私の読書日記 2013年7月
13.チャーメインと魔法の家 ハウルの動く城3 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 徳間書店
過保護に育てられ家のことは何一つしない本好きの少女チャーメインが、大おばの大おじの魔法使いウィリアム・ノーランドがエルフの病気治療を受ける間ウィリアムの家の留守番を任されるが、その家は空間が折りたたまれてあちこちに通じている魔法の家で、チャーメインはウィリアムから読んではいけないといわれた魔法の本を読んで呪文を試すうちに危険な魔法生物ラボックに襲われ、ウィリアムを訪ねてきた少年ピーターやチャーメインのアルバイト申込みを承諾した王宮の人々との間でトラブルを起こし…というファンタジー小説。
基本的には、気が強くて本好きの少女チャーメインが、たまたま居合わせることになったおっちょこちょいで好奇心の強い少年ピーターと繰り広げる魔法系アドベンチャーファンタジーとして読むべき(ハリー・ポッターシリーズの初期のハーマイオニーとロンに近いイメージ)で、ハウルやソフィーは、出てくるし、事件解決に活躍はしますが、中心とは言いにくい。動く城は、添え物的に登場するだけですが、ウィリアムの魔法の家が空間が折りたたまれていてあちこちに通じているという仕組みなのは、動かないものの、「動く城」と共通のアイディアで、その点では「魔法使いハウルと火の悪魔」と通じるものがあります。
一番最初の「登場人物」の一覧にハウルの名がなく、冒頭の「読者のみなさんへ」で「思わぬ姿をとっているハウルの言動には、みなさんもいらいらすること請けあいですよ」と書かれていることから、「アブダラと空飛ぶ絨毯 ハウルの動く城2」でハウルがずっと他の登場人物に化けていたことを思い起こし、ここでもハウルは他の人物に化け続けているのかと思って読んでいたら、登場するやすぐにこれがハウルだと紹介されて拍子抜けします。
「魔法使いハウルと火の悪魔:Howl's Moving Castle」が1986年、「アブダラと空飛ぶ絨毯:Castle in the Air」が1990年に出版され、その後さらに18年を経て2008年になって出版されたこの本。原書にはいずれも Sequel to Howl's Moving Castle(ハウルの動く城の続編)と表示されているので「ハウルの動く城」シリーズと呼んでもいいでしょうけど、「魔法使いハウルと火の悪魔」では物語の中心にいたハウルとソフィーが、「アブダラと空飛ぶ絨毯」や「チャーメインと魔法の家」では事件解決に駆けつける名探偵みたいな位置づけで、役どころがかなり変わってきています。私の目には、かなり無理してシリーズ化してるように見えます。
訳者あとがきでは作者は続編のアイディアを温めていたと思われると紹介しているのに、表紙カバー見返しでは「『ハウルの動く城』シリーズ待望の完結編!」などと打っているのは実にいやらしい。作者が死んでしまった(2011年)以上、続編が書かれないことは確かですが、作者が完結させたという気持ちでないのに売らんかなでこういうコピーをつけるのはどうかと思います(「ミレニアム」でも同じようなことがありましたけど、不愉快でした)。
12.ヴァンパイレーツ12 微笑む罠 ジャスティン・ソンパー 岩崎書店
海賊船(ディアブロ号・タイガー号)とその属する「海賊連盟」、吸血海賊船ヴァンパイレーツ(ノクターン号)と反旗を翻して独立したシドリオたち、ディアブロ号とノクターン号に命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。
12巻では、11巻でコナーとグレースがシドリオの子で人間とヴァンパイアのハーフの「ダンピール」であると知り、シドリオと妻となったローラが2人をシドリオが支配するブラッド・キャプテン号、ローラが支配するバガボンド号へと招待し、海賊連盟とノクターン号はこれを利用して2人をスパイとして送り込むが、コナーとグレースは、シドリオとローラの陰謀で知らぬうちに人の血を摂り血への飢えを感じるとともにシドリオや乗組員への親しみを感じ、板挟みに悩むようになり…という展開になります。コナーは尊敬しその指導に従ってきた海賊連盟の幹部たちとりわけチェン・リーから、グレースは愛していたローカンから、心が離れ、成長し自立していくというか、ふてぶてしく図々しくなっていく様子が描かれ、どう展開していくのかと少しハラハラします。
日本語版12巻は、原書第5巻(原題:EMPIRE OF NIGHT)を例によって小分けして訳した2つめです。12巻で大きく展開を見せた上で一区切りついていますので、たぶん日本語版11巻と12巻で原書第5巻は終わっているものと思います。日本語版12巻がこれまでに比べて分厚いのは、原書1巻を日本語版3巻に分けるのがあまりに阿漕だと反省したものか、単に3つに分けるのには短いのか。
原書第5巻冒頭、日本語版では11巻冒頭のプロローグは、12巻の終盤に続いていますが、プロローグの部分は繰り返されず、プロローグ部分だけ話が飛んでいる形になっています。原書の読者は、一気に読めばプロローグを覚えているでしょうし、覚えていなければその同じ本の前を見ればすみます。しかし、2冊に小分けされ、出版が3か月ずらされている日本語版の読者は、12巻が出版された頃にはたぶんプロローグを覚えていないでしょう(私にしても、このプロローグが日本語版読者には不親切なことになると11巻の記事で書いておいたから頭に残っていただけです)し、11巻を読み返さなければ話も飛んでしまうということになります。このシリーズの本が出る度に繰り返していますが(「トワイライト」でも言い続けましたが)、実に読者をバカにしたやり方だと思います。出版社にしてみれば全巻買い求める読者だけがお客様で、図書館で借りて12巻を読むときには11巻が手元にないというような人は読者扱いする必要がないということかもしれませんけど。
11巻は読書日記2013年4月分.13で紹介しています。
10.11.法服の王国 小説裁判官 (上下) 黒木亮 産経新聞出版
1970年代初頭からの最高裁事務総局による裁判官統制、青法協・裁判官懇話会所属裁判官に対する人事差別、その中での民主的志向の裁判官と出世志向の裁判官の軋轢を1つの軸に、原発訴訟をめぐる最高裁事務総局の画策と担当裁判官の対応をもう1つの軸として1970年代から福島原発事故直前までの裁判所業界を描いた小説。
出世に響くと再三言われ現実に出世コースから外され地方の裁判所支部を転々とさせられる露骨な人事差別を受けながら青法協・裁判官懇話会をやめず、丁寧な審理を続け周囲の人望も厚く、クライマックスの「日本海原発」差し止め訴訟で裁判長を務める村木判事を一方の極に、最高裁事務総局で局長の横滑りを続け最高裁の人事政策を牛耳ってきた誰が見ても矢口洪一そのものの「弓削晃太郎」を対極におき、それぞれに同調する仲間と敵対する人物を配置してドラマが展開していきます。前半の両者の激しい対立から1999年の「弓削」の裁判官懇話会での講演と人事の見直しへと進む後半まで、概ねドキュメンタリーに近い話で、青法協攻撃以降の裁判所の人事政策に関心を持つ人々には聞き知っているエピソードが多くあまり違和感は感じません。「弓削」の側近に人事積極見直しを図る架空の人物と思われる改心良識派「津崎」を置き、終盤で最高裁側の人事政策転換を描いているのは、私にはやや楽観的に過ぎる印象ですが。
原発訴訟に関しても、伊方原発訴訟、志賀原発訴訟中心ではありますが、詳しめに書き込まれています。原発訴訟の歴史的な流れとしても、原発訴訟をやってきた弁護士(って福島原発事故以前はそんなにいるわけではないですけど)の目から見て違和感はありません。下巻214ページから219ページの志賀原発1号機差し止め訴訟での妹尾弁護士の証人尋問は、1990年に私が助っ人で行った北陸電力の原子力本部の部長を務める技術者の尋問の証人調書をまとめたもので、ずいぶん懐かしい話だなぁと思いながら読みました。念のために当時の証人調書を引っ張り出してみましたところ、60枚の証人調書からとりまとめたものですから大幅に省略されていますが、ポイントとしてはかなり正確にピックアップなり要約されていて、現実に法廷で行われた尋問の紹介として充分な正確性を持っていると思います。
終盤は最高裁事務総局サイドにも理解を示し希望を見いだしているように見えますが、序盤・中盤ははっきり青法協・裁判官懇話会側に正義がある描き方で、この小説が産経新聞に連載されたことには驚きました。産経新聞、意外に度量が広いのかも。
09.想い出の写真永久保存完全マニュアル 戸田覚 東洋経済新報社
写真やビデオをデジタルデータ化してクラウド保存することを推奨しやり方を説明する本。
紙焼きの写真は年月の経過とともに色あせ、アルバムの作成保存には手間がかかるし場所も取り、しかも検索もできないから次第に探せなくなる。デジタルカメラの写真もメモリーカードやパソコンの中だけではカードの紛失やハードディスクの故障で一巻の終わり。ビデオに至っては、テープが劣化することはもちろん、ビデオカメラが壊れたらテープが健全でも再生さえできなくなる。だから、今のうちにデジタルデータ化してクラウド保存することでパソコン内と2か所あればリスク分散されて安全という論理です。
おっしゃることはその通りで、写真その他のデータ類についてさえ、昔フロッピーディスクに保存したものはもちろん、MOに保存したものさえ、次第にパソコンのドライヴがなくなったり対応できるMOドライヴがなくなったりで、再生・利用が困難になってきています。
クラウド保存は、情報漏洩のリスクを否定できませんが、そこは自己責任だけど、そもそも無名の個人のデータをリスクを取ってハッキングしようとする人がいるか?と、著者は問いかけます。それもそうなんだけど、漏洩したときのダメージは人によりさまざまですから、簡単にはいえないでしょう。
何といっても、御説ごもっともなんですが、最初からデジタルデータのもの(デジカメの写真等)はともかく、そうでないもののデジタル化はなかなか億劫だなぁというのが、標準的な反応かなと思います。
08.ホテルオークラ総料理長の美食帖 根岸規雄 新潮新書
ホテルオークラ第4代総料理長(2001〜2009年)だった著者が、ホテルオークラの設備と料理とサービスの充実ぶりを説明し、料理人としての研鑽の過程や総料理長として心がけたことなどを語る本。
料理人としてヨーロッパで修業していた時代の食べ歩きで想い出に残る一流レストランの名物料理について語るパートもありますが、それはごく一部で、このタイトルに惹かれて読むと羊頭狗肉の感があります。
著者自身も述べているように、料理のできあがり・水準を落とさないことに気を遣いながら、いかにコスト面で合理化していくかも総料理長の仕事であり、マネージメントの面での仕事の比重が相当ある訳で、むしろビジネスとしてのサービスとホテルオークラにかける思いが書かれた本として読んだ方が適切だろうと思います。そういう面を含んだホテルオークラのPR本としての性格が強く、2100円払っても「ダブルコンソメ」を飲んでみたい、「世界一のフレンチトースト」を食べてみたい(この本には値段は書いていませんが、テイクアウトなら2切れ1260円)と思えたら執筆意図は満たされるという本かなと思いました。
07.はぶらし 近藤史恵 幻冬舎
仕事はそこそこうまく行っている脚本家で36歳独身2年つきあった男と別れたての真壁鈴音が、高校の時の部活仲間だった古澤水絵に子ども連れで転がり込まれ、断り切れないままに居候され、追い出したくても追い出せないというシチュエーションで、水絵への猜疑心と嫌悪感、幼子共々路頭に迷わせることへの良心の呵責の心理・葛藤を描いた小説。
鈴音の居室・生活に入り込んでくる水絵への嫌悪感と、女性・母子家庭の生きにくさや世間の偏見への憤りに挟まれ、あちらこちらに揺れる鈴音の思いのアンビバレントな居心地の悪さが、狙ったものかどうかはわかりませんが、おもしろい(決して楽しくはありませんが)読み味を出しています。ただ、それには水絵の立場、水絵への評価を宙ぶらりんというか2側面を併存させておいた方が効果的で、第8章はない方がよかったかもと思います。
06.誰もいない 小手鞠るい 幻冬舎
京都市内の不動産屋のパート社員杏こと都築杏子35歳と私立中学教師ミッキーこと笹本幹広、東京の町立図書館の館長襟野みずき32歳と関西に本社のあるメーカーの東京の部品製造工場の責任者として労働者のリストラに取り組む斉田明典の2組のバツイチ女と既婚男の不倫カップルの恋愛小説短編連作。
男たちは、子どもが中学生になったらすべてを話して妻と別れると言ってダブル不倫だった杏には夫と別れさせたミッキー、関西にいる妻は癌で入院中と偽って業務の都合で東京と大阪の二重生活を続けつつみずきを東京妻としてキープする明典と、どちらもありがちな実際には妻と別れることなど考えてもいないが調子のいいことを言って不倫関係を続けたい小ずるい連中と読めます(作者はそう設定したのではないかもしれませんが)。それに対して、杏はかつて婚約者の父親に横恋慕して密通を続けたり、後には夫の連れ子に手を出してしまうという節操のない肉食系、みずきは仕事も堅実で性格もよく相手を一途に愛するよくできた人。その組み合わせで、とろけるような蜜月、あるいは爛れた性生活に始まり、少しずつ影を落として別れに至る流れを、2組で交互に書き連ねています。いずれも女性側の視点から書かれていますが、男性読者には、男性読者に対しては、妻をキープして不倫相手と夢のような関係がいつまでも続くわけないでしょと言われているような気がします。
2組の間は、現実世界では交わりませんが、みずきの側からは杏たちの話がみずきの大好きな作家の書いた恋愛小説の世界として、杏の側からは、なぜか京都の杏の地元の杏が「無人島」と呼ぶ小さな図書館がまるでみずきが館長を務める東京の町立図書館のように暗示されています。
05.秋霧の街 柴田哲孝 祥伝社
不景気だといいながらポルシェを乗り回すハードボイルド志向の肉体派私立探偵神山健介が、寂れた新潟東港で2年前に起こった殺人事件の真相を探るうちにロシアコネクションの裏稼業に巻き込まれるというアクションサスペンス小説。
粋なちょいワル親父を志向しつつ、古い世代の男の価値観・視点に裏打ちされた描写が目につき、おじさん世代の男の妄想はやっぱりこのあたりだよねと思えます。マッチョ男の粋がりはよく描かれている感じがしますが、マリアの心情の描写には男目線の限界を感じます。
アクションとしては十分展開しているように思えますが、ミステリー部分は、結局、神山が選ばれた経緯など釈然としないものが残ります。
舞台となった新潟の風土や観光案内的な部分は、最近また仕事で新潟通いが続いている私には、ちょっとありがたく思えましたが。
04.ひらいて 綿矢りさ 新潮社
同級生の寡黙な男西村たとえに思いを寄せる高校3年生の木村愛が、西村が密かに手紙を読む姿を目撃しその手紙を盗み出したことから西村がクラスで浮いている糖尿病の美少女美雪と秘密裏に交際を続けていたことを知り、美雪に近づくという青春恋愛小説。
思いを寄せている相手の男が5年越しの交際をしているとわかり、自分に対してはほとんど関心を示さず、結果は見えているのにそれでも明確に気持ちを聞かずにはいられない愛の玉砕。ここまでは、第三者的にはやめときゃいいのにと思いますが、高校生だし、まぁ大人でも恋する者には周りは見えないことはありがちだし…とは思えます。しかし、美雪に迫って口を割らせた挙げ句、美雪の唇を奪い体の関係をも持ってしまう、それも「女と唇を合わせている生理的な嫌悪が私の肌を粟立たせて、喉元までゆるい吐き気がこみ上げる。でもやめようとは思わない」(81ページ)、「熱く溶けた小さい肉の感触に、おぞけで震えがきた。吐き気がして、空の嗚咽に喉が鳴り、舌が口から飛び出しそうになる。しかし指は私の感情を反映せず、不思議なくらい平静に、優美な動きをくり返している」(108ページ)などと気持ち悪く思い自己嫌悪に陥りながらそうする姿には驚きます。さらに西村に対する思い、当然のように振られた後も持ち続ける鬱屈し歪んだ思いと、美雪に対する嫉妬と独占欲・支配欲に揺れながら、愛が2人に対してぶつける破壊衝動には軽い戦慄を覚えます。とはいっても、恋する心理がバランスを崩したとき、不器用な者がそういった道を進むことは、ありそうに思え、少し切ない共感も持ちます。既にストーカーと紙一重の領域ともいえますけど。
糖尿病と共に生き、糖尿病を理解してもらおうという考えからのあっけらかんとした行動からクラスで浮いてしまった美雪が、西村にまっすぐな思いを寄せつつ、愛と同性愛行為に引き込まれながらそれを受け入れる姿も、ちょっと怖い。まじめで純朴な人物が持つ人生への確信故にか、常人なら受け入れがたい事態をも冷静に地に足を着けて当然のように受け入れてしまう大人びた姿には、ほのかな憧れと微かな畏怖が入り交じる感情をかき立てられてしまいます。「私にとって私の病気とは、生まれたときから刻まれている、手のひらの皺のようなもの。自分の限界を知っている哀しみを生きる力に変えてゆく強さが、私にはあります」(146ページ)、荒んだ家庭を見せたくなかったというたとえに対して「いつまでも、隠す必要なんかないのよ。病気にかかってこそ、今の私がいるのと同じように、あなたも、すべてを含めて、あなたなんだから。私はたとえ君のすべてが愛しいよ」(152ページ)。高校生カップルで相手からこんなこと言われたら、感激するとともに、絶対一生尻に敷かれるなと思ってしまうんじゃないでしょうか。
03.空気の名前 アルベルト・ルイ=サンチェス 白水社
北アフリカのイスラム圏の港町モガドールに住む16歳の少女ファトマが寡黙になり窓から外を見つめ、港に佇み公衆浴場に通いながら妄想/幻想の愛を求め身を任せる姿を中心に、周囲の人々の思い・幻想・妄想を描いた小説。
前半の「1 空気の手のなかで」は、もっぱら幻想/瞑想にふけり寡黙になったファトマの他者からの印象とファトマの幻想を描き、次第にファトマの幻想を色濃く描き出して行きます。具体的なことがら・行為の描写はほとんどないのですが、次第に濃密になるファトマの性的なファンタジーが官能的で、ドキドキしてしまいます。
後半の「2 名前」は、尊大な男と初心な男の、どちらも独りよがりなファトマへの欲望と求愛、思い込みと、ファトマのカディヤに寄せる思いとカディヤの宿命を描いていますが、男たちの独りよがりな思い込みは、あまりにもわかりやすくて恥ずかしく、ファトマとカディヤの噛み合わなさとあわせて、収拾がつかない印象です。
前半だけで終わったら、どこか落ちつかなさ、すわりの悪さを感じるだろうとは思いますが、それでもその方が余韻が残ってよかったかもしれないと思います。それは、前半のファトマの妄想が私には理解できない思いを持たせる故に不思議・不可解さと憧憬を感じるのに対し、男たちの妄想には品のない恥ずかしさだけを感じてしまうためかもしれませんが。
02.レーン ランナー3 あさのあつこ 幻冬舎
家庭の問題や周囲の人間関係を引きずりながら走る高校生加納碧李が挫折し(ランナー)、その後の復活戦で、唐突に現れた超高校級のライバル三堂貢と好勝負を演じた(スパイクス ランナー2)後、走りたい、三堂に勝ちたいという欲求を持ち始めた加納碧李と加納に興味を持った三堂の次の大会に向けた日々を、周囲の人物のエピソードを入れて描いた続編。
陸上選手を題材にした暗めの青春小説の体裁でスタートさせたシリーズを、続編でライバルを登場させてスポーツドラマに変身させ、3冊目のこの本ではスポーツドラマのクライマックスとなるべき試合はこの作者の例によって期待だけさせて描かず、1冊目と同様の周辺人物の人間ドラマを比較的明るめのトーンに変えて(登場人物を成長させ、吹っ切らせて)続けています。
この作者の代表作/出世作の「バッテリー」でも「完結」の1冊前の5巻でそれまでの主役たちの友人のひねくれキャラ瑞垣クン・吉貞クンのしゃべりでページをかせぎ続けましたが、この本も同様で、半分くらい加納の友人のマネージャー久遠君と三堂の従兄弟坂田君の語りで持たせています。この流れからすると、この「ランナー」シリーズも、続編が書かれるとすれば、ラストは「バッテリー」同様のパターン(あえて書きませんが、私には勘弁してくれよ、これはないだろ的な)なんだろうなと思えてしまいます。
01.労働関係訴訟の実務 白石哲編著 商事法務
東京地裁労働部の裁判官が、労働事件で実務上比較的よく問題となる論点について、これまでの判例を整理し、訴訟での労働者側・使用者側の主張・立証上の注意点をまとめて説明した本。
現役もしくはついこの前まで東京地裁労働部にいた裁判官が、労働事件の重要論点での裁判官の考え方を書いたという本ですから、労働事件を取り扱う弁護士、特に東京で労働事件を取り扱う弁護士にとっては、宝物のような本です。もっとも、30項目、本文522ページに及ぶこの本を、読む前の段階では労働事件の裁判で問題になりそうな論点は網羅されていると思えたのに、読んでいくと、ではここはどうなる、こういうときはどうだろうと次々と疑問が生まれ、これでもなお議論の基礎・とっかかりが整理されたくらいに思え、改めて裁判実務の奥深さを実感してしまいました。東京地裁労働部の裁判官が労働事件の類型別に実務の考え方、審理の進め方を解説するという同趣旨の本としては、判例タイムズ社の「労働事件審理ノート」があり既に3版を重ねていますが、この「労働関係訴訟の実務」の方が説明が長く取られていることと、要件事実・立証責任のブロックダイヤグラムを書いていない分だけ読みやすいかなと思えます。どちらにしても法律家業界の人以外の通読はほぼ無理でしょうけど。
労働事件を取り扱い労働部とつきあいのある弁護士には、裁判官ごとの書きぶりに裁判官の個性を感じて興味深い点もあり、ところどころ従来の判例を踏み越えた意見にこれは東京地裁労働部の共通理解だろうかと頭を悩ませたりといった、外の業界、さらには弁護士業界でもふだん労働事件をあまり扱っていない弁護士とは違う独自の読み味というか読後感がある本です。どこがどうというのは人間関係もあり言いにくいところもありますが。
細かいことですが、1年単位の変形労働時間制を採用した場合の対象期間中の一部だけ変形労働時間制を適用した労働者(対象期間中に採用・退職・配転があった場合など)の時間外労働の計算式が「時間外労働時間=1年単位の変形労働時間制により労働させた期間における実労働時間−[労基法37条1項に基づき割増賃金を支払わなければならない時間−40時間×(上記期間の暦日数÷7日)]」としている(77ページ)のは誤りで、条文にあわせると「時間外労働時間=1年単位の変形労働時間制により労働させた期間における実労働時間−40時間×(上記期間の暦日数÷7日)−労基法37条1項に基づき割増賃金を支払わなければならない時間」とするか(こっちの方が条文に忠実)、括弧でまとめたいなら「時間外労働時間=1年単位の変形労働時間制により労働させた期間における実労働時間−[労基法37条1項に基づき割増賃金を支払わなければならない時間+40時間×(上記期間の暦日数÷7日)]」とすべき(要するに「40時間…」の前の符号が誤り)ですし、実質的に割増賃金対象がわかるように書くだけなら「時間外労働時間=1年単位の変形労働時間制により労働させた期間における実労働時間−40時間×(上記期間の暦日数÷7日)」でいいと思います。労基法32条の4の2の条文が「労基法33条または36条1項の規定により延長しまたは休日に労働させた時間」=労基法37条1項に基づき割増賃金を支払わなければならない時間を除外しているのは、これについては規定をしなくても37条1項で割増賃金が支払われる(言い換えれば対象期間の一部適用でなく全部適用の場合でも割増賃金が支払われているはずで、一部適用労働者にも既に支払われているはずだから精算の必要がないはず)からで、説明する際には結果としてこれに当たる時間もそうでない時間も割増賃金が支払われることに違いはないと言ってしまって問題ないですから。技術的な規定で、なかなか読みにくいところではありますが(ただ、それだけに解説書ではよりわかりやすい書き方にして欲しいところです)。
**_****_**