関係者や第三者が納得しやすい紛争解決手段として用意されているのが裁判という制度
公平な第三者が判断する、当事者の言い分を聞く、事実認定は証拠に基づく、予め決まっているルールを基準にするというのが裁判の特徴
弱い立場の人が泣き寝入りせずに、やりようによっては対等に戦えるのが裁判という制度
ポッターさんとマルフォイさんの間でもめ事が起こったとします。2人で話し合いで解決できればいいですが、2人とも譲りません。こういうときどうすればいいでしょうか。
2人で話し合いがつかなければどちらの言い分が正しいか第三者に決めてもらおうということになりますね。でもマルフォイさんと仲のよいスネイプさんが決めるとなったら、ポッターさんは納得できませんね。
フィルチさんはひいきはしませんが、言い分を聞かず、証拠もないのに悪いことをしたと決めつけます。これでは悪いと言われた方は納得できません。ピーブズさんはその場の思いつきで答を決めます。これでは我慢するように言われた方は納得できません。
やはり、当事者やまわりの多くの人が納得するためには、公平な立場の第三者が判断する必要があります。そして、当事者が自分の意見を述べる機会を確保する必要があります。実際にはどういうことがあったかの判断は証拠に基づくものである必要がありますし、結果はあらかじめ決まっている基準(法律)に基づいて決める必要があります。こういう考えで作り出されたのが裁判というしくみです。
もちろん、それでも必ず全員が納得するとは限りませんが、現実のしくみとしてやっていける範囲で多くの人が納得できるような工夫がなされているということです。
最初に「話し合いで解決できればいいですが」といいましたが、実はそこにも問題はあります。
日本では、「和をもって尊しとなし」(聖徳太子の17条憲法の第1条ですね)とか「北に喧嘩(けんか)や訴訟(そしょう)があればつまらないからやめろと言い」(宮沢賢治の雨にも負けず)とか、裁判を避けることがいいことだとする傾向があります。
話し合いといえばきれいに聞こえますが、それが社会的に見て弱い方の泣き寝入りを意味する場合もままあります。社会的に見て弱い立場の人もやりようでは対等に戦えるのが裁判です。
裁判は、もめごとを弱い立場の人が泣き寝入りしなくてもすむようにして、できるだけ多くの人が納得しやすいように公正なやり方で解決するために、これまでの経験上一番いいしくみとして作られているものです。
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