私の読書日記  2009年2月

10.11.12トワイライト1〜3 ステファニー・メイヤー ヴィレッジブックス
 「雨と霧の街」フォークスの高校に転校してきた運動神経ゼロの17歳少女イザベラ・スワン(ベラ)が、超美形の吸血鬼エドワード・カレンと、出会ってすぐに相思相愛となり、様々な危険をエドワードに救われながら切り抜けていく恋愛青春ファンタジー。原作第1巻の“Twilight”が日本語版では3冊に分けられて「1.愛した人はバンパイア」「2.血は哀しみの味」「3.闇の吸血鬼一族」になっています。続巻も原作の1冊が日本語版では3〜4冊に分けられています。吸血鬼が、昼間も行動できて、晴天の場合には結晶のようにきらめくので目につくから外に出られないだけとか、一日中眠らない/眠れない、さらには呼吸もする必要がない、片手で自動車も持ち上げる怪力で、瞬間移動並みの超俊足という斬新な設定。歳をとらないとか異常なまでに白い肌はありがちですが、怪力っていうのはふつう吸血鬼のイメージではないと思うのですが・・・。運動神経ゼロで人づきあいが苦手なベラが、超美形のエドワードに惹かれ夢中になるのは、特に説明がなくてもいいんですが、エドワードがベラなしでは生きていけないというほどまでにベラに惹かれた理由は、最後まで読んでも不明。他人の考えが読める超能力を持つエドワードがなぜかベラの考えはわからなかったとか、匂いに惹かれたってそれだけ。この匂いってフェロモン?少女漫画で、特段の取り柄のないドジな少女がなぜかハンサムな好青年に愛されるというパターンの、要するに平凡な読者の夢想/幻想/妄想を形にして共有することで商売しようという路線の作品が根強くありますが、なんかそういう感じが匂います。そういう需要は日本だけじゃなくてアメリカにもあるんですね。エドワードが言う、ベラがトラブルを招く磁石で半径15キロ以内にある危険なものは避けようもなくベラを見つけ出す(1巻258頁)ということも、その後全然説明なし。結局のところベラはなぜか超美形の吸血鬼エドワードに初めて会ったときからどうしようもないほど愛され、他方次から次にトラブルに巻き込まれるという、ストーリーの進行上都合のいい設定がなされているだけで、その謎解きはあるかのようにほのめかされながら最後までありません。日本語版では1巻から3巻が原作で1冊であることは説明されてなくて(「第1期」だって・・・)、1巻の最初にあるプロローグが3巻のラスト前につながっているというかなり不自然で読者に不親切な構成になっています(原作だとプロローグがその1冊のラスト前につながっているという自然なパターンですが)。ファンタジー系の青春ロマンス小説として悪くはないとは思いますが、そういうあたりなんか読後感に不満が残ります。

08.09.あまりに野蛮な 上下 津島佑子 講談社
 戦前の台湾で暮らした幼い子どもを亡くして悲嘆に暮れ精神を病んだ女性ミーチャこと小泉美世の台湾と日本での暮らしと、その姪で子どもを交通事故でなくした50代の女性リーリーこと茉莉子が台湾を訪ねたエピソードを重ね合わせ錯綜させた小説。前作「ナラ・レポート」の観念的な小難しさからちょっとひるんでいたのですが、怪人二十面相・伝PartUで太宰治が意外なキーパースンになっていたこともあり、何かの縁だと太宰の娘の作品に手を出したのですが・・・失敗でした。今回は、観念的な部分は最初と最後だけで、小難しさもあまりありませんが、ひたすら冗長で面白くない。端的に言って、主人公2人が2人とも共感できません。1930年代のミーチャ。台湾に移住した日本人学者の妻ですが、女手一つで育てた夫の母を経済的にはその母に依存しているくせに嫌い続け、様々なことに不満ばかり持ち、台湾の現地社会にもとけ込もうとせず、次第に家事もせず夫の手伝いの翻訳も清書もしなくなり、被害妄想に陥り、身勝手な理由を付けつつ万引きを繰り返していきます。それを子どもを失った悲しみのせいにしていますが、結婚前の手紙からして明らかに情緒不安定ですし、義母への激しい嫌悪や現地社会にとけ込もうとしない様子は子どもを失う前からです。台湾の先住民への共感も本を読んだり新聞を読んで観念的にそう思っているだけで現実に交流を図ろうともしていませんし、台湾人のお手伝いさんとかにも心を許していません。実態としては典型的な植民地に暮らす日本人で、台湾人・先住民との交流はない状態です。2005年のリーリー。植民地だったことは意識しながらも台湾の言葉を学ぶこともなく台湾を訪れ、結局は日本語が話せる植民地時代を生きた老人を頼りに日本語で話して旅を続け、「原住民」の村を訪ねますが所詮先住民を珍しがる観光客と変わりありません。その2人のイヤな女の話を、だらだらと続けた挙げ句、最後になってすべてを「子どもを死なせたことがある女はいったい、どのように生きればいいのか」(下巻350頁)という問いかけの中に解消しようとしています。ミーチャとリーリーのイヤな女加減に反発を感じてきた読み手はすべて子どもを亡くした女の悲しみに鈍感なヤツだと切り捨てるようなラストで。子どもを亡くしたり不幸に遭いながら一生懸命頑張っている女がたくさんいるのに、そしてこの2人の行動に子どもを亡くしたことが影を落としていることは事実だとしてもそうでない部分もかなりあるのに、この1点でとりまとめようとするのは、あまりに無謀だと思います。また、この2人は台湾の住民ときちんと交流しようともしていないのに、最後には先住民と共感し通底し交流したように描いているのも、ものすごく唐突に感じます。むしろ、これだけ不思慮で先住民の悲しみに鈍感な2人に、台湾で植民地支配を受けてきた老人と先住民が日本人を恨んでいないよというメッセージを出すことで、作者は過去の植民地支配一般への引け目を薄めたいのではないかとさえ感じてしまいます。先住民のために何一つしなくても子どもを失ってそれを理由に悲しめば先住民が共感し仲間と扱ってくれて植民地支配に加担した業が解消されるというのでしょうか。それに、ラストに書くメッセージがそれだとすれば、ミーチャとリーリーはもう少し別の行動をすべきだったのではないでしょうか。最後のメッセージ自体は問題提起として理解できますが、それとラスト以前の長い長い記述はずいぶんとずれているのではないでしょうか。この構想が書き下ろしとして書かれていれば半分か3分の1くらいの長さで書いているのではないでしょうか。雑誌連載で間を持たせるために惰性で長くなり、途中で構想が変わったようにしか、私には読めませんでした。

07.怪人二十面相・伝PartU 北村想 小学館文庫
 気球での脱出の際に気球が爆発してその後行方不明の怪人二十面相・武井丈吉の跡を継いで2代目怪人二十面相となるべく修行する遠藤平吉と、2代目明智小五郎となった小林少年の確執、2代目怪人二十面相のデビュー戦となる「青銅の魔人」による時計奪取を描いた小説。あくまでも怪人二十面相の立場から、劇場犯罪へのこだわりと、ばかばかしさと師匠の後を継ぎ師匠と母を思う平吉の人情味が描かれています。前作同様、明智小五郎は功名心と名誉欲の塊の狡猾な人物として描かれています。前作よりも怪人二十面相としての部分に目が行き、庶民目線の部分が少し後退したかなという感じがします。映画「K−20」の原作ですが、遠藤平吉が怪人二十面相が使った秘伝のノートで修行をするとか、泥棒長屋に住むとか、怪人二十面相の予告状を明智が出したとかいうエピソードと明智が悪役であることは映画と共通しているものの、怪人二十面相の正体や遠藤平吉の目的、登場人物の位置づけや役割などの物語の根幹部分が大きく変更されていて、「映像化にあたっては、原作の骨子を尊重し」(解説277頁)って、嘘でしょうとひっくり返りました。
 なお、PartTは2008年12月15.で紹介しています。

05.06.ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上下) スティーグ・ラーソン 早川書房
 社会派雑誌「ミレニアム」の幹部で経済記者の好男子ミカエル・ブルムクヴィストが、鼻・眉ピアスに体中にタトゥーを入れた尖った天才ハッカーリスベット・サランデルとともに40年前の少女の失踪事件の謎を解くミステリー小説。大物実業家にはめられて攻撃的な記事を書いて名誉毀損で実刑判決を受け信頼を失墜し、「ミレニアム」を守るために撤退をやむなくされたミカエルに、孫娘の失踪に疑問を抱き続ける旧財閥の前会長が身元調査の上でミカエルの腕を信頼して報酬と大物実業家を倒すための資料の提供を約束して娘の失踪事件の真相解明を依頼し、ミカエルがこれを受けて苦しみながら資料を読み込んでいき、ここにミカエルを調査した腕利きのリサーチャーリスベットが絡んで調査が進展し、予期せぬ展開がというストーリーです。ミステリーとしては、ちょっと展開が淡々とし、最初に設定した謎そのものは下巻の真ん中当たりで急展開して解決してしまい、その後はミカエルの敵討ちが続き、ややメリハリに欠けるというか、だらだらした感じが残ります。そういうもう少し盛り上げ方を工夫して欲しいなという不満は残りますが、ストーリーや材料、キャラ設定そのものはいい線をいっていると思います。テーマが、スウェーデン経済や、スウェーデンの歴史の過去の悪夢というべき優生思想・障害者抹殺と絡むナチズムに置かれており、その分娯楽読み物としてやや堅めの感じがします。それをミカエル、ミカエルの親友である「ミレニアム」の既婚編集長エリカ、リスベットらの奔放な性生活の描写で柔らかくしているというところでしょうか。ミカエルとエリカの関係や、リスベットの人付き合いを拒絶する尖ったキャラとその切なさが、物語をふくらませ魅力的なものにしています。冷酷で残忍な、しかし同時に虐待され傷つけられ続けてきたリスベットが、ミカエルに心を開き和らいだところで迎えるラストは、キャラ設定からはそうなる運命かとは思いますが、読んでいてちょっと哀しいですね。2巻以降の展開に期待したいと思います。

04.キャットとアラバスターの石 ケイト・ソーンダズ 小峰書店
 古代エジプトのパンクー神(ネコ)の秘宝の石によってネコに変身できるようになった10歳の少女キャット(キャサリン)が、街中のネコを2分する抗争を解決し、自分もクラスのいじめっ子との問題を解決していく青春ファンタジー小説。ネコ界を2分する抗争とその王子・王女の恋愛・駆け落ちをストーリーの軸として、いかにもヴェローナの恋人たち(ロミオとジュリエット)的な展開(作者自身、ネコの教授に「シェイクスピアを思い出した」(248頁)と言わせています)に、動物もの+古代エジプトの魔法を掛け合わせた3題話です。着想は安直な感じがしますが、明るめの読み物にはなっています。ごくふつうの少女が問題を解決していき、自分のいじめの問題も解決していくのは、ほほえましいですが、変身の度に素っ裸にして恥ずかしい思いをさせるというパターンは、いまどきちょっとひんしゅくものです。

03.比べてわかった!水彩上達のコツとヒント ナオミ・タイドマン グラフィック社
 水彩画の描き方について、具体的な作成経過を追いながら解説した本。この本の一番の特徴は、同じ写真から2人の画家がその写真をテーマにした水彩画を作成し、それぞれの狙いや特徴を説明しながら作成経過での技術の解説をしていることにあります。作成経過は5段階くらいなので、技術面で詳細に語るのは無理があり、どちらかといえば、同じ写真からどこに着目し、どこを強調して絵を作っていくか、つまり構成力というかイメージ力の方で参考になる本だと思います。2人に競わせることで、同じ風景について様々な描き方・捉え方があるということを実感できます。その意味で型にはめるのではなくイメージがふくらむ方向で、いい試みだと思います。水彩画の本ではどちらかというとぼかし系の指導が多いのですが、著者がわりと細部を書き込むタイプなのでしょう。作例に細部を書き込んだものが多く、海の波(36頁、37頁)とか、樹の絵(53頁)とか、草原の絵(76頁)とか、プロは違うなぁと見ほれてしまいました。

02.彼女の知らない彼女 里見蘭 新潮社
 オリンピック2連覇のかかった日本マラソン界の星蓮見夏希が代表選考最終レースの名古屋国際を前に疲労骨折し、困り果てたコーチ村上が飲んだくれていたところに、パラレルワールドを行き来できる装置を発明したというマッド・サイエンティスト井尻博士が現れ、パラレルワールドからマラソン選手にならなかった蓮見夏子を連れてきて4ヵ月で鍛え上げて名古屋国際女子マラソンを走らせるという、パラレルワールドファンタジー+スポーツ根性もの。前半は、いかにものマッドサイエンティストに、パラレルワールドトラベラーが117クーペ(いすず)と、バック・トゥ・ザ・フューチャーをさらにパロディ化したと思われる、荒唐無稽というか、それを指摘するのもバカバカしい話が続きます。その後は、ひたすらスポーツ根性物。それも全くこれまで訓練したことのない素人が天才的素質を見出されて短期間の集中訓練でめきめき頭角を現していくという、ありがちなスポーツ根性夢物語の展開です。前半はほとんどジョークの展開ですが、後半はジョークが入る余裕がほとんどありません。どうせ荒唐無稽なんだから後半ももっとジョークを入れた方が楽しめると思いますが。バカバカしいけど楽しめりゃいいじゃないのと思えれば、まぁありかなという作品です。

01.恋と恋のあいだ 野中柊 集英社
 フォトグラファーの早季子、大学院生の悠、インテリアコーディネーターの遼子の3人の女性のつきあっていた恋人との関係から新たな恋への決断を、3人を絡ませながら描いた小説。短編連作で、早季子、悠、遼子の順に2巡させて6話で構成し、前半3話はそれぞれが前からつきあってきた恋人との関係ないしそこから新たな恋への予感のようなところでの思いを描き、後半3話でそれぞれが新たな恋へと踏み出していくその流れ・揺れ・思いを描いています。3人が、そして3組が、少しずつ異なるものの、いずれもわりとさっぱりとしたサバサバした人となりや関係として描かれていることが、読後感をよくしています。どこか日本語っぽくない文体も、爽やか系の視点というか描き方にはフィットしているのだと思います。こういう文体。修飾語が後からついてくる。例えば「母の眠り。薬の作用で、深く、やすらかな。」(178頁)。最初はところどころ違和感を持つのですが、話の感覚がライトなので、読んでいるうちに馴染んでしまいました。

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