庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2013年8月

23.悪魔と私の微妙な関係 平山瑞穂 文藝春秋
 生物多様性助成機構なる独立行政法人に勤める熱意のない一職員にして、裏稼業でバチカン非公認のエクソシストとして怪しげな一見してやくざ風の自称神父のヨセフとともに悪魔払いのアルバイトを続けている真崎皓乃(これで「あきの」なんて読めないでしょ、ふつう)27歳が、職場に突然登場した外資系ファンド出身の凄腕の上司に振り回され、職場の同僚たちが悪魔に取り憑かれる騒ぎに対応していくオカルト系ファンタジー小説。
 悪魔払いのストーリーと、皓乃と5年交際して長すぎた春を感じた義斗との結婚話が並行して進んでいきますが、ストーリーとは必ずしも関係ない独立行政法人の職員たちの事件への対応ぶりがいかにもお役所らしくて、いらだたしくも思えますが笑えます。荒唐無稽な話ですが、そういうところが妙に現実っぽくて、不思議なバランス感がありました。
 悪魔払い、最初だけ「エッケ・クルーケム・ドミニ」(主の十字架を見よ)ってラテン語で始めて後は全部日本語って、それらしく見せるっていう観点からでもかえって嘘くさいように思えますが。

21.22.タラ・ダンカン10 悪魔の兄弟 上下 ソフィー・オドゥワン=マミコニアン メディア・ファクトリー
 魔術が支配する「別世界」の人間の国「オモワ帝国」の世継ぎの18歳(10巻時点)の少女タラ・ダンカンが、様々な敵対勢力の陰謀や事件に巻き込まれながら冒険するファンタジー。
 10巻では、9巻の終わりで悪魔の王アラカンジュとドラゴンで3巻あたりまでタラの師匠だったシェムの2人がそろってタラに求婚したと、例によって次号に続くをやったのを受けて(今回はまともに受けて)、5000年前の「裂け目の闘い」で煉獄に封じ込めた悪魔と通商などの関係を持つのかについての議論・対立、悪魔との交渉・駆け引きとそれをめぐる各種族の思惑を中心に展開します。タラが伯母のリスベス女帝にならって政治的な判断に長けていき、帝国内での地歩を固めて行く点、カルとのロマンスでも性的な関係を深めて行く点ともに、少女から大人への成長を読み込んでいく巻になってきている感じです。
 原題は DORAGONS CONTRE DEMONS (ドラゴン対悪魔)ですが、内容的には人間(主としてオモワ帝国、リスベス女帝、タラ)と悪魔の関係、駆け引きが中心で、ドラゴンはほとんど添え物になっています。読んでみると、日本語タイトルの「悪魔の兄弟」の方がしっくりときます。
 10巻では、シリーズを通しての最大の敵のはずのマジスターがかなり影が薄くなっています。原書が2013年9月5日に発売される予定の11巻「世界戦争(原題:LA GUERRE DES MONDES)」も悪魔との戦いになるはずで、完結するはずの12巻をマジスターとの戦いでクライマックスに持って行けるのか、怪しいというか気になるところです。
  女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介しています。9巻は2012年9月分01.02.で紹介しています。

20.雪と珊瑚と 梨木香歩 角川書店
 母親からネグレクトされ家に食べ物がない状態で育ち高校を中退して働き自らもまたシングルマザーとなった21歳の山野珊瑚が、働くために0歳児の娘雪を預けようとして、自宅で赤ちゃん保育を始めようと張り紙をした元修道女くららを訪ねたことから、元の勤務先のパン屋の経営者と従業員、くららと甥の農家とその従業員らの援助を得て、鎮守の杜の廃屋を借りて野菜たっぷりのお総菜カフェの起業をすることになるシングルマザー奮闘小説。
 珊瑚の場合、たまたま出会った周囲の人々に恵まれ、多くの人の助けを得て、結果的に信じられないほど順調に進むわけですが、それでもなお明日は客が来なくなるかもしれない、いずれは客が来なくなるかもしれないと考えて不安になり今を際限なく働いてしまうという心理は、同じ零細自営業者として共感するというか身につまされます。
 小説としてのポイントは、起業物語よりも、家庭での愛を知らずに疎外されて育った珊瑚が周囲の人から温かい支援を受け、孤独だと思っていたところから良好な人間関係をつくっていく過程、乳児の娘に振り回されながら娘の成長に感動し母子ともに成長していく過程の2つの成長物語にあると思います。絶望的な状況からのスタートで人生を切り開いていく、読んで元気になれそうな作品です。

19.ビッグデータの覇者たち 海部美知 講談社現代新書
 膨大なデータを処理・分析し、一つ一つでは意味を持たない大量の情報を全体像や組み合わせからの傾向を把握するなどして活用するビジネス、身近な例でいえば検索サイトやユーザーにあわせた広告表示などについてレポートした本。
 ビッグデータビジネスの覇者たちについて、グーグルは公開情報(ウェブサイト、ブログ等)の収集と傾向分析で成長してきたので、ウェブ世界とは異質の閉鎖的な関係を前提とするソーシャルネットワークについてはどう扱っていいのか困っていて大きく遅れを取っている、アップルはクラウドには弱い、アマゾンは膨大な注文を処理し在庫を管理し支払を管理しサーバーが壊れても回線が切れてもデータが消えないような堅牢なシステムを構築しその余裕部分を貸し出すホスティングサービスでネット世界を下支えしていて今ではシリコンバレーのウェブやモバイルのベンチャーでアマゾンの世話になっていないところを探す方が難しいなどの話が書かれていて興味を引きます。
 商品の注文・購入履歴はもちろん、ウェブの閲覧履歴、検索履歴、さらにはメールの内容まで、これらのビッグデータビジネスはユーザーの個人情報を蓄積・分析・利用しているわけで(ほとんどの人が読まない長大な約款の中に、一読してもわかりにくい書き方でそのことが書かれていて、利用開始時にそれに「同意する」のボタンを押さないとサービスが受けられない形になっているのがふつうですが、検索サイトの場合はプライバシーポリシーなどにそういう記載があるだけで「同意」の確認はされていません)、個人情報漏洩のリスクと、漏洩しなくてもその企業が個人情報を集積・分析していることへの気持ち悪さを超える利益がユーザーにあるのかが問われるところです。それへの反発からアメリカではダックダックゴーなどの個人情報を蓄積しないといっている検索サイトの利用が増えていると報じられていますが。

18.新自由主義の帰結 なぜ世界経済は停滞するのか 服部茂幸 岩波新書
 大きな政府による経済管理は非効率であるだけでなく人間の自由を奪うとして戦後資本主義・ケインズ経済学を批判して登場した新自由主義が、アメリカ経済を復活させたというのは誤りであり、サブプライム金融危機は新自由主義の理論と政策の誤りに起因するなど、新自由主義を批判する本。
 ニューディールの考え方を受け継いだ戦後資本主義・ケインズ経済学は大きな政府によりむき出しの市場の力を規制して貧困・不況・不平等という古典的な資本主義の病を抑えていた。しかし、新自由主義はそれらの制度を解体し、減税や規制緩和により金持ちと企業をやる気にさせ富を創出すれば恵まれない人々にも富が行き渡ると主張して、富裕層に対する減税と規制緩和を押し進めたが、結果は富裕層への富の集中と労働者の賃金抑制、つまり格差拡大であった。アメリカで共和党保守派は小さな政府を標榜し財政規律を重んじるとされているが、現実には共和党政権時代(レーガン、ブッシュ父子)に富裕層への減税と軍事支出の拡大で財政赤字を拡大しており、金持ちと企業に対する人気取り(ばらまき)によって財政を悪化させたのは共和党保守派である。というようなことが指摘されています。
 この本では、日本では、新自由主義的な政策によって、アメリカ以上に労働者の賃金が抑制されているということも指摘されています。輸出依存型大企業の利益を最優先して巨額の資金を投入して円安誘導をし、消費税は増税、法人税だけは減税というアベノミクスと、派遣法について企業側の派遣労働利用期間の制限を全面撤廃して正社員の派遣労働者への切替を促進しながら個別の派遣労働者は3年で切り捨てというこれまでなら考えられないほどあからさまな経営者側のやりたい放題・雇用の不安定化促進の改正が平然と進められているのをはじめ、労働規制の緩和を押し進める現政権の動きを見ていると、この本が指摘する新自由主義の政策による格差拡大はアメリカ以上に日本に当てはまりそうです。

17.波打ち際の蛍 島本理生 角川文庫
 大学講師の元恋人のDV・暴力的セックスで傷つき自殺未遂を起こして仕事も辞め親元からカウンセリングに通っていた川本麻由が、エレベーターの前でうずくまっていた同じカウンセリングに通う年上の男植村蛍と知り合い、蛍と親密になりたいが蛍から求められる度に体が拒絶するという状態で揺れ動く、トラウマ系恋愛小説。
 蛍に触れられると心が離れたりフラッシュバックを起こして、体に触らないでと叫び、1人でいるときも手の甲をかきむしって自傷行為を繰り返す麻由の揺れる心。それが異性(男性)に対する嫌悪感からであればわかりやすいのですが、麻由自身蛍とキスしたい、セックスしたいと欲情しながら現実の場面では体が受け付けないという設定は、より哀しいものがあります。
 他方、年上30歳〜31歳の蛍。何度も麻由の拒絶反応に会いながら、会う度に手を握り、キスをし(試み)度々麻由をパニックに追い込み拒絶反応を示させてしまう。学習能力がないのか、欲情を抑えられないのか、学生の設定ならともかく、もう少し大人の、抑えた対応ができないものか。作者の目からは、何歳であれ、男なんて会う度に体を求めてくるものと見えているのでしょうね。麻由にそれに応えられない自分が悪いと思わせているわけですから、男がそういうものであることは変えがたい大前提で、それを少しでも主観的には抑えようとし、言葉では受け入れている蛍はましな方で愛すべき存在と考えているのでしょう。そういう捉え方も(男性読者としてそういう捉え方をされるのも)ちょっと哀しい感じがします。
 タイトルは、麻由と海に行った蛍が波打ち際をスニーカーのままで歩き、濡れるよと指摘されたときに、自分が白線で、ちょっと目を離したら流されていきそうな麻由を心配してのことと応える場面から。それを聞いた麻由は蛍に強く抱きつきたいという衝動を感じつつ現実には蛍に背を向けます。麻由の心理描写としては蛍の保護者目線・上から目線に対する反発はなく、むしろ好感を持っているように描かれているのですが、私には、その蛍の保護者目線と蛍の現実の行動との釣り合い、それに対する疑問も、隠れたテーマになってるように思えました。

14.荒野 12歳 ぼくの小さな黒猫ちゃん 桜庭一樹 文春文庫
15.荒野 14歳 勝ち猫、負け猫 桜庭一樹 文春文庫
16.荒野 16歳 恋しらぬ猫のふり 桜庭一樹 文春文庫
 恋愛小説の売れっ子作家にして好色のモテ男山野内正慶の娘山野内荒野が、中学入学の日に一目惚れした同級生神無月悠也に思いを寄せつつ、荒野を育ててくれた家政婦の奈々子(実は父の愛人)が追い出され、父が悠也の母神無月蓉子と再婚し、その後も浮気は続きといった父親をめぐる女性関係に悩まされ、年上の彼がいるスポーツ万能の麻美、人目を引く美少女で実は同性愛者の江里華たち親友や、荒野に思いを寄せる同級生阿木との関係に振り回され癒されながら成長していく青春小説三部作。
 受け身で接触恐怖症の12歳の荒野が、大人たちの修羅場や悲嘆にも動じないで受け止められる16歳へと成長していく様子が全体を通してのテーマになっています。いつも大人の女性(奈々子・蓉子)に迎えられ動揺したり緊張したりだった荒野がラストシーンでは泣き崩れる大人の女性を迎えるという描写が象徴的です。
 1巻と2巻で作り上げた浮気を続ける父とそれを知りつつ耐える蓉子、隔離されつつ思い合う悠也と荒野、荒野に思いを寄せる江里華という構図を、3巻では壊し、新たな展開を図っています。2008年に単行本化するときに3巻が追加して書き下ろされたという事情のためかもしれませんが、定着した関係を壊すことで新たな関係の模索・構築と成長が描けるという形になっています。
 私の目には、脇役ではありますが、奈々子の思いと江里華の忍ぶ(相手には告ってるから忍ぶより耐えるか)恋が切なく感じられました。
 阿木の荒野への対応。姉たちに揉まれて女性慣れしているという設定なのにもう少しスマートにやれないものかとも思いますが、恋する男、ましてや男子高校生ではこんなものかとも…やはり切ない?

13.社会を変える仕事をしよう ビッグイシュー 10年続けてわかった大事なこと 佐野章二 日本実業出版社
 ホームレスが街頭で販売する雑誌「ビッグイシュー日本版」の経営者が、その経営理念等を語る本。
 ホームレスへの支援をビジネスとして持続可能なものとするため、雑誌をつくりそれをホームレスが街頭で1冊300円(当初は200円)で販売しその半分以上の160円を販売者であるホームレスが受け取る(140円で仕入れる)という仕組みを有限会社の枠組で作り、最初の4年間が赤字、その後4年間黒字となったが、東日本大震災後また赤字になり、累積赤字が4250万円だそうです(95ページ)。今のご時世で、新創刊雑誌が10年もったこと自体大健闘だと思いますが、運営側は大変でしょう。
 中からか外からか、仕事だけでなくもっと生活全般のめんどうを見て欲しい、ビッグイシュー日本として独自に彼らの寝る場所を提供するべきだという意見があったことを紹介し、著者はそれはやらないと反論したと述べています(34ページ)。人権派とか社会派とか呼ばれる弁護士の場合も同じですが、社会的に評価を受けることをしていると、あちこちからもっとあれもこれもという要請が来ることはありがちですし、やっている側自身がもともと人のためになることをしたいという気持ちですから手を広げたくなりがちです。しかし、現実に持続可能な範囲をきちんと見極めないとどこかで破綻するわけで、そこははっきりしておいた方がいいと思います。
 販売員にもっとしっかり管理・指導しないのかと聞かれるが、いつどのように売るかは販売員の自由に任せ、いつでも始められるしいつでも辞められるところがよいと著者は紹介しています(122〜123ページ)。その方がホームレスが現実的に続けやすいということはその通りでしょう。労働者側の弁護士の目からは、販売業務をしっかり指揮管理したら実質的に労働契約と評価されて最低賃金法の規制がかかるからねという意地悪な指摘もできますが。
 組織論として、社会的企業の組織には最低3人は必要で、1人は突っ走ってチームを引っ張る人、もう1人は正気の人で時に考えて引き止めたりする人、3人目は他の2人と全く違う視点をチームに持ち込む人(70〜71ページ)、仲間はセンスは共通しているがやっていることや考えていることがまったく違う方がいい、研修などで技術や知識は身につけることができるがセンスのようなものは教えることができない(110〜111ページ)というのは、至言だと思います。

11.12.レガッタ! 1・2 濱野京子 講談社
 名門高校女子ボート部に入った初心者女子高生飯塚有里の奮闘を描くスポーツ青春小説。「主人公・飯塚有里が在籍する埼玉県立美園女子高等学校は、浦和第一女子高等学校をモデルにしていますが、あくまでフィクションであり、実在の人物、団体等名とは関係ありません」とモデルを明らかにしているのがむしろ潔い感じがします。
 1巻、2巻を見る限り、いずれも新学期に始まり、3月の全国選抜で終わり、各巻毎に1学年が過ぎています。3巻では有里が高校3年生になるわけですが、その3巻は2013年8月9日に発売され、シリーズは3巻で完結したそうです(作者のブログに「完結編」と明記されてました)。
 中学教頭の父親に高校受験のために中2でバドミントン部を退部させられた飯塚有里は高校に入ったら好きな部活をやると宣言しバドミントン部に仮入部するが中3まで続けていた同級生との実力差を見せつけられ、中学にはない競技を探し、ボート部に入部する。しかし、他の1年生は新人歓迎行事「漕ごう会」で結束しており、特にボートについて知識があり目的も明確な木崎美帆と対立し、有里は孤立する。1巻では、ボート部内での有里の孤立感からスタートし、次第に人間関係をつくっていく過程が描かれ、2巻では人望を得た有里が1年生の人間関係、インターハイ予選当日の負傷による屈辱の予選落ちとそれに対する自責の念と人間関係の亀裂に悩む様子が描かれます。訓練と試合も描かれていますが、どちらかというとボート部内の人間関係の方に比重がある感じです。1巻、2巻とも終盤のクライマックスとなるはずの天竜川での全国選抜の決勝レースの様子・結果を書かないというあたり、スポーツを題材にしつつスポーツそのものよりも人間関係を描く小説として話題を呼んだ「バッテリー」を意識しているかも。
  3巻は2013年9月分05.で紹介しています(訂正ありm(_ _)m)。

10.幸せの条件 誉田哲也 中央公論新社
 理化学実験ガラス器機専門メーカーに就職したが実験器機がまともに扱えず在庫管理・伝票整理に回されたダメダメOL瀬野梢恵24歳が、社長が試作したバイオエタノール精製装置の売り込みのために長野県の農村でバイオエタノールの材料となる米の作付をしてくれるよう農家を勧誘するという飛び込み営業を指示され、うまく行かず途方に暮れているところを、休耕田を借りて稲作・畑作の代行をする農業法人の社長に拾われて農業の手伝いをするうちに、東日本大震災の被災者を支援したいという気持ちもあり、農作業にのめり込むようになり、次第に生きがいを見つけていくという農業青春小説。
 ダメダメだった主人公が、農業法人社長の無愛想な対応や同僚の男たちの無骨さにひぃひぃいいながら、社長の妻と娘のサポートを受け、次第に作業に慣れ地に足のついた見方ができるようになり成長していくという流れがストーリーの中心でもあり一番の読みどころです。
 農作業というか、農業機械の仕組みや使い方についてあれこれ書かれていて、子どもの頃から持っていた農業のイメージを変えてくれるという副次的な効果もありました。

09.ヨーロッパ文明の正体 何が資本主義を駆動させたか 下田淳 筑摩選書
 なぜ資本主義はヨーロッパで生まれたのかについての歴史家(奥付の肩書き)としての著者の見解を示した本。
 他の文明圏、中国・インド・イスラムでは権力が一極集中したのに対し、ヨーロッパでは人口が分散し、多数の権力(諸王権・諸侯・中小貴族・聖職者・都市民)が競合し均衡していた。農村内もしくは近郊に手工業者が存在し農村における分業があり農村においても貨幣を介したネットワークが存在して、「職人を含めた万人が富の分配に与るチャンスのある市場システム」、より平たく言えば良いものをつくれば儲かる市場システムが、16世紀以降のヨーロッパには存在していた。16世紀まで科学技術が中国・イスラムに遥かに遅れ、その文明をコピーし続けていたヨーロッパが、技術も魅力的な商品もない欲求不満故に対外進出の強い動機を持ち、よいものをつくれば儲かる市場システム故に技術の改良が進んで先行する諸文明を追い越す技術改良をして世界を制覇した。
 他方、中国・インド・イスラムの先行する諸文明では、自国と近隣諸国で充分な宝(商品)を得ることができ自己充足しており、技術の過度の発展が権力にとって危険である故に技術開発が抑制された。
 そのために、先行する諸文明においては技術の開発が一定限度で抑えられ、ヨーロッパでは技術開発に対する抑制がなく競争が促進されたために遅れていたヨーロッパが先行諸文明を逆転したというのが著者の見解です。
 ヨーロッパが文明の進んだアジアの諸帝国の支配を受けなかったのは、(元の場合は侵略しようとしたがたまたま支配者が死んで軍が撤退したというのを除き)アジアの帝国にとってヨーロッパに支配するに足りる文明があるとは思えなかったし現実に存在しなかったためとされています(1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到着し王にヨーロッパの産品を贈呈したら王はバカにして大笑いしたとか:155〜156ページ)。
 中世ヨーロッパは遅れた国で中国やイスラムの方が発展していたということは歴史書ではよくみることですが、ここまではっきり書かれると、ちょっと驚きます。現状から考えてしまうからですが、ヨーロッパ文明が発展したというのはここ数百年、日本史で言えば江戸時代あたり以降の話なんですね。
 著者の見解は、ヨーロッパでなぜ諸権力の競合・均衡が生じたのかの理由が説明できない(平野が広いことが条件を与えているが、必然的とはいえず結果的にそうなった)、諸権力の競合・均衡と農村内や近郊に手工業者が存在することが論としてすんなりつながらない(そこで少し飛躍している)、さらには資本主義が生まれたことの説明になっているか疑問がある(農村に貨幣経済のネットワークが生じていること自体既に資本主義が生まれていることではないか)などの弱点を感じますし、さまざまなことを「棲み分け」という概念で説明しようとして無理をしている印象があり、日本をヨーロッパと類似していると特殊化しようとするところにも無理を感じますが、知的好奇心を刺激してくれる読み物だと思います。

08.性犯罪報道 いま見つめるべき現実 読売新聞大阪本社社会部 中公文庫
 性犯罪の被害の深刻さと刑事裁判、被害者支援、性犯罪抑止策等の現状について報じた本。読売新聞紙上で2010年2月から12月にかけて「性暴力を問う」として連載された37本の記事をまとめて2011年に出版された単行本「性暴力」を、文庫化にあたりその後の状勢を見て被害者支援・加害者対策を踏まえて若干修正し、インドでの暴行死事件について加筆したものだそうです(はじめに+おわりに)。
 性暴力被害者の苦しみ・悲しみと告発・支援・連帯を綴る第1章の「被害者たちの叫び」が、やはり一番の読みどころです。被害者が長期にわたり恐怖感、無力感に襲われ悩まされ続ける様子は、読んでいて胸が痛くなります。
 他方で、この種の議論・報道では、もっぱら加害者に対する重罰・厳罰が主張され、それ以外の被害者に対する支援や犯罪予防のための教育・福祉政策などにはあまり触れられないのが通常です。北風と太陽の説話で言えば北風以外は見向きもされません。この本でも学者の意見として「性暴力被害で仕事や安心できる家を失った人への公的支援は、なきに等しい。医療・精神面をケアする専門的な受け皿も足りない。社会が議論を避けてきたからだ」の指摘を載せ(57ページ)民間での支援活動について紹介していますが、全体としては加害者の処罰・厳罰を求める部分が中心となっています。被害者が加害者を憎み厳罰を求めるのは当然で、被害者にそういう発言をさせることは簡単です。被害者が厳罰を求める場面が多く報道されしかもそれに応じて刑を重くする判決が報じられる環境では、それはますます簡単で被害者側もそう言うのがスタンダードになります。しかし加害者以外の第三者や行政の負担が求められることになる被害者の現実の苦しみや困っていることへの支援には光が当てられない実情とあわせてみると、被害者のことを案ずるよりも犯罪への重罰化・治安の強化・管理社会化を望む人々が、その実現のために被害者を利用しているのではないかと疑問に思うことがあります。マスメディアには、行政にも都合のいい厳罰化の扇動よりも、実現が容易ではないが本当に被害者のためになる被害者支援に向けてこそキャンペーンを張って欲しいものです。
 第2章では、加害者側の取材も試みていますが、被害者取材以上に壁があり、成功しているとはいえません。性犯罪者処遇プログラムについても受刑者に指導教官同席の下で取材した(105ページ)というのでは、優等生的な受刑者が選択されかつ優等生的な答に終始するのが当然でしょう。こういった中で、性犯罪の前歴者たちへのグループ療法(114〜116ページ)や性犯罪受刑者の社会復帰を支援するボランティアグループなどのカナダでの試み(205〜211ページ)が紹介されているのは注目したいところです。加害者を非難することではなく被害を防止することを目的とするのであれば、こういった太陽政策ももっと本気で議論すべきだと思うのですが。
 単行本では「性暴力」だったタイトルが、文庫化にあたり「性犯罪報道」と変更されています。しかし、この本では性犯罪についての「報道」のあり方が評価・議論される部分は見当たりません。自分たちが読売新聞紙上でやったキャンペーンが性犯罪報道の代表だとか、あるべき性犯罪報道だという意味なんでしょうか。マスコミが被害者を苦しめた場面も当然あったはずですが、そこに触れない出版物に「性犯罪報道」というタイトルをつける感覚は、私にはわかりません。

07.真夏の方程式 東野圭吾 文藝春秋
 海底熱水鉱床開発計画に揺れる田舎町に説明会のアドバイザーとして訪れた帝都大学物理学科准教授湯川学が、宿泊していた宿の客の元警視庁捜査1課刑事が海岸で死体となって発見された事件について推理するミステリー小説。
 ミステリー部分は、一酸化中毒死の遺体について、一見して明らかとは限りませんが一般的に皮膚が全体にピンクないし赤くなるという特徴があり、この件では素人が見ても「血色だけは異様によかった」(303ページ)というのに、鑑識がそれに気づかず、解剖でも死因がわからず(97ページ)、片っ端から血液検査をやってようやく一酸化炭素中毒とわかった(114ページ)というのはあまりにお粗末ですし、16年前の殺人の動機もあまり説得力を感じないというところを除けば、わりと丁寧に布石は回収されていると思います。
 子どもが苦手な湯川が、この作品では冒頭から小学5年生の恭平に積極的に絡み、終始好意的・積極的に声をかけ関わっていき、紙鍋に加熱する卓上コンロの固形燃料が置かれた台を濡らしたコースターで蓋をするなどして積極的に恭平に事実を教えていったり、恭平にマスターキーを「こっそり盗み出してくるんだ」(153ページ)というあたり、他の言動とそぐわずやや違和感があります。最後の点なんて、自分だって、子どもを悪事に巻き込んでるじゃないの…
 この作品でもう一つテーマになっている科学・開発と環境保護。湯川は環境保護運動家の川畑成実に対して「君の台詞には全く説得力がない。学問に対する謙虚さが感じられない。」「両立させたいというなら、双方について同等の知識と経験を有している必要がある。一方を重視するだけで充分だというのは傲慢な態度だ。相手の仕事や考え方をリスペクトしてこそ、両立の道も拓けてくる。」「相手のことを理解しようとする気持ちがあるなら、是非とも見ておくべきだ。」(177〜178ページ)と述べています。一見すると理念的には正しいように思えます。しかし、これを言うのなら、まずは、湯川は開発事業者海底金属鉱物資源機構DESMEC側にも同じことを言っているのでしょうか。開発事業者側こそ美しい環境や生物についてきちんと評価したりましてや環境保護運動家の仕事や考え方をリスペクトする態度をとることはほとんど考えられないと思いますが。また双方に同じことを言ったとして、経済力も政治力も圧倒的な格差がある者に相手を理解しろといっても力の違いで押し切られるだけというのが実情ですし、「双方について同等の知識と経験を有している」者などいるはずもない(湯川だってそうなることは無理でしょう)し、それでは謙虚な者は何も発言できなくなるだけです。そして現実には、事業者側から資金の提供を受けて事業者に都合のいい調査結果や知識を提供する御用学者たちが多数います。現実の世界を前提にすれば、湯川の発言は、ただ開発事業者・役所側を利するだけだと思います。そして、この作品の中で環境保護運動の代表となる沢村元也も川畑成実も悪い奴だということになります。まぁデスメック側もお役所仕事で要領が悪くミスも多いとされているし、湯川がデスメックと距離を置こうとする様子が随所に描かれていますが、それでも全体の印象は明らかに環境保護運動側が悪者になっています。
 連載は2010年中に終了していますが、単行本化は2011年6月です。微妙な時期なので加筆修正の程度について作者の心も揺れたかもしれませんが、福島原発事故後に出版する作品で、事業者側に都合のいいデータと知識ばかりを提供する原子力ムラの村人をはじめとする御用学者たちの存在に触れず、開発事業者側に理解を示せ、その仕事をリスペクトしろと言い募り、環境保護運動側が悪者だというイメージを振りまくのは、センスを疑います。

 映画についてはこちらで紹介しています→映画「真夏の方程式」

06.「アレ」はなぜ合法なのか? 知っているだけで武器になる「法律」の使い方 間川清 経済界新書
 ワイドショーで話題になるような事件を材料に、巷間言われている俗説(法律都市伝説)の真否、離婚や相続、民事紛争、刑事事件、労働問題の各分野の法律について解説した本。
 興味を引きそうなネタを並べて書いているため、体系的網羅的な解説ではなく、これを読んだから法律的な考え方が身につくとは言いがたいものですが、雑学的な満足感は得られそうな本です。
 タイトルにマッチした一見違法なものが実は合法とか合法な理由を説明しているという話題はごく僅かで、タイトルはあまり適切とはいえないでしょう。また表紙カバー見返しの項目のうち、「宴会の『裸踊り』はセクハラか?」については、私はその解説を見つけることはできませんでした(185ページで公然わいせつ罪になるかどうかが論じられているだけ)。
 家賃不払いの場合に家主側の弁護士から来る内容証明郵便の内容(116ページ)で賃貸借契約の解除が書かれていないのは説明不足といえるでしょうし、「多額の慰謝料が発生するぞ」と書く弁護士はたぶんいないと思います(解除後明け渡しまでも家賃に相当する損害金が発生する、明け渡しの強制執行の費用は敷金から差し引くとかくらいでしょう)。破産公告の説明で雑誌の「官報」を読んでいる人はあまりいません(122ページ)というところまでで話を終えるのは今どきは不親切で、インターネット官報の説明はしておくべきでしょう。ホリエモンの保釈金が数億円に上ったのは「有名人であることも考慮して」(154ページ)ではなく、支払能力を考慮して(逃走を抑止するのに充分な額という発想)でしょう。コンサートでの殺人予告がなされたが実際の犯行はなかった場合の業務妨害罪適用の理屈は「書き込みがあったために警察が警備をせざるを得なくなり警察が本来するべきであった業務が妨害された」(191ページ)ではなく、コンサートの興行主のコンサートの業務が妨害されただと思います。相撲協会の不祥事をめぐる解雇等の処分についての一連の記述(214〜218ページ)は、労働法を扱う弁護士の説明としては、八百長問題については業務上の義務違反で解雇が問題となる本来の場面、違法薬物使用と野球賭博は業務外の犯罪で相撲協会の名誉・信用を傷つけたために解雇が正当化されると仕分け整理して論じて欲しいところです。
 同業者としてはいくつか気になる点はありますが、楽しみながら法律を知るというか巷間流布される俗説の誤りを知るという目的にはかなった本かなと思います。

05.ひとつのモチーフを水彩で描く 立体感を出す10のステップ マール社編集部編 マール社
 水彩の静物画を描く際のテクニックのうち、特に立体感を出すことにこだわって解説する本。
 リンゴ、マグカップ、フランスパン、ワインの瓶、チューリップ、バラの6つの対象で、制作過程を追って、観察、作画者との位置関係と光の方向の決定、下書、塗りの各段階での注意・コツを説明しています。
 基本的には光と影、対象物を構成する線の方向・流れ、近い部分はくっきり詳細に遠い部分はぼかして淡くという描き分けで奥行き・立体感を出すことになります。重点となる「塗り」では、陰の下塗りをして、その次に光の変わり目部分である「稜線」をメインの色で比較的大胆に塗るという手順が示されていますが、この「稜線」の捉え方・扱い方が、私には読んでいて今ひとつすっきりしませんでした。わかる人にはわかるのでしょうけれど、この本の中心的な概念・テクニックなので、ここで躓くと納得感が持てませんから、もう少しかみ砕いて欲しかったなと思います。
 静物画の構図で、光の入る方の空間を少し広めにとった方がきれいに収まるという指摘(51ページ)は、ちょっと目からウロコ感がありました。例えば光が左上方から来る(そういうパターンが多いですよね)とすると、対象物は真ん中よりも右側にずらして配置することになります。この場合、影が右に出ますから書く対象を真ん中に持ってこようとするとむしろ全体を左側に置きたくなります。でもそれは絵としてのバランスはよくないということなんですね。
 光の方向では、順光(作画者の方向から光が出ている)が一番難しい(97ページ)ということで、100ページ〜101ページのサイド光、逆光、順光でのリンゴの絵の作例がとても参考になります。

04.女たちの韓流 韓国ドラマを読み解く 山下英愛 岩波新書
 女性学研究者が韓国のテレビドラマ25編について、貧しさと暴力に耐える女たちを描いたもの、血縁と性別役割に縛られた家族の中の女たちを描いたもの、戸主制の問題(親権・子の氏)を描いたもの、少子化時代の子育て・お受験を描いたもの、したたかな女たちを描いたもの、社会で活躍する女たちを描いたものなどに分類して評価し紹介した本。
 私はテレビドラマはまず見ないので、聞いた話で韓流ドラマというと、俺様男とけなげな男に挟まれて悩むヒロインみたいな構図の恋愛ものが中心かと思っていましたが、そうでもないのですね。
 著者が女性学研究者なので、男たちの血縁意識と性別役割分業意識、女性主人公がこれとどう向き合い闘い打ち破るかという視点での分析評価が多くなっています。韓国社会では、日本よりもさらに血縁意識が強く、性別役割意識が強くて女性が生きにくいと、思われるのですが、かつて韓国を軍事独裁の国と捉えていた私たちの世代は、韓国の民主主義は遅れているというイメージを持っていましたが、今では民主化の度合いは日本などよりよほど進んでいるように思えます。古い家・血縁意識や性別役割分業観でも、いつの間にか韓国よりも日本の方が酷いということになっているかもしれません。復古調の人々が圧倒的に強い政権を取ってしまった今、そのことは特に心しておきたいところです。

03.非社交的社交性 大人になるということ 中島義道 講談社現代新書
 著者が自分が通ってきた道及び現在主宰している哲学塾での経験を語りながら哲学と人間関係のあり方についての意見を述べる本。
 まえがきでは、大人になるとは独り立ちをすることで経済的な独立とともに金銭面以外でも他人に依存しない生き方を実現すべきとして、異質な人を切り捨てずに大切にしつつ自分に居心地のいい人間関係を自力で開拓すること、過酷な境遇にあってもそれをなるべく他人のせいにしないで自分で選んだのだと自分に言い聞かせる姿勢を持つべきことを説いています(6〜7ページ)。
 著者は、カントを「いかにして気に入った人のみを受け入れ、気に入らない人を遠ざけるかという『わがままな』課題に取り組んだ」と評し、「思えば、これは私の生涯の課題でもある」としています(22ページ)。
 そして最近の若者について、面と向かっては声を出すのも苦しそうな青年が、ネット上メール上では「いかに自分が義務違反であろうと怠惰であろうと、それをおいそれとは認めず、飽くまでも抵抗するのだ。その場合、かつての日本人のように情に訴えてくるのではなく、(連絡が徹底していなかったなど)私の僅かな落ち度を突いて、ヨーロッパ人顔負けの不思議な論理でがちがちに固めて、執念深く抵抗してくる」(40〜41ページ)と評価しています。「これらの若者たちは『言葉の意味』それも『字面』に過度の合理性・整合性を求めてしまうからである。『文字通り』でないと絶対に許してくれず、ちょっと何かの事情で、言葉通りでないことがあると、全身で抗議してくる」(137ページ)とも。「哲学塾」のホームページで諸経費として月額1000円徴収することが記載されておらず、そのことについて「貴塾では2000円と書いてあれば3000円用意するような賢く世間知のあるような人しか入塾できないんですね。私のようにホームページに書いてある通りの言葉を信じる者はバカを見るんですね。つまり、貴塾にはウソを信じる者のみが入塾できるんですね」と抗議してきた者がいるという例が紹介されています(135〜136ページ)。それに対して著者は「もちろんホームページに諸経費を書き込まなかったのは、こちらの落ち度であり謝りますが、その一事を拡大して哲学塾のあり方を嫌みたっぷりに解釈し、その全部を拒否するというあなたの姿勢に、猛烈な違和感と反感を覚えます。そのような単純思考の人は、きわめて非哲学的だと思いますので、こちらの方で出入りを禁じます。金輪際来ないでください」と返事を書いたとか(137ページ)。ネットの世界では妙に感情的で攻撃的な人がいて、確かに困りもので、こういう回答は、ある意味痛快でやってみたい気持ちにもなりますが、う〜ん、でもなんか子どもの喧嘩みたいな気もします。開始時刻の告知と実際に訪問すべき時刻(130ページ)や教室の冷房の設定温度(143〜144ページ)での塾生からの理詰めのクレームが紹介され、これも利害の衝突というか好みの領域に思えるのですが、著者の最終回答はこれは私の塾だから私がやりやすいようにやるって。まぁありがちな答えで、屁理屈を言われるとそういう回答をしたくもなりますが、あまり哲学的な解決ではないような…
 哲学は、真・善・美そのものを追究し、人生の虚しさをそのまま凝視しようという遊びであり、まったく無意味なこと無益なことに夢中になる才能であり、その意味で真の哲学者と真の子どもはもともと重なり合っている(70ページ、74ページ)という著者の立場からすると、屁理屈を言う攻撃者への対応は哲学者として適切なのか、そもそも「大人になる」ことを必要的肯定的なものとして論ずること自体適切なのかとか、全体を通した論旨にはいろいろ疑問を感じてしまいました。

02.新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸 勝俣誠 岩波新書
 アフリカ諸国の独立後の政治経済情勢について、欧米政府・国際機関・外国企業の「支援」・「援助」や「構造調整」の要求がアフリカの人々のためになるのか、公正なのかという視点を中心に論じた本。
 多くの国で、地域の実力者の群雄割拠型の内戦が続き休戦合意ができても不満分子が残って戦闘が完全には終了せず、内戦下で支配地域の鉱物資源の不法な輸出による莫大な利益を私物化できることから平和がなかなか訪れず、人々の貧困・飢餓が深刻化してきたということが説明されています。
 貧困・飢餓の解決に向けての農業援助も、アジアで成功したとされる「緑の革命」をそのまま持ち込もうとするが、アフリカの実情に合わず、外国企業のビジネスが優先され、例えば除草剤とセットされた遺伝子組み換えトウモロコシの栽培によって他の農作物との混合栽培ができずできたトウモロコシも味が悪く飼料にしかならないというような事例が紹介されています。
 先進国・国際機関が求める「構造調整」も結局は、貿易自由化を強制することで製造業をほぼ壊滅させて外国製品の輸入を増やし、公営企業の民営化を促進させるということでとりわけ通信と金融を外国企業に支配させる結果を生んでいると指摘されています。
 アフリカについては、1960年代の独立の後、現在に至る部分は、あまり語られることもなく、私はよく知りませんでした。各国で事情が異なるところがあり、この本の説明も、切れ切れであったりして網羅的な充分なものとはいえませんが、アフリカの事情についてある程度のイメージを持つことができ、勉強になりました。

01.ふがいない僕は空を見た 窪美澄 新潮社
 人妻の自宅を訪ねてのコスプレセックスに浸る高校1年生の斉藤卓巳、義母の不妊治療プレッシャーからの逃避でコスプレを始め卓巳とのコスプレセックスにふけりそれが発覚する岡本里美、卓巳に告白し初体験を待っている内に卓巳のコスプレセックスがネットで広がりそれでも卓巳に迫る松永七菜、呆け徘徊症状の出た祖母と2人暮らしでバイトに明け暮れ店長にいじめられ母親にはバイトで貯めた貯金を奪われながら同じ団地の同級生あくつとともにバイト先の先輩に励まされて勉強を始める福田良太、小さな助産院を経営しながら母子家庭で卓巳を育ててきた卓巳の母親の5人の視点から、卓巳と里見の不倫とその後日談を描く短編連作。
 全体としては、卓巳を中心とする人間関係とストーリーでまとめられているんですが、第4話で触れられているように、同じ母子家庭でありながら、母親がしっかりと働いて経済的にも困らずプール監視のバイトをテキトーにするだけでよくて、背が高くてやせっぽちでいかにもメイク映えしそうな顔立ちで女にもて、年上の主婦から誘われてコスプレセックスに浸り、それを知られてもなお同級生の松永に迫られるというかなり恵まれた境遇の卓巳に対し、父親は自殺し母親は家を出てしまい呆け老人で徘徊する祖母と2人暮らしで生活に困り、意地悪な店長にいびられながら掛け持ちでバイトを続け、それで貯めたバイト代さえ母親に持ち逃げされるという絶望的な境遇で、バイト先の先輩の励ましで勉強を始め、成績が向上し大学にも行けるかもと思えた矢先にその先輩が逮捕されるという福田の惨状を見ると、卓巳の悩みや嘆きなんて同情する気にもなれず(だいたい、夫の留守中の人妻の自宅に通い詰めて不倫を続けた図々しい間男がその不倫妻の夫と義母から制裁を受けただけで、自業自得もいいところだし、もっと酷い目に遭わされても不思議はないわけですし)、福田と、たぶん似たような境遇で福田に寄り添うあくつに同情し、頑張ってねと声援を送りたくなります。
 卓巳の友達の福田が、松永の友達のあくつに唆されて卓巳のコスプレセックスの画像のプリントアウトをばらまくのは、屈折したものを感じますが、苦しい状況で一生懸命バイトして生きている福田が報われないのに、ちゃらんぽらんに生きてる卓巳が不倫三昧に松永にも告白されというのを見ればそうなるのもやむなしかなと思います。福田君にはまっすぐに生きてねと願いたいところではありますが。
 読んでいて福田とあくつにこそ幸せになって欲しい、この際卓巳とか里見はどうなってもいいからと思いますが、それでもこの作品に見られるように現実の世の中は努力が報われるとは限らない、いい加減な奴が見てくれだけでちやほやされて楽に生きられたりするんだよねと、そういうほろ苦さを味わう作品でもあるかなと思いました。私のようなひねくれた読み方ではなく、未熟な卓巳君が犯した小さな過ちと降りかかった不幸からの生還なんて読み方をする方が多数派なのかもしれませんけど。
 映画を見たとき、卓巳と里見のコスプレセックスを複数の視点から繰り返すのは、映画作品としての手法かと思いましたが、原作をほぼそのままなぞっていたんですね。原作を読んでみて、意外に原作に忠実な映画だったのだと思いました。
 映画についての私のコメントはこちら→映画「ふがいない僕は空を見た」

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