私の読書日記 2020年6月
18.おもしろサイエンス 火山の科学 西川有司 日刊工業新聞社
火山とは何か、噴火が起こる機序、火山ができる場所、日本と世界の主要な火山、火山の利用(発電、温泉、湧水、鉱山、石材、観光等)、噴火による災害と噴火予知について、項目を立てて1項目あたり2~3ページで説明する本。
イエローストーン国立公園(アメリカ)地下の巨大なマグマだまりの破局的噴火を回避するためにマグマだまりまで地下10kmほど掘削して火山を冷却する計画が紹介されています(90ページ、120ページ)。グスコーブドリの伝記の「サンムトリ火山」爆破工作のような話ですが、こういうことが現に行われようとしているのですね。この本ではそういう計画があると書かれているだけなのでちょっと調べてみたら2017年にNASAがそういうことを提唱して、それに対してかえって危険だという批判もされているようで、2017年以後どうなったのかはわかりませんでした。もう少し詳しく中身を知りたいところです。なお、グスコーブドリの伝記では、冷害対策のためにブドリが「カルボナード火山島」を噴火させて二酸化炭素を放出させるということになっていますが、火山の大規模噴火ではむしろ火山灰等によって気温が下がることが紹介されています(88ページ等)。当然の話ですが…
誤字脱字、変換ミス等、てにをは等も含めた言い回しの不自然さなどがとても多い本です。一々指摘する気にもなれないほどに。浅間山の「1783年の天明の噴火の噴出物総量4.5×108立方メートルで噴火指数は4でした」(72ページ)というの、「108」とあるのは当然10の8乗のはずですが、どうにかならなかったでしょうか。縦書きだから上付き数字が技術的に難しいのでしょうけど。
17.木星・土星ガイドブック 鳫宏道 恒星社厚生閣
ジュノー、カッシーニ等の近年の探査機による探査結果などを踏まえて、木星と土星、その衛星について解説した本。
木星、土星や衛星の姿について説明されていることがどこまで確実なものなのかは、私には判断できませんが、探査機による木星と土星の衛星(現在では木星の衛星は79個、土星の衛星は82個確認されているとか)の写真が美しく、それを見るだけでも得した感のある本です。木星と土星の本星はガス惑星ということで分厚い気層/雲の外側しか見えず、探査機の写真でも宇宙望遠鏡の写真とそれほど違わないのですが、衛星は地表の様子がくっきりと見えて、感動的です(土星最大の惑星タイタンも、分厚い大気層があるので探査機本体からの写真はぼやけた感じですが、地表に降り立った「ホイヘンス」の画像で地表の様子が見えます)。
木星の南半球に見られる「大赤斑」について、「1800年代後半には楕円の長径が約4万km(中略)、それが1980年頃には約2万3300kmになり、最近では今までで最も小さい約1万6500kmまで縮小した」とした上で「これは1年間に約1000kmのペースで縮小している計算だ」(46ページ)というのですが、どう計算したらそうなるのでしょう(長径で見るなら1桁違いでも合わなくて、1年間に約100マイルならなんとかよさそうではありますが)。88ページの「膠着円盤」は「降着円盤」の誤り。変換ミスですが、天文の専門用語の見落としは痛い。「はじめに」で編集者に謝辞を述べているのですが、出版社(編集者の所属会社)名を「恒星社恒星閣」とする変換ミスが見過ごされています。著者も、ですが、編集者、そこ気づかないですか。
16.ルポ老人受刑者 斎藤充功 中央公論新社
老人受刑者の刑務所・医療刑務所(今では「成人矯正医療センター」とかいうらしい)での処遇や、更生保護施設(今は「自立更生促進センター」というらしい)や民間の支援組織等の業務を取材して紹介した本。
施設・団体のご厚意で取材させてもらっているためだろうと思いますが、施設はどこも清潔で快適、食事も思ったよりも質がよい、担当は誠実で親切、守秘義務も含めた職業倫理観が高いというトーンで一貫しています。別ルートでの取材で受刑・処遇の現場に問題点があるというような指摘はありません。よかれ悪しかれそういう本として読むべきでしょう。
所持金もほとんどなく出所し、再就職もほとんどできず、窃盗や無銭飲食を犯して再入所というスパイラル現象の問題を何か所かで指摘していて、そういう問題提起の意図はあるのだと思いますが、刑務所・更生保護施設・支援組織の人々は一所懸命やっている(多くの関係者がそれぞれの個人としては一所懸命やっているということは事実だと思いますが)というトーンなので、管理(規則正しい生活)を嫌う元受刑者が更生保護施設にもとどまらず短絡に再犯に走るという元受刑者の自己責任的な色彩の印象が残ります。
受刑者専門の求人誌を発行する試みの紹介(164~174ページ)など民間から受刑者の社会復帰を支援する動きが見られることは、この重苦しい難しい問題に少し希望を感じさせてくれます。簡単にはいかないでしょうけど、そういう動きが育っていってくれるといいなと思います。
15.ネットとSNSを安全に使いこなす方法 ルーイ・ストウェル 東京書籍
子ども(中高生)向けに、インターネットやSNSを利用するときのリスクや注意点を説明する本。
基本的に、優しくかみ砕いて説明していて、技術的な点よりも心がけや対処法に重きが置かれ、読みやすくできています。
イギリスでの2016年の出版物を訳したもので、日本での問い合わせ先(役所の窓口ばかりですが)が補充してありますが、法律は国によって違うけどという記載がいくつかあり、それでは読む側には日本ではどうなのという疑問というか戸惑いが残るのではないでしょうか。
また、ありがちなやり方ではありますが、挿絵で「GOGGLER」(49ページ)とか「ツイッティング」(51ページ)、「ギューチューブ」(126ページ)などと、Googleやtwitter、You tubeをもじった(ちょっとだけ名前を変えた)記載をしています。そして、そうしている理由はどこにも説明されていません。この挿絵はネット上の書き込みに関する文章に挿入されています。また、この本では著作権問題も扱っています。読んでいる側からは、なぜ名前を変えなければならないのか、この本では何故名前を変えているのか、何の説明もなくこういうことをしているのは、Google等と記載してしまうと何か問題があり後ろ暗いからこうしているのか、また名前を少し変えれば何をやっても大丈夫なのか、この本の著者はそう考えているのかと、受け取られかねません。悪くすると、書き込みに関するところで相手の名前を少し変えておけばいいやという非常に安易な発想による挿し絵を入れていることを、悪口を書くときでも相手の名前を少し変えればいいってことかと受け取られる可能性さえあります。正しいネット利用を教えるという立場の本が、こういうやり方をしていることは大変残念です。
14.祝祭と予感 恩田陸 幻冬舎
「蜜蜂と遠雷」の後日談(芳ヶ江国際ピアノコンクールの入賞者によるコンサートツァーが行われている時期という設定)2編と前日談4編からなる短編集。
前日談の方は、ナサニエル・シルヴァーバーグ(芳ヶ江の審査員、マサルの師匠)と嵯峨美枝子(芳ヶ江の審査員)のなれそめ、課題曲「春と修羅」の作曲にまつわるエピソード、マサルがナサニエル・シルヴァーバーグに師事するに至る経緯、ユウジ・フォン=ホフマンが風間塵を見いだした瞬間が描かれています。
長編小説シリーズが完結した後に「外伝」が書かれるような、そういうイメージの作品集です。「蜜蜂と遠雷」を読んで、まだしばらくこの世界に浸りたい、余韻の楽しみたいという人のニーズに応えるもので、おそらくは作者もせっかくあれだけ作り込んだ世界をもう少し書きたいという思いで書いているのでしょう。当然のことながら、「蜜蜂と遠雷」を読んでいない読者には、何のことかわからない話です。
この本を通じて、なぜか風間塵は、浜崎奏の言葉(会話)の中で1か所「風間くんも?」とある(156ページ)のと、ユウジ・フォン=ホフマンが名前を聞いたときに「Jinn。なるほど、精霊の名は彼にふさわしい。」とつぶやく(186ページ)以外は、すべて、会話体の、それも風間塵本人に呼びかけるときでさえ「風間塵」と表記されます。風間でも塵でもジンでもなく。他の人は、ほとんどが名(First name)で、残り一部は姓(Family name)で表記されているのに、何故なんでしょうね。
本編ではマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、栄伝亜夜、風間塵とともに主要なコンテスタントとして扱われていた高島明石は、この短編集では一度も登場しません(明石に触れた場面もありません)。この短編集、1ページの字数も少なくて薄い。やっとこさなんとか1冊の単行本にしたという印象を持つ程度の分量です。作者に明石に対する愛/思い入れがあれば、もう1編短編を追加してもよさそうなものですが。
13.ノーマンズランド 誉田哲也 光文社
姫川玲子シリーズの長編第6作。
北朝鮮拉致被害者の家族と元恋人が、拉致実行犯を捜し求めて長い年月を苦痛と焦燥、徒労感のうちに過ごす様子を軸に、殺人事件とそれを隠蔽しようとする政治家、警察内の一部勢力等を絡めた展開をしています。
拉致被害者の家族らの悲しみと苦痛を描くのはいいのですが、拉致問題解決のために自衛隊の特殊部隊を密かに北朝鮮に侵入させて拉致被害者を奪還すべきだ、それしかない、そのためには憲法第9条が障害だ、だから憲法を改正すべきだという、ウルトラ右翼・ウルトラ過激派の政治主張を、拉致被害者の存在を利用して広めようという特殊な作品になっています。長編第5作の「硝子の太陽
R-ルージュ」に続けてこのシリーズをネトウヨ的な政治主張の広告塔に用いた作者は、姫川玲子シリーズを政治宣伝に捧げるつもりなのでしょうか。登場人物やその関係でシリーズの体裁は保たれているものの、姫川玲子自身、年齢が上がり、関係者が次々と死んだという設定もあってか、当初の勢いというか、感覚、閃きで走り出すこともなくなり、読んでいて、姫川玲子シリーズではあるものの、別に姫川玲子じゃなくてもいいんじゃないって感じますし、潮時でしょうかね。
この作品の後に書かれた「歌舞伎町ゲノム」ではネトウヨ的な政治主張がないのは、作者がこの作品の後はそういう政治主張を卒業したのか、それとも短編集だから政治主張を展開する余裕がなかったというだけなのか、一応注目しておきたいところです。
12.歌舞伎町ゲノム 誉田哲也 中央公論新社
歌舞伎町界隈で悪党らの被害を受けた者やその知人から依頼を受けて報復をする、自警団のような、「必殺仕掛け人」のような7人組「歌舞伎町セブン」の仕事ぶりなどを描いた短編集。
このシリーズでは、2作目の「歌舞伎町ダムド」が、「新世界秩序」(NWO)とかいう権力に根を張った大組織を敵方に位置づけた上、「武士道ジェネレーション」(2015年7月)以降右翼の伝道師のようになっていた作者が、沖縄の米軍基地反対闘争は本土の左翼犯罪者の陰謀で裏には外国人がいるなどと政治的な主張をするもので、この調子じゃ続編にはつきあいにくいなぁを思っていたのですが、この作品では、NWOの名前は出てくるものの、名前だけで、事件等はふつうのワルたちが犯して、ふつうのワルたちを懲らしめる(って殺すんですが)ものばかりです。「名探偵コナン」のふつうの回(「黒ずくめの組織」に触れはするが黒ずくめの組織は動かない回)みたいな印象です。もっとも、最後の作品の終盤は、またそっちに行きかけてますが。初出が2017年秋から2018年にかけてのこの作品で、ネトウヨっぽい政治主張が出てこないのは、その手の路線に飽きて卒業してくれたのでしょうか。そうだといいのですが。
11.文身 岩井圭也 祥伝社
「最後の文士」と呼ばれた無頼派作家須賀庸一の死後に、30年あまり前に須賀の妻詠子が殺鼠剤入りの麦茶を飲んで死亡した直後に発表された須賀の出世作となった「深海の巣」が妻を脅迫して遺書を書かせて毒殺したという内容だったことから父を憎み縁を切っていた娘山本明日美宛に須賀庸一名で送られてきた「文身」と題する小説原稿の中で、須賀庸一の小説はすべて15歳で死んだことになっている弟堅次が書いた原稿の内容を実行し、現実に実行したのに合わせて修正して完成させて「私小説」としての説得力を持たせていったものだと告白されたという設定の小説。
「私小説」のどこまでが現実か、現実であるべきか、また小説とは何を何のために書くべきか、小説家とはどのような存在か、小説家の人生は小説にどこまで/どのように描かれるべきかなどの哲学的な問いかけが、娯楽小説の形で論じられています。終盤になってその問いかけがばたつく感じがあって、その前の小説家須賀庸一の半生的な記述の長さと、ちょっとバランスが悪い印象を持ちますが、最後で持ち直してうまくまとまるため、読後感はいいと思います。
10.夜を彷徨う 貧困と暴力 沖縄の少年・少女たちのいま 琉球新報取材班 朝日新聞出版
風俗営業や「援交」、親や親の愛人等による暴力、飲酒・喫煙、違法薬物等の最中にある少年・少女たちに取材して、そこに至る経緯や現在の環境、当事者の希望・感情等を報じた琉球新報の連載記事をとりまとめた本。
小学校高学年からキャバクラで働き裏でデリヘルまがいのこともさせられたという事例(59~61ページ)や、高校生が知らずにピンサロの面接を受け客を取るように言われて拒否すると親に知らせると脅迫されしかたなく出勤すると店には中学生が数人いたという事例(69ページ)など、胸がつまります。他方で、風俗店とわかっていても家に帰りたくない、家では親の暴力が待ち構えているからと勤めを続けてしまう事例があるのは、さらに悲しいところです。
急性アルコール中毒の搬送について、救急救命センター長が「県外では飲酒絡みで10代が搬送される事例はまれだ、小中学校の年齢ではほとんど聞かない」と述べ、搬送数自体の多さや低年齢層も一定数いることが沖縄の特徴だと指摘している(141ページ)とされていますが、それは沖縄だけのことなのでしょうか。琉球新報が沖縄県民に警鐘を鳴らせたいのはわかりますが、沖縄だけのことと捉えていいのか、気になります。
09.成功する「準備」が整う 世界最高の教室 ダイアン・タヴァナー 飛鳥新社
アメリカ西海岸(カリフォルニア州、ワシントン州)に少人数制で生徒の自主的なグループプロジェクトを中心にして教師とは別にメンターを付けて各生徒の事情と個性を把握し教師は助言サポートを担うというような方針の高校「サミット」を経営する著者が、サミットを立ち上げるに至る経緯、立ち上げの試行錯誤、サミットの方針や教育スキル等を解説した本。
知識詰め込み型ではなく、子どもの好奇心と自主性を引き出し、具体的に問題解決の工夫をさせることで知識や技能が身につくという指摘はその通りだろうと思います。
懐疑的な/我が子さえよければの保護者たちとの軋轢については、さらりと書かれ無事に解決できたように読めますが、現実には本に書かれているよりも多大な苦労があっただろうと思います。
高校教育の可能性は、大学の現実に制約されざるを得ません。大学入学二際して、高校からの推薦状の実質的な内容が比較的大きなポイントとなり、入学自体はそれほど困難ではない(卒業することが難しい)アメリカでは、高校が生徒の自主性・問題解決能力を伸ばしてその個別の能力を把握して具体的で詳細な推薦状を書けることが大学入学実現に大いに貢献することになるでしょうけれども、ペーパーテストの結果を重視する日本では、この試みが大学入学実績を上げ、また保護者の支持を得られるかは心許ないところです。
08.ブルーヘブンを君に 秦建日子 河出文庫
品種交配のみで青いバラを作ったバラ園主をモデルに岐阜の町興し映画のために書かれた小説。
バラ園を経営する両親の元で3人兄弟の次女として育った高校生の鷺坂冬子の高校生時代の1971年(星野仙一と3番サード長嶋が対戦する時代)と、癌が進行して余命幾ばくもない母良枝が入院中の1982年が、作品の大半を占めています。ハンググライダーで飛んできてぶつかりそうになった「弁当王子」鷹野蒼太との淡い想い出、長女朝子のニューヨーク行きに危惧感を示した父光男を諫めた母の言葉。実質的には冬子の決意につながるその2つを引き出すためとも言える経過作りがこの小説の肝です。このテーマであればふつう中心となるであろう青いバラ作りの苦労は、まったく描かれていません。野球を一応はテーマにしながら、主人公を甲子園大会優勝投手にしながら、甲子園大会の試合場面をまったく描かなかった漫画「タッチ」のような、いや「タッチ」は地区予選の試合は散々描いて苦労はさせてますから、「タッチ」以上に主人公の努力・闘いの過程をすっ飛ばしています。あとがきのラストに「今、青いバラの花言葉は『夢はかなう』だそうである」と書かれていることとあわせて、願っていれば夢はかなうというディズニーワールドのようにも見えます。
07.暗号通貨クライシス BUG 広域警察極秘捜査班 福田和代 新潮文庫
「BUG 広域警察極秘捜査班」の後編。ブティア博士が開発しビットセーフ社の手によりマーシャル諸島の通貨となり太平洋諸国の共通通貨化を狙う暗号通貨Lexのプログラムの「鍵」を握る水城陸/沖田シュウを巡って、Lexの拡大を妨害したい勢力が暗躍し、サミット航空172便墜落事故の真相を追うはずの水城陸/沖田シュウは襲撃され、拉致されてしまい、BUGとブティア博士の側近が水城陸/沖田シュウ救出に向けて奔走するという展開を見せます。
前編では比較的穏当に展開させていた作者が、この後編では、派手に暴力シーンと殺戮を描き続け、前編で作った設定・世界を破壊してしまいます。前編と後編で、少し人が変わったような進め方ですし、こんなに壊してしまわなくてもという印象を持ちました。エピローグで「自分が守るべきもの、愛すべきもの。これからは、きっと守ってみせる」とか言っているので、ひょっとしたら作者はまだ続編を考えているのかも知れませんが、ふつうに考える限り、それは無理だろうと思う壊しっぷりです(だから、もう続編はないと踏んで、前編・後編と書いています)。
サミット航空172便墜落事故の真相解明=水城陸/沖田シュウの雪冤は、この作品の重要テーマのはずですが、そこは何というかとってつけたようなあっけない印象ですし、他方、水城陸の父晋也への思いが終盤でダンブルドアを恨みに思うハリー・ポッターのようであり、しかしそれほどの深み/重層性が見られずただ暗いのも残念に思えます。
06.BUG 広域警察極秘捜査班 福田和代 新潮文庫
航空会社と管制システムに侵入していたために乗客乗員560名を乗せたサミット航空172便の航空機墜落事故を発生させた犯人とされ死刑宣告を受けた当時16歳のハッカー水城陸が、環太平洋連合(PU)の下での各国警察の上部組織となった広域警察に設けられた秘密セクション「BUG」に加わることを条件に死刑執行を装って別人沖田シュウとして出獄し、広域警察幹部の命令に従い、サミット航空172便の事故で死んだと思われていたチャンドラ・ブティア博士の動向を探り盗聴等を重ねるうちに、ブティア博士が自殺したと思われていた水城の父晋也と親しかったこと、水城晋也は殺害された疑いがあることなどを知り、任務との間で葛藤しながら、晋也の死の真相、さらには自分を陥れた犯人を追い求めるアクション・サスペンス小説。
BUGは「広域警察刑事部管理課直属、極秘捜査班盗聴ユニットの俗称」(登場人物紹介ページ、31ページ)と説明されています。こういう設定をしたらなんとか無理をしてでも何かの略だと言ってみたくなるのがふつうかなと思いますが、BUGは盗聴や盗聴器とあっさり書かれていて(31ページ)、何かの略だという記載はありません。
水城陸/沖田シュウの敵は中盤で明らかにされ、事件の真相よりも、どうやって解決するか/真の敵を倒すかの方に関心が集まるスタイルです。
終わりに「続く」とは書かれていませんが、水城陸/沖田シュウの雪冤は「これが終わりではない。事件はまだ解決していない。ようやく、解決の端緒についたばかりだ」と書かれ、ブティア博士陣営では騒動で終わり、いかにも続編が予定されていますという様子です。
05.量子コンピュータの衝撃 世界を変えるデジタル最終兵器 深田萌絵 宝島社
量子コンピュータを材料に、中国が量子コンピュータを開発・実用化するとそれが中国共産党にいかに悪用されるかをあげつらい中国の脅威をあおり立てる一種の嫌中本。
新型コロナウィルス感染拡大防止措置・緊急事態宣言で図書館が閉鎖されネット予約しかできなかった時期に、タイトルだけで予約した本で、本を手に取ってパラパラとめくれば借りなかった類いの本です。まぁ、そういう機会がなければ読まない本を読むのも一つの経験ではありますが。
著者は、自分は右翼ではない、ノンポリだと主張しています(112ページ)が、「『スパコンは二位ではダメなのですか?』なんて利敵発言をする大臣はクビにしなければならない」(31ページ)と述べ、量子力学の「シュレディンガーの猫」を密室の男女、女性政治家と顧問弁護士がホテルの部屋に入って朝まで出てこないときに「重ね合わせ状態」か否かに例える(60~64ページ)など、旧民主党を「パヨク」と呼ぶネット民と変わらぬ感性に思えますし、トランプ大統領が正義で、ファーウェイは「技術泥棒」(100ページ等)と断じる姿がノンポリだとは思えません。もっとも、夢で伊勢神宮に呼ばれて伊勢詣でしたら大震災が見え、翌日東日本大震災が起こった(196~197ページ)そうですから、政治的というよりは宗教的な方なのかも知れませんが。
肝心の量子コンピュータについては、量子コンピュータ自体で何ができるかは、因数分解と総当たり計算に強い、その結果暗号解読と最短経路問題が解けるというだけで、それ以上の説明はほとんどありません。この本の前半は、文系にもわかるようにと著者は配慮したらしい量子力学の解説(専門用語はできるだけ使わないようにしている雰囲気は感じられるものの、やはりわかりにくい)、中盤以降は量子コンピュータを独裁者中国共産党が握ると個人情報がすべて掌握された監視社会で独裁者のなすがままの社会が生じるということを繰り返すものです。ネット社会をアメリカを中心とする国々が「エシュロン」で情報監視統制し、日本政府もアメリカのおこぼれを受けていることは、スノーデンの告発ですでに知られていますが、著者はそこにはひと言も言及しません。すでに行われている情報収集・監視はアメリカや日本が行っていれば問題視せず、これから行われるかも知れない情報収集・監視は中国が覇権を握るかも知れないから大問題だという捉え方は、到底「ノンポリ」の「右翼でも左翼でもない」人のものとは思えないのですが。
04.最愛の子ども 松浦理英子 文春文庫
共学の私立高校の女子クラスという微妙な環境で「わたしたちのファミリー」と位置づけられる、世渡り下手で素直でない面白くないとプイと一人で出て行ってしまう直情径行型の今里真汐ママ、思慮深く物事に動じない触られた者が気持ちよくなる触り方をして優しく接する舞原日夏パパ、どこか抜けている天然ちゃんの薬井空穂の3人の絡み合いうつろう関係とそれを周囲でハラハラしながら見守り味わい楽しむ「わたしたち」の雰囲気を描いた青春群像小説。
包容力があり、しかしなおどこか謎めいた日夏と、意固地だが憎めない真汐のキャラ設定とその組み合わせ、それを見守る周囲の女子高生たちとさらにはやんちゃな一部のその親たちという舞台装置がうまくはまった感じです。
語り手が「わたしたち」という、客観的な俯瞰するような視線で語れるようでいて、しかしあくまでも主観で語り、3人の実像ではなく物語を紡いでいるのだ、誰も見ていないからこれは想像だと言って語るという手法が取られています。私自身小説を書いて、そこでは登場人物の一人の語りの形式を取っているため、語り手が同席しない場の事実や他の人物の内心を語れないという制約があるのに対して、こういう手法を取れば何でも書けるのだなと気がつき、感心しました。ある意味でとても便利な手法ですが、ただそういう手法を取りながら、客観的記述ではなくて、「わたしたち」のイメージ、共有する物語・ファンタジーなのだというある種ふわっとした情感を保つのは、意外にさじ加減が難しいかもしれません。そういうところの巧みさに、惹かれました。
多数の愛すべき人物を生み出しながら、作者は空穂の母についてはあくまでも悪役にしています。シングルマザーの看護師に、作者は何か恨みでもあるのでしょうか。
03.コリーニ事件 フェルディナント・フォン・シーラッハ 創元推理文庫
世界中に4万人もの従業員を抱える大コンツェルンのマイヤー機械工業の元代表取締役ハンス・マイヤーが殺害された刑事事件で、少年時代に親友の祖父であるハンス・マイヤーにかわいがられていた駆け出し弁護士カスパー・ライネンが、そうとは知らずに国選弁護人となってしまい、動機を語ろうとしない被疑者の弁護に難渋するという設定のリーガル・サスペンス小説。
著者の狙いは、リーガル・サスペンスと言うよりも、ナチス戦犯の刑事訴追を巡って、障害となるような法改正がその点を意識して議論されることなく行われ法の欠陥による不正義が生じていることの告発にあったようです。リーガル・サスペンスとしてはもう少し裁判の場での展開を見たかったところですが、その法の欠陥と不正義を印象づける点では、それが明らかにされたところで迅速に結末に至るこの作品の構成は効果的に思えます。
併せてラストシーンも、中盤の14(128~140ページ)の描写ですでに感じさせるところではありますが、コリーニの57年に及ぶ悲しみと懊悩を考えさせる味わいのあるものになっていると思います。
他方において、弁護士としては、弁護士倫理というか、弁護士の行動について考えさせられます。それと知らずに被害者が自己の知人・恩人である事件を受任してしまった弁護士が、悩みながらも、その事実を被疑者・被告人に告知してそれでも被疑者・被告人が弁護を希望する限りは、弁護人として活動し続ける、ベテラン弁護士マッティンガーの助言とライネンの選択、これはいいでしょう。しかし、弁護人となった後に、被害者の孫(死んだ親友の姉)ヨハナと肉体関係を持つ、これはどう考えても駄目でしょう。さらには、被害者の孫(唯一の親族)として公訴参加するヨハナの代理人のマッティンガー弁護士から饗応を受け、被害者側の企業マイヤー機械工業から(弁護をやめてくれれば報酬を出すという賄賂提供を断ったのはいいのですが)ホテル宿泊等の利益を受けることも、問題があります。作者は現役の弁護士でありながら、利益相反を始めとする弁護士倫理上の問題について、ライネンが悩む姿も描かず、何らの問題点の指摘もしていません。ドイツ赤軍派の弁護で有名になりその後大家となって今ではマイヤー機械工業などの大企業を主な顧客とするベテラン弁護士マッティンガーについても、ウクライナ人の若い愛人に股間で奉仕させるシーン等が描かれているように、作者は弁護士に倫理観を求めていないのでしょうか。批判的な問題提起がなされているのであれば、それはそうとして理解できるのですが、現役の弁護士に、弁護士はそういうものであるかのような描き方をされると、それでいいのかという思いを持ち、どこか寂しく感じます。
映画については→映画「コリーニ事件」
02.同一労働同一賃金の基本と実務 石嵜信憲編著 中央経済社
パート・有期法と派遣法改正で、パートタイマー(短時間労働者)、有期契約労働者、派遣労働者の3類型の非正規労働者について、通常労働者との間で、不合理と認められる待遇差を設けてはならない(均衡待遇)、職務の内容が同一で職務の内容及び配置の変更の範囲が同一と見込まれる場合は非正規であることを理由として待遇の差別的取扱をしてはならない(均等待遇)等の規定が設けられた(拡大・整理された)ことへの使用者側の対応について、使用者側の弁護士が、法の理念や理想は無視して裁判や厚労省の指導を回避できるギリギリのいちばん低いレベルの対応を指南し推奨する本。端的に言えば、政府・厚労省が政策的に非正規労働者の待遇改善に向けて進めようとしていることに乗せられずに、当分は労働者の待遇改善などせずに、裁判所の判決の動向を見てやらないと負けるようになるまで、行政が積極的に指導してくるようになるまでは様子見をしておけばいいとするもの。弁護士の感覚では、裁判になった時の見通しがはっきりしないときは、安全を見て、労働者側は労働者側に厳しめの助言をし、使用者側は使用者に厳しめの助言をするものだと思いますが、徹底的に使用者側での強気の姿勢で貫かれています。下級審レベルでは待遇差が不合理とするものが多数となってきている住居手当や、私傷病欠勤時の有給の休暇・給与保障についてもイケイケどんどんで、不合理とした下級審判決の方を非難しています。こういう姿勢で闘って負けたとき、依頼者にどう言うんでしょうね。まぁ本に書くときと違って事件として受任するときは「チャレンジだよ」って言うんでしょうね。
本としては、第2部第2章のパート・有期法第8条(均衡待遇)関係の裁判例の解説と、それをとりまとめた巻末資料(1~3、12)が読みどころです。ここは、弁護士としては勉強になります(巻末資料の12も、労働者側弁護士としては腹立たしいまとめ方ではありますが、裁判例のまとめとしては参考になります)。
編著者の助言は、典型的には均等待遇との関係で、均等待遇を避けるために、問題対応やクレーム処理等は正社員のみが行うことにして職務内容が同じでも責任が違うようにする、あるいは非正規は役職に就けず昇進させない制度にして配置の変更の範囲が違うことにする(265ページ、331~332ページ)とか、非正規労働者に対する説明義務履行のための文書で厚労省の推奨では「貴職は通常の労働者と同視すべき要件を満たしているので待遇について通常の労働者との差別的取扱をすることはありません」とされるところを「パート・有期労働者が通常の労働者と同視すべき要件を満たしている場合、パート・有期労働者の待遇については、パート・有期労働者であることを理由として、通常の労働者との間で差別的な取り扱いをしません」とする(384ページ:厚労省推奨の案では当該労働者が差別的取り扱いをしてはいけない労働者だと告知するが、編著者案ではそこに触れず労働者がそれに気づけないようにする)など、実に小ずるい狡猾なものです。前者については、編著者自身が「このような対応は、法の潜脱であるという批判もあるかも知れません」とまで言っています(332ページ)。立法がおかしいからこういう対抗手段をとってもいいんだと開き直っていますが。
編著者は自己の主張を正当化するのにさまざまな歴史的経緯や統計等を駆使しています。それはそれでその博学ぶりに敬意を表したいところですが、「『終身雇用』を支持する者の割合は、調査を開始した1999年以降、過去最高の87.9%」(345ページ)等の認識(だから非正規労働者の待遇改善など後回しでいい)と、「『正社員になりたいけれどなれない』不本意非正規労働者は、現在、非正規労働者の1割程度に過ぎず」(46ページ)という認識(だから非正規労働者の待遇改善などしなくていい)は、両立するのでしょうか(ほとんどの人が終身雇用を支持し、つまり希望しているというのに、非正規労働者はほとんどが自分の希望で非正規になったって)。私には、都合のいい話をつぎはぎしているように見えます。
01.4 Unique Girls 特別なあなたへの招待状 山田詠美 幻冬舎
山田詠美のエッセイ集。雑誌「GINGER」連載のエッセイをまとめたもので、「4 Unique Girls 人生の主役になるための63のルール」の続編。
私が著者の作品を読んだのがかなり昔だからかも知れないのですが、著者に対しては、世間では蔑まれたり嫌われる生き方をしている人たちを堂々と描き出す、異端にして尖った作家のイメージを持っていました。このエッセイでは、雑誌連載の基準からすればそれでも直言していると評価されるべきなのかも知れませんが、私には、こんなに物わかりのいい、常識を背景に批判(も)できる人なんだという方に驚きました。例えば、「道徳より公衆道徳」と題する10項目目。小中学校の頃「道徳の時間」が大嫌いというかはなから馬鹿にしていた(37ページ)というところは、私のイメージするこの著者にふさわしいのですが、道路につばを吐いたりゴミを捨てる男を嫌い「公衆道徳の時間を義務教育の必須科目にしてくれないか」(38ページ)というのは、ちょっとイメージ違うように思えます。別のところ(「正直と嘘とだましだまし」と題する2項目目)では「そもそも〈自分に正直〉ってのが駄目なの」(12ページ)と言っています。「自分に正直」という言葉を人前で言って正当化するかはさておいて、自分に正直に生きるというか、自分は自分、他人は他人、生き方は人それぞれだろうっていう方が、むしろ著者のスタンスのように思えたのですが。
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