私の読書日記 2011年8月
21.ペンギンのしらべかた 上田一生 岩波科学ライブラリー
ペンギンの生態の研究者たちが調査方法を開発していく苦労やその結果わかったことなどを解説した本。ペンギンが鳥類の中でも最もよく研究されている理由は、ペンギンが飛べないから逃げられない、人間に致命傷を与える武器がない、手荒なことをしても簡単には死なないから捕まえやすく研究がしやすいからと、あっさり書いています(7〜9ページ)。ペンギンに記録計を取り付けるために捕獲するのにも、巣で雛を抱いているアデリーペンギンに姿勢を低くして近づき「?」型の鈎をつけた棒をそろそろと伸ばして片足に引っかけて棒を引き寄せるとペンギンがケンケンをしながら近寄ってくるのでもう片方の足をさっと引っ張って小脇に抱える(16ページ)って。様子が目に浮かぶようなひょうきんさですが、「おかしなもので、一度人に捕まって背中に装置をつけられたペンギンは、そわそわとしている。私たちが近づいているのを向こうが先に見つけて、きょろきょろと辺りを見回して、落ち着かない素振りを示すのだ。」(20ページ)って、おかしなものじゃなくてトラウマになってるんでしょ、それ。アデリーペンギンは、海中深く潜ったペンギンと浅いところにいるペンギンで魚を水面に追い上げる(64〜65ページ)とか、海中から陸上に上がるときは捕食者のウェッデルアザラシに襲われる確率を下げるために集団で上がる(63〜64ページ)とか、安全なルートを確保するために一列縦隊で歩いたり他のペンギンが通ったペンギン道を歩く(57ページ)など、集団行動がよく見られるペンギンの生態が興味深く書かれています。最近の研究では小型化した記録装置の発達が紹介されていますが、個体識別のために「顔認証システム」を利用しようとしての試行錯誤の話はちょっと笑えます。さすがに顔じゃなくて、腹部にある模様で識別しようとしているそうですが、動物園ではうまく行ったが野生のペンギンは数が圧倒的に多い上、他のペンギンの糞を浴びたり泥や正体不明の染みが付いたりで悪戦苦闘の末、赤外線カメラで撮影できる頭部の地肌が露出している部分の形状と組み合わせて識別するシステムを開発したとか(78〜81ページ)。そういうほほえましかったり、ちょっとペンギンがかわいそうだったりするあんまり難しくない話が続き、なんとなくペンギンへの親しみを強める本です。
20.アスベスト 広がる被害 大島秀利 岩波新書
アスベストによる被害とその救済の歴史と今後を解説した本。耐火性・絶縁性・耐腐食性が強く安価な材料だったアスベスト(石綿)はかつて広範な製品や建材に使用されていたが、ごく少量吸引しただけでも中皮腫・石綿肺・肺がん等を引き起こす危険な物質であることがわかり、日本では2004年に輸入・使用が原則禁止となり次第に規制が強化され、2011年3月には許容品目は実質的に1品目のみになっている(24ページ)。しかし、中皮腫はアスベストの吸引から平均40年の潜伏期間を経て発症し、いったん発症するとごくわずかな期間で死に至る。潜伏期間が長く、ごく少量の吸引でも発症するためどこでアスベストを吸引したか本人も遺族もわからなかったり記憶がなかったりして労災申請ができなかったり時効(死後5年)にかかったりする。その悲惨さから石綿健康被害救済法が制定されたが、給付金は死者1人につき300万円にとどまり、労災で時効救済の時限立法ができたりしたがそれも今は打ち切りになっている。行政は加害企業側を向いて、労災等の情報を公開せず秘匿して、被害者が自分がアスベスト被害者と気付くのを遅らせてきた。そういったアスベスト被害とその救済をめぐるこれまでの情報を整理しつつ、これまでにアスベストを吸引した人々が中皮腫を発症するのはむしろこれからがピークであり、現在の建築物に使われているアスベストが建物の違法(手抜き)解体や大地震で飛散してこれからもアスベスト吸引被害が続きうることを指摘しています。アスベストの場合、中皮腫・石綿肺という因果関係の明確な疾病(特異性疾患)があり、しかもその症状が重篤だということが、加害企業の中でもクボタのように早期に素直に謝罪して賠償制度を作る企業が出てきたり、不十分とはいえ救済法が比較的早期にできたことにつながっていると思います。放射性物質の被曝のように非特異性疾患(他の原因でも生じる疾患)がほとんどであれば、加害企業が因果関係を認めず徹底的に争い居直り、政府も国策優先で被害救済制度など二の次という姿勢になりがちです。その意味では、アスベスト被害者の中でも非特異性疾患の肺がんの場合、なかなか救済されない(それでも遺体を解剖して肺組織からアスベストが相当量検出されれば因果関係は立証されうるだけ、放射線被曝より有利といえますが、生きているうちは救われない)問題も残されていることになります。子どもの頃、理科の実験でいつも使っていた石綿網の材料のアスベストがそんなに危険な物だったなんてことを聞くと、人間の科学知識なんてまだまだだねと実感します。そして、危険性を知らず、あるいは危険性を知った後も安いからと使い続けたために、始末に困るアスベストが国中にあふれてしまったということを見ても、人間の危険物をコントロールする知恵と力の頼りなさを実感します。
19.迷子のアリたち ジェニー・ヴァレンタイン 小学館
故郷を捨てて一人ロンドンに流れ着いた17歳の青年サムが、住み着いたアパートで知り合った次から次に男を乗り換えて過ごす母の元で放置されている10歳の少女ボヘミアと、お節介な住人イザベルの押しつけもあって、仕方なく相手をするうちに打ち解け合うハートウォーミング小説。語り手が、サムとボヘミアで、原則として交互に語っていますが、それが左ページ欄外に図示されているのがわかりやすい。母親に放置されているうちに大人びたボヘミアが、人と会いたくない、自分を消してしまいたいと殻にこもろうとするサムの心を開いていく様子、さらにはサムのまわりの人々にまで心をかけていく様子が、ほほえましく、胸を打ちます。前半では警戒心と心細さに満ちたボヘミアの気持ちがイザベルやサムとのやりとりの中で変化していくところ、後半ではボヘミアの行動を通じてアパートの住人やサムのまわりの人々も変化していくところが読みどころかなと思います。
17.18.タラ・ダンカン8 悪魔の指輪 上下 ソフィー・オドゥワン=マミコニアン メディアファクトリー
魔術が支配する「別世界」の人間の国「オモワ帝国」の世継ぎの15歳(8巻の途中で16歳になります)の少女タラ・ダンカンが、様々な敵対勢力の陰謀や事件に巻き込まれながら冒険するファンタジー。作者が10巻まで書くと宣言しているシリーズの第8巻でした(第8巻時点では作者もそのつもりだったようで、8巻下16ページには、「タラの体験をもとに、ゆうに十冊は本が書けるだろう」と書いています)。8巻で、タラが悪魔のパワーを取り入れて独裁者志向の強力な黒い女王をタラの内部に目覚めさせ、9巻が「タラ・ダンカンと黒い女王」というタイトルからして平和志向のタラと戦争・独裁志向の黒い女王の葛藤を描くとともに、おそらくは最終巻でマジスターを再度強力な敵にするために試作品でない悪魔の宝が何かのきっかけでマジスターの手に落ちるみたいな展開をして最終巻に至るというルートが見えかけたのですが、作者が12巻まで書くと言いだし、2巻分の寄り道が追加されることになりました。8巻では、7巻で父ダンヴィウの幽霊を生き返らせようとして「別世界」への幽霊の大量進入を招いたことへの制裁として「別世界」を追われ地球で過ごしていたタラが、別世界の各国で元首とその周辺やタラの友人(日本語版では「魔法ギャング団」、原書では
taragang )とその家族が襲撃され、その背後にいるのがオモワ帝国のリスベス女帝を乗っ取った悪魔の指輪であることを知り、移動の門の封鎖を乗り越えてオモワ帝国に向かうために煉獄に行き、そこで悪魔の王子アルカンジュと虚々実々のやりとりをしたあげく「別世界」のランコヴィ王国にたどり着き、そこで襲撃されて背中に悪魔の指輪の破片が入って下半身不随となり、親友カルに車椅子を押してもらい2人でオモワ帝国の王宮に乗り込むが・・・という展開です。この過程で、セレナとタラが男性にもてる理由が曾祖父マニトゥーが作った惚れ薬と祖母イザベラの魔法の相乗効果と判明し(そのためセレナとタラが周囲の男性の愛情に猜疑心を持ちますが)、マジスターや煉獄での悪魔の王子との会話で悪魔と人間の歴史や悪魔のパワーについての謎を説明するなどして、読者のニーズに応えています(7巻で私が持った3人の子持ちのアラフォー女性のセレナが突出してモテモテの謎も説明されていますし)。そしてタラの中にさらにパワフルで冷酷さと独裁志向を持つ黒い女王を共存させることで、新たな展開をつくり、タラの友人たちの恋愛関係を収まるべきところに収めてエンディングへの準備をしつつ、アルカンジュという魅力的な男性キャラを登場させることで含みを持たせる巧妙さを見せています。ここまで準備したらこのまま10巻で終わらせた方が、だらけなくていいと思うんですがね。ところで、上下巻とも、奥付の原書のタイトル表示が
"TARA DUNCAN ET L'INVASION FANTOMES" になっています。これ、7巻の原書タイトルなんですが。
女の子が楽しく読める読書ガイドでも紹介、7巻は2010年9月に紹介
16.ある日、ブルームーンに。 宮下恵茉 ポプラ社
まわりに合わせることが苦手でクラスで孤立しそのことで悩む優等生の望月結愛が、不良少年グループで金髪と外国人ふうの容貌で女子の人気を集めている蒼井瞬に惹かれていく青春恋愛小説。生真面目に考え込み、校則を破ることなど考えられず、「趣味・活字を読むこと、特技・暗記」で同級生の恋バナにも関心を持てなかった結愛が、恋に落ち、それを自覚して変わっていく姿が印象的です。大人びて年上の恋人たちと交際を続け、同じくクラスで孤立しながらギスギスした関係だった林田すずと打ち解けていく過程や、兄の恋人えりちゃんとの関係など女子サイドの描写は活き活きとしていて楽しく読めます。同じく変わろうとしていた瞬のサイドには、家庭の事情などを話そうとしない瞬、聞こうとしない結愛、自分の正義感・価値観で突っ走り空回りする結愛という構図だからですが、描き切れていない感じが残ります。絵に描いたような幸せな家庭でスタートした結愛の家庭でも父が死に、俊も不良グループの長谷川も大石も片親で林田もシングルマザーと、離別・死別家庭がたくさん登場するあたりが今ふうです。その親との関係、家庭環境の制約を、乗り越えるか受け入れるか諦めるかの描き方が、サブテーマになっているように思えます。タイトルのブルームーンは、この作品では1月に2回目の満月で願いをかけるとかなうという伝承にちなんでいます。「。」は・・・?
15.伝わる文章の書き方教室 飯間浩明 ちくまプリマー新書
人に伝わる文章を書くために必要な3つの力、語句を選んで使う力、的確な表現をする力、筋道立てて述べる力を伸ばすための訓練方法を論じた本。この本は、次のような訓練を挙げて、そのやり方と理由を示しており、読者はそれを自分でやってみるように繰り返し勧められます。語句を選ぶ能力を高めるために、決まった音(日本語で頻繁に使われる音)を使わずに文章を書く、漢語と和語を置き換える、決まった字数で書く。表現力を高めるために、他人の文章を、主語を使わずに書き換える、必要十分な中身に書き換える(例えば国語辞典の語釈を書くつもりで)、視覚情報を文章に置き換える(書かれたことが目に浮かぶように)。論理力をつけるために、多数の文からなる文章を「が」「て」を使わずにひと続きの文に書き換える、主観・感想を抜き取った文章に書き換える、「だから型」の文章を「なぜなら型」に書き換える。何らかの条件をつけて不自由に作文をしたり、書き換えをすると、ふだんより多くのことを考えざるを得ず、様々な発見があります。また、前後の文の脈絡をはっきりさせ、客観的事実のみを述べ、結論を先に示してわかりやすくするために「なぜなら型」の文章にすることは、論理的な文章を書く心得となります。これらの点から見て理にかなったものに思えますが、やってみるのはなかなか手間がかかります(この文章も著者が指摘する最も頻繁に使われる音「い」を使わずに書きましたが、軽くふだんの15割増しの時間がかかりました。日本語では「い」「お(を)」「の」「ん」「か」の使用を禁じられれば身動きが取れなくなるそうですが、「お(を)」抜きはおよそ無理と感じます。これは私の主観ですけど)。
14.タイ駐在のタイ入門 桑野淳一、大西純 連合出版
日本企業の海外駐在員、旅行者、研究者としてタイ駐在の長い著者らがタイの社会、政治経済、宗教、歴史、日タイ関係などについて、会話形式で解説した本。2007年の初版に「バンコク再訪」と題する第6章を追加して改訂版として出版したもの。タイの物価の安さ、特に高級ホテルや高級医療機関のサービスとその価格の安さを紹介して日本人を中心とする年金生活者がタイに多数定着している理由と解説しています。しかし、その「安さ」は日本人にとっての安さであり、貧富の差が激しいタイの庶民にとっては高嶺の花で、その社会構造が温存されてこその日本人にとっての暮らしやすさと、読み取れます。タイ人はあいまいはあいまいのままで白黒の決着を付けるのは好まない。そのため、弁護士は人気がない(50〜51ページ)って・・・人に使われるのがいやで起業家意識が強い(79〜81ページ)なら人気があってもよさそうですが。タイの首都「バンコク」は正式名称ではなく、バンコクと言われてもわからないタイ人がいる。正式名称は「クルンテープマハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッタナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシット」という世界で一番長い名前の都市で、現地の人はクルンテープと呼んでいるとか(148〜150ページ)(念のためタイの日本大使館のサイトで確認すると、次の通りとされていてちょっと読みや区切りが違うみたい。:クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット)。これを小学校で生徒に覚えさせてるって・・・まぁ私らも子どもの頃は「寿限無」とか覚えてたからその気になれば覚えられるんでしょうけど。「改訂版」で改訂したのは第6章の追加だけで、第5章までについては新しい情報は書き足されていない感じ。タクシンの妹率いるタイ貢献党が総選挙で勝利した(2011年7月3日)直後に出た本で、政治の話がタクシン失脚(2006年9月)で止まってるのはやはり残念。
13.スーサ あさのあつこ 徳間書店
何でも取引できどこにでも行ける不思議な商人スーサと取引した人々の話。第1話は娘を森で胸を射て殺された鍛冶屋が娘の遺体の首と引換に娘を殺した犯人を知りたいという話。第2話は友達と口げんかをして後悔していたところにその友達が死に謝りたいためにもう一度会いたいと望む少女が子どもの頃から伸ばしてきた黒髪と引換に異界に向かうという話。いずれの話でも、スーサは複数の依頼者と取引を進め、当初の想定と違う諍いの利害を調整し、読者を意外な展開に誘い込むという趣向です。第1話が66ページでそれなりに話がまとめられているに対して、第2話は217ページと大きくバランスを欠いた上、展開させすぎて少女たちがそこに絡む必然というか因果関係が全然見えず、落としどころが納得できません。事件と依頼者の時代もシチュエーションもまったく変えていることからして、作者は続編を書く意思満々に見えるのですが、第2話で終わってるのは、掲載媒体の「SFJapan」(徳間書店)の休刊のためか、第2話が今ひとつのためか・・・
12.月のさなぎ 石野晶 新潮社
樹海の奥深くに設けられた学園で人々から隔離されて育てられる生まれてから18歳になる頃まで性を持たない月童子たちという設定の下、天性の歌唱能力と驚異的な聴力を持ち感情を表さない空、演劇部の貴公子として月童子の憧れの的の薄荷、空とコンビを組み美しいソプラノの美声に恵まれながら空への劣等感に悩まされ薄荷を慕う小麦ら月童子たちの恋愛と、学園や月童子の祖とされるサラと6人の官女たちの謎をめぐるファンタジー。18年近くも生きてなお自分の性が定まらず、なりたい性になれるかどうかの不安を持ち続け、自分が愛する人との恋愛が後日定まる性とそぐうものか、思い描いた性と異なってもその恋愛感情を維持できるのかに思い悩み、決断できない不安定感・焦燥感に苛まれる月童子たち。性が後から決まるというアイディアが浮き彫りにする恋愛は性を乗り越えられるか、また性は恋愛の決定的な要素なのかという問いかけに考えさせられます。ストーリーの展開では、薄荷や小麦は性へのこだわりから抜けきれませんが、その思い惑いの過程や、超越したような空のありようは、その問題を提起しているように思えました。作品としては、月童子とは何なのか、学園の目的は、そして学園に潜入した者の正体と目的は、というミステリーになっていて、それはそれで楽しめるのですが、私には、むしろ、空と薄荷と小麦たちの人物造形と恋愛観、悩みといったところの方が読みどころかなと思えました。ところで、主要な登場人物が空と薄荷と小麦って、この作者、石井睦美のファンなんだろうか・・・
11.永遠 小手鞠るい 角川書店
19歳の時、親友だった奈々子とその恋人の議員秘書との3Pで処女喪失し、その後バツイチを経て現在は42歳の有望な衆議院議員柏井惇と不倫の関係を続けている39歳短大教員の由樹が、柏井との自由で幸福な不倫関係から、自分の過去へのこだわりと柏井の行動への疑問を機に揺れ動いてゆく様子を描いた恋愛小説。19歳の由樹の初体験の男が誠実な男に描かれているのですが、これかなり無理があると思います。途中でやめてって言ってる19歳処女に中出ししようとしてるし(127〜129ページ)、奈々子を追い出してもう一回しようとするし(139ページ)、仕事に行く時間になったらもう眼中にないし(154〜155ページ)、連絡するって由樹が電話番号言おうとしたら奈々子に聞けばわかるって言ってそのまま連絡しないし(162ページ)。それにそもそも由樹を引っ張り込んでの3Pなんて奈々子が言い出すってことは考えにくくて、普通に考えてこの男が奈々子に飽きたから誰か友達の新しい女呼んできてよって言い出したんだろうし。どうして由樹がこの男を誠実な男と評価するのか、その過去を美化してこだわるのか、最後まで理解できませんでした。私程度の恋愛経験ではそういう男女の綾はわからないのかも・・・
10.アクアリウムにようこそ 木宮条太郎 実業之日本社
市の観光事業課に勤める公務員の嶋由香が突然市立水族館に出向させられてイルカ飼育を担当することになり、失敗を繰り返しイルカに遊ばれながらイルカ飼育に目覚めて行きつつ、無愛想な先輩に次第に心惹かれていくという、青春恋愛小説。まるっきりのど素人で飲み込みは悪いのに、なぜかイルカの受けはよく本人が意識しないうちにイルカに難易度の高い技をやらせている、ドジなのにある一面ではなぜか天才的って、まぁおきまりのパターン。先輩との恋愛も、無愛想なキャラと不器用なキャラの組み合わせで、まどろっこしい、じらしの続く、これもまぁいかにもというパターン。水族館の飼育係(現場)の職人気質と意地、こだわりと、管理者の論理と経済事情と悩み、水族館が抱える矛盾と飼育・運営の難しさ、そういう部分で話を持たせ読者の興味を惹きつつ、メインストーリーは予定調和的な展開で読者の期待を裏切らないという読み物かと思います。
09.チャコズガーデン 明野照葉 中央公論新社
井の頭公園に面した超高級マンションの住人たちをめぐるちょっとした不審な動きを機にマンションの管理組合が対策を講じる過程で住人間の感情的対立や秘密が次第に明らかになり、それに巻き込まれていく中で住人間の連帯も示されていく、ご近所人間関係小説。大企業定年退職者の夜逃げ、積立金の横領、債権者のカルト集団の侵入、子どもや夫の事故死、離婚といった不幸が、人にうらやましがられるような超高級マンションの住人にもあるという、ある意味では当たり前のことを、改めて実感させ、マンションという共同生活の中では日頃まったくつきあいがなくてもひとたび事件があれば否応なく関わって行かざるを得ないというこれもある種当然のことを再認識させる小説です。ミステリー仕立ての部分もありますが、こちらはそれほど謎が貫かれているわけでもなく、あくまでもミステリーの雰囲気を伴っているという程度に読めばいいでしょう。
08.日本の食糧が危ない 中村靖彦 岩波新書
日本の農業の現状を食糧自給、食糧安全確保の観点から論じた本。日本の食糧が、低価格競争の点から輸入、特に中国からの輸入に依存し、飼料もそのほとんどを輸入に頼っており、他方、国内の農業は生産調整と担い手の減少から作付面積が減少し、農業労働を中国人研修生に頼る場面が増えていること、輸入は中国の消費拡大で中国が輸出国から輸入国に転換しつつあることやアメリカでトウモロコシが飼料用からバイオエタノール製造用に移る傾向、天候不良等によって不安要素が増え、中国人労働者も「研修生」の建前上同じ労働者が来日できず今後中国国内の生活向上により来日の魅力が薄れることが予想されるなどの不安要素を抱えていることなどが指摘され、民主党政権下で制度化された戸別所得保障制度が米から飼料米等への転作奨励の効果はあるが予算が足りないことから本来必要な野菜等について制度化できず米についても予算の限界上大きな効果は望めないことなどが論じられています。タイトルからは食糧全般の話に思えますが、米と飼料米の話が中心になっていて、飼料米の話から畜産に言及され賞味期限切れ食品の飼料利用等も出てきたり、野菜がごく一部触れられているという感じです。「農政」を論じるのであれば、農政が米中心に進められてきたことからそれでいいのでしょうけど、食糧全般の話として読むにはちょっと偏ってるかなと思います。そういう長期的に見て厳しい条件下にある日本の農業が、福島原発震災でさらに危機的になってしまいました。原発推進しか考えてこなかった保安院の役人たちと電力会社、原子力村の連中のために、東日本一帯に放射性物質がまき散らされ、野菜のみならず稲わらも堆肥も汚染され牛も汚染されて、食糧の汚染と風評被害で輸出は壊滅的になり、国民の食の安全は大きく脅かされることになってしまいました。農政の失敗のみならず原子力政策の誤りも食糧安全保障に多大な影響を与える、そういう気がつきたくなかった真実を否応なく知ってしまった今、原子力推進派しかいない「ポスト菅」の政争を私たちはどう見ればいいのでしょう。
07.からまる 千早茜 角川書店
ときどき気まぐれに訪ねてくる謎の女に惹かれていく役所勤めの筒井武生、武生に言い寄り一夜を共にしたがその後避けられて落ち込みレズを公言する華奈子に慰めを求める男好きの田村、妻との軋轢を避けて距離を置き妻に不倫されても文句も言えず一人渓流釣りを続ける武生の上司の係長、学生時代にスナックでバイトをして客とできちゃった婚した武生の姉恵、幼なじみの斎藤が内心嫌々クラスの金魚の世話を続けるのを見て金魚を殺してしまい担任や両親から心配される恵の子蒼真、蒼真の家庭教師でもあり血のつながらない兄に強引に心と体に分け入ってこられたときに感じたどす黒い感情と欲望に縛られる華奈子、蒼真に星砂を渡した重症患者大原と病院で遭遇した自らは小学生の頃溺れた臨死体験を引きずる武生の恋人葛月の、それぞれの恋愛をつづった短編連作。葛月と華奈子のキャラ設定と強さと心の揺れ具合が魅力的で、係長と恵の夫篠田の変化が温かみを感じさせます。連載+書き下ろしで連作の輪がつながり、読み物としてよくなっています。
06.ビリジアン 柴崎友香 毎日新聞社
大阪のミナミの学校(小学校、中学校、高校、予備校)に通う山田解の日常の中のひとこまというか、雑感的な短編の連作。舞台が大阪で登場人物が基本的に同じというだけで、時期は行ったり来たりでエピソードのつながりもなく、雑誌連載では小説というよりも作者の思い出のひとこま的なエッセイの感覚で読み流すのにちょうどよさそうですが、一冊の本として読むには、ストーリーも追えないし、つらいものがあります。どこかけだるげなフラストレーションがたまっているような投げやりな雰囲気は伝わるのですが、ストーリー展開もカタルシスもないので、その吐き出し口がなく、終わります。いきなり大阪の街に外人ミュージシャンが登場し、日本語でしゃべりいなくなる、それが夢のひとこまという説明もなく、事実なんだか思い出なんだか夢・幻想なのかの区別もなくつづられるのは、読んでいて気恥ずかしい。小説の実験的試みの一つかもしれませんが、いろいろな意味で私には苦手な読み物でした。
05.勲章 栗原俊雄 岩波新書
勲章について、明治政府で勲章の制度が作られた経緯、戦前の運用、戦後の生存者叙勲の停止と復活の経緯、選考過程や拒否者、勲章の売買などをレポートした本。勲章は、その発端は外交上の道具として外国の要人に授与する必要性からスタートしたが、国家のために働いた人々への栄典として皇族、高級官僚、軍人中心に授与されてきた。戦後批判を受けて生存者叙勲を停止したが、文化勲章や財界人への授与を前に出して生存者受勲を復活、官尊民卑の是正や一等二等の呼称の廃止などの微修正をしたものの、明治期の太政官布告に基づく勲章制度がそのまま運用され続けている。勲章を得たりより高位の勲章を受けるべく運動する人々や拒否する人々、勲章を売る人など勲章の周囲には様々な評価が併存するというようなことが語られています。本来、国のために働くのが仕事でそれで税金から給料をもらっている政治家・公務員が、国のために働いたことを理由にさらに税金を使って勲章をもらい、そういう制度を作り維持しているのは、政治家と官僚の自作自演、お手盛りの制度でばかばかしい限りだと思います。第6章の受章者、受章拒否者の有り様が一番興味深く読めました。大勲位の中曽根康弘は、1963年当時には「政治家は勲章をやる方で、もらう方に回ってはいけないという持論」だったとか(153ページ)。無差別爆撃への戦術転換を主導し一夜にして10万人が死んだ東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲一等旭日大授賞が贈られている(167〜170ページ)とか。日本の役人がやることは実に立派だ。他方、衆議院議長経験者では土井たか子、首相経験者では、細川護煕、宮沢喜一が辞退しているそうです(177〜179ページ)。人品というのはこういうところにも表れるのでしょうね。
04.翼 白石一文 光文社
有能なキャリアウーマンの田宮里江子が、大学時代の親友島本聖子の恋人の医師長谷川岳志から聖子の紹介で出会った翌日にプロポーズされ、それ以来岳志を避けその結果聖子とも疎遠になっていたが、10年余を経て東京で再会し、聖子の夫であり2児の父となった岳志から改めて一緒に暮らしたいと言われて戸惑いつつ、運命的なものを感じていくという恋愛小説。「死様」をテーマとした競作の1つ。堕落して妻に暴力をふるい金を持ち出し他の女に注ぎ込む弟伸也と別れて恵まれた再婚をした元妻朝子が、別れた後に別れたくなかったと後悔し伸也の子を身籠もる姿と重ね合わせて、世間の常識と関係ない、直感・運命こそすべての恋愛を提示し、里江子の慕い続けた上司城山の進退と合わせて自分のことをよく知るものの死は自分の死よりも致命的な死という考えを打ち出しています。考えとしてはそういう考えもありだとしても、岳志の行動は思い込み一本で責任感ゼロの上、その「愛する」相手のことさえ顧みない手前勝手なもの。それによって親友を奪われることになる里江子からも聖子からも許し難いものと思います。それが、最後には何か尊いもののように描かれていくのは、作者が男性であればこそかなぁと感じました。「彼はただ私と共に生き、私と共に死にたかっただけなのだ。どうして私はそんな簡単なことを受け入れてあげなかったのだろう。」(210ページ)って。東京大学医学部出身のエリート医師がそこまで思い詰めてくれたのなら受け入れるのが当たり前だってことでしょうか。どうして「そんな簡単なこと」っていえるのか、その感覚が私にはどうしても理解できませんでした。
03.次世代インターネットの経済学 依田高典 岩波新書
インターネットを支えるデジタル・コンテンツ、通信ネットワーク、基本ソフト、課金・認証システム等について、日本と欧米の状況、歴史と今後を経済学の観点から解説する本。「はじめに」で、執筆の経緯を、クリス・アンダーソンのベストセラーが語る無料ビジネスの台頭についてインタビューを受けたことを挙げ、「情報通信経済学の専門家の立場からは、荒唐無稽な主張である」「ブードーエコノミクス(魔術経済学)」などとこき下ろしているので、論争的な本かと思いましたが、そういう部分は第1章の一部だけです。経済学の観点からの説明は、どちらかというと地味で、過去の成功例の説明はわかりますし、過去に普及した(今では)非効率なシステムがより好ましい新たなシステムの普及を妨げており政策の介入を要することなどはわかりますが、全体としてはあまり明快とは言いにくい。現実の経済のそれも未来に向けては、簡単な回答がないのは、仕方ないしそういうものでしょうけど。第4章とか、終章を読んでいると、日本の政治にコミットしてきた経済学者たちについて「郵政民営化をめぐって様々な『経済学者』が登場したが、彼らの多くは自称経済学者である。」(162ページ)などの他の経済学者批判、ソフトバンクやNTTが自分を訪ねてきた話などが目に付きます。京都大学経済学研究室も現代政治のプレイヤーの仲間入りをしているのだなと、「反戦自由の伝統」にノスタルジーを感じる時代に取り残された京大出身者としては、世の変化を感じます。
02.ラブ・ケミストリー 喜多喜久 宝島社
東京大学農学部大学院修士課程に在籍する天才有機化学者藤村桂一郎が、美貌の新人秘書真下美綾に一目惚れし、天才的なひらめきを失ってスランプに陥ったところに、死期が近づいた者にこの世への未練を持たせないように1つだけ願いを叶えるという美貌の死神カロンがある者の依頼によって藤村の才能を復活させるべく登場して絡む化学オタク恋愛ファンタジー。天然物の構造式を見るだけで最適の合成ルートがひらめくという才能を持ち、大学院生にして幾多の困難な天然物の合成に成功し、世界のトップレベルの研究者と競い合い、いまや化学界の「フェルマーの最終定理」とさえ呼ばれるプランクスタリンの合成に挑んでいる主人公が、その準備中に秘書に一目惚れして才能を失うという設定。もちろん、その天才的才能は作者の荒唐無稽ともいえる憧れによるものですが、恋に溺れて才能を失うというところが笑っちゃうというかかわいい、けどありそうな気がして、巧みな感じ。カロンのキャラは萌え系のライトノベルにありがちなパターンですが、主人公と同じ出身で製薬会社研究員の作者の有機化学オタクのディテールが効いていてそれだけでも読ませますし、「依頼者」をめぐるミステリーの構成もぴったりはまって、読み物としては十分楽しめます。
01.自分と未来のつくり方 石田英敬 岩波ジュニア新書
抽象化され規格化された製品・欲望・ライフスタイルなどをめぐる情報が絶えず与えられ続ける情報産業社会の中でいかにして自己を確立していくかについて中高生向けの授業を通じて述べた本。ミヒャエル・エンデの「モモ」を教材に、生き甲斐としての労働と職人・職業人が持っていたノウハウや子どもたちが持っていた想像力と人の話を聞く力、ゆったりとした時間を、規格化され抽象化されて「時間」で買うことができる労働と規格化され「みんな」に共通な消費・購買に向けられた欲望へと誘導して行った灰色の男たちに象徴される情報産業社会の姿を論じ、大量生産大量消費のために憧れのライフスタイルを提示して人々の欲望を規格化していく文化産業、実物・本物を見ることなく影・情報を見続けて人間の身体的・時間的制約を乗り越えつつ自分の本来の欲求がわからなくなり想像力を失った人々という現状を提示していきます。この情報産業社会で想像力を取り返すために、著者はいったん情報をシャットアウトして自分で考える時間を持ち、その上で情報を発信してゆくことを提案しています。生まれたときからインターネットがあった世代にとって、いったん情報をシャットアウトして考えたら自己の姿が見えるかはわかりませんが、そういう意識を持つこと自体価値があると思います。現代の情報社会へのアンチテーゼが、今も「書を捨てよ、町へ出よう」なのが、全共闘にちょっと遅れてきた青年の著者の世代を象徴している感じがしますが、メディアの危険性と同時に道具としてのメディアの有用性も説いているあたりは現代的・現実的対応と感じられます。
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