私の読書日記 2025年3月
26.陽だまりの彼女 越谷オサム 新潮文庫
交通広告代理店に勤務して3年目の営業担当奥田浩介が、今ではクライアントの広報担当となっている、中学時代に周囲から「学年有数のバカ」と蔑まれていじめられていた渡来真緒と、10年ぶりに再会し、その変貌ぶりに驚きながら交際を始め…という展開のオカルト恋愛小説。
再会した元同級生が魅力的に変身していてギャップ萌えし、相手からも好意を示されという流れは、おっさん読者には恥ずかしくて身もだえしてしまいそうなうれしい設定です。裏側カバーに「完全無欠の恋愛小説」とあるのも、おっさんのノスタルジーと妄想にマッチするという点では、受け容れていい気もします。
このまま行くとおっさんの妄想に奉仕するだけで小説にならんということで設けられたラストかとは思いますが、私にはどうも取って付けたような感じが残りました。
25.天使の卵 村山由佳 集英社文庫
芸大受験を目指して浪人している19歳の予備校生一本槍歩太が、10年来心を病んで入院中の父を担当する8歳年上で交際中の彼女の姉でもある精神科医五堂春妃に恋い焦がれるという設定の恋愛小説。
年上の女性に恋心を持ち、それがかなって行くどきどき感わくわく感幸福感は、やはり19歳の時に年上の医療従事者とお付き合いさせていただいた経験のある者にとっては、甘酸っぱくも至上の読み物で、抗いがたい魅力があります。
恋愛小説で、相手が一度としてよそ見しない安心感、そして相手が年上の女性なのに保護者のように思い振る舞える(いつもではなくそういう場面もあるということですが)優越感というか自尊心への配慮といったあたりが、作者のその後の大ヒット作「おいしいコーヒーのいれ方」にも通ずるところですが、若年男性(ガキんちょ男)に媚びすぎじゃない?とも感じます(そのうっぷんを晴らしたくなって「ダブルファンタジー」以降ではっちゃけたのかなとも思えますが)。
24.ぼくは明日、昨日のきみとデートする 七月隆文 宝島社文庫
叡山電車沿線の美大に通う20歳の学生南山高寿が、出会うべき運命にあった20歳の美容専門学校生福寿愛美に、2010年4月13日に通学中の車内で遭遇して声をかけてから40日間の交際を描いたSF恋愛小説。
基本的に南山サイドの視点で描写されていて、前半は南山の幸福な浮かれた恋愛を描き、後半は福寿の心情を思い切なくなるという、奇抜な(荒唐無稽な)設定でありながら恋愛小説の王道ともいうべき読み味です。男性読者を想定した男性側からの王道ではありましょうけれど。
映画を見たとき、って8年前ですが、抱いたシンデレラの福寿が南山に発見された手帳をいつどうやって回収したのかという疑問(映画の感想期日こちら)は、原作では回収していない/回収する必要がないと説明されていました(265ページ)。ようやく疑問解決(もっと早く読めって)。
福寿が手帳を置き忘れて/あえて置いて帰るのが初めてHした夜というのがなかなかに意味深な設定になります。福寿は(福寿の立場から)もっと早くそうしたくならなかったのか(もっとHしたくなかったのか)と南山の立場からは後で哀しくならないか、そこよりもより早く理解して欲しかったのか…福寿側からの内心の描写がないだけにいろいろに想像させます。
23.夜は短し歩けよ乙女 森見登美彦 角川文庫
クラブの後輩の黒髪の乙女に一目惚れしストーカーのようにつけ回しては偶然を装って目の前に現れ続ける「私」と、それを奇遇と受け止める「彼女」の半年の交錯を描いた小説。
5月終わりの先斗町飲み歩き編、真夏の下鴨古本市放浪編、京大11月祭ゲリラ興行編、師走の風邪連鎖寝込み編ともいうべき4編の短編連作の趣です。
恋愛小説のお薦めページでほぼ確実に出てくる作品のため、いつかは読もうと思っていて読んだものですが、大仰で妄想に満ちた文章にはなじめませんでした。舞台が京都でなじみの地名が頻出し、特に第3章は京大のキャンパスが舞台でイメージしやすいため、なんとか読み切ったという感じです。
「私」は3回生、「彼女」は1回生で、最初の第1章は「彼女」が入学したての5月終わりということになりますが、それでもう「私」がずっとつけ回している状態とか、彼女の方は入学して2か月足らず(浪人したかは言及されていませんが、ふつうに考えて未成年)で底なしのウワバミというのはいかがなものか…解説のイラストの「彼女」の童顔とのギャップ、妊婦にふつうに見えるお腹の膨らみ具合も…
22.海の底 有川浩 角川文庫
海上自衛隊の潜水艦「きりしお」で実習中の夏木大和と冬原春臣が、巨大ザリガニの大群の襲撃を受けて横須賀基地の春祭りに来ていた子どもたちを逃がしきれずに「きりしお」内に籠城することとなり、救助を待ちつつ子どもたちの不満と離反対立に悩まされ…という展開の小説。
映画を見た関係で、「レインツリーの国」、「植物図鑑」から入った私には、作者はふつうにラブコメの人と思っていたのですが、デビューの頃は、こういう怪獣をネタに自衛隊を賛美する「社会派」(解説者がそう書いている)の小説を書いていたと知り、意外に思いました。きっと、「ウルトラマン」などで科学特捜隊がウルトラマンの引き立て役に終始しているのを「悔しい」とか思って見ていた人なんでしょうね。その鬱屈を吐き出すような終盤にカタルシスがありますが、それまではむしろ自衛隊に防衛出動をさせない政治家や官僚への批判がメインで、自衛隊を違憲だなどという勢力は存在も許されない感じです(登場もしないのは、論外というか眼中にもないということなんでしょう)。
21.空の中 有川浩 角川文庫
国産超音速小型旅客機開発プロジェクトの試験機スワローテイルが四国沖の高度2万メートルで爆発、続いて同じ空域で高度1万メートルから2万メートルへの急上昇の演習中のF15Jも爆発という事態を受け、スワローテイルプロジェクトから調査のために自衛隊岐阜基地に派遣された春名高巳が、演習で生き残ったパイロット武田光稀への聴取を求めるが難航し…という展開のSF恋愛小説。
「白鯨」とかディックとかフェイクと名付けられた、波動をエネルギーとして生存し電波から知識を得る大規模浮遊体という、バルンガ(ウルトラQ)だかAI(HALか…)だかもどきを用いて、春名と武田、演習で死亡したパイロットの息子斉木瞬と幼なじみの天野佳江の関係を描く恋愛小説、あるいは2人の子どもを見守る宮じいこと宮田喜三郎、スワローテイル試験飛行パイロットの娘白川真帆も含めたヒューマンドラマと読むべきなのでしょう。
武田と春名の掛け合いは、後日の作者の出世作「図書館戦争」をイメージさせます。
20.悪い夏 染井為人 角川書店
船岡市役所生活福祉課に勤務する26歳のケースワーカー佐々木守は、受給停止に励むようにとの課長の指示を受けて担当の受給者を回るが、受給者を詰問しても抵抗を受けて辞退届を取れない日々を送っていた。そんなある日、同僚で遣り手の宮田有子から、7年先輩の高野洋司が担当の受給者林野愛美を脅して生活保護費のキックバックを受け肉体関係も結んでいるという情報を受け…という展開の小説。
働けるのに働かずに生活保護を受けている不正受給者が跋扈しており、国民の税金が無駄に使われているという安倍政権以来政権とメディア、ネット民が流布し強調している見方・価値観に基づいた、同情すべき生活保護受給者も、誠実に真摯に困窮者を助けようと精励している職員もまったく登場しない(最も困窮の度合いが高く生活保護を受けられずに自殺する古川佳澄でさえ困窮していないときでも万引きをする常習犯と描かれ共感を得にくくされています)作品です。作者の価値観なのか、そういったメディアやネトウヨが流布した生活保護への偏見に迎合しているのかはわかりませんが、私には志の低さが感じられ読後感の悪い作品でした。
19.韓国が嫌いで 張康明 ころから
満員の地下鉄で勤務先のソウルの金融会社への通勤を続けて3年のケナが、大学の同期生で新聞記者になるべく挑戦中の恋人ジミョンと別れてオーストラリアに渡航し、さまざまなバイトをしさまざまな出会いを経て変わっていくという小説。映画「ケナは韓国が嫌いで」の原作。
韓国の競争社会になじめないなら、韓国にこだわることなく生きやすい場所で好きに生きるという選択肢があるよというテーマですが、それを、弘益大学(芸術系では韓国有数の私学)卒業生で大手の金融会社に勤務していた、つまりトップエリートではないもののそこそこ競争の勝者と見える設定の主人公で、渡航後もソウルに戻ってきたり、他の男とデキた後にもジミョンともよりを戻してみたりという逡巡し揺れ動く展開で、そんなに固い意志で潔癖にやらなくてもいいよという描き方をした、(底辺層やフェミニストではなく)中間層をターゲットにした緩い読み物にしたところがヒットにつながったものかと思いました。
作者は、元新聞記者の男性、つまりこの作品の中ではジミョンの立場に位置します。そこが作品中のケナの設定、心情、言動にどのように影響しているかは、興味深いところです。
18.意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く 渡辺正峰 講談社現代新書
コンピュータに脳の記憶と意識を移し(アップロードし)デジタル世界で永遠に生きることに向けた研究とその可能性を語る本。
プロローグ段階で衒学趣味的なあるいは自己陶酔的な(15歳にして自慢の美尻だったそうだし)語りに既に倦怠感を持ちつつも、攻殻機動隊のイメージの世界にどこまで理解がたどり着けるかの関心から読みました。
しかし、神経科学の実験の話はいいのですが、肝心の機械脳への置き換えで意識は持続するのか、機械脳に意識が生じるのかという問題になると、科学から哲学にトーンが変わるように思えます。機械脳に置き換えても意識が持続するという根拠/論証?は、思考実験としてニューロン1つの置き換えがきちんとできればその前後で意識に影響がない状態にできるというようなこと(30~42ページ)ですが、ミクロ部分の1つが果てしなく同じように繰り返せるという仮説自体に不確かさがあり、繰り返しの中でどこかに臨界点/特異点があり意識が失われるとか、そもそも意識はある/ないではなくレベルの問題で置き換えの過程で少しずつレベルが下がりどこからか意識が一部残ってもそれはもう意識として機能しないというようなことの方が、私にはよりありそうに見えます。ミクロに区切ったところに注目させた論証というのは、どこかアキレスはカメに追いつけないと言われているような気持ち悪さを感じます。それに、論証できたと言っては、その後また問いに戻りという繰り返しで(少しずつ置き換えれば大丈夫という議論は327~333ページでもまた登場します)、私には最後まで腑に落ちず、読み終わっても攻殻機動隊は攻殻機動隊のままの理解に留まったという思いです。
09~17.ムーミン全集[新版] 1~9 トーベ・ヤンソン 講談社
ムーミントロールとムーミンパパ、ムーミンママらと周囲のものたちが交流し冒険しながら思い思いに振る舞い問題を乗り越えて行く様子を描いた童話。
アニメと有名な童話シリーズだということしか知らず、今回初めて通しで読んでみたのですが、前の話が前提となって話が続いているということはあまりなく、各巻が読み切りのように読むことができます。私の印象では、童話作品としては4巻(5作目)の「ムーミン谷の夏まつり」がピークで、スナフキンがミイにいう「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、わかっているってことだよ」(108ページ)が通しテーマかなと思います。文学作品として見ると次の「ムーミン谷の冬」の方が洗練されているかも知れませんが少し小さくまとまった感じです。「ムーミン谷の仲間たち」は短編集で外伝みたいなものですし(あまり「外伝」っぽくもないのですが)、その後の「ムーミンパパ海へいく」と「ムーミン谷の十一月」は、構築した世界を崩して誰もそんないい人じゃいられないし、いつまでも他人に守り導いてもらうんじゃなくて自分の途は自分で見いだせよというメッセージを感じますが、童話というよりも教訓的でありまた成長物語のイメージです。
通し読みすると、作者がきちんと説明しよう、つじつまを合わせようとしていないことが感じられます。多くの登場人物が種族名なのか固有名詞なのか判別しにくいのですが、特に戸惑うのは「ヘムレンさん」です。種族名としては「へムル」なので、「ヘムレンさん」は固有名詞と思ったのですが、「たのしいムーミン一家」では1人称が「わし」で性別に言及されないヘムレンさんが登場し、「ムーミンパパの思い出」では1人称が「わたし」のヘムレンさん(ヘムレンおばさん)、「ムーミン谷の冬」では1人称が「ぼく」のヘムレンさんが登場した挙げ句、「ムーミン谷の仲間たち」に至り「あるヘムレンさん」(116ページ)というのが登場します。ミムラねえさんは、34姉妹の長姉、ミイは末娘としてムーミンパパの若き日の冒険の中で登場します(「ムーミンパパの思い出」)が、どちらもムーミントロールやスナフキンとともにも登場します(スナフキンはミイの異父弟の設定)。ミイとミムラねえさんの年齢差はいくつなのか、ミムラねえさんは何歳なのか、説明もありません(まぁ、人間じゃないから、妊娠期間が短いかも、一度にたくさん生まれるのかも…)。「ムーミン谷の仲間たち」でムーミンパパは「竜というものは、ほぼ70年まえに、人々の意識から消えてしまったんだよ」とムーミントロールに説明しています(106ページ)。「ムーミンパパの思い出」で、自分がフレドリクソンと謀って竜のエドワードを騙して利用し(68~75ページ)、その後エドワードに恨まれて執念深く追われたことなどなかったかのように(ムーミンパパがそのことをムーミントロールには隠しておきたかったなどの説明があるならわかりますが、それもありません)。
そういううるさいことを言わずに、その世界に浸りしみじみ味わうべき作品なのですね。
1巻 ムーミン谷の彗星
2巻 たのしいムーミン一家
3巻 ムーミンパパの思い出
4巻 ムーミン谷の夏まつり
5巻 ムーミン谷の冬
6巻 ムーミン谷の仲間たち
7巻 ムーミンパパ海へいく
8巻 ムーミン谷の十一月
9巻 小さなトロールと大きな洪水
08.なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか 横道誠 集英社
トーベ・ヤンソンが自閉スペクトラムの特性を持つ「ニューロマイノリティ」であり、ムーミン・シリーズのキャラクターはトーベ・ヤンソンの個性が反映されてニューロマイノリティの特性を持つという仮説を立て、そのように読むことで読者にニューロマイノリティへの理解を深めてもらいたいと語る本。
周囲とコミュニケーションを取ろうとしないキャラクターや我の強いキャラクターがてんでバラバラに思い思いに振る舞う様は、そのように読むこともできます。しかし、それはただ読者に強い印象を残すには個性の強いキャラクターを走らせなくちゃということかも知れません。
浸透した作品と親しまれているキャラクターを用いて自閉スペクトラム症の人への寛容と理解を求めることは、皆が生きやすくなる戦略として好ましく思えますが、あれは自閉スペクトラム症の特徴、ニューロマイノリティの傾向、あれはニューロマジョリティの色彩が強いと繰り返すことには、むしろレッテル張りのリスクと印象も感じます。「病気」なんだから大目に見てよ、理解してよということは、そのような理解につながる面もあるでしょうけれども、先入観を強める面もあると思います。自分の言動の傾向を、「病気」としてではなく「個性」と受け止めて欲しい人だっているのではないでしょうか。
自閉スペクトラム症の人への理解を求めるという観点からは、私は「ムーミン谷の冬」でトゥーティッキがムーミントロールに「あのね、この世界には、夏や秋や春には居場所のないのがいっぱいいるのよ」と諭す場面(ムーミン全集[新版]6「ムーミン谷の冬」57~58ページ)が印象的でした。しかし著者はこの場面には注意を払いません。他方で、「ムーミン谷の十一月」でホムサがみんながスナフキンを尊敬する理由は「みんなから距離をとって、自分の世界に閉じこもっているからかもしれません」と考える場面(ムーミン全集[新版]8「ムーミン谷の十一月」187ページ)は引用し強調しています(130ページ)。著者は、ニューロマジョリティにではなく、ニューロマイノリティの読者にムーミン・シリーズを「自分たちの文学」として誇りに思って欲しい、生きる力にして欲しいという思いの方が強いのかも知れません。
ムーミン・シリーズを用いて、自閉スペクトラム症の人も含めたコミュニケーションの苦手な人へ理解や共感へとつなげるのに、自閉スペクトラム症の特徴だとか、「病気」を媒介にすることが重要なのでしょうか。例えば、著者が「モラル」の象徴と繰り返す座ったところを凍らせて不毛の地にしてしまう口を利かない怪物「モラン」を、ずっと怖がっていたムーミントロールが心を許し心を通わせていく姿(「ムーミンパパ海へいく」)を見ていると、モランを何かに定義づけしなくても、寛容や理解、共感の気持ち・心情に至ることができるのではないでしょうか。
07.常在細菌叢を制御せよ! プレバイオティクスがつくり出す未来 廣岡芳樹 宝島社
腸内、口腔内、皮膚等の常在細菌叢の重要性、常在細菌叢の乱れによる病気、不調、常在細菌叢の乱れの原因(偏った食事、不規則な生活習慣、抗生物質などの不要な薬物の使用、加齢、過度な衛生環境)、常在細菌叢のコントロールには善玉菌の口腔からの投入(プロバイオティクス)よりも腸内細菌叢の餌になるオリゴ糖などを摂るプレバイオティクスの方が優位であることなどを解説する本。
以上のようなことが、すでにイントロダクションで書かれていて、それはよくわかるのですが、それをより詳細に論じる本文は、多くが聞き慣れないカタカナの化学物質名をはじめとする専門用語に満ちていて、私にはとても辛い本でした。本の体裁と文体は柔らかく思えるのですが、内容は、これ、宝島社の本?と疑問に思いました。
06.ゴミ収集の知られざる世界 藤井誠一郎 ちくま新書
ゴミの収集・運搬、中間処理、最終処分の実情等について説明した本。
自らゴミ収集等の作業に従事し、清掃労働者の過重労働や危険、通行人の反応とそれに対する清掃労働者の対応と心情を自らあるいは身近に感じながらレポートする姿勢は、労働者側の弁護士の私の目からは好感します。
ただ、そういった立場で清掃労働者と接している著者が、ゴミをきちんと分別せず、さらには飲み残しやタバコの吸い殻などを入れたペットボトルなどを投棄するような不心得な一般人や差別的言動を行う者に怒りを持つのは理解できますが、そのような一般人を悪者にして、(清掃労働者への理解を求め、また敬意を表することはいいのですが)自治体や中間処理事業者などの関係事業者を礼賛するばかりでいいのか、事業者の実態や産業廃棄物処理施設や処分場に問題はないのかという疑問も、私には残りました。著者としては、まずもって一般人が自覚してもらうことが先、それだけでもかなりよくなるという意識と、取材先を悪く書けない/書きたくないという事情があるのかも知れませんが。
05.学び直し高校物理 挫折者のための超入門 田口善弘 中公新書
物理学について、力学、電磁気学、熱力学、波動、分子・原子の各分野に分けて解説した本。
「はじめに」で「この本は、高校物理の挫折者や、履修はしなかったが、あらためて学び直したいという初学者を想定して書かれたものだ」とされ、サブタイトルは「挫折者のための超入門」とされています。確かに、日常目にするものや経験することを例に挙げ、何故そうなるのかについて少し踏み込んで説明しようという姿勢は見られますが、その説明は必ずしもやさしく理解できるとも言い切れず、高校生のときに挫折した人がこれを読んでよくわかる、帯に書かれているような「なーんだ、そうだったのか!」と思えるかには疑問を感じます。
摩擦力は最新の物理学でもいまだに解明できていない(76ページ)とか、いまでも雲の生成過程は完全には理解されていない(179ページ)とか、熱力学第二法則についても「氷が溶けてできた水から、また氷に戻ることは絶対に起きないと、すべての場合に証明できた人は残念ながらいない」(202ページ)など、身の回りのことでもまだわかっていない、基本的な法則も完全に証明されたわけではないというあたりに、挫折者・初学者が、要するにわからなくても仕方ないんだ、専門家だってわかってないんじゃないかと溜飲を下げるという価値があるかもと思いました。
04.妊娠したら、さようなら 女性差別大国ニッポンで苦しむ技能実習生たち 吉水慈豊 集英社インターナショナル
技能実習生、留学生等として日本に在留するベトナム人女性が妊娠すると切り捨てられ帰国を強いられるなどして、著者が代表を務めるNPO法人に支援を求めてきた事例を通じて、技能実習生らの置かれた状況、低賃金労働者として利用する企業の身勝手さと無知などを報じた本。
技能実習生が妊娠を伝えるとすぐに契約打ち切りを決めた受け入れ企業が、地域合同労組として団体交渉を申し入れるや退職強要などなかったとして産休は当然の権利だなどと言いだした(70~81ページ)とか、シングルマザーとなる留学生が児童扶養手当の申請をすると市役所が児童相談所に通報して児童相談所が母親から乳児を取り上げて「保護」した挙げ句、父親に認知を求める調停を起こしている間に入管に通報して強制帰国させようとした(86~98ページ)など、企業や行政の横暴ぶりに憤慨し、心が痛みます。
また、技能実習生らが来日までに多額の借金を抱え、郷里の親族らが仕送りに依存しているなどで、技能実習生らの選択が縛られていることも哀しいところです。
著者が経験した事例の紹介で、個別性が強いものではありますが、技能実習生らの苦境と日本社会・企業・行政の実態を垣間見させてくれます。
03.日本列島はすごい 水・森林・黄金を生んだ大地 伊藤孝 中公新書
日本列島の成り立ちを地学的に解説し、その気象や資源などの特徴を説明した本。
プレート境界に位置することから地震が多く、プレートの沈み込み帯上にあるために火山が多いことに加え、太平洋の西端の北側に位置するがために台風が集中し、同様の事情で強力な暖流の黒潮が通り、かつそれが日本海側にも分岐するという絶妙の条件で日本海側が世界屈指の豪雪地帯になるなどの、日本列島の世界での特異性が語られ、認識を新たにしました。
理系の学者さんなのに何故か松尾芭蕉好きの著者が、数百万年から1千数百万年前の日本列島の状態や動きと奥の細道の芭蕉の行程をダブらせて説明していますが、親しみやすさを狙っているとしても、芭蕉が見た景色と違うはずのことを何か関係づけられるのはただうさんくさく感じるだけだと思います。
激動を経た日本列島と世界が、この7000年間ほどは海水準が安定し巨大噴火もないことは特別なことで僥倖であった(30ページ、217ページ)ということは胸に刻んでおきたいと思います。
02.ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由 仁平綾 だいわ文庫
夫の仕事の関係で9年間ニューヨークで暮らした著者が、ニューヨーカーの気質や生活、習慣、志向などを綴ったエッセイ。
他人の自由を尊重し、他人の目を気にせず我が道を行く、しかし気さくに話しかけてくるという人間関係が気楽で、著者のお気に入りというところ。
食べ物の話が多めで、一人約2万円の創作寿司、白身の鯛の上にグリーンサラダ、レンコンチップストッピングとかの衝撃の食体験を、型破りの美味しさと評価しいちいち日本と比べていた自分を反省した(48~53ページ)とかの話なんかに持ち味があります。
バーゲン会場で試着室などかまわずその場で生着替えするニューヨーカーたち(43~47ページ)とかも。
気楽に読めて、どこか暖かさと、ニューヨークへの思いを残せる読後感のいい本でした。
01.最新テーマ別実践労働法実務5 残業代の法律実務 渡辺輝人 旬報社
残業代請求のための弁護士実務について解説し、労働者側の弁護士にフル活用するように叱咤激励する本。
著者の学識というか法と判例を考え抜いた成果に満ち、かつ戦闘的な姿勢が際立っています。労働者側の弁護士として、感嘆し、自分がここまでできていなかったことを自戒し、次に残業代請求の事件をやることになったら必ず読み返して使いこなそうと思う本です。
一般人はもちろんのこと、労働者側の弁護士でも、ふつうに読みながらついていくのは難しいと思います。残業代ソフトを用いた残業代計算の解説は、著者自身がソフトを開きながら読めと書いているように、本だけ読んでも理解できません。残業代請求の事件をしばらくやっていなくて、きょうとソフトver.4.0(2023年)を入手もしておらず、きょうとソフトは付加金(残業代等の請求の際に残業代自体とは別に労働基準法上請求できる金額)が自動計算できない(162~163ページ)という記述を見て、え~っ、できるでしょ、何言ってるんだと思った(調べてみたら、ver.3までは自動計算できたが、法改正の狭間への対応でver.4.0で手動になったらしい)私のレベルでは、ついていけない。
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