私の読書日記 2012年9月
23.足利義満 小川剛生 中公新書
室町幕府3代将軍足利義満の権力掌握、特に公家社会への浸透の経緯について解説した本。鎌倉幕府の将軍たちは、朝廷・公家社会での儀礼や文化に口を出さず、朝廷のことは摂関家や公家に任されていたが、義満は若くして権大納言(尊氏の最高官位)、右近衛大将(右大将:頼朝の最高官位)となり、さらに左大臣、太政大臣と官位を駆け上り、上皇(治天の君)のなすべき政務を行い、明の皇帝から「日本国王」と呼びかけられ、死後には朝廷から太上天皇の尊号を贈られている。背景には、自らの経済力では定例の儀礼を行うこともできず何年も儀礼を省略していた朝廷・公家の事情、義満の周囲の公家・文化人たちの思惑、国家間の関係よりも貿易による利益を重視した義満側の事情と義満の最初の書状に記載された准三后(皇后・皇太后・太皇太后に準ずる地位)の位が中国にはないもので義満の書状の失礼さ加減が明側にわからなかったかもしれず明の皇帝が叔父(後の永楽帝)の反乱に遭っていたとかの明側の事情があった(224〜227ページ)ことが指摘されています。そういう説明も興味深く読めましたが、後円融天皇の愛人で(後の)後小松天皇の母である上臈局厳子に義満が手をつけた(さらに後小松天皇の愛人の上臈局にも4代将軍義持が手をつけている)とか(89〜91ページ)、他人の妻を次々と召し上げて自分の愛人にした(278〜280ページ)とかのエピソードの方に義満の傍若無人ぶりを感じてしまいます。もっとも、当時の公家社会では「密通」は処罰されることもなく、妻を召し上げられた後も旧夫は妻との関係を続けることができそれが発覚しても妻としての務めをやめることがなければ妻と主君の関係も続いた(281ページ)そうで、それもまた驚きます。
22.ポニーテール 重松清 新潮社
小学2年生で母と死別し父親と2人暮らしだった小学4年生のフミと小学2年生で母がIT企業経営者の父と離婚した小学6年生のマキが、親の再婚によって同居することになり、おそるおそる心を開いていく経過を描いた小説。無愛想で友達も作らずフミの父ともなかなかなじまないマキ、マキと仲良くしたいと思いながらとりつく島のないマキの態度に傷ついたりマキの母を今の母と思おうとしながら死んだ母への思いに悩むフミの葛藤がテーマです。フミの側から、計り知れないマキの心のうちをおもんばかる書き方ですが、実はマキの心情がまた切ないという読後感を持ちます。マキの心の内を謎めいたままにしたいという思惑からでしょうけど、最初の3章はフミの視点から、後半はそれでは膨らまないためか、フミの死んだ母の語りにしています。第4章では、それまで時系列に沿って進んできたのに突如時間を戻して別の登場人物を出した挙げ句にその人物はその後出て来なかったり、当初連載の苦労がしのばれます。タイトルは、自分の髪が硬くて癖毛でうまくまとまらないけど、マキとおそろいのポニーテールにしたいと憧れるフミの思いを示すもので、フミの心情にもマキとの心のふれあいにもマッチしたラストにうまくフィットしています。
21.鳴いて血を吐く 遠田潤子 角川書店
幼いころ母から虐待され言葉が出なかった少女実菓子と実菓子を引き取った旧家藤屋のアレルギー体質の長男不動、父親に無視され不動にかばわれ続けた次男多聞が、長じて実菓子が多聞のギター伴奏に合わせたヴォカリーズ(母音のみでメロディを歌う歌)と不動のイラストで大ブレイクし、不動が実菓子と結ばれた後非業の死を遂げ、多聞は他の女性との結婚生活に破れて、多聞が実菓子の自伝を書き始めるという設定の親族関係ミステリー小説。山村の旧家の対立と濃密である種陰湿な人間関係、家族・近親間の怨念とその取り繕いを基調に、謎がさりげなくちりばめられ解き明かされていき、読んでいて飽きさせません。しかし、吉井が実菓子の自伝完成にここまで執着する理由は私にはストンと落ちませんし、実菓子の蔵の秘密についての謎解きの落ちはストーリーとしてはいいかなと思いますが実際の行動の動機としては無理があるしシニカルな言動とギャップが大きすぎるように思えます(ネットからブレイクしたアイドルの言動だからギャップ萌え狙いとか?)。
20.理想の上司は、なぜ苦しいのか 樋口弘和 ちくま新書
低成長時代に入り企業の収益性が悪化した現在の日本で管理職に求められるスキル・資質について論じた本。高度経済成長時代は管理職は部下の管理と育成を行っていれば済んだが現在は管理職自身が自己の業務を持ちながら部下の業務を管理し育成することが求められており、管理職は「偉い人」から「つらい人」に様変わりしている(18〜22ページ)と説明した上で、本来的にスタッフは自分の業務で結果を出せばよく自分の強みを生かせる部署に配属してもらえることが多いのに対して、管理職は部下を選べず能力の劣る部下(管理職はスタッフとして結果を出した人が登用されるのだから、自分の業務について部下よりできるのが当たり前)を使っていかに結果を出すかが問われ自分の人間としての幅の狭さ・許容量の小ささに気付きそれを乗り越えることが必要になる(58〜61ページ)、さらに上級管理職になると自分の弱みと向き合うことに加えて責任を楽しむという世界で仕事ができる器が求められる(63〜65ページ)と論じています。そして管理職として壁をスムーズに乗り越えられる人の特徴は、自尊心より好奇心が勝っていること、自分とは別の生き物である部下を理解しコミュニケーションがとれていること、仕事に対する信念があることの3つだそうです(120ページ)。組織論としては、また雇う側としてはそうだろうなと思います。この本では、評価制度と成果主義の導入について、日本では競争や賃金配分に重きを置くよりも個人の成長が組織全体の収益アップをもたらすように成長した人全員に報いられるように設計するのが理想だったが、収益が増えない中での年功賃金の破壊・人件費の再配分のために導入されたがためにモチベーションダウンから来る疲弊でさらなる収益の低下を招くことになったと指摘しています(81〜85ページ)。このあたりは、なるほどと思います。ライフネット生命の管理職インタビューでは、コアメンバーが数週間ヨーロッパに遊びに行って留守番は大変だったがみんな元気になって帰ってきてチーム全体にいい影響をもたらした、社長も毎年夏冬に1週間休暇を取っている、社長が1週間もいないとなるとみんなが会社を守ろうとがんばり始めるしみんなが休みを取りやすくなるとされています(112ページ)。厳しいビジネス環境をいつもいつも強調して労働強化を強いることが企業のためになるわけでもないことには、もっと目を向けた方がいいかなと思います。基本的に企業側のニーズを無条件に前提として現在の企業から求められる管理職像を論じているものですが、経営者側の問題点も読み取れる部分があり、参考になりました。
19.だれかの木琴 井上荒野 幻冬舎
ごく普通の主婦が美容室で担当した美容師からもらった営業メールに返信したところから次第にストーカー化していく展開を用いて、日常に潜む小さな狂気あるいは異常と日常の境界のあいまいさを描いた小説。主婦側は、担当して営業メールを送ってきただけの美容師に対して、会話の断片をヒントに自宅を探し回り、さらにはその彼女の勤務先まで押しかけと、行動をエスカレートさせていきながら、自分ではたいしたことじゃない、相手の反応が大げさ過ぎると自分に言い聞かせ続け、夫は妻の異常の兆候を感じながらそれに直面することを避け気付かぬふりを続け、しかし体は妻の異常を感じて妻との関係では不能となりあわてて娼婦を買いその余韻を借りて妻との性行為を維持しようとします。私は、自分が男だからでしょうが、主婦側の心理には到底ついて行けず、夫の方には同情を禁じ得ません。主婦が、傍目には明らかなストーカー行為に走りながら、それを異常だともやり過ぎだとも感じない(異常かなと微かに思ってもそうではないのだと自分で言い聞かせ自分としては異常ではないと納得している)のが、読んでいて非常に気持ち悪い。小説を読んでいて、残虐なシーンもないのに本当に吐き気がしたり、難しい表現は全くないのにこれだけ苦痛に思ったのは、私はこれまでの経験で記憶にありません。自分でも非常識なことをしていることはわかっている、わかっているけどやめられないという描き方なら、なんということはなかったと思うのですが。あえてそうしなかったところに作者の問題提起があるのだろうとは思いますけど。
18.白い鴉 新堂冬樹 朝日新聞出版
富裕層を狙い、最後に必ず「白い鴉」の署名を残していく天才詐欺師とそれを追う警察官を軸としたサスペンス小説。詐欺の被害にあうと本当に困る層は狙わない義賊的な志向の白い鴉が相手を巧妙に騙し続ける前半の痛快さと、人物像や怒りの内容を描いていきしかしいつまでも泳ぎ続けられないという後半のせつなさが読みどころだと思います。最初に白い鴉の正体を暴き結末を示す「序章」が置かれているので、ミステリーというのもどうかなと思いますが、「刑事コロンボ」的な、どうやってそこに至るかを読む読み物になっています。話の流れ具合からは、「白い鴉」が詐欺に成功する短編の連作で始めて、後半でその正体や警察側の動きを描き始めたところから話がつながって長編志向になったというような感じに読めます。白い鴉が騙し取ったお金を渡された側は、せめて白い鴉が正体を明かさずに渡していればいいですが、名乗った上で渡されてしまうと犯罪収益等収受罪になりかねませんし、受け取ったお金も犯罪収益として没収されるリスクがあります。白い鴉が一番渡したかった相手は、この小説の書きぶりだと救われません。そこはもう少しうまく設定すべきだと思うのですが・・・
17.事実婚 新しい愛の形 渡辺淳一 集英社新書
生涯未婚率が上昇していることを背景に、事実婚が法制度に取り込まれているフランスやスウェーデンの制度を紹介し、事実婚のメリット・デメリットを論じ、体験談を紹介して、事実婚の社会的認知を求める本。この本では事実婚のメリットとして姓を変える必要がないのでさまざまな手続の面倒がなく姓を変えない側(多くの場合夫)への従属感を持たずに済む、家同士のつきあいを要求されない、夫の実家の墓に入ることを避けられる、別れても戸籍に記録が残らずバツイチなどといわれずに済むということを挙げ、デメリットとして周囲の理解を得られず説明がめんどう(特に地方や高年齢層)、子どもが非嫡出子となる、税金と相続で不利ということを挙げています(57〜65ページ)。法律婚なら離婚が困難で事実婚なら容易かというと、そうとは限りません。この本の体験記では、周囲から夫婦の絆が薄いと見られがちなことから行事には夫婦で出席して夫婦であることを強調してきたので簡単には別れられない(91ページ)、一方が荷物をまとめて出て行ったらそれで終わりなので相手のことを少しでも大事にしようと思っている(74ページ)という話が紹介されています。男と女の関係は、一筋縄ではいかないもので、当事者の意識は周囲が考えるのとは違ってきますし、制度上のメリット・デメリットに尽きるものでもありません。この本の体験記等でも人により動機も問題意識も違っていることに表れているように、事実婚を選択している人の考えもさまざまです。姓が変わることがいやだというのが主要な動機の人は夫婦別姓を選択できる法律案が通ったら(今の日本の政治情勢では通りそうにありませんが)法律婚をするかもしれませんが、家同士のつきあいを要求されることが重いと考える人は選択的夫婦別姓が認められてもそれだけでは法律婚はしない(結婚相手の3親等までの親族が「姻族」として親族となる民法の規定が改正でもされない限り、あるいは法律レベルの話ではなくでしょうか)ということになるでしょうし、結婚という極めて個人的なことを国に届けることに違和感を持つ人(109ページ)はフランスやスウェーデンの事実婚登録の制度でも登録しないという選択をするでしょう。そういう意味では、現在事実婚を選択している人の全て、あるいは大半が夫婦別姓の法律案が通れば法律婚を選択するともいえません。そうだとすれば、政策的にはデメリットをどう解消していくかの方にシフトするのがベターかもしれません。発行日が11月22日(夫婦の日)っていうのは狙ってたんでしょうね。
16.ブリーダ パウロ・コエーリョ 角川文庫
魔術師の男と魔女ウィッカに「太陽の伝説」と「月の伝説」の教えを請う女子大生ブリーダの心の旅と変容を描いた小説。ブリーダに魔術師の男が説く「太陽の伝説」と魔女ウィッカが説く「月の伝説」は、私にはよくわかりませんでした。私は、むしろ魔法や知識の伝授よりも、魔術師の男やブリーダの母が中年を過ぎて恋に落ちるその描写の方に興味を持ちました。魔術師の男が、ブリーダを愛しく思いながらも魔女ウィッカを思い、魔女ウィッカとの会話を想像する場面で、「『私も年をとった。会話をひとりで想像するなんて』だが、それは年齢のせいではない。恋に落ちた男はみんなこんなものだ、と思い出した。」(254ページ)って。ちょっとドキッとしてしまう。38歳のブリーダの母が、初めて会った通りすがりの男と数時間会話を交わし続けて別れたことを振り返り「あの午後、私は彼の友人であり、妻であり、聴き手であり、恋人だった。ほんの数時間で、私は一生分の恋を経験したのよ」と語るシーン(243ページ)。そんなことってあるのかなと思いつつも、齢を重ねてこそわかるプラトニック・ラブの価値を思い陶然としてしまいます。メインストーリーの方を追っていると、ブリーダと恋人のローレンスとフォークの魔術師の三角関係の行く末、あるいはこれに魔女ウィッカを加えた関係の落ち着き先が気になってしまいますが、どちらかというとそこと離れたところでの恋愛をめぐるフレーズに心惹かれることが多い作品でした。
15.隠し事 羽田圭介 河出書房新社
同棲7年目の彼女に自分の大学時代の友人からメールが来たのを盗み見た主人公が、彼女の浮気を疑い、携帯を見るべきか思い悩み、見た後もメールからは判断ができず、同僚の女性に相談しながらあれこれと思案を続けるという小説。一緒に暮らす2人の相手のプライバシーへの対応、信頼感と猜疑心の堂々巡り、聞けばいいけど聞きづらい話といった距離感の微妙さ・もどかしさが、携帯メールを材料に描かれています。ある面わかるなぁという感慨と、そうまで思うなら直接いえばいいしそれがいやなら気にしないか開き直るしかないんじゃないかという感想とが頭の中で入り交じりました。どこまでわかりあえるかは、いってみれば永遠の課題で、謎が残るから男と女としてやっていけるという面もある。そういうテーマなんでしょうね。
14.司法記者 由良秀之 講談社
ゼネコン疑惑を国会議員検挙につなごうと焦る東京地検特捜部とその動向を探り煽る司法記者クラブの記者たちという構図の下、司法記者クラブの記者が別の社の司法記者クラブの記者の自宅で殺害される事件が発生、その犯人は・・・というミステリー小説。幹部の見立てに従い特定の線で自白をとろうと強引な取調に走る特捜検事たちと、特捜部に食い込み情報をとろうと熾烈な競争をしながら特捜部を持ち上げ煽る司法記者という、両者の持ちつ持たれつの関係と問題点を描きつつ、いずれの側でも主流派とともにはぐれ者の良心派を設定して、希望の持てる展開を図っています。そのため問題提起として受け止めるというだけでなく、エンターテインメントとしても楽しめます。ラストにこういうエピソードを配置するのは通常とは違うセンスですが、はぐれ者の志と希望につなぐ流れからは、意外にいい選択だったかなと思いました。元東京地検特捜部所属の検察官の作者が、「特捜部の捜査って、そんなに立派なもんじゃないよ。おまえは何かさ、少し幻想を抱きすぎているんじゃないか」「特捜部の検事って、簿記会計がわかっているのが、そもそもほとんどいないんだ。つまり帳簿捜査ができない。だからとにかく、叩き割って、しゃべらせるんだ」(69ページ)とか、贈賄側の取調について「とにかく、相手が音を上げるまで調べを続けて、署名さえさせてしまえばいいという考えだろう」「被疑者やその会社の関係者であれば、公判で争うかもしれん。しかし、県の職員など、知事が辞職してしまえば、別にもう関係はないんだ。一度調書に署名してしまえば、後でひっくり返すようなことはしないよ。そこが狙いなんだ」(72ページ)とか書いているのは、昨今は特捜部の実情がいろいろ公にされてはいますが、なかなか楽しく読めます。現在、弁護士である作者が「涼子は法律家の女性には珍しく、繊細ではかなげなところのある、可愛い女だった」(30ページ)というのは、業界で生きていく上では失言かなと思いますけど・・・
13.チェインギャングは忘れない 横関大 講談社
恐喝と傷害で懲役1年6月の実刑を受けて刑務所に護送中の大貫修二が脱走し、大貫を検挙した所轄署の神崎らが大貫の脱走の動機を計りかねながら大貫の行方を追ううち、大貫がトラック運転手水沢早苗と同行しているという情報を得て・・・というサスペンス小説。明るめ軽めのタッチの小気味よい展開、終盤まで大貫の動機という謎をうまく保持した上で最後までひねり続ける姿勢で、ミステリーとしてもエンターテインメントとしてもきちんと読ませてくれます。大貫のダンディズムというかヒロイズムも、読後感をよくしています。ちょっと、それはないだろとも思いますが、そこが小説だともいえるあたりの収まりどころが、私にはいい感じに思える作品です。
12.大いなる時を求めて 梁石日 幻冬舎
日本の植民地時代に朝鮮で育ち、戦後李承晩政権下での左翼弾圧を逃れて日本に密航してきた青年が、在日組織の指示で始めた同人誌活動で金日成個人崇拝の組織中央に反発して軋轢を生じる様を描いた小説。日本の植民地化で親世代の創氏改名や朝鮮語の禁止への反発と屈辱感を描きつつ、生まれたときから日本語教育しか受けず日本姓を名乗って生きる在日朝鮮人の立場の複雑さ、忸怩たる思いを表現し、それが組織中央からは朝鮮語で活動しないことを批判されるという形でさらに捻れた思いとして表されています。さらに主人公が、日本統治下の朝鮮人、反共の米軍支配下の社会主義者、在日朝鮮人社会での朝鮮からの密航者、在日朝鮮人組織での中央の指令に反発する地方組織、中央の金日成崇拝に同調しない同人誌の主宰者と、いずれの時点でも周辺側、弾圧を受ける側に位置することで、弾圧を受ける側の生きにくさと恐れ、反骨としたたかさを描いています。そういった周辺側、抑圧される側の存在と思いが、読みどころというか感じどころなのだろうと思います。他方、主人公の変遷の中での一貫性や設定の必然性には疑問もあり、小説としてうまく流れていない感じが残ります。また、連載の単行本化にありがちな、同じことの繰り返しの直し落としが目につきました。
11.東京ディープぶら散歩 町田忍 アスペクト文庫
東京の街角に残る古い建物や看板や装飾類を紹介する本。銭湯や老舗の店の紹介が多めで、私の関心では、「セキグチ」(モンチッチなどのキャラクター商品が主力商品)が四ツ木近くの古い建物でやってると紹介されていて(54〜55ページ)なんだかうれしく思いました。紹介されているものの大半は戦前からのもので、戦前への回顧なんですが、著者自身は「武道館といえば、昭和四十一年(一九六六)六月三十日、この武道館にて、ビートルズの日本公演第一回目を見たことを思い出す」(140ページ)、「新宿といえば、頭に浮かぶのは、昭和四十四年(一九六九)新宿駅西口地下広場での反戦フォークソング集会のころのこと」(118ページ)といういかにも全共闘世代で、地の文では70年代への回顧も目につきます。戦前への回顧と70年代への回顧が整理も区別もなく一緒になっていることに、私はやや違和感を持ちますが、そういう点にこだわらない雑学趣味にはいいのかなと思いました。
10.ニキの屈辱 山崎ナオコーラ 河出書房新社
若くして地位を確立した写真家ニキと写真家志望のアシスタント加賀美和臣の出会いと別れを描いた恋愛小説。女の子扱いされることを嫌い、写真家の自分に興味を持たれることを嫌うニキが、業務上はモデルに気を遣い関係者にも若くして成功して苦労を知らないなどと言われないように姿勢を低くしながら、アシスタントには高圧的に振る舞うとともに弱音を吐く姿に、才能を片手に一人で仕事を勝ち取り生き抜く者のしんどさが表れていてせつない。傍目には強いキャリアウーマンに、憧れの目で接して、内側のつらさや危うさを知った加賀美の驚きと、密かな高揚感も、読ませてくれます。しかし、それでもなお、別れ際には、ニキが気持ちいいって思うことを何でもしてあげようとがんばっていたという加賀美と、加賀美が思いつく気持ちいいやり方があったら全部つきあってあげようと思って一生懸命つきあってきたというニキの、セックスをめぐる認識のすれ違いが表面化するくだりに作者の真骨頂があるように思えます。とんがったキャリアウーマンの反省で終わるのは、萎縮的なニュアンスがあるのと、ストーリーとしてももう一ひねり欲しい感じがして、私の好みとしては、ニキにその屈辱感を跳ね返すラストが欲しかったのですが。
04.05.06.07.08.09.エリアナンの魔女 1〜6 ケイト・フォーサイス 徳間書店
異世界の大陸「エリアナン」で赤毛の双子の姉妹イサボーとイズールトを中心に魔女や反乱軍が、魔女や妖精を弾圧する謎の王妃マヤや王家と対立するティルソワレーの「光の戦団」、「薊のマルグリット」らと闘う冒険ファンタジー。りりしく力強い魅力的な女性キャラが多数登場し、イメージとしては女性版指輪物語というところ。私にとっては、「イズールトかっこよすぎる。惚れた」という作品です。原作は6巻組のところ、日本語版は前半3巻だけをそれぞれ上下に分けた6巻本として出版しています。そのため最後は一応大団円のようにも見えますが、よく読むといろいろと中途半端。後半は出版しないということだと日本語版の出版社の姿勢が問われるところです。日本語版が前半だけの出版になっていることと、暴力・流血シーンが多すぎるきらいがありますが、人物造形の魅力と冒険ファンタジーとしての構想・読み味はなかなかのものです。湿原の妖精メスマードはイメージや「死のキス」からハリー・ポッターのディメンターとの共通性を強く感じますし、透明マントが出てくるのも。出版時期を見るとメスマードはエリアナンの魔女の方が先で、透明マントはハリー・ポッターの方が先のようですが、同時期に並行して書かれた作品だけに影響し合ってるというところでしょうか。
女の子が楽しく読める読書ガイドのコーナーで紹介しています。
03.幻影の星 白石一文 文藝春秋
酒類販売会社で働く諫早出身の熊沢武夫のもとに母親からポケットに撮影日付が6週間先の写真データ入りのSDカードが入った自分が買ったばかりのレインコートが送り届けられ、日常業務に追われながらその不思議を考え、それを突き止めようと動く主人公らの様子を描いた小説。東日本大震災後の無常観と重ね合わせて、自分以外の全てをイリュージョンと捉える堀江さんと、自分以外には現在はなく目に入るものは全て「過去」である(当該物質が過去に発したあるいは反射した光を認識するしかない以上、目に入るのは全て「過去」の姿)と捉える主人公の、存在や時間を相対化した議論が時折見られ、難しい言葉は使っていませんが、認識論等の哲学的な思弁を要求されるところがあります。荒唐無稽な話ですが、もし自分に主人公同様に未来の写真を収めたSDカードが送られてきたらどうするでしょうか。未来を変えないためにその通りに行動するか、その未来を変えるために別の行動をするか。なぜそこでコートやSDカードが持ち主の手を離れたかを考えると主人公にとって好ましくないできごとがまず予測できますから、私だったらその日その撮影場所には近寄らないと思うのですが。前半には一定の重さをもっていた堀江さんという魅力的なキャラが後半では登場せず、作品の半分が過ぎてもう一人の主人公が登場するという構成は、最初からの構想なのかわかりませんが、読んでいる側からはぶつ切りにされた感が残ります。
01.02.タラ・ダンカン9 黒い女王 上下 ソフィー・オドゥワン=マミコニアン メディアファクトリー
魔術が支配する「別世界」の人間の国「オモワ帝国」の世継ぎの17歳(8巻では途中で16歳になったという説明でしたが、9巻のはじめでタラが知らないうちに8巻のうちに17歳になっていたという注がついています:上巻6ページ、38ページ)の少女タラ・ダンカンが、様々な敵対勢力の陰謀や事件に巻き込まれながら冒険するファンタジー。この9巻では、8巻で悪魔のパワーを吸い取って自らの内側に悪の化身「黒い女王」を抱え込んだタラが、黒い女王が皇宮内で表に現れたことからお尋ね者として指名手配されながら、敵マジスターのセレナ(タラの母親)の幽霊を悪魔の宝のパワーを使って生き返らせる計画を阻止するために仲間たちとともに建国の始祖デミデリュスが5000年前に悪魔の宝を封じ込めるために創造した海底の広大な洞窟をさまざまな防御装置に苦しみながら進み、マジスターと先陣争いをし・・・という展開を見せます。圧倒的に魔力の強いタラ、力が強いモワノー、ファフニールなどの力強く魅力的な女性キャラを中心に立てていながら、近刊ではお色気路線に走りがちだったのが、9巻では新たな女性指導者のヘーグル5とサリュタを登場させ、タラに「女性を見くだすことは、人類の半分を見くだすことだわ」と久しぶりに自覚的なフェミニスト的発言をさせています。タラの恋愛の相手も、これまでイケメンで戦闘能力の高いエルフのロバンだったのを幼なじみのカルに切り替えたことも含め、初期の元気な女の子のファンタジーとしての新鮮さを改めて感じさせ、私には好感が持てました。このペースで最初に言っていたとおり10巻で完結に向かえば締まってよかったと思うのですが(作者は現在は12巻まで書くと言っています)。悪魔の宝で死者を蘇らせるとか、5000年前の建国の始祖が幽霊としてではなく現れて(「灰色時間」の中にいたとか・・・)強い魔力を発揮して次々困難を解決するとか、これだけ何でもありにされると緻密に考えたり批評しようという気力もなくなります。それはそれでおもしろいからそれでいいと割りきるべきなんでしょうね。悪魔の宝も、確か私の記憶(記録)では6巻で13個+悪魔のシャツとパンツで15個と説明されていたのが、今回何の説明もなくマジスターが着用している悪魔のシャツとタラが破壊したシリュールの玉座、ブリュックスの王杖(とクラエトルヴィールの指輪の試作品)の他にクラエトルヴィールの指輪、ドレキュスの冠、グルイグの剣が現存していたと整理されています(下巻177ページ)。こういうふうに場当たり的に前提事実が変わったりするのがつらいですが、むちゃくちゃな急展開とこういう場当たり的な説明が9巻も続いているのでたぶん1巻からきちんとストーリーを押さえて読んでいる読者はほとんどいないと思います(私はもう全然ついて行けていません)から、気にする人自体ほとんどいないでしょうね。そういうハチャメチャなパワーに期待する作品というところでしょうか。私はもうかなり疲れてきていますけど。
女の子が楽しく読める読書ガイドでも紹介、8巻は2011年8月に紹介
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