庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年11月

17.私の少女マンガ講義 萩尾望都 新潮文庫
 2009年にイタリアの大学で行われた日本の少女漫画史についての講義とその際の質疑応答及びインタビューとその後に行われた創作の技法やスタイル等についてのインタビュー、2010年代の自作についてのインタビューを取りまとめた本。
 少女漫画史では、70年代でBLを語る場面で竹宮恵子が出てこないというのにちょっとどうしてかなという気がしました。リボンの騎士から大奥へのフェミニズムの形を論じるなら、例えばセーラームーンはどう位置づけられるのだろうとかも読んでみたかったように思えます。質疑でイタリアの女性が「少女マンガは私たちに、強い女性像を示してくれました。たとえば男装しながらも戦っていく、あるいは自分の夢を追求していくことを教えられた。日本の少女マンガこそが、そういう考え方を私たちに教えてくれた」(116ページ)というのですし。
 「マンガの世界と、アニメーションの世界ではシステムがまったく違います。一言でいえばマンガのほうがずっと自由で、縛られていません。上下関係もないので、デビューしたら、誰かに挨拶に行かなくてはいけない、といったこともないですし、誰かを批判したら潰されるということもありません(笑)」(139ページ)って…アニメの世界でよほど嫌なことがあったのでしょうね。
 作品の枚数について、最後に台詞を集中させている作品で最後にあの配分で見せるには、前のページが13、4枚くらいがちょうどいいとか、ヒントを与えられないで見ていくのは15枚くらいが限界だと思う(170~171ページ)と語っています。やはり、プロの感覚というのがあるのでしょうね。裁判所に出す準備書面も…やはり中身と対応してではありますが、適切な枚数というのがあると思いますしね。

16.本当に賢い会社のたたみ方 花本明宏 ぱる出版
 小規模企業の経営者に向けて、会社を他人に承継させるか廃業する場合の手続・手順を概説し、追い込まれる前に余裕があるうちに会社をたたむことを勧める本。
 基本的には、他者への承継(後継者がいないときはM&Aで、業績のいい事業部門だけでも買ってもらう)、廃業の場合は(債務超過でなければ)解散決議をして代表者が清算人となって任意の清算という道を勧めています。
 みずほ情報研のアンケート調査を引用して、承継させたケースでは後継者の能力は経営者の懸念ほど現実には問題なく、承継・廃業とも、顧客や取引先への影響・従業員への影響は経営者が懸念したほど現実にはなかったことを示しています(24~26ページ)。経営者が思っているほど、その経営者でないとできない(言い換えればその経営者の能力が他人より秀でている)ことはないということですね。
 著者は司法書士ということなのですが(司法書士が破産申立代理人となることもよく行われているのですが)、破産手続についての説明には疑問があります。「一度破産し、免責決定を経て債務が帳消しにされると、その後7年以内には、原則として再度の免責決定を受けられず、7年を経過していても事実上二度目の免責決定を得るのは困難であるとされています」(99ページ)というのは、東京地裁で破産申立の実務を行っている者にとっては、そういうニュアンスはちょっと違うんじゃない?と思いますし、破産すると「会社の取締役などの資格も制限され」(99ページ)という記載も法律の規定を理解していないように思えます(現在の会社法施行前は破産して復権前は取締役の欠格事由でしたが、現在は破産は欠格事由ではなくなっています。ただ、民法の委任の規定で破産すると委任が終了するのでいったん退任することになります。再度取締役になることには何ら障害はありません。いったん退任する必要があるのはそうなんですが、これを「資格の制限」とはいいません)。東京地裁での個人の破産申立時の官報公告費が15、499円(115ページ)というのも、(他の地裁では15、499円のところがありますが)18、543円の間違いです。弁護士が破産申立の受任通知を出すと「会社への郵便物もすべて弁護士が管理することになります」(105ページ)って、会社の事件専門の弁護士はそんなことするんだろうかという疑問を持ちます(私は、小規模会社の破産申立をする場合でも、そういうことはしたことがないですが)。破産手続開始決定があると破産者宛の郵便物はすべて破産管財人に転送されますが、それと勘違いしてるんじゃないかと疑ってしまいます。

15.道化むさぼる揚羽の夢の 金子薫 新潮社
 機械工として地下工場に召集された天野正一が、多くの機械工とともに顔だけを出して蛹型の拘束具に閉じ込められ糞尿垂れ流しの状態で吊り下げられ数日を過ごした後、監督官から鉄の棒で理不尽に殴打されながら金属製の蝶を作り続けるという労働を課せられるという設定の小説。
 暴力により制圧された労働者が、理不尽な使用者・監督官の下で従事している労働の意味(のなさ)や使用者の暴力の意味を問いかける様子は、閉塞した格差社会で底辺に追いやられ抜け出せない労働者/非正規労働者のメタファーのようにも見えます。そこで虐げられた労働者が横暴な使用者に正面から反抗できずに隠れた逸脱行為を繰り返し、自虐や道化に走る姿は、闘いよりも逃走、ずらしを志向する世相を反映しているものでしょうか。そして、意味のない労働が続くうちに労働者自身が暴力を受けることを望むという構図は、労働者を虐げ経営者の利益を優先した政策をとる政治家に若者・非正規労働者が投票し続ける絶望的に被虐的な国の状況を示している、というわけじゃないんでしょうね…

14.奥行きをなくした顔の時代 米澤泉、馬場伸彦 晃洋書房
 顔をめぐる人々の捉え方、文化や生活の中での位置づけを、その人に固有の表象・属性であった時代から化粧・整形による修正を経て自由に加工できる現代での変化の中で、社会的・文化的・哲学的に論じた本。
 「はじめに」の最後で5章構成だが「各章の関連は希薄である」と述べられている(ⅹページ)ように、比較的軽めのサブカル論的なものと衒学趣味的な哲学的な文章がぶつ切れに並んでいます。どこかに書いたものを寄せ集めたのかなと思えますが、「初出」の記載はありません。全部書き下ろしならば、もっとつながりを持たせようとするものだと思うのですが。
 「奥行きをなくした顔」は、1つには平面(2次元)の顔(かつて日本人は西洋人の彫りの深い顔に憧れ化粧でそのようになろうとしていたが今や加工で「かわいく」しやすい平面的な日本人の顔にフランス人の女の子が憧れる時代なのだとか:47~48ページ)を(平たい顔族:テルマエ・ロマエか…)、もう1つには内面や経験を示さない/その裏付けのない表層を示しています。デジタル・ヴァーチャルの世界でしか会わない人の間で加工し放題の/加工に抵抗がなくなった「顔」の持つ意味はそのような方向性を持って変容していく、というようなことかと思います。
 ビデオ会議について、「はじめに」で「実際にオンライン授業や会議にビデオ会議システムを導入してみると、双方向的なコミュニケーションに関心ていえば、メリットよりもデメリットの方が目についた感がある。たとえば、参加する人数が多い会議では誰が発言しているのか分かりづらく、また聴いている他の参加者の反応も伝わりにくいために、時間と空間を共有しているという臨場感に欠ける。発言者はまるで壁に向かって話しているような気持ちになり、共感や異論が確認しづらいため、会議の進行を不安にさせたのである」(ⅱページ)、「ディスプレイに浮かんだ『顔』からは解読すべき記号性を見つけることが困難」「お互い『顔色をうかがう』ことが難しく、一方通行的な情報の伝達に終始せざるを得ないのである」(ⅲページ)と書かれているのは、Web会議嫌いの私には、共感できるところです。単に新しい技術に対応できない「旧人類」の愚痴・ぼやきかも知れませんが。

13.税務調査で泣きをみないとっておきの知恵 石川博正 さくら舎
 税務調査の実情、過少申告や無申告が発覚した場合の追徴課税と税務調査への対応方法などを解説した本。
 税務調査に入られやすい職業は、現金商売、小規模な取引、小企業や個人事業主(39ページ)、「税務調査に入られやすい売上額はズバリ1000万円を少し割った金額です」(43ページ)って、本当ですか。「私の仕事で多いのが、個人事業主さんや副業をされている人の税務調査の立ち会いです」(4ページ)の著者が、営業のターゲットにしている人向けのアピールのようにも感じますが…
 税務調査での対応は、嘘を言わない、曖昧な記憶で回答しない、必要以上の情報開示はしない(148ページ)というのは、そのとおりだろうと思います。私たちの業界で言えば、警察の取調に対してでも、法廷での反対尋問に対してでも当てはまるように思えますし。「たとえ何かやましいことがあって『記憶にない』ととぼけていたとしても、それはそれでけっこうです。間違いなく断言できること以外は『記憶にない』と言ってください」(154ページ)とか、どんなに白々しくても確定申告をしたときの自分は何もわかっていないアホだったとかだらしなかったと言い張って故意ではないと重加算税を免れるテクニック(139ページ、141ページ)などになると、う~ん、ここまでは、というか、すごいなと思いますが。
 税務署側も修正申告で終わらせたい(更正処分までするのは面倒)という事情や、重加算税が取れると手柄になるという事情を利用して、重加算税を受け入れ修正申告に応じる代わりに経費を領収証がなくても認めさせて本税を少なくしてトータル追徴額を減らす(221~227ページ)などは、まさにプロの交渉なのでしょうけれども、ふつうは1日で終わるという個人事業主の税務調査の立ち会いに100万円前後取る(201ページ、215ページ)って…追徴課税が税理士の交渉でそれ以上減額されるのならそれでも依頼する価値があるのでしょうけれども、そうか税理士ってこういうところで稼いでいるのかとか、弁護士なんかよりよほどボロい商売じゃんって思ってしまいました。

12.鞠子はすてきな役立たず 山崎ナオコーラ 河出文庫
 「働かざるもの、食うべからず」と口癖のように言う父親に育てられ父が書いた「働かざるもの、食うべからず」の書を額縁に入れて仰ぎ見る高卒の銀行員の野原小太郎が、大学院で平安文学の研究をしていた書店のアルバイトの鞠子と結婚し、自立志向があまりなく小太郎が支えてくれているうちは働かなくてもいいと、趣味を優先して生きる鞠子の姿勢に感化され、力を抜いて生きていこうと考えを改めるという展開の小説。
 賞には応募せずあくまでも趣味として書きたいと言って小説を書き出した鞠子に、小太郎も書いてみればと言われて小太郎が小説を書くや新人賞を受賞してその後3冊続けて売れる小説が書けたというのは、あまりに都合のいい設定で、そういう世界なら自由に生きていけるだろうけど…という方に、自分に引き寄せにくい感想を持ってしまうように思えました。自由に力を抜いて生きようという方向に進めながら、小太郎も、そして鞠子も、どうも会話が理屈っぽいのも、ちょっとそぐわない感がありました。
 まぁ、夫婦も考えや感覚の違いを何とか折り合っていくものだし、人生も予想外のことに戸惑いながら対処していくものだということは、感じ取れます。

11.雇用差別と闘うアメリカの女性たち 最高裁を動かした10の物語 ジリアン・トーマス 日本評論社
 1964年にアメリカの公民権法第7編(タイトル7)に性差別を禁ずる規定が設けられた後、その解釈として女性労働者が最高裁で勝訴した10の事件を採り上げて紹介した本。
 単なる判例紹介ではなく、それぞれの事件の原告となった女性労働者の経歴や人となり、事件の経緯、使用者側の対応、そしてその女性労働者が弁護士にたどり着いた経緯、弁護士のそれまでの経験や姿勢、担当した裁判官の経歴と傾向、1審での審理内容と判決、控訴裁判所の裁判官と判決、最高裁への上告の準備、そして最高裁での弁論、判決とその後の経緯までがほどよい量にまとめられていて、良質の裁判小説を読んでいるような読み心地です。弁護士の私にとっては、担当した弁護士の決意と準備、そして最高裁での弁論のシーンがとても興味深く読めました。2段組で400ページ近い本なので、読み始めまでに時間がかかりましたが、読み始めると一気に読めてしまいました。最高裁での弁論は、日本の裁判所での口頭弁論とは違い、裁判官が次々と質問を続け議論を仕掛けてきてそれに即座に応答しなければならないという緊張感の強いもので、私が経験した限りでは、日本では社会保険審査会の口頭審理がそれに近いものです(私のそのときの経験はこちらで書いています)。それは、経験するのも楽しいですが、読み物としても大変面白いものです。
 この本では、アメリカでは最高裁裁判官側でも、「口頭弁論を行う弁護士が有能で効果的な場合、彼がどのように主張を展開するかが、その事件の結論を左右するものだ」「私の経験では、口頭弁論における議論の展開によって自分の判断が定まることはよくあった」と述べていることが紹介されていて(34ページ)、弁護士としては、そういう世界、そういう場で弁論してみたいと思います。
 対価型(拒否したことで解雇等の不利益を受けた)でないセクシュアル・ハラスメントが(この件では性暴力と言ってよいと思いますが)公民権法第7編違反の「性差別」だということが初めて認められた事件を担当した弁護士が、1979年にこの事件を手がけて以来膨大な時間を費やしてきたのに報酬がまったくもらえないまま控訴裁判所で手続が3年も遅滞してほとんど破産状態になった(141ページ)というくだりは、似たような志向の労働者側弁護士として、涙なしには読めません…

10.ソウルハザード 永山千紗 文芸社
 イラク派遣中に爆弾で右耳の聴力を失った元陸上自衛隊三等陸曹村主雅哉が、恋人をレイプして殺害した犯人らに対する復讐を誓い、その後自衛隊時代の友人が経営するファミリーホームで働きつつ生育歴に問題のある児童を監視し見守る様子を描いた小説。
 人の命をなんとも思わない軽さと残忍さと迅速で荒々しい展開(この速さで展開して最後まで持つのかと思うほど)の前半と、子どもの成長と揺らぎに寄り添いスピードがなくなる(まぁそうなるだろうなとも思いますが、前半が速いだけに失速感というかもたつき感が強い)後半は、あまりの落差に、主人公も作者も別人のように感じられます。長期連載のうちに気が変わったというパターンではなく、文学賞応募・受賞作品ですから発表前に全体として検討・見直しているはずですが、この断絶感はどうでしょう。前半は村主の内心が描かれていたのに、後半は村主の内心が描かれなくなることもあり、後半の村主が何故そのような行動を取っているかが理解しにくく、そのことも話の不連続感、村主の言動の唐突感を増しているように思えます。
 生育歴に問題がある(親の愛を受けていない)児童が「悪果」となり他人に危害を加えるようになるかを監視し、そうなりそうなら死なせるという考えと、それに囚われる村主の生き様がこの作品の基調となっていますが、そのような考え自体が偏見と傲慢さの産物だと思います。その観念的に過ぎ、特異な思考が、作品自体のコンセプトをなじめないものにしているように思えました。

09.寝てもサメても 深層サメ学 佐藤圭一、冨田武照 産業編集センター
 沖縄美ら海水族館の研究員2名が、サメ研究の視点と成果と残された多くの謎を語る本。
 サメの多くは深海に住み、多くのサメは飼育に適さず、したがって観察の機会は偶然に左右され、とりわけ繁殖・出生が観察できていない種が多く、古生物についても軟骨のため歯以外の化石が残りにくいという事情で、サメ研究には困難が多いという嘆きとサメの生態にはわかっていないことがとても多いことが語られています。なるほど。
 ジョーズのようなサメ(ホオジロザメとか)は決して代表的なサメではない、2019年のデータではサメの攻撃に起因するシャークアタックの件数は全世界で64件、そのうち死者は世界で二人(168~169ページ)などの記述にもサメ研究者の嘆きが表れています。
 サメの最大寿命について、2016年にコペンハーゲン大学の研究グループが発表した論文では調査したニシオンデンザメの最大個体の推定年齢は392年±120年だそうです(58ページ)。著者が「これが正しければ、脊椎動物で最も長寿ということになる」という書き方をしているあたりにも、確かなことは言えないという感じがありありとしています。飼育されていない種類のサメの繁殖の実態や、寿命などがわからないのは理解できますが、飼育されているサメも含めて多くのサメの特徴の尾鰭が上下非対称で上側が長いことが真後ろに水を押し出せず下方に水を押し出すためまっすぐに泳ぎにくい形態なのになぜ多くのサメの尾鰭がそうなっているのかもいまだ明確な答がないといいます(72~75ページ)。
 サメは2本のペニスを持っている(63ページ)「私は付き合い始めて間もない彼女(現・妻)とデートで訪れた水族館で、この知識を得意げに披露した痛々しい記憶がある」(同ページ)…サメ研究者の悲哀を感じさせますが、まぁ、そのまま妻になったのだから、ダメージはさほどなかったのでしょう。
 まだわからないことが多いということも含めて、サメに対する認識を改め、興味を感じさせてくれる本です。

08.プロ画家になる! 絵で生きていくための142条 佐々木豊 芸術新聞社
 プロの画家になり、絵を売って生きていくあるいは絵を教えて生きていくためにはどうすべきかについて、Q&A形式で論じた本。
 Q1での答が、「『プロの画家になる』だと?笑わせるな!プロの画家は今、日本には五人しかいないんだよ。絵だけで喰える画家をプロというならね」です(14ページ)。そして、プロになれるような器には努力など無縁です(15ページ)とも。そう言ってしまったら、「技法書」の存在価値はなく、この本の読者層もなくなってしまうのですが。
 そうは言っても、自分の絵のレベルを知るためには、片っ端から公募展に応募すればいい、自分が出品料を払って応募すると入選入賞作品がそれまでと違って見えてくる(31ページ)という指摘など、なるほどと思えます。自腹を切ることで真剣になり、また納期があることで否応なく描く、そして展示場で否応なく他の作品と比較されることで思い込みではなく客観視できるということですね。
 一日描かないと、翌日没頭するのに手間がかかる。二日描かないと、どう描くのか途方にくれる(46ページ)。三日描かなければ、どう筆を進めてよいかわからなくなる(53ページ)。ピアノだけじゃないんですね。美大に行っても卒業して十年以上描き続けるのは五パーセントくらいだろうって(53ページ)。そんなもんですか。まぁ法学部を卒業して弁護士になっている人の割合はもっと低いですけど。
 デッサンを習慣にするには、毎日鏡に向かって自画像を描くこと(73ページ)だそうです。静物じゃダメで人物でないといけない、それは静物だといい加減に描いても狂いがわからない、人物、特に見慣れている自分の顔なら実物と違うとすぐに気がつくからだって、なるほど。油絵は乾く前に重ね塗りすると濁ってしまい彩度と明度が落ち、暗い絵になりがちで明るいカラッとした絵が初心者には描けない、暗い沈んだ色調の絵は何か意味ありげでそれに満足する描き手が多いが実は技量不足なのではないか(94ページ)と、これも厳しいけどなるほどと思う指摘です。

07.ラストラン ランナー4 あさのあつこ 幻冬舎文庫
 一度無様に挫折したランナー加納碧李が天才ランナー三堂貢と走った地方の記録会で自己ベストの記録で復活し、その碧李の肉薄に何かを感じた貢が碧李との再戦を意識し…という展開をするシリーズ第4作完結編。
 「ランナー」が2007年、「スパイクス ランナー2」が2011年、「レーン ランナー3」が2013年で、この作品は2018年発表。単行本が出たときには気がつかず、文庫本が今年出たのに初めて気がついて、予約しました。11年越しのシリーズ完結、ではありますが…
 作者の出世作「バッテリー」と同様の、一見スポーツがテーマのように見せながら、スポーツではなくスポーツをする人(青年)を題材にして周囲との人間関係や自分(自意識)への鬱屈した感情とそのスポーツをする意味を自問する心理を描く青春小説です。世界一のランナーになれる(レーン ランナー3 文庫版29ページ)、日本記録まで塗り替えちまうかもしれない天才(同104ページ)、世界に挑む、挑んで勝ってみせる(同233ページ)なんていう天才アスリートを登場させながら、大舞台には立たせない、大きな試合を絶対に描かないというひねくれたスタイルが貫かれています。読者の期待を裏切るという狙いではなく(「バッテリー」を読んだ読者なら、この作者にその期待は最初から持たないでしょうから:私は、2013年7月の「レーン ランナー3」の記事(こちらの02.)で予想/予言していました)、「作風」なんでしょうね。
 前作(シリーズ第3作)から、主人公2人ではなく主人公の友人、碧李の所属する東部第一高校陸上部のマネージャー久遠信哉と貢の従兄弟の清都学園新聞部坂田光喜のおしゃべりで持たせる場面が多いのも、「バッテリー」同様です。
 私には、この作品のコンセプトは、ライバル力石徹の命を奪ってしまい挫折した矢吹丈が、天才ボクサーカーロス・リベラと出会って復活し、カーロスとの闘いはエキシビション・マッチで互いに打ち合う喜びに目覚めて試合の枠を踏み越えていく…というのを思い起こさせます。
 心理描写としては、青春小説としては、読ませる作品なんですが。

06.法医学者の使命 「人の死を生かす」ために 吉田謙一 岩波新書
 解剖、死因鑑定の経験を通じて、死因究明の難しさと現在の日本の制度の問題点を解説し論じた本。
 多数のケースを取り上げて死因の判断を説明しています。読んでいて、医学知識の増加と、なんといっても検査技術の発展によって、検討すべき事項が飛躍的に増え、死因の判断というものがこんなにも複雑になっているのかと驚きました。率直に言うと、著者が死因を判断していく過程の文章が、流し読みしていると、私にはほとんど理解できませんでした。
 扼殺(腕や手で首を絞める)の場合の溢血点や鬱血、一酸化炭素中毒の場合の皮膚の色(鮮紅色)など、特徴があるケースは簡単に判断できるものと考えていた(習った)のですが、プロがその判断を誤ったケースを並べられると、戸惑います。
 著者は、刑事事件や民事事件(保険金請求で事故か病死かで保険金額が大きく異なるとか、医療過誤の損害賠償請求とか、労災かどうかとか)での裁判官の判断や弁護士の主張を、非科学的な素人判断と厳しく批判し続けています。挙げられている事例での誤判定の実例や、死因判定の説明を読んでも理解できない自分の力量を考えれば、素人には判断できないというのも納得してしまいますが、専門家の医師でも間違うことが指摘されているのを見たら、どうすればいいのかとも。著者は、専門家が情報を共有して議論することを確保すべきだというのですが、現在でも全死亡数の1.4%、異状死事例の11.5%しか法医解剖されていない(6ページ)日本の状況でどこまで望めるものでしょうか。

05.世界のふしぎなことわざ図鑑 北村孝一 株式会社KADOKAWA
 日本の80のことわざに、それぞれ3つずつ他国の類似のことわざを並べて紹介した本。
 並べられる外国は、韓国、中国、英語(アメリカかイギリスかは区別されず)、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン等が多いですが、3つどれが出てくるかはランダムな感じです。「スワヒリ語のことわざ」(やはりどの国かどの民族・部族かは区別されず)も何度か登場し、トゥアレグ族のことわざなんてのも1回登場します。どういう基準で選択されているのかは興味深いですが、全然わかりません。
 他国のことわざは、日本のことわざそのまんまのもあり、ちょっと視点というか言い回しが違うのもあります。たぶん言い回しの違うのを比べてみる方が文化論として面白いのだと思います。もっとも、英語(と、まぁ一部フランス語…)以外は、訳がどれくらい正しいのか、違いのニュアンスとか、検討のしようもないですが。
 ことわざのテーマ別に6つの部門に分かれていて、本のページが色分けされているのですが、この色分けと項目分けが全然合致していません。ふつう色分けするなら項目ごとに色を変えると思うんですが。ことわざよりもそっちが「ふしぎな」本です。

04.世界の奇習と奇祭 E・リード・ロス 原書房
 世界各地の風変わりな風習、儀式、祭事、行事を紹介した本。
 健康を祈ったり魔除けのため、あるいは一人前になったことを証するためになされるさまざまな儀式・行事には苦痛や危険を伴うものがあり、しかしその社会に生まれた者はそれを避けて通ることができず、読んでいて痛々しく、読者としては、自分がそういう社会に生まれなくてよかったと無責任に思ってしまいます。
 コラムニストの筆になる本ということもあり、皮肉な揶揄的な語りで各地の習俗が紹介されますし、あくまでも風変わりな奇妙なものとして見ていますので、それぞれの文化を尊重し理解するという様子ではなく、他民族をからかうエスニックジョーク集のように感じます。実は、この本を読んで最初に感じたのが、「長くつ下のピッピ」でピッピが語るほら話です(このサイトの「長くつ下のピッピ」の紹介はこちら)。
 日本からは金山神社(川崎市)のかなまら祭と即身仏がエントリー。即身仏のようなごく稀な人が自ら志して行うことも風習とか慣習と言えるのでしょうか。かなまら祭なら、コロナが開けたら行ってみてもいいかと思いますが。

03.白い薔薇の淵まで 中山可穂 河出文庫
 大学時代のサークル仲間だった高校の英語教師北井喜八郎とつかず離れずの関係にあった大手流通会社マーケティング部門所属の29歳キャリアウーマン川島とく子が、雨の夜の青山ブックセンターで遭遇した寡作の24歳作家山野辺塁と激しいセックスをしてのめり込んでゆくという恋愛小説。
 気まぐれで欲望にのみ忠実なジコチュウの塁を純粋で傷つきやすい存在と描き、けんかを繰り返しながら離れられず忘れられず、善良な夫を放置し傷つけながらとく子が塁を追い求めていく展開は、塁が男であればただの身勝手な夫とDVを直視できない愚かしい妻と評価されるでしょう。それなのに女同士だと、「めくるめく性愛の深淵」「究極の恋愛小説」(裏表紙の解説)と美化されてしまうのは、どうかなと思います。
 スタートでその終わりが語られているのに、その後思ったよりも執念深くとく子の塁に対する追跡が続き、最初に想定したのとは違うエンディングですが、それはそれで新鮮にもなるほどとも思えるのはストーリーテリングとしては巧いのだと思います。
 2001年の小説が2021年に文庫版で復刊したのですが、文庫版あとがきで作者が60歳になり恋愛の機会も情熱もなくなり「女×女の恋愛小説」を書くこともなくなっているのに、いまだに「レズビアン作家」のレッテルを貼られ続けていると嘆いているのが、少し驚きです。作家を生業とする以上、作品から特定のイメージを持たれるのは致し方なくその覚悟を持って作品を発表するのでしょうし、むしろそれが売り物になるものだろうと思っています。弁護士の場合でも、お金にならない分野で有名になっても営業上役に立たないとも言えますが、それでも何も特徴がないよりもこの分野ならこの弁護士といわれるものがあることは、やはり強みだろうと思います。客商売はそういうものだと思うのですが。

02.本能 遺伝子に刻まれた驚異の知恵 小原嘉明 中公新書
 さまざまな動物が生得的に持つ行動パターンについて説明し、動物が学習により習得したと考えられる行動もその多くは生得的な行動をより成熟させているだけではないかと、本能が果たしている役割はこれまで考えられてきたよりも重要で広汎だと指摘する本。
 第1章と第2章は、さまざまな動物・昆虫等が持つさまざまな能力、行動パターンが紹介され、動物の行動、特に採餌行動がエネルギー取得効率の観点から見ると驚くほど効率的であることが示されています。
 しかし、それを「動物たちの思わぬ『意図』が見えてくる」(44ページ)とか、「本能の底知れない知恵」(49ページ)などと表現することには違和感を持ちます。ましてや「動物が巧みに身を守り効率的に餌を食べて生き、そして成長するのは、その先に待ち構える生殖に備えるためです」(73ページ)など、それぞれの動物が意識的に自己の子孫を多数残すことを意識して行動を選択しているかのような記述は、動物行動学や進化論を説明する本でよく見られるものですが、進化論、自然淘汰・性淘汰の説明としておかしいと思います。採餌行動のエネルギー効率に関していえば、エネルギー効率を考えて採餌行動を選択しているのではなく、エネルギー効率のよい採餌行動パターンを持った個体が生き延びる確率が高く生殖して子孫を残す割合が高くなるため、次第にその行動パターンを取るものが多数派になったということのはずです。求愛・交尾等のパターンにおいても、自己の子孫を多数残そうとして選択しているのではなく、あるいは自分の子が育たないことが「損失」になるなどと考えて育児を選択しているのでもなく、生殖とその後の成長に有利な行動パターンを持つ個体が多数繁殖して成長しその後の生殖の機会を得やすいが故に多数派になっていくだけです。
 そして自然淘汰は、常時生じる遺伝子の再生ミス・突然変異等を含む多様性の幅の中で特定の環境では特定のものが多数派になるということで環境が変化すれば他のものが多数派になるという含みを持っているはずです。本来的に進化論はそういった多様性を前提とし尊重するものではなかったでしょうか。
 しかし、この本では、本能という言葉を用いて、一律の方向性を印象づけていきます。男性にとって最も魅力的な女性のウェスト/ヒップ比は0.7で、「異文化の下で生活してきた男に観察されたこの好まれる異性像は、これが文化に左右されない生得的性質、つまり本能的性質であることを示唆しています」(231ページ)とか、「男と女が結婚して子供が生まれると、子育て本能は早速、母親を適切な子育て行動に駆り立てます」(238~239ページ)というのは、今どきいかがなものかと思います。最後に男性が新生児のにおい(フェロモン)に惹かれるという研究結果を示し、男性の育児が本能であり父性がそのように進化している可能性があるとしている(248~251ページ)のは、性別役割分業的な記述を少しは是正しようという意図によるものでしょう。しかし、それも女性に一律に母性を強いる(乳幼児を好きになれない女性もいるし、ましてやLGBT等の多様な性指向への配慮を考えれば…)のと同様に男性に父性を求めるということではないのかという疑問を残します。
 今、本能というテーマを扱うのであれば、本能という言葉が個性や多様性を抑圧しがちなことにもう少し配慮した書き方があったのではないかという気がします。

01.fishy 金原ひとみ 朝日新聞出版
 5年前に飲み会で知り合ったがアクションを起こせないうちに別の女性と結婚したゼネコン勤務の新婚の松本がシンガポールに赴任する直前に誘いかけて不倫を始めた28歳フリーライターの美玖、13年前に結婚した夫との間に2子をなした後2年セックスレスで夫が年下女と社内不倫していることに苛立つ37歳雑誌編集者の弓子(氏は7ページでは「光岡」、116ページでは「尾長」。気が変わったのかテキトーなのか)、経歴・家族関係等不詳の謎の32歳インテリアデザイナーの若槻ユリの3人が、それぞれに持つ男との関係やその関係者とのトラブル等をめぐって話し、関わり合う様子を描いた小説。
 若さで突っ走りがちだが不倫相手の妻からの反撃を受けて痛い目に遭い萎縮したり比較的ふつうの反応をする美玖、キャリアウーマンではあるが最年長で夫と子どもを持つこともあって家庭を守りたい気持ちが強く他方で夫にはその気持ちを素直に示せないやや保守的な志向の弓子、自由に過ごしたいという気持ちが強く他人に自分を曝したくないユリの3者の掛け合いで微妙な関係、複線的な見方を描いています。ユリの台詞にやや観念的に過ぎる違和感を持つところはありますが、私が読んだ金原作品の中では(そんなにたくさん読んでいるわけではないですけど)一番いい感じに仕上がっているように思えました。

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