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たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その4)
 「科学」(岩波書店)2013年9月号に「福島第一原発1号機の全交流電源喪失は津波によるものではない」という論考を掲載したのち、この問題について長らく沈黙を続けていた東京電力から津波到達時刻に関して反論があり、それが最終的には2013年12月13日付の報告書として公表されました。
 ここで、それに対するきちんとした反論をすることにします。なお、この文章は「科学(電子版)」2014年3月号として公開されたものに少し手を加えたものを岩波書店「科学」編集部の了解を得て掲載するものです。
 「科学(電子版)」2014年3月号はこちらをご覧ください(プリントアウトして読むならこちらがきれいです)。
 フルバージョンを読むのが大変と思う方用に短縮版を作成しました→こちら
 (東京電力の主張とそれに対する私の反論をきっちり読みたい方はこのページ、まずは私の主張を知りたい方は短縮版をどうぞ)
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Tweet  はてなブックマークに追加 福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その4)

もくじ:index
1.この文章の目的と結論 GO
2.この問題についての論争の経緯
2.1 はじめに GO
2.2 国会事故調報告書以前 GO
2.3 国会事故調報告書 GO
2.4 国会事故調報告書に対する東京電力の対応 GO
2.5 「科学」2013年9月号 GO
2.6 東京電力の反論 GO
3.現時点での東京電力と私の見解の差異及びこの文章での論証の構成
3.1 現時点での私と東京電力の主張の差異の整理 GO
3.2 この文章の論証の構成 GO
4.非常用交流電源喪失時刻 GO
5.波高計実測波形の検討 GO
6.津波の写真の検討
6.1 はじめに GO
6.2 写真1〜4:第1波の水位低下局面 GO
6.3 写真5〜6:私の見解では第2波(1段目)、東京電力はこれを否定 GO
6.4 写真7〜12:私の見解では第2波(2段目)、東京電力は第2波(1段目)と主張 GO
6.5 写真13〜14:4号機南側での津波の遡上 GO
6.6 写真15〜16:私の見解では第2波(3段目)、東京電力は第2波(2段目)と主張 GO
6.7 写真17〜18:4号機南側敷地への津波遡上 GO
6.8 まとめ GO
7.直接の観察資料がない間の津波の進行について
7.1 波高計の時刻の正確性について GO
7.2 国会事故調及び私の評価 GO
7.3 東京電力の評価 GO
7.4 東京電力のあるべき計算 GO
7.5 写真の撮影時刻についての評価結果 GO
7.6 1号機敷地への津波遡上時刻についての私の結論 GO
8.東京電力の主張の誤り
8.1 はじめに GO
8.2 第1波の後、写真7〜12の津波の前に津波がないとの主張について GO
8.3 写真7〜12の写真の波高について GO
8.4 写真7〜12に写っている波が第2波(1段目)とすることの不合理性 GO
9.その他の若干の問題について
9.1 写真15〜16に写っている大津波の進行方向について GO
9.2 プラントデータの分析問題あるいは「津波でなければ何が原因か?」 GO
9.3 東京電力第1回進捗報告の結論のまとめ方について GO

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1.この文章の目的と結論
 福島原発事故では、地震によって外部電源(発電所外からの電気の供給)が喪失し、その後外部電源喪失に備えて設けられている各号機ごとに複数(1号機ではA系、B系の2系統)の非常用交流電源(非常用ディーゼル発電機を起動して非常用母線に電気を供給)が想定通りに起動しましたが、その非常用交流電源が地震発生後50分程度経過したあたりから次々と機能喪失し、全交流電源喪失(Station Blackout 略してSBOとも呼ばれています)となったために、1号機、2号機、3号機で炉心の冷却ができず炉心溶融・メルトダウンに至り、破局的な大事故になってしまいました。
 福島原発事故が破局的な大事故となった原因の全交流電源喪失がなぜ生じたのかについては、日本政府と東京電力等はすべて津波によるものだとしています。しかし、少なくとも福島第一原発1号機では全交流電源喪失は2011年3月11日15時37分かそれ以前に生じ、1号機敷地への津波の遡上は15時38分以降ですから、時間的前後関係からして全交流電源喪失の直接の原因は津波ではあり得ません(2号機のA系の非常用電源喪失は15時37分台、3号機のA系、B系の非常用電源喪失は15時38分台でこれらも同様に議論できる可能性がありますが、ここでは一番確実な1号機に絞って議論することにします)。
 この文章では、このことを、福島第一原発を襲った津波の唯一の実測データの沖合1.5km地点に設置されていた波高計による実測波形と、津波が福島第一原発を襲う過程を撮影した一連の写真という2種類の1次資料の分析検討によって論証しています。
 私は、全交流電源喪失発生後に、さらに津波による浸水で非常用電源が回復不能のダメージを受けたことは、もちろん否定しません。最初に全交流電源喪失に至った原因が津波ではあり得ないというのが私の主張です。

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2.この問題についての論争の経緯
2.1 はじめに
 この議論を理解してもらうのにどうしても必要ですので、まず福島第一原発を襲った津波の波高計による実測波形を見てください。この波形はこの文章で度々登場しますし、波形の解説は後で(5と写真の解説にあわせて6でも)します。高さは「O.P.(m)」とされていますが、これは小名浜港工事基準面(Onahama Peil:略してO.P.)のことです。O.P.±0mは東京湾平均海面(Tokyo Peil)の下方0.727mつまり海抜−0.727mにあたります。福島原発事故に関する文献は高さについてはこのO.P.で表しています。この文章でも津波の波高、敷地や防波堤などの高さはすべてO.P.で表記します。
 この実測波形に基づいて、福島第一原発に津波がいつ到達したかについて議論がなされてきたのです。


図1-1 福島第一原発沖合1.5kmの波高計による津波実測波形(国会事故調報告書参考資料62ページ)

 図1−1は、波高計の実測波形に、東京電力が中間報告書で記載していた「第1波15:27」「第2波15:35」という時刻を書き込んで私が作成し、国会事故調(正式名称は「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」)の報告書に掲載されたものです。波形をよく見ると第1波のピークを15時27分と見るのはやや早すぎる(ピークは15時27分より少し後と見た方がよい)ことがわかりますが、そのことは後で説明します。
 非常用電源関係の機器は発電所敷地の高さがO.P.+10mのいわゆる10m盤上に設置されていますので、津波によって電源喪失が生じるとすれば、波高約4mの第1波ではなく、波高が7.5mを超える第2波かそれ以降の津波によるものと考えられます。
 当初は、第1波によってO.P.+4mのいわゆる4m盤(海側エリア)にある非常用ディーゼル発電機を冷却するための海水ポンプが停止して、その場合に発信される非常用ディーゼル発電機の停止信号で非常用ディーゼル発電機が停止した可能性を主張する向きもありました。しかし、国会事故調の報告書が第1波が4m盤を浸水していないことを論証した上そもそも1号機A系については海水ポンプの停止による非常用ディーゼル発電機停止信号自体がないことを明らかにし、後日東京電力が1号機ではディーゼル発電機が稼働中に先に非常用母線が機能喪失したことを発表したことから、今ではそのような主張は見られなくなっています。
 この文章では、現時点で意味がある論点として、1号機の非常用交流電源喪失時刻と津波第2波の1号機敷地遡上時刻との前後関係に絞って議論することにします。

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2.2 国会事故調報告書以前
 津波第2波の敷地到達時刻について、東京電力の中間報告書(「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」2011年12月2日:こちらから入手できます)には「津波襲来」「第2波15:35」と記載されています(45ページ等)。政府事故調報告書(東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会「中間報告」2011年12月26日19ページ等:こちらから入手できます)や日本政府がIAEAに提出した報告書(原子力災害対策本部「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書−東京電力福島原子力発電所の事故について−」2011年6月V-28ページ等:こちらから入手できます)等の他の報告書はすべてこの東京電力の中間報告書に倣って15時35分頃到達としていました。
 国会事故調の調査の過程で15時35分は福島第一原発沖合1.5km地点に設置された波高計の実測時刻であり、それを敷地到達時刻とするのはおかしいのではないかと東京電力に問い合わせたところ、東京電力は2012年5月15日付で「『15時35分頃』としている津波第二波の到達時刻は、波高計の測定記録です。(略)津波再現計算によると、この1.5kmの伝播所要時間は約2分半です。波高計測定記録に基づいて推定される敷地への津波到達時刻は、15時35分の約2分半後、すなわち15時37〜38分頃であったと考えられます。ただし、港湾内の検潮所の記録は取得できておりませんので、正確な時刻は把握できておりません。」と回答し(国会事故調の2012年5月10日付意見照会に対する同年5月15日付東京電力回答:国会事故調報告書参考資料77ページ)、津波第2波の敷地到達時刻を15時35分頃とすることが誤りであることを認めました。ところが東京電力は、いわゆる最終報告書(「福島原子力事故調査報告書」2012年6月20日:こちらから入手できます)では、発電所を襲った津波の大きさの項目では中央防災会議の解析で「波高計の位置では15時33分頃、発電所自体には15時35分以降に最大波が到達している」とし(最終報告書9ページ)、津波による設備被害の項目では「15時35分の津波第二波の襲来」として(最終報告書106ページ)、再度15時35分到達説を主張したのです。

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2.3 国会事故調報告書
 2012年7月5日に公表された国会事故調報告書は、1号機の非常用電源喪失時刻をB系については運転日誌の記載から15時37分、A系については運転員のヒアリング結果に基づき15時35分か36分とした上で、津波第2波の4号機海側エリア到達時刻は15時37分頃と考えられるとし、1号機A系の電源喪失の原因は津波ではないと考えられる、1号機B系等の電源喪失が津波によるといえるか疑問があると結論づけました(国会事故調報告書本文オリジナル版では227ページ、徳間書店版では215ページ:国会事故調報告書はネット上公表し関係者に配布したオリジナル版とその後出版された徳間書店版で本文のページが替わり、また徳間書店版で若干の誤記訂正をしているので注意が必要です。参考資料は徳間書店版でもオリジナル版がCDに収録されています。国会事故調の報告書本文のオリジナル版と参考資料はこちらから入手できます)。

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2.4 国会事故調報告書に対する東京電力の対応
 東京電力は、国会事故調報告書作成過程の照会段階で、国会事故調の運転員へのヒアリングについて独自に再聴取をして供述が覆ったことを主張していました(国会事故調報告書参考資料64〜65ページ)。
 国会事故調は東京電力に対して「1号機の過渡現象記録装置データ及び(5月15日以後のデータ回収ができていれば)プロセスコンピュータデータで回収できたデータ全部」「もし本件事故当時のコンピュータデータで上記のもの以外が保管されている場合には、それも同様の形で提出してください」と資料請求していましたが、東京電力からは過渡現象記録装置の15時17分03秒までの100分の1秒ごとのデータだけが提出され、これ以外はないと回答されていました。
 ところが、東京電力は、2013年5月10日になり、それまで3月11日15時17分以降についてはデータがないとしていた1号機の過渡現象記録装置について、1分周期のデータがあったとして1号機A系B系ともに15時37分(正確には15時36分59秒)時点で非常用ディーゼル発電機は稼働していた、A系については15時36分(同15時35分59秒)と15時37分(同15時36分59秒)の間に非常用母線が機能喪失し、B系については15時37分(同15時36分59秒)時点で非常用ディーゼル発電機の電圧は定格だが電流が定格の半分程度まで落ちていたことを発表し、「1号機の非常用ディーゼル発電機(A)は交流母線(C)の機能喪失前に地震で機能喪失することはなかった」と主張しました(「福島第一原子力発電所1号機における電源喪失及び非常用復水器の調査・検討状況について」2013年5月10日:こちらから入手できます)。

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2.5 「科学」2013年9月号
 私は、この東京電力の2013年5月10日の発表を前提に、1号機のA系の非常用電源喪失は15時37分以前でありB系も電源系の異常が15時37分以前に発生しており、他方国会事故調での検討に加えて津波の写真をよく検討すると津波第2波の防波堤内(港内)への波及に時間遅れがあることなどから1号機敷地への到達は15時38分以降おそらくは15時39分とする論考を「科学」(岩波書店)2013年9月号(2013年8月27日発売)で発表しました(「科学」2013年9月号1045〜1054ページ)。

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2.6 東京電力の反論


図1-2 津波実測波形等についての東京電力の定義説明図(第1回進捗報告添付地震津波-1-1)

 これに対して東京電力は、基本的に私の検討方法と同様の手法によりつつ、それまで「第2波」と扱われていた大津波ではなくそれに先行する小さな津波を「第2波(1段目)」と新たに名付けるとともにそれまでの「第2波」を「第2波(2段目)」と呼び変えた上で(図1-2参照)、私がその用語法に合わせれば「第2波(2段目)」であるとした津波の写真を「第2波(1段目)」に当たるとして、その結果敷地に遡上したと考えられる「第2波(2段目)」の敷地到達時刻を15時36分台とする主張をとりまとめ、2013年10月7日に原子力規制委員会「東京電力福島第一原子力発電所における事故の分析に係る検討会」(以下「規制庁事故分析検討会」という)に提出しました(「東京電力福島第一原子力発電所事故発電所敷地への津波到達時刻について」規制庁事故分析検討会第4回配付資料2-1:こちらから入手できます)。
 東京電力は、その後、2013年12月13日に、より詳細な主張を加えて「福島第一原子力発電所1〜3号機の炉心・格納容器の状態の推定と未解明問題に関する検討 第1回進捗報告」(2013年12月13日。以下この文章では「第1回進捗報告」と表記します:こちらから入手できます)という報告書で発表しました。
 このページの最初に述べたように、この文章は、この東京電力の新たな主張が誤りであることを論じるものです。

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3.現時点での東京電力と私の見解の差異及びこの文章での論証の構成
3.1 現時点での私と東京電力の主張の差異の整理
 2で紹介した経緯を経て、現時点での津波の敷地到達時刻の評価に関する私と東京電力の見解の差異を整理すると表1のようになります。ここでいくつかの写真の解釈がポイントになっていますが、写真については6でまとめて紹介し検討します。

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3.2 この文章の論証の構成
 この文章では、まず次の4において、福島第一原発1号機の非常用交流電源の喪失時刻を15時37分かそれ以前と特定した上で、5以降で津波の1号機敷地への遡上時刻が15時38分以降であることであることを論証します。
 津波の遡上時刻については、まず5で福島第一原発を襲った津波についての唯一の実測データの波高計の波形を紹介して検討し、続いて6で福島第一原発を襲う津波を撮影した44枚組の連続写真のうち前半の18枚を紹介してその写真からわかること及び私の見方を示します。その後、7で波高計設置位置の福島第一原発沖合1.5km地点から津波が写真に写っている地点までの、言い換えれば津波について直接の観察資料がない区間の津波の進行にかかる時間を津波の速度に関する一般式に基づいて計算して津波の着岸時刻あるいは写真の撮影時刻を特定します。
 現段階では、表1にまとめたように、津波の着岸時刻あるいは写真撮影時刻の特定の方法について、私と東京電力の間で実質的な差異はなく、波高計設置位置から敷地までの津波到達時間(所要時間)についての見解も大きな差はありません。両者の差は実質的には、連続写真に写っている津波が第2波のどの波(何段目)かについての見解の相違に絞られてきています。8で、この点について、東京電力の主張とその根拠を紹介した上で、それが誤りであることを論証します。その上で、9でその他の若干の問題を検討します。

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4.非常用交流電源喪失時刻
 東京電力は2013年5月10日に福島第一原発1号機の過渡現象記録装置の1分周期データを公表しました(こちらから入手できます)。
 この点については、2.4で紹介しましたが、1号機A系非常用電源喪失時刻に関して東京電力が国会事故調の運転員ヒアリングに対して再度聴取して供述が覆ったとし、国会事故調が請求したときには存在しないとしたデータを国会事故調解散後に15時37分現在A系非常用ディーゼル発電機が稼働していたという根拠として公表したという経緯を考慮すると、私としては東京電力が発表したデータを信頼してよいのか疑問を感じます。
 しかし、ここではそれをおいてこのデータを前提とすると、1号機A系の非常用交流電源はディーゼル発電機の停止以外の原因によって15時35分59秒と15時36分59秒の間のいずれかの時刻、つまり15時36分台に機能喪失したことになります。1号機B系の非常用交流電源は、15時36分59秒時点で非常用ディーゼル発電機が稼働状態で非常用ディーゼル発電機及び非常用母線の電圧も定格値を維持していますが、非常用ディーゼル発電機の電流が15時35分59秒と15時36分59秒の間のいずれかの時刻に大幅に低下し半減しています(図2参照:図2は第1回進捗報告添付地震津波-1-15:報告書pdf187枚目)。このB系の非常用ディーゼル発電機の電流低下については、東京電力は、規制庁事故分析検討会で格納容器冷却系(CCS)の海水ポンプ(CCSW)の停止により負荷が下がったために電流値が下がったと考えていると説明しています(第5回議事録30〜31ページ:議事録はこちら)。しかし、この電流値の低下は格納容器冷却系の起動時の上昇より遥かに大きく(図2参照)、これで説明できるかは疑問があるところです。


図2 1号機D/G電流値の推移についての東京電力の説明(第1回進捗報告添付地震津波-1-15)

 従って、東京電力発表の過渡現象記録装置の1分周期データによれば、15時36分59秒までに1号機A系非常用電源が機能喪失したことは確実で、1号機B系の非常用電源にも既に異常が生じていた疑いがあります。その点を度外視しても、1号機の運転日誌上、当直長引継日誌には「D/G1Bトリップ 15:37」、当直員引継日誌には「15:37 D/G1Bトリップ→SBO(A系トリップはいつ?)」と記載されています(運転日誌はこちらから入手できます)から、15時37分にはB系の非常用電源が機能喪失して(先にA系が機能喪失していた結果)それにより全交流電源喪失となったことが明らかです。

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5.波高計実測波形の検討
 図1-3は、福島第一原発沖合1.5km地点(水深約13m)の海底に設置された波高計の3月11日15時10分頃以降の実測データにこの文章でのそれぞれの波の呼び方とポイントになる時刻を書き込んだものです。この実測波形は、波高計の測定限界が±7.5mであること、巨大な津波により波高計に異常が生じたと見られることから、波高が7.5mで打ち止めになり、また15時35分を超えたところで記録がなくなっていますが、少なくとも波高が7.5mに達するまでは機能に問題はなかったと考えられています。データのうち数十cm程度のスパイク状の上下動は津波と関係なく通常時にも寄せては返している波(波浪)です。実際の波は、大きな動きの津波と小さな波浪が合成された形になっています。


図1-3 福島第一原発を襲った津波の実測波形と波の定義

 福島第一原発を襲った津波は、波高計設置位置で、15時28分頃にピークを迎える緩やかな上下動(かなり長周期)の「第1波」と、その後の急速に立ち上がる「第2波」に分けられます。福島第一原発を襲った津波については、以前はこの2つの波が議論されていたのですが、2で紹介したように東京電力が波高計設置位置で15時33分30秒頃に急速に立ち上がる波高4〜5m程度の波に着目し、これを「第2波(1段目)」と呼び、それに続く波高計設置位置で15時35分頃に急速に立ち上がる波高7.5mを超える(波高計の測定限界を超える)津波を「第2波(2段目)」と呼ぶようになった(図1-2参照)ので、混乱を避けるために、この文章でもこの名称を用いることにします。ここで何段目というのは、波の形には関係なく大きく捉えた「第2波」をより細かく分けたときの何番目かを示しています。東京電力は第2波(2段目)までだけを論じていますが、私は、波高計が測定機能を失った15時35分以降にさらにこれに続く大きな波(波高計によっては測定されていない波)があると考えますので、これを「第2波(3段目)」(以降)と呼ぶことにします。
 第1波は、15時17〜8分頃から緩やかに立ち上がる最大波高約4mの波で、15時28分頃にピークを迎えます。この第1波のピークの時刻については、私自身「科学」2013年9月号では第1波のピークは15時27〜28分としていましたし、東京電力の中間報告書はピークとして特定していませんが第1波の到達時刻を15時27分としています(先に2.1で説明したように図1-1はこれを示す意味で15時27分を書き込みました)。しかし、今回、この点について再検討してみたところ、波高計の波形で波浪を除いてみればピークは15時28分頃とみられます。また東京電力から国会事故調に提出された波高計実測値のデジタルデータは地震発生(14:46:18)からの10秒ごとのものだけでしたが、15時27分以降のデータを見ると15:27:08 4.04m、15:27:18 4.07m、15:27:28 4.06m、15:27:38 4.11m、15:27:48 4.10m、15:27:58 4.14m、15:28:08 4.07m、15:28:18 4.00m、15:28:28 3.90m、15:28:38 3.80m、15:28:48 3.77mとなっていて、15時28分頃が最大値であるとともにピークと考えるのが自然だと考えられます。そのことから、この文章では15時28分頃に波高計設置位置での第1波のピークがあるとします。このことは後の説明で非常に大きな意味を持ちますが、結論的には、第1波のピークを15時27分30秒とか、実測波形の形から見てやや不自然なほど前になる15時27分としたとしても、東京電力の主張が破綻することは変わりません。
 この波形は、図1-3で見るとはっきりとした山型に見えますが、図から波形の数値を読み取れば明らかなように約10分をかけて水位が約4m上昇しているものです。波高計設置位置近辺の水深約10mの海での津波の標準的な速度が約10m/秒だということを考えると、第1波の波形は、水平方向で6kmの距離に対して4m、言い換えれば水平方向600mに対して40cm、水平方向60mに対して4cmの上昇を意味しますから、肉眼で傾斜があることを判別することはほぼ不可能です。つまり、第1波の見た目にはほぼ水平で、速い満ち潮とか高潮のような形状となります。
 第2波(1段目)は、第1波のピークから約5分30秒後の15時33分30秒頃に急速に立ち上がり、波高約4〜5mに達しています。波高計設置位置での波形は棚状になっていていわゆる「段波」の形状となっています。
 第2波(2段目)は、第1波のピークから約7分後、第2波(1段目)から約1分30秒後の15時35分頃に急速に立ち上がり、最大波高は波高計の測定限界の7.5mを超えていることは確実ですがどれだけの波高に至ったかは不明です。また波の形状も急速に立ち上がっていることは明らかですが、その後棚状なのか山型なのかも不明です。

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6.津波の写真の検討
6.1 はじめに
 東京電力は、2011年5月19日に福島第一原発4号機南側の廃棄物集中処理建屋から撮影した写真を11枚公表しましたが、その際、津波が福島第一原発に至る過程の写真は公表しませんでした。国会事故調が、津波を撮影したすべての写真を提出するように求めて初めて、東京電力は上記11枚を含む44枚の一連の写真を提出し、国会事故調報告書公表後の2012年7月9日になってそれらの写真を一般公開したのです。
 国会事故調に提出された写真ファイルを見る限り、この44枚のファイルネームは連続していて、ファイルネームの加工がない限りはこれらの写真の間の時刻に撮影された未公表の写真はないと考えられます。そして国会事故調に提出された写真ファイルにはデジタルカメラで撮影した写真ファイルに自動的に記録される撮影時刻等のいわゆるExif情報が付いていましたので、撮影時刻が記録されているのですが、撮影したカメラの内蔵時計に進み・遅れがあればExif情報上の撮影時刻も正しいとはいえないことになります。結論から言うと、国会事故調報告書も私も、東京電力も、このカメラの内蔵時計の時刻は正しくないという前提で議論しています。ただし、カメラの内蔵時計の時刻が不正確であっても、撮影時刻の間隔は正しいものと考えられます。このことが以下の検討の重要な前提となっています。
 この文章では、東京電力が2011年5月19日に公表した11枚組の写真と2012年7月9日に公表した33枚組の写真を撮影順に並べた最初から18枚を撮影順に写真1から写真18と表記して検討します(これらの写真は現在こちらでダウンロードできます。このページでは、東京電力が公開している写真をオリジナルサイズのまま貼り付けています)。
 用いる写真も写真番号の振り方も、私が自分のサイトや「科学」2013年9月号で用いてきたものと異なりますが、混乱を避けるため東京電力の使用する写真及び写真番号に合わせました。ところで、東京電力が公表しているカメラ内蔵時刻は、国会事故調に提出されたファイルの撮影時刻よりなぜか1秒早くなっているものがあります(この文章で用いる中では写真4、5、7、9、11、12、16、17、18)。結論に影響するわけではありませんが、私は不正確なデータを用いるのがいやなので、この文章では国会事故調に提出されたファイルの撮影時刻を使用します(7.5の表3では両方を併記して比較対照しています)。
 福島第一原発の各号機と防波堤などの配置及び写真の撮影位置等については図3の通りです。


図3 福島第一原発位置関係図(国会事故調報告書参考資料71ページ)

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6.2 写真1〜4:第1波の水位低下局面


写真1


写真2


写真3


写真4

 写真2は写真1の34秒後、写真3は写真2の28秒後、写真4は写真3の25秒後に撮影されたもので、写真1〜4はほぼ30秒間隔で撮影されています。
 写真1〜4では、海面はほぼ水平で通常の波(波浪)が見られますが津波状の上下動は見られず、南防波堤(写真手前側)、北防波堤(写真左奥)、東波除堤(港内)が露出していますが防波堤の天端部近くまで水位が上昇しているという様子が写っています。南防波堤と北防波堤が高さ5.5m、東波除堤が高さ5mであること、第1波の波形が速い満ち潮状で波高計設置位置での最大波高が約4mであることからすれば、この写真は第1波が福島第一原発敷地直前に押し寄せているところとみるのが自然です。
 この写真1〜4では、津波の水位が次第に低下していることがわかります。写真1〜4を並べて全体的に見てもこのことを理解できると思いますが、よりわかりやすくするために写真1〜4(いずれもオリジナルサイズは横幅が640ピクセル)の南防波堤付け根部の同じ箇所(図4参照)を切り出して(切り出しサイズは横幅120ピクセル、高さ40ピクセル)3倍に拡大し(その結果横幅360ピクセル、高さ120ピクセル)、津波の波浪を除いた水位を直線で示し、同じ箇所で防波堤からその水位の直線まで垂線(写真では白抜きにした)を下ろしたものを作成して並べると写真1-2〜4-2のようになります。


図4 写真切り出し部位説明図


写真1-2


写真2-2


写真3-2


写真4-2

 直感的にも写真1−2から次第に水位が下がり白抜きの直線が長くなっていくことが把握できると思いますが、さらに数値で言うと、防波堤天端から津波水位まで下ろした垂線の長さが、写真1-2で9ピクセル、写真2-2で11ピクセル、写真3-2で14ピクセル、写真4-2で16ピクセルとなりました。防波堤の側面が傾斜しているので写真上の垂線は現場では垂線にはなりませんが、現実の防波堤天端と津波水位の差はこの垂線長さに比例しているはずです。東京電力も「写真1から4の1分26秒間において、徐々に水位が低下している」と評価しています(第1回進捗報告添付地震津波-1-4:報告書pdf176枚目)。
 以上のことから、写真1〜4は第1波のピーク以降の部分が福島第一原発敷地直前に到達したところを撮影したものであると判断できます。この点については、おそらく東京電力も同意見であるはずです(第1回進捗報告等の文書から見る限り同意見のはずですが、2014年1月14日の新潟県技術委員会の課題別ディスカッションで田中三彦委員からこの文章の8.4で指摘する東京電力の主張の矛盾を指摘された後は違う態度を取るやも知れません)。そして、写真1の水位が南防波堤付け根部でも天端部に近くなっていることからすれば、写真1は第1波のピーク付近が福島第一原発敷地直前に押し寄せているところを撮影したものと考えられます。

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6.3 写真5〜6:私の見解では第2波(1段目)、東京電力はこれを否定
 次に写真4の3分34秒後に撮影された写真5とその11秒後に撮影された写真6を検討します。


写真5


写真6

 この2枚の写真では、2つの着目点があります。1つは南防波堤付け根部や東波除堤の部分で、これらが相当程度露出していて、水位が相当程度下がっていることがわかります。東京電力は、これらの写真をもっぱらその観点から説明しています。もう1つの着目すべき点は防波堤の先(写真奥)に南防波堤の先端部分とほぼ平行に小さな津波が写っていることです。この津波は、カラー写真でも縮小サイズでは判別しにくく、モノクロ印刷ではほぼ判別できません。そのためオリジナル写真から該当部分を切り出したものの下に、そのコントラストを強調加工した写真を参考までに示します(写真5-2、写真6-2)。




写真5-2




写真6-2

 この小さな津波の解釈は、私と東京電力の対立点の1つです。
 写真1からカウントすると写真5は5分01秒後、写真6は5分12秒後に撮影されています。私は、これが第2波(1段目)であると考えています。その理由は第1波のピークから5分ないし6分後、次に写真7以降で見るように第2波(2段目)のほぼ1分前という敷地近傍への到達時刻が波高計の実測データときれいに整合することにあります。
この点については8で論じます。

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6.4 写真7〜12:私の見解では第2波(2段目)、東京電力は第2波(1段目)と主張
 続いて、いよいよ防波堤を呑み込みながら福島第一原発敷地に迫る津波が撮影されている写真7〜12を検討します。写真7は写真6の57秒後、写真8は写真7の11秒後、写真9は写真8の17秒後、写真10は写真9の5秒後、写真11は写真10の23秒後、写真12は写真11の4秒後に撮影されています。写真7以降はほぼ連続して撮影されたと言えます。
 この一連の写真に写っている津波が、第2波(1段目)なのか(東京電力の主張)、第2波(2段目)なのか(私の主張)が、現段階では東京電力と私の最大の対立点となっています。


写真7


写真8


写真9


写真10


写真11


写真12

 写真7から写真12にかけて、津波が南防波堤と北防波堤を越流し防波堤が津波に呑み込まれて見えなくなる様子、津波が防波堤先端部から防波堤(南防波堤)付け根部へと原発敷地に迫ってくる様子に目を奪われます。
 しかし、ここではさらに2つのことに注目してください。1つは、津波は南防波堤と北防波堤を越流しているが、港内への波及はあまりなく港内中央部の海はほとんど荒れていないこと、そして港内にある東波除堤は、南防波堤や北防波堤より高さが低いにも関わらず露出したままであることです。このことから私は、この津波が4号機海側エリアに着岸しても防波堤の奥深くにあることにより守られている1号機敷地への津波遡上には至らなかったという結論を導きました。この点については、現在は東京電力も認めるようです(第1回進捗報告添付地震津波-1-8:報告書pdf180枚目)。他方東京電力はこのことから津波の波高が低かったと主張してこの一連の写真に写っている津波は第2波(1段目)であるとしています。
 このことについては8でより詳細に論じることにして、もう1点この一連の写真で注目したいところは、この津波の形状です。東京電力は、この波を「段波状の津波」と主張し(第1回進捗報告添付地震津波-1-6〜7:報告書pdf178〜179ページ)、そのこともこれが第2波(1段目)である(図1-3で第2波(1段目)の波形が段波状であることに注意)という根拠とするようですが、これらの写真に写っている津波は棚状でしょうか。


写真12-2

 写真12-2は、東京電力が写真12に「沖合に第2波(2段目)と推定される波が認められる」と指摘して矢印を書き込んでいるものですが、その矢印の手前で、写真7〜12に写っている津波が越流した南防波堤が再度露出しているのが見えます。左側に目をやれば船の手前に北防波堤がもっとはっきりと露出しているのが見えます(写真12-3参照)。


写真12-3

 この写真7〜12に写っている津波が棚状の「段波」であれば、津波の先端部でも後部でも棚状で波高が同じである以上、越流された防波堤はそのまま水面下のはず、棚状で波高は同じなのだから写真11でも12でも越流が続いているはずでしょう。写真11と写真12で、写真7〜10で越流された南防波堤と北防波堤が再度露出していることは、まさしくこの写真7〜12に写っている津波の形状が棚状ではなく山型であることを示しているというべきでしょう。

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6.5 写真13〜14:4号機南側での津波の遡上
 写真13と写真14は、写真11での津波の4号機海側エリア着岸後、津波が4号機南側の敷地に遡上し始めた様子を撮影したものです。


写真13


写真14

 これらの写真では10m盤の敷地に津波が遡上している様子が写っていますが、写真右上隅に写っている港内部分で東波除堤が露出していることからわかるように、防波堤の外側の敷地には津波が遡上しても、この時点では防波堤の内側の10m盤には津波の遡上は開始されていないと解されます。この点については東京電力も同意見です(第1回進捗報告添付地震津波-1-8:報告書pdf180枚目)。

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6.6 写真15〜16:私の見解では第2波(3段目)、東京電力は第2波(2段目)と主張
 次に、津波が港内にも波及する写真15と写真16を検討します。写真15は写真11(4号機海側エリア着岸)の37秒後、写真16は写真11の52秒後に撮影されました。


写真15


写真16

 写真15は大津波が南防波堤をまさに越流しているところで、南防波堤に沿って津波が高い波頭を見せています。写真16では津波が東波除堤を越流していますが、波の先端が写真15での南防波堤の線から大きく北側(写真では左側)に移動していることが読み取れます(写真15-2、16-2参照)。この津波の前線とその移動を地図に落とすと、津波は防波堤の影響で防波堤の内側(港内)では東から西へではなく南東から北西に向けて進行していることがわかります(図5参照)。


写真15-2


写真16-2

 この写真16での大津波の波の先端は、東波除堤の3号機前部分(2号機との境に近いといってもよいが)に位置すると見られます(図5参照)。従って、大津波が1号機敷地に達するのは、この写真16よりもさらに少し後ということになります。写真15と写真16の撮影時刻差が15秒で、写真16の大津波の先端から1号機敷地までの距離が最短距離で見ても写真15から写真16までの大津波先端の移動距離の概ね倍程度と考えられる(図5-2参照)ことから、1号機敷地への大津波の遡上は早めに見ても写真16の撮影時刻より30秒程度後と、私は考えます。

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6.7 写真17〜18:4号機南側敷地への津波遡上
 写真17及び写真18では津波が4号機南側の敷地を遡上する様子が写っています。


写真17


写真18

 東京電力は、「写真18の前後には、福島第一原子力発電所の全ての原子炉建屋付近に、高さO.P.+15m程度の津波第2波(2段目)が到達していたものと判断される」としています(第1回進捗報告添付地震津波-1-9:報告書pdf181枚目)。先に述べたように、防波堤の内側と外側では津波の影響はかなり違っていたと考えるべきですから、防波堤の外側の敷地(4号機南側)への遡上の状況から直ちに防波堤の内側の敷地の状況を論じることは正しくないと私は考えています。

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6.8 まとめ
 写真7以降の写真のうち海側を撮影した写真について、波の先端部の位置と私の見方を図示すると図5のようになります。


図5 写真説明図

 以上の検討から、写真15までの間は、津波は防波堤内(港内)にはあまり影響を与えず、津波が港内に波及するのは写真15以降で、港内の一番奥深くに位置する1号機の敷地に津波が到達するのは写真16よりも後であることが確実です。写真15と写真16の撮影時刻差が15秒で、その間の津波の先端部の進行距離から考えれば、津波が1号機敷地に達するには最短距離で考えても写真16の後30秒程度を要すると考えるべきです(港内を南東から北西に向かう大津波がさらに東波除堤の影響で屈折して西向きに方向を変えることも考えられますが、その場合1号機敷地までの距離はさらに長くなり所要時間が増えることになります)。


図5-2 津波進行時間推定説明図

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7.直接の観察資料がない間の津波の進行について
7.1 波高計の時刻の正確性について
 波高計の時刻の正確性については、当初は東京電力からは正確性に疑義を呈する見解もありました。具体的に言えば、新潟県技術委員会の2012年12月14日の会合で東京電力の説明者は「更に波高計の時刻、これも時刻更正を行っておりませんのでずれがあった可能性もあります」と述べ(同日の議事録5ページ:議事録はこちら)、委員から波高計の時刻が進んでいたと考える余地はあるか、もし進んでいたと考えられる余地があるのならば最大限どれだけ進んでいた余地があると考えるのかと質問され、「波高計の時刻のずれがどれほどであったかわかっておりません」と文書回答していました(「東京電力への追加質問書への東電回答」2013年2月1日会合配布参考資料2:こちらから入手できます)。
 しかし、私が「科学」2013年9月号掲載の論考で、波高計の地震直後の水圧波の変動と福島第一原発敷地内の地震計の計測値を比較対照することで誤差はあっても数秒と指摘した後、東京電力も全く同じ方法により「波高計の時刻に大きなずれはない」と認めるに至りました(第1回進捗報告添付地震津波-1-3:報告書pdf175枚目)。
 その結果、現在ではこれについては論じる必要がなくなりました。

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7.2 国会事故調及び私の評価
 波高計設置位置から津波が写真に写っている地点までの津波の進行所要時間について、国会事故調報告書参考資料では、写真7を基準に波高計設置位置から防波堤先端部までの距離約800mについて、津波速度m/s=(水深m×重力加速度m/s20.5の一般式により計算し、水深を波高計設置位置の約13mと考えると70秒程度、平均水深を約10mとすると80秒程度となるので、70〜80秒程度としました。そして写真7から4号機海側エリア着岸の写真11までの撮影時刻差が56秒であることから、波高計設置位置から4号機海側エリア着岸までの時間を約2分と評価しました(国会事故調報告書参考資料69ページ)。距離約800mは、津波が東から西に進行していることから波高計設置位置と防波堤先端部の直線距離ではなく東西方向の距離を用いたもので、後述の図6の東京電力の推定に合わせて東南東から西北西に進行すると考えればより距離を長く取るべきことになって所要時間もより長くなることになります。私の「科学」2013年9月号掲載の論考でもこれを踏襲しています。

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7.3 東京電力の評価
 東京電力は、写真8に着目し、波高計設置位置から写真8で津波が越流している「南防波堤屈曲部」までの直線距離で約1000mについて、津波の進行速度を計算しています。その際、東京電力は、津波の速度について平常時の水深(静水深)ではなく津波高さを加えた水深(全水深)によるべきであると主張し、浅海での水深の減少に伴う波高の増幅に関するグリーンの法則(地点1での波高をH1、水深をh1、地点2での波高をH2、水深をh2とすると、H2=H1×(h1/h2)0.25)に従って津波の波高が敷地に近づくにつれ増幅するという前提で計算すべきことを主張しています(第1回進捗報告添付地震津波-1-11、同34:報告書pdf183枚目、206枚目)。なお、東京電力は、波高計設置位置から南防波堤屈曲部までの水深については、波高計設置位置の水深13mと防波堤屈曲部前の水深6mの2点間の海底勾配が一定であると仮定して比例計算しています(第1回進捗報告添付地震津波-1-34:報告書pdf206枚目)。東京電力は上記1000mを50mごとに区分して上記の方法で計算し、全水深に基づく計算で85秒、静水深に基づく計算で106秒という結果を出し、写真8に写っている津波が第2波(1段目)であるという前提で写真8の正しい撮影時刻は第2波(1段目)が波高計設置位置を通過した15時33分30秒から85〜106秒経過後の15時34分55秒〜15時35分16秒であるのに、カメラ内蔵時計の撮影時刻は15時41分36秒であるから、カメラ内蔵時計は6分20秒〜6分41秒進んでいたとし、その中間値を取って6分30秒進んでいたとして全ての写真の撮影時刻を補正しています(第1回進捗報告添付地震津波-1-11:報告書pdf183枚目)。
 東京電力のこの計算結果は、言い換えれば波高計設置位置から南防波堤屈曲部までの津波の進行にかかる時間が96秒、写真8から4号機海側エリア着岸の写真11までの撮影時刻差が45秒ということですから、結局のところ波高計設置位置から4号機海側エリア着岸までの所要時間は2分21秒といっているのと同じです。従って、波高計設置位置から敷地までの津波の到達所要時間の考え方や計算結果については、東京電力と私の間にほとんど差はないといってよいでしょう。

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7.4 東京電力のあるべき計算
 ところで、東京電力はこの計算について、距離を1000mとすることは所要時間を多めに見積もる取り方であるとしています(第1回進捗報告添付地震津波1-33:報告書pdf205枚目)。波高計設置位置から南防波堤屈曲部まで直線距離だと約1000mですが、東京電力の津波再現計算による津波の推定波面(進行方向)から進行距離を推定すると図6のようになり、「本来測るべき距離」はもっと短いというのです。また東京電力は、全水深による計算がより実際に近いといいながら全水深による計算と静水深による計算の中間値を取っています(第1回進捗報告添付地震津波-1-11、同34:報告書pdf183枚目、206枚目)。これらの所要時間を多めに見積もる方向に作用する部分を全て「正しい値」にするとどうなるでしょうか。

図6 東京電力主張の所要時間計算での本来測るべき距離(第1回進捗報告添付地震津波-1-33)
 波高計から南防波堤屈曲部までの距離を、東京電力主張の「本来測るべき距離」としてこの図6からの読み取りで約900mとし、50mごとに区分して、初期波高4.5m(東京電力主張)で全水深による計算をすると、表2の通り約76秒となります。

 そうすると、東京電力が考える本来の計算による「より実際の値に近いと考えられる」時間は、波高計設置位置から南防波堤屈曲部までが76秒で、これに写真8から写真11までの撮影時刻差45秒を加えて波高計設置位置から敷地までの所要時間が2分01秒となり、私の意見(約2分)と一致することになります。
 こうして、東京電力と私の主張の実質的な違いは、写真8を含む写真7〜12の津波が第2波(1段目)か(東京電力)、第2波(2段目)か(私)に収斂することになるのです。
 なお、東京電力の本来の主張に従った計算を適用した場合の撮影時刻は、写真8の「正しい」撮影時刻が第2波(1段目)の波高計設置位置通過時刻15時33分30秒の76秒後の15時34分46秒であるはずなのに写真8のカメラ内蔵時刻が15時41分36秒なのでカメラ内蔵時計が6分50秒進んでいるとして写真撮影時刻を補正することになります。

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7.5 写真の撮影時刻についての評価結果
 念のために、ここで、写真1〜18について、東京電力が主張する撮影時刻、先ほど計算で示した東京電力の本来の主張に従った計算を適用した場合の撮影時刻、私主張の撮影時刻を表3に示しておきます。

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7.6 1号機敷地への津波遡上時刻についての私の結論
 上記の写真撮影時刻についての評価に、先に6.8で述べた私の主張である1号機敷地への津波第2波(3段目)の遡上時刻は早めに見ても写真16(私の評価では15時37分52秒頃撮影)よりも30秒程度後ということを当てはめれば、1号機敷地への津波遡上は15時38分台かそれ以降ということになります。
 なお、私の主張の裏付けとしては、これまでに述べたことの他に、津波第2波を1号機北側の汐見坂下の駐車場(図5の☆印)で目撃した者が、国会事故調のヒアリングに対して、重油タンクが津波により南から北へと流されるのを目撃してその時に所持していたPHSで時刻を確認したところ15時39分であった、その後津波が1号機敷地(10m盤)に遡上してきたので汐見坂を上って免震重要棟まで避難したと述べている(国会事故調報告書参考資料77ページ)こともあります。

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8.東京電力の主張の誤り
8.1 はじめに
 さて、津波の到達時刻の判断で、東京電力の主張と私に主張の違いは、写真7〜12に写っている津波が、東京電力は第2波(1段目)だとし、私は第2波(2段目)だとしていることにあることを説明してきましたが、それぞれの根拠はどこにあるでしょうか。
 私の主張の根拠は、先に6.3でも説明したとおり、写真1〜4が第1波、写真5と写真6が第2波(1段目)、写真7〜12が第2波(2段目)と解するのが津波の形状と写真の撮影間隔に照らし整合的だということにあります。
 これに対し、東京電力が、写真7〜12に写っている津波を第2波(1段目)とする根拠は、第1波と写真7〜12に写っている津波との間に敷地に押し寄せてくる津波が撮影されていないこと(第1回進捗報告添付地震津波-1-6:報告書pdf178枚目)、写真7〜12において高さ5mの東波除堤が終始露出していることから津波の波高が数mレベルであると考えられること(「東京電力福島第一原子力発電所事故発電所敷地への津波到達時刻について」規制庁事故分析検討会第4回配付資料2-1:7ページ:こちらから入手できます)の2点です。
 ここでは、この東京電力の以上2点の根拠が誤りであり、また写真7〜12が第2波(1段目)と評価することが明らかに不合理であることを順次論じることにします。

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8.2 第1波の後、写真7〜12の津波の前に津波がないとの主張について
 先に6.3で指摘したとおり、写真5と写真6には南防波堤先端部の先(写真奥、海側)に、南防波堤先端部とほぼ平行な小さな津波が写っています。
 東京電力は、写真5と写真6は津波の水位が低下したところを撮影したものとか津波ではないふつうの波であると主張しているようです。しかし、写真4の後3分34秒間撮影しなかった撮影者が、水位が下がったところを撮影しようなどと考えて撮影するか、ましてや11秒間隔で2枚続けて撮影するかは、疑問です。人間の肉眼で動くものは遠くのものでも比較的はっきり認識できますが、これをカメラで撮影すると遠くの撮影対象はほとんど判別できないということがよくあります。空を飛ぶ鳥を普通のカメラで撮影したことがあればそのことが実感できると思います。撮影者は小さいながらに津波が来たのを認識して撮影したけれども、遠方であり津波の規模が小さかったために結果的にはっきりしない写真となったと解する方が自然でしょう。国会事故調は写真撮影者のヒアリングを希望して東京電力に対して再三にわたり撮影者情報の開示を求めましたが、東京電力がこれを頑なに拒否し続けたため、そのあたりを解明できませんでした。東京電力は、その後、新潟県技術委員会の撮影者ヒアリング要請に対しても「話を聞くための取り次ぎは致しかねます」と拒否しています(福島事故検証課題別ディスカッションの課題と議論の整理(平成26年2月6日現在)【地震動による重要機器の影響】(2014年2月11日の会合の配付資料1に含まれる)U-1-B:こちらから入手できます)。
 また、国会事故調の提出された写真ファイルに付いているExif情報によれば、写真5と写真6を含め津波が福島第一原発に達するまでの一連の写真の焦点距離は5.80mmです。これは、撮影したカメラ(Finepix F460)の使用説明書によれば35mmフィルム換算で35mmレンズに相当するとのことです。つまりこれらの写真は、標準レンズと言うにはやや広角寄りのレンズ、広い意味では広角レンズに属する撮影条件で撮影したものです。そして私が指摘する小さな津波が写っている防波堤の先は、撮影場所から約800m離れています。広角レンズでズーム機能を使用せずに約800m先を撮影した写真で「津波ではないふつうの波」が判別できるでしょうか。
 私の主張に対して、東京電力からは、波高計設置位置で波高が約4〜5mあった第2波(1段目)が敷地に近づく過程で波高が大幅に低くなることは考えがたいとか、写真5及び写真6の防波堤の先に写っているものが津波であるとすればその津波がその後敷地に近づくところが写っていない(写真5及び写真6と写真7とで南防波堤付け根部の水位に変化が見られない)のは不可解である等の批判がなされています(福島事故検証課題別ディスカッションの課題と議論の整理(平成26年2月6日現在)【地震動による重要機器の影響】U-2-A〜C:こちらから入手できます)。
 前者に関して、東京電力は、東京電力が2013年になって新たに行った津波再現計算(L67)や他の津波シミュレーションで波高計設置位置から防波堤近傍に至るまでの間に津波第2波(1段目)の波高は増幅していて減衰はしていないという主張をしています(図7参照:新潟県技術委員会課題別ディスカッション「地震動による重要機器の影響」(第二回)参考資料2:こちらから入手できます)。


図7 津波第2波(1段目)の波高変化についての東電主張

 東京電力は2013年になって行った津波再現計算の条件や結果の全貌を明らかにせずに都合のいい結果だけを切り出して示していると考えられますが、その点をおいて、これらの津波再現計算は地震の地殻変動量、検潮記録、津波遡上高、浸水域面積を考慮しフィードバックを繰り返して波源モデルを推定するものですが、実測値との照合は津波の何波目かも到達時刻も関係のない(わからない)最大遡上高と浸水域面積が重視されています。東京電力が2011年に行った津波再現計算では、北海道から千葉県までの全国の遡上高・浸水域面積(痕跡データ2820点)の再現が良好な「広域再現モデル(M24)」が福島第一原発敷地の遡上高・浸水域面積(痕跡データ19点)と整合しないので、福島第一原発敷地の遡上高・浸水域面積に合わせるために地震のすべり量を1.23倍した「発電所再現モデル(M45)」を採用しています。福島第一原発敷地の痕跡データだけで波源を変えてしまうというくらい遡上高・浸水域面積が重視されたのです。このような計算で得られる津波の時刻歴波形の信頼性はかなり低いものです。現に東京電力が2011年に行った再現計算(M45)では、そもそも波高計設置位置において波高数mの第2波(1段目)は再現されていません(図8-1参照:図8-1と図8-2の横軸は地震発生(14時46分18秒)からの経過時間(分)です)。東京電力は図7(M45は右端)ではどうも再現計算で過大に評価しすぎた第1波を第2波(1段目)と称しているようです(図7のM45の波高計設置位置での第2波(1段目)の波高が7.2m程度にされていますから)。


図8-1 東京電力再現計算(M45)波高計設置位置計算波形


図8-2 東京電力再現計算(L67)波高計設置位置計算波形

 東京電力が2013年に新たに行った再現計算(L67)でも、第2波(1段目)は4〜5mではなく6〜7mにも達していて(図8-2参照)、波高計設置位置での波形として十分再現されているとは言えません。
 このようにそもそも波高計設置位置で第2波(1段目)を実測データに見合うよう再現できていない再現計算がその後の波形変化を精度よく再現しているといえるかは疑問です。
 東京電力が2011年7月8日に原子力安全保安院に提出した津波再現計算(M45)では、波高計設置位置で急速に立ち上がる津波の最初の部分は、むしろ防波堤先端部に到達するまでに波高が減衰するという結果になっていました(図9参照)。この問題があらわになった後、2013年になって行われた再現計算(L67)では違う結果となっているそうですが、東京電力はなぜ以前とは違う結果が出ているのかをまず説明すべきでしょう。


図9 東京電力津波再現計算(M45)での波高計設置位置から防波堤先端部までの波形変化

 写真7に写真5と写真6の小さな津波が近寄ってくるところが写っていないという後者の指摘に関しては、私は現在のところ確定的な回答を持っていません。写真7の敷地付近に写真5と写真6の防波堤の先に写っている津波に相当する津波状の波が写っていないことは事実ですが、他方写真7の敷地付近(南防波堤の外側)の海は写真6と比較してやや荒れているようにも見えます(写真の解像度が低いので断定的なことは言いませんが)。
 私としては、現実に写真5及び写真6に津波が写っていて、その津波は広角レンズでズーム機能を使用せずに約800m先を写した写真でも判別でき、また撮影者が11秒間隔で2枚続けて撮影していることからも到底「津波ではないふつうの波」であるとは考えられず、小さいとは言え津波であったことは間違いないということと、写真撮影の経緯(写真に写っていない時間帯に何があったかも含む)については東京電力の拒否のために解明できなかったことが無念であることをコメントするにとどめておきます。

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8.3 写真7〜12の写真の波高について
 東京電力は、写真7〜12で港内にある高さ5mの東波除堤が終始露出していることを根拠に、写真7〜12に写っている津波の波高は数mであるとして、波高計設置位置で波高7.5mを超えるような第2波(2段目)ではあり得ないと主張しています。
 しかし、写真7〜12に写っている津波の波高は10mを超えていたと考えられます。
 福島第一原発を津波が襲う過程を撮影した写真は、これまでに検討してきた4号機南側から撮影した44枚組写真の他に、もう1組、5号機脇の高台から撮影した6枚組の写真が、東京電力により公表されています(撮影場所・撮影方向は図10参照)。この6枚組の写真は、国会事故調に提出されたファイルでもExif情報が削除されていて撮影時刻情報がなく、国会事故調が撮影者のヒアリングのため東京電力に撮影者情報の開示を求めましたが東京電力が頑なに拒否したために、やはりヒアリングが実施できず、撮影経過を解明できていないため、津波の検討に利用されてきませんでした。この6枚組の前半3枚を見てみましょう。以下、44枚組の写真と区別するために写真B1〜3と表記します。(これらの写真はこちらから入手できます)


図10 写真B1〜3撮影説明図


写真B1


写真B2


写真B3

 この3枚は連続して撮影されたものと考えられますが、Exif情報が削除されていますので、別の機会に撮影されたと主張される可能性もあります。写真の前後関係と写真そのものから検討を進めましょう。
 写真B1には、写真左側から右斜め方向に延びる北防波堤の先端部(写真右端)を写真の真ん中を水平に伸びる津波(中央やや右で波の先端が崩れ白くなっています)が越流していて、しかも津波の手前の海、港内の海が全く荒れていないことから、写真9と概ね同時刻に撮影されたものと判断できます(特に北防波堤の越流の範囲から写真9と概ね同時刻と判断しました)。つまり写真B1の津波は写真7〜12の津波と同じ津波と判断できます。
 写真B2は、北防波堤の5号機・6号機直前の部分を襲う津波を撮影したものです。この写真では津波がまさに防波堤を越えているところが撮影され、津波の先端は一部防波堤を越えて手前側に落ちて水しぶきを上げています。しかし、その津波が落ちて水しぶきを上げている領域よりさらに手前の部分(写真では下側の細い部分となります。写真B2-2参照)の海が全く荒れていないことから、やはり写真7〜12に写っている津波と同じ波であると判断できます。


写真B2-2

 もし写真B1、B2に写っている津波が写真15と写真16に写っている津波だとすれば、写真15の防波堤内手前部分(写真15-3参照)と同様に海が相当程度荒れているはずです。写真15と写真16に写っている津波の手前の海は、1分程度前に着岸した写真7〜12に写っている津波の防波堤越流の影響でこの時間帯荒れた状態が続いていたと考えられます。


写真15-3

 なお、写真11と写真12で南防波堤付け根部から防波堤内に津波が越流していますが、この南防波堤付け根部の高さが6.5mあるのに対して、北側の同様の部分は高さ4.1mしかありません(図3参照)。従って写真7〜12の津波が敷地直前で波高が高くなりあるいは溢れるような形で南防波堤付け根部を越流していながら、北側では同様の越流がなかったということは考えられません。その結果、北側(5号機・6号機側)でも、写真15と写真16に写っている津波が到達する手前の海は、南側(4号機側)と同様にその前の津波の防波堤越流の影響で荒れていたはずなのです。
 次に写真B3では、防波堤を破壊した波が写真7〜12に写っている津波同様に棚状ではなく山型の形状だということに加え、その後にさらに大きな次の波が来ていることも、写真11,写真12と同様です。
 以上の検討から、写真B2に写っている津波が、写真7〜12に写っている津波と同じ波であることは間違いないといってよいでしょう。
 日本政府がIAEAに2011年6月に提出した報告書(こちらから入手できます)は、図11の通りこの写真B2を図示して、「今回の地震による津波水位について、専門家は、東京電力より公開された津波の防波堤(10m)の越流状況の写真(図III-2-5 参照)に基づき、10m 以上と推定している。」と述べています(IAEA宛日本政府報告書V-29ページ)。日本政府がIAEA宛の報告書を作成するに際して意見を聞いた専門家はこの写真B2に基づいて、この写真に写っている津波の波高は10m以上と判断したのです。


図11 波高が10m以上と評価された写真(IAEA宛日本政府報告書の図V-2-5)

 そうすると、写真7〜12に写っている津波の波高は防波堤直前では10mを超えていたもので、写真7〜12に写っている津波の波高が数mであるとする東京電力の主張は根拠がないということになります。
 なお、波高10m超の津波がなぜ南防波堤及び北防波堤を越流しつつ東波除堤を越流しなかったのかという点については、私は、津波の形状が(東京電力が主張するような棚状の段波ではなく)山型であったこと、津波が防波堤に対して斜めに当たったこと、防波堤の形状が三角柱を寝かせた形で堅固であったことが効いていると考えています。つまり南防波堤と北防波堤は、津波が斜めに当たりかつ防波堤が堅固であったことから津波の防波堤高さ以下の部分は横に押し出され、防波堤高さ以上の部分だけが越流したけれども、津波の形状が棚状ではなく山型であったために越流した水量は大きくなく、その結果、港内には大きな影響がなかったと考えられるのです。港の開口部の形状及び向きが、津波が開口部を通じて港内に入り込みにくい位置関係にあったことも幸いしたと考えられます。他方、北防波堤の5号機・6号機直前部分は防波堤が立て板状で、しかも津波がほぼ垂直に正面から当たったので破壊されたと考えられます。津波の影響は波高だけで決まるわけではありません。

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8.4 写真7〜12に写っている波が第2波(1段目)とすることの不合理性
 8.2と8.3では、東京電力が、写真7〜12に写っている津波を第2波(1段目)とする根拠が誤りであること(要するに積極的な根拠がないこと)を論じました。ここでは、写真7〜12に写っている波を第2波(1段目)とすることがそれ自体誤りであることを論じます。
 東京電力がいうとおり、写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)であるとしてみましょう。写真11ではその波が4号機海側エリアに到達してしぶきを上げています。つまり写真11では第2波(1段目)の先端が敷地直前部、言い換えれば南防波堤付け根部に到達していることになります。写真1〜4は第1波が敷地直前部に押し寄せる様子を撮影したものであることが明らかですが、写真11の7分05秒前(写真1)〜5分38秒前(写真4)に撮影されていますから、南防波堤付け根部という同一箇所に着目すれば、第2波(1段目)の先端の7分05秒前から5分38秒前の津波を撮影していることになります。もし、津波が波高計設置位置の波形のままで順次福島第一原発敷地直前に到達したとしたら、写真1〜4は波高計の波形で第2波(1段目)の先端(急速立ち上がり部)より7分05秒前から5分38秒前の部分を撮影したことになります。これを図示すると図12の通りです。


図12 写真1〜4撮影対象説明図1(東京電力主張の場合)

 つまり、写真11に写っている津波が第2波(1段目)であるとすれば、写真1〜4は第1波のピーク前、水位上昇過程を撮影していることになってしまうのです。先に検討したとおり、写真1〜4では現実には水位が次第に低下しているのですから、写真11を第2波(1段目)とすることは、写真から明らかな事実に反することになります。
 ちなみに私が主張するように写真11に写っている津波が第2波(2段目)とするとどうなるかを同様に図示すると図13の通り、写真1〜4は第1波のピーク後の水位低下過程に該当します。


図13 写真1〜4撮影対象説明図2(私の主張の場合)

 では、波高計設置位置から福島第一原発敷地直前までの1.5kmで波形が変化したとすれば東京電力の主張を正当化できるでしょうか。
 単純にいえば、東京電力の主張を正当化するためには、例えば図14の破線のように敷地直前までの1.5kmの進行の間に第1波のピークと第2波(1段目)の立ち上がりの間隔が約1分30秒拡大する必要があります。


図14 東京電力主張に見合う第1波のピーク説明図

 そのような波形の変化はあり得るでしょうか。波高計設置位置での波形と敷地直前での波形は、それぞれの波が同じ海底・同じ距離を進行する間の動きですから、波が潰れたとかいうことでない限りはそれぞれの波の速度によって規定され、波の速度は、東京電力が全水深による計算が正しいと主張するように、波高が高いほど速くなります。そうすると、一般的には、波高約4mの第1波のピークとその後ろから進行する第1波よりも波高が高い第2波(1段目)の間隔は、波の進行につれて狭まりこそすれ拡大することは考えられません。
 東京電力が2011年7月8日に原子力安全・保安院に提出した津波再現計算(M45)でも、第1波のピークと第2波の立ち上がりの間隔は、波高計設置位置から防波堤先端部へと進行する過程で短くなるという結果になっていました(図9-2参照。なお、新しい再現計算L67でこの点がどうなっているかは、東京電力から示されていません)。


図9-2 東京電力津波再現計算(M45)での波高計設置位置から防波堤先端部までの波形変化

 別の言い方をすると、東京電力の主張では、写真1の撮影時刻は、15時28分46秒とされています。そして写真1〜4が水位の低下過程であること(6.2参照)から写真1〜4は第1波のピーク以降を撮影した写真と解するのが合理的です。第1波のピークは波高計設置位置を15時28分頃通過したのですから、写真1が第1波のピーク以降を撮影したものとするためには第1波のピーク部分は波高計設置位置から福島第一原発敷地直前までの1.5kmをわずか46秒、誤差幅を考えても1分足らずで進行しなければなりません。東京電力の計算では第1波よりも波高が高い第2波(1段目)が同じ距離を進行するのに2分21秒かかるとされているのに、より波高が低い(普通に考えればより遅いはずの)第1波がその3分の1程度の時間で進行したことにしなければつじつまが合わないのです。
 さらに、7.3及び7.4で指摘したように、東京電力は、津波の進行速度について所要時間を多めに見積もるやり方をしていると述べています。それを東京電力がいう実際に近いやり方に直して計算すると、第2波(1段目)の波高計設置位置から4号機海側エリア着岸までの所要時間が2分01秒になり、写真1の撮影時刻が15時28分26秒となります(表3)。東京電力の本来の論理に合わせて考えると、写真1が第1波のピーク後の写真であるためには、第1波のピークは波高計設置位置から敷地直前までの1.5kmを何と30秒足らず、より波高が高い第2波(1段目)の4分の1の所要時間で進行しなければならないのです。
 このように写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)であるとすることは不合理であり、無理があります。

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9.その他の若干の問題について
9.1 写真15〜16に写っている大津波の進行方向について
 写真15〜16に写っている大津波、つまり東京電力の主張では第2波(2段目)、私の主張では第2波(3段目)の進行方向については、東京電力は「全ての防波堤、波除堤を大きく越え、大きな時間差なく10m盤を浸水」としてほぼ東から西へと進行した図(図15)を示しています(「東京電力福島第一原子力発電所事故発電所敷地への津波到達時刻について」規制庁事故分析検討会第4回配付資料2-1 12ページ:こちらから入手できます)。


図15 津波の進行・遡上方向についての東京電力の主張

 しかし、私は、6.6と6.8で写真と図を示して説明したとおり、写真15と16に写っている大津波(私の主張では第2波(3段目))は、南防波堤の影響を受けて南東から北西方向へと進行したと考えています。これについては、写真15と写真16に写っている大津波の先端(前線)の位置を比較してその移動を考えれば明らかです。
 東京電力は結局1号機敷地への津波遡上時刻を明示していませんが、津波到達時刻を15時36分台としています(第1回進捗報告添付地震津波-1-22:報告書pdf194枚目)から、写真16の撮影時刻(東京電力の主張によれば15時36分42秒頃)後18秒以内に津波が1号機の敷地に遡上したと主張していることになります。
 図5-2で示したように、写真15と写真16の間の15秒間に津波の先端部が進行した距離と比較して写真16の大津波先端部から1号機敷地までの距離は最短距離で見てもその2倍程度あり、しかも10m盤への遡上には東波除堤、4m盤、10m盤を越える必要があり海上での進行よりも時間がかかると考えられます。そういう観点からも写真16から18秒以内に1号機敷地に遡上するという東京電力の主張には無理があります。

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9.2 プラントデータの分析問題あるいは「津波でなければ何が原因か?」
 東京電力は、自らの主張の論拠として、「プラントデータに関する分析」と題して、海水系ポンプの停止時刻等を論じています(第1回進捗報告添付地震津波-1-13〜21:報告書pdf185〜193枚目)。
 しかし、それらは、もしも各種の異常が津波によるとすれば説明しやすいということにとどまり、それ自体によって津波により異常が生じたことが確実なわけでもなく、それらの異常が発生する前に津波が到達しているのでなければその前提を欠く絵空事になります。
 この文章では、その津波の到達時刻自体が、それらの異常より後であることを論証しているのですから、プラントデータに関する分析として述べられていることは、理論的に本稿の論証に対する反証とはなり得ません。
 私は、全交流電源喪失の原因が津波でないならば何が原因かについては、結論を持っていません。それについては、本来的には、非常用電源に関する機器を現実に検査・調査して原因を究明すべきものです。その検査・調査をネグレクトして、津波によるとすれば都合がいいとかもっともらしいという見地から、他に原因を求められなければ津波によるというような判断をすることは厳に慎むべきです。

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9.3 東京電力第1回進捗報告の結論のまとめ方について
 東京電力の第1回進捗報告は、6.7で紹介したように、津波の写真等の検討では「写真18の前後には」原子炉建屋付近に津波第2波(2段目)が到達していたものと判断されるとしていて(第1回進捗報告添付地震津波-1-9:報告書pdf181枚目)、この報告書には他に1号機敷地への津波遡上時刻について明示的な判断をしている部分はありません。そしてこの報告書では写真18の撮影時刻は15時37分06秒頃とされています(第1回進捗報告添付地震津波-1-27:報告書pdf199枚目)。
 そうすると、東京電力の第1回進捗報告での1号機敷地への津波遡上時刻は15時37分06秒前後と認定されるのが、東京電力のこの報告書での論理の運びからみて常識的です。ところがこの報告書は、4m盤上の海水ポンプの異常発生時刻や、報告書で限定的な遡上であると明示している東京電力主張の第2波(1段目)による4号機南側敷地への遡上など、防波堤の内側の原子炉建屋のある敷地10m盤への遡上と直接的に結びつかない事象に15時36分台の数字を付けて羅列して、「当社は敷地への津波到達時間は15時36分台と考えている」と結論づけています(第1回進捗報告添付地震津波-1-22:報告書pdf194枚目)。これは極めて非科学的・非論理的なものというべきです。
 9.1の点もそうですが、8で論じた東京電力と私の最大の対立点をおいて東京電力の第1回進捗報告の論理で考えても、東京電力が論じているところからは1号機敷地への津波遡上時刻を15時36分台とすることは無理で、15時37分台にはみ出してしまいます。それを最後にむりやりに15時36分台と結論づけるのは、1号機A系の非常用電源喪失が15時36分台であることが否定できないので何があっても津波の敷地遡上時刻を15時37分より前にするという意図によるものとしか考えられません。

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(2014.2.24記)
2015.6.6リンク切れ対応

2014年4月28日の新潟県技術委員会でのプレゼンを経て最新版を作成しました。
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その5)

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