私の読書日記 2014年9月
11.ジュゴンの上手なつかまえ方 市川光太郎 岩波科学ライブラリー
著者によれば「そのことを研究しているのは世界中でも私しかいない」(2ページ)というジュゴンの鳴き声研究のため、定置水中録音(受動的音響観察)の試行錯誤と、定置水中録音ではどのジュゴンが鳴いているのかわからない(どのような属性を持つ個体がどういうときに鳴いているのかわからない)という問題を解決しようと個体に観測機材を装着してバイオロギング(行動追跡研究)を行う目的で個体の発見・追跡・捕獲をする過程を説明した本。
小型船で呼吸のために浮かび上がるジュゴンに近づき、3回目(以降)の呼吸のタイミングを狙って2人の捕獲係が尾びれに飛びつき2人の保持係が前肢を捕まえるという「ロデオ法」による捕獲が描写され、それなりの迫力が感じられます。大きくておとなしいジュゴンならではの研究方法といえます。
全般に著者の研究対象の鳴き声研究の成果はあまり説明されず、研究の経緯やフィールドワークの苦労話が中心の本です。鳴き声は、ピヨピヨピヨという短い鳴き声(チャープ)の後にピーヨ等の長い鳴き声(トリル)が続く形態が多いそうで、著者は最初の短い鳴き声の繰り返しが発生個体への注意を集めその後の長い鳴き声で何かを伝達しているのではないかと推測しています。鳴き声の1例は、著者のサイトで公開されて聞くことができます(こちら)。
名護市嘉陽周辺(要するに辺野古の米軍基地建設予定地)に住みつく雄のジュゴンとその対とも見られる雌のジュゴンと子のジュゴンについての研究も紹介されています(15〜20ページ)。スーダンでの研究に際してジュゴン保護のために漁業を禁止すべきかについては、「私はまだ答えられない。いつか答えられる日が来るとも思わない」(112ページ)という著者は、「私たち研究者にできるのはジュゴンの生態を調べることだけだ。むしろそれ以上はする権利がないとも思う」(109ページ)と述べ、辺野古のジュゴンについては黙しています。
そういう政治的な部分は避けてジュゴンのユーモラスな様子と研究者の愚痴交じりの世間話を楽しめる人の暇つぶしにはむいているかなと思います。
10.話がこじれたときの会話術 ジェラルド・モンク、ジョン・ウィンズレイド 北大路書房
紛争当事者の話を聞き質問をしながら当事者の考えを一定方向に整理誘導して合意に導く職業的調停者のテクニックについて説明した本。
著者はその手法をNarrative Mediationと名付け、この本ではそのままカタカナにしてナラティヴ・メディエーションとしていますが、紛争当事者が相手についてあるいは自分と相手との関係について持っている見方を「対立の物語」から相手方に対する反発・憎しみ以外の側面を引き出し相手方への理解を育てていって「関係の物語」へと書き換えていくことにより話し合い・和解の基礎を作っていくという調停(Mediationは「仲裁」ないし「調停」の意味ですが、この本ではMediatorが決定をすることは予定されていないので調停の方が適切と思います)手法を意味するようです。
紛争当事者の話をよく聞いて、相手方への反感・憎しみのストーリーとともに持つ矛盾した感情を注意深く見つけ出し、それを当事者に「質問」の形で引き出し語らせ認めさせていくことで当事者自身が解決したいという気持ちを醸成していくこと、問題は人間(相手方)にあるのではなく問題(事件・事故)自体が問題なのだということを意識的に示していくことなどのテクニックが示されています。
弁護士の目から見ると、当事者の気持ちにより添うような態度を示しつつ実は当事者の気持ちと反対の(相手方に少しでも有利な)部分の芽を執拗に探し出し、人のいい当事者から相手方に少しでも同情する部分を認めさせるような発言をあくまでも自発的になされたような形で引き出すような質問を続けて当事者が相手を許容するような態度を取るように誘導し、大幅に譲歩した条件での和解合意に持ち込む手法と見えます。公平な立場の専門家のような装いで、人のいい素人の被害者を手玉に取る、加害者側に雇われた調停者の手口が解説されているとも言えます。
著者の1人は、病院側に雇われて高額医療過誤のケースで調停をするコンサルタントです。最初の説例も、医療過誤のケースで、医療過誤被害者と救急医の間の調停を挙げて、医師の側も深く悩み傷ついていることを強調しています。しかし、そもそもこの説例でも、自らが誤って注射をしたわけでもない救急医を当事者とすること自体作為的に見えます。チーム医療でのミスということからしても加害者側の当事者は病院だと思うのですが、病院は前に出ることはなく救急医個人を当事者とすることで個人としての悩みや反省が語られて被害者の憎しみがほぐされて(はぐらかされて)行くことになり、専門家の手腕によって結果として病院は高額の損害賠償を免れるということになるわけです。私にはまさしく人のいい被害者が専門家に手玉に取られて本来得られるはずの賠償を大幅に値切られるしくみに見えるのですが。
09.税務署の正体 大村大次郎 光文社新書
元国税局調査官の著者が税務署の実情について書いた本。
税務署が脱税の調査をするために、ダミーの調査先を作って銀行に調査を了解させて銀行の資料を調べまくり、実はそのダミーの調査先の取引相手を調べるという手法を「横目」というのだそうです。本命のターゲットを銀行に明かすとその情報が銀行から調査先に伝わってしまうためにその取引先をダミーにすることもあるけど、特に本命がなくて漠然とさまざまな事業者の銀行資料を見るためにそういう手法を使うこともあるという(68〜71ページ)。銀行は税務署にはたてつけなくて、税務署員がこの企業を調べたいといえば自分の欲しい資料を銀行員が持ってきてくれるので、税務署員にとっては銀行調査は楽しみなのだそうです(93〜94ページ)。税務署の実情とともに銀行の実態についてもこういうものと認識しておくべきなのでしょうか。
税務調査をして追徴項目が見つからないと、税務調査官は重箱の隅をつつき事業者のちょっとしたミスをむりやり探し出し強引な追徴課税を課すことになり、その手段として期末の売上や経費の計上について時期的に微妙なものを3月に計上すべきなのに4月に計上していると指摘して追徴税を課すことが多い、「実際に、国税庁が発表する『税務調査での追徴課税』のほとんどは、この期間損益によるものなのです。」(87〜88ページ)っていうのは、あきれます。著者が指摘するように、4月に計上しているのであれば、それは売上を隠したのではなく単に計上した時期を誤っただけ(3月に計上すべきか4月に計上すべきかは、見解の相違なり、課税通達の解釈を誤ったとか知らなかっただけ)で、その期の売上は少なくなっても翌期の売上が増えるので長い目で見ればプラスマイナスゼロ(88ページ)なのに、税務調査をしながら追徴が取れなかったという調査官の失点を避けるために追徴されるのでは、たまらないでしょう。そういうことをされた側はますます税務署がきらいになるだけでしょうね。
国税庁OB税理士(23年間税務署に勤務すると税理士資格がもらえるそうです)が圧力をかけると調査が中止になることがある(著者が調査官時代に現実にストップをかけられたことが書かれています:182〜185ページ)が、脱税請負人は報酬が桁外れで数千万単位、へたをすると数億円の報酬を請求される(185ページ)上に、OB税理士は会計・税務の実務に弱い人が多く、あまりにもミスが多く調査官がその顧問先に喜んで調査に行く(行けばミスを指摘して追徴税を取れる)という場合もある(192〜193ページ)という指摘もなされています。住む世界が違うということでもありますが、情けない話でもあります。
08.魔道師の月 乾石智子 東京創元社
「夜の写本師」で親友の妹を助けられなかった魔道師キアルスが、失意のうちにさまよいコンスル帝国で辿り着いたイラネス神殿の管理者カーランの導きで約400年前の世界に迷い込みそこで知った情報を元に、コンスル皇帝を唆す「純粋な悪意」の存在である「暗樹」と戦うファンタジー。
「夜の写本師」でキアルスが、親友の妹であるオイルの領主の娘を失った後、姿を変えて後の世界に生まれ変わるまでの間を埋める位置づけになりますが、それ以上の連携はなく、キアルス以外の登場人物は重なりません。魔道師がいる世界という設定と、昔の世界に入り込むというパターンが共通しているという程度で、「夜の写本師」の続編というよりは世界観を共通にする別の作品として読んだ方がいいでしょう。
最初にコンスル帝国の皇太子の寵愛を受ける魔道師レイサンダーのエピソードで18ページ、それと関係なく登場したキアルス(あるいはキアルスとカーラン)のエピソードで59ページ話が展開した後、唐突に400年前の世界のテイバドールのエピソードが132ページ続きます。読んでいてちょっとこれは何だと思います。「指輪物語」でフロドが行方不明のままで延々と話が進むのと似たような印象もありますが、それをやるにしてももう少しキアルスで展開してからじゃないかと思います。巻頭に「コンスル帝国版図」という地図があるのですが、これがテイバドールのエピソードを始め、その後の多くのページで登場する地名がこの地図中になくて、役に立ちません。後になってこの地図からはみ出した地域なのだとわかりますが、当分は、時代が違うから村落とかの位置や名前が変わっているのかと戸惑いながら読み進めることになります。そのあたり、不親切感が漂います。
「暗樹」と、魔道師が抱える「闇」をテーマとしているのですが、人間が誰しも抱える闇の部分という捉え方を示しながら、他方で「純粋な悪意」としての「暗樹」を登場させ、暗樹が唆すことで持ち主が凶暴化・暴君化し破滅に至るという設定をすることは悪意を人間の外に置いて本来は善意の人間が操られるというイメージとなります。ある意味では、さまざまな悪意、さまざまな闇の存在を考えさせられるとも言えますが、悪意と闇の位置づけが、人間のうちにあるのか外にあるのか中途半端な感じがしました。
「夜の写本師」は2014年8月分09.で紹介しています。
07.ジェームズ・ボンドは来ない 松岡圭祐 角川書店
高松市沖の離島直島で行われた直島が舞台の一つとなっている「007赤い刺青の男」の映画化・ロケ誘致運動を通して、その運動に飛び込んだ直島を都会のように華やかにしたいと思う少女峰尾遥香の成長を描いた小説。
半身不随の妻を抱えせめて島に病院があればという思いから押しつけられた誘致運動にのめり込んでいく柿沼ら人のいい島民たちと、自らは責任も取らず金を出さないことに徹しつつ直島に誘致運動を請願させる県庁職員ら、誘致が無理だと知りつつさまざまな思惑から誘致できそうな顔でいる関係者たちの大人たちの動きを背景に、遥香と友人の柚希、高飛車な美人高校生杏奈らの友情と対立、感情と見方の変化を描いています。
冒頭に「この小説は実話に基づいています。」と書かれていて、その制約のためか、話の展開にぶつ切れ感があり、また人物像や内心の事情についてもう少し書き込んで欲しいのになぁと思う部分が散見されました。
エモーショナルな側面では前から3分の2くらいのところでの遥香と母志帆のやりとりでピークに達し、後はちょっと毒気を抜かれた感じで展開します。最後にボンドガール・コンテストでもう一つのピークを作ろうとはしているのですが、私には、クライマックス感は持てませんでした。
そういった点では、もう少し構成や描写を締めた方が読み物としてのできはよくなると思いますが、離島の素朴な人々を描くという観点からはこういうのんびりさ加減がいいということでしょうか。
06.YouTubeで食べていく 「動画投稿」という生き方 愛場大介 光文社新書
YouTubeにデジタルグッズを紹介する動画を投稿し続けているビデオブロガーの著者が、YouTubeに動画をアップして人気者になったりお金を稼いでいるユーチューバ−として成功している人たちを紹介しつつ、YouTubeで成功し、YouTubeで生計を立てる可能性について論じた本。
YouTubeでの収入はYouTubeパートナープログラムに参加して投稿した動画に広告を設定し、動画中の広告(インストリーム広告)なら最後まで再生されるか30秒以上再生されて報酬が発生するというしくみだそうです(16〜21ページ)。「グーグルは1再生あたりの報酬額は公開していません。またユーチューバ−も報酬額を公開してはいけない規約になっています。」ということですが、「だいたいの見当としては、1再生あたり0.1〜0.3円というところ」だそうです(20ページ)。制作にどの程度の労力をかけるかということも絡みますが、これで食べていくというのは、かなり苦しそうです。SNSで話題になって動画が多数回再生されても、広告までつきあって見続けてくれることは少ないと思いますし。
最初から最後まで再生される動画は全体で90秒、それも最初の10秒につかみを入れる、90秒を超える時は90秒までに起承転結の「転」を入れる(32〜35ページ)、動画をクリックさせるためにはタイトルとサムネイルが重要(43〜45ページ)など、ネット上の動画サイトならではのコツも紹介されています。
ユーチューバ−の多くはネタ探し・撮影・編集で忙しく時間のゆとりがないので、ビジネスにする事務的なところに手が回らず、広告タイアップなどの仕事を受けることになってもビジネス感覚や相場感に欠けるためとんでもない悪条件で請け負ってしまうことも多く結果としてユーチューバーが搾取されてしまうことにもつながる(196ページ)という指摘もあり、現実にYouTubeで食べていくことは厳しいと思います。著者は、YouTubeは初期投資ゼロでもお小遣い程度であってもお金を稼ぐことができるとして、YouTubeの役割は「稼げる」「儲かる」ことではなくむしろ社会におけるセーフティネットに近いものではないかと感じているとしています(210ページ)。しかし、それなりに注目され再生される動画を制作し続ける労力を考えると、セーフティネットとしてもかなり厳しいんじゃないかなと思いました。
05.財務捜査官が見た不正の現場 小林弘樹 NHK出版新書
銀行で6年間勤務した後1998年から10年間大阪府警で財務捜査官として大型経済事件の捜査に携わった著者が、その経験と「反社会的勢力」との絶縁及びその対策について述べた本。
銀行と反社会的勢力の関係を内偵捜査した時に、銀行側は反社会的勢力であるとの認識を否定した上で捜査対象口座についての照会にも回答しないという対応を取り、それについて銀行側が「Kや関係する反社会的勢力からの報復が怖い」と言ったということが紹介されていたり(74ページ)、銀行員時代の著者が藁にもすがる思いで融資を求めている企業に対して稟議が通っているのに審査の状況や融資の可否を資金必要日寸前まで知らせず直前になって「申し出資金の2000万円ではなく4000万円で稟議を通しました。ついてはこちらの頼みも聞いてください。デリバティブを500万円ほど契約してもらいたい」などと言って相手の弱みにつけ込んで要望もしていないデリバティブを売りつけるなどのグレーな営業をしていたエピソードが書かれている(138〜140ページ)など銀行の内情関係の記述が読みどころに思えました。
後半の反社会的勢力対策関係は、著者が財務捜査官退任後反社会敵勢力対策の助言や講演等を業務としていることから、広告的な色彩が感じられ、やや辟易しました。
04.民族浄化のヨーロッパ史 憎しみの連鎖の20世紀 ノーマン・M・ナイマーク 刀水書房
20世紀の東欧地域で行われた民族浄化としてトルコ(青年トルコ人)によるアルメニア人とギリシャ人の追放、ナチによるユダヤ人に対するホロコースト、ソ連(スターリン)によるチェチェン人・イングーシ人とクリミア・タタール人の追放、第2次世界大戦後のポーランドとチェコスロバキアからのドイツ人の追放、ユーゴスラビアでの民族浄化の5つの事例を挙げて比較研究を行う本。
著者は以前の虐殺と比較して20世紀の民族浄化では、人種主義のナショナリズム(適者生存の論理と人種の優越の主張)の存在と民族国家の形成、科学技術の発展により効率的な強制移住と集団虐殺が可能となったこと、政治家のプロパガンダにより組織的に実施されたことなどの特徴があることを指摘し、この本で比較検討の対象とした民族浄化がナショナリズムに裏打ちされ異質な者の排除(強制移住)として大規模に実施され戦争という暴力を背景により容易に行われまた戦争の影に隠蔽されてきたことを述べています。それぞれの民族浄化は無関係とは言えず、主導者が以前の民族浄化の方法や結果を意識して取り入れたり言及したこと、国際社会が民族浄化が行われていることを知りつつそれを阻止できずまた被害者への補償や原状回復がほとんど行われずそれを行わせようという圧力もほとんどかけられず被害が結果的に放置されてきたこと、民族浄化の被害者が国際情勢の変化により加害者となって苛烈な復讐が行われること、民族浄化の過程での加害行為の多くが武装した兵士/男性から非武装の女性・子ども・老人に対し行われ多くの事例で女性に対するレイプが意識的・組織的に行われていることなどが指摘されています。
最初に触れられているトルコからのアルメニア人の追放は、私は知らなかったのですが、強制移住の方法やその過程での虐待のひどさとそれが比較的具体的に記載されていることから、読んでいて強いショックを受け、これまで世界史の中で比較的肯定的に受け止めていた青年トルコ人に対する認識が大きく変わりました。また第2次世界大戦後のポーランドやチェコスロバキアからのドイツ人の追放やユーゴスラビアでのムスリムやアルバニア人のセルビア人に対する復讐的な民族浄化など、それまでの被害者が加害者に転化するエピソードには胸が痛みます。国際社会で第2次世界大戦後のドイツ人の追放が同情されなかったのと同様、私も戦争で他国を侵略しそれに乗って植民したドイツ人が侵略地から追い返されるのは仕方ないだろうと思ってしまうのですが、民族浄化/ホロコーストを行った当事者でもない民間人が着の身着のままで強制的に移送され現実に多くの死者が発生しここでも「例によって」ドイツ女性がソ連兵からもポーランドやチェコの民兵からも繰り返しレイプされということを読まされると、やはり衝撃を受けます。しかも、ポーランドやチェコスロバキアからのドイツ人の追放の過程では、そのドイツ人が反ファシストであったかナチの協力者であったかはほとんど顧慮されずに虐待が行われた、つまり戦時下においてナチを批判してポーランド人やチェコ人の味方をした者であっても、それがドイツ人だというだけで追放や拷問、虐殺、レイプの対象となったということには哀しさと無力感を覚えました。
いくつもの事例を並べること、そして民族浄化の被害者が局面が変わると加害者に転化する事例を挙げることで、個別の民族浄化の悪質性が相対化されるというか、国際社会の無力と自己の無力を感じるところはありますが、民族浄化とその原動力となる偏狭なナショナリズムの危険性について認識を改め考えさせてくれる本です。
03.企業労働法実務入門 はじめての人事労務担当者からエキスパートへ 企業人事労務研究会 日本リーダーズ協会
使用者側の弁護士らが企業の人事労務担当者向けに労働法について幅広く解説した本。
著者は「企業人事労務研究会」という団体名になっていますが、執筆者は弁護士7名と社会保険労務士2名で、編集代表は登録8年(2005年9月修習終了、58期)の弁護士、編集者は登録5年(2008年12月弁護士登録、新61期)の弁護士となっています。
労働法の解説としては、幅広い分野について説明の重点の置き方に工夫しながら要領よく説明している点はよくできていると思います。しかし、「コラム」では使用者側の弁護士の現行法制度や裁判実務への不満というか愚痴を書き連ねていて、やや見苦しい。労働者の弁護士としてみると、あまりに使用者側の言いたい放題で辟易します。弁護士の本音というよりもクライアントである企業への迎合なのかもしれませんが。
「使用者」についての説明(39〜40ページ)で、労働者派遣と出向を例として挙げて図示し、「労働者派遣法上、派遣元企業が使用者であるとされています」とし、図でも派遣元企業に「使用者」との吹き出しを付け、これに対比して出向では「出向元企業も出向先企業も使用者としての地位を有します」とし、図でも出向元企業にも出向先企業にも「使用者」との吹き出しを付けています。つまり、ここでの説明で使用者とされないのは、労働者派遣の場合の派遣先企業だけです。その上で、この本はその説明に引き続いて、「労働契約上の使用者に該当すると、その企業は、労働者の安全に配慮する義務など労働契約上の義務を負うことになります」としているのです。これを読む普通の読者は、派遣労働者について派遣先は安全配慮義務を負わないのかと読むと思います。この本の「使用者」の説明はわずか13行で、執筆者は、派遣先は派遣労働者に対して安全配慮義務を負わないという説明をしたいがためにこの部分を書いているように感じられます。そして、弁護士には言うまでもないことですが、その説明は完全な誤りです。労働者派遣業法第45条は派遣先に対して労働安全衛生法上の各種の義務を負わせていますし、過労自殺などの事例で派遣先の安全配慮義務違反を認定した有名な判例があります。仮に執筆者の不勉強のために派遣法の規定や安全配慮義務についての判例を知らなかったとしても、そもそも派遣労働者は一人で派遣先に赴いて労働することも多々あるわけで派遣労働者の労働現場を管理している派遣先企業に安全配慮義務がないなどということは、通常の弁護士の感覚ではおよそ考えられません。私は、自分が労働者側の弁護士だからということもありますが、派遣労働者に対して派遣先が安全配慮義務を負わないなどということを本気で考えるような弁護士には労働事件を扱って欲しくないと思います。
この「使用者」の説明部分はあまりに非常識なので、チェックミスで残ったのだと考えたいところですが、私にとっては流し読みしていてもギョッとしたところで、労働法をわかっている弁護士が見落とすようなところとも思いにくい。「コラム」で使用者側の言いたい放題が書かれていることからすると、この「使用者」の説明部分が実は執筆者の傾向をよく示しているということかもとも思えてしまいます。
02.甲斐バンド40周年 嵐の季節 石田伸也 ぴあ
70年代半ばから80年代半ばにかけて一世を風靡した甲斐バンドのデビューから解散までプラスアルファを関係者への取材などで紹介した本。
甲斐バンドの楽曲よりも甲斐よしひろの姿勢(チューリップを超えたという自尊心とか、照明へのこだわりとか)と他のメンバーとの関係、ライブの企画と舞台裏というあたりが中心となっている感じです。武道館(79年〜)、芦ノ湖畔(80年)、花園ラグビー場(81年)、品川プリンスホテル・ゴールドホール(スケート場)(82年)、西新宿5号東京都有地(現都庁)(83年)、両国・新国技館(85年)と、誰もやったことがない場所を切り拓いていく様子と、その裏方の交渉や会場独自の制限との闘いが書かれているところが、私には一番読み応えがありました。
楽曲では、私は、HEROや安奈の甲斐バンドよりも、初期の裏切りの街角やかりそめのスウィングの頃の甲斐バンドの方が共感できましたので、「かりそめのスウィング」は「裏切りの街角」から曲調ががらりと変わったこともあったのか前作ほどのヒットとはならなかったが、「シンコーの草野昌一さんには『一番いい曲を作ったな』って喜んでもらえた。8ビートから4ビートに転換したのは前作の客を裏切ったかもしれないけど、大人の受けはよかった。もっと売れてもいい曲だったと思うよ」(55ページ)と紹介されているのに納得感がありました。
ずっと周辺の人々の取材で固めてきて、最後に甲斐よしひろと、高校で部(無線部)が一緒だったという小林よしのりの対談が置かれ、そこで2人が褒めあっているのが興ざめします。この対談なからましかば…
01.パワハラに負けない! 労働安全衛生法指南 笹山尚人 岩波ジュニア新書
パワハラを受けた労働者の救済方法と闘い方などを、労働事件を専門とする弁護士事務所の新人弁護士を主人公とする小説風の形で解説した本。
一般読者向けに、パワハラと闘う意志というか希望を持たせるために、裁判や労災認定の一般的な感覚よりは労働者に有利に解決される流れになっている印象を持ちます。パワハラによるうつについて、目撃証言や録音などの証拠がないケースで、裁判で事実が認められないケースも扱っていますが、そのケースでも本人の供述などから裁判所が一定の和解を勧めて和解金が取れた結果とされ、さらにはその後目撃証人を得て労災では逆転して認定を受けたり、他のケースでも労災が認められる結果になっています。あとがきでも「現実には、この書籍で紹介した事件のように、うまく労災の支給決定がおりたり、裁判で望ましい結論が得られたりすることはまれです。」と書かれています(230ページ)。そのあたりには、注意したいところですが、青少年向けの読み物としてはかなり踏み込んで裁判や労災の実務を紹介し、わかりやすく書かれていて、多くの青少年に読んで欲しいと思える本です。
サブタイトルが「労働安全衛生法指南」とされていて、労働安全衛生法の説明自体は、一般向けの本としては詳しめに書いてはあるのですが、タイトルのパワハラとの関係で、私にはパワハラの事件で労働安全衛生法をどう使うのかということが論じられているのかと期待して読んだのですけど、そこはあまり書かれておらず、その期待は外れました。
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