民事裁判での立証の成否は、事案の内容、双方の主張立証の出し具合等によってさまざま
直接的・決定的証拠がないときに、どうやって立証していくかは、事案の読み、証拠の評価等がものをいう
民事裁判では、裁判の争点に関係する重要な事実について双方の主張(言い分)が食い違う場合、当事者が自分の主張が真実であることの裏付けとなるような事実を主張し、裏付けとなる証拠を提出します。証拠は自分の主張を直接に証明できるものがあればそれが望ましいのですが、そういうものがなければ、自分が主張する事実があったと示唆するもの、そのような事実があったと考えるのが自然に思えるようなもの、相手の主張と矛盾しそうなものなどを探して提出し、それに基づいて自分が主張する事実があったと考えることが合理的である(相手が主張する事実があったと考えるのは不合理である)ことを主張し(論じ)ます。訴訟になる前に作成された文書等があればその方が望ましいですが、なければ陳述書を作成して提出したり、証人尋問、当事者尋問をすることになり、その証言等も証拠となります。このような双方の立証活動の結果、裁判所に提出された双方の主張と証拠を総合的に評価して、裁判官がどのような事実があったと認定できるかを判断します(その認定した事実を元にそれに法律等を適用して判決を言い渡します)。
具体的な事例での説明:親族間での借用証書なしでの多額のお金の交付が貸金か贈与かが争われた事例
このように言っても、現実にはどういうことになるのか、なかなかイメージできないと思いますので、現実の裁判のケースで具体的に説明してみます。
この事件では、親族間で多額のお金が渡され、お金を受け取った人が亡くなり、お金を渡した人が相続人に対して、貸したお金だから返してくれと求め、相続人はそのお金は亡くなった人が借りたのではなくもらったものだから返す義務はないと主張して、裁判になりました。お金を渡したことは争いがなく(預金通帳上明らか)、争点はお金を渡したのが貸したもの(金銭消費貸借)か、あげたもの(贈与)かの1点だけというシンプルな事件です。
このような場合、お金を渡した人と受け取った人の間で借用証書が作られていれば、通常は争いにもなりませんし、相続人が否定して争ってもよほど何か特別な事情が立証されない限り金銭消費貸借があったと認められます。しかし、このケースでは、借用証書は作成されていませんでした。親族間の場合、借用証書を作成せずにお金を貸すということはままあり、こういった紛争は時々見られます。
提訴時点での判断
私が相談を受けた際、原告の話では、長らく連絡していなかった従弟に他の親族のことで電話をしたら、癌で入院中で消費者金融に借金を負っており生活保護の申請をしているが認められず困っていると言われかわいそうに思ったこと、弟に300万円貸しているが返してくれないと言われ、従弟が持ち家を所有していることを知っていたことから、いざとなればその弟から返してもらうか持ち家があるので取りっぱぐれることはないと思い、300万円までなら貸してもいいと話し、その後借金の返済費用や病院代や生活費として半年間に5回送金し、その合計は270万円になる、電話での会話の録音はなく、メールでお金を受け取ったことについてのお礼の言葉はあるが返済についての記載はないということでした。
原告は、従弟が亡くなる前日に病院を訪れ、病室外で相続人となる被告(亡くなった人の弟)に270万円貸しているので借用証書を書いて欲しいと求めたところ、被告が「借りたのはでも兄貴ですよ」と答え、その録音を持っていました。原告は、これが決定的な証拠だというのです。被告が、「借りた」という言葉を発してはいるのですが、この録音では、親族から貸したと言われて、まさか嘘を言うとは思わなかったのでそれを前提に自分が借りたのではないと言ったにすぎないというふうに言われてしまえばそれまでです。被告の発言が、「借りていることは兄貴から聞いています」だったら、決定的な証拠になるのでしょうけれども。その上、この録音では、借用証書の作成を求めたのに結果として借用証書は作成されていません。それについてどういう説明がなされるでしょうか。原告側では死にかけている従弟にそんなことを言うのは忍びなかったということです(それで従弟が死んだときに相続人となる被告に対して書いてくれと言っています)。しかし、この録音から翌日に亡くなるまでに何があったかはわかりません。この録音の後に本人に聞いたら借りてないと言われたなどと主張されたら、裁判上はかなりやっかいなことになります(本当にそういう主張をされたら、カルテや看護記録を取り寄せて本人がそんなことを判断したり言えるような病状だったのかなどを検討して対応することになりますが、原告は相続人ではないので裁判外でカルテや看護記録を取り寄せることはできず、何が書いてあるかわからないものを裁判所経由で取り寄せるというリスクを取ることになります。逆に被告は相続人なので裁判外で取り寄せできます)。
そういった事情を踏まえ、私は、訴状段階では、貸したということについての直接の主張は電話でのやり取り(書証はなく、後日原告本人尋問で立証予定)と送金の事実(通帳及びご利用明細票)を記載し、間接的な事実としては原告が従弟と近年は特段の交際がなかったこと(多額の金を贈与するような関係でないこと)、従弟が被告に300万円を貸していると聞き、また従弟が不動産を所有していること(不動産登記簿謄本)から回収が見込めると判断したことを主張し、通帳、ご利用明細票、不動産登記簿謄本等を証拠提出しました。
この時点では、率直に言うと、見通しとしては五分五分で訴訟の展開と担当裁判官の感覚次第と思っていました(原告本人にもそう伝えた上で受任しました)。
裁判の展開
その後、原告と亡くなった従弟が多額の金を贈与するような親しい関係になかったことをより具体的に主張するために、過去の2人の間のできごとを可能な限り詳しく書き出すように求めたところ、原告から、お金を貸す1年余り前に、亡くなった従弟が墓地管理料を長らく滞納していることがわかり、話し合って原告が10万円を立て替えて菩提寺に支払い、そのときも借用証書等は作らず、返済口座を知らせたらすぐに入金されたことがあり、そのメールと通帳があると言われました。
また、被告からは裁判上、亡くなる前年(亡くなったのは1月下旬)に亡くなった人が原告から金銭の援助を受けていると言ったのを聞いていた(贈与と聞いていた)、借金がないと認識していたから相続放棄しなかった(原告からも借金のことを聞かされていなかった)という主張がなされました。
そこで、私は、以前10万円を借用証書なく貸して返済されていること(借用証書を作成せずに貸し借りする関係であったこと)、当時の原告が年金生活者であり所得が低いこと、亡くなる前日の会話で被告が原告から借金の存在を指摘され相続したら返済義務があるとまで言われていること、亡くなる前日に借金の存在を指摘された際に被告からそれは贈与だと聞いている等の指摘が一切なされなかったことを主張し、10万円に関する通帳と電子メール、原告の課税証明書、録音反訳書を提出しました。
亡くなる前日の録音は、訴訟前は貸したことの立証にならずかえってリスクがあると判断しましたが、被告がそれ以前(前年中)に贈与と聞いていた、亡くなるまで原告が借金の存在を言わなかったという虚偽の主張をしたので被告の主張が虚偽である明確な証拠となり、被告側が亡くなった前日に借金の存在を聞いて亡くなった本人に確認したが贈与だと言われたという主張をする余地がなくなった(そういう事実があったのなら、それを言わずに前年中に聞いていたなどという主張をするのは不自然)のでリスクもなくなったと判断して提出しました。
被告からその後に、亡くなる2週間余り前の日付で被告の妻が原告に経済的援助を受けていて感謝するというメールを送信していたという書証が提出されましたが、それに対しては原告が従弟がよそから借金をしていたが自分が貸して精算したので安心して欲しいという趣旨のメールを送って、それに対する被告の妻の再返信では借りたものではない等の応答はなく単に感謝の意が示されていたのでそれらのメールを提出しました。事前にこれらのやり取りがありながら、亡くなる前日のやり取りで原告から借金のことを持ち出されて贈与と聞いているというような反論がなかったのですから、お金を受け取った亡くなった人が生前に贈与と考えてそれを被告に伝えていたという主張はさらに無理筋のものとなりました。
双方の主張立証が尽きたところで原告本人尋問が行われ、貸付け(返済)の約束やその経緯、動機等を原告が具体的に述べました。
裁判所の判断:判決の認定
それらの主張立証を受け、裁判所は判決で、電話での金銭消費貸借の合意の成立を認め、借用証書が作成されていないことについては一般に親族間の金銭消費貸借においては口約束のみで借用証書が作成されないこともあること、原告と亡従弟が従兄弟同士であり、かつて口約束のみで立替をして滞りなく返済されていたことから原告が借用証書の作成を求めなかったとしても不自然とはいえず、借用証書がないからといって金銭消費貸借でないとはいえないとして、原告の請求を全部認容しました。
検討
訴訟の経緯を見てわかるように、裁判での事実認定は、双方の主張と証拠の出し方によって変わってきます。訴訟提起時点では五分五分と見ていたものが、その後新たな証拠が発見されたり、相手方が虚偽の主張をしてうまくそれが虚偽だと立証できたということで、1審の終盤ではもう十分な立証となっていました。
相手が虚偽の主張をしなかった場合、また主張のポイントを別のところに置いた場合には、別の結果となった可能性もあります。実はこの事件は被告から控訴され、控訴審で和解協議の際に裁判官からこちらには、そう簡単な事件とは思っていない、経過からして原告は本人の生前の回収は考えていなかったはずだから、親しくない相続人に示すために借用証書を取る方が自然だろうという示唆を受けました。こちらが和解を拒否したところ被告側が控訴を取り下げて確定したので、高裁の判断は示されていませんし、被告側が控訴を取り下げたということからして高裁の裁判官は被告側には判決を受けても希望がないと示唆したと推測できますから、高裁が1審と反対の判断をしたとは思いませんが、借用証書を作成せずに大金を貸すことの自然さ・合理性を議論するのに、そういう見方もあり得るわけで、相手方からそこに重点を置いて主張されていたらよりきわどかったかなと思いました。
事実関係として、原告と従弟の過去の関係で、10万円の立替がなかったらどうか、逆に少額でも贈与していたらどうか、何か原告が恩義を感じることがあったらどうか、原告が資産家だったらどうかなど、判断に影響するような要素はたくさんあります。
まとめ
このように、現実の民事裁判での立証は、争点と関連する事実の実情と証拠のあり具合、さらには主張と証拠の出し方によって、その成否が変わってきます。どのような事実なり情報が決め手になるか、決め手と言えなくても有利に働くか不利に働くかは、事案の具体的内容とそれまでの双方の主張立証によって大きく変化します。従弟に借用証書を作成せずに270万円を貸したときに金銭消費貸借の合意が成立したと認められるのはどのような場合かというようなことを定式化して示すことはできません。そのケースの個別事情を検討して、手持ち証拠を評価し、相手の出方を見て(予想して)、今この訴訟でどうするのが一番よいかを考えていくのが、民事裁判での立証の実情です。そして、それを考え抜いてうまくこなしていくのが弁護士の仕事なのです。
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