◆活動報告:原発裁判◆
東海第二原発訴訟最高裁決定に寄せて
東海第二原発の裁判は、私が弁護士になった1985年に控訴審から受けました。もちろん、そのころ受けた事件はとっくにすべて終わり、この裁判だけが残っていました。控訴審からの19年間、私にとっては、今のところ、最も長期間担当した事件です(あと2年たつと六ヶ所村の核燃の裁判が最長になりますが)。
2001年7月4日に出された東京高裁の判決は、圧力容器の脆性破壊問題(これは原子炉の炉心を覆っている圧力容器が核分裂反応で出てくる中性子を浴びるうちにもろくなり小さな力で一気に壊れやすくなるという現象です)、暴走事故の危険性問題、最大想定地震の選定問題の3点では事実としては相当程度住民側の主張を認めながら、住民側に安全審査の合理性を「直ちに」覆すものと「断定する」ところまでの、通常の民事裁判では考えられないほどの高度の立証責任を課して住民側敗訴の結論をようやく導きました。「もんじゅ」訴訟の高裁判決が、住民側が一定の危険性について問題提起し行政側がそれを否定できなければ安全審査には重大かつ明白な違法性があったという基準を貫いていることと読み比べると、もんじゅの高裁判決の基準(それは理論上は最高裁の伊方原発訴訟の基準でもあります)なら、東海第二原発の裁判も住民側が勝っていたはずではないかという思いは残ります。そして、その意味で、最高裁が伊方原発訴訟で示した基準を厳格に判断すれば、東海第二原発訴訟も結果を見直す必要があったと思います。
しかし、最高裁はその問題にひとことも触れずに2004年11月2日、住民側敗訴の結論を維持する決定をしました。最高裁にこの件をまともに受けとめる度量がなかったと考えざるを得ません。
しかし、それでも東海第二原発訴訟の控訴審は恵まれていたと思います。控訴審で16年、それも東京高裁で16年という審理期間は、かなり異例の長期間に当たります。
この長期にわたる裁判の過程で法政大学の井野博満教授(東京大学名誉教授、金属材料学)には圧力容器の脆性破壊問題で研究を進めていただき、諸外国の実験例や論文もレビューしていただいてかなりハイレベルの証言をしていただきました。この点について東京高裁はマスコミに配布した判決骨子の中でさえ「現時点における最新の研究結果等からすると、本件安全審査の際に用いられた鋼材の脆性遷移温度の予測評価の内容等には不合理とされる点が出てきているようにも考えられる。」と書いたほどでした。
また、暴走事故の危険性についても、元はといえばチェルノブイリ原発事故後、芝浦工業大学の水戸巌先生の示唆で検討し始め、水戸先生自身がすぐに山で遭難してお亡くなりになったために私が素人の立場で引き継いだつたない検討でしたが、次第にバージョンアップし、最終的には、本件原発で発電機負荷喪失・タービンバイパス弁不動作という運転期間中に現実に起こりうる事象と考えられていることが起こった際にスクラム(緊急停止)がわずか0.5秒ほど遅れたら暴走事故となって圧力容器が破壊されるという解析に落ち着きました。これに対して、国側は、解析結果については何一つ反論できないで、ただ0.5秒のスクラム遅れは考慮しなくてよいと言い続けるだけです。実は、この論争は現在も柏崎原発の裁判で同じように続いていますが、今でも国側は0.5秒のスクラム遅れは考慮しなくてよいということ以外何も言えないのです。しかも、1997年に行われた柏崎原発の異議申し立ての口頭審理の際、私が1秒程度のスクラム遅れも考慮しなくてよいという根拠となる文献や実験結果はあるのかと聞いたとき、国側の担当者は、はっきりと「ない」と答えました。そのことについて何度裁判で指摘しても国側は何一つ答えません。この問題も、今は柏崎の裁判で引き継がれていますが、東海第二原発訴訟控訴審の成果です。
最大想定地震の選定問題も、今では、浜岡原発訴訟ではるかに緻密な議論がなされていますが、東海第二原発訴訟が提起した問題だと思います。
東海第二原発訴訟の控訴審では、裁判長も5代にわたりました。その過程で、2代目の奥村裁判長や4代目の加茂裁判長は、私たちが国側に対して法廷で釈明した際に、私たちと同様に国側がどうしてまともに答えないのか疑問に思って国側を追及していました。東京高裁の裁判長で原発裁判を担当したといっても、行政よりの裁判官ばかりではなく、思いは様々だったのだと思います。陪席の裁判官は法廷で発言することはほとんどありませんのでどういう思いを抱いていたのかわかりませんが、やはりいろいろな思いはあったと思います。非公式に聞いたことは文字にはできませんので別事件の例を示しますが、六ヶ所村の核燃の裁判を担当したことがある陪席の裁判官が裁判官をやめてから書いた本ではもし自分の在任中に判決を書くことになったらかなり悩んだだろうということを書いています。
結果として控訴審判決は5代目の、判決後直ちに司法研修所所長になるエリート裁判長の下で書かれました。判決は、先ほど書いた通り、住民側に過酷なまでに高い立証責任を課して住民側敗訴の結論でした。しかしその判決文の中には、訴訟中に変更許可処分があっても訴えの利益は失われない(門前払いにはされない)とか、住民側は原発が平和利用目的のものかどうかとか計画的遂行に影響しないかとか事業者に経理的基礎があるかというようなことも裁判で主張できるという原発訴訟で初めての判断もありました。この2点はこれまでの行政訴訟の理論からはかなり異例の住民側に有利な判断です。控訴審判決を起案したのは右陪席裁判官だと推測されますが、その裁判官は、定年でもないのにこの判決を最後に裁判官をやめたそうです(弁護士登録もしていません)。
東海第二原発訴訟は、絶対に勝てないと考えられてきた原発訴訟の中では、かなりの成果を上げたと考えられます。しかし、もんじゅで勝訴判決が出たことにより、原発訴訟も、勝つこともあり得る新たなステージに入りました。もちろん、もんじゅは営業運転に入っていない研究開発中の原子炉に過ぎずしかも事故を起こして停止中という止めてもほとんど影響のない原子炉ですから、住民側勝訴の判決が書きやすい対象だったわけで、だから商業用原発の軽水炉も勝てるということまでにはまだ大きなハードルがあります。それに、もんじゅ自身、最高裁で口頭弁論が開かれることになり、勝訴の結論が維持されるかどうかわかりません。それでも狭い扉であっても光が見えたのですから、次に向けて進んでいきたいと思います。その中で東海第二原発訴訟の経験は大きな力となるものと考えています。
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