◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ニュームーン」
アメリカではオープニング記録を次々塗り替える大ヒットと報じられているのに、日本での興行成績は大コケ
原作を読む限り、典型的な体育会系のエメットと対比されるエドワードは、映画のロバート・パティンソンのイメージと概ねフィットするし、ベラに至っては、原作の陰気で思い込みが強いジコチュウのベラをきちんと演じているクリステン・スチュワートははまり役だと思うのだが…
普通の女子高生とヴァンパイアのラブ・ストーリー「トワイライト」の続編の「ニュームーン」を見てきました。
封切り4週目土曜日、土曜の夕方渋谷というかなり混雑するパターンにもかかわらず3〜4割の入り。次のレイトショーの「ミッシェル・ガン・エレファント」の映画が待ってる人の列だけでもすごいのと対照的にガラガラでした。客層は圧倒的に若い女性グループ。
18歳の誕生日を迎えたベラ・スワン(クリステン・スチュワート)は、ヴァンパイアのエドワード(ロバート・パティンソン)が(肉体的には)年をとらないのに自分は次第に年老いていくことにいらだち、自分もヴァンパイアにして欲しいとエドワードに迫るが拒否され、誕生パーティーでプレゼントの包装紙で指を切った際に我慢できなくなったジャスパーとエドワードが衝突したことを契機にエドワードらは街を去ることになり、エドワードはベラの前に姿を現さなくなる。失意のベラは、危険が迫るとエドワードの幻影がベラを止めに入ることから危険なことをしようとして、ジェイコブ(テイラー・ロートナー)にバイクの修理を頼みジェイコブの下に通い、バイクで暴走する。ベラを慕うジェイコブはおあずけをくらい続けるうちに、キラユーテ族の血が、ベラを追って現れたヴァンパイア(「トワイライト」の続き)に呼び覚まされて狼男に変身する。ジェイコブらがベラを追うヴァンパイアを蹴散らしている間もベラはお構いなしにエドワードの幻影を求めてクリフダイビングを行い、そのベラをジェイコブが探しているうちにジェイコブの父ハリーは心臓発作で倒れて死に、ベラの飛び降りだけを予知したアリスの心を読んだエドワードがベラの自宅にかけた電話に出たジェイコブが、ベラの父のチャーリーは葬式の準備で外出していると答えたのをベラが死んだと誤解したエドワードがイタリアのヴァンパイアの総帥ボルトゥーリ一族を訪ねて反逆して死のうとするが・・・というお話。
原作はバカ売れし、映画もアメリカではオープニング記録を次々塗り替える大ヒットと報じられているのに、日本での興行成績は大コケと言っていいでしょう。それは「トワイライト」の時に指摘しましたが、原作本の日本語版に付いているイラストのエドワードが、映画のエドワードのイメージとかなり違うということの影響が大きいのだと思います。私は、日本語版のイラストの方が原作のイメージと違うだけで、むしろ原作を読む限り、典型的な体育会系のエメットと対比されるエドワードは、映画のロバート・パティンソンのイメージと概ねフィットすると思います。ベラに至っては、原作の陰気で思い込みが強いジコチュウのベラをきちんと演じているクリステン・スチュワートははまり役とも思います。私は、原作本の本文から見る限りは、決してミスキャストではなく、映画としてのできも悪くはないと思っているのですが(ただ、読書日記でも書いているように、私はベラのジコチュウぶりに腹が立つので、この原作自体嫌いですけど)。
第1作の「トワイライト」でもエンディングでヴァンパイアのヴィクトリアがベラを睨むシーンで終わって、物欲しげに「つづく」のイメージでしたが、「ニュームーン」ではその話は出てくるもののそれほど重きは置かれず、まさに「つづく」と言うためだけのエンディングでした。「ニュームーン」でもラストで取って付けたような会話が置かれて「つづく」のイメージにしています。こういう古い安っぽい連続ドラマのようなつくりにはさもしさしか感じませんが、それにしてもこのラストはバカバカしい。原作を読んでいる人には、そういう餌をぶら下げられても次の展開はもうわかっているわけですし、原作を読んでいない人にはこの会話で止まる意味がたぶんわからずむしろハッピーエンドじゃないのと思うだけでしょう。続編への餌としてさえ、そのぶら下げ方がへただなぁと思ってしまいます。
(2009.12.20記)
**_****_**