私の読書日記 2024年8月
19.助手が予知できると、探偵が忙しい 依頼人の隠しごと 秋木真 文春文庫
所沢駅付近のビルの3階に事務所を構える通常の調査仕事に興味を示さない風変わりな探偵貝瀬歩が、危機を救ったことから事務所でバイトすることになった予知を視てしまう高校1年生の桐野柚葉の予知に助けられながら事件を解決して行くというミステリー小説。
1巻の設定・パターンを踏襲しつつ、2巻では、いずれもくせのあるというか裏のある依頼人が、隠しごとをしながら貝瀬を利用しようとするという共通項のある話を3話並べています。縛りがあるというか、テーマから連想していくのがむしろやりやすいという面もあるのかも知れませんが、こういう話を速やかに作れる(1巻も2巻も文庫書き下ろしで、1巻発行から2巻発行まで5か月)のって才能を感じさせます。
18.助手が予知できると、探偵が忙しい 秋木真 文春文庫
通常の調査仕事には興味を持てず、他の探偵事務所が引き受けない依頼ばかり受けているヒマな探偵貝瀬歩の事務所に訪れた、時々突然映像が見えそれが現実になる「予知」をする高校1年生桐野柚葉が、自分が2日後にナイフで腹を刺されるというのに貝瀬が対応し、その後柚葉が貝瀬の事務所でバイトをして、依頼人の話を聞いて予知をし…という探偵小説。
予知という設定自体は、荒唐無稽ではありますが、毎度毎度事件の現場に本人が巻き込まれているという「遠山の金さん」(ってもう古すぎてわからない人が大半か)よりは、依頼者の話を聞いて毎度頭が痛くなり予知をしてしまう方が現実的に思えてしまうとも言えます。また自分が、ではなく他人(助手)が予知の映像を見る、探偵はそれを他人の言葉を介して説明を受けて理解し評価するというワンクッションを置くことで、予知というオカルト的な素材/道具を用いつつ、なんとなくうまく作品に取り込めているように感じます。
17.その扉をたたく音 瀬尾まいこ 集英社文庫
大学を卒業して7年間無職で親から毎月20万円の仕送りを受けてすねをかじってぶらぶらし音楽で身を立てる見通しもないままギターを弾いている29歳の宮路が、老人ホームの余興でギターを弾き本人は「今を生きる魂の叫びを歌った渾身の歌」を届けたつもりがまったく受けずに間を持て余したところで、入所者からせがまれて老人ホームのスタッフの25歳の青年渡部が吹いたサックスに魅せられ、もう一度聞きたいと老人ホームに通ううちに、老人たちから頼まれごとをし、面倒がりながら応じてゆくうちに老人たちとの交流が生まれて行くというほのぼの系小説。
病気や認知症など厳しい先行きを見据えながら、憎まれ口を利きつつ、明るく逞しく/ふてぶてしく過ごす老人たちの様子が読みどころかと思います。
16.養老先生と虫 役立たずでいいじゃない 養老孟司 ヤマケイ文庫
解剖学者の著者が、ライフワークとして続けている昆虫採集、特に「ゾウムシ」の採集とそれをめぐる蘊蓄、ラオスでの採集経験などを綴ったエッセイ。
虫をめぐる話がもちろん中心なんですが、その中で触れられるちょっとした着想、例えば「日本語は色に関する語彙が豊富な言語だったが、今では単純になってしまった。自然と縁が遠くなってきたからであろう」「かって美しい自然を見ていたから、日本人は色彩の美に対する感受性が高かったのだと信じる」(27~28ページ)とかに感心します。
自分の経験では想像できない、アシナガバチに刺されて景色が白黒になったとか、天井の電気の傘の模様が虫に見えたとか、眼鏡が灰皿に見えたとか(154~158ページ)も、興味深く思えました。
15.人生がラクになる脳の練習 加藤俊徳 日経ビジネス人文庫
脳内科医の著者が提唱する、脳の場所ごとに「思考系」「感情系」「伝達系」「理解系」「運動系」「聴覚系」「視覚系」「記憶系」の8つの「脳番地」があり、それぞれ右脳と左脳で役割分担があって、人によりその発達度(得手不得手)が違うが、それらの脳の機能を使うことで訓練できるということを論じた本。
著者の言う脳番地については今ひとつ納得できるような納得できないような気分ですが、リアルの会議では伝わるその場の空気や相手の動きや表情がオンラインの会議ではそぎ落とされ人の感情を受け取る脳の働きが弱まる(4ページ)とか、空を見るよりネットで確認しないと天気が予想できなくなっている(200~201ページ)とか、なるほどなぁと思いました。最近は、「雨雲レーダー」でこれから先6時間雨が降らないとされていても、どうも雲行きが怪しい感じがして洗濯物取り込んで出たら案の定雨が降ったということも多いですし。
満員電車で座っている人たちの顔つきやしぐさで次の駅で降りそうな人を判別することを訓練として勧めています(174~176ページ)。私の経験上は、中には、こちらが観察していることを察してあえて降りそうなしぐさをして降りないという強者もいますけどね。
14.もう一度、泳ぐ。 池江璃花子 文藝春秋
高校生で自由形とバタフライの日本記録を出していた水泳界のホープだった著者が白血病に罹患して復帰後、発病前の自己記録の更新には至らないもののトップクラスの泳ぎをして東京オリンピックに出場し、バタフライでパリオリンピックの日本代表の切符をつかむまでの日常生活やトレーニング、試合の様子と心情を綴った雑誌不定期連載をとりまとめた本。
私が子どもの頃、白血病というのは典型的な不治の病で、難病もの・悲恋ものの多くが白血病の設定でしたので、白血病に罹患すればほどなくして死ぬ、助からないものという認識が抜きがたくあります。その白血病に罹患しながら生還しただけでなく、その後もトップアスリートとしてやっていける著者の姿は、白血病は治る(治りうる)んだという希望を与え、認識を改める必要を感じさせます。白血病患者に出血は禁忌で、怪我などしないように気をつけていなければという意識の私には、ピアスの穴を開ける(68ページ)など驚きですが、時代が変わったのですね。
13.不動産オーナー・管理会社のための事故物件対応ハンドブック 花原浩二、木下勇人、井上幹康 日本法令
事故物件を扱う不動産会社社長が税理士と不動産鑑定士に声がけして事故物件取引の実情等を解説した本。
第3章で著者の不動産会社が扱った事例の紹介があり、読みどころと言えるのですが、せっかく実事例を紹介するならもう少し経過と対応、特に困ったことの記載が欲しい感じがしますし、なんといっても自社買取の事案で自社が遺族等からいくら(相場の何掛け)で買い取ったのかがまったく書かれていない(買い取った後自社がどれくらいで売却できたのかは書かれているものがありますが)のが残念です。はじめにで「事故物件を安く買い叩くビジネスですよね」と言われて誇りを傷つけられたと言っているのですから、それを払拭するためにも書いて欲しかったなと思います(やっぱり、商売上、書きたくないんでしょうけど)。
第4章の不動産鑑定士の記載も、第5章の税理士の記載も、一般的な説明とあとは公表されている裁判例からの説明で、それはそれで勉強になりますが、これもせっかくなら自分が取り扱った鑑定や税務申告事例の紹介が欲しかったところです。
基本的に不動産業者と不動産所有者・家主のための本ですが、第6章での特殊清掃業者の選択等は、借主とその遺族側にも参考になります。
なお、不動産仲介業者が事故物件についてどこまで告知すべきかを定めた「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」(国交省、2021年)について、宅建業者に行ったアンケートで「知らなかった」という回答が44.6%(106~107ページ)って…
12.ハマれないまま、生きてます こどもとおとなのあいだ 栗田隆子 創元社
「こども」と「おとな」のイメージや期待されるありようからこぼれたはざまのような存在(3ページ)と自己規定する子どもであることにも、大人になることにも、大人であることにもただただ絶望している(11ページ)、不登校で16歳の誕生日に自殺未遂した(22~27ページ)著者が10代の読者に向けて自分が感じてきたことしてきたことを語る本。
自殺未遂の直後に、仕事から帰ってきて発見した母が泣きながら「お願いだから死なないで」というのに母を泣かせたことに自分のパワーを感じてしまった(105~107ページ)とか、幼稚園時にジュリーの色気(エロさ)を好きになりそのことに恥ずかしさ・後ろめたさを感じていた(75~81ページ)とかを挙げ、そういったことも含めて自分を否定するのではなく神に包み隠さずに話して安らぎを得た(149~151ページ)と語っています。さまざまなことで傷つき卑下している子どもが自分を否定しないで生きて行こうと思い直す機会となるものが多くあることはいいことだと思います。ただ著者の場合はということではありますが、また宗教の問題点も強調してはいるのですが、フェミニズムとキリスト教に救いを求める帰結は、10代の読者にどのように受け止められるのでしょうか。
11.spring 恩田陸 筑摩書房
天才バレエダンサーにしてバレエ振付師の萬春(よろずはる)の創作と成長と苦悶と成功を、ドイツの名門バレエ学校で同期生となった深津純、子どもの頃からサードプレイスを提供しカルチャー面で影響を与えていた叔父の稔、音の取り方が天才的だが基本からはみ出してしまいバレエダンサーから作曲家になる滝澤七瀬、そして春(HAL)本人の視点で語る小説。
主要登場人物の属性とテーマからして、バレエ版「蜜蜂と遠雷」という印象があります(「蜜蜂と遠雷」は読書日記2019年1月分で紹介しています)。「蜜蜂と遠雷」はコンクールという舞台設定が読者に展開を予期させ期待と緊張感を持たせていたこと、本作では「蜜蜂と遠雷」での明石に当たる人物が設定されていないことをどう評価するかで、読者にとっての「蜜蜂と遠雷」よりいい悪いが決まりそうに思えます。
バレエ作品の説明が続く場面で、バレエの動きと音楽についての素養がない私には、作品の語りがイメージできず、特にラストのクライマックスでそういう状態になるのはちょっと辛いものがありました。
左ページ左下にバレエダンサーのパラパラ漫画がついているのは、ご愛敬というのか、バレエの知識面で行き詰まった読者用のサービスなのでしょうか。
10.10分からはじめる「本質を考える」レッスン 親子で哲学対話 苫野一徳 大和書房
哲学者である著者が、小学校高学年の娘と寝る前の10分間ベッドに寝転んですることにした哲学対話を紹介し、哲学対話を実践する意義と手法について述べた本。
紹介されている対話の例を読むと、小学生が飾らない言葉で本質を突いた発言をしているのが微笑ましく、他方父親の方はそれを小難しくまとめようとしているのが苦々しく思えました。自分もまた子どもにこういう感じで対応していた(しかし自分自身は子どもによくわかるようにかみ砕いたつもりでいた)のかもと。
対象が哲学でなくても、子どもと語り合う親密な時間というのは、著者もしみじみというように「宝物のような時間」(183ページなど)だと思います。私も、娘が小学生だった頃、寝る前の約1時間(10分では足りなくて)物語の読み聞かせ(寝かしつけ)をしていましたが、その頃の思いと考えが私のサイトの「女の子が楽しく読める読書ガイド」になって残っています(近年は更新していませんが)。著者の立場からは哲学を広め浸透させるための実践かも知れませんが、親子の大切な時間と関係を作る手段の1つとして読んでおいたらいいなと思います。
09.母ではなくて、親になる 山崎ナオコーラ 河出文庫
経済力も生活能力も低い「町の本屋さん」で働く書店員と結婚した作家が妊活の上37歳で子どもを産み、赤ちゃんが1歳になるまでを書き綴った子育てエッセイ。
世間でありがちな決めつけを嫌う著者の夫婦像、親子像を読むべき作品で、それはそれで読む価値を感じるのですが、私は、その端々に滲む作家としての著者の愚痴の方に興味を持ってしまいました。芥川賞に5回落選し、もう1回候補になると最多候補作家タイになる(141ページ)という話の中で、「メリットを期待して候補にしてもらったのは自分だ」(143ページ)って。芥川賞の選考過程は非公表ですが、候補になるかどうかは作家が決められるのか、作家の意向が反映するのか、謎だし、興味深いところです。このエッセイを書いている時期に「美しい距離」という自著を出版したら驚くほど売れなくて(202ページ)と嘆いています。「美しい距離」、いい作品だと思い、私はベタ褒めしたんですけど(2018年3月の読書日記)。まぁ、図書館で借りて読むので売上には貢献していない私が賞賛しても効果はないか…
08.発達障害・グレーゾーンのあの人の行動が変わる言い方・接し方事典 野波ツナ 講談社
夫が自閉スペクトラム症で苦労した漫画家の著者が、自分の経験から学んだ、ワーキングメモリ(短期記憶)が弱く他者への関心が薄く他者の立場に立って考えることが苦手で自分の納得・利得で動くなどの特徴を持つ(人によりそうとも限らない)発達障害や自閉スペクトラム症の人と対立せずに動かすための言い方、態度の工夫を書き出した本。
禁止(NG)ではなく肯定(こうして)で言う、曖昧さをなくして「数字で」要求する、察することはできないのでして欲しいことははっきり言い文字に残す、感情的にならずに(感情を込めずに)平坦に言う、面と向かって言わずに独り言のように言ってみる、内緒の話はしない(知ったことは言わずにいられない)、仕事をしたらありがとうという、過去のことも取り上げて繰り返し褒めるなどなど…どうして周りのことを考えず自分の勝手な基準だけで動くわがままなヤツにこんなに気を遣ってやらないといけないの?と思う話ですが、拒絶・決裂を避け思うような方向に持っていくための戦略、自分のためと思ってやりましょうということです。そこを、「褒めて伸ばす」とか「おだてて木に登らせる」と考えるのでは、今どき、差別的とも言われ、相手にも気取られるでしょうしね。
07.ヴァイタル・サイン 南杏子 小学館文庫
看護師となって10年31歳の堤素野子が、癌で自宅で抗癌剤治療を受けている元看護師の母、整形外科医の交際相手、教育担当中の新人2人を抱え、悩み壊れそうになりながら勤務をこなしていく様を描いた小説。
日勤・準夜勤・深夜勤のローテーションの負担、日常業務だけでも時間の余裕がないところに次々と訪れる患者の異変やナースコールの嵐、患者や家族からの苦情など、看護師の過酷な労働が描かれています。作者は看護師ではなく医師ということを考えると、看護師の目からは実はさらに厳しい実態があるのかも知れません。
入院患者の娘(霞が関官僚)がネットの記載を見て「しっかり口腔ケアをしていたら誤嚥性肺炎は防げる」と書かれている、父が誤嚥性肺炎を起こしたのは看護師がきちんと口腔ケアをしていなかったせいではないかと責め立てるシーン(245ページ)。私の経験上も、依頼者や相談者がネットにはこう書いてあると言うことは始終経験しますが、この記事からこう読めるかと驚くことが多く、また少なくともこの人のケースでそれは当てはまらない(あり得ない)というのが通例です。記事を書く側は、専門家であってもあらゆることを想定しては書けませんので典型的なケースについて書くのがふつうですが、読む側の素人はその記事の前提というか想定を知らない/わからないのがふつうです。そして、読む側ではたいていの人は自分に都合よく解釈します。素人の相談者等からネットの記事等を言われる際には、そういうことがすぐにわかりますが、自分がその素人の当事者の側のとき、自分もまたそういう過ちを犯していないか、気をつけなければと思いました。
06.家族じまい 桜木紫乃 集英社文庫
釧路に夫猛夫と2人住まいの認知症が進むサトミの様子を見に行くように妹乃理から言われた江別市で理容師のパート勤めをする48歳の長女智代、親子ほど年の差のある智代の義弟55歳の涼介と見合い結婚したが涼介から指一本触れられない陽紅、猛夫に地元函館に二世帯住宅を買ってもらい猛夫・サトミと同居することになる次女乃理、猛夫・サトミ夫婦が最後の旅と選んだ船でサックスを演奏する紀和、長く旅館の仲居をしてきて今は娘2人と離れ阿寒で1人住まいする82歳のサトミの姉登美子の視点で老いと家族の佇まいを描く短編連作。
疎遠になっている家族の危機を迎えても動揺するよりは諦念を持ち、気にかける触れあう見守るあたりの関係が、こんなものかなという読後感を持たせます。
50代、60代、80代の優しい人のいい夫たち(80代はそう言っていいか疑問はありますが)が、妻や娘からは不満を持たれ非難されるところが、中高年男性読者には哀愁を感じさせます。
05.新潟から問いかける原発問題 福島事故の検証と柏崎刈羽原発の再稼働 池内了 明石書店
新潟県原子力発電所事故に関する検証総括委員会の委員長であったがその後就任した原発推進知事から意見が合わないとして検証総括委員会の開催もできないまま、もちろん検証総括委員会報告書も作成に至らないままに任期満了として放逐された著者が、5年間の在任中及びその後に見聞し検討したことをとりまとめた本。
新潟県の技術委員会、健康と生活への影響に関する検証委員会、避難方法に関する検証委員会の議論の経過や報告書の内容、それらの報告書で不足している論点も含めた福島原発事故と柏崎刈羽原発や東電・原子力規制委員会等の問題点がわかりやすく整理して書かれています。著者の専門分野は宇宙物理のはずですが、専門外の文献等を理解し整理する力に驚きました。率直に言って、私は、新潟県が3つの委員会に加えて「検証総括委員会」を設置したとき、屋上屋を重ねるというか、そんなの必要ないんじゃない?と思ったのですが、3つの委員会の報告書の検討で他の問題との総合・連携の必要性についてさまざまな指摘がなされていて、なるほどと思い、不明を恥じました。こういった視点は貴重というか必要なもので、検証総括委員会はやはり必要であり、また著者の委員長就任は適切なものだった、新潟県知事が政治的思惑によらずに報告を全うさせていれば、という思いが募ります。
04.非暴力直接行動が世界を変える 核廃絶から気候変動まで、一女性の軌跡 アンジー・ゼルター 南方新社
反核・平和運動(米軍基地のフェンスの金網切断、基地内への立ち入り、原子力潜水艦への接近等)、サラワクでの熱帯雨林保護運動(伐採用の荷船の占拠)、パレスチナでのイスラエル人の入植(パレスチナ人からの土地強奪)への抗議行動、済州島での海軍基地建設阻止闘争(フェンスの金網切断、敷地内立ち入り)、気候変動への緊急対処を求める行動(道路封鎖等)、サウジアラビアへの武器売却に対する抗議行動などさまざまな市民運動を立ち上げたり参加し、率先して行動して、度々収監された運動家である著者が、運動の経験や裁判、刑務所での暮らし等について語った本。
多数の運動での身を挺しての活動には頭が下がります。済州島では運動の旗頭故にみんなが尻込みするフェンスの切断を自分がやらざるを得なかったという武勇伝とも愚痴とも言える記載もありますが(129ページ、230ページ)。
非暴力不服従運動では、運動側のダメージを最小限にとどめ効果を最大限にするための、権力側との交渉・根回し、メディアとの連携を含めた周到な計画が重要だと私は考えています。この本ではその点についてもふれる部分(付録1D:201~205ページ、付録7の一部:271~273ページなど)も見られ参考になりますが、そういう部分もより詳しく紹介した本がもっとあった方が運動の発展には有用だと思います。
03.この三日月の夜に 山口小夜子 講談社
おかっぱ黒髪の日本人モデルとしてパリで見出されてトップモデルとして活躍した山口小夜子(2007年没)の生前の書籍や雑誌への寄稿、インタビューなどを切り貼りして構成した言葉集。
美容・メイク関係の章(76~87ページ)だけ具体的/実用的?な文章が続いていますが、それ以外は短めの印象重視の切り出しでテーマとの関連もあいまいなものが多く、流し読みながら気になるフレーズを探すような本かなと思いました。
「服の主張をまず聞いてみる」(115ページ)、「自分を一瞬『無』にして『どう着てほしいの?』って服に聞くと、フッと服が言うのね。『もっと手を広げて袖を見せてほしい』とか」(123ページ)、「私は地球上にあるものなら何でも着られるとおもう。光でも木でも飛行機でも壁でもビルでもテレビでも電気でも黒板でも何でも着れるという自信がある」(121ページ)などの発言が私の目を惹きました。その道を究めたというかそれを生業にしている人の見方、感覚にはやはり独特のものがあるのだなと思いました。
02.そうだったのか!身のまわりの流れ 井口学、植田芳昭、植村知正編著 電気書院
流体(気体・液体)にまつわる日常でのさまざまな現象について流体力学の観点から解説する本。
流体力学の本でありながら、ナビエ・ストークス方程式が(名称は紹介されているけど)書かれていない、流体力学の基礎とか体系とかを説明しようとせず、現象の説明に徹しているところが、初心者に取っ付きやすい本となっていて好感します。
マグロが海中で高速(最大時速80kmとか)で泳げる理由を体型の流線型だけでなく体表からぬめり物質を分泌していることが水流の乱れ(渦の発生や成長)を抑えて水の抵抗を低くしていることで説明しています(25~28ページ)。どれくらいの分泌物をどれくらいの頻度で放出しているのかわかりませんが、それ自体けっこうな体力を使うだろうなと同情してしまいます。マグロがそうしてすいすい泳いでいるイメージを膨らませればマグロがよりおいしく感じられるかもしれない(28ページ)という執筆者の感性は私にはとても理解できません。
カルマン渦(流体中に固定された物体の下流にできる渦)による有名な事故の例として1940年のアメリカのタコマ橋の崩壊が紹介されています(41ページ)。歴史的にはそれも有名なのでしょうけれども、日本の現代の読者にはより近い有名な事故として高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故があるのですが、そちらが紹介されていないのは、「忖度」なんでしょうか。
01.きみと僕の5日間の余命日記 小春りん スターツ出版文庫
いじけてクラスの外れものとなっている高2の佐野日也が、逃避場所の生物室で金魚の餌をやろうとしていたら、5日後の日付で「もしもこれまでの日記がすべて現実になった場合、天辰真昼はこの世界から消える。」と記載されている「余命日記」を発見し、クラスの人気者の天辰真昼に引っ張られてその日記の記載が実現するかの検証を行うという展開の青春恋愛小説。
余命日記のカラクリ自体は、さしてひねりもなく予想できますが、後半の難病ものでありつつも少しひねった(というか無理はありますが)設定での、真昼の、そして周囲の人々の心情が切ない。
日也の視野の狭さ、人間の小ささが読んでいてイヤになるというか惨めさが募りますが、高校生時代って、そんな感じだったかもと、恥ずかしくなったりもしました。その日也の成長物語でもあります。
特異な設定ではありますが、そのあたり青春小説の王道かなという気もします。
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