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たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か

Tweet  はてなブックマークに追加 福島原発全交流電源喪失は津波が原因か

 福島原発震災でメルトダウンの原因となった全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト:SBO)は津波によるものという報告書を、東京電力が5月23日付で原子力安全・保安院に提出しています(こちらから入手できます)。
 「全交流電源喪失が津波によるもので、津波さえなければ福島原発震災は起こらなかった」とすれば、津波対策さえすれば他の原子力施設は守ることができますから、原子力推進派と電力会社にとっては都合のいい結論です。他方、もし全交流電源喪失が津波によるのではなく他の原因、例えば地震の揺れによって生じたのだとしたら、東北地方太平洋沖地震で福島第一原発を襲った揺れは、最大想定を超えたとはいえ少し超えたというレベルにとどまっていますからこれで全交流電源喪失に至ったのなら他の原子力施設でも耐震設計を根本から見直さなければなりません。
 この問題について、東京電力の報告書と政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した報告書(こちらから入手できます)を紹介して、検討してみたいと思います。

全交流電源喪失とは
 検討の前提として、全交流電源喪失というのはどういうことか、簡単に説明しておきましょう。
 原子力発電所は、異常時に原子炉が停止した後の安全確保のための様々な機器の作動のための電力を、基本的には外部からの供給に頼っています。発電所とはいえ、原子炉が停止すると発電はしていないわけですからね。
 この外部電源が喪失するということは、変電所等の故障や送電線の切断(落雷とか地震とかで時々起こります)などで起こりえます。福島原発震災の時には、今でも完全には原因が解明されていませんが、東京電力の報告書でも1号機と2号機については地震の揺れにより受電用遮断器が損傷し、3号機と4号機については地震の揺れによって電線が鉄塔に接触・接近して変電所の保護装置が作動して遮断器がトリップし、5号機と6号機では夜の森線の鉄塔が地震により倒壊したためとされていて、いずれも地震の揺れによって生じたとされています。3月11日の東北地方太平洋沖地震の際には、福島第一原発の他、東通原発、六ヶ所村再処理工場、女川原発1号機、東海第二原発でも外部電源喪失に至っています。さらには、東北地方太平洋沖地震のようなマグニチュード9.0などという巨大地震でなくても、4月7日23時32分に起こった宮城県沖を震源とするマグニチュード7.4の余震でも、青森県一帯で停電が生じ、東通原発や六ヶ所村再処理工場で外部電源喪失に至っています。
 このように比較的容易に生じる「外部電源喪失」で冷却能力を喪失してしまったら、大変ですので、原子力施設では、外部電源喪失時には非常用ディーゼル発電機が自動起動して、安全確保のため、つまり原子炉の冷却や計測のために十分な程度の電源を確保することになっています。この非常用ディーゼル発電機が複数台あるから、炉心溶融に至ることはあり得ない、非常用ディーゼル発電機の2台同時故障は安全審査で想定する必要はないと、国側は原発訴訟で常々主張してきたのです。
 外部電源喪失時に、非常用ディーゼル発電機も起動できず、または起動しても停止してしまい、電源を供給できなくなることを全交流電源喪失と呼んでいます。こうなると、電源は直流電源(バッテリー)だけとなり、これが最後の命綱ですが、バッテリーは長時間持ちません(福島原発では設計上8時間、六ヶ所村再処理工場だと30分)ので、外部電源が回復するか非常用ディーゼル発電機が再起動できなかったら大事故になってしまうというわけです。
 福島原発震災では、3月11日14時46分頃、地震とほぼ同時に外部電源が喪失し、その直後の14時47分頃非常用ディーゼル発電機が自動起動したとされていますが、15時42分までに6号機の1台以外のすべての非常用ディーゼル発電機が停止してしまい、全交流電源喪失に至っています。

東京電力報告書の根拠
 東京電力の報告書では、非常用ディーゼル発電機(D/G)、非常用高圧配電盤(M/C:メタクラ)及び非常用パワーセンター(P/C)の停止について、津波により被害を受けたものと推定するとしていますが、その根拠は、結局のところ、非常用ディーゼル発電機等の設置場所(タービン建屋と共用プール建屋:M/C、P/Cもフロアは違っても対応するD/Gと同じ建屋内に設置されています)が津波の浸水域であることに尽きます。信じがたいことに、非常用ディーゼル発電機等の停止と津波の到達時刻の前後関係さえ検討していないのです。非常用ディーゼル発電機等が停止した後になって津波がその設置場所に到達・浸水しても、停止の原因が津波にあるとは言えないはずですが。
 東京電力の報告書では、本文の最初の方(表紙から数えて4枚目)で「先ず、地震発生時におけるプラントデータから各号機における所内電源設備の挙動について、時系列的に別紙−1の通り整理し、地震及び津波の発生タイミングとの前後関係を明確にした。」としています。これで「別紙ー1」でどういう時系列を整理しているかというと、「14時49分に、気象庁・大津波警報発令」と書いてあるだけです。津波の福島第一原発への到達時刻じゃなくて津波警報の発令時刻と比べてるんです。これを見たとき、脱力しました。何考えてるんでしょうね。
 東京電力の報告書の「別紙−2」では、「一方、津波到達後に全交流電源喪失が発生していることから、ディーゼル発電機、非常用高圧配電盤、非常用パワーセンターが津波により被害を受けたものと考える。」と繰り返しています。しかし、その「津波到達」時刻は、この報告書のどこにも書かれていません。
 東京電力の報告書は、前半では「津波警報発令」との前後関係だけを示し、後半では一度も論証されていない「津波到達」との前後関係を前提に論じているもので、一番大事な点の論証を避けているものです。つまり、東京電力の報告書は、何一つ論証していません。

非常用ディーゼル発電機の停止時刻
 東京電力が公表している地震直後の運転データ(こちらから入手可能)上、可能な限り1次資料で各号機の非常用ディーゼル発電機の停止時刻を示すと次のようになります。
 1号機はA系は停止時刻不明で、15時37分より前。1号機については運転日誌の記載以外には何一つ資料がなく、その運転日誌(当直員引継日誌)には、15時37分「D/G1Bトリップ→SBO (A系トリップはいつ?)」と記載されています。つまり15時37分に非常用ディーゼル発電機のB系がトリップ(停止)し、それにより全交流電源が喪失(SBO)した、しかしA系のトリップ時期はわからないということです。ただ、B系トリップで全交流電源喪失に至ったということは、A系はそれ以前に停止していたことになります。
 2号機は、プロセス計算機アラームプリンタ出力ではA系が15時37分遮断器トリップ、B系が15時40分遮断器トリップとなっています。運転日誌のうち当直員引継日誌ではA系が15時37分停止、B系が15時42分停止、当直長引継日誌の方ではA系のトリップは15時41分になっています。
 3号機は、アラームタイパ(警報記録)が残っており、これによれば、A系が15時38分51秒停止、B系が15時38分57秒停止となっています。運転日誌は15時38分所内電源喪失の記載のみです。
 4号機は、運転日誌のみで15時38分所内電源喪失の記載のみです。A系は当時工事中だったので起動せず、B系のみが起動して15時38分に停止したと保安院は評価しています。
 5号機は、アラームタイパの記録が残っており、A系が15時39分停止、B系が15時40分停止です。しかし、運転日誌ではA系、B系とも15時36分にトリップと記載されています。
 6号機は、A系とB系の他にHPCS(高圧炉心スプレイ系)用のH系があり、アラームタイパの記録上は、A系のM/C(非常用高圧配電盤)6Cが15時40分に電圧喪失、H系が15時40分に停止と東京電力の報告書上読まれていますが、運転日誌にはA系と高圧注水系用が15時36分にトリップしたと記載されています。
 これらの記録とは別に、IAEA宛て日本政府報告書での全交流電源喪失時刻は、1号機が15時37分、2号機が15時41分、3号機が15時38分、4号機が15時38分、5号機が15時40分です。(ただし、不思議なことに6月20日から24日のIAEA閣僚会議ワーキングセッションで日本政府が行ったプレゼンテーションの資料(こちらで入手可能)では、3号機の全交流電源喪失時刻は15時41分とされています:資料22枚目)

津波はいつ福島第一原発に到達したか
 東京電力は、正式の報告書では、津波の到達時刻に触れていませんが、記者会見の席では、第1波が15時27分に到達しその波高は4m、第2波が15時35分に到達し高さ7・5mまで計測できる機器が壊れたということを述べ、4月9日の共同通信の配信や4月10日の読売新聞の記事で報じられています。6月7日に日本政府がIAEAに提出した報告書でも、津波の到達時刻については、「東京電力の記者会見(4月9日)によると、津波の最初の大きな波は、15時27分頃(地震発生41分後)に到達し、水位は4mであった。次に大きな波は、15時35分に到達した波であり、潮位計が損傷したため水位は不明である。潮位計の測定範囲は7.5mである。」と記載されているだけです。また、東京電力が公表している運転日誌の中には15時34分頃に海水系のトンネルの水位が上昇しているという記載があり、「→津波」と記載されたりしています。
 6月18日になって、東京電力は、朝日新聞が6月16日付夕刊で「朝日新聞が入手した東電の内部資料」と報じた時系列を公表し(こちらで入手できます)、1号機から6号機までの地震発生からの「主な時系列」の中で「15:35 津波第二波到達。」と記載しています(1号機、2号機、4/5/6号機では太字で。何故か3号機では太字にしていません)。これが東京電力として津波到達時刻を文字にした初めての文書のようです。この公表資料に記載された時系列では、全交流電源喪失に関係しそうな前後のできごとの記載はありませんでした。冒頭の「被災直後の対応状況について」という文書でも、「『3/11 14:46 東北地方太平洋沖地震発生。』から『15:27 津波第一波到達。』までの活動内容」の次は「『3/11 15:42 全交流電源喪失の判断・通報』以降の活動内容」に飛んでいて、津波第1波到達から全交流電源喪失に至る過程の時系列は省略されています。
 このように、東京電力は、津波がいつ福島第一原発に到達したかという、3月11日時点で確定している事実について、津波から4か月以上が経過した今なお、正式の報告書には記載せず、記者会見(4月9日)と記者発表資料(6月18日)で示すのみです。その東京電力が国内で示している津波到達時刻は、記者会見でも記者発表資料でも15時27分第1波到達、15時35分第2波到達、第3波以降については一切言及しないということで統一されています。
 ところが、東京電力はIAEA調査団(5月24日から6月2日来日)に対しては違うことを話しているようです。IAEA調査団報告書(こちらで入手可能。なお、日本政府仮訳はこちら)本文には、津波の到達時刻等について、"About 46 minutes after the earthquake, the first tsunami wave hit the site. It was followed by several additional tsunami waves leading to the inundation of the site."と記載されています。最初に原発サイトをヒットした津波は地震から約46分頃、すなわち15時32分頃に到達したとされています。そして、原発サイトを浸水(氾濫)させた追加的な津波が数回( several )あったとされています。津波の到達等はIAEA調査団は東京電力に聞くしかありませんから、これは東京電力がこう言ったということのはずです。このように東京電力は、海外向けには、国内向けとはまた別のことを言っているわけです。
 さらに、東京電力は7月8日に津波についての第2回目の報告書を保安院に提出しました(こちらで入手できます。「概要版」だけですが)。これはいつどのような津波が到達したかの事実についてではなく、「再現計算結果」を報告したものです。

上の図がその再現計算結果です。これをみると地震発生約51分後(15時37分頃)に検潮所の位置で最大津波高さ13.1mの津波が到達したということになります。マスコミの報道では、いつものことですが、この東京電力の再現結果がまったく無批判に報じられ、想定外の津波であったことが裏付けられたというような、東京電力の狙い通りの評価がなされるのみでそれ以外のことは報じられていません。この再現計算結果を見ると、第1波は7m以上あります。他方、最大津波高さを記録した第2波の後には5mを超える津波はありません。東京電力の4月9日の記者会見では第1波は検潮所での潮位計の実測値で4mとされていました。そしてIAEA調査団に対して東京電力は、海側の低いところでも平均海面より5.6m高く、主要建屋は平均海面より10m高い土地に建設されている原発サイトを浸水させた津波は数回( several )あったと言っていますし、後で紹介するように15時42分過ぎにサイトを水没させる第3波があったことは動かしがたい事実です。この再現計算結果は、そういう動かしがたい事実をまったく再現できていません。再現計算とかシミュレーションとかいうものは、理論的に詰めてみて、それがわかっている事実を再現できて初めてわかっていない事実も再現できていると評価するものです。わかっている事実をまったく再現できないシミュレーションは何の信用性もありません。この再現計算結果は、15時37分頃の第2波でタービン建屋や原子炉建屋まで津波が到達したという東京電力に都合がいい結果になっていますが、確実な事実を一つも再現できていない以上、全体としてまったく信用できない代物というほかありません。こういう代物を恥ずかしげもなく出してくる東京電力には、誠意のかけらも感じられませんし、このような代物を受け取って批判的コメントなく公表する保安院についても見識を疑わずにはいられません。

 さて、では津波が、本当に福島第一原発に到達したのはいつかについて検討してみましょう。
 波高4mという津波第1波は、平均海面高さより10m高い防波堤を越えていないはずですので、とりあえず検討する必要もありません(実は、防波堤の高さについても、東京電力がよく示す概念図では5.7m程度に見え、IAEA宛て日本政府報告書などの政府文書では10mと明記したあげくに「今回の地震による津波水位について、専門家は、東京電力より公開された津波の防波堤(10m)の越流状況の写真に基づき、10m以上と推定している。」と書いています。ここでいう写真は下の左から2枚目の写真のことです。防波堤の高さなんていうものすごく基本的なデータさえ、まともに確認されていないというのが、東京電力と保安院の実情です)。
 問題は、この15時35分に到達したとされる第2波がタービン建屋や共用プール建屋内の非常用ディーゼル発電機等の設置場所まで到達したか、です。

 東京電力が、5月19日、津波発生から実に2か月以上たって公表した津波の写真があります(例えばこちらの資料に掲載されています)。廃棄物処理建屋4階から北側に向けて撮影という説明の11枚組とタンクの流される様子を撮影した6枚組です。
 まず最初に、タンクの流される様子を撮影した6枚組の方を検討しましょう。


 これらの写真は5号機の南側の斜面から東側の海岸沿いに並んでいるタンクを撮影したものです。タンクの方に向けてほぼ真東から津波が押し寄せてきて、高さ10mの防波堤を乗り越え、タンクの半分くらいを水没させて、引き波でタンクを流し、ひしゃげさせたという流れを連続的に撮影しています。上の写真は、福島原発震災後の上空から撮影した写真に、東京電力が津波の最終的な浸水域を青く塗ったものに、私が撮影場所とタンク等の位置関係を書き込んだものです。
  ここで注目したいのは、撮影者が津波が押し寄せてくるところから引いていくところまでを連続して撮影し、その中でタンクしか撮影していない、言い換えればタービン建屋や原子炉建屋の方を1枚も撮影していないことです。もしもこの撮影者が撮影した津波がタービン建屋に達し、さらにはタービン建屋の壁に衝突していれば、この撮影者がタービン建屋や原子炉建屋を撮影しないはずがありません。どう考えたって、タービン建屋や原子炉建屋が津波に襲われれば、そちらの方がタンクより遥かに重要ですから。つまり、この写真の撮影者が押し寄せてくるところから引いていくところまでを観察した津波は、海岸沿いのタンクを水没させたけれども、タービン建屋には達しなかったと考えるのが自然です。そして、東京電力の記者会見での発言によれば15時27分に到達した第1波の波高は4m程度だったというのですから、10mの防波堤を乗り越えるはずがありません。従って、この撮影対象となったのは第1波ではありません。そしてタンクに津波が押し寄せる前の段階ではタンクの周りは津波で荒らされた跡が見えません。そうすると、この写真の撮影時刻は明らかにされていませんが、15時35分に到達したという第2波と考えるしかありません。そうすると、やはり、15時35分に到達した第2波は防波堤は乗り越え、海岸にあるタンクを押し流し変形させたものの、タービン建屋には達しなかったと解するべきでしょう。

 次に、時刻が示されている11枚組の方の1枚目に注目したいと思います。
 この写真の撮影時刻は15時42分となっています(撮影時刻は当初の公開時は「午後3時42分頃」とされていましたが、5月25日に記者会見で配布した資料では東京電力自身が写真に時刻を貼り付けて「15:42」と明示しています→)。津波は、写真右側の建物の両側から回り込んで、写真中段右側からと写真下側から流れ込んできています。この時点では、排気筒(鉄塔)の左側やタンクの左側はまだ濡れていません。これらの部分には、まだ一度も津波が来ていないことが見て取れます。
 この写真の撮影場所は、海岸線沿いに北から1号機、2号機、3号機、4号機と並ぶ福島第一原発の、4号機の南側にある集中廃棄物処理施設の4階テラスで、そこから北側を向いて撮影したものです。写真の上奥に少しだけ見えている水色の部分は4号機の原子炉建屋の壁です。写真の右上には、わずかに海が見えているのがわかるでしょうか(そのあたりは、連続写真の後の方の写真を見るともっとはっきりとわかります)。
 この写真から、4号機の原子炉建屋の南側の区域に初めて津波が到達したのは15時42分ということがわかります。
 この写真で見えるまだ濡れていない場所は、4号機の原子炉建屋のすぐ横ですので、高さ(基準海面からの高さ)は原子炉建屋、タービン建屋と同じ(基準海面から10m)です。
 さて、こういった情報を確認した上で、上空から位置関係を確認してみましょう。右の写真は、福島原発震災後に海側の上空から撮影した写真に、私が、非常用ディーゼル発電機の設置場所をオレンジ色で、設置されている建屋を黄緑で書き込み、写真の撮影位置や写真に写っているまだ濡れていない場所などの位置関係を書き込んだものです。福島原発震災後の写真ですので、左側に上(北)から順に1号機、2号機(これだけ屋根がある)、3号機、4号機の原爆ドームのような原子炉建屋の残骸が並び、右側(海側、東側)にそれぞれのタービン建屋が並んでいるのがわかりますね。
 1号機の2台、2号機のA系、3号機の2台、4号機のA系の非常用ディーゼル発電機は、このタービン建屋の中の地下1階に設置され、非常用高圧配電盤(M/C)と非常用パワーセンター(P/C)も同じ建屋内にあります(1号機のM/Cと2号機及び4号機のP/Cは1階に設置され、それ以外は非常用ディーゼル発電機同様地下1階に設置されています)。2号機のB系と4号機のB系の非常用ディーゼル発電機は、4号機の原子炉建屋のさらに西側の共用プール建屋の1階、これらに対応するM/CとP/Cは同じ建屋の地下1階に設置されています。
 タービン建屋の中にある非常用ディーゼル発電機や非常用高圧配電盤、非常用パワーセンターにまで津波が到達するためには、津波がタービン建屋に押し寄せて、その力でタービン建屋の扉を押し開けるかどこかを破壊しなければなりません。もし15時35分に到達したという第2波がタービン建屋の扉を押し開ける勢いで押し寄せていたら、タービン建屋と同じ高さのたかだか100mくらい西側の写真に写っている場所にまったく届かない(濡らしもしない)ということがあり得るでしょうか。私には、そういうことは考えられません。
 ましてや、15時42分現在、4号機の原子炉建屋の南側の地域が濡れておらず津波が到達していなかったのに、それよりさらに西側つまり海から遠い側にある共用プール建屋に津波が到達していたなどということは、(津波が空を飛ばない限り)およそあり得ません。

 そして、東北地方太平洋沖地震当日の緊急災害対策本部の発表では、15時45分「オイルタンクが津波により流出」とされています(官邸の発表は一番新しいもの以外はすぐ消されていって探しにくいのですが、例えばこちら)。官邸発表は付け加えられてどんどん長くなっていくのですが、このオイルタンク流出の1行はいつの間にか消されています。まぁ、福島原発震災がらみでは、東京電力のサイトでも都合の悪いものはどんどん消されて行っていますけど。
 この緊急災害対策本部の発表にある流出したオイルタンクは、先ほど紹介した5月19日になって発表された6枚組の写真に写っている5号機の前の海岸沿いのタンクではなく、1号機の前にあった重油タンク2つです。このオイルタンクは、1つは津波で流されて行方不明、1つは1号機の原子炉建屋のあたりまでざっとみて200mくらい押し流されています(右の写真の黄色い矢印)。
 このことから、15時45分頃に、重油タンクを200mくらい押し流す強い津波が押し寄せて、原子炉建屋周辺まで浸水したことがわかります。そして、この15時45分というのは、4号機南の廃棄物集中処理施設4階から撮影された写真の津波が押し寄せてくる時間帯(15時42分から15時44分頃)、引いていく時間帯(15時44分頃から46分頃)にあたります。

 東京電力は(そして保安院も、IAEA宛ての報告書も)、津波の第3波があったかなかったかについては一切触れていません。しかし、福島第一原発の北側(約20km)の南相馬市小高区では、第3波が最も巨大だったという目撃者の話と写真が3月20日付の福島民報で報じられています。福島第一原発の南側の大洗町でも第3波がもっとも波高が高かった(第1波1.8m、第2は3.9m、第3波4.2m)ことが茨城大学の調査団報告にも記されています(75ページ)。福島第一原発の北側と南側で、第1波、第2波よりも大きな第3波が観測されているのですから、福島第一原発でも第2波より大きな第3波があったということは十分に考えられるところです。また検潮所の測定データでも、相馬市では最大波高「9.3m以上」が15時51分に記録されています(例えばこちら)。

 東京電力が非常用ディーゼル発電機の設置場所であるタービン建屋や共用プール建屋への津波到達時刻を明言しないこと、一連の証拠写真、地震当日の緊急災害対策本部の発表、少なくとも南相馬市と大洗町という福島第一原発の両側で第2波よりも大きな第3波が観測されているという事実から、15時35分到達の第2波は、7.5mを超え、10mの防波堤を乗り越えたもののタービン建屋には達しないか触っても扉を押し開けるほどではなく、ましてや共用プール建屋にはまったく到達することはなく、その後より巨大な第3波が15時42分頃到達し、その第3波で初めてタービン建屋や原子炉建屋、共用プール建屋が浸水したと考えるのが、最も合理的だと私は思います。
 そうすると、非常用ディーゼル発電機は津波到達以前に停止していたもので、これは地震かあるいはそれ以前からの故障・不調があり、一旦は起動できたがその後次第に故障・不調の影響が拡大して停止に至ったものということになります。現に女川原発では、地震が原因となって非常用ディーゼル発電機が故障していることから考えても、このようなことは十分にあり得ることだと思います。

非常用ディーゼル発電機は「海水ポンプの被水」で停止したのか
 さて、東京電力の報告書では、非常用ディーゼル発電機等の停止原因は具体的には記載されておらず、非常用ディーゼル発電機自体や非常用高圧配電盤、非常用パワーセンターの水没のように書かれていました(5月16日付の報告書、特にその別紙6では5号機については励磁機器の水没、6号機の2台については海水ポンプの被水を原因としていましたが)。
 ところが、これまでに説明したように、全交流電源喪失が生じた時刻までに津波は非常用ディーゼル発電機や非常用高圧配電盤、非常用パワーセンターの設置場所には到達していませんから、東京電力の報告書の説明では、まともに検討されたら全交流電源喪失の原因を津波のせいにできなくなります。
 そのためか、保安院は、6月7日に提出したIAEA宛ての報告書(名義は日本政府「原子力災害対策本部」ですが、実際に作成したのは保安院でしょうから、保安院を主語にしておきます)では、1号機から6号機まですべての非常用ディーゼル発電機の停止原因を「冷却用海水ポンプまたは電源盤の被水等により」と記載するようになりました(こちらの全体としては31ページ、1号機は37ページ、2号機は51ページ、3号機は63ページ、4号機は76ページ、5号機は82ページ、6号機は84ページ)。ちゃんと海水ポンプだけじゃなくて電源盤(M/CまたはP/C)の余地を残し、さらに「等」を入れることで言い逃れの余地を残しています(そんなに自信がないなら言わなきゃいいのに)が、海水ポンプの被水による非常用ディーゼル発電機の停止を前に出して印象づけています。非常用ディーゼル発電機の冷却用の海水ポンプが停止してしまったらその後非常用ディーゼル発電機を運転し続ければ焼け付いてしまいますので海水ポンプ停止により非常用ディーゼル発電機を停止する制御回路を組むことはいかにもありそうです(現実に福島第一原発でそのような設計になっていたかは、私は確認できません)し、東日本大震災の時に現に東海第二原発で外部電源が喪失しその後非常用ディーゼル発電機のうち1台が海水ポンプの被水によって停止してしまいました(事故の詳細は発表されていません。ものすごくおおざっぱな海水ポンプの被水時刻や損傷状況、非常用ディーゼル発電機の停止時刻さえ特定されていない発表がなされているだけです)から、海水ポンプの被水のせいにするのは自然に見えますし、何といっても海水ポンプは海側に設置されていましたから、津波の第2波で被水した可能性が高く、全交流電源喪失が津波のせいだというために時系列的に説明しやすいので、原発推進派と保安院にはとっても便利な説明です。
 しかし、それは津波の到達時刻で説明に窮した保安院が、何があっても全交流電源喪失の原因を津波にするために編み出した浅知恵で、真実ではあり得ません。(このように書いていたところ、6月24日、保安院が、福島原発震災開始から実に3ヶ月半も経って、東京電力からの異常事態の通報文書を公開しました(こちらから入手可能)。それにより、東京電力が3月11日16時00分に送信した全交流電源喪失の通報で「津波によりD/G冷却海水系が水没したため、冷却水が無くなり、D/Gがトリップした」と記載していることが明らかになりました(こちらの1枚目)。でも、それなら東京電力は何故その後の文書には6号機以外については海水ポンプの被水によるということを書かなくなったのでしょうか。保安院は、海水ポンプ被水説は保安院が編み出したものじゃなくて東京電力が言い出したと言いたいのかもしれませんが、東京電力がSBO直後の文書以外では言わなくなっていたものを、保安院が強調するようになったという経緯からして、ここではやはり保安院が主導している見解と捉えておきます。)

海水ポンプ被水説=IAEA宛て報告書の嘘
 まず、保安院が言い訳のしようもない明白な嘘から説明しましょう。先に説明した通り、2号機のB系と、4号機のB系は、非常用ディーゼル発電機が共用プール建屋の1階、それらに対応する非常用高圧配電盤と非常用パワーセンターが共用プール建屋の地下1階にあり、共用プール建屋は4号機の原子炉建屋のさらに西側にありますから、どんなに早くても15時42分以前には津波が到達していないことは、15時42分撮影の写真等から明らかです。従って、2号機の全交流電源喪失時刻である15時40分なり15時41分、4号機の全交流電源喪失時刻の15時38分には、共用プール建屋には津波は到達していません。
 そして東京電力と保安院が触れないようにしている事実があります。この共用プール建屋に設置されている2号機B系と4号機B系の非常用ディーゼル発電機は、空冷式なのです。つまり冷却用海水ポンプなどそもそも存在しません。ちなみにその空冷用の空気冷却器も共用プール建屋の屋上に設置されています。右上の図は1993年の共用プール建屋追加の変更申請(許可は1994年)の際の原子炉変更許可申請書の共用プール建屋(申請時は「運用補助共用施設」と呼ばれていましたが)の断面図です。
 そして、先に説明しましたように、4号機では東北地方太平洋沖地震発生当時A系の非常用ディーゼル発電機は点検工事中でしたから、外部電源喪失の際に起動したのはB系だけです。つまり4号機についての全交流電源喪失はB系だけの問題です。また、電源盤(M/CとP/C)もこの共用プール建屋地下1階に設置されています。4号機の全交流電源喪失時刻15時38分には、4号機の非常用電源に関連する設備(で外部電源喪失後に機能していたもの)は1つとして津波の被害に遭っていません。
 それにもかかわらず、保安院はIAEA宛ての報告書で4号機について「15時38分には、津波の影響を受けて冷却用海水ポンプ又は電源盤の被水等により非常用DG1台の運転が停止したことにより、全交流電源喪失の状態となり」(こちらの76ページ)と書いています。これは明白な嘘というほかありません。保安院がこの報告書で工事中で停止していた1台をA系かB系か示していない(東京電力の報告書ではA系が点検工事中と明記されているのに)ことも、確信犯であることを感じさせます。空冷式のB系しか問題にならない4号機について「冷却用海水ポンプ」を持ち出すこと自体、鉄面皮の嘘つきというべきでしょう。4号機のB系が空冷式であることがわかれば確実にばれる嘘がIAEAに提出する報告書にまで書かれているとは、IAEAも、そして国民も、ずいぶんとなめられたものです。
 2号機についても、基本的に同じことです。保安院は、海水ポンプを持ち出したことについて非難されたら、(海水冷却式の)A系もあるからというのでしょうが。

 この空冷式の非常用ディーゼル発電機問題について、このサイトで書いた後、7月1日付のウォール・ストリート・ジャーナル日本版の「設計上の欠陥が事故を悪化させた−福島原発」という記事(当時はこちらで入手できましたが、今は読めないようです)で、東京電力元副社長が、空冷式の非常用ディーゼル発電機は動き続けたが非常用ディーゼル発電機からの電気を給電する配電盤(M/C)が増設されずにタービン建屋内のものを使っていたためにタービン建屋内のM/Cが水没して機能喪失したと述べています。もしそうだとしても、そのタービン建屋内のM/Cに津波が到達した時刻の問題があることは上の方で説明した通りですが、ここで言われている事実自体、私は誤りだと考えています。
 空冷式の非常用ディーゼル発電機が増設された2号機、4号機の非常用高圧配電盤(M/C)のうちタービン建屋にあるのはCとD(2号機は2C、2D、4号機は4C、4D)ですが、いつ増設されたのかは、福島第一原発の設置変更申請書を見ても書かれていないのでよくわかりませんが、少なくとも福島原発震災の時点ではそれぞれ空冷式の非常用ディーゼル発電機がある共用プール建屋に3つめの非常用高圧配電盤(M/C)「E」(2号機は2E、4号機は4E)があり、空冷式の非常用ディーゼル発電機はこちらに給電していました(そのことは非常用電源関係機器の設置場所のところで説明済み)。したがって、配電盤が増設されていないというのは、誤りです。
 そして、このEの高圧配電盤(M/C)から母線へ、そしてその母線にどの機器がつながれているかの詳細結線図は公表されていませんので厳密には言えませんが、常識的に見て、Eの配電盤の増設は、C、Dとは独立に非常用機器に給電できる設計となっているはず(そうでなければ増設する意味がない)ですし、2号機の全交流電源喪失に至る時系列を見ると、15時40分の2D母線の電圧喪失の後、15時41分にM/C2Eの電圧喪失があり、運転員はそこで全交流電源喪失(SBO)と運転日誌に書いています。このことから、タービン建屋内の高圧配電盤(M/C)が倒れた後にも共用プール建屋内の高圧配電盤(M/C)2Eはしばらく生きていて、かつそれが生きている間は全交流電源喪失でなかったのですから、この東京電力元副社長の話は誤りで、空冷式の非常用ディーゼル発電機がある2号機及び4号機の全交流電源喪失は、タービン建屋内の配電盤の水没以外の原因によるものと、私は判断しています。

 さて、では、海水冷却の非常用ディーゼル発電機は、津波の第2波で海水ポンプが被水したために停止したのでしょうか。
 これについては、海水ポンプと非常用ディーゼル発電機の制御回路の設計や停止信号についての情報が公開されていませんので、私もまだよくわかりません。ただ、強い疑問を持っています。
 東京電力が公表しているアラームタイパのデータは、1号機、3号機、6号機が秒・ミリ秒まで記載したデータが公表されているのに、2号機と5号機では何故か秒単位のない分レベルのデータになっています(4号機は記録自体ないとされています)。1号機、3号機、6号機と2号機、5号機でコンピュータの記録の体裁がこんなにも違うというのは、とても不思議です。そして1号機のデータは14時58分07秒までしか公表されていませんので全交流電源喪失(1号機では15時37分)の原因検討には使い物になりません。6号機のデータは15時40分(最後の1行が読みにくく43分とも読めないではない)と微妙なところまでありますが、特に途中部分がかすれてとても読みにくく、しかも記載が全部英語というか記号で、検討が大変困難です。その結果、きちんとアラームタイパが分析できそうなのは3号機(こちらは半分日本語だし、全交流電源喪失後まで記録が続いています)だけという状態ですが、この3号機の記録でおもしろいことがわかります。
 3号機では、非常用ディーゼル発電機のA系のトリップが15時38分51.620秒、B系のトリップが15時38分57.550秒ですが、その40秒程度前の15時38分11.670秒にディーゼル母線3C、すなわちA系のM/Cが電圧喪失しています。海水ポンプの被水で停止信号が出るとすればそれはディーゼル発電機を保護するためですから、ディーゼル発電機の停止信号であるはずで、先にM/Cをトリップさせる理由はありません。従って、海水ポンプの被水が原因であれば、非常用ディーゼル発電機が先にトリップするはずで、M/Cが先にトリップするというのは理屈に合いません。そうすると、これはM/Cの方に先に異常が発生したと考えるのが、合理的でしょう。そして、先に説明したように15時38分時点では3号機のM/Cの設置されているタービン建屋にはまだ津波が到達していないと考えられますから、その原因は津波以外の何かと考えられるわけです。
 さらに、秒以下のデータがない形で公表されている2号機のアラームタイパは、同じ時分のアラームがものすごくたくさんあってその前後関係を特定できないので、きちんとした分析ができない代物ですが、それでも(海水冷却式の)A系についても非常用ディーゼル発電機よりもむしろM/Cの方に異常があることを示唆するような流れが感じ取れます。
 このように、東京電力の情報開示が不十分なためにはっきりはしないものの、海水冷却の非常用ディーゼル発電機の停止原因についても、海水ポンプの被水が原因とすることには疑問がありますし、少なくとも2号機、4号機については、海水ポンプの被水が原因とするのは、全交流電源喪失の原因は津波とするために手段を選ばない保安院の嘘というしかありません。

(2011年6月7日記、同日更新、6月9日更新、再更新、6月15日更新、6月19日更新、6月25日更新、7月16日更新)
2012年6月25日、2015年6月6日リンク切れ対応

 書き足していくうちに複雑になりすぎてわかりにくくなっているかも。エッセンスは7月10日の日本未来科学館の集会でしゃべっています。原子力資料情報室のユーストリーム中継のアーカイブで視聴できます。http://www.ustream.tv/recorded/15971858

 国会事故調報告書参考資料を材料に書いた続編はこちら

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  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その5)

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