私の読書日記 2013年11月
21.余命1年のスタリオン 石田衣良 文藝春秋
2枚目半の種馬王子を看板にして実生活でも3人の女性と交際中の35歳バツイチの俳優小早川当馬が、肺の小細胞癌で余命1年と宣告され、その間に念願だった主演映画を撮影することになり、さらに子どもも生みたいと欲を出し…という余命宣告期限付き恋愛・人生論小説。
ひとまわり年上47歳の清純派女優で実生活では激しいセックスを好む都留寿美子と当馬の癌宣告・抗癌剤治療後初めてのセックスの場面のやりとり(184〜193ページ)が思いやりと2人の関係のよさを感じさせて、いいなぁと思う。私だったら、この展開だと寿美子に惹かれていくと思ってしまう。同い年のおじさん作家が描く男からの理想像にうまく踊らされているようにも思えますが。
同時に、並みいる美人たちを差し置いて、美人とはいえない平凡な女性が当馬と結ばれ、当馬がそれに幸せを感じ続けるという展開は、いかにも女性読者層の受けを狙った感があります。新聞連載小説ということで、作者が読者層を考えて書いているということなんでしょうね。
ストーリーとは関係ないですが、「女子ども向けの作品ばかりだと、良識ある男たちは日本の芸能を馬鹿にする。だが、金もつかわず観にきてもくれずに文句ばかりいう者など、誰が相手にするだろうか。大人の男がきちんと遊ばない国の文化が、いびつで幼いものになるのは、それなりの理由があるのだった」(32ページ)という指摘は、ちょっと耳が痛い。
当馬は何か月も咳が続き風邪だろうと思っていたのが血痰が出て慌てて検査すると肺癌で余命1年と宣告されます。私も今年の前半何か月も咳が続いていて風邪がなかなか治らないなぁと思っていました(その頃電話をいただいた方には、ちょっと喉の調子が悪くて途中で咳き込むかもしれませんのでご了解くださいなどと言って電話を受けていました)ので、この本を読んでどっきりしたのですが、そこで改めて、そういえばいつの間にかあの咳治ってるなぁと気がついた次第。長期的な症状って、いつの間にか慣れてしまうし、なくなってもあまり気がつかないものですね。
20.十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞 内館牧子 幻冬舎
京大医学部現役合格・水泳国体選手・女にもてまくりのできすぎた弟を持つ二流大学カタカナ学部・就活59社不採用内定ゼロ・フリーターと聞いた彼女に振られたばかりのダメ兄貴伊藤雷22歳が源氏物語の世界にタイムスリップし、陰陽師と称して手持ちの薬品や源氏物語の知識を用いて宮中で重用されるという設定で、主に弘徽殿の女御に取り立てられ、源氏物語を弘徽殿の女御サイドから眺めた形で展開させる小説。
弘徽殿の女御を自立心の強い決断力・胆力のある女性政治家と位置づけ、積極的に評価するとともに、男に取り入って自己と子どもの安泰を確保しようとする女たちを批判的に捉え、源氏物語の中での人物評価と異なる見方を示しています。その点がこの作品の読みどころなのですが、現代の若い男の語りになっているのがちょっとしっくりこない感じがします。源氏物語の登場人物、特に女性たちへの評価の視点が、やっぱり中高年女性の視点からの評価だなぁと思います。それを女性から語らせると若い女性への僻みとか嫉妬、意地悪な見方と受け取られやすいので、若い男性を話者にしたんじゃないかと思えるのですが、読んでいて度々若い男がこういう評価するかなぁと違和感を持ってしまいました。もっとも、女性の視点からの評価、男性の視点からの評価という感覚自体がステレオタイプの異性観でもあり、もっと自由な発想をすべきだと読み手の自分が反省しなきゃとも思うのですが。
語り手自身が、弘徽殿の女御の息子一宮(後の朱雀帝)と同様にできすぎた弟を持つという設定で、コンプレックスと弟への微妙な少しひねた愛情が常に意識され、他方で恵まれたように見える者もどこかにコンプレックスを持つということにも言及され、他者への視点とコンプレックスがもう一つのテーマになっています。
異性間・同性間の人間関係の機微やコンプレックスについてあれこれ考えさせられる作品でした。
19.贖罪 湊かなえ 双葉文庫
「空気がきれい」が売りの田舎町の小学校で、東京から転校してきた小学4年生の少女エミリが、同級生の紗英、真紀、晶子、由佳と校庭でバレーボールをしていたところをプールの更衣室の換気扇の点検に来た作業員と名乗る男に手伝いを頼まれてプールの更衣室に連れて行かれそのままレイプされ絞殺されたという事件が起こり、犯人が逮捕されずに3年が経過したときにエミリの母親麻子が中学1年になっていた4人を呼び出し、エミリが殺されたのはあんたたちのせいだ、あんたたちは人殺しよ、わたしはあんたたちを絶対に許さない、時効までに犯人を見つけなさい、それができないのなら私が納得できるような償いをしなさい、そのどちらもできなかった場合私はあんたたちに復讐するわと怒鳴りつけ、その言葉に縛られて生き続けた4人が結局人の命を奪うに至るという因果因縁話の短編連作。
成人した4人が順次自分の来歴を語る語りの中で、少しずつ事件に至る経緯や事件当日の状況、その後の麻子の行動と犯人像が明らかにされ、全体としてミステリー仕立てになっていますが、おそらくはそこよりは、心ないジコチュウの大人が鬱憤晴らしに怒鳴った1つの発言が相手の人生を縛り付け破壊するに至るという重苦しい宿命劇としての部分が読みどころの作品なのだと思います。
4人の少女たちのエピソードに続き最後に麻子のエピソードが登場します。ここで麻子には麻子の事情があり、4人のエピソードであまりにもジコチュウで性悪と描かれてきた麻子が実は善意だったというところまでひっくり返せれば、さらに欲張れば最後に「犯人」のエピソードを置いて実は犯人も悪人ではなかったという大どんでん返しがあれば、不条理劇としての深さが生じたのでしょうけれど、さすがに麻子の行為の設定が酷すぎて麻子への共感を呼ぶには至りません。
それにしても衝撃的な事件に遭遇した人がその後の人生を大きく規定され長い間事件を引きずり続ける宿命の重さの描写を読むにつけ、そういうことになりかねない事件に度々関与することになる自分の仕事の重さを改めて感じてしまいました。
18.ニュートリノでわかる宇宙・素粒子の謎 鈴木厚人 集英社新書
カミオカンデとその後継機スーパーカミオカンデ、カムランドでのニュートリノ検出実験の経過とニュートリノを巡る理論状況を解説した本。
私が子どもの頃には素粒子というと陽子、中性子、電子だけで済んでいたのですが、その後、素粒子が陽子や中性子も最小単位ではなく陽子も中性子も「アップクオーク」と「ダウンクオーク」が結合してできているとか、中性子が電子を放出して陽子になる(β崩壊)ときにニュートリノが出るとかいう話になり何となくついて行けなくなっているのを挽回できるかなと思いながら読みました。
前半は、ニュートリノは人体から通常毎秒3000個も放出されている(38〜39ページ)とか、地球内部から地表に向けて放出されるニュートリノは1平方センチメートル当たり毎秒20万個以上(40〜41ページ)、太陽から地球に降り注ぐニュートリノに至っては1平方センチメートル当たり毎秒660億個(42〜43ページ)とか、ビッグバン時に放出された「宇宙背景ニュートリノ」は宇宙全体に存在し「いまあなたの目の前にも、1立方センチメートルあたり300個の宇宙背景ニュートリノが浮いているはずです。」(203ページ)などイメージしやすい説明が続き、何となくするすると読めます。ただ、最初の方の易しげな説明でも、中性子が陽子になるβ崩壊で電子とニュートリノが放出される(30〜31ページ)というのと恒星が重力収縮して中性子星になる過程の「重力崩壊」で陽子が電子と結合して中性子になる際にもニュートリノが出てくる(78ページ)のが、ちょっとストンと落ちない気がしました。β崩壊も不安定な状態からより安定した状態への変化で、重力崩壊でも電子が結合によってエネルギーが低い状態になることからエネルギーが放出されるであろうことはまぁ理解できますが、中性子→陽子+電子と陽子+電子→中性子でどちらの反応でも同じ物が放出されるというのは直感的に納得しがたく思えます。易しく説明しようとするからかもしれませんが、読んでいてイメージはできるのだけど首をひねる部分がところどころあった感じです。
第4章で17種類の素粒子が登場する素粒子の「標準理論」の説明が始まってから後は、一気に難しくなり、ほとんどついて行けなくなりました。前半で少しニュートリノの話もわかったような気になったのが、気持ちがしぼみ、あ…やっぱり難しいわとあきらめてしまいました。
17.巨大彗星−アイソン彗星がやってくる 渡部潤一 誠文堂新光社
2013年11月29日に0.012494天文単位(天文単位=地球-太陽間距離)まで太陽に近づき、その前後の夜明けの東南東ないし東の空を飾ることになる巨大彗星アイソンについて、それ以前の彗星のエピソード、国立天文台副台長の著者のこれまでと合わせて説明した本。
彗星や流星群の予測は天文学者でもわからないという驚きも動機の1つとなって天文学者になった著者が、これまで天文ファンの話題に上る彗星が近づいた際にその彗星の見え方(明るさ、尾の長さなど)について予測を繰り返しては外し、2013年3月に接近したパンスターズ彗星について「大彗星にならない」と予想した際には朝日新聞に「彗星の予測をよく外すといわれている渡部潤一・国立天文台教授は最近、あえて『春がすみもあって、パンスターズ彗星は肉眼では見えないだろう』と繰り返しており、天文ファンに『歓迎』されている。」と書かれた(82〜83ページ)という経緯など、これまでの主な彗星の見え方やその予想の外れぶり、著者のこれまでなどが大部分を占め、アイソン彗星のことが書かれているのは全体の3分の1くらいです。その過程で、彗星の構造やどういう条件があると彗星がよく見えるのか、尾の仕組みや尾が明るく長く見える条件などが説明されているので、それなりに読み応えはあるのですが。
アイソン彗星自体については、当初希望的に予測された満月を超えるほどの彗星にはならない、太陽の潮汐力で核が分裂する可能性が高いので近日点通過後の12月上旬から中旬には長さ10°を超えるようなかなり直線的な尾の出現が予想される、観察は12月上旬の夜明けがよく、東京では午前4時半頃から東の地平線付近を眺めているのがよい、小さな双眼鏡があればベストだが肉眼でも充分だそうです。
【追記】
11月29日、NASAが太陽に接近したアイソン彗星が崩壊し蒸発して消滅したと一旦発表し、その後まだ残っているがどの程度残っているか地球から見えるようになるかはまだ判断できないと改めて発表しています。さて無事に観測できますか…(12月1日追記)
NASAも国立天文台も肉眼での観測は無理って。「彗星の予測をよく外すといわれている」は伝説・定説となりますか…(12月3日追記)
16.教科書を飛び出した数学 藤川大祐 丸善出版
数学を日常生活やそれを支える技術との関連で説明し、数学への興味を誘う本。
著者の「授業実践開発研究室」で研究し、千葉大学附属中学3年生の授業に用いたプログラムから、8つのテーマを紹介しています。
今どきの本では、一番のエピソードを最初に持ってくるということもあると思いますが、私には最初の音律とハーモニーの話が、私が音楽分野は少し苦手なこともあり、勉強になりました。和音では振動数が整数倍だときれいに響くということは感覚的に理解できますが、音律でそれを優先して、1オクターブは2倍、5度の関係(ドとソ、ラとミなど)では3/2倍という2つのことだけで決めた音律をピタゴラス音律というのだそうです。最初の音(例えばド)から5度ずつ上げて1オクターブを超えたら1オクターブ戻し、また5度上げていくという順序で各音の振動数を決めていくことになりますが、この作業を1巡すると、最初の音の1オクターブ上の音は結局2.02729倍になってしまうとか(4〜10ページ)。このように音の振動数を整数比で決める音律を「純正律」と言い、ピタゴラス音律も純正律の1つですが、一般に用いる純正律では、ドの振動数を1とするとレは9/8倍、ミは5/4倍、ファは4/3倍、ソは3/2倍、ラは5/3倍、シは15/8倍とされ、これは長3度(半音4つ)が5/4倍、短3度(半音3つ)が6/5倍で3度のハーモニーがきれいになるそうです。それでドミソ、ソシレなどの長調の和音がきれいというわけ。ところが、純正律では全音1つ(半音2つ)違うと基本的に9/8倍、短音1つ違うと16/15倍になるけれど、ソとラの間だけ10/9倍となるため、曲の途中で転調が困難という問題があり、これを避けるために1オクターブを2倍として半音12を均等(半音違うと2の12乗根倍)に配分した「平均律」が鍵盤楽器で広く使われるようになったけれども今度は和音がやや濁ってしまうのだそうです(10〜17ページ)。音律にいくつも種類があることも知らなかった私にはビックリの世界でした。
その他の点では、素因数分解と暗号鍵の話、複素平面の話が、これまで読んでも難しいなぁという印象しか残らなかった分野で、少しイメージしやすく書かれているなと感じました。
15.ぼくはこうして出張ホストになった 宮田和重 彩図社文庫
親が多額の借金を抱え貧しかった学生時代の著者が、アルバイト先の店長の妻が関与するホスト派遣業にスカウトされ、ナンバー1ホストになり転落して廃業するまでを描いたノンフィクション。
プロローグで語られる初めての顧客と会うときの心境に、いきなり冷水をかけられる思いをします。「初対面の女性が待つ部屋のインターフォンを押す瞬間だけは、今でも期待に胸が膨らむ。美人か、金持ちであればアタリ。両方だったら、大アタリ。それ以外は、たとえどんなに性格が良くてもハズレだ。」(2ページ)、「ブランドのロゴがデカデカとついたバッグ、ネックレスや腕時計も安物だろう。典型的な庶民のスタイル……完全にハズレだ。会社からは、客の希望はマッサージだと聞いていた。冗談じゃない、どうしてこんなに金にならない相手に僕がサービスしなければならないんだ。」(3〜4ページ)、「いくら指名を入れてくれようが、彼女のようなハズレ客は存在価値がない。」(4ページ)。う〜ん、ホストって、あるいはナンバー1ホストって、内心ではこういう目で客を見てるんだ。
最初のころの試行錯誤の段階の話では、相手の女性の視点に立って考えてみる(81ページ)、掲示板に集う人々は皆もっと自分のことを理解してもらいたいと強く思っている(82ページ)、ホストを利用する人は寂しさや孤独を抱えている人が多い、心にも触れる接客を心がけるようにした(89ページ)、僕には相手の気持ちを100%理解することはできない、だが「理解しようとする努力をする」ことが大切なのだ(90ページ)、ホストを利用する人は「ホストなんて利用して、私は一体何をしているのだろう……」という自己嫌悪に陥っている、自己嫌悪を感じさせないためにはどうすればよいか、考え抜いた末お客様と別れる際には「次回も是非ご指名ください」ではなく「今日は楽しい時間をありがとうございました。明日からもまたお互い頑張りましょうね」と言うようにした(95〜96ページ)など、謙虚というか、顧客のことを考える言葉が並んでいます。これ自体は、サービス業に関わる者として共感できるところですが、こういう姿勢でいた人がみるみるうちにプロローグのような感覚になっていくのは怖いことです。初心忘るるべからず、でしょうか。
その自信を深めたナンバー1ホストの著者が、「経験を積む中で、女性はたった3つのポイントさえ抑えておけば満足させることができるということに気がついた。ポイントとは、『性器の位置と形状』『刺激する場所』『快感に慣れているかいないか』だ。」(164ページ)と断言していますが、さてそういうものなんでしょうか。
14.ヴァンパイレーツ13 予言の刻 ジャスティン・ソンパー 岩崎書店
海賊船(ディアブロ号・タイガー号など)とその属する「海賊連盟」、血を吸う相手を殺さないようルール化している吸血海賊船(ヴァンパイレーツ)ノクターン号の「ノクターナルズ」と、ノクターン号に反旗を翻して独立したヴァンパイレーツのシドリオたち、ディアブロ号とノクターン号に命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。
13巻では、海賊船への襲撃を重ね100隻を奪ったシドリオたちヴァンパイレーツ軍団に対抗するために同盟を組んだ海賊連盟とノクターナルズが、グレースのいるサンクチュアリを野戦病院化して重傷者を回復させて戦列に戻すとともに、ヴァンパイレーツへの逆襲を計画し訓練を重ね、ヴァンパイレーツ軍団に奪われたディアブロ号の奪還を企て、シドリオたちは海賊側の戦闘員が減らないことを訝しんでサンクチュアリにスパイを送り込み、シドリオの子を孕んだローラはますます残虐に襲撃を続け…という展開になります。
プロローグで、500年前にモッシュ・ズーが戦乱の時代の訪れと「戦をもたらす者の子どもとして生まれ」た双子の登場、ノクターナルズに勝利をもたらすことができるのはこの双子だけで、戦乱を終わらせ調和をもたらすためにはこの双子のどちらかが死ななければならないことを予言したことが紹介され、原書の前作で不死のダンピール(ヴァンパイアと人間のハーフ)だとわかったコナーとグレースが死ぬ運命を示して読者に緊張感を与えています。
13巻の最大の驚きは、これまでジコチュウのわがまま坊やだったムーンシャインがヴァンパイレーツの餌食となったモロッコ・レイスの遺言で奪われたディアブロ号の船長に指名され成長を見せるところでしょう。母親のトロフィー・レイスだけは相変わらずですが、この成長で海賊連盟の結束が深まり安定感が出て来ます。
日本語版13巻は、原書第6巻(原題:IMMORTAL WAR)の前半部分にあたり、原書のほぼ半分を翻訳したところで、ぶっつり切れて終わっています。ストーリーの区切りに思えるところはなく、本としての終わりの体裁もついていません。前から繰り返し言っていますが、日本語版を販売政策上分冊にしたいのなら、最初から上下とかにして分冊であることを明確に表示した上で同時に発売すべきだと思います。それもしないでこういう中途半端な途切れ方をした本を発売するの、出版社は恥ずかしくないんでしょうかね。
12巻は読書日記2013年7月分12.で紹介しています。
13.デンマークの歴史教科書 【古代から現代の国際社会まで】 イェンス・オーイェ・ポールセン 明石書店
デンマークの国民学校高学年(日本の中学生に相当するそうな)で使用されている歴史教材。日本語タイトルでは「教科書」と紹介し、「世界の教科書シリーズ」の1冊なのですが、訳者あとがきによれば、デンマークでは1冊の教科書で授業を行うというスタイルではなく教師がさまざまな教材を利用するので、実態としては教材の1つのようです。本の原書タイトルも日本語訳すると「歴史概観」のようです。
日本の歴史教科書と比較して、経済面や庶民の暮らしへの影響への言及が多く、他方、文化史の紹介はほとんどないことが目につきました。歴史教科書で「偉業」と讃えられがちな大規模建築物の建設や対外戦争の記述に度々それに伴い支配者が農民らからの徴税を厳しくして農民らが苦しんだことが付け加えられています。エーリク6世が新しい砦を築きドイツ北部を征服したが、その費用の捻出のために追加の税を徴収して農民反乱が起き、さらには各地の領主らに借金をして国土を抵当に入れ、1332年にエーリク6世を継いだ弟のクリストファ2世が死ぬと新たな国王は選ばれず王国が解体した(86ページ)というエピソードは象徴的です。
デンマークらしい視点としては、イギリス側ではもちろん蛮行と描かれるバイキングの略奪について否定的な表現はされず、「イングランド人がデーンゲルドと呼ばれる大金を支払ってはじめて略奪は止んだ」(70ページ)などやや勝利感の漂う記述がなされています。985年頃バイキングがグリーンランドを発見し、その約15年後にはニューファンドランド島にも到達し、「バイキングはコロンブスよりほぼ500年前にアメリカへ到達していた。」(68ページ)とも述べています。1807年にナポレオン戦争の過程で当時イギリスに次ぐ艦隊を持っていたデンマークに対してデンマークがフランス・ロシアに奪われることを恐れたイギリスがデンマークに艦隊を引き渡すことを求め、デンマークがこれを拒否するとコペンハーゲンを包囲して5昼夜にわたって砲撃したそうです。私は知りませんでしたが、「これは、世界最初の一般市民への大型テロ砲撃だった。」(172ページ)とされています。他方、ナチスのノルウェー侵攻時には抵抗せずにナチスの要求に応じて共産党を禁止する法律を制定したり約1万2000人のデンマーク人がSS(武装親衛隊)に加わったなど事実上ナチスへの協力を続けていたことについては商業上のメリットや独立を維持するために必要だったなど肯定的な評価をしています。
ヨーロッパ中心、近現代史中心の記述ですが、イスラムについてほとんど紹介がないのは残念な気がします。近年では、ギリシャ・ローマの科学技術や文化を継承したのはイスラム諸国で、そのイスラム諸国からそれを学んだことが近代ヨーロッパの隆盛につながったとみる見解が主流だと思います。そういうことを学んでおくことが、ことさらにイスラムへの敵対心を煽る風潮の下でとても大切に思えるのですが。
日本は、第2次世界大戦でドイツ・イタリアとともに防共協定の当事者だったこと(223ページ)と、広島・長崎への原爆投下(232ページ)以外はまったく登場しません。中国でさえ本の印刷技術をグーテンベルグより500年以上前に開発していたこと(120ページ)と中華人民共和国の成立・朝鮮戦争(240〜241ページ)だけですし、インドもバスコ・ダ・ガマらの到達先、コロンブスの目的地として以外はイギリスの植民地だったと紹介される(205ページ)だけということを考えると、そして日本の中学の歴史教科書に「デンマーク」の紹介は1行もないと思われることを考えれば、しかたないとも思えますが。
歴史や外国についての知識・見方が、どの地域から見るかで相当程度違うということを認識でき、勉強になりました。
12.ジ、エクストリーム、スキヤキ 前田司郎 集英社
会社を辞めて無職になった洞口が、大学の映画研究会の後輩大川を12年ぶりに呼び出してあてどもなく歩いているうちに衝動的に2万8500円のすき焼き鍋を買ってしまい、同じく映画研究会の同級生で元カノの村田京子を呼び出して「凄いスキヤキ」をしようと誘い、行きがかりで京子の同僚の遠藤楓も混じって4人で小田原にドライブに出かけたという展開で大学時代の想い出が呼び覚まされるくたびれ社会人ノスタルジー小説。
うじうじした性格の男2人と大学時代の関係もあり迷い戸惑う京子、さっぱりした対応ながら友達ができないことを後ろめたく思う楓の組み合わせで、不器用に優柔不断にけだるく進み、まぁ社会人の人生なんてドラマみたいに派手だったりうまく行ったりはしないけど、そこそこうれしい日もあるかもというくらいの読後感でした。
作者自身が監督して映画化され、2013年11月23日にその映画が封切りというタイミングで発売され、表紙カバーは映画のスキヤキのシーンのスチール写真で構成されているのですが、小説の中のスキヤキとかなりイメージが違います。作者自身が監督だから映画でどう変えてもいいんでしょうけど、小説の表紙カバーはそういう小説の中身と違う写真はやめて欲しいなぁ。
しかし、封切り直前の映画の原作本って、ふつう図書館では全部貸出中で予約多数だと思うんですが、書架にあってそのまま借りられました。それで東京23区の区立図書館の貸出・予約状況をチェックしてみたら、所蔵が21館で、うち予約者ありは4館、全部貸出中だけど予約者なしが4館。6割の区立図書館で、予約しなくても図書館の開架に在庫中ですぐ借りられる状態。この状況からすると、映画の興行成績はかなり厳しそう。
11.面接の達人2015 バイブル版 中谷彰宏 ダイヤモンド社
就職面接のテクニックというか考え方、試行錯誤・工夫の方向性について論じた本。
著者は、この本はマニュアル本ではない、質問への対応を書いた本ではないと強調しています。確かに、面接でいうべきことは自己紹介と志望動機だけで、面接官が形の上で何を聞いていても本当に聞きたいことはその2つだけだと断言し、何十倍何百倍の「落とす」面接ではみんなと同じことを言うのでは残れない、面接官はマニュアル本の勧める決まり切った回答を繰り返し聞かされて飽き飽きしている、自分の人生・大学生活を見つめ直して響く自己紹介を考えろというこの本のメインストリームはそういう志向かなと思います。しかし、例えば疑問45の「第1志望でないところで、第1志望はどこかと聞かれたら、どうすればいいのか。」に対して、「どこの会社に行っても『御社第1志望』。理由は『会った人で決めた』プラスその人のどこに魅かれたか」(163〜165ページ)とか、マニュアルとしか思えない記述もわりとあります。
書かれていることは、少なくとも社会人の読者にとっては、自分が面接する側だったらという視点で見ればそりゃそう考えるよねという点が多く、そういう意味で納得しながら読めます。ただそういう内容でも、著者の筆力ということだと思いますが、例の挙げ方や論の展開がよく、飽きさせずに読ませてくれます。下部欄外に「先輩の金言」と題して匿名の断片的なアドバイスが羅列されていて、これが就活中の学生には意味があるのかもしれませんが、本文ではそういうのはダメと断じている抽象論やありきたりなものが少なくなく、通し読みするときには辟易します。でも、そういう素人のおもしろくない文が下に続いていることで、本文の巧さが光っているのかもしれません。
10.レックス 戦場をかける犬 マイク・ダウリング 並木書房
アメリカ軍海兵隊の軍犬兵であった著者が、軍用犬レックスとともにイラク戦争中の2004年3月から9月にかけてファルージャ近辺でパトロールと爆弾・武器探索の任務に当たった様子を紹介した本。
灼熱の砂漠地帯で爆弾や砲撃にさらされながら、地下に埋められた爆弾部品や武器、爆薬を探索する軍用犬と、犬との間で強い信頼関係を持ち続ける軍犬兵の苦労と忍耐と勇気の物語は、迫力があり一定の感動を呼び起こします。
イラクでの任務の記述の合間に著者の入隊前や入隊後イラクに派遣されるまでのエピソードが切れ切れに挟まれる構成は、飽きさせないという狙いでしょうけど、展開が中途半端な感じがして、どうせならどこかにまとめて欲しいと、私は思いました。
アメリカ人には抵抗がないのでしょうけれども、米軍はイラクの市民の命も守っているとか、イラクの子どもたちがレックスを見て好感を持っていたとか、イラクの子どもたちに米軍がサービスしているとか、イラクの女性も米軍に解放されて喜んでいるとか、イラクのテロリストは卑怯だとか、イラク人通訳がイラクのテロリストに殺されたとか書き連ねているのは、私にとっては興ざめです。米軍に好感を持つイラク人もいるかもしれませんし、米軍が爆弾からイラク市民の命を救った場面もあるかもしれません。しかし、米軍がスパイやテロリストだと主張したり誤認して殺害した民間人はどれだけの数に上るのか、テロリストが民間人の陰に逃げ込むのが卑怯という前にテロリストが民間人の陰に逃げ込める(「人民の海」がある)のは米軍のいう「テロリスト」がイラク市民の支持を受けているからではないかとは考えないのか、と思ってしまいます。
「1対1で向かい合って、かかってこいというのに比べて、戦争で簡易爆弾を使うのは卑怯で姑息だ。」(27ページ)という一節に、著者の感性がよく表れています。現場で爆弾に相対する一兵士の素直な感想でしょう。その場面だけを切り取れば、それは正しいともいえるでしょう。しかし、それなら米軍が地上部隊派兵前に必ず行う空爆は、ミサイル攻撃はどれくらい卑怯で姑息なのか、1対1で向かい合えって、完全武装の米兵に対してほとんどぼろ切れをまとうだけのイラク人が手に石かなんか持って相対して闘うのが公正(フェア)なのか、丸腰の民間人を銃で脅しつけて行う「捜索」は卑怯で姑息ではないのか、そういう問いかけは一行たりともありません。
著者とレックスは関わっていないのだろうとは思いますが、米軍が「テロリスト」と主張してグアンタナモ基地に長期拘束した人々に対する拷問には軍用犬も用いられたと報じられています。
そういった暗い面・米軍に不都合な事実にはまったく触れないまま、イラク戦争に従軍した軍用犬と軍犬兵の英雄物語とヒューマンなストーリーを書き連ねた本です。イラク戦争での米軍の行動を積極的に支持する人には楽しい読み物だと思いますが、私には、米軍の恥部を覆い隠すイチジクの葉かと思えました。
09.宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 吉田たかよし 講談社現代新書
宇宙全体の視点から生命の成り立ちや起源を解明する「宇宙生物学」の立場から、人間の体について解説した本。
人間は神経や筋肉を動かす信号としてナトリウムイオンを使用していますが、これは生物が生まれた当時海水中に大量にナトリウムイオンが含まれていたためにこれを利用して進化したもので、海水にナトリウムイオンが大量に含まれるようになったのは当時は現在の12分の1の距離にあった月が現在の4倍の速さで地球を公転し地球の自転も今の4倍の速さであったため圧倒的な潮汐力で1時間半に1回潮の干満が繰り返されて海は大嵐状態が続いたために岩石中のナトリウムが溶け出したもので、その後月が次第に離れてナトリウムが大量に溶け出した海が静かになって、現在の生物が誕生したという経過で、現在のようなナトリウムを利用する多細胞生物が誕生したのは月がかつては近く現在は遠くなっているおかげだとか(14〜35ページ)。逆に、地球上の全ての生物は、エネルギーの利用(アデノシン3リン酸=ATP⇔アデノシン2リン酸=ADP)、遺伝情報の伝達(DNA、RNA)にリンを使っていますが、リンは海水中にほとんど含まれていなくて生物はかなり無理をしてリンを利用してきた、言い換えればリンを利用することが生物が生きていく上でどうしても必要だったそうです(100〜127ページ)。地球は鉄の塊ともいえる星なのでほとんどの最近にとっても鉄は生きていくために不可欠な元素となっているため、人体は必要最小限の鉄しか持たないことによって感染症予防に役立てているので貧血になりやすい(170〜197ページ)そうです。
いろいろな点で、人間や生物一般について、これまで考えたことがなかった視点から検討し理解することができ、知的好奇心を刺激される本でした。
07.08.グラウンドの空/グラウンドの詩 あさのあつこ 角川書店
中国地方の山間の盆地にある総生徒数100人くらいの八頭森東中学野球部の2年生キャッチャー山城瑞希と幼なじみのファースト田上良治が、チームにエースとなるピッチャーがいないことを嘆いていたところに、やってきた引きこもり・登校拒否の東京からの転校生作楽透哉が見た目に似合わぬすごい球を投げることを知り、傷つき内向する透哉の心をほぐしチームに引き入れ、全国大会へと駒を進めていく野球周辺青春心情描写小説。
直情径行型で不器用な瑞希と斜に構えながら世渡りのうまい良治、傷つきやすく引っ込み思案な透哉、豪快な瑞希の母和江、傲慢で家柄自慢が過ぎるが孫のためには一生懸命な透哉の祖母美紗代といったキャラを配して、語り役の瑞希の内心と、良治や和江を中心とするおしゃべりで登場人物の心の動きを読ませ、降ってきた困難への思いとその困難を乗り越えていく気持ちを読ませる作品です。出世作の「バッテリー」以来この作者の定番ともいえる手法ですが、今回は傷つきやすく内向的なキャラをあえて周囲が待望する剛腕のピッチャーに当ててみたところが新境地というところでしょう。
でも、その透哉、内向的で片言のしゃべり、新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイかよこいつって思います。そしてその弱々しい外見でなぜ剛速球が投げられるのか、その速球を身につけるまでのトレーニングや苦労の類は一切描かれていません。ただなぜだか見かけとギャップの大きい天才剛速球投手が最初からいる、という設定です。創作の世界では、そりゃ、そういうのがいたらおもしろいよねということでしょうけど、読者はそういうの見せられると、どうやってそれができたのか、それを読みたいと思うものでしょう。そして、この作者の例によって、試合のシーンはほとんど描かれません。透哉が心情的にもしっかり投げられるようになったら、いきなり地区予選決勝の最後の一球です。その後、続編になる「グラウンドの詩」では透哉のコントロールが突然乱れ、それが瑞希の悩みの種となり前半のテーマとなるのに、それもいつの間にか直ってしまいます。作者からのメッセージは、透哉が克服するまで信じて待てと、それだけ。どうやって克服できたかはまったく触れられません。まぁ私たちの日常の心身の不調、スランプ、ストレスの類は、多くの場合、何となく解消復調しているものですから、なぜどうしてとわからないものだよといってもよいのですが、でもそれだからこそ小説・読み物ではそういうところを読みたいと思うものだとも思います。そして「グラウンドの詩」は最初から全国大会出場が決まった八頭森東中学の興奮とかを描き続けてその全国大会が始まるのはようやく終わりから8ページ目。やはり、この作者には野球(スポーツ)の技術的な部分への興味、試合の描写のスリリングさ・ドラマ性というのを、一切求めないという読者の決意が必要なのだと、改めて思います。だから「野球周辺青春心情描写小説」と名付けました。
他人の気持ち・反応を読み取ることの難しさ、自分の視野の狭さといったものを意識し感じ取ることの大切さや、悩み落ち込んだ心が、何気ないやりとり、不器用な心情のぶつけ合いで、どこかほっこりし癒されていく、そういう様子を味わう作品と、割り切って読みましょう。
06.ジャックを殺せ、 今村友紀 河出書房新社
「ジャックを殺せ」という「組織」の命を受けた狙撃手で後にファンド経営者の「ミス・レイディ」と呼ばれる「私」が次々と現れる「組織」の刺客や従業員、群衆と戦い、彼我と生死を超えて行き来しながら「私」とは何?「ジャック」とは何?と問いかけ、アイデンティティを抽象化・相対化する志向を試行した実験的小説。
ある意味で哲学的実験小説といえるでしょうけど、私には観念を弄ぶ衒学趣味的自己満足的作品という印象が強く残りました。冒頭から、主人公の「私」の思考が独善的で錯乱気味なので、主人公の心情に入れず、読んでいて居心地が悪い思いをしました。「組織」に追われることになった「私」が「組織」から派遣されていると思われるイヴリンの元に帰りいちゃついて昼間は仕事を探して街を歩き回るとか、そりゃないでしょと思いますし。ところどころで主人公と主人公が同棲しているイヴリンのレズビアンな濡れ場が挟まれ、そこは妙に生々しく、ちょっと電車の中で読むのは、横の人に覗かれたら恥ずかしいなと決まり悪く思えました。中盤からは、「バイオハザード」のアリスの意識が敵や周囲の人に乗り移って拡散するバージョンの趣で、突然現れたり追いすがるゾンビを殺しまくるスプラッターを基本として、ときどき主人公の魂というか意識が攻撃・加害側と防御・被害側を入れ替わって行きつ戻りつするというハチャメチャなシーンが続きます。ラストで主人公が叫ぶように「何がどうだなんてことは……金輪際どうだっていい!あなたたちの好きにしなさい!」(170ページ)という印象を、この作品に対して持ちます。
タイトルの「ジャックを殺せ、」。「モーニング娘。」が出て来たときに「。」が話題になりましたが、それにあやかってでしょうか、最後の「、」は。ところが、この作品、本文中には読点(、)が1つも出て来ません。読点の代わりに「−」が頻繁に使用されていますが、そういう点でも実験小説の感があります。二重否定を多用しているところも、わざと読みにくくしてるのかと思えます。そして37ページ16行目(最後の1行)から39ページ12行目まで29行1054字(挟まれた1文字分の空白を除き、2文字分の−を1文字にカウントして)にわたる超長文の1文が登場します。ギネス級かもしれませんが、でも読んでいてなんかどうでもいいやって感じになる、ただ長くすることを自己目的化したような文。作者としてはいろいろに実験しているのでしょうけど、読者としての私はパスしたい。
05.日本型雇用の真実 石水喜夫 ちくま新書
新古典派経済学の一分野としての労働経済学が、従前は「総需要管理政策によって景気循環を安定させ、解雇抑制的雇用政策によって、人材を企業に蓄積しながら生産力、技術力を養い、持続的な経済発展を図ることが基本とされてきた」日本の経済政策(115ページ)を、「市場メカニズムの重視」「規制緩和の推進」「自己責任原則の確立」などの構造改革論の下、雇用流動化論を重要なプログラムとし(92ページ)、日本的雇用慣行の否定、解雇抑制的雇用政策の撤回、労働者派遣事業の規制緩和、公的職業紹介制度の見直しなどを推進してきたことについて、規制緩和や構造改革が企業の投資活動の呼び水になっていない現実(128ページ)、雇用流動化(非正規労働者化)が企業が人材を育成する気概を失わせ成果主義賃金が現実には企業側の支持を得ていないこと(131〜136ページ)などを根拠にし、さらにはそもそも労働という市場原理になじみにくいものを経済学が労働力という商品と扱ったこと自体が誤りである(155〜160ページ)として批判する本。
近年、経営者側のやりたい放題を後押しする雇用流動化論、解雇規制緩和論が幅をきかせていることの強欲さ浅ましさについては、私も、日々感じ、ことあるごとに指摘しているところで、その意味ではこの本の主張に異論はありません。
しかし、この本が、その問題点を、主として労働経済学という学問と学者たちの責任に帰していることは、違和感を持ちます。著者が、労働省・経済企画庁に長年在籍した官僚であるだけに、2002年度の完全失業率で前年より上昇する政府見通しを出し失業率が高まることは甘受しなければならないなどの答弁が出されたことが重要な転換点であり、それは前年の中央省庁再編で経済企画庁が解体されたため(102〜114ページ)と論じられても、経済企画庁OBの怨み節に聞こえる部分があり、逆にこの間の規制緩和の動きでの行政の対応・責任が論じられないのはどうかなと思います。
原子力ムラと同様に、学問の名の下にさまざまな利権を持つ連中が行ってきた悪行を暴くことは重要だとは思いますが、それが主犯だというのもちょっとひっかかります。
04.フルーツひとつばなし おいしい果実たちの「秘密」 田中修 講談社現代新書
さまざまなフルーツについて、栄養価や植物としての特性、品種改良の経過などを解説した本。
栗は収穫した直後に約4℃で1か月程度貯蔵すると甘みが増すが、その理由は栗が実を凍らせないために糖分を出すのだそうです(砂糖水が凍りにくいのと同じ原理)(158〜159ページ)。だから収穫後も生きていると説明されているのですが、不思議な話です。エチレンがリンゴやバナナを熟させ、リンゴは熟するとエチレンを放出するので熟成が伝染するように広がるとか、種なしの果実を作るには花粉が種を作る能力をなくすとともに種ができなくても実が大きくなるという性質(実は動物に食べさせて種をまき散らすために作られるのでふつうは種ができないと実も大きくならない)の双方が必要など、興味深い知識が少しずつ説明されています。
私には、どちらかというと、品種の名前の付け方のエピソードが気になりました。近年はリンゴのトップ品種となった「ふじ」は育成者が山本富士子の大ファンだったため(39ページ)とか、アンデスメロンはアンデス山脈とはまったく関係ない日本産で「安心して栽培できます」「安心して食べられます」の「安心です」を売り文句にして「アンデス」になった(85ページ)とか。
各果物ごとに写真が掲載されていますが、その大半が新宿高野(タカノフルーツパーラー)の提供で、あとは農協(JA)などの提供になっています。フルーツの写真くらい独自に撮影すればいいと思うのですが、新書はその程度の予算もないのでしょうか。パッションフルーツの名前の由来の説明で、パッションは情熱ではなくキリストの受難の意味で花の「おしべとめしべが十字架模様をつくっている」ためと書かれています(212〜213ページ)が、こういう説明をしながらパッションフルーツの果実の写真が新宿高野提供で掲載されているだけで花の写真がないのは読み手にとっては残念です。それにパッションフルーツの花はめしべ3本おしべ5本なので十字架模様といえるか…
03.編集ガール! 五十嵐貴久 祥伝社
ワンマン社長の下で成長してきた出版社の経理部に勤める高沢久美子27歳が、社長命令で社員全員が書かされた企画書に通販とウェブと雑誌を連携させファッション誌としても通用するクオリティの雑誌を創刊するというどこかの雑誌の記事をパクった企画を出しておいたところ社長がそれを気に入って、その雑誌の創刊と編集長就任を命じられ、編集経験ゼロのずぶの素人が各部からの寄せ集めの志気の低いメンバーで、雑誌創刊に挑むドタバタコメディ系ビジネス成長小説。
高沢が隠密社内恋愛中の単行本編集部副編集長の編集者加藤学31歳が編集者としては唯一チームに入れられ、高沢は加藤に頼り切り、加藤は与えられた締切とメンバー、予算から現実的な企画、進行、スタッフを考案・手配して事実上雑誌の制作を進めていきますが、いざ撮影が始まると、20代後半から30代女性がターゲットのはずなのに加藤が集めてきたメンバーは男性誌目線で進めるために高沢が違和感を持ち、編集長権限で企画を一からやり直し始めます。そこから加藤はやる気をなくし、高沢はラフを全部直接チェックして徹夜仕事を続け、編集長としての自覚を持ち始め、現場を仕切っていくようになります。そのあたりの、高沢自身の職業人としての自覚・成長物語と、高沢と加藤のカップルの力関係逆転が、この作品のテーマとなっています。
まったくの素人に5か月の準備期間で雑誌の創刊を命じるという非現実的な設定は超ワンマン社長の思い込みで受け入れるとしても、それがドタバタしながらも何とかなってしまうことや、高沢と加藤のカップルの行方など、そううまく行くかいと思ってしまいます。が、それは小説だからと気にしないことにしてみれば、高沢サイドからはある種の達成感が感じられ、加藤の・思いやり・思い切りにも爽快感を持ち得て、そこが読み味となる作品だと思います。
02.あなたにだけわかること 井上荒野 講談社
5歳の頃に、駿の母と夏の父が不倫関係を続け、平日の昼間に夏の家の2階で性行為にふける親たちを1階で2人で遊びながら待つことが多かった秀才の桐生駿と不良少女の野田夏が、別々の道を歩みながらときおり思い出し人生の曲がり角でときおり交差する幼なじみほのかに回想小説。
俊の語りと夏の語りを切替ながら、雑誌連載の区切りで年代が飛び、最初は1年2年くらいだったのが次第に一気に十数年飛んだりしています。それぞれの人生を追って読む読み手には、心情の部分で埋めにくく、単行本で読むにはちょっとぶつ切り感を持ちました。
子どもの頃気になった人を節目節目、というか停滞期や落ち込んだとき、気が弱くなったときに思い出し、どうしてるかなぁと少し甘酸っぱい気持ちを持つことは、誰しもあることと思います。父母の不倫というきっかけで、それがわかる年頃には抵抗感を持ち反発する関係になり、そこから心理的な距離を埋めていくというのはやや特殊なシチュエーションだとしても、読者には入りやすいテーマだと思います。
夏の父と駿の母は、入口からかなり酷いと思いますが、「ぼくの肺に影が見つかり、それなら離婚したいと妻は言った」(191ページ)という駿の妻にも驚かされます。この一文を読んだとき、私は凍り付いてしまいましたが、こういう人は現実の世界ではわりといるのでしょうか。そういうときこそ慰め励まし合うのが夫婦じゃないのか、というのは中高年男の独りよがりなんでしょうか(-_-;)
駿の母の後に夏の父の「ガールフレンド」になった温子さん。私にとっては、この小説の中で一番魅力的なキャラで、夏の父にはもったいないと思うのですが、夏の父の恋人でなくなり疎遠になって既に別の男と結婚した温子さんが、夏の父が認知症状態になると介護に通い、それなのに、夏の父は「早苗」(駿の母)と呼びかけます。人生ってこんなものでしょうか。
そういう不条理をやり過ごしながら、時々涼風が吹くようにちょっとなごむ、その人心地の大切さが、ふと感じられるという作品でした。
01.宇宙をあるく 細川博昭 WAVE出版
宇宙論について、ノンフィクション作家の立場から、初心者向けに噛み砕いた解説を試みた本。
素人に親しみを持たせようという意図はわかるのですが、「不思議なナビゲーター」の宇宙からやってきたコスモくんとか、コスモくんとのやりとりの「story」はやり過ぎというか、子どもじみたというか子どもだましというか、しらけました。
それでも、本文は、相当新しいことも含めて幅広い分野について、わかりやすく書かれています。
太陽系の惑星や衛星の表面にある水の多くは、彗星によってもたらされたと考えられているが、太陽風の陽子(水素原子核)が酸化物の形で存在する酸素と衝突して水ができている可能性がある(30〜31ページ)とか、恒星の中での核融合で作られる元素は鉄までで金やプラチナやウランなどの鉄より重い元素は超新星爆発のエネルギーで一気に作り出されて宇宙空間にばらまかれたのかも(133〜134ページ)とか、彗星自体や彗星が軌道上に残したチリからはメタンやメタノール、ホルムアルデヒドなどの有機化合物やグリシンなどのアミノ酸が見つかっておりこれらの有機物が地球上にゆっくりと降下してきて生命の元になったのではという考えが有力になっている(33〜34ページ、88〜92ページ)など、地球上の物質の起源や生命の誕生がらみの話が、私には興味深く読めました。
暗黒物質とか暗黒エネルギーとか超ひも理論とかは、読んでもよくわかりませんが、わからないということがわかったというレベルで満足すべき問題なのでしょう。
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