私の読書日記 2024年11月
11.数式のない数学の本 矢沢サイエンスオフィス編著 ワン・パブリッシング
数学にまつわる歴史や確率、統計について解説した本。
前書で、数式なしに数学の知識を得るという目的に合う「そのような本は世界のどこにも存在せず、それはいま読者が手にしている本書だけということになります」(8ページ)と力んでいるのですが、書かれている内容は、数学者の人物に焦点を当てた数学の歴史と、統計や確率について著者が語りたいエピソードというところで、現代社会で数学が果たしている役割とか、その未来像とかがあまり語られていないように思えました。
後半では、AIは人間の脳を超えられない人工無能だ(112~119ページ)とか、地震学・地震予知に対する罵倒(152~159ページ)とか、著者が「非常に好戦的人物で、誰とでもトラブルを起こしたらしい」と紹介している(178ページ)ロナルド・フィッシャーもどきの書きぶりが目につき、そこを好むかどうかで読後感が大きく分かれそうです。
10.獄中日記 塀の中に落ちた法務大臣の1160日 河井克行 飛鳥新社
公職選挙法違反(買収)で懲役3年の実刑判決を受けて服役した元法務大臣の著者による獄中日記。
法務大臣経験者の獄中日記ということなので、体験した刑務所・拘置所の処遇の実情と、霞ヶ関で上から見ていた/聞いていたこととのギャップが語られるのかと期待して読みました。そういう記載がまったくないというわけではないのですが、この本の半分くらいは事件についての言いわけと妻案里の無実の主張、検察批判、マスコミ批判、そして安倍晋三への追従・礼賛です。刑務所の処遇についても、刑務官には苦労を労い感謝することが中心でいわば優等生的な文章に満ちています。
処遇関係では、「思い起こせば、喜連川に移ってから、受刑者の処遇改善について先輩や同僚の国会議員にずいぶん助けていただいた」(236ページ)と、まぁ国会議員が官庁に注文をつけるのはいつもの仕事で、それで刑務所の処遇が本当に改善されるのならそれはいいことと思えますが、ここで出てきているのは元法務大臣、国会議員が収監されているからということで圧力がかけられ特別扱いされたということに見えます。仮釈放前の2週間、ふつうは同衆と共同生活をするのにいざこざが起こりがちということで特別に1人で過ごすことになった(273~274ページ)など特別扱いされていたわけですし。そのことへの疑問は何ら語られません。
元法務大臣の獄中日記としてよりも、今後の復活・政治生活のために書かれた政治家本として読んだ方がいいかと思います。
09.AIを封じ込めよ DeepMind 創業者の警告 ムスタファ・スレイマン、マイケル・バスカー 日本経済新聞出版
テクノロジー開発、特に自律学習型のAIと合成生物学のリスクの巨大さを指摘し、その開発の封じ込めの必要性を訴える本。
最初の3章約350ページは、テクノロジーの発展の歴史、その恩恵とそれ故にその開発や利用を押しとどめることの困難さが、手を替え品を替え語られています。著者の危機感の共有と実行の困難さを説得力を持って語るためではありましょうが、本題に入る前が長すぎるように思えます。これを50ページくらいにしてくれると、ずいぶんと読みやすい本になると思うのですが。
自由な開発の結果誰もが容易に利用できることで悪意ある者による破壊的な行為や善意者でもミスによる取り返しのつかない行為がなされるリスクと、それを禁止するための全面的な監視社会の間で、どうやって行けばよいのかという困難な問題について、著者はいくつかの提言をしています。技術的な安全性確保・制約、現在のコピー機やプリンターに紙幣の複写や印刷を禁ずる技術が取り入れられている(381ページ)とか、すべてのDNA合成機を安全で暗号化された集中型システムに接続し病原性配列の有無を検査するプログラム(386ページ)などはなるほどと思います。開発者の許認可制とか現代版「ヒポクラテスの誓い」を作るなどさまざまなことがいわれ、前向きに検討すべきと思いますが、前半でテロリストの脅威が強調されたことをみるとそれで対応できるのかとも思います。
今後の10年間で「数十億の誰もが平等に、最高の弁護士、医師、戦略家、デザイナー、コーチ、経営アシスタント、交渉人として頼れるACIにアクセスできる」(256~257ページ)って、AIに真っ先に代替・駆逐されるのは弁護士なのか…
08.これは経費で落ちません!12 経理部の森若さん 青木祐子 集英社オレンジ文庫
中堅石鹸・入浴剤メーカー天天コーポレーションの経理部に勤務する12巻時点で入社8年30歳の主任森若沙名子と経理部の面々、営業部の山田太陽らの会社勤めと人間関係、仕事上の駆け引き等と恋愛関係を描いた小説。
婚約者山田太陽との結婚を、2人が同い年のときにしたいという理由から9月にすることにして、そこに向けてタスクリストをこなして行く森若の希望と不安、特に女性が働き続けるために足かせとなる負担と不公平への不満と不安、それを考えない周囲への苛立ちと抗議が描かれています。そういうテーマということもあり、経理部以外で登場する人たちのエピソードも、女性従業員の活躍や悩みにスポットが当てられている感じです。この巻に関して見ると、働く女性たちへのエールを送りたい作品というイメージが強いです。
1巻~11巻は2024年7月の読書日記04.~14.で紹介しています。
07.在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで 志村真幸 中公新書
独学在野の生物学者・民俗学者南方熊楠がイギリス時代に大英博物館図書館部のリーディング・ルームや(そこを追放された後は)サウスケンジントン博物館や大英自然史博物館で筆写を続け、雑誌投稿を通じて多くの在野の者と情報交換して研究をし発表していたというスタイルを紹介し、官民の格差と区別が際立つ日本との違いやその中で官と民の間でうまく立ち回って成功した例として牧野富太郎、柳田国男らの研究を紹介した本。
著者の関心は、基本的に南方熊楠で、ダーウィンとかマルクスは出てくるけど、このサブタイトルはどうかなという気がします。南方熊楠と仲間たちとかの方がフィットするかも(仲間ばかりではないか)。
超能力研究者の福来友吉も紹介されるなど、「わたしは研究や勉強や独学がつねに正しくて清廉潔白なものであるべきだとは思わないし、さまざまな目的や欲望をもったひとたちが集まるからこそ、学問は発展していくのだと考えている。そもそも学問に正しさばかり求めていたら、熊楠研究などできない」(196~197ページ)というあたりに著者の思いというか真骨頂が表れている本だと思います。
06.JR旅客営業制度のQ&A [第3版] 小布施由武 自由国民社
JRの乗車券の取扱、運賃計算、乗車変更、払戻等の実務と規則類上の根拠等について解説した本。
JRトリビアとして、マニアックな「鉄ちゃん」がQにチャレンジするという用途もあるかも知れませんが、Qがいきなり「旅客規則第何条第何項の具体例は?」というものも見られ、基本的には社内研修用の本と思われます。
部外者として読むと、運賃計算を始めとして極めて複雑なほとんど理解できないルールが、主として沿革上の理由とJR側の都合で積み上げられ、それが今から変えるとシステム変更等がたいへんなどの事情で運用され続けているのだと理解されます。
説明対象の事項の選択の面でも、例えば、私がその合理性にずっと疑問を持っている東京等の大都市からの長距離乗車券が(着駅側でなく)発駅側で特定都区市内で途中下車した場合にも無効とされる(利用者側から見たら、ちょっと酷いんじゃない?って思うでしょ)ことについて、その理由を説明するページがなく、例えば神田駅から「東京(都区内)-新青森」の乗車券で入場した後、急用で東京駅でいったん出場せざるを得なくなったときにどうすればいいか/どうなるか(駅員に申告して神田-東京間の運賃を支払えば無効にせずに生かして使える:旅客営業規則第166条)の説明もないのはたいへん残念です(途中下車に関するQは8つもあるのに)。もっぱらJR職員の観点から書いているのでしょうけれども、駅員は乗客から聞かれたときに答える必要があるわけで、そういった利用者側の関心が強いことが書かれていないと困るんじゃないかと思うのですが。
05.4日で若返る「毒出し」のトリセツ フランス式ファスティングでカラダとココロがすべて整う 織田剛 すばる舎
ネットやスーパーで購入できるハーブと液体の摂取で4日間の断食を3回行うことで、腸や肝臓、腎臓の毒出しができからだが軽くなると、その実行を勧める本。
著者の勧める断食(ファスティング)を行うのに必要なハーブは、腸の毒出しがサイリウム(オオバコ)粉末、センナ粉末、肝臓の毒出しではミルクシスル(マリアアザミ)、ダンデライオン(たんぽぽ)、腎臓の毒出しではウワウルシ、ホーステイル(スギナ)、あと良質の脂質を取るためにMCTオイルとグラスフェッドバター(ギーバター)など(食物繊維を取るのに海苔とか野菜・果物を搾るかすりつぶしたスープ、骨と野菜を煮込んだスープ)。読んだときには、どこで売ってるの?と、ポリジュース薬を作るための材料なんてどうやったら入手できるんだ、スネイプの研究室に忍び込むしか…というハリー・ポッターのような気持ちになりましたが、検索するとどれもネットでは簡単に買えそう。今は便利な時代、ですね。
買おうと思えば入手はできる、として実行するか…魅力的な誘惑ではありますが、でも私は結局やらないだろうな…
04.死神の棋譜 奥泉光 新潮文庫
8年前に年齢制限でプロ棋士になれず奨励会を退会し今は将棋関係のライターとなっている北沢克弘が、将棋会館を訪れた際、詰め将棋の矢文が発見されたと話題になっており、先輩物書きの天谷敬太郎から22年前にも同じようなことがありその際天谷と同期の奨励会員だった将来を嘱望されていた十河樹生が失踪したことを聞かされ、今回矢文を発見したという元同期の奨励会員だった夏尾裕樹が連絡が取れなくなって、北沢が夏尾の妹弟子玖村麻里奈への下心も絡んで夏尾の行方と過去と現在の謎を追うというミステリー。
ミステリーとしてのできはいいと思うのですが、比較的シリアスな流れの中で、夢・夢想ではあるのですが、神殿とおぼしき洞窟内での彫像が動き回る将棋のシーン2箇所が、私には「ハリー・ポッターと賢者の石」の魔法チェスを連想させ、なんだかちょっとねぇと思いました。
03.「なぜ薬が効くのか?」を超わかりやすく説明してみた 山口悟 ダイヤモンド社
各種の薬が、体のどこで何をターゲットにして何(どのような作用)を促進したり阻害することで効果を発揮するかについて説明した本。
超わかりやすいか、については、化学物質の構造式が多数掲載されているのを黙殺できれば、その他の部分は親しみやすい記述になっています。
薬の作用方法そのものへの好奇心とは別に、例えば、多くの解熱鎮痛剤は発熱と痛みを引き起こすプロスタグランジンの生成を抑制ずる(阻害する)ことで効果があるがプロスタグランジンは胃を守る粘液の分泌を促したり胃粘膜への血流量を増やし(胃粘膜の細胞増殖を促す)胃を守る作用があるので解熱鎮痛剤の服用で胃が傷つけられる副作用がある、胃が痛いときに(鎮痛作用に期待して)解熱鎮痛剤を飲むと逆効果(39~41ページ)などの薬の副作用とか服用上の注意が理解しやすいというのが、読んでためになる感がありました。
薬の作用方法についても、また「副作用」のテーマでも、バイアグラの説明を是非読みたかったのですが、そこは触れられていなかったのが、ちょっと残念です。
02.愛着障害と複雑性PTSD 生きづらさと心の傷をのりこえる 岡田尊司 SB新書
幼少期(概ね1歳半まで)に養育者から十分な愛情を受けず、虐待されるなどして基本的な安心感に乏しく他者に対する信頼感が弱いなどの特徴を持つ愛着障害と、1回のダメージではなく長期間にわたって逃れられない状況でダメージを受け続けたことによる「複雑性PTSD」について紹介し、その生きづらさと回復に向けての治療者のアプローチなどについて解説した本。
複雑性PTSDは、国際疾病分類の最新版ICD-11で初めて診断基準が作られたばかりということもあり、概念としても今ひとつはっきりしない感があります。人の心の話は、診断基準とか定義とかで割りきれないところがあるものとは思いますが。
トラウマについてはトラウマの記憶を想起し再体験して言語化して整理するなどしてそれがもう終わったことであることを受容し今は安全だということを認識することで対応することが基本としつつ、過去の辛い体験を掘り起こすことでかえってダメージを受け悪化することもあり、また複雑性PTSDでは過去のことではなく今も親等との不幸な関係が続いていることもあり、まず現在の愛着関係を改善しないといけないなど、難しさが指摘されています。前者の点については「深刻なトラウマを取り扱うときの基本は、タッチ・アンド・ゴーの要領で、トラウマ状況に軽く接触すると、またすぐ離れて、安全な現在に戻るという方法だ」(303ページ)とも書かれています。深刻な愛着トラウマを短い期間で回復させる方法は存在しない、長年たまっていた不満や愚痴、恨みや怒りといったものを吐きだし続けていくなかで、ネガティブな感情で堂々巡りしていることに本人が気づきイヤになって次の段階に移りたいという気持ちが芽生えるまで辛抱強く話を聞き続けることが大切とか(304~309ページ)。さらには、愛着障害がベースにあり複雑性PTSDを引き起こしているような場合は、その症状や問題行動は本人がそうすることによって生き延びてきた手段でありまた助けを求めるSOS信号であるからただそれを取り除こうとしてもうまく行かないとも(274~278ページ)…たいへんですね。たぶん私には無理(弁護士は法律相談をしてるんで人生相談ならよそでやってくれって言っちゃいますし)。
01.平等についての小さな歴史 トマ・ピケティ みすず書房
独自に分析・集計した社会・経済指標を用いながら、概ね18世紀以降平等に向けての歩みは漸進し第1次世界大戦期から1980年代まで比較的急速に進んだものの1980年代以降その歩みが停滞ないしは後退しているという認識を示しつつ、平等に向けてのさらなる前進のための提言をする本。
最富裕層10%(時に1%、0.1%)と最貧層50%、その中間の40%に区分した資産・所得を中心とした著者が独自に分析・提示する指標に基づく主張が、魅力的・説得的であるとともに、一般に使用されているものでないためにその意味するところの解釈やデータそのものの信頼度をどう考えるかに悩ましさを覚えます。「社会・経済指標の選択は非常に政治的な問題だ」とし「どんな指標も絶対視すべきではなく、どんな指標を採用するかについては開かれた議論と民主的な比較検討が必要だ」(19~20ページ)という指摘は正しく、著者の自信と運動的な姿勢を示しているのだと思いますが。
現在の格差を、奴隷制による奴隷主の資産蓄積、奴隷解放時の奴隷主への賠償による資産蓄積、納税額による制限選挙下での富裕層に利得が集中する制度の実施・継続といった歴史の残滓でありそれを精算すべきという主張、累進課税とそれによる所得等の再分配を推し進めることで資本主義下でも平等を進めることができ、実際第1次世界大戦期から1980年代には各国でそのような形で教育・保険医療・社会保障などを拡充してきたという指摘、超富裕層に対するほとんど没収に近い税率の累進課税とベーシックインカム・雇用保障・みんなの遺産(国民全員に25歳になったとき平均資産の60%例えば12万ユーロを支給)という提言など、さまざまな刺激に満ちた本です。
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