私の読書日記  2009年4月

21.究極の速読法 リーディングハニー 6つのステップ 松崎久純 研究社
 著者の開発した速読法「リーディングハニー」の解説本。この速読法のポイントは、要するに旅行をするなら下見をしようということです。後書きや解説、著者紹介と目次から何についてのどのような構成の本かを把握する、最初から最後までパラパラと眺める(1ページ1秒見当)ことでどんな言葉が使われているか、どんなキーワードがあるかを把握し、1ページ2、3秒程度の流し読みで全体の構成や大方何が書かれているかを把握し、その後自由に速く読むという流れです。順番にその本に慣れていき次第に何が書かれているかを把握していき、それが把握できればかなり速いスピードで読めるし、内容を理解できるということです。理屈としては理解できます。しかし、小説、特に推理小説、ミステリーでは絶対にやりたくない方法ですし、本格的に読む前に飽きてしまいそうです。取っつきにくくて、そういうやり方でもしないと読めそうにない本にはそうしたいと思いますが。少なくとも読書に楽しみを求める人には向いていないと思います。まぁ、著者が最初に書いているように、読書が苦痛だと思っている人に苦痛をなくすためということですから、その前提で読むべきでしょうね。

20.ロースクール生と学ぶ 法ってどんなもの? 東大大村ゼミ 岩波ジュニア新書
 ロースクール生が友人や兄弟などから相談を受けて法律問題を論じたり説明する体裁で、身近な法律問題を元に子ども向けに法律の考え方を解説した本。いじめ、校則、文化祭と著作権や周辺住民とのトラブル、賃貸借契約、未成年の契約、店の商品を破損したときの弁償(不法行為)、未成年の結婚、刑事事件、未成年の飲酒・喫煙と参政権を取りあげています。ロースクール生が周囲の人から法律相談を受ける体裁で、たぶん現実にロースクール生だというだけで法律に詳しいと見られて周囲の人の相談を受けているのでしょうけど、仕事がらちょっと不安を感じます。天然パーマの子どもが「ちりりん」というあだ名を付けられたという素材で「言葉によるいじめがその子にとってトラウマになってしまったような場合には損害賠償が認められる可能性は十分あると思うよ」(10ページ)って、私にはかなり大胆に思えます。後日弁護士になってそういう依頼を積極的に受けてそういう判決を自ら勝ち取っていただきたいですね。目的と手段の相当性を何度も論じながら「たとえば人をぶん殴ったり、万引き、恐喝、飲酒・喫煙、援助交際などをしたりしたら、それらは学校の決まり以前に法律で禁じられていることだから、停学・退学処分をしても不当とはいえないだろうね。」「そうだね。そんな重いことをやっちゃったら退学させられてもやり過ぎとは言えないと思うよ」(36ページ)というのも、ちょっとビックリします。喧嘩や飲酒・喫煙でその程度を問わず一発退学にしてよいというのでは、それまでやってきて手段の相当性の議論は何だったのかなと思いますし、現実問題としてもかなり不当な場合が出てくると思います。このあたりも、実務経験・実務感覚のないロースクール生が法律相談物を書いてしまう怖さを感じます。エピローグで法律解釈や法律の考え方には様々な視点が必要で一概には言えないということが書かれていて、ここはいい読み物になっていると思います。しかし、本文の具体例を読んだ読者が、エピローグとあわせ読んで本文の書きすぎを感じ取り修正してくれることを期待するのは、たぶん無理だと思います。

18.19.ミレニアム2 火と戯れる女 上下 スティーグ・ラーソン 早川書房
 シリーズ1巻のラストでミカエルの元を去ったリスベット・サランデルが、月刊誌「ミレニアム」のスクープとなる人身売買組織の実情を告発する記事を準備していた記者とその恋人の殺人事件に巻き込まれ、全国指名手配を受けながら真犯人を追うというミステリー小説。1巻はミレニアムの記者ミカエルが主人公でしたが、2巻では、1巻でハッカーとしての実力を見せつけた社会性に欠け歪んだところとある意味でのまっすぐな正義感を併せ持つアンビバレントな魅力に満ちたリスベット・サランデルが主人公となります。1巻を読んでも、このキャラの不思議な魅力には引き込まれるところで、作者もそう感じたのでしょう。2巻は、全体を通じて、リスベット・サランデルの出生から、実際には映像記憶能力やハッキングの能力を持ち高い知能を持っているにもかかわらず精神病院に入れられ無能力者とされたのは何故かという秘密が、明らかにされ、それが事件の鍵となって展開していきます。1巻でリスベットファンになった読者のためのファンサービスという感じですね。リスベット・サランデルがストーリーの中心となるため、女を虐待する男を許さないという信念が、1巻より色濃く表れ、差別主義者・マッチョな男たちへの嫌悪がはっきり表されます。女性の/性の自由ということが1つのテーマとなることもあってか、日本の感覚よりはかなり自由な恋愛というか奔放な性生活が描かれています。後半はそういう余裕はなくなりますが。フェミニスト嫌いか貞操観念の強い読者には、たぶん面白くない/耐え難いシリーズとなりそうです。ミステリーとしてのできばえもよく、1巻同様に、あるいは1巻以上に楽しめます。しかし、リスベット・サランデルの魅力に惹かれた読者としては、1巻のレイプの時もそう思いましたが、あんまりボロボロにしないで欲しいなと思います。素直に胸を痛めてしまうたちなもので。プロローグも、その意味がわかったときには、やられたと思いましたが、その後の展開には影響せず、ただ読者にやられたと思わせるためだけという感じもして、むしろなくていいんじゃないかとも思います。
 1巻の「ドラゴン・タトゥーの女」は2009年2月に紹介しています。

17.ぼくと1ルピーの神様 ヴィカス・スワラップ ランダムハウス講談社
 ムンバイにある「アジア最大のスラム街」ダラヴィに住むウェイターのラム・ムハンマド・トーマスが10億ルピー(約20億円)という史上最大の賞金を賭けたクイズに出場して全問正解して、不正を疑われるが、クイズの質問がすべて自分の人生で直面したことばかりだったと、弁護士に説明する形でそれまでの人生を説明しつつインドの貧民が直面する不幸と運命を描いた小説。日本語版が出てすぐの2006年10月に一度読んで紹介済ですが、映画化されたのを機会に再読しました。映画はかなり設定を変えてシンプルな恋愛ストーリーに書き替えています。やはり原作の方がラムの人生の波瀾万丈としたたかさ、たくましさとせつなさを味わえますし、様々な布石・伏線をきちんと処理していて読み物としてもいいできです。映画をきっかけに原作を読む人が増えるといいなと思います。

16.図解表示のカラクリ[改訂版] 表示の謎研究会編 彩図社
 日常生活で見る図や記号表示の読み方についての解説本。電話番号で東京23区以外でも三鷹市中原1丁目、調布市国領町8丁目・仙川町・西つつじヶ丘2丁目・東つつじヶ丘・緑ヶ丘・若葉町、狛江市(西和泉と神代団地を除く)は「03」だ(35ページ)とか、洋服のドライクリーニングマークはドライクリーニングできる(ドライクリーニングでなくてもいい)(46ページ)とか知りませんでした。紙のB版って江戸時代の美濃紙のサイズで江戸時代は将軍家と徳川御三家しか使えなかったそうです(96ページ)。そういうところ勉強になりますが、各項目本文1ページ図1ページの2ページ構成で、大部分は知っていることで突っ込み不足。項目の選択も場当たり的な感じです。暇つぶしに読み飛ばす本ですね。

15.続・世界の日本人ジョーク集 早坂隆 中公新書ラクレ
 外国での日本人が登場するジョークを集めて紹介した本。著者の主張は、日本人が思っているほど日本人のイメージは悪くない、日本人よ自虐的になるなという点に集約されます。この種のエスニックジョーク自体、品のよくないこととして公の席で語られることが減り、日本人に限らず露骨に貶めるジョークは衰退していると思うのですが。ジョーク集なんですが、その間に著者の主張が色濃く出ていて、日本の「格差社会」なんてたいしたことじゃない(89〜92ページ)、歴史認識など国によって異なるのが当たり前で共有できるはずがない(140〜143ページ)、戦前戦中の日本はナチスドイツとは違う(147〜149ページ)などの政治的な主張が前面に出ています。娯楽本として読むには、そのあたりがちょっと鼻につきます。職業柄、エスニックジョークとは別に、天国の神様から訴訟をちらつかされた地獄の悪魔が「訴訟は望むところです。でも、そちらには弁護士が1人もいないんじゃないですか?」って(29ページ)いう方が気になりました。うーん・・・

14.一気読み!日本史 瀧音能之 青春出版社
 日本史を新書1冊で解説する本。原始・古代編(平安時代まで)、中世編(鎌倉・室町時代)、近世編(戦国・江戸時代)、近現代編(明治以降)の4つの時代に区分して、それぞれについて政治、経済、対外関係、文化の4つに分けて説明しています。時代区分を大きくすることで、それぞれの流れがわかりやすくなることが目的ですが、事実・固有名詞の羅列になりがちで今ひとつ流れがわかりやすいとはいいにくい感じです。特に文化は、いかにも羅列です。政治は教科書的ですから、流れをつかむという目的で見ると、経済が一番それらしく書かれていると思います。政治と経済、経済と対外関係というあたりの関係も、少し見やすいかなと思いました。これだけで目を見開かされるような発見はありませんが、少し違う区分で歴史を読んでみることは、いい経験だと思います。漢字圏の外国人のふりがなが、李承晩(イスンマン)、金日成(キムイルソン)、朴正煕(パクチョンヒ)の3人だけが現地読みで、他は全部日本語読みっていうのはちょっと違和感がありました。どういう基準なんでしょう。

13.ザ・プーチン 戦慄の闇 スティーヴ・レヴィン 阪急コミュニケーションズ
 プーチン政権下で石油の高騰を背景に取られている強いロシア復活のための傲慢な姿勢と、反プーチン派に対しては暴力・犯罪による抹殺が平然と行われ事件の真相が解明されない社会の出現を嘆く本。西側に亡命して放射性物質による暗殺未遂事件の被害者となったニコライ・ホフロフ、プーチンに追われた元新興財閥ボリス・ベレゾフスキー、ベレゾフスキーを批判する著書を書いていた暗殺されたポール・クレブニコフ、プーチン批判の記事を書き続けた暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ、西側に亡命し放射性物質で暗殺されたアレクサンドル・リトヴィネンコらを題材に、プーチンの覚えめでたくない者たちの死に様を描写しています。しかし、この本の結論は、プーチン政権下で、犯人が何者かはわからないが暗殺が公然と行われ真相が解明されない社会が出現しているというところにとどまります。他の者が、暗殺にプーチンや政権上層部が関わっていると述べているのを、著者は、その証拠はないとか自分はそうは思わないとか私の勘ではそうではないなどと述べています。プーチンを批判する体裁の本でありながら、暗殺・事件へのプーチンや政権上層部の関与への言及には妙に慎重で、「プーチンに対するフェアネス」に満ちたプーチンに申し開きが立つことに意を用いた本という印象を私は持ちました。取りあげた人物も、ポール・クレブニコフはむしろプーチンの味方というべき人物で、その暗殺を取りあげているのはプーチン批判派のみが暗殺されているわけではないという印象づけに思えますし、プーチン批判派の描写でも、アンナ・ポリトコフスカヤ以外については信頼の置けないいい加減な人物という側面をも繰り返し描いています。どうも読んでいて何が言いたいのかはっきりしない中途半端な本です。一体何のために書いた本なんでしょ。ノンフィクションにしては本論に関係ない人物描写が多く、「暗殺」を論じることよりも「暗殺された人物」を描きたかった感じです。しかも、その人物選択が複数で統一感がないので、ますます雑多な散漫な展開となっています。最初と最後にプーチン政権への批判的なことを書いているのと、アンナ・ポリトコフスカヤ部分だけはストレートな記述になっているので、辛うじてプーチン批判本に読めますが、それがなければ「裏切り者の末路」を描いたプーチン批判派への批判本とさえ読まれかねません。その中途半端さ、論旨の不明快さのため、読み進むのがとても苦痛でした(アンナ・ポリトコフスカヤのところだけはスッキリしているので一気読みできましたが)。

12.トーキョー・クロスロード 濱野京子 ポプラ社
 まじめで純情でそれなりにしっかりしている高校1年生森下栞が、中学卒業後の春に行ったハイキングの帰りにキスされた相手の月島耕也に抱いた恋心を暖めていて、耕也と再会して織りなすほのぼの寄り道ラブ・ロマンス。栞と2人の友だち亜子・美波の典型的な学園もの展開に、高1のとき密かにできちゃった婚して赤ちゃんを育てながら通学する河田貴子とジャズバンドに入りアルトサックスを吹く青山麟太郎の2留コンビが華やぎを与えています。どちらかというと栞と耕也のエピソードよりも、貴子、麟太郎の生き様の方が輝いて見えるくらい。栞が耕也への思いを一貫して持ち続けているので、栞の側から読む限りラブ・ロマンスですが、それを隠して読んだら耕也のやってることはかなり酷い。再会して憎まれ口きいた上で栞に親友のかわいい亜子を紹介させて付き合いながら栞につきまとって送り狼となり亜子をつまみ食いして別れた挙げ句に栞にストーカー状態。そういう経過でありながら栞は一度として耕也を嫌うことなく思い続けてハッピーエンドというのですから、見てくれのいい男は何をやっても許されるってことなんですね、と拗ねたくなります。男の目からは、いかにもわがままでいやなヤツと見えるのですが。私が作者なら、栞が幼い身勝手ストーカー男耕也への思いを捨てて自力で人生を切り開くたくましさを身につけた麟太郎に思いを寄せることで成長を見せるという展開を、迷わず選びます。でも、若い女性には、(あくまでも見てくれはいい)不安定なわがまま男への一途な愛路線もありなのかと思って作者のプロフィールを見たら、私より4つ年上。ちょっと頭がくらっとしました。

11.図書館の女王を捜して 新井千裕 講談社
 読書好きの妻を亡くして便利屋を始めたが開店休業状態の主人公が、豊満な未亡人サチエに迫られ、妻の想い出との間で葛藤する様子を、サチエの夫ヒロミチの霊、霊的能力のある主人公の借家人明と絵描きヤガミ、主人公の妻の霊、飼い犬パピを絡めてややコミカルに描いた小説。サチエが主人公に迫ったのが、ヒロミチの霊がサチエを主人公に支えさせようとしたためということから、霊絡みの謎解きのストーリーとなっていきますが、はっきり言ってそっちはあまりにも展開が見え見えで興味を持てません。霊の部分はむしろ和風のファンタジーというか単純な道具と割り切って、むしろ夫婦の愛情物語と読んだ方がいいでしょう。そのレベルでは、ほんわか・のほほんとした読み心地を味わえます。ラストに付された「長めの後書き」は、作者にとっては意味があるから書いているのでしょうけど、読者にとっては小説とは関係ない話。せっかくほんわりと読み終えたところに作者の思い入れでつんのめった文章を読まされて興ざめします。自伝は自伝として別に書くべきだと思います。

10.レッド・デッド・ライン 吉来駿作 幻冬舎
 香港に医者がさじを投げたどんな難病でも治してしまう者たちがいるが、そのためには4人が「死」と赤い糸で契ることが条件で、誰か1人でも他言したら全員その難病で死ぬという設定の下で、恋人の難病を治すために犠牲を払う女子学生林美鈴と美鈴に恋心を持ちそこに関わっていく男子学生沢村修平の関係を描いた恋愛ホラー小説。中学生の頃修平が慕った叔母が辿った新婚早々の難病の夫を治すために払った犠牲と病気が治るや叔母を捨てた男の経験が、大学生となった修平に再度降りかかるという設定。それ自体は、その時の関係者を調べて2度目があったという説明で、まぁ納得しておきましょう。でも、それなら修平君、もっときちんとおばさんの話を思い出して、赤い糸の巻き方とか、切断の話とか、もっと早く思い出すはずだと思うのですが。そのあたりは、はっきり言って読んでいていらいらします。その点はさておき、難病を治したい金持ち男の魂胆の汚さ、修平の人のよさ、これもちょっといらいらします。ホラー話を使ってそういう人の心の汚さと、美鈴と修平の恋愛を描くのがテーマなのでしょう。美鈴と修平の恋愛も最後は爽やかですが、もう少し早くに救ってあげればいいのにとも思います。一番最後の修平の裁判、弁護士としてはちょっと気になります。美鈴に対する殺人未遂な訳だから、当然被害者である美鈴の調書も取られるはずで、被害者がすべてを話さなくても一命を取り留めて全面的に許していて数年の実刑になるでしょうか?最近の刑事裁判は重罰化傾向が著しいから、ひょっとしたらなるかも知れませんが。どちらにしても必要的弁護事件ですから「弁護士も断り、一人で裁判を受けた」(267ページ)は無理。いや応なく国選弁護人が付きます。

09.さよならの扉 平安寿子 中央公論新社
 癌であっさり死んだ夫卓己から5年越しの不倫相手の存在を知らされて夫の死後その愛人に連絡していたぶり続けながら一方的にそれを友情と考えるお気楽鈍感主婦仁恵と、常識的な感覚を持つ故に劣位に立たされ苦しみ続ける愛人志生子の関係を描いた小説。仁恵と志生子の交互の視点で書かれています。読者が仁恵の視点で読むか、志生子の視点で読むかで評価が分かれるというところでしょうか。私の目には、仁恵は、夫の死にも何の感慨もない、夫の臨終の際にも病室にも行こうとせず志生子に電話ををかけているし、哀しみも感じず、多額の遺産をもらい受け介護の負担もほとんどなかったのにわずかの法事にも煩わしいと感じ続けるジコチュウで、夫の元同僚上司に誘われるやすぐに不倫の関係を持ち、それでも罪悪感も感じず夫の元愛人に皮肉を言い続けられるというどうしようもないイヤな女と見えます。志生子の方は、祖父母を看取り、父の介護に追われ、シングルで生き続けて、その間に気晴らしに一夜の関係を持ったり不倫の関係を持ちますが、あくまでも常識的に対応し、卓己についてもすぐに身を引いています。私にはどう見ても志生子の方が遥かにまっとうな人生と人物と見えます。志生子が法律事務所の事務員と設定されていることで、それだけで親近感を持っていることは否定しませんが。志生子の迷惑を顧みず、志生子が愛人の引け目から強く拒絶できないのをいいことに(普通人ならはっきり拒絶されているとわかる程度には拒絶されているのにそれを無視して)ずかずかと志生子の私生活に土足で入り込み、自分が優位に立っていることを楽しんで皮肉を言い続け、しかし自分が気持ちいいからいつの間にかそれが志生子との友情などと錯覚する仁恵は、ストーカーであり「ゾンビ」としか思えません。仁恵の鈍感さ、非常識さ、図々しさには、読んでいて不快感しか感じられず、途中から(かなり初期から)いつかこの図々しいゾンビが破滅の道を歩むか改心するかだけがこの小説を読み続けるほぼ唯一の動機になりました。しかし、その不快感を我慢し続けても、結局図々しいゾンビはそのままで、志生子の方がそれを赦し皮肉な友情さえ感じざるを得ないという展開。確かに現実世界でも図々しいゾンビは決して悔い改めないから、ゾンビから逃げ切るか周囲が妥協するかしかないことが多いと思いますが、エンタメで現実世界と同じ構図を繰り返されても、読む気がしません。仁恵の不愉快な言動を我慢して読み続けても最後までカタルシスがなく、私にとっては非常に読後感の悪い読み物でした。

08.WE LOVE ジジイ 桂望実 文藝春秋
 引退して田舎暮らしをする元売れっ子コピーライターの岸川信行が、うだつが上がらないが熱心な町役場の職員池田に町おこしのアイディアを求められていい加減に言ったゲーム輪投げ大会に関わっていく過程で田舎の人々と心を通わせてゆくハートウォーミングストーリー。主人公は荒稼ぎをしていたが、仕事を持ってきてくれた大学の後輩を裏切りその後輩が自殺したのを機に35歳にして引退して田舎暮らしをすることにして、反対する妻に離婚されて、一人でログハウスに住みBMWを駆りラジコンヘリを飛ばして周辺の住民と関わらない生活を続けています。そういういかにもいやなヤツが、無責任にゲーム輪投げ大会などと言ったきり、愚直に一人で背負い込む池田の求めを無視し続け、進行のまずさから大会が失敗に終わり、しょげかえる池田が自分のせいで自殺することだけを恐れて池田と関わるようになり、そのうちに他の住人とも関わるようになっていきます。そうするうちに避けてきた田舎の濃密な人間関係を次第に快く感じるようになり、引っ込み思案でパソコンオタクの池田の息子にゲーム輪投げ大会のHP「WE LOVE ジジイ」を作成してもらい、再度ゲーム輪投げ大会を開催してリベンジに挑みます。この間の岸川の心の持ちようの変化と、田舎町の人々とりわけ疎遠だった工場で働く外国人労働者と老人たちの連帯感の高まりが読ませどころです。主人公自身には、ちょっと思い入れを持ちにくいですが、周囲の人々との気持ちのやりとりが、柔らかくホッとする読後感を持たせてくれます。

07.ぼくたちは大人になる 佐川光晴 双葉社
 サッカー部の花形ミッドフィルダーにして成績1位の国立大医学部志望の超優等生ではあるものの中学生時代の父母の離婚とその後の母の性生活を引きずって歪んだ面を持つ高校生宮本達大が、母から離れるために北海道大学医学部を受験するまでの同級生・恋人・家族との葛藤の受験ライフを描いた青春小説。主人公が受験強者(それだけでなく恋愛強者でもある)で、一定の失態を重ねながらもその失態は同時にヒロイズムとも評価され、大きく踏み外すことなく、目指した道を歩みきるというストーリーは、主人公に共感できるかという点から、かなり好みが別れると思います。主人公に共感できてもなお違和感を感じる要素として、主人公の恋人の片岡さんのラストのキレ方と冒頭で主人公と両思いになりかけたどやちゃんの処遇があります。片岡さんのキレ方は、主人公は無理もないと評価していますが、片岡さんと付き合う前に主人公がどやちゃんに思いを寄せていたことがなぜ「騙したのね、嘘つき」「ひとをバカにして、おぼえてなさいよ」(240ページ)となるのか、全く理解できません。自分と付き合う前の過去までも遡って自分のものにできると考えるのは傲慢を越えて妄想だと思うのですが。それまでの世話女房タイプの、できすぎとも思われる態度と対比して、おとなしい理解のある女こそ怖いという作者のメッセージなんでしょうか。どやちゃんは、優等生だけど、さばけた感覚を持ち隠れてタバコを吸い女優のオーディションを受ける、魅力的なキャラ。せっかく作った魅力的なキャラが、主人公のチクリによって学校も辞め両親とももめて一世代上の演出家との同棲に走り、それっきり、つまり身を持ち崩して終わりというのは、不公平感というよりも、読者としてもったいないというフラストレーションが残ります。そうして主人公と関わりを持った女性が2人とも不幸な終わり方をして、主人公は成功の道を歩むというラストは、やっぱりどこか腑に落ちませんでした。青春小説としては、そこそこ読ませるのですが、そのあたりが、ちょっと引っかかりました。

06.説得できる文章・表現200の鉄則[第4版] 永山嘉昭、雨宮拓、黒田聡、矢野りん 日経BP社
 ビジネス文書、ウェブサイト、電子メールでの文章の書き方についての説明書。今時のビジネスやウェブサイトでは短時間で要点が把握できる文書でなければ読んでもらえない、そのためにどうするかということが主要なテーマになります。誰に読んでもらいたいかを想定し、読者に必要なことだけを書く、結論を先に書いて理由はその後、短い一義的な文を書くなど。う〜ん、わかっちゃいるけど、実践するのは難しいところです。読む方も短時間でないと読めないでしょうけど、書く方も時間がたっぷりある訳じゃないですからね。常用漢字や送り仮名の振り方、漢字とかなの使い分けについては、他のところのフレキシブルさと違ってけっこう堅苦しい/役人っぽいこと言っています。漢字とかなの使い分けの一覧表が末尾にあって、そうかなとも思いますが、こんなの覚えてられません。だから、この本を買えと言いたいのでしょうけど。

05.まいなす 太田忠司 理論社
 英語読みするとマイナスになる自分の名前が嫌いでマイナスイメージを持たれたくないために律儀に頑張ってしまう中2の少女那須舞が、地元の伝説の「時渡りの祠」を通ったと言って橋の崩壊と中学での殺人事件を予言した先輩の引き起こす騒動の謎を解いてゆく青春ミステリー小説。主人公が、校則や決められたことはきっちり守り、読書好きで46歳の伯父さんが好きで判断力のあるいい子という設定。その舞を時渡りの祠まで案内させて事件に巻き込む同級生茅香は美人でジコチュウで物事を知らないという設定。舞は私たち親世代には好感の持てるいい子ですが、今時の子どもからすれば杓子定規の堅物となり、茅香の方が普通っぽいと感じそうです。その舞が46歳の伯父さんに導かれて謎を解いてゆくという設定ですから、読んでる最中からこの作者きっと私たちの世代だよねと思ってましたが、やはり私より1歳年上でした。事件を起こした動機部分が読んでいて今ひとつですが、まぁ現実の事件とか中学生ってこんなものともいえるでしょう。ミステリーの部分よりも、ちょっとした見方・考え方の変化で人の評価が変わったり悩みが解消したりする、一種の成長ものとして読んだ方がいいかなという気がしました。

04.パパママムスメの10日間 五十嵐貴久 朝日新聞出版
 交通事故の衝撃で父親と娘が入れ替わるという「パパとムスメの7日間」(2006年10月に紹介)の楊の下のドジョウを狙った続編。今度は49歳になった窓際族サラリーマンの父親と大学生になった娘の他に母親も一緒になり、父親が母親(妻)の体に、母親が娘の体に、そして娘は前回同様父親の体に入りと、より複雑にしましたが、ほとんど新味はありません。前回は仲間に入れてもらえなかった母親の専業主婦としての愚かさ、嘆き、愚痴、寛容が付け加わり、娘のジコチュウぶりが少し改善されて丸くなり、その分小説としての毒も減り、家族の理解・家族愛をより強調した作品となっています。最初にこれが書かれていれば、それなりの驚きとほのぼのした味わいを感じたと思いますし、初めて読むのならそこそこ面白く読めると思いますが、設定や話の流れがすでに読んだ前作と代わり映えしませんから、前作を読んだ上で読む読者には、何を今さら、だからどうしたの?っていう感じです。私には、どうして前作に加えてこれを書く気になったのか理解できませんでした。

03.日本大使公邸襲撃事件 ルイス・ジャンピエトリ イーストプレス
 1996年12月17日から1997年4月22日のペルー日本大使館占拠事件について、人質だった元ペルー海軍提督(事件時国立海洋学研究所長、執筆時ペルー副大統領)が大使館内のテロリストと人質の様子を書いたノンフィクション。日本人人質たちが賭け麻雀に明け暮れる様子(168頁)や著者らが脱出作戦を進めるにあたって日本人は信用できないと考えたこと(145、159頁等)など、現地からの日本人に対する視点に目を開かせられます。女性テロリストを口説いて仲良くなった日本人人質もいたと書かれていますし。テロリスト側は、初日に女性人質全員を解放し、その中にはフジモリ大統領の母と姉もいて、著者は信じられない光景に目を疑ったと書いています(56〜57頁)。フジモリ大統領は母と姉の釈放を知り安心して囚人解放の要求に絶対応じないと決断したとされています(91頁)。テロリストの方がよほどお人好しだったということですね。大使館内でミニサッカーをするのが日課となり、その隙をつかれて強襲されたわけですし。突入部隊は最初からテロリストを見たら必ず頭に2発撃ち込んで息の根を止めろと指示されていたとのことです(228〜229頁)。そして克明に書かれた日記や政府に抗議する手紙は事件後大使館内から消えて行方が知れないそうです(171頁)。著者が友人が隠し持っていたポケベルと政府側が差し入れに仕掛けていた盗聴器を通じて大使館内の様子を連絡し続けていた経緯が、大使館内の人質やテロリストの言動と並んで読みどころです。記述の流れの関係上、大使館外のフジモリ大統領や軍の状況の記載がけっこうありますが、当時著者が知り得なかったことがらについての根拠ははっきりしません。共著者として2人の名前が挙がっていますがその経歴紹介がありません。政府関係者だというなら大使館外の様子はその共著者が書いたのでしょうか。そのあたりの説明が全くないのは不親切だと思います。あわせて著者が大使館内の部屋に「アルファ」「ブラボー」「チャーリー」〜「インド」と名前を付けていますが、このあたりは翻訳の際に部屋の並び順にアルファベット順に一種の暗号として付けているという説明があった方が日本の読者には親切だと思います。

02.五月の独房にて 岩井志麻子 小学館
 福岡美容師バラバラ殺人事件をモデルに受刑中と仮釈放後の元被告人の様子を推測でふくらませて貶めた小説。事件の設定はほぼ福岡美容師バラバラ殺人事件のままで、場所を岡山にして固有名詞を少し変えただけです。それでいて、「本書はあくまでもフィクションであり、実在する団体・個人とは一切関係ありません」だって。ノンフィクションを書けるほどの調査をするわけでもなく、事実をきちんと書こうとする気概もなく、「フィクション」だなどと逃げを打つこの姿勢に吐き気がします。では、小説として作者が創作した部分はどれだけあるのでしょう。事件の関係はほぼ現実の事件の報道を引き写しています。語られる主人公の主張は結局のところ、嘘と妄想、自分勝手と読めるように構成されています。これを読んでも、主人公が身勝手なヤツだというイメージしか持てません。作者が独自に創作したと考えられる仮釈放後の様子など、反省の色は全くなくただ老いたことを指摘されたことに大きな衝撃を受け美容整形に走り金を浪費していくという始末で、ますますそう感じられます。端的に言えば、事件の元被告人について、週刊誌が書いたことと週刊誌の視点からの評価をふくらませて書き連ねているだけです。書いている媒体も週刊誌ですし。その意味で小説になって加えられた新たな視点はないと思います。ノンフィクションが書けるほどの調査と責任感もなく、物語を一から構想する努力もなく、実在の事件の設定とその知名度を利用して大した創作の努力もなく安易に原稿料を稼ぐ、志の低い執筆姿勢に呆れます。主人公の気持ち・心理を語る場面で「だろうか」というような問いかけの語尾がずいぶん目につきます。主人公の内心でさえ自分で創作した作品と言えないことを象徴しているように思えます。「変な人達は今も時おり、何か言ったり訪ねてきたりします。彩子のことを書いて本を出したいとか、その際のお金の取り分はネタ提供者と折半でどうのこうの、とか。なんなのでしょうね、ああもお金に困る人達って。そりゃお金は誰でも欲しいし、大切なものですよ。でも、あんな剥き出しにした欲しい欲しいという気持ちを少しも恥じず、掠め取るような真似をしても手柄に数えたりする。きっと、人の種類が違うのでしょう。私ももう金輪際、関係を持ちたくないあの人や、変な物書き。」(353頁)という言葉が主人公の姉の手紙に出てきますが、作者自身まさにこの「変な物書き」だという自覚がないんでしょうか。事件から15年が経ち、元被告人の出所も近い時期になって、わざわざ、こういったノンフィクションとしての価値も文学作品としての価値もない、関係者、特に元被告人を貶める文章が執筆され掲載されることは、日本社会の民度と人権感覚の低さをよく表しているようで大変残念です。

01.正社員が没落する 「貧困スパイラル」を止めろ 堤未果、湯浅誠 角川oneテーマ21
 マイノリティや非正規雇用労働者だけではなく、中流層が競争を強いる構造に耐えきれなかったりちょっとしたきっかけで没落して貧困に陥るようになっているアメリカと日本の状況を論じた本。民間保険のコスト削減要求のために治療法が制限されて医療の質が落ち、医師のリストラのために過重労働に陥り、医療過誤も増え、医療過誤の保険料が高騰した結果、誇りを失い過労に陥りそして収入の大半を保険料に充てざるを得なくなって低所得者層に陥った医師たちと、生徒の成績などでのノルマを達成できないとリストラや廃校が待っているという「自己責任」のチャータースクールと「落ちこぼれゼロ法」に追われて過重労働と鬱状態から辞めていく教師たちといった、高学歴の中流層が市場原理に飲まれて貧困層に陥っていくアメリカの状況が最初に説明されます。しかし、アメリカでは、寄付・チャリティが富裕層のステイタスでもあり、慈善の精神が根付いているので教会主体のスープキッチンと呼ばれる無料給食所に行けば餓死することはない。アメリカではホームレスは依存症の問題と捉えられていて、失業しただけでホームレスにまでは落ちない。しかし、何でもアメリカのマネをして競争原理の新自由主義政策を推進する日本には、医療保険以外の社会保障は貧弱で(しかも医療保険も急速に削減し滞納者からは保険証を取りあげて貧困者からは医療を奪うようになっている)生活保護は申請できるような広報はなされず申請しても行政の水際作戦で事実上受給できないことが多く、そしてチャリティは根付かずNPOも少なく弱いため、失業が直ちにホームレスにつながり、餓死者も出る始末。日本でも正社員も人員削減と非正規雇用労働者の低賃金の圧力で過重労働を強いられ、賃金減額やリストラの脅威にさらされていて、多くの正社員がすでにワーキングプアといってよい状態だし失業によりホームレスになりかねない状態になっている。貧困を他人事と捉え、自分だけは生き残れるという幻想を持つことが、危険というより、今やそう考えていること自体難しい時代となっているというのが、著者の主張です。状況の評価だけでなく、当事者が語ることでメディア・社会を動かし、一政党の立場でなく政策で語るとともに有権者として政治家を巻き込み、消費者としての不買・ボイコット運動で企業を巻き込み、メディアは褒めて育てて、訴訟でも闘う、一個人ができる実践を提案していくというような解決へのメニューが最後に語られているところがいいですね。それを具体的にどう実践するかはさらに考えないといけませんが。

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