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【「出訴期限」(スコット・トゥロー)を題材に法解釈を考える】
一般の人々の多くは、法律が定めていることは明確なはずで、誰が判断しても同じ結論になるはずだし、そうでなければおかしいという考えを持っているように思います。
しかし、法律の規定を、現実の事件に当てはめる場合、必ずしもそうではないことがあります。そういったとき、法律実務家は何を考え、どのように対処するか、スコット・トゥローのリーガルサスペンス「出訴期限」(日本語版は2013年7月30日発行、原書は2006年)を題材に説明してみたいと思います。
《事件の内容》
1999年7月、当時15歳だったミンディ・デボイアーは、地元の高校の男子アイスホッケー・チームが開いたホーム・パーティに出かけ、ウォーノヴィッツからもらったラム酒とマリファナで意識を失った。これを見たウォーノヴィッツはチームメイト3人を呼び入れ、意識を失っているミンディを全員で犯し、その場面をすべてビデオ撮影した(11〜12ページ)。ビデオには手足をだらりと投げ出しまったく身動きしないミンディが腰から下は向き出しにされ片方の脚を肘掛けに乗せられた状態で、性器を見せ合って馬鹿騒ぎをする4人の男たちに暴力的に突き込むだけの性行為を受ける様子が映っていた(57ページ)。ビデオにはウォーノヴィッツがミンディの身体に婦人科的な視診を行った部分もあった(19ページ)。ビデオは、ウォーノヴィッツが仲間たちに向かって、ミンディを部屋から出せと指示し、「絶対にしゃべるなよ」と警告するところで終わっていた(12ページ)。
翌朝午前5時頃に意識を取り戻したミンディは、前夜自分の身に何が起こったのかよくわからなかった。セックスは未経験だがまったく知識がないわけではなく、何か乱暴なことをされたのはわかった。また、スカートが後ろ前になっていることにも気づいた。だが、昨夜遅くなってからのことは何一つ記憶がなかった。一番の親友と話すうち、ひょっとしたらレイプされたのではないか、という気がしてきた。だが、ミンディはまだ15歳で、大人をこの話に巻き込むのは気が進まなかったし、昨夜の外出先を白状するのもいやだった。彼女は自分なりにその傷を癒し、誰にも話さずに通した。(12〜13ページ)
時がたつにつれてウォーノヴィッツは大胆になり、カレッジのクラブの仲間にそのビデオを見せるようになった。そのビデオを見た新入生の中にデボイアー家とつきあいがある学生がおり、警察に話した。警察がビデオを押収し、ミンディがビデオを確認した後直ちに手続が採られ、2003年1月14日、ウォーノヴィッツら4人が起訴された。(13ページ)
こんな悪人絶対許せない!当然処罰できますよね?
気持ちはわかりますが、工夫が必要で、一筋縄ではいかないところがあります
《法律の規定》
さて、この州では、犯行後3年を過ぎてからの重罪の公訴提起は禁じられています(13ページ)。
ただし、被告人が隠蔽行為を行った場合には、その行為が犯罪の発覚を妨げた期間、出訴の期限は猶予されるとされています(111ページ)。
また、被害者が未成年の場合、18歳の誕生日から1年後までは犯罪を届けることが認められると定められています(58ページ)。
《問題の所在》
この事件の内容を読むと、おそらく大方の人は、ウォーノヴィッツら4人は当然起訴されるべきであり、有罪判決が言い渡されるべきと考えると思います。
犯行の一部始終はビデオに記録されており、ウォーノヴィッツら4人が犯罪を犯していないという余地はありません(このビデオが被害者ミンディの撮影許可を受けていないことを理由に違法な撮影物であるから証拠とできないというコール裁判官の主張(52〜54ページ等)は、ここまで来ると一般の方々は付いていけないでしょうから、ここでは議論の対象にしません
内容の悪質さと証拠の明確性からして、これが起訴されないとしたら正義に反すると、多くの人が考えると思います。
しかし、この法律の規定を単純に適用するとすれば、犯行から起訴まで3年6か月が経過していますから、出訴期限を守っていない起訴は違法となります。ウォーノヴィッツら4人が、積極的に「隠蔽行為」を行ったと言えるかどうかには、疑問がありそうです。そして、2003年1月14日には、ミンディは19歳3か月でした(58ページ)。
《裁判官たちの苦悩》
コール裁判官は、「そもそも出訴の期限というのは、時の経過とともに記憶が薄れ、証拠が散逸していくことに対する懸念から発生したものなのだ。今回は、犯罪を記録したビデオがあるのだから、その点を心配する必要はない」と主張しました(17ページ)。このように、法律の規定の目的と言いますか、そのような規定が定められた理由(法律家の業界では「立法趣旨(りっぽうしゅし)」などと言われます)から説き起こして、その趣旨に沿わない時は例外として適用されないという主張は、よく行われますし、それが説得力を持つ場面もあります。しかし、立法の動機や経緯がその通りであったとしても、規定の文言をまったく無視するわけにもいきません。このような主張は、規定の文言上微妙なケースや、特定の類型では全事件でその規定の適用を排除した方が正義にかなうという価値判断がなされるような場合でないと、裁判実務では通りにくいところです。この事件でのコール裁判官の主張を認めれば、出訴期限を超えた起訴が適法か違法かは事件の中身に立ち入って判断することになり、検察はイチかバチか起訴してみるということが可能になり、法律の適用はかなり不安定になってしまいます。日本の公訴時効の規定についても同じ議論がありうるわけですが、このような主張が裁判で認められることはまずないと言ってよいでしょう。
1審の裁判官は、「ミンディの年齢と経験を考慮すると、被告人たちがうまく隠したから、被害を届けられなかった」と判断しました(58ページ)。メイソン裁判官のミンディはレイプされたのかも知れないと気づいてはいたが、それを口外していないということならば、どうして被告人たちが犯行を隠していたことになるのかという疑問(58ページ)について、ミンディが幼かったという事情があるので、それに乗じたということで、犯行を隠したものと評価したわけです。これは、この法律の例外規定の、「隠蔽」と「未成年」という要素を考慮して、未成年要素があることで、「隠蔽」の解釈を拡げようとしたものと考えられます。
しかし、これについては、弁護人から、未成年を理由とする出訴期限の延長は19歳の誕生日までと法律で明確に定められていると反論され、コール裁判官もその主張は認めざるを得ないと述べます(58ページ)。ここでは、例外規定自体が明確に定められており、未成年を理由とする出訴期限延長は法律が考慮した上でそれを19歳の誕生日までと規定しているのであるから、未成年を理由とするそれ以上の出訴期限延長は法律の規定にも法の趣旨にも反するというわけです。これは、法律の規定の解釈としては、説得力のある主張と言えます。
また、1審の裁判官の法解釈に対しては、メイソン裁判官からもしビデオが犯行から4年後ではなく40年後に公開されたらどうするという問題提起がなされます(114ページ)。犯行直後に「レイプされたかも知れない」と気づいても、当時幼すぎたゆえに警察に被害届を出すほど事情を理解できなかったとして、ビデオを見て初めて犯行を知った、ビデオを隠蔽することが犯行を隠蔽することだと解釈してしまえば、ビデオが被害者の目に触れるまで出訴期間はいくらでも延長されることになります。これは、その法解釈がどこまで波及するかを考えたときに、明らかに不当な結論を導きうる場合には、やはり実務上はその法解釈は採用しにくいという考慮です。
《裁判官たちの選択》
これらの議論を経て、控訴審でのメイソン裁判長は、被害者の年齢と経験を考慮すると、被告人らの隠蔽策によって被害者は警察に確かな届出をするに必要な根拠を奪われたという1審の裁判官の判断を支持し、その理由として、被害者の年齢・経験を考慮に入れることなくしては被告人たちの隠蔽策が犯罪の発覚を妨げたか否かの判断を行うことはできない、被告人たちは被害者の年齢とその幼さが犯行の隠蔽に極めて有利に作用するであろうことを十分に理解していた、被害者はビデオを見た時にトラウマを負い現実的には犯行はその時に完結したというべきである、隠蔽による出訴期限の延長の規定が定められた動機には発覚した時に初めてその悪が感じ取れる犯罪にも法の効力を及ぼそうという考えが含まれていたと考える、犯行から3年10か月後の訴追は公正さを甚だしく欠くものではなく連邦裁判所の出訴期限が5年であるなど他の法域では容認される範囲内であるということを挙げました(257〜259ページ)。
1審の裁判官の法解釈の問題点を、隠蔽策が犯罪の発覚を妨げたか否かという評価のためには被害者の年齢・経験も考慮せざるを得ないという実務的な事情でカバーした上で、被告人も被害者の幼さを知っていたのだからそう解しても不当ではない、意識を失っている間のレイプの被害が実感されるのはレイプの事実を目の当たりにした時でありそれを知らせないことも隠蔽策であり犯罪の発覚を妨げていると評価する余地がある、3年を超えた期間も少しであり、他の州などでは本件程度の期間は出訴期限内の場合もあるということから実質的に見て不当ではないと、補強し、無限に拡張するものではないことも示しています。
論理的にはすっきりしないような気がするけど、ごまかしてないか
中途半端で玉虫色的でも一応の理屈を付けて妥当性を確保するのが裁判実務です
《まとめ》
このように、法律実務家は、法律の規定の文言を単純に適用すると不当な結論に至ると考えるときには、具体的な事件での妥当な結論を導きつつ、法律の規定の解釈としてその解釈が他のケースで不当な結論を導かないように一定の範囲に限定し、法解釈としてそれらしい根拠があり、実質的にも妥当であり不当ではないという理由付けができる法解釈を導き出すべく、悩むことになるのです。
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