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 本人訴訟はなぜ勝てないか(解雇事件編)

ここがポイント
 解雇事件では労働者の言動の絶対評価がポイントなのに、それを理解せずに、労働者と会社のどちらがより悪いか(相対評価)を重視して会社や上司の悪口を言いたがる人が多い
 労働者の裁判の場での言動が勝敗に直結することもあり、弁護士と役割分担が必要

    本人訴訟はなぜ勝てないか(解雇事件編)
 本人訴訟はなぜ勝てないか(民事裁判編)では、民事裁判一般について、私の経験(敗訴した本人訴訟の当事者からの相談、本人訴訟を予定している人や係争中の当事者からの相談、受任した依頼者との打ち合わせ等での依頼者の意見等)を踏まえて、本人訴訟はなぜ勝てないかについて、私が日頃考えていることを説明しました。
 ここでは、私が最も得意としている解雇事件について、解雇事件特有のポイントと私の経験を踏まえて、私が考えている、本人訴訟はなぜ勝てないか、を最近書いた小説「その解雇、無効です!3 ラブコメでわかる解雇事件」の事例を使って説明します。

「その解雇、無効です!3 ラブコメでわかる解雇事件」はこちらから→その解雇、無効です!3 ラブコメでわかる解雇事件

会社と自分のどちらが正しいか/どちらが悪いかが勝負の分かれ目と思い込んでいる
 解雇事件では、会社が主張する解雇理由とされている労働者の言動があったかなかったか、それが就業規則上の解雇理由に当たるか、そしてそれが解雇に値するような重大なことかということがポイントになり、基本的には、そこで勝負(解雇の有効・無効)が決まります。
 言い換えれば、解雇事件では、問題とされている労働者の言動の絶対評価(他の同様の行為をした労働者との相対評価が問題となることはありますが)がポイントであり、使用者・会社や上司との相対評価(労働者と使用者のどちらがより悪いか)は基本的に問題になりません。
 端的に言うと、会社の悪口をいくら言っても、それが解雇の有効・無効に影響することはまずなくて、裁判官からすれば、裁判の結果に影響しない無駄な主張をしている、さらに言えばこの人はそういう他人の悪口を言いたがる人なんだなという印象を持つことになるだけです。

 もちろん、すべての解雇事件で、使用者・会社を批判することに意味がないということではありません。
 実質的な解雇理由が別にある(会社側の主張は建前で本当は違うことが動機になっている)ということが、それなりに説得力を持って主張できる事案では、使用者、会社の問題点の主張をすることが、労働者に有利に働くことも期待できます。典型的には、労働組合を結成して会社に団体交渉を申し入れたら組合の幹部が解雇されたとか、そこまで露骨でなくても労働組合の活動家が狙いうち的に解雇されたような案件、会社が違法行為をしていてその内部告発をしたり、内部告発の準備をしているときに解雇されたような案件です。
 また、上司の業務命令や業務上の指示に従わないとか反抗しているということが解雇理由とされている場合に、その業務命令や指示が違法なものであったり不合理な無理なものであるということを主張立証することも、だからそれに従わないことに理由がある、無理もないことだということになれば、従わないことが解雇理由にならないので、裁判上有効です。
 
 しかし、そういう場合以外では、上司や会社が悪いという主張をしても、基本的には、解雇の有効・無効の判断に影響はなく、そこにいくら精力を注いでも無駄ですし、むしろ裁判官にはよくない心証を与えかねません。
 ところが、解雇された労働者本人は、多くの場合、解雇されたことや解雇の経緯に恨みを持っていますので、上司や会社の悪口を言いたくて仕方がないということが多いのです。そして、本人は、たいてい、上司や会社を悪くいうことが、相対的に自分を正当化することになって、自分に有利だと確信しています。
 後で説明するように、労働者自身の裁判上の態度も裁判官の判断に影響を与えるのですが、このような(会社の悪口を過剰に言いたがる)態度は、裁判官には独善的で思い込みが強く協調性に欠ける態度と受け止められる可能性があります。このような評価を受けることは、解雇の有効・無効の判断に、労働者にとって悪い方向の影響を与えかねません。

 なお、相手とどちらが悪いかという思考方法は、解雇事件の当事者に限らず、事件当事者一般、さらには世間一般に見られますが、このような思考方法を採るとき、たいていの人には、相手の言動は現実より悪くアンフェアなものと見え、自分の言動は現実より正しく公正なものと見えがちです。つまりたいていの人が言う相手と自分の公平とか均衡は、第三者から見ると著しく不均衡で自分勝手な評価です。しかし、本人にはたいてい、それは見えません。

 「その解雇、無効です!3」では、第3章の3で、会社の総務部長と弁護士の間のメールのやりとりを入手した梅野さんが、玉澤弁護士から、アクセス権限がないものに手を出すな、違法なことに脚を突っ込むなと諫められて「相手が違法なことをやっているときに、こちらばかりがきれいごとを言ってられない」と言い訳をします。弁護士としての経験上は、依頼者がこう言うとき、相手方の違法は推測に過ぎず、弁護士の目には無理な推測であることも多く、他方依頼者の犯す違法は現実ではっきりした違法であることが少なくないのですが。
 これに対して玉澤弁護士は「梅野さん、違法なことをする者はいつか報いを受けます。相手がどうだと言って自分の手を汚すのはやめましょう。心まで汚れてしまいますよ。それに、相手がということを言うとね、人間、相手がやることは違法で卑怯でアンフェアに見え、自分がやることはそんなに悪くはない、これくらいいいだろうって見えるもんですよ。目には目をって言いますが、そのハムラビ法典自体、その決まりがないと自分がやられたよりも厳しい報復をしがちだ、目を潰されたら命まで取ってやる、それで公平なんだと人は思いがちで、そういうことが横行したから、目を潰されたときは相手の目を潰すのが限度でそれ以上やっちゃいけないという決まりができたんですよ。当事者である自分がそれが公平だって思うことは第三者から見るとずいぶんと自分勝手な見方だというのが、ふつうなんです。相手との均衡って言い出したら、実際は全然不均衡なことを考えがちですから、そういう考えはやめましょう」と諭しています。

裁判官から独善的で協調性のない人物と見られるリスクを理解していない
 解雇事件では、使用者の主張する解雇理由となった事実の有無、その程度、それが使用者の業務に及ぼす影響、使用者の労働者に対する注意指導の有無やそれに対する労働者の対応(反省・改善の有無等)が問題とされることがよくあります。特に、解雇理由が労働者の勤務態度不良、業務命令違反、業務上の指示等に対する反抗的態度、協調性不足のような場合は、それが中心的な問題になります。
 裁判の過程で、労働者本人が、裁判上の主張内容、法廷や弁論準備の場での言動、態度から、独善的で思い込みが強く態度が悪い協調性のない人物だという印象を裁判官に与えてしまうと、解雇後に裁判官の前でさえそういう尊大で傲慢な態度を取っているのだから、在職中も、いや在職中はもっとそういう態度だっただろうと評価され、使用者側の主張通りの事実があったという事実認定をされやすくなります。そして、そういう人は(解雇理由となる問題がなかったという事案ならいいですが、労働者側にも一定程度は問題があったと認定された事案では)反省もしておらず改善も見られないから解雇が相当であった(解雇は有効)と判断されやすくなります。
 弁護士が付いている事件では、基本的に本人は期日に出席する必要がなく、そういうリスクは原告本人尋問の場と和解期日くらいですが、本人訴訟だと、毎回本人が期日に出席してその言動を裁判官に注視されることになります。

 「その解雇、無効です!3」では、第3章の1で、梅野さんの事件の担当裁判官が秩序維持を厳しく求める傾向にある亀菱裁判官と知ったときに玉澤弁護士が「本人尋問のときの態度だなぁ。これくらいたいしたことじゃないじゃないかって様子が見えると、反省の色がない、こういうやつを職場に戻せるかって、思われるだろうしな」と、危惧を示しています。また第9章の2では、亀菱裁判官の面接に備えて、玉澤弁護士が梅野さんが原職復帰したいという理由について、解雇が違法だからとか賃金がいいからという以外に本当の理由があるということを引き出し、狩野弁護士からは「裁判官の前で、自分は悪い点はないから戻るのが当然だとか、給料がいいからとか、言われたくないですよね」と言われています。

問題事実の解雇理由への当てはめの重要性が理解できない
 解雇事件では、使用者側から労働者の問題行動が指摘されることが少なくありません。その問題行動が、現実にあったのか自体が争いになることもありますし、あったこと自体はそのとおりだがその評価が問題となることもあります。
 そのときに、使用者側から主張された問題行動が犯罪のような場合、ふつうには労働者側に問題があるように見え悪い印象が生じやすく、労働者側は狼狽し、使用者側は得意げにたたみかける展開となりがちです。
 しかし、解雇事件で裁判官が関心を持つのは、それがどのような解雇理由となるのかという形で整理された事実です。そこを度外視して何か労働者が悪いことをしたというだけの事実を羅列した主張は、意外に裁判官の受けがよろしくありません。
 労働事件に慣れた弁護士は、使用者側のそういった情緒的な主張を即座に指摘して踏み潰すこともできますが、当事者本人は、法的な知識の面とともに自分が悪いことをしたと指摘されたことへの焦り等からそのことを冷静に指摘することは困難です。

 「その解雇、無効です!3」では、第7章の2で、使用者側から梅野さんの愛人が長らく金銭着服行為を続け、梅野さんもそれに関与しているという準備書面を提出されて劣勢に立った玉澤弁護士が、弁論準備の場で口頭で次のように述べ、リカバーします。
 「今回追加された解雇理由ですが、総務部員の黄嶺さんの着服行為に関しては主張として犯罪行為であることも明確ですし、まだこちらで検討はできていませんがそれに関する書証がたくさん出されていることもわかりますが、解雇理由としてはどういうご主張なんでしょう。原告が黄嶺さんと共謀していたとか教唆したとかそういうご主張なんでしょうか、また原告は黄嶺さんの着服行為を知っていたと主張されているのか、知っていたならいつから知っていたと主張されているのか、加担または関与したというのは原告はいったい何をしたと主張されているのか、主張を明らかにしていただきたい」
 ちなみに「その解雇、無効です!2」でも、第2章の2で、1審で解雇無効の勝訴判決を得た上見さんの事件で控訴審で会社側が玉澤弁護士も聞いていなかった上見さんの外国での少女買春等の問題行動を多数追加主張してきたのに対して玉澤弁護士が『本件は、解雇の有効・無効が唯一の争点であり、審理及び判断は、何よりも解雇理由(就業規則上の解雇事由該当性)を中心に行われるべきである。まるで人格的に「悪い人」であれば解雇してよいかのようにいう控訴人の主張は、世間話としてではなく裁判上の主張としては、誤りである』『控訴人は、解雇理由に該当する事実をまったく整理も特定もせずに被控訴人の悪口を書き並べているだけであるが、その内容は主として、被控訴人の少女買春や痴漢、盗撮を非難して信頼関係を構築できないなどと主張しているものであるところ、就業規則上の解雇事由としては、就業規則第31条第1項第4号の「勤務成績または能率が不良で就業に適さないとき」を挙げるのみである』『控訴人が少女買春や痴漢や盗撮をする被控訴人に女性の顧客も多い業務を任せられないとする理由は性犯罪を犯す者は女性客に対して着替えを覗いたり体に触ったりする恐れがあるということであるが、控訴人が、被控訴人の性犯罪をあえて記載した上で、被控訴人の勤務態度について直接見聞きしたことのみならず「噂」まで含めて書かせたアンケートにおいてさえ、被控訴人が女性客の着替えを覗き見しようとしたとか接触しようとした旨の記載はまったくなく、むしろ女性客の着替えの際の応対を回避していたという回答があるだけである。控訴人の主張は観念的・理念的なものにとどまり、事実の裏付けをまったく欠いている』『控訴人は、原審では被控訴人の勤務成績や勤務態度の問題など何一つ主張していなかったものであり、敗訴後に被控訴人への敵意を誘導して行われたアンケートでさえ、抽象的な嫌悪感や些細なことが記載されているだけであり、具体的で重大な問題は何ら指摘されていない』『ただの悪口の雑談と、解雇理由は、法的な意味もレベルもまったく異なる。控訴理由書の記載は解雇理由の体をなしていない』などの答弁書を書いて、情勢を逆転させています。

解雇が相当でないという主張を自分で言うことのリスクが見えていない
 使用者側が主張する解雇理由とされる事実自体がない(事実誤認、でっち上げ)という場合はさておき、解雇事件の多くは、使用者側が主張する解雇理由となる事実は、少なくともその一部は実際にあったが、それは解雇に値しない(解雇が社会的に見て相当とは言えない)という形で争われ、そこで勝敗が決せられます。
 この場合、労働者側にも一定程度は問題/落ち度があったが、解雇するほどではないという主張ですので、労働者側では、本人は反省しており同じことを今後繰り返すことは考えがたいという趣旨の主張もすることになります。
 ここで、使用者側の弁護士からは、労働者側のこの程度のことは使用者の業務に重大な影響を与えないとか、解雇するほど重大な事実とは言えないという主張に対し、そのような見方をすること自体が労働者が自らの業務や使用者の実情について十分な認識がないことを示しており従業員としての資質(能力適性)がないことを示しているとか、未だに反省していないことを示しているなどという反論がなされがちです。弁護士が付いていればというか、私はそう言われれば、それは代理人である弁護士が裁判の過程で解雇の有効無効に関して法的な評価をしているのであって、それと原告本人が業務のあり方としてどう考えまた事実について反省しているかとはまったく別のことであり、それをことさらに混同させる主張は不当である旨の反論をします。しかし、本人訴訟だと、事実について問題があることは認識しており反省もしているということと、その問題点は重要ではなく解雇に値しないという主張を同じ口ですることになって、印象がよくありません。
 使用者側の上記のような主張を真に受けて採用し、解雇を有効としている判決も見られます。おそらくはその裁判での労働者本人の態度が悪かったという事情があるのだと思いますが、使用者側のそういう主張が通りかねないというのも、解雇事件での本人訴訟にありがちなリスクかなと思います。

 「その解雇、無効です!3」では、第1章の3で、玉澤弁護士が、労働者側にも問題がある事案でもそれが解雇に値するほどでなければ解雇無効にできるし、それをすることが自分の仕事だと、狩野弁護士に説明しています。玉澤弁護士は事実として黄嶺さんの着服行為への梅野さんの関与を否定しつつ、梅野さんの本人尋問では、第12章の3で、狩野弁護士の危惧に反して、梅野さんには黄嶺さんの着服行為について自分に責任があると答えさせています。これも弁護士と本人の分担により、主張はしっかりと行いつつ、裁判官に梅野さんの人柄への好評価を与えるという実務的配慮です。

最後にひと言
 このように、私が経験上感じている解雇事件で本人訴訟をする方が敗訴している原因の多くは、一般民事事件全般での事情に加えて、解雇事件の基本構造(労働者の言動の絶対評価が基本であり、労働者と会社の相対評価ではない)を理解せずに、闇雲に使用者の悪口を言いたがること、解雇事件では労働者本人の裁判上の態度が解雇の有効・無効の判断に影響しやすいのにそれに無自覚に裁判官の前で独善的な態度を見せてしまうこと、解雇事件での構造上労働者本人と弁護士の役割分担が有効でありまた必要だという事情によるものです。
 もちろん、日本の裁判制度上、民事裁判に弁護士を付けることは義務づけられていませんし、弁護士報酬は安いものではありませんから、弁護士を付けずに民事裁判をするか弁護士に依頼するかは本人が選択することです。しかし、解雇事件では、その構造上、弁護士を付けて役割分担をすることが現実の場では重要な意味を持っていますし、解雇事件は、多くの場合その労働者の人生にとってかなり重要なものです。そういう事情を考えれば、私は、解雇事件は弁護士を付けた方がいいと、しみじみ思っているのですが(弁護士の助言におよそ聞く耳持たない人の場合は付けてもしかたないとも言えますけど)。

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