かつて債務整理は手間がかかるが金にならない仕事で、一部の献身的な弁護士と悪質な「提携弁護士」がやっていた
弁護士会が主導して、多重債務専門の法律相談センターをつくり、統一基準作りや集団訴訟を通じて債務整理と過払い金請求の途を拡げた
過払い金請求が簡単になると後からやってきて大量宣伝する事務所などが群がった
弁護士会と歩調を合わせてやってきた弁護士は、愚痴を言いつつ、手抜き仕事をする人がいるのを見かねて続けている
私が、債務整理の仕事を日常的にするようになったのは1998年、東京の3つの弁護士会(東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会:東京に3つの弁護士会がある事情はこちら)が共同で、日本で初めての多重債務問題専門の法律相談センターを四ッ谷に設けたときからです。それ以前は、弁護士会の法律相談などでたまたま多数の貸金業者からの借金にあえぐ人の相談を受けたときに依頼を受けてやったことはありましたが、数件止まりでした。
その頃、多数の貸金業者から借金をして返済ができなくなって困っている人の債務整理は、例えば宇都宮健児さん(元日弁連会長)に代表されるような貧しい人たちのために高利貸しと闘うひと握りの弁護士が一生懸命やる一方で、事件屋とか整理屋と呼ばれる怪しげな人物が事務長とか事務員として仕切って弁護士会では無名の(弁護士会の仕事なんてまったくしないような)弁護士を看板にして弁護士は依頼者と会いもしないか会っても数分という状態で利息制限法に引き直しもしないで貸金業者の言い値での分割和解をするだけの依頼者を食い物にするような事務所(弁護士業界では「提携弁護士」と呼び習わされていました:事件屋や整理屋などの弁護士でない者と提携しているという意味です。実際には弁護士の方が使われていたようですけど)が幅をきかせていました。
こういった提携弁護士による被害を食い止めるとともに、一部の良心的な弁護士に負担をしわ寄せしないように弁護士会として多重債務者の救済に取り組もうということになって、1998年に四ッ谷に多重債務専門の法律相談センターを開設したわけです。
ところが、当時は、その相談員を募集しても人が集まらない状態でした。多重債務者の債務整理という仕事は、1人の依頼者で数社とか十数社の貸金業者と交渉しなければならず、しかも当時は貸金業者も今よりずっと攻撃的でしたし電話に追われて大変な上、依頼者は借金まみれですから弁護士費用もあまり取れないし取りっぱぐれの可能性が相当あるということで、めんどうで金にならないというのが普通の弁護士の感覚でした。それで、相談センターの事務局職員が困っていることを聞かされて、第二東京弁護士会の法律相談センター運営委員だった(今も委員ですけど)私は、つい気軽に、足りないんなら協力するから適当に割り当てといてと言ってしまい、気がついたら月1回相談担当を割り当てられていたのです。
当時の四谷法律相談センターは、1回の相談担当(午前だと2時間、午後だと3時間)で、4件から6件の相談を受けて、ほとんどの相談者から債務整理の依頼を受けるという状態でしたから、毎月4件程度の債務整理の事件を新たに受けることになりました。最初のころは、貸金業者は取引履歴を素直に開示しないし、それでも貸金業者からさっさと払えとか和解案を出せとかいう電話が殺到し、こちらが取引履歴を開示しないと和解案は出さないとかいうと電話で怒鳴り合いになり、大変でした。ただ、慣れてくると、こういう事件は数件だけ持っていると大変ですが、パターン化されるので、対応できるように整理すると数十件あってもこなせる(もちろん、弁護士が全件自分でやるという前提ですよ)ものだということはわかりました。
弁護士会の方でも、法律相談センター運営委員会のクレジット・サラ金部会(弁護士会内では「クレサラ部会」と略されます)が中心となって、最初の取引からの全取引履歴の開示を受ける、利息制限法に引き直して債務額を確定する、和解案は最終取引後の利息や将来の利息をつけないで提案するの3点を東京三会統一基準として決定し、弁護士会としてこの基準の実現を図ることを打ち出し、取引履歴を開示しない貸金業者に対してはクレサラ部会を通じて監督官庁に行政指導を求めるという活動を続けました。また、個別交渉や個別の訴訟では過払い金の返還に応じない貸金業者の態度を崩すため、主立った消費者金融業者に対して、弁護士会で呼びかけて集団で過払い金返還請求訴訟を提起し、クレサラ部会の主要メンバーが裁判の進行を担当するという活動も行いました(私は、クレサラ部会のメンバーではありませんでしたが、アコムに対する第2次集団訴訟を担当させられました)。そういう活動が功を奏して、次第に貸金業者側でも東京三会統一基準に沿った行動をするようになり、取引履歴の開示も多くの消費者金融では比較的スムーズになされるようになり、過払い金返還請求も訴訟提起しなくても交渉で解決できることが多くなっていきました。
私個人としては、四谷法律相談センターで否応なく次々と受けることになる債務整理事件をこなし、その中で過払いの事件はその回収をし、素直に返還しない業者には裁判を起こしということを続けるうちに「過払い金返還請求の話」(最近は、詳しくなりすぎて、同業者の読者が多いようです。初めて会う弁護士に自己紹介すると、「先生のサイトで勉強させてもらってます」とかいわれることが増えました)で書いているようなノウハウと経験を得ていったわけです。最初は貧しい人たちのための闘いであり、また弁護士会へのご奉仕だったものが、弁護士会とさまざまな弁護士の努力の結果、過払い金返還請求が容易になって、いつしか債務整理や過払い金返還請求は効率のいい儲かる仕事になっていったのです。
今や過払い金請求事件は奪い合いに(-_-;)
さて、そうなってくると、債務整理をうたって電車の車内広告や、さらには弁護士業界では未曾有のテレビ広告まで打つ法律事務所が出てきました。弁護士会では(特に努力してきたクレサラ部会のメンバーなどの間では)、みんなが苦労しているときには何も貢献しなかったのにと眉をひそめる人が多いですし、過払い金返還請求訴訟を弁護士の儲けの道具と捉えて過払い金請求権者側に冷たい視線を送る裁判官が増えているように感じられます。
債務整理事件を労多くして実りの少ないものとしてほとんどの弁護士がやりたがらなかった十数年前とは隔世の感がありますが、今は、そういった資金力にものを言わせて大量広告を打つ事務所でも、また全然経験のない新人弁護士でも、過払い金返還請求の事件は競って受けたがる事件になっています。弁護士だけじゃなくて司法書士も多数手を挙げ、宣伝も打っています。そういうことのためか、弁護士会の法律相談センターに来る多重債務(債務整理・過払い金返還請求)の相談は激減し、四谷法律相談センターも閉鎖されました。これだけやりたい弁護士がいるんだから、過払い金請求の事件はそういう人たちに任せればいいんじゃないかという気がしてきます。
そして、依頼者側も変わってきたように思います。昔は、過払い金返還請求など思いも及ばず、ただ借金の返済が少しでも楽になればとか借金を少しでも減らせればと思って相談に来た人が、ふたを開ければ過払いだったという依頼者がほとんどでした。そういう人たちの場合、もう借金はこりごりと思っているので貸金業者の信用情報への記載はむしろなされた方がいい(借りたい誘惑があっても借りられないから)という考えが多数派でした。私たち弁護士も、新たな借金はしないという約束で、多重債務から抜け出すためにがんばろうという人のお手伝いをしてきたわけです。ところが最近は、今後も借金ができるように信用情報に傷をつけずに過払い金請求したいとか、借金を始めて3年とかくらいでもう過払いじゃないかと期待して相談に来たり(特に今から3年前からだったら約定利率が利息制限法の範囲内というケースが多いので約定残があるようなケースで過払いというのはほとんどない)、手っ取り早く過払い金を回収したいと初めから過払い金を当てにして相談に来る人が多くなっています。そういう依頼者の事件は、昔のように多重債務の苦しみから抜け出し立ち直るお手伝いをしたという充実感を弁護士としても感じられません。
さて、今の思いは・・・
ただ、最近でも、別の事務所に相談したけど、〇〇以上は無理と言われたが、本当かというような相談を受けて、取引履歴等と照らし合わせてみると、ちゃんと裁判をやればずっとたくさんとれるのになぁと思うケースが少なくありません。そういう杜撰なというか、やる気のないというか、貸金業者のいいなりの処理をしているところがあるのを見ると、まだ足抜けできないよなぁと思ってしまいます。
昔気質の弁護士としては、陽の当たらない分野が花形分野になったことに当惑し、自分の役割について思案に暮れながら、この業務を続けているというのが実情です。
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