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  私の読書日記  2006年7月

35.海に眠る船 コロンブス大航海の謎 クラウス・ブリンクボイマー、クレメンス・ヘーゲス ランダムハウス講談社
 航海士としては一流、総督・政治家としては無能だったコロンブスの経歴、航海の謎を追うノンフィクション。コロンブスの航海に使われた船は発見されていなくて、大航海時代に多用された「キャラベル船」は現物はもちろん図面も残されていなくて、古代ギリシャやローマの船よりも情報がないそうです(20頁)。最近パナマのノンブレデディオスで発見された沈没船がコロンブスの「ビスカイナ号」かもしれないが証明はできないだろう(340頁)と言われているそうです。コロンブスの出自も謎で、この本では1451年ジェノバ生まれと結論づけていますが、「エスニック・グループの名前を1つ、ランダムに挙げてみてください。コロンブスがその少数民族の出身だという本が必ず図書館で見つかります」(241頁)だそうです。そのコロンブスの謎を、沈没船と文書保管所の記録から追いかける人々の物語とコロンブスの航海日誌と手紙、同行者の手記などの物語を交えながら解き明かしていくという趣向の本です。死後数世紀は英雄として、最近数十年は虐殺者・侵略者として語られるコロンブスをどう評価するかについて、著者と訳者は中立を意識しているようですが、現地の住民と話が通じていたら太平洋も発見できていたのに(264〜274頁)というあたりの記述にも、「場合によっては、現在のアメリカ大陸がコロンビア大陸と呼ばれたかもしれないのである。」(231頁)というあたりにもコロンブスへの同情がありありです。多くの人に語らせる形で中立を装いつつ、結局は記者の視点を語っているのは、ジャーナリズムの常套手段で、全体としては私にはなお美化の側に振れていると感じられましたが、それを意識した上で読めば、知らないことが多く読み物としては楽しめました。

33.34.葉隠T・U 山本常朝 中公クラシックス
 さて、葉隠です。佐賀鍋島藩士山本常朝の語りを田代陣基が筆記・編集した武士道書だそうです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」「武士は喰わねど高楊枝」で有名なやつです。
 武士の心構えとしての忠孝とか、死ぬ気で戦えば勝てる可能性が大きいし斬られて死んでも恥ではないというような特攻隊的精神論が目を引きます。教訓の最初が、武士道というは死ぬことと見つけたり(T14頁)ですし、いやしくも武士たる者は武勇にかけては自分以上の者はないというほどの心を持っていつでも死物狂いの覚悟が大切である(T151頁)とか。渡船の中で小姓が酒に乱れて船頭と争い船から上がると刀を抜いて打ちかかろうとしたところを船頭が先に竿で頭を叩いたら、「たとえこちらに非があっても、いやしくも侍が頭を打たれた以上、詫びを言うどころのことではない。詫びを言うような格好をして相手に近づき相手の船頭を切り捨て、同時に酒乱の小姓も切り捨てるのが本当だ。」(T119頁)なんて、かなりひどい話もあります。「詫びを言うような格好をして相手に近づき」なんてかなり卑怯。
 でも特攻隊的な精神論は必ずしも多くはありません。武士の心がけでも、「武勇にすぐれた者と美少年は、自分こそは日本一だと大高慢でなければならない」と言ったすぐ後で「しかし、道を修行する一日一日のことでは、己の非を知ってこれを改める以外にはない。このように心の持ち方を分けて考えないと、埒があかない。」(T148頁)と諫めてみたり。全体としては、意外に現実的な処世訓が並べられています。主君への絶対的な忠を説いているのに、養子の不忠者に意見するときには「お前の養父は長患いだというではないか。長いことではない。わずかの間の孝行だ、逆立ちしてでも容易なことであろう」と説得してみたり(T57頁)。
 忍ぶ恋が最高で、生きて命がある中に自分の恋を打ち明けるのは深い恋ではない(T148頁)なんて何度も言っているのに、「美少年」が出てくるように男色はうまくやれなんですね(T113〜117頁)。
 話のスタイルは、師の折々の話を羅列する形で、必ずしもまとまってはいません。論語みたいなスタイルです。
 たくさんあることもあって、矛盾を感じることもしばしば。「気に入らないことがあるといって、役目を断り、引退するなどということは、お家代々に仕えてきた家来として、主君を二の次に考えていることになり、謀反と同様だ。」(T104頁)と言っていたのが、別のところでは、「何の理由もなく同僚の者に先を越されて、自分がその下位に立ったとき、それを少しも気にかけないで黙って奉公をつづけてゆく人もある。また、それを情けないことだと思って意見を申し立てて引退する人もある。どちらがよいかと聞かれると、それは時と場合によると言わなければなるまい。」(T151頁)とか。
 葉隠自体は前書き(夜陰の閑談)+11巻で構成されていますが、3巻以降は鍋島藩の藩祖や先代の言行録とか言い伝えられたエピソードの羅列で、テーマごとの整理はされていません。3巻以降にも教訓となる話もありますが、そうとは思えない話が多いです。人生論として読むのは2巻までで、後は鍋島藩や葉隠の研究でもするつもりでなければ、読み通すのはかなりの苦痛を要します。
 人生論としてみても、上下のはっきりした縦社会での処世という観点では意味がありそうですが、主君の批判は表沙汰にしないということが繰り返し強調されていて、臭い物に蓋で組織を守るという方向に行きそうで、疑問ありです。

32.すぐわかるヨーロッパ陶磁の見かた 大平雅巳 東京美術
 ヨーロッパの歴史的な工芸美術品としての陶磁器の写真付き解説です。私は絵は好きなんですが、これまで陶磁器はあんまり興味なかったんです。でも、こうやって眺めると陶磁器の絵や彫刻もいいもんですね。スペインとかドイツにとっても美しい陶磁器の伝統があるなんて知りませんでした。ゆったりと眺めるとリッチな気分に浸れます。実は、今日都庁の貸金業規制課でのクレサラ相談の担当だったんです。で、たまたま今日は相談者なしだったもので、そこで読んでいたんですが、都庁の職員が電話でヤミ金とやり合っている声をバックに読んだので、優雅な気分ではいられませんでしたけど・・・

31.絵ときでわかる計測工学 門田和雄 オーム社
 機械などの製作や運転に使うさまざまなデータの計測方法について紹介した本です。さまざまな測定器の基本原理としくみを図示しているので、入門書としてはとても便利です。たださまざまな方面に手を広げすぎて、それぞれの測定器の解説が簡単に過ぎるのが難点。具体的な測定のポイントとか測定器の扱い方とかも図を入れながらもう少し踏み込んで解説してもらえるともっとよかったのですが。

30.宇宙のみなしご 森絵都 理論社(フォア文庫)
 グループに入らない中2の少女が、人気者の弟との秘密の遊びの延長で始めたささやかな冒険(夜中に他人のうちの屋根に登る)を通じて、グループの中で仲間はずれにされている少女、世紀末の大戦のために選ばれた戦士というオタク少年と交流しつつ成長するお話。お話は学園生活とそこから少しだけ逸脱したささやかな冒険の範囲で進んでいき、そのなかで自分のことしか見えなかった少女が友達のことを考えて行動するようになります。方向は若干の逸脱行動から社会ル−ルへの適応へと健全に向けられています。そのあたり、なんか文部省推薦とか付いちゃいそうな感じがしておもしろくなく思えるかも知れませんが、無難に暖かな気持ちになれる作品です。
 芥川賞・直木賞とも児童文学出身の作家が取ったことで、児童文学出身の作家がなぜ受けるかが話題になっています。私は、文学・小説に対するニーズが変わったのだと思います。本が貴重なもので、数少ない作品を何度も読むとか、1作品を人生の糧にするなんてことが求められた時代には、難しい作品にステイタスがあり、また難しくても買われたのだと思います。しかし、今は文学・小説も大量消費される娯楽の1つ。もちろん、今でも昔と同じニーズはあると思いますが、数としては娯楽のための読み流しが主流だと思います。私自身、学生の頃は高橋和巳とか柴田翔とか、重い暗いものを好んで読みましたが、社会人として大量に流し読みするようになると、基本的には読みやすくて前向きになれるものがいいと思うようになりました。児童文学では、当然に読みやすさが強く求められますし、ストーリーもあまりこねくり回さないことになります。そういう作品が、今のニーズに合っているのだと思います。

29.オートフィクション 金原ひとみ 集英社
 タイトルは自伝(autobiography)とフィクションを合体した造語で、自伝的創作の意味だそうです(63頁)。むしろ日本の文壇では「私小説」が尊ばれてきたのですから、そういう趣向自体は保守本流とも言え、それを自伝的「創作」なんて断りを入れるのは、著者の逃げのようにも見えます(ひねくれ者の思考ですね。著者の倍年取ってますから・・・)。現在を示す22nd winter から 18th summer 、16th summer 、15th winter と遡っていきます。最初の22歳は、作家の設定、とぼけぶり+二重人格ぶりから、読んでて筒井康隆ふうのパロディかと思いましたが、18歳まで来て、なんだ、純文学してるんだと気づきました。傷つきやすくて、自分勝手で、自信がなくてパニクりやすくて、切れやすい、第三者としてはできれば関わりあいたくないイヤな女。でも内側から見ると切ない女。16歳の頃が一番強くてしたたかに読めるのは、15歳の頃と22歳の頃がむしろ近く思えるのは、著者の意図でしょうか、私の読み違いでしょうか。学生の頃に読んだら、たぶん、切なさを共有できたんでしょうけど、社会人の趣味の読書としては、疲れるなあと思ってしまいます。いわゆる放送禁止用語満載で、電車の中で読むの気恥ずかしかったし。

28.インドの歴史(ケンブリッジ版世界各国史) バーバラ・D・メトカーフ、トーマス・R・メトカーフ 創土社
 ケンブリッジ大学出版の世界各国史シリーズのインド近代史。ムガール帝国時代からイギリス植民地時代、独立・国民会議派政権を経てBJP(インド大衆党)政権に至るまでをカバーしています。ケンブリッジ大学出版の企画です(書いたのはカリフォルニア大学の教授ですが)が、次のような注目すべき指摘をしています。イギリスによって植民地化される以前のインドでは、ヒンドゥーとムスリムは決して自意識過剰な宗派団体として対立していなかった。また、自給自足する村落、硬直したカースト制度、沈滞した国といったインドのイメージが生じたのは、インドがイギリスによって植民地化された後だった(47頁)。イギリスが植民とを統治する新たな法制度を作る際に、ヒンドゥーとムスリムは根本的に異なるというへースティングズ(東インド会社初代インド総督)の主張によって、さまざまな宗派や伝統・習慣が混在するインドの地域社会が、原典にもとづいて画一的にヒンドゥーとムスリムに大別されるようになった。さらに、これが契機となって、ヒンドゥーとムスリムの相違がインド社会の最も重要な特徴だという考え方が生まれ、のちのインド国民の帰属意識の形成に決定的な役割を果たすことになる(89頁)。1990年代のインドでヒンドゥーとムスリムの深刻な紛争が繰り広げられている原因はイギリス植民地時代の負の遺産(多様な社会的階層を対立させることによって統治しようとした植民地政策)から脱却できず自由主義的な政策が進まず改革が結局は行われなかったところに90年代になり経済の自由化(規制緩和)で国民の経済格差が拡大し、貧しい階級、貧しい地域の人々が激しい疎外感を抱いたことにある(378〜384頁)。全体としては、イギリスのインド政庁の悪逆非道ぶりが詳しく書かれているわけではないですが、イギリスの犯した誤りについてきちんと指摘しているのは立派ですね。私としてはガンディーについても継続的に論じてほしかったのですが、ガンディーの伝記じゃないですからしかたないですね(ガンディーの伝記でも、間が飛んでいて重要な局面でガンディーが何をしていたかわからないことがままありますし)。

27.高橋尚子 夢はきっとかなう 黒井克行 学習研究社
 高橋尚子のこれまでがごくコンパクトにまとめられた本。芽が出なかった中距離走者時代、小出監督への売り込み、リクルートの歓迎会で裸身にアルミホイルを巻いてオバキューを踊りその後Qちゃんと呼ばれるようになったエピソード、マラソンへの転向後の華々しい活躍、セビリアの世界選手権で体調を崩して棄権しシドニーへの切符が危ぶまれ名古屋国際でぶっちぎりで優勝してシドニーへの切符を手にしたこと、シドニーでの金メダル、ベルリンでの世界新、東京国際での失速とアテネ落選、チームQ結成と小出監督から独立、東京国際での復活という、いまどきのQチャンファンならだれでも知っているストーリーを語るための最小限のエピソードを拾ったQちゃん入門書です。それでも監督から何を言われても「ハイ」と答え「私は人形、私は人形」と呪文のように唱えていた(74頁)とか、鬼気迫る話もあります。でも、密着取材何年とかいうレポートではないですし、世間で知られている以上に踏み込んだ知識を得たいQちゃんファンには明らかに食い足りないと思います。内容的にも2005年11月の東京国際女子マラソンでの復活までですので、何で今頃になって出版するのかは不明。

26.殺してしまえば判らない 射逆裕二 角川書店
 1年前の妻の「自殺」に納得できなくて、仕事を辞め妻の死亡現場となった伊豆の家に再度引っ越してきたボクの周辺で、不審な自殺と殺人事件が起こり・・・という仕立てのミステリー小説。ミステリー小説ですから筋や落ちは書きませんが、読みながらの予想は2、3点きちんと外され、最後のどんでん返しもあります。ただ切れのあるというか、なるほど、やられたという落ちではないですが。全体に重くなく、比較的軽い気持ちで読めます。事件を解決していく女装趣味の元検事狐久保が、前半不思議というか気持ち悪いキャラに思えましたが、読み進むにつれ、味わいのあるキャラに思えていきます。狐久保と自称オペラ歌手の由紀江がなぜ伊豆で高級ホテル住まいをしているのかは最後まで謎ですけど。最近の風潮の下では珍しく、元検事の狐久保も遺族のボクも、加害者(犯人)に同情的です。「ボク」の最後の段階の心情には、罪の意識を持つこともわからないではないけどちょっと方向が違うんじゃないかと思ってしまうほど(具体的に書くとネタバレしちゃうもので・・・)。たぶん、この狐久保の不思議なキャラと、加害者への怨念が書き込まれていないことが、この小説を重苦しくしていないのだと思います。タイトルは内容のニュアンスとは違うなあって感じました。最後に書き下ろし作品原稿用紙415枚って書いてありますが、意外に短いと思いました。書き下ろし作品にしては、連載小説みたいに同じ説明が何度も出てくるなとは思いましたけど。

25.アフリカの人 ル・クレジオ 集英社
 ギアナ(南米)とカメルーン(アフリカ)でイギリスから派遣された医師として地域医療に従事した著者の父の半生と著者が子どもの頃に過ごしたナイジェリアでの生活と自然をつづった回想録。著者は人生の大部分を父と離れて暮らし、父から直接アフリカでの生活などは聞いていないため、著者の父の半生については父の思いは推測で書かれていて、その分、伝記としては弱くなっています。ただ父の半生の部分は、戦争とイギリス政府の植民地政策に振り回された人生が淡々と書かれていて、戦争と植民地政策への静かな抗議になっています。フランス人作家の著者がこの本を書いた目的は、そのあたりにもあるのでしょう。

24.死体は切なく語る 上野正彦 東京書籍
 2万体の死体の解剖歴を誇る元東京都観察医務院長が死体の話を書いているのですから、当然自分が行った解剖の事例に基づいて法医学的な解説をしていると思ったのですが、そういう部分はあまり多くなく、全体としては監察医としての経験に基づくエッセイという感じです。それにしても、勝手に犯行現場のやりとりまで再現するのは感心しません(「金を出せ」と脅かされたのであろう。「お金などありません」と必死に訴える老女。「ウソ言え」と首を絞める犯人の男。:32頁〜33頁)。どちらかというと、この本、死体解剖と関係ない一般論で勉強になりました。水泳の得意な人でも溺れることがあるのは、呼吸のタイミングを誤って鼻で水を吸い込むと鼓膜の裏側に通じる耳管に水が入り、そこで水を飲む運動をするとその水がピストン運動して錐体内の毛細血管が破れ、そうなると三半規管の機能がドロップして平衡感覚が失われ、それでどちらを向いているかもわからなくなって溺れるのだそうです(117頁〜118頁)。のどに物がつまって窒息死しやすいのは、脳軟化症の老人、脳の発達が不十分な乳幼児、泥酔状態の人で、それは嚥下運動がうまくいかないため。そういうときには立て膝をしてその膝を相手の下腹部に当てて前のめりにさせて背中や後頭部を叩くといいそうです。下腹部を圧迫すると横隔膜が上がって口から空気が出ていこうとする、後頭部を叩くと気管が揺れ動くからだそうです(176頁〜179頁)。

23.ほどけるとける 大島真寿美 角川書店
 高校を中退して祖父の経営する銭湯でバイトしている美和ぽんの日常を描いた小説。「別に〜」「うざい」とかいいながら、やりたいこともなく、でも居場所がない思いもあり、主観的には焦りを持ちつつ、でもそとめにはのほほんと危機感なく生きてるように見える若者。最初の方の美和ぽんはそういうふうに描かれています。う〜ん、いかにもいまどきの中高生って感じ。世界が狭いから、酒を飲んで愚痴を聞くのも、恋愛の相手も手近のお客さん。そういう安直な/ありがちなご近所ドラマしながら、美和ぽんは、小学生の頃に習ったマッサージを仕事にしようと専門学校に行くことを決意し、突然勉強を始め、入学試験に受かります。でもそこまで力入れて、専門学校に通いながら、また銭湯でのバイトの日常に戻ってほわっと終わらせます。こういうほわんとした小説って、ほどよい脱力感が売りなんでしょうね。例えば「マッサージされながら、彼は時々うとうとと眠った。手を休めずそのままそうっと彼の寝顔をのぞきこむ時、自分の中にいっぱいあったはずの汚いもの、濁ったもの、醜いものがどこにもなくなっていて、澄んだ美しいものだけで満たされているような気がした。そんな自分を少し好きになれて、少し力が湧いた。そうして、この人と出会えて本当によかった、なんてことをしみじみ思うのだった。」(127頁)なんてパラグラフを読んで、一緒に幸せを感じられる人には○(マル)。小説って(文学って)日常を忘れて想像力を働かせるからいいんじゃないって人には×(バツ)ですね。でも、最後の経歴見ると、著者の歳が私と2つしか違わないのにはビックリしました。

22.エアボーン ケネス・オッペル 小学館
 タイトルからすると「天空の城ラピュタ」っぽい話かなとか、表紙デザインも地味だしとかで、それほどは期待しないで読んだのですが、これがおもしろい。豪華飛行船「オーロラ号」を舞台にしたアドベンチャーものですが、エンターテインメントとしてマルです。私のお薦め本で紹介

21.シャドウマンサー G.P.テイラー 新潮社
 2体手に入れれば神よりも大きな力を持つとされる「ケルヴィム」の1体を手に入れ、全世界の支配をもくろんで2体目を手に入れようとする悪役デマラル牧師と、それを阻止してケルヴィムを取り返そうとする3人の少年少女の闘いを描くファンタジー。カバー見返しの紹介では、タイムズ紙が Hotter than Potter (ハリー・ポッターよりすごい)、BBCがC.S.Lewisの再来と評価したとされていて、期待して読んだのですが・・・。登場人物が多い上にストーリー展開があちこちに行き、そのあたりの説明が丁寧でなく、流し読みしてるとついて行けなくて、アレッと思って読み返すことがしばしば。いまどきのファンタジーにはありがちではありますが、様々な要素を取り込みすぎてちょっと消化不良を起こしている感じがしました。 Hotter than Potter かどうかは(ハリー・ポッターファンとしては)疑問ですが、C.S.Lewisの再来の方はそうかも知れません。真の神リアタムスへの絶対の信仰を語るラファーやときおり神に導かれ信じていれば身の安全が保たれると感じるトマス。読んでいてナルニア国ものがたりを読んだときに感じた宗教臭さ、アスランへの違和感と同じような感じを持ちました。ナルニア国ものがたりを読んでその宗教臭さ、説教臭さに違和感を持たない人には評価が高くなるのでしょう。登場人物の人物像は、なんとなく場当たり的に設定されている感じがしました。基本的に悟りきっているラファーは、あまり人間味が感じられませんが、それでもときどき恐怖感に駆られているように描かれます。それがふだんの悟った姿とどう関係するのかふだんとどう違うから恐怖感を持っているのか、説明はありません。他の主要な登場人物は、場面によって落差が大きく、それを1人の人物像としてまとめ上げる説明が、私には読み取れませんでした。トマスは強気一辺倒の時と弱気の時の落差が大きいし、ケイトも同じ。ケイトは何も怖くないと突っ張っているし現に度胸のいいところを見せ活躍する場面も多々ありますが、恐怖感から秘密をしゃべってしまったりラストでもケルヴィムをデラマルに渡そうと言い出したり、「強がっているけど弱いところもある(かわいげのある)女の子」と描かれています。ただそれもケイトの内面の描写なり、ケイトの考えの変化・進展を描けていないので、1人の人物としての描写が今ひとつできていないように思えました。もっと極端なのが、ジェイコブ・クレインの描写。トマスたちの味方をしたり敵対したり、最後に教会になだれ込んで来るという重要な位置づけなのに、結局何を考えているのかよくわかりません。彼がこだわっていたアジマスもどうなったのかよくわかりませんでしたし。最後になだれ込んできたのも、だからどうしたのって感じで、ただ主要人物を全員集めたかっただけかもって思いますし。この物語の中では、ケイトとクレインが魅力的で、この2人の人物造形をもう少し丁寧にやってくれたら、読ませる作品になると思うんですが。ラストシーンも、あっけなさ過ぎ。せめて最後の6行のところで、トマスとケイトとラファーとクレインに語らせ、積み残しの謎解きと解説をした上で、彼らがどう変わったのか、これからどういう希望を持って生きようとするのかを数ページでも書き込めば、かなり読後感が変わると思うんですがねえ。

20.巨石 山田英春 早川書房
 イギリス・アイルランドのストーンヘンジ・ストーンサークルの写真と解説。ストーンヘンジっていうと、有名なソールズベリーの環状列石(WindowsXPの壁紙になっているやつです)しか知りませんでしたが、イギリスには、ブリテン島だけでも巨石のストーンサークルが1000以上もあるのだそうです。ストーンヘンジは円形の土手と堀で囲んだ土地のことで、巨石を円形に並べたのはストーンサークルだそうです。ストーンヘンジはブリテン島の東側に多く、ストーンサークルは西側に多く、その境界線上に、ソールズベリーやエイヴベリーのようにヘンジの中にストーンサークルがある混合タイプの遺跡があるのだそうです(80頁)。解説も勉強になりましたが、とにかく写真が美しい。こういう写真を眺めているだけでも、楽しいし心を遠くに飛ばせる気がします。運ぶことも積むことも難しい巨石のサークルやドルメン(立石の上に水平のキャップストーンを積んだもの)は、使用目的がわからないこともあり、人間が作ったものでなく巨人が作ったものといわれました。こういうものがあちこちにあるのなら、イギリスのファンタジーで巨人がよく出てくるのも頷けます。

19.ギフト ル=グウィン 河出書房新社
 ル=グウィンの最新のファンタジーです。「西のはての年代記」3巻シリーズの第1巻として書かれた「ギフト」は、一族の血統で決まった超能力というか魔法(ギフト)を引き継ぐ者たちの住む「高地」に生まれた若者オレックとグライの物語です。「もどし」と呼ばれる、生物を破壊(殺害)するギフトを受け継ぐカスプロマント族に生まれたオレックは、自らの意志で自由にギフトを用いることができません。ある日自分で用いるつもりがないのに目の前でまむしや犬が破壊され、オレックはギフトを自分でコントロールできない「荒ぶる目」とされ、まわりの人を誤って破壊しないように目隠しをして生活することになります。そんなオレックに幼なじみのグライが寄り添い、励まします。オレックは、自分はギフトをコントロールできないのか、そもそもギフトは本当にあるのかと悩み続けます。母の死亡後、オレックは目隠しを捨て、父の死亡後、ギフトを持たない低地人の世界でグライと共に生きていくことを決意します。
 少なくとも、第1巻の「ギフト」は超能力ないし魔法を使った大立ち回りや冒険のシーンはほとんどありません。冒険ものとかファンタジーというよりも、持ちたくもない超能力や血筋を受け継がされた若者が、その重荷に苦しみ、それを捨てて・関係なく生きていこうと決意する青春小説として読んだ方がフィットするように思えます。家業を継ぐことを期待されている子どもの話というか・・・。オレックとグライの関係も爽やかです。グライは、物言いは素っ気ないんですが、けっこう一途にオレックを思い続け、支えています。オレックが目隠しをして生活すると聞いて、自分も丸一日目隠しをして過ごしてみた(189頁)なんてあたり、ちょっと胸きゅんしてしまいました。そのあたりの描き方、EARTHSEA BOOKS (日本語版は「ゲド戦記」)で4巻以降フェミニストに転じたはずのル=グウィンにしては、フェミニズム志向は見えませんね。
 このシリーズもEARTHSEA BOOKSと同様、THE CHRONICLE OF THE WESTERN SHOREとされていて、WESTERN SHORE(西海岸)という場所のシリーズと設定されていて、2巻以降では別の主人公が予定されているようです(訳者あとがき)。見返しにつけられている地図も、超能力を持つ人々が住む「高地」は北東の端ですから、2巻以降は別の地域が舞台と予測され、超能力以外の話になるかも知れません。2巻 Voice は、原書が2006年9月、日本語版が2007年刊行と予告されています。たぶん、2巻以降も地味めのファンタジーではないかと予測されますが、その方がいいかも。「ゲド戦記」1巻〜3巻の再現を期待して読む人には、肩すかしでしょうね。

18.陰謀国家アメリカの石油戦争 スティーブン・ペレティエ ビジネス社
 アメリカの中東政策は、軍産複合体の武器売却と石油利権・石油支配戦略で動いてきた、イラクがターゲットにされたのは、石油輸出国機構(OPEC)の支配と真のカルテル化(原油価格の高騰と生産調整の徹底)を図ったためということを論じている本。ワッハーブ派のアル・カイダが非宗教のバース党(フセイン)やシーア派(イラン)と結びつくなどおよそあり得ないし、フセイン政権の残虐ぶりは中東では例外的ではなく後世の評価ではフセインはイランのシャーと同様の民族主義者と見られるであろうというのが著者の見解(156〜158頁)。イラクでは女性の権利がアラブ世界のどこよりも認められており、フセインは教育の向上と産業の国産化を進めていたとか(158〜160頁)。著者は、さらに次のように論じています。湾岸戦争は史上もっとも非人間的な戦争の1つ(217頁)で、本当に多数の民間人死者を出し(216頁)、爆撃によりイラクを事実上産業革命以前に戻してしまい(219頁)、インフラの破壊により伝染病が猛威をふるいその後の経済制裁が行われると50万の子どもが様々な病気の犠牲者になった(219頁)。アメリカとヨーロッパがナチス・ドイツのゲルニカ爆撃を非難したのはそれほど昔のことではない。ナチスによる民間人爆撃が悪なら、米空軍が同じことを行ったとき、ヨーロッパもアメリカもなぜこれを黙認したのか?(222頁)。イラク戦争でのアメリカ・ブッシュを批判する立場からは、それほど目新しいことが書かれているわけではなくて、まあすんなり入ってしまうわけですが、注目すべきことは、この著者が学者やジャーナリストではなく、元CIAイラク担当上席分析官だということ。その立場でこれだけバッサリやれるのは立派と言えるでしょう。「陰謀国家」とか「イラク侵略」とかいう言葉も、そういう人が使うと、ちょっとすごい。原文でもそうなんでしょうか(「陰謀国家」の方は原題にはないようですが・・・)。著者は、日本語版への序文で、アメリカが移行政府に入らせた「自由勢力」は皆かつてイランと手を結んでいた連中で、イランの勢力拡大を食い止めることが課題のアメリカ政府がイランの代理ともいうべき勢力にイラクの舵取りを任せるのは全く不可思議とも指摘しています(7〜8頁)。そのあたり、ちょっと視点を相対化できるのも、いいかも。

17.栄光のドイツサッカー物語 明石真和 大修館書店
 1964年〜1978年のヘルムート・シェーン監督時代の西ドイツサッカーの黄金時代のレポート。当時を知る人々がノスタルジアに浸ることを狙って書かれている本ですけど、当時のことを知らない私にも、サッカーの読み物として興味深く読めました。プロローグでは、最近のドイツサッカーと違って当時のドイツは1人1人がテクニックに優れ、世界でも有数の美しいプレーをしていたということが書かれていて、そのあたりを紹介する本のように読めます。しかし、そういう期待で読むと、今ひとつ、本文を読んでもよく読み取れませんでした。多数のビッグネームが並んでいることから、当時の選手を知っている人達には、これで十分わかるのかも知れませんけど。最近との違いというよりも、単純に著者が昔から暖めていたシェーン監督時代のドイツチームの闘いの紹介(エピローグではそういう経緯が書かれています)という位置づけで読む方がいいと思います。

16.口ひげを剃る男 エマニュエル・カレール 河出書房新社Modern&Classic
 主人公が口ひげを剃り落としたのに妻も友人も気がつかず、妻は元々口ひげなどなかったと言いだし、主人公は妻の狂気か陰謀を疑います。そのことをめぐり、主人公はこだわったりあきらめようとしたりしながら、次第に事実があいまいになり、妻が狂っているのか自分が狂っているのかもあいまいになっていきます。そして後半、主人公は突然、パリから香港に逃走し、主人公の被害妄想が明確になり、そこへ主人公の居場所を知るはずのない妻が何事もなかったように現れ、悲劇の結末に向かいます。人間の存在の不確かさ、事実とその確認(立証)のあいまいさ、正常と狂気のあいまいさを感じさせます。口ひげがあったかなかったかなんて、どうでもいいじゃないかという思い。しかし、真実はゆるがせにできない、真実を曲げる者を許してはならないという思い。このあたりで葛藤する前半は、弁護士の仕事でもよく直面します。簡単に納得してもらえる(立証できる)と思っていた事実が、まわりの人に否定されると途端に立証困難になる・・・これも弁護士の仕事でよく直面します。でもそのささいな事実へのこだわりから、妻が狂っているとか自分が狂っているのかとかになってくると、時々そういう相談者にも出会いますけど、ちょっとついて行けなくなります。そこからが人間の存在の不確かさの描写なんでしょう。主人公の妻や友人には名前があるのに主人公には名前がなく、主人公の視点で話が進んでいても主人公は「彼」(私・僕ではなく)と呼ばれ続けるのも、主体の不確かさ・不確立を示しているのでしょう。口ひげを剃り落としたのにだれも気づかなかった、口ひげがあったのかなかったのか、そんなささいなことから人生・人間が崩壊する、その危うさ、恐怖が主題でしょうけど、弁護士やってると、それに近い感じの相談を受けることが時々あるので、今ひとつ純文学の世界として読めない・・・これも1つの恐怖ですね。

15.悪魔のダンス サダム・フセイン 徳間書店
 サダム・フセインがイラク戦争前に書いていたメッセージ小説だそうです。まずお話のできそのものを見ると、第2章までは、徳のある族長イブラヒムを中心に世界の拡がりのある話で、最初の2章は、くどい教訓気味の太字部分がなければ、物語として悪くないと思いました。女性蔑視やユダヤ人蔑視の表現が気になりますけど。しかし、第3章の途中からは、イブラヒムの性格の悪い息子のハスキールを中心とした1つの部族の中でのちまちました権力争いに終始します。第2章までは構想も大きい感じだったのですが、なんか尻すぼみって感じです。第3章以下はハスキールが金の力と「ローマ人司令官」の権力を背景に族長の妻と族長の地位を奪い取るが、族長の娘には言い寄って拒否され、族長の娘と部族の若者が団結して闘いハスキールとローマ軍を打ち破るというお話。ファンタジーとしてみると、悪役のハスキールが小者過ぎて、それを倒しても今ひとつおもしろくありません。話の運びもくどかったり話が飛んだりして、流れがよくないし。1500年前のお話という設定なのに、時々、言い訳や自慢で「イラクでは」なんて出てくるし。本としては、「はじめに」と「おわりに」で訳者がフセイン支持の解説を繰り広げていて、これが力入りすぎ。私はイラク戦争でアメリカに正義はないと考えていますが、それでもちょっと辟易しました。それを書くんなら、「メッセージ小説」の翻訳としてじゃなくてノンフィクションで書くべきでしょう。政治的プロパガンダとしてみると、ハスキールは、当然、イラク移行政権を示すつもりなんでしょうけど(やっぱりフセインはアメリカよりイラク人の裏切り者が憎いんですね。「ローマ軍」はあまり悪者に描かれていませんもの)、イラクの人が読んだらフセインの方がハスキールみたいだって思うんじゃないでしょうかね。ただ、金と外国の力を背景に支配すると設定されているハスキールも、族長の地位を敵と争うときは、部族の人の前で弁論を戦わせ、部族の人の支持を得ようとし、その枠組みで戦うんですね。意外に民主主義的な思考が根付いているんだと、そこは感心してしまいました。

14.マチルダは小さな大天才 ロアルド・ダール 評論社
 5歳で図書館の子どもの本を読み尽くし大人の本を読んだりかけ算をマスターしてしまった天才少女マチルダが、高圧的な父親や校長にいたずらで復讐するお話。前半は自分のことで、復讐に走り、やり過ぎというかわがまま感のあるマチルダですが、後半は虐待されてきた他人のために行動し、成長が見られます。それに虐待経験者が「虐待の連鎖」に陥らずにいい人になるのも、読者としてはうれしいです。詳しくは女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介

13.1週間バリ 山下マヌー メディアファクトリー
 バリ島の旅行ガイド。いい加減さがバリ島の困るところでもありよいところでもあるというお話ですが、バイクの免許が、誰か人(タクシー運転手とか)に頼むだけで5分で約2000円でできてしまうとかいうのはビックリ。結婚詐欺とそれに引っかかる日本人女性の話もありますが、のんびりした様子と物価の安さは魅力的。余裕ができたら行ってみたくなりますね。でも、辛い食べ物が苦手な私にはちょっとつらいかも・・・

12.ちょいモテvs.ちょいキモ 文:フェルディナント・ヤマグチ、絵:渡辺和博 文藝春秋
 世間で勝ち組と見られている業種の中にも本当の勝ち組と負け組があるということで、勝ち組の優雅な生活を解説し、負け組の勘違いぶりまたは惨めさを笑うというコンセプトの本。暇つぶしの軽い笑いとうんちく本としてはいいんです。それにナンバー2を笑うのは弱い者いじめよりはいいんです。でも、自分より強者の中の相対的な負け組に同情を誘ったり、それを笑うことでうっぷん晴らしをして、その相手が自分より強者・勝ち組だって事実から目をそらしてしまうの、どうかなぁ。それから、医者と税理士は勝ち組業種として扱われているんですが、弁護士は勝ち組業種には入らないんですね。やっぱり。

11.ブログのすべて 田口和裕 ディー・アート
 ブログについての入門書。どちらかというとこのテーマはプログラム言語の解説や技術解説になりがちですが、難しい話はほとんどないので軽く読み通せます。ただ、これで「ブログのすべて」って言われるとねぇ・・・。ブログを始めるための入門書なら、ある意味では、本なんか読まなくても始められる環境にはあると思いますし。私としてはもう少し裏側的な情報に興味があったんですが。な〜んて言ってるうちに作りたくなって、読書日記はブログでも公開することにしました。

10.金属なしでは生きられない 桜井弘 岩波科学ライブラリー
 病気や老化の原因となる活性酸素とそれを除去する酵素についての解説。赤ワインやリンゴ、トマト、ハーブの抗酸化性の話がどちらかというと中心で、タイトルになっている微量金属元素については、金属が蛋白質と結合したり錯体の形で関係しているらしいというレベルで紹介されるだけです。タイトルにつられて読むと、何だ、これは?と思います。

09.高校生のための論理思考トレーニング 横山雅彦 ちくま新書
 日本語が英語と異なり、論理的でないことを、主語・述語とかのレベルでなく解説する本。英語ネイティブ(特にアメリカ人)が、自分の意見をいうときには常にその論証責任を考えているという指摘には、なるほどと思いました。意見には、その元になるデータ(根拠ともいえそう)とワラント(著者はこれも論証責任と書いていますが、データや根拠の信頼性・因果関係・法則・評価基準でしょうね)も同時に述べることが必要で、それがないのはただの放言だそうです。それも、高等な意見だけじゃなくて、例えば、「彼はかっこいい」とかいう意見にまで・・・。う〜ん、やはりそのあたり文化が違うんでしょうね。日本での「ディベート」ってほとんどがただの放言・感情的中傷・罵倒に過ぎないって・・・。

08.アイディア脳の磨き方! 和田秀樹 青春出版社
 アイディアを出すというテーマのビジネス本。受験テクニックで売り出した著者らしい実践的割り切りが特徴です。のっけから「アイディアは既存のものの新しい組み合わせでしかない」(16頁)「いいアイディアを出せるようになるのに、独創性はまず、いらないといってもいい」「人と違った発想を持とうと考えること、それ自体が発想の範囲を狭めてしまう」(23頁)、「過去の成功例を真似したほうが、確率論的に見れば非常に高くなる」(32頁)だそうです。そりゃそうだけど。著者の提唱する発想法のうち立場置き換え法(相手方の視点での検討)と「突っ込み」習慣(全てに疑いを持ち批判的に検討)は、私たちの業界では習慣になっています。読書は早く読むことよりも必要な部分の熟読が大事という指摘は全くその通り。私も趣味の本は流し通し読みして(こういう日記に書いて)いますが、仕事の本は当然必要部分だけ抜き出し読みです。1つのアイディアと心中するな、損切りが大事というのもその通り。でも、これは実行がなかなか難しいんですね。

07.帯状疱疹に克つ 長沼芳和 講談社健康ライブラリー
 一生で見ると3人に1人が帯状疱疹に罹患するそうです。その後遺症の帯状疱疹後神経痛になると我慢できない痛みがある上に治すことはできないそうです。帯状疱疹は水痘(水疱瘡)ウィルスによるので、水痘ワクチンの予防接種を受けていると「半分は」予防できるそうです。残り半分は予防できないけど症状が少し緩和されるとか・・・予防接種が裁判のおかげでされなくなったことへのクレームとかは、仕事柄(私は予防接種訴訟はやったことありませんけど)考えさせられますが・・・

06.濃尾震災 村松郁栄 古今書院
 1891年の濃尾地震の災害を当時大学が行政に行ったアンケート調査を元に分析したレポート。地震計もほとんど配置されていなかった時代に起きた日本で有数の規模の内陸直下地震を、記述していく作業は大変だなと思いました。

05.オババの森の木登り探偵 平野肇 小学館
 目黒の自然教育園の雑木林を管理することになった主人公と、周囲の人達との関係や雑木林の保全・伐採をめぐるできごとをテーマにしたライトノベル。最初の方は読み切り連載シリーズ仕立て、後半は雑木林の所有者と雑木林の保全をめぐって長編風になっています。全体を通じて、深刻な話にはならず、ほんわかしながら読めますので、時間つぶしの読書にはよさそうです。

04.リンドキストの箱舟 アン・ハラム 文藝春秋
 野生生物のほとんどが死滅した時代に、DNAを操作して短期間に育つ野生ほ乳類の種(リンドキスト)を残した科学者夫婦の娘が、収容所から逃走し、雪原と氷の海を越えて「救いの島」までリンドキストとともに逃げ延びる物語。収容所を舞台に、裏切り、懲罰が繰り返され物語は暗くスタートします。主人公スローは、人間不信に陥り、盗みを覚え、自己嫌悪し、時折種から孵す動物たちとの世界にこもってしまい、ずーっと話は重く暗いまま進みます。追っ手からうまく逃げおおせても痛快感もなく、「救いの島」にたどり着いた後でさえ、読んでいて勝利の喜びが感じられません。重苦しい社会に生きた人々のしたたかさや人間の多面性、その中でのスローの成長ということは読み取れます。でも、それよりは重苦しかったソ連社会(名指しされていませんけど明らかにそう。原題はSIBERIAだし。)を否定的に印象づける物語と感じられます。見返しでうたっている「冒険ファンタジー」として読むには辛いものがあります。

03.もっと知りたいフランス 斎藤広信、ベルナール・レウルス 駿河台出版社
 フランスの民俗・文化・社会について紹介している本。フランスが歴史的経緯から、アメリカと同様の「人種のるつぼ」とされているのは、この本を読むよりもワールドカップのフランスチームを見れば一目瞭然ですし、(日本人よりよほど)無駄遣いしない堅実な生活とかファッションは地味で流行に踊らないとか大学は入るのは楽だけど進級が厳しいとかはわりとよく聞かされる話。でも、フランス人の約15%はバカンスを取ったことがない(しかもその原因は経済的事情)とか、地方の話はけっこう初めて聞くことも多く、勉強になりました。

02.絵門ゆう子のがんとゆっくり日記 絵門ゆう子 朝日新聞社
 朝日新聞東京地方版に連載していたエッセイ。朝日新聞の社会部のデスクと話していて、「最近、朝日新聞で欠かさず読んでいるのって絵門さんの日記くらいですね」と言ってあきれられたことがあります。連載中ほとんどは読んでいるはずですが、改めて通し読みしてみると、心にしみました。この内容から「がんでも私は不思議に元気」を書いているので、そちらを先に読むとエピソードは共通なんですが、連載の日記の方は読む人の心を温めたいという心遣いやユーモアが感じられます。著者の境遇やテーマをおいても、エッセイとしていいなあと思います。最後の方の記事で引用している「元気になるコツは、1に『死なないと決めること』、2に『死ぬまで生きること』。そのためには『1日に必ず5回笑って、5回感動することだ』」って、すごいなと思いました。

01.がんでも私は不思議に元気 絵門ゆう子 新潮社
 がんと一緒にゆっくりとの続編です。癌患者であることをカムアウトした後のメディアの対応や医者・民間療法の「先生」への注文、患者仲間のことなどが書かれています。「100のうち99が失敗になりそうでも、1つでも成功への可能性があるなら、私はやってみることを選びたい。それがたとえ失敗と言われても、そこに1つのプラスがあれば、やってよかったと私は思おう・・・光を浴びた1つのプラスは、全てのマイナスを消してしまうように輝くもの。生きることが楽しくなっていく。命を持ったこの世の全てがいとおしくなっていく。私はこの世で最後の呼吸をする一瞬まで、1つのプラスに優しい光を注ぎながら、生きていくことに向かっていこう。がんと一緒にゆっくりと。」(32〜33頁)という著者のメッセージは心に響きます。でも、同時に悟りきれずバタバタとし夫に怒りや不安をぶつけ続ける姿も描かれていて、自分を多面的に捉える語りに、より説得力を感じました。

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