◆短くわかる民事裁判◆
不起訴合意
原告が被告との間で、特定の契約関係や権利について、訴えを提起しない(訴訟による解決を放棄する)と約束している場合、その合意が有効である限り、それに反して原告が被告に対して提起した訴えは不適法であり、却下されると解されています(特にそれを定めた法律の規定があるわけではありません)。
裁判所は、そのような不起訴の合意(ふきそのごうい)の認定には慎重な立場を取るのがふつうです。例えば、京都大学副学長と吉田寮自治会の間で作成された「学生などに関わることについては学生など当事者と話し合うことなく一方的な決定を行わない。」との確約書の記載は「原告が合意の形成なくして吉田寮の在寮生に対して本件建物の明渡しを求めないと約束したという内容に読み取ることはできないし、本件建物の明渡しを求める手段として訴訟を提起しないことを約束した趣旨のものであると読み取ることもできない。」とされました(京都地裁2024年2月16日判決Web掲載判決16~19ページ、23~24ページ)。
また、裁判上の請求をしないことが明確に定められている場合も、その不起訴合意の対象となっている請求が原告が現に訴えを提起した請求を含む(その請求にも及ぶ)かについて検討し、不起訴合意が原告が訴えを提起した請求には及ばないと解されることもあります。例えば、税務当局と課税の更正処分に際して調整金額を協議合意した際に作成された異議申立て、審査請求及び訴訟を行わないという確認書面は、更正処分のもとになる「所得移転額が本件相互協議の合意による調整金額のとおりであること以外の部分を不服として原告が訴えを提起することまで否定する趣旨のものとは解されない」とされ(東京地裁2017年11月24日判決Web掲載判決39~41ページ)、職務発明について補償金を受領し「訴訟等の行為は行わないことを確認する」という確認書は、被告が本件発明により得る利益のうち一定の時期までのものを基に算定した相当の対価請求についてであり原告の請求権全部について不起訴の合意がされたとまで認めることはできないとされる(大阪地裁2018年10月4日判決Web掲載判決9~10ページ、38~39ページ)などしています。
不起訴の合意であることもその範囲についても明確な場合でも、その合意が公序良俗違反と評価されれば、無効となります。最高裁2024年7月11日第一小法廷判決は、旧統一教会(現:世界平和統一家庭連合)に入信していた高齢の信者が「それまでにした献金につき、被上告人家庭連合に対し、欺罔、強迫又は公序良俗違反を理由とする不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償請求等を、裁判上及び裁判外において、一切行わないことを約束する旨の記載」がある念書に公証人の面前で署名押印したというケースで、「特定の権利又は法律関係について裁判所に訴えを提起しないことを約する私人間の合意(以下「不起訴合意」という。)は、その効力を一律に否定すべきものではないが、裁判を受ける権利(憲法32条)を制約するものであることからすると、その有効性については慎重に判断すべきである。そして、不起訴合意は、それが公序良俗に反する場合には無効となるところ、この場合に当たるかどうかは、当事者の属性及び相互の関係、不起訴合意の経緯、趣旨及び目的、不起訴合意の対象となる権利又は法律関係の性質、当事者が被る不利益の程度その他諸般の事情を総合考慮して決すべきである。」と判示し、元信者が合意当時86歳の高齢者でありしかも合意の6か月後には成年後見(せいねんこうけん)相当(認知症により判断能力を欠く常態にある)と診断されたこと、約10年間宗教団体の心理的影響の下にあったこと、念書作成が終始宗教団体信者の主導の下で行われたこと、合意の内容が1億円を超える多額の献金について何らの見返りもなく訴訟提起しないという不利益の程度が大きいものであることを指摘して、念書は公序良俗違反で無効としました。(Web掲載判決3ページ、4~5ページ)
※和解契約書等で必ず記載する「甲乙間に、本日現在、本和解契約書に定めるほかには何らの債権債務がないことを確認する」などの精算条項(せいさんじょうこう)があるときは、訴えが不適法ということにはならず、(したがって、訴えが却下されるのではなく)原告が請求している権利がないとされて請求棄却の判決がなされることになります。
※企業間、特に国際的な取引をする企業間では、紛争が生じた場合には裁判ではなく仲裁手続(ちゅうさいてつづき:裁判所でない機関、多くはその業界の団体が運営する機関で紛争を解決する手続)で解決するという合意がなされることがあります。仲裁に合意すると、仲裁人(ちゅうさいにん)の裁定(さいてい)に従わなければならず不服申立てはできないので、弁護士の感覚では怖い条項ですが、企業間で合意する以上、合意が無効とされる可能性はほぼありません。
訴えの提起については「民事裁判の始まり」でも説明しています。
モバイル新館の 「第1回口頭弁論まで」でも説明しています。
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