◆子どもにもわかる裁判の話◆
民事裁判の進め方
当事者の言い分
「裁判というものがあるわけ」のところで、裁判では当事者の言い分をよく聞くことが大事だと説明したね。裁判での言い分ってどんなことだろう。
まず大事なのは、どうしたいのか。「裁判というものがあるわけ」のところであげたウィーズリーくんたちの例でいえば、ウィーズリーくんは魔女アグリッパカードを渡してほしいのか、魔女モルガナカードを返してほしいのか、お金で弁償してほしいのか。
そして次にそういうことを求める理由が大事なんだ。その理由は、大きく分けると、どういうことがあったのかということと、そういうことがあった場合どうするべきかということ。「どういうことがあったのか」については、ウィーズリーくんたちの例でいえば、ウィーズリーくんとロングボトムくんの間でどんな内容の約束があったのかとかウィーズリーくんがロングボトムくんに魔女モルガナのカードを渡したのかとかいうこと。「そういうことがあった場合どうするべきか」については、約束があるときは、大抵(たいてい)、その約束があるのだから約束で決まっているとおりにするべきだということだけど、それがまずいときや約束がないとかはっきりしないときは、法律などのきまりを持ち出すことになる。
実際には何があったのか:事実(じじつ)についての言い分
民事裁判では、実際には、どういうことがあったのかが問題になることが多い。
どういうことがあったのかについて当事者(とうじしゃ)の言い分が違うときは、どちらのいうことが本当なのか証拠を見て判断することになる。ウィーズリーくんたちの例で考えてみよう。ウィーズリーくんがロングボトムくんに、約束したんだから魔女アグリッパのカードを渡して欲しいといったら、ことによるとロングボトムくんは魔女アグリッパカードをあげるなんていっていないというかも知れない。
こういう時のために、大人の世界では、約束をするときにはどういうことを約束したかを紙に書いておたがいに名前を書いてハンコを押したりする。こういう紙を契約書(けいやくしょ)という。約束が問題になる裁判では契約書は大事な証拠になるよ。ほかにもウィーズリーくんとロングボトムくんが話していたところを聞いていた人がいるかも知れない。そういう人は証人(しょうにん)になる。ウィーズリーくんが日記を付けていて、その日の夜に日記に「ロングボトムくんが明日魔女アグリッパカードをくれるといった。うれしいな」とか書いていたら、そういうものも証拠になる。そしてウィーズリーくんやロングボトムくんが裁判で話すことも証拠になる。
そういうものを全体としてみたら、何が本当だろうかということで判断するわけ。だから、そういう証拠をどう見るかということは、その人の判断する力とか考えで少しは変わってくる。証拠を見れば誰がみてもわかるという場合もあるけどビミョーなときだってある。そのあたりは決める人の判断する力を信頼しようということになるんだね。もちろん、弁護士(べんごし)はそういうビミョーなときにはいっしょうけんめい証拠の見方とかについて意見をいうことになる。
そういうときにどうすべきか:きまりについての言い分
どういうことがあったのかを判断したら(決めたら)、今度はそういうときにはどういう解決がいいかを決めることになる。
約束でそれを決めていることもある。約束するときに細かく、もしこんなことがあったらどうする、あんなことがあったらどうすると決めていれば、普通はその通りにしなさいということになる。もっとも、あんまりひどい約束の場合はだめ。「ベニスの商人」というお話で貸したお金を返せなかったら胸の肉をナイフで切り取るというような約束が出てくるけど、こういうことは約束してもだめなんだ。
さて、実際には約束するときにそんな細かいことを予想して決めていないことが多いよね。がんばって細かく決めたって全てのことを予想できるわけはない。そういう約束で決めていなかったときにはどうするかは、法律(ほうりつ)で決められている。約束があまりひどいときも同じ。
こうして、どういうことがあったらどういう解決をするかは、約束や法律で、一応決まっているから、それにそって結論を出すことになる。
こういうと、はじめから約束や法律で決まっているのだから、裁判はだれがやっても同じになるはずとか、コンピューターでもできるんじゃないかと考えるかも知れないね。でもこれがそう簡単じゃないんだ。約束をするときも、そして法律を作るときも、いろいろなことを予想して作るけど、全てのことは予想できない。予想もしないことが起こるものなんだ。特に、こういうことはだめと法律を作ると、たいてい、そのギリギリのビミョーなことをしようとする人や、形は法律で許されているけどよく見るとやってはいけないようなことをする人が出てくる。それに約束や法律の中身だって、人間の言葉で人間のすることを書くのだから、どうしたって曖昧(あいまい)なところが残る。例えば、ウィーズリーくんから受け取った魔女モルガナカードをロングボトムくんのせいで返せなくなったときは、ロングボトムくんはウィーズリーくんに500円弁償すると決めていたとしよう。ロングボトムくんが魔女モルガナカードを破いてしまった。これはロングボトムくんのせいだね。ロングボトムくんが魔女モルガナカードを持って歩いていたら先生に見つかって没収されてしまった。これも学校に持っていったロングボトムくんのせいかもしれないね。ではゴイルくんに取られてしまったらロングボトムくんのせいかな。ロングボトムくんからすれば自分のせいじゃないといいたいね。でもウィーズリーくんからすれば、少なくともウィーズリーくんのせいではないし、ロングボトムくんがゴイルくんに見えるようにカードを持っていたのが悪いと考えるかも知れない。ロングボトムくんが帰り道にポケットから落としたら、犬に追いかけられて走ったときに落としたらとか、ビミョーな場合がいろいろ考えられるね。そういうときは、約束や法律でドンぴしゃの答えはないけど、約束や法律はどういうことを考えて作られたかとかを考えながら、この場合はどうするのがいいのかを決めていくことになる。そういうところに裁判をする人の考えというか個性が出てくるし、だから弁護士(べんごし)の仕事(しごと)で結論(けつろん)が変わってくることがあるというわけなんだ。
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