◆たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その7)
福島第一原発1号機A系の非常用交流電源が喪失した15時36分台には、津波は1号機敷地に到達していない→少なくとも1号機A系の電源喪失の原因は津波ではあり得ない
津波は3号機→2号機→1号機の順に到達したのに、電源喪失は1号機A系・B系、2号機A系、3号機A系・B系(、2号機B系)の順→少なくとも、すべてが津波によるとは言い難い。3号機(2号機B系も)の電源喪失が津波によると考えると、やはり1号機と2号機A系の電源喪失は津波到達前と見るのが素直。
2018年3月10日の「もっかい事故調オープンセミナー」(文京区民会館)で、使用したパワポスライドと、話した内容をベースに、この問題についての到達点を、改めて説明します。当日の話に加筆していますし、録音もしていないので、当日の話のままではありません。
福島原発事故は、基本的には電源喪失事故でした。電源が喪失したために、原子炉の発熱(崩壊熱)をコントロールできなくなって、運転員もなすすべがなく、メルトダウンに至ったという事故です。その福島原発事故を大事故に至らせた電源喪失が、東電や原子力規制庁が言うように、すべて津波によるのかということが、私の話のテーマです。
私は、国会事故調の協力調査員になる前から、福島第一原発事故での非常用交流電源喪失の原因が津波なのかについて疑問を持っていたのですが、国会事故調でいろいろ調査をして、少なくとも1号機のA系の非常用交流電源喪失は津波が原因ではないと確信しました。1号機B系、2号機A系も怪しいと思っています。
まず、議論の大前提として、非常用交流電源の停止時刻を確認します。
非常用電源は、1系統だけでは心許ないので、各号機に2系統あります。6号機だけはもう1系統あって3系統あります。その2系統を区別するのに「A系」「B系」と名前をつけています。特に優劣やどちらが優先使用とかいう関係はありません。
1号機の停止時刻は、実はあいまいです。A系は、運転日誌にも停止時刻の記載はありません。コンピュータの記録もありません。1号機については、コンピュータの記録は、記録紙が紙詰まりしたとかで、非常用電源喪失の頃のデータは残されていないというのです。コンピュータのハードディスクの記録も残っていないということでした。国会事故調が東電に問い合わせても、非常用電源喪失の頃のコンピュータデータは一切ないということでした。国会事故調としては、運転員への聞き取りから、B系よりも相当程度早かったということで、15時35分台と報告書に書きました。ところが、国会事故調が解散した後の2013年5月10日になって、東電は、国会事故調の問い合わせに対しては存在しないと回答した「過渡現象記録装置」の1分周期データがあったと言い出しました。その「発見」の経過も未だに明らかにされていませんし、なかったはずのデータで、それも1分に1点だけのデータですから創作も容易な性質のものですから、本当かなという疑いは持っていますが、東電の発表によると、各分の「59秒」時点のデータが、1分おきにあって、1号機A系の非常用ディーゼル発電機の電流が15時35分59秒時点では定格値、15時36分59秒時点では0ということです。そうすると、1号機A系の非常用交流電源は15時36分0秒から15時36分59秒までの間、つまり15時36分台に停止したということになるわけです。
1号機B系は、運転日誌では15時37分に停止と記載されていますが、やはりコンピュータデータはありません。東電が2013年5月10日になって公表した過渡現象記録装置の1分周期データでは、非常用ディーゼル発電機の電流が15時35分59秒時点で定格値、15時36分59秒時点で定格の半分ですので、15時36分台に異常が生じているけれども15時36分59秒時点でまだ電源喪失にまでは至っていない。ということで、1号機B系は15時37分台に電源喪失したと考えられます。
2号機、3号機はコンピュータデータがありますので、非常用電源の喪失時刻は、関係機器のどれで採るかとか、コンピュータの時計の時刻の校正の問題などで多少ずれるとしても、大方決まってきます。
4号機は福島原発事故の際、定期検査中で原子炉が停止していましたし、5号機と6号機は北側から防波堤を越えてきた津波が敷地に遡上したと考えられ、1号機から4号機敷地への遡上とは一緒には論じられませんので、1号機、2号機、3号機の順番だけを議論します。
ここでは、非常用交流電源喪失の順番が、1号機A系・B系→2号機A系→3号機A系・B系(→2号機B系)の順であること、1号機A系の非常用交流電源喪失時刻が15時36分台であることを確認して、次に進みたいと思います。
この問題で、大きく分けて2つのことを論じます。1つは、福島第一原発1号機A系の非常用交流電源が喪失した時刻、本当はもっと早いかもしれませんが、現時点では、15時36分台という前提で議論しますが、その時刻には、津波が1号機敷地に遡上していないということ。私は、国会事故調の報告書でこの問題を書いて、その後もこちらの方をずっと論じてきました。
もう1つは、国会事故調が終わって、その関係者が集まって「もっかい事故調」で議論しているときに、佐藤暁さんから、津波は4号機→3号機→2号機→1号機の順に到達しているのに電源喪失は1号機、2号機、3号機の順というのは、すべてが津波が原因というのとは矛盾しているという指摘があり、そう言われればそうだなぁと思いました。国会事故調の報告書を書く段階では、私はそこまで思い至りませんでした。国会事故調は、6か月で報告を出すということが決まっていて、協力調査員のレベルでは、実質的には調査は2か月半くらい、あとは1か月くらい原稿書きながらその裏付け確認という感じで、原稿を上げたら後は委員レベルの議論になるので協力調査員の口出しはまかりならんということで、時間に余裕がありませんでした。それで、こちらの方の話は、報告書に書けなかったことから、私は議論せずに来ました。その事情は後で少し説明しますが、この後の方の話を、東京電力が2017年12月25日のクリスマスに出した報告書(津波の到達時刻に関する新報告書はこちら、「第5回進捗報告」全体はこちら)で採り上げてきたので、今回こちらの方も改めてお話ししたいと思います。
まず最初の、1号機A系の非常用交流電源喪失時刻の15時36分台に、津波が1号機敷地に遡上したか、到達できたかという問題。この点は、私が長らく繰り返し議論してきたのですが、今回初めて聞く人もいると思いますのでおさらいします。現時点での議論の到達点をできるだけシンプルに説明したいと思います。
福島原発事故の際の津波について、津波の波形と時刻を特定できるデータは、福島第一原発の沖合1.5km地点の波高計のデータと、4号機南側の廃棄物処理建屋の4階から撮影した連続写真しかありません。波高計のデータは、沖合1.5km地点のものですから、その後のことは確定できません。写真の方は、ビデオだったらもっとよかったのですが、写真なので、写真がない間のことはわかりません。またカメラの内蔵時計が正確なら、議論する余地もなく津波の到達時刻を特定できるのですが、どうもそれが相当程度ずれているということで、混迷しているというわけです。
その波高計のデータです。
福島第一原発に向かう津波の沖合1.5km地点での波形は、まず緩やかな第1波があり、そのピークの5分半くらい後に高低差約3mの、東電が「第2波(1段目)」と名付けた中途半端な津波があり、その約1分半後に高低差が3mを超える津波、東電が「第2波(2段目)」と名付けた波があります。この波高計は波高7.5mが測定限界で、15時35分頃に波高7.5mに達した後は、どうも壊れてしまったようで、ここから先は波高が上下しているのではなくて限界の7.5mと0のオン・オフの信号が続いている状態で、もう測定はできていないそうです。波高計のメーカーの人に聞きましたが、そういうことのようです。ですから、15時35分以降にはどんな波が来ているのかわからないということになります。第2波(2段目)は、波高7.5mを超えた、高低差も3mを超えたということはわかりますが、波高や高低差がどこまでいったかはわからないわけです。
次に、津波を撮影した連続写真を見ましょう。
写真は44枚ありますが、津波の到達時刻に関しては、写真1から写真16までが問題になります。
最初の写真1から写真4までは、波高計で緩やかな波の第1波を撮影したものということで、私と東電、規制庁の意見が一致しています。
問題は次の写真5と写真6で、これについて、私は波高計で高低差約3mの第2波(1段目)だと考えています。かなり大きくプリントするか、パソコンの画面で見ないと、ほとんど見えませんが、防波堤の先に、高低差が約3m、長さ1kmあまりの直線上のものが写っていて、これが津波じゃなきゃ何だというものです。東電と規制庁は、これは津波ではなく、写真は第1波の後の水位が低下したところを撮った写真だと主張しています。
続いて、写真7から写真12に写る防波堤を乗り越えてザップ〜ンと水柱・土煙、水しぶきを上げる津波が来ます。この津波が4号機の敷地には遡上したものの1号機の敷地には遡上していないということについて、私と東電、規制庁の意見が一致しています。しかし、この写真7から写真12がどの津波を撮影したものかについては、私は第2波(2段目)、東電と規制庁は第2波(1段目)と、主張が分かれています。
さらにその後、写真15と写真16の大津波がやってきます。この津波が、1号機敷地に遡上したという点で、私と東電、規制庁の意見は一致しています。しかしこの写真がどの津波を撮影したかについて、私は波高計が測定不能となった後に来た別の津波(「第3波」以降)と考え、東電、規制庁は第2波(2段目)だと主張しています。
津波が沖合1.5kmの波高計地点から福島第一原発敷地まで進行するのにかかる時間の計算については、私と東電、規制庁の間で細かい点での相違はありますが、基本的にはほぼ同じです。私が国会事故調の報告書で書いた計算に、東電と規制庁は些細な点で注文をつけつつも、基本的にはそれに乗ってきたというところです。計算結果はほぼ同じになっています。1号機の敷地に遡上した津波が写真15と写真16の津波だという点でも意見が一致していますので、両者の違いは、実質的には、写真7から写真12の津波が波高計の第2波(1段目)と解する(東電、規制庁)か、第2波(2段目)と解する(伊東)かだけです。第2波(1段目)と解すると、沖合1.5km地点をスタートする時刻が15時33分30秒頃となり、津波の1号機敷地遡上が15時36分台となり、第2波(2段目)と解すると、沖合1.5km地点をスタートするのが約1分半遅くなって15時35分頃となるので、1号機敷地遡上もそれだけ遅くなるため15時38分台になるという、その違いです。
東電は、15時36分50秒台、2013年12月13日付の報告書ではまとめでは15時36分台とぼかしていますが、報告書で挙げている具体的な数字としては15時36分56秒頃と、辛くも過渡現象記録装置の1分周期データによる1号機A系電源喪失時刻のありうる一番最後の15時36分59秒になんとか間に合わせたというところです。規制庁は、東電の計算の過程で幅のあるところを、すべて東電よりも東電に有利な方を採って、15時36分台半ば(15時36分24秒〜41秒)としています。後で説明する電源盤の状態からの検討も併せ、原子力規制庁の姿勢は、私には、中立とか規制当局という立場にはまったく見えません。
私の立場というか、写真7から写真12の津波を第2波(2段目)と解して、その結果(必然的に)津波の1号機敷地遡上時刻を15時38分台(以降)とすると、1号機A系は(そしてB系も)津波の敷地遡上前に電源喪失したことになり、その原因は津波ではないということになります。
写真に写っていない区間、波高計地点から写真に写る防波堤先までの区間と、写真16の後1号機敷地等に遡上するまでの区間(こちらは4号機タービン建屋に遮られて写っていません)での津波進行の推計は、あくまでも推計ですので、誤差が出ます。私の立場(写真7から写真12の津波を第2波(2段目)と解する立場)では、1号機A系の電源喪失の原因が津波ではあり得ない限界の時刻(15時37分00秒)と1分以上の差(余裕)がありますので、その誤差が私の主張に否定的な方向に出ても主張が否定されることはまず考えられません。しかし、東電の主張は、1号機A系の電源喪失の原因が津波であり得る限界の時刻(15時36分59秒)とわずか3秒くらいの差しかありませんので、誤差が東電の主張に否定的な方向に出れば、東電の立場(写真7から写真12の津波を第2波(1段目)と解する立場)をとってもなお、東電の主張が否定される(津波の1号機敷地遡上時刻が1号機A系の電源喪失時刻より後になる)可能性が残されているということも、念のため、指摘しておきます。
さて、津波を撮影した連続写真に写っている津波を波高計データのどの波と評価するかの根拠ですが、私の主張の一番のポイントというか強みは、波高計のデータの波高や高低差、波の時間間隔と概ねきれいに一致していることです。写真1から写真4の緩やかな水位変化の第1波から5分程度後の写真5と写真6で高低差約3mの小さな津波の第2波(1段目)が防波堤先に到達し、その約1分後の写真7から始まる一連の写真で高低差約4.5mの大津波の第2波(2段目)が到達する訳です。これが素直な写真の解釈だと思います。
これに対する東電からの反論というか批判は、写真5と写真6の防波堤の先に写っているのが津波(第2波(1段目))であるならば、その約1分後に撮影された写真7等ではその津波は敷地近傍に来ているはずなのに、写真7等にそれが写っていないのはおかしいというものです。それについては、私は、上手な説明はできません。私は、自分の立場の弱みを隠すつもりはありません。そこは素直に認めます。しかし、写真5と写真6の津波は、私が勝手に「解析」とかで推定したり、証拠もなく推測しているのではありません。現実に写真に写っていて、撮影場所からの距離と写真での高さから見ると高低差約3mの長さ1km以上に及ぶ直線上のもので、これが実在した津波以外のものとはとても考えられません。それが写真7等でどうなったかについては、ビデオではなく写真で、写っていない間のことがわからないこともあって、わかりませんが、それが説明できないのは、私の立場の弱みであるとともに東電、規制庁にとっても同様です。私は、写真5と写真6に現実に写っている津波の存在をうまく説明でき、ただそれがその後どうなったかについてうまく説明できないというだけですが、東電と規制庁は、写真5と写真6に現実に写っている津波の存在も説明できず、そしてその津波がその後どうなったかも、どちらも説明できないのです。
この一連の写真の撮影者は、写真1から写真4までを約30秒間隔で続けて撮影し、その後3分34秒間まったく撮影せず、写真5を撮影してそれに続いて11秒後に続けて写真6を撮影しています。撮影者は、防波堤の先の遠くとはいえ、「津波が来た!」と思ったから続けて撮影したはずです。東電がいうような、水位が下がってきたところをとるなどということは考えられません。写真5と写真6に写っているのが津波だったのか、それがその後どうなったかは、撮影者に聞いてみればわかることです。ところが、東京電力は、国会事故調からのこの写真の撮影者のヒアリング要請を強硬に拒み、写真撮影者の氏名も隠し続けました。私が国会事故調でヒアリングを要求した相手で、ヒアリングを拒否されたのは、この写真の撮影者だけです。東電は、その後、新潟県技術委員会が写真撮影者のヒアリングを求めた際にも、やはりヒアリングを拒否したそうです。東電がここまで頑なに、徹底して調査への協力を拒否した理由はどこにあるのでしょうか。
そのことを置いても、東電と規制庁の主張では、津波が沖合1.5kmの波高計の地点から福島第一原発敷地に到達するまでに波形が相当変化したということになります。もちろん、私も、津波の波形がまったく変わらなかったと主張するつもりはありませんが、東京電力が行った、お得意の「解析」が4パターン公表されていますが、その解析での津波の波形の変化は、むしろ東電の主張とは逆方向の変化で、東電の主張を裏付けるような波形変化は、東電が行った解析でさえ、再現されていません。
写真7から写真12に写っている津波、写真8では高低差約4.5mに達している津波が、私が主張しているような波高計で測定不能な規模の第2波(2段目)ではなく、波高計地点では高低差約3mにとどまる第2波(1段目)(が大幅に増幅して到達した。同時に写真5と写真6に写っている津波は波高計地点では存在しなかったものが増幅して高低差約3mもの津波に成長した)だという主張には、そうだと東電と規制庁にとって都合がいい(そうでないと都合が悪い)という以上の理由はないように思えます。
規制庁は、津波の到達時刻に関する評価とは別に、1号機の非常用電源盤の現場検証時の状況、スィッチとかリレー等の状態を根拠に、消去法で検討して、電源喪失の原因は津波と考えられるとしています。この議論は、電気関係の知識を要しますので、私にはよくわかりませんが、それほど決定的に津波だと言えるものではないと聞いていますし、何よりも、私は、それ以前に、規制庁が事故の約3年後に現場検証を行ったわけですが、その時点での電源盤の状態が、電源喪失時のままということを前提とすること自体が間違いだと考えています。そういうと、東電が何か細工したかという議論に聞こえるかと思いますけど、まぁ、東電のこれまでのやり方を見ると、規制庁の現場検証前に都合のいいようにいじったという可能性もあると思いますが、そこまで言わなくても、この件では現場が電源喪失時のままということは期待できません。というのは、福島原発事故というのは、要するに電源喪失事故なんです。電源が喪失したために、原子炉の発熱、崩壊熱を冷却できず、コントロールできず、運転員サイドで対策ができずに炉心溶融に至ったという事故だったんです。この事故の進展中、東電にとって、現場の運転員・作業員にとって、電源の復旧が至上命題、最優先課題だったわけです。東電だけじゃなくて、様々な協力会社の作業員が、電源復旧に向けて必死で試行錯誤していたわけです。しかも通信が途絶して、中央操作室と免震重要棟の間はなんとか通話ができたのですが、免震重要棟や中央操作室と現場の間ではリアルタイムでは誰が何をしているかもわからない状態だったわけです。そういう中で、1号機の非常用電源盤を誰一人触らなかったと考えることの方がかなり無理があるでしょう。それなのに、規制庁の報告書では、そのことをまったく検討もしていません。一体どういう考えをすれば、そこを無視できるのか、私には想像もできませんが、規制庁の主張は、最初の前提からしておかしいので、私は、話にならないと思っています。
ここまでが、従前の議論、これまで私と東電がやってきた議論の到達点です。
なお、津波が原因でなければ何が原因だ?という質問があるかと思います。私も度々そういう質問を受けてきました。しかし、私が言えるのは、現在明らかにされている確かな証拠(根拠)からは、少なくとも1号機A系の非常用電源喪失は津波が原因ではないということまでで、では本当の原因は何かということは、東京電力がきちんと調査をして解明すべき問題です。通常であれば、事故の後は現場をきちんと調査し、機器を検査し、機器を復旧させてみて、その過程で原因が解明されるわけです。ところが、福島原発事故では、いまだにタービン建屋の地下は水浸しで、放射線被曝の問題もありますし、きちんとした検査がなされていない、東電の方もどうせ廃炉にするから現場のきちんとした調査や機器の検査をする熱意を持てないということがあって、今なお原因が解明されていないわけです。私たちには、調査の権限もないし、例えば水浸しの状態で水の中に入ってみればわかるとは限らないわけで、外から見えないところで損傷していることもあり得るのですから、それを推測で何か言えというのは無理があると思います。
次に、新しい議論、1号機(A系)だけを見るんじゃなくて、1号機、2号機、3号機を通してみて、電源喪失の順番と津波の到達の関係をうまく説明できるかということに移ります。
2017年12月25日に東電が出した新しい報告書、「福島第一原子力発電所1〜3号機の炉心・格納容器の状態の推定と未解明問題に対する検討 第5回進捗報告」(全体をこちらで入手できます)の「津波による非常用交流電源喪失についての追加検討」(こちらで入手できます)では、敷地海岸線から各号機、1〜3号機と5号機を採り上げていますが、その電源関係機器までの「経路長」を縦軸に採り、各号機の電源関係機器の機能喪失時刻を横軸に採ったグラフを書いてそこに右肩上がりの相関関係が見られるとして、海岸線から遠い機器ほど機能喪失が遅い、そこから津波が電源喪失の原因であるとの推定がより確からしくなると論じることを、その骨格というか中心に据えています。
グラフを書くときに、「経路長」という長さと、「機能喪失時刻」という時刻つまり点の相関関係をとるということ自体、ごまかしがあります。長さと点は比較できないわけで、実際には、ある時刻からの機能喪失時刻までの「時間」を採っているわけです。実質的には、ある時刻の津波の到達状況、最前線を特定して、そこからの経路長と、その時刻から機能喪失時刻までの時間を比較することにこそ意味があるわけで、東電の報告も理論的には、そういう比較検討になるはず、なるべきなのです。
しかし、東電は、そこで、現実とはまったく異なる津波の到達状況を「想定」しています。そこが、東電の新報告のそもそもの誤りです。その結果、この報告書の目玉の「相関」自体が論証できていません。また、それと別に、同じ経路長での機能喪失の順番と津波到達の順番の矛盾を、東電は、結局、まったく説明できていません。私は、この東電の新報告は、何も新たな論証ができなかった、まったくの失敗作だと考えています。
まずは、津波の進行方向、敷地と到達、敷地遡上の順番を、「想定」ではなく、「動かぬ証拠」で確認しておきましょう。
先ほど話題にした津波の連続写真の写真15と写真16です。先ほど説明しましたように、この写真15と写真16に写っている大津波が1号機敷地に遡上した津波、1号機敷地に初めて遡上した津波であることについて、私と東電、規制庁の間で意見が一致しています。写真15では、大津波の前線はほぼ南防波堤の位置と重なっています。それが15秒後に撮影された写真16では写真では右から左に大きく移動し、写真15では見えていた東波除堤を覆い隠すようになっています。
これを地図に落とすと次のようになります。
写真は、4号機(図では水色)の南側の廃棄物処理建屋の4階から撮影されていて、その建屋の壁と4号機タービン建屋に視界を遮られて、海は一部、図でいえばえんじ色のラインの範囲しか見えません。写真15ではその視界の右端の方の南防波堤の位置にあった大津波が、写真16では視界の左端の方に移動し、東波除堤のあたりに来ているのですから、地図に落とせば、津波は南東から北西方向に進行していることが明らかです。これが、写真という「動かぬ証拠」から確認できることです。
そうすると、津波は、3号機→2号機→1号機の順に到達したと解するのが自然であり、合理的です。
これに対し、東電の新報告書は何を言っているでしょうか。
「津波の最大波は敷地全体に大きな時間差なく到達したと想定」として、赤線、つまり敷地の10m盤のラインを「基準位置」として「経路長」を採っています。「大きな時間差なく」という言葉は、文句を言われたら津波が完全に真東から来たとは言ってないと言い訳するためのものです。現に、私と東電が新潟県技術委員会で同じ日にプレゼンをした際に、私が東電の想定はおかしいと言ったら、東電は「大きな時間差なく」と言っているのであり同時に到達したとは言ってないなどと言い訳していました。しかし、「経路長」を採る基準が敷地海岸線(南北の線)ということは、特定の時刻における津波の最前線がその線にあるということを意味し、東電の「想定」は津波が真東から真西に進行し、1号機から3号機の敷地に同時に遡上したということを想定してその後の議論を進めているということに他ならないのです。そこを、明言せず、一方で「大きな時間差なく」などという言い訳の余地、逃げ道を残しているのが、東電の小狡さです。
さて、東電の新報告の目玉の経路長と機能喪失時刻の「相関関係」は後で見るとして、1号機と3号機の津波到達の順番について、考えてみましょう。東電と規制庁は、1号機A系の電源喪失は、津波が1号機敷地に遡上し、タービン建屋の大物搬入口のシャッターが開いていて(そこはやや不確かですが、まぁ、それは置きます)、津波がそこからタービン建屋1階に浸水し、1階の非常用電源盤に到達したために生じたと主張しています。
先ほど見た、スライド10の地図に津波の進行方向と、1号機の大物搬入口、3号機の「ルーバ」の位置関係を書いておきました。津波が1号機のタービン建屋の大物搬入口に到達するよりも先に、3号機の「ルーバ」に到達することは明白です。
3号機のルーバに津波が到達すると何が起こるでしょうか。
「ルーバ」というのは、カーテンの代わりにつける「ブラインド」を光が透けるように開けた状態のようなものです。原発の建屋というと、コンクリートの分厚い壁で覆われていて窓などないと、一般には受け止められていますが、実は、この部分には大きな開口部があり、そこに平行の板状の「ルーバ」がつけられていて、空気が素通りできる、従って、津波も何の抵抗もなく入っていけるようになっています。どうしてそうなっているかというと、非常用ディーゼル発電機は、発電のために燃料油をガンガン燃やします。その換気のためにディーゼル室の上は吹き抜け、吹き抜けの横の壁には大きな開口部があり、それで空気がスムーズに出入りできるようにしてあるのです。スライド12の図は、東電の新報告書の図です。赤丸は、私が追記したものですが。上側が3号機タービン建屋の1階、下側が地下1階です。1階の開口部の「ルーバ」から浸水した津波はそのまま1階と地階の吹き抜けを通って落下し、そのままディーゼル室を直撃します。つまり、津波が「ルーバ」に到達したら、地下のディーゼル室はすぐ水没してしまいます。
この図については、私は、どうしても言っておきたいことがあります。この図は、国会事故調に対して東電が、核物質防護上の秘密情報なので出せないと拒否したものです。2011年の夏段階で、東電は東日本大震災の津波の再現計算(解析)を行い、その「概要版」の数枚だけが当時の原子力安全・保安院のサイトで公開されていました。国会事故調の協力調査員になって程なく、私は、東電にその「概要版」ではなく「詳細版」を提出するように資料請求しました。それに対して、東電が、核物質防護上の秘密情報だと言って拒否してきたわけです。国会事故調の資料請求に対する東電の最初の拒否事例だったと思います。国会事故調に対しては、東電は資料提出を拒否できず、法律の立て付けとしては、拒否されたら国会議員の協議会で検討してそこで提出させると決まれば東電は法律上拒否できないことになっていました。そこまでやるかの議論もありましたが、事務レベルの折衝で東電は、コピー禁止、要返却の扱いで、国会事故調提出用、コピー厳禁、要返却などの文字が浮き出た画質の悪いカラーコピーを提出してきました。そのときに聞いた話、東電との折衝は、私がやらせてもらえず、国会事故調の事務方の「調査統括」がやりましたので伝聞ですが、それによれば、建屋のフロアマップに浸水経路を書き込んだ図が、テロリストに侵入経路を教えることになるから秘密情報なのだということでした。提出された資料には写真もついていましたので、そちらがより問題なのかもしれませんが、当時聞いた話では、ここに出ているような図が、核物質防護上の秘密情報で、東電はそれを理由に国会事故調に対して資料提出拒否までしたのです。
そういった事情があったので、私は、国会事故調解散後に佐藤暁さんから示唆を受けて、3号機と1号機の関係で新たな問題を意識しながら、国会事故調の報告書に書いていない「秘密」情報を出すことを律儀に避けて、これまで議論してこなかったのです。しかし、東京電力が、これを公開してきた以上、この議論をする障害はまったくなくなりました。
しかし、それにしても、国会事故調の問い合わせに対して存在しないと答えた過渡現象記録装置の1分周期データにしても、この国会事故調に対しては核物質防護上の秘密情報だと言って提出をいったんは拒否した浸水経路図にしても、東京電力は、自分が有利に使えるとなったら平気で出してくる。どこまでいい加減で卑怯な連中なのかと思います。
とにかく、この3号機のタービン建屋のルーバに津波が到達すると、3号機のディーゼル室はすぐに水没してしまいます。したがって、東電と規制庁がそれにすがりついている1号機のタービン建屋の大物搬入口への津波到達の頃には、それより前に3号機のディーゼル室が水没しているはずですから、「どちらも津波が原因」だったら3号機の方が先に電源喪失するはずです。そういう点からも、3号機は津波によって電源喪失したと考えるのが合理的に思えますが、3号機より後で津波が到達する1号機が3号機より先に電源喪失したのは、津波が原因ということでは説明できないと考えます。
東電の新報告書は、3号機ディーゼル室へのルーバからの浸水や水没については、まったく検討せずにスルーしています。
東電の新報告書の目玉の、経路長と電源関係機器の機能喪失時刻の相関図がこれです。この相関図で右肩上がりの傾向が読み取れるから、電源喪失の原因が津波であるという推定がより確からしくなるというのです。
東電が言う「経路長」の算出が、事実と異なる前提を採っていることは先に述べました。
ここではまず、東電の主張に従って「経路長」を採ったとして、それでも理屈に合わないことについて検討しましょう。電源喪失の原因がすべて津波であるとしたら、「経路長」の短いものほど先に機能喪失するはずです。「経路長」がほぼ同じものは概ね同じ時刻に機能喪失するはずということになります。この相関図で「経路長」数十mレベルにあるD/G2A、M/C2C(いずれも2号機A系)とM/C3C、D/G3A(いずれも3号機A系)、D/G3B、M/C3D(いずれも3号機B系)は、「経路長」がほぼ同じなのに、機能喪失時刻は相当異なっていて、2号機A系が15時37分40秒頃、3号機A系が15時38分40秒頃、3号機B系が15時39分30秒前後になっています。このことは、東電が新報告書で論証したかった「経路長」が長いものほど機能喪失時刻が遅い傾向から外れていて、すべての原因が津波という主張とマッチしません。
そこで東電は、2号機A系と3号機B系については、電源喪失の原因をこの相関図に図示した電源関係機器ではなく、海側の低い4m盤上の海水ポンプの被水停止により非常用ディーゼル発電機の停止信号が出てディーゼル発電機が停止したと説明することにしました。それでもなお、機能喪失時刻の関係(2号機A系が3号機B系より相当程度機能喪失が早いこと)がうまく説明できない理由を「DGSWポンプトリップがもっと遅い時刻であった可能性、DGSWポンプがトリップした後も津波の水頭等により系統内圧力がある程度維持された可能性などが考えられるが、現状特定には至っていない。」などとしていて、東電としてもきちんと論じることができていないのです。
2号機A系と3号機B系の電源喪失原因を海水ポンプの停止による非常用ディーゼル発電機停止信号発信で非常用ディーゼル発電機が停止したこととしても、津波は3号機の海水ポンプに先に到達します。ディーゼル発電機停止信号は、海水ポンプの停止、正確には海水ポンプの吐出圧力が一定値を下回ったときから一定時間経過後に発信されます。1号機A系だけは、海水ポンプの停止による非常用ディーゼル発電機の停止信号が設定されていません(他に、空冷式の、つまり「海水ポンプ」がない2号機B系、4号機B系、6号機B系も、当然、海水ポンプ停止による非常用ディーゼル発電機の停止信号はありません)。信号発信までの時間は、3号機だけが10秒で、2号機を含むその他の号機では60秒です。2号機A系は、3号機よりも後に津波が到達し、しかも津波到達によるポンプ停止後60秒たたないと非常用ディーゼル発電機停止信号が出ないにもかかわらず、津波が先に到達して津波到達によるポンプ停止から10秒で非常用ディーゼル発電機停止信号が出る3号機B系よりも、2分近く早く非常用電源が喪失しているのです。
海水ポンプの被水停止については、国会事故調で調査しているときに悩ましかったところです。ポンプの電動機のメーカーに、ポンプの電動機部分が被水ないし冠水(水没)した場合のポンプ停止に至るシークウェンス(流れ、機序)と停止までの所要時間を照会したのですが、停止に至る機序については回答するが企業秘密なので報告書に書く場合は事前に協議しろといううるさい条件付き、停止に至る時間については実験していないのでわからないという、さすが原発サイドのメーカーという感じの嫌らしく不親切な回答でした。そういうことで、停止までの時間を把握できなかったため、国会事故調の報告書では、はっきり書けなかったものですし、海水ポンプを持ち出すと、そこのあたりが不明確になる感じではあります。
しかし、そういうことを考えても、2号機A系と3号機B系の電源喪失の順番と時間間隔について、その原因が津波によるもの、津波による海水ポンプの停止として説明することは、私は、できないと考えます。
さて、東電の新報告書の目玉の相関図ですが、もし東電が提示しているように、「経路長」と電源関係機器の機能喪失時刻の相関関係を評価するとすれば、それはある特定の時点での津波の位置を基準にすることになります。その場合、東電のように、現実に津波がある時点でその位置にあったと考えることに無理がある敷地海岸線を基準にするのではなく、やはり現実に証拠が残っている、「動かぬ証拠」と言うべき、写真15の時点での津波の位置を基準にするのが、もっとも自然で合理的なやり方です。そういう考えで、東電の相関図から、まず考慮対象にしない5号機関係のデータを消し、津波の位置から最も遠い1号機の経路長を相当程度長く、津波の位置から次に遠い2号機の経路長をある程度長く修正すると、次のような図になります。写真15という確実な事実からスタートして経路長と電源喪失までの時間の相関を見るには、こうする必要があると思います。
そうすると、相関図で1号機関係のデータが相当上に上がり、2号機関係のデータも上に上がる結果、1号機、2号機A系、3号機の関係は、右肩下がりになり、(正の)相関関係はまったく見られないということになります。3号機(A系・B系)と2号機B系の間では、なお右肩上がりの関係が見られますので、3号機と2号機B系については、電源喪失がいずれも津波によると考えても矛盾はないと言えるでしょう。しかし、1号機(A系・B系)、2号機A系については、3号機と対照して電源喪失の原因がすべて津波によると考えることは、このデータからは不自然であり、説明が困難と言うべきです。
東電の新報告書は、こういった内容で、「まとめ」では、「検討の結果、各電源設備までの津波浸入の経路長が長いほど、機能喪失時刻が遅くなる傾向が確認されたことから、津波の遡上、浸水によって、各電源設備が機能喪失していったという従来の推定がより確からしいものになった。また、各電源設備までの津波浸入の経路長と機能喪失時刻の全体的な傾向から、比較的乖離している設備については、合理的に説明できるシナリオが存在することが分かった。」などとしています。
しかし、この報告書の目玉というか、中心をなす「経路長」と機能喪失時刻の相関は、津波が敷地海岸線に沿って、つまり真東から真西に進行して1号機、2号機、3号機敷地に同時に遡上したという誤った(東電に都合がいい)想定を前提としたもので、裏付けのある事実である写真15の津波の状態を前提として考えると「各電源設備までの津波浸入の経路長が長いほど、機能喪失時刻が遅くなる傾向」はまったく認められません。むしろ、津波が早く到達した機器の方が電源喪失時刻が遅いという、津波が電源喪失の原因であると考えると説明できない関係が顕著に見られます。東電の新報告書の核心部分は、まったく事実に基づかないもので、東電の試みた論証は、はっきり失敗に終わっていると言うべきです。
そして、「各電源設備までの津波浸入の経路長と機能喪失時刻の全体的な傾向から、比較的乖離している設備」、東電は2号機A系と3号機B系を指して言っているのだと思いますが、これについては、海水ポンプの停止を原因とすることではぐらかしていますが、それでも津波の到達時刻と停止の順番の矛盾を全然説明できていません。「合理的に説明できるシナリオが存在することが分かった」などと言える状態ではまったくありません。どういう神経でこういうまとめをするのでしょうか。
結局、東電の新報告書は、事実と異なることを前提とした、誤ったグラフを作って印象付けを図っただけで、東電の主張に沿うことはまったく何一つ論証していない代物と言うべきでしょう。
事故から7年もたって、こんなレベルの報告書が出てくるということ自体、福島原発事故の原因究明、それも福島原発事故の基本とも言うべき電源喪失の原因についての究明さえもが、まだまだ途上であることをよく示していると、東電の新報告書からはそういうことをこそ読むべきだと思います。
損害賠償請求集団訴訟でこれまでの集大成的な意見書を作成して提出しました
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)
事故後10年の特集で「科学」に書いた最新版に裁判での主張等を加筆しました。
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その9)
(2018.3.25記)
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