免職にしても相手方である全逓の委員長も納得するだろうと考えていたことを示しています。郵政省の官僚がそういう考えでいたのなら党派への所属が処分に考慮されなかったとは到底考えられません。
 こうして、少なくとも、かなり不公正な処分がなされたことは、立証されていました。

  1審判決

 2002年3月27日、東京地裁民事第19部(山口幸雄裁判長、木納敏和裁判官、鈴木拓児裁判官)は、原告全面敗訴の判決を言い渡しました。代表取材のカメラ撮影が終わるや、山口裁判長は、提訴から判決まで長期間かかったことについて裁判所にも責任があるという趣旨のことを述べて、申し訳なく思っていると異例の発言をしました。その上で、「原告らの請求をいずれも棄却する」という単純な主文のみを読み上げました。原告らにいつまでも主張立証させずにさっさと請求棄却すべきだったのに長々とつきあわせて郵政当局に申し訳ないということでしょうか。
 1審判決は、単純参加者に対する懲戒免職処分について「組合役職者(原告らのいう単純参加者)のした争議行為であっても、その程度、態様によっては、反社会性、反規範性が強いものも十分あり得るというべきであり、反社会性、反規範性が強い場合には他の事情をも考慮してその者を懲戒免職処分にすることも、それが裁量権の逸脱ないし濫用にわたらない限り、懲戒権者の裁量権の範囲内のものというべきである。」とした上で「本件闘争は、公労法で禁止されている争議行為である上、全逓の年末闘争としてはじめて越年する事態となり、2か月前後に及ぶ異例の長期にわたって実施され、通常郵便物に加えて年賀郵便物についてまでその処理を甚だしく遅延させ、大量の郵便物の滞留をもたらしたもので、その社会的影響は極めて大きく、郵便物の滞留が生じなかった立川局での参加を含め、本件闘争に関与した者の責任は重大であるというべきである。このように、原告らの怠業行為の程度、態様、反復継続した期間、闘争の影響等に、原告らの過去の処分歴、その内容等を総合考慮すれば、本件闘争参加者の中に、原告らと同等ないしそれ以上の怠業行為を行った者がいると推認されることを考慮しても、被告が原告らにした本件処分が、被告の裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとまではいえない。」としました。
 1審判決は上下の不均衡問題については「組合役職者の地位にあった者でも懲戒免職処分を受けなかった者が多くあり、他方、その地位になかったのに懲戒免職処分を受けた者が相当数あるということができる。したがって、これらの懲戒免職者数の比較から見る限り、両者の処分の間の均衡が失しているといえなくもない。」と不均衡は認めつつ、管理者が指導行為を現認できなかったものは処分しようがないとしました。単純参加者間の不均衡問題については、先ほど引用したように不均衡の存在を認め「同じく本件闘争参加者でありながら、現認体制、現認方法の不備等により原告らのみが懲戒免職処分を受けたとして処分の均衡を欠くと主張する原告らの心情も理解できなくはない。」としながら、大規模な闘争の中で現認体制にも限界があるから「やむを得ないというほかはない。」としました。
 なお、1審判決は、郵政当局による全逓・全逓組合員に対する差別に関しては全く判断せず、「セクト34」等の証言についても無視しました。
 結局、1審判決は、単純参加者についても懲戒免職処分をなし得ないわけではなく、専ら闘争全体の規模と社会的影響を理由に反社会性・反規範性が強いので懲戒免職処分も裁量の範囲内とし、不均衡はあるが現認できなかったのはやむを得ないとしたものです。
 しかし、闘争全体の規模や社会的影響は単純参加者が左右できるものではなく、全体の規模に力点を置くならばますます指導者との不均衡は軽視できないはずです。現認できなかったのは仕方がないというのも、当局の責任を追及し制裁を求めている訴訟ならばそういう論理となるでしょうが、処分の取消・無効確認訴訟では客観的に不公平・不公正であれば違法となるのではないでしょうか。

  控訴審

 控訴審は東京高裁第1民事部に係属しました。
 江見裁判長は法廷で遠慮のない発言をすることで有名です。第1回口頭弁論期日で江見裁判長は、私たちに対して、現認が恣意的だとかそういう主張については裁判所は関心を持っていないし、証人尋問をする気もないと明言しました。同時に江見裁判長は、日本郵政公社になっていた郵政当局に対して、被免職者の選定基準について被控訴人(日本郵政公社)が原審で主張している説明では裁判所は納得できないと明言しました。
 これを受けて郵政公社側は人事院以来主張してきた処分基準をほんの少しだけ詳しくした書面を出してきました。しかし、新たに出した資料で、闘争期間中に1000通以上配達していながら懲戒免職処分を受けた者がいる一方で1通も配達していないのに停職にとどまっている者がいることが判明するなど、さらに墓穴を掘りました。
 私たちは高裁でもありいつ弁論終結されるかと構えながら準備書面を出していましたが、裁判所の方でもう少し検討したいとして続行期日が続きました。裁判所から被控訴人が東京郵政局から日本郵政公社に変わったので請求の趣旨の変更が必要なのではないかという示唆がありましたので、従業員たる地位の確認を追加的に請求しました(この点については裁判所は必要かと思ったが特に必要はなかったとして判決の際に却下しました)。
 2004年6月30日、東京高裁第1民事部(江見弘武裁判長、岡光民雄裁判官、市川多美子裁判官)は原判決を破棄し全面勝訴の判決を言い渡しました。江見裁判長は「原判決を取り消す。東京郵政局長が控訴人6名に対して昭和54年4月28日付でした懲戒免職処分をいずれも取り消す。東京郵政局長が控訴人1名に対して昭和54年4月28日付でした懲戒免職処分が無効であることを確認する。控訴人らの当審における追加請求にかかる訴えをいずれも却下する。訴訟費用は、第1、2審を通じ、被控訴人の負担とする。」との主文を、途中から爆発的に起こった拍手とどよめきに対して「静かにしなさい。節操がない。」と声を荒げながら読み上げました。
 判決理由は、争議行為の責任は第一義的には意思決定に参画した首謀者が負うべきであって、単純参加者に重く問われるべきではないということで貫かれています。
 「公労法により争議行為が禁止されている以上、事業の混乱、これによる国民生活上の不利益等も、全逓及びその意思決定に関わった者が第一次的にその責めを負うべきで、全逓の意思決定には参加する地位にないが、これに従った組合員は、本件闘争への参加、関連して行われた秩序違反行為の態様等に応じて懲戒を受けうるものの、本件闘争の実施の意思決定についてはもとより、本件闘争による郵便事業の混乱が大規模に及んだことについては、懲戒を受けるべき理由はない。」「本件闘争につき、施設の破壊等の反社会的行動やその他の秩序違反行為もないにもかかわらず、意思決定に従って忠実(又は執拗)に争議行為を実施したことのみを理由として、懲戒免職を課すこと自体、さらには懲戒免職を課されるべき者が55名又は130数名もの多数になることについては、違法な争議行為についての問責のあり方として、合理性に重大な疑いがあるというべきである。」「違法な争議行為については、業務阻害の重大さに応じて、重い懲戒処分が選択されるべきであるが、争議行為の実施の意思決定に参画した首謀者が最も重く、その余は意思決定及びその実行の過程への関与の程度に応じ、懲戒処分を課されるべきで、労働組合の意思決定に従った忠実さの度合いに応じて重い懲戒処分を選択することが合理的な判断とされる余地は少ない。控訴人らは、一部に支部の役員である者がいるが、本件闘争による大規模な郵便事業の麻痺、国民生活への大きな不利益につき、全逓の一員としてはともかく、自らの成果として誇る資格に欠けるとともに、大きな責任を負わされる理由もないというべきで、控訴人らに対する懲戒免職は、この観点からも、重大な疑問がある。」
 控訴審判決も、単純参加者間の不均衡問題については、現認に限界がありある程度の不均衡が生じることは十分あり得るものでそれだけで不合理とはいえないとしていることは、残念ですが、全体としては、骨太のわかりやすい判決です。

  上告受理審

 この判決を受けて日本郵政公社は上告受理申立をしています。当事者は高裁判決に従い就労させるよう申し入れていますが、日本郵政公社は拒否しています。
 上告受理申立理由書を見ると、取消訴訟部分は高裁判決に若干刺激的な表現があることを捉えた揚げ足取り的な部分が多く、無効確認部分の方に重点を置いたものです。口頭弁論ではほとんど議論されなかった無効確認訴訟の補充性や違法の重大性・明白性についてかなりの字数を割いた理由書が出されています。私にはさして説得力のない書面と思われますが、最高裁は「もんじゅ」訴訟で口頭弁論を開きましたので、この判決で無効確認訴訟の違法の重大性・明白性について何らかの新たな判示がなされることも予測されます。その判示によってはこの裁判も影響を受けることが考えられ、目が離せません。もっとも、仮に無効確認部分で判断が覆されることがあっても、処分の違法性についての判断が維持されれば、偶然的にではありますがこの裁判では従業員たる地位の確認請求も適法に併合されているので、従業員たる地位が確認されるはずですが。

 その後、もんじゅ最高裁判決がありましたが、予想に反して無効は確認訴訟の違法の重大性・明白性については全く判断が示されませんでした。もんじゅ判決についてはこちら
2007年2月13日、最高裁は日本郵政公社の上告受理申立を不受理とし、高裁判決が確定しました!
  最高裁決定はこちら

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