◆たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その4)短縮版
福島第一原発1号機の非常用交流電源喪失は2011年3月11日15時37分かそれ以前
津波が1号機敷地に遡上したのは15時38分かそれ以降
だから少なくとも1号機については、時間的前後関係からして、全交流電源喪失の原因は津波ではあり得ない
福島原発事故を破局的な大事故に至らせた原因の「全交流電源喪失」の原因は、少なくとも福島第一原発1号機については津波ではあり得ないという私の主張を、現時点までに判明した事実を元に改めて説明し、東京電力の主張への反論をとりまとめました。
こちらは短縮版です。私の主張をまず知りたい方にはこちらの方が読みやすいと思います。
(東京電力の主張とそれに対する私の反論をきっちり読みたい方はフルバージョンのこちらをどうぞ)
1.この文章の目的と結論
2.この文章の論証の構成
3.非常用交流電源喪失時刻
4.波高計実測波形の検討
4.1 はじめに
4.2 第1波
4.3 第2波(1段目)
4.4 第2波(2段目)
5.津波の写真の検討
5.1 はじめに
5.2 写真1〜4:第1波の水位低下局面
5.3 写真5〜6:私の見解では第2波(1段目)、東京電力はこれを否定
5.4 写真7〜12:私の見解では第2波(2段目)、東京電力は第2波(1段目)と主張
5.5 写真13〜14:4号機南側での津波の遡上
5.6 写真15〜16:私の見解では第2波(3段目)、東京電力は第2波(2段目)と主張
5.7 まとめ
6.直接の観察資料がない間の津波の進行について
6.1 波高計の時刻の正確性について
6.2 直接の観察資料がない間の津波の進行所要時間についての評価
6.3 写真の撮影時刻の評価
6.4 1号機敷地への津波遡上時刻についての私の結論
7.東京電力の主張の誤り
7.1 東京電力の主張
7.2 東京電力の主張と私の主張の違い
7.3 写真7〜12に写っている波が第2波(1段目)とすることの誤り
7.4 その他の東京電力の誤り
8.プラントデータの分析問題あるいは「津波でなければ何が原因か?」
1.この文章の目的と結論
福島原発事故では、地震によって外部電源(発電所外からの電気の供給)が喪失しました。その後外部電源喪失に備えて設けられている各号機ごとに複数(1号機ではA系、B系の2系統)の非常用交流電源(非常用ディーゼル発電機を起動して非常用母線に電気を供給)がいったんは想定通りに起動しました。しかし、その非常用交流電源が地震発生後50分程度経過したあたりから次々と機能喪失し、全交流電源喪失(Station Blackout 略してSBOとも呼ばれています)となりました。そのため1号機、2号機、3号機で炉心の冷却ができず炉心溶融・メルトダウンに至り、破局的な大事故になってしまいました。
福島原発事故が破局的な大事故となった原因の全交流電源喪失がなぜ生じたのかについては、日本政府と東京電力等はすべて津波によるものだとしています。しかし、国会事故調(正式名称は「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」)の報告書(2012年7月5日:こちらから入手できます)は、津波の敷地到達を15時37分以降と認定して「当委員会のヒアリングで15時35分か36分停止と認められる1号機A系の電源喪失の原因は津波ではないと考えられる。15時37分停止の1号機B系及び2号機のA系、15時38分停止の3号機A系及びB系も、電源喪失が津波によるといえるかは疑問がある」と結論づけています。
私は、国会事故調の協力調査員としてこの問題について調査を担当しました。国会事故調報告書発表後もこの問題について検討を続けた結果、私は少なくとも福島第一原発1号機では全交流電源喪失は2011年3月11日15時37分かそれ以前に生じ、1号機敷地への津波の遡上は15時38分以降、おそらくは15時39分頃であるという確信を得ました。つまり、時間的前後関係からして、1号機についてはA系、B系ともに非常用交流電源の喪失原因は津波ではありません、したがって1号機の全交流電源喪失の原因は津波ではあり得ないのです。
この文章では、このことを、その後の東京電力の主張も踏まえて、少し詳しく解説し論証します。私の分析検討に使用する資料は、基本的に、@福島第一原発沖合1.5km地点に設置されていた波高計による実測波形(福島第一原発を襲った津波の唯一の実測データ)と、A津波が福島第一原発を襲う過程を撮影した一連の写真という2種類の1次資料です。
念のために予め述べておきますが、私は、全交流電源喪失が生じた後に、さらに津波による浸水で非常用電源が回復不能のダメージを受けたことは、もちろん否定しません。最初に全交流電源喪失に至った原因が津波ではあり得ないというのが私の主張です。
2.この文章の論証の構成
この文章では、まず次の3で、福島第一原発1号機の非常用交流電源の喪失時刻を15時37分かそれ以前と特定した上で、4以降で津波の1号機敷地への遡上時刻が15時38分以降であることであることを論証します。
津波の1号機敷地への遡上時刻については、まず4で福島第一原発を襲った津波についての唯一の実測データの波高計の波形を紹介して検討し、続いて5で福島第一原発を襲う津波を撮影した44枚組の連続写真のうち前半の16枚を紹介してその写真からわかることと私の見方を示します。その後、6で波高計設置位置の福島第一原発沖合1.5km地点から津波が写真に写っている地点までの、言い換えれば津波について直接の観察資料がない区間の津波の進行にかかる時間を、津波の速度に関する一般式に基づいて計算して、津波の着岸時刻あるいは写真の撮影時刻を特定します。
その後、7で、東京電力の主張を紹介した上で、それが誤りであることを論証します。
最後に8で、まとめに代えて、津波でなければ何が原因だという質問に対する私の姿勢を示します。
3.非常用交流電源喪失時刻
東京電力が2011年5月16日に公開した事故当時の1号機の運転日誌上、当直長引継日誌には「D/G1Bトリップ 15:37」、当直員引継日誌には「15:37 D/G1Bトリップ→SBO(A系トリップはいつ?)」と記載されています(運転日誌はこちらから入手できます)。これらの記載から、15時37分にはB系の非常用電源が機能喪失して(先にA系が機能喪失していた結果)それにより全交流電源喪失となったことが明らかです。
1号機A系の非常用電源喪失時刻については、国会事故調が当日の運転員のヒアリングでB系よりも1、2分前との供述を得たのに対して東京電力が再度ヒアリングをして運転員の供述を覆したり、国会事故調の提出要請に対してはデータが存在しないとしていた1号機の15時17分03秒以降の過渡現象記録装置の1分周期データを東京電力が国会事故調解散後の2013年5月10日になって突然公表して15時36分59秒時点まで非常用ディーゼル発電機が稼働していたと主張し始めるなどの不公正な動きがありました。
東京電力が2013年5月10日に公表した過渡現象記録装置の1分周期データを前提とすると、1号機A系の非常用交流電源はディーゼル発電機の停止以外の原因によって15時35分59秒と15時36分59秒の間のいずれかの時刻、つまり15時36分台に機能喪失したことになります。1号機B系の非常用交流電源は、15時36分59秒時点で非常用ディーゼル発電機が稼働状態で非常用ディーゼル発電機及び非常用母線の電圧も定格値を維持していますが、非常用ディーゼル発電機の電流が15時35分59秒と15時36分59秒の間のいずれかの時刻に大幅に低下し半減しています。したがって、東京電力発表の過渡現象記録装置の1分周期データによれば、15時36分59秒までに、1号機A系非常用電源が機能喪失したことは確実で、1号機B系の非常用電源にも既に異常が生じていた疑いがあります。
いずれにしても、1号機では15時37分には全交流電源喪失に至っていますから、非常用交流電源の喪失はA系、B系とも15時37分かそれ以前ということになります。
4.波高計実測波形の検討
4.1 はじめに
図1は、福島第一原発沖合1.5km地点(水深約13m)の海底に設置された波高計の3月11日15時10分頃以降の実測データにこの文章でのそれぞれの波の呼び方とポイントになる時刻を書き込んだものです。高さは「O.P.(m)」とされていますが、これは小名浜港工事基準面(Onahama Peil:略してO.P.)のことです。O.P.±0mは東京湾平均海面(Tokyo Peil)の下方0.727mつまり海抜−0.727mにあたります。福島原発事故に関する文献は高さについてはこのO.P.で表記するのが通例となっています。この文章でも津波の波高、敷地や防波堤などの高さはすべてO.P.で表記します。
図1 福島第一原発を襲った津波の実測波形と波の定義
この実測波形は、波高計の測定限界が±7.5mであること、巨大な津波により波高計に異常が生じたと見られることから、波高記録が7.5mで打ち止めになり、また15時35分を超えたところで記録がなくなっています。しかし、少なくとも波高が7.5mに達するまでは機能に問題はなかったと考えられています。データのうち数十cm程度のスパイク状の上下動は津波と関係なく通常時にも寄せては返している波(波浪)です。実際の波は、大きな動きの津波と小さな波浪が合成された形になっています。
非常用電源関係の機器は発電所敷地の高さがO.P.+10mのいわゆる10m盤上に設置されています。したがって津波によって電源喪失が生じるとすれば、波高約4mの第1波ではなく、波高が7.5mを超える第2波(2段目)かそれ以降の津波によるものと考えられます。
当初は、第1波によってO.P.+4mのいわゆる4m盤(海側エリア)にある非常用ディーゼル発電機を冷却するための海水ポンプが停止して、その場合に発信される非常用ディーゼル発電機の停止信号で非常用ディーゼル発電機が停止した可能性を主張する向きもありました。しかし、国会事故調の報告書が第1波が4m盤を浸水していないことを論証した上そもそも1号機A系については海水ポンプの停止による非常用ディーゼル発電機停止信号自体がないことを明らかにし、後日東京電力が1号機ではディーゼル発電機が稼働中に先に非常用母線が機能喪失したことを発表したことから、今ではそのような主張は見られなくなっています。
この文章では、現時点で意味がある論点として、1号機の非常用交流電源喪失時刻と第2波(2段目)かそれ以降の津波の1号機敷地遡上時刻との前後関係に絞って議論することにします。
4.2 第1波
第1波は、15時17〜8分頃から緩やかに立ち上がる最大波高約4mの波で、15時28分頃にピークを迎えます。このことは後の説明(特に7.3の東京電力の主張の誤り)で非常に大きな意味を持ちますが、結論的には、第1波のピークを15時27分30秒とか、実測波形の形から見てやや不自然なほど前になる15時27分としたとしても、東京電力の主張が破綻することは変わりません。
この波形は、図1で見るとはっきりとした山型に見えますが、図から波形の数値を読み取れば明らかなように約10分をかけて水位が約4m上昇しているものです。波高計設置位置近辺の水深約10mの海での津波の標準的な速度が約10m/秒だということを考えると、第1波の波形は、水平方向で6kmの距離に対して4m、言い換えれば水平方向600mに対して40cm、水平方向60mに対して4cmの上昇を意味しますから、肉眼で傾斜があることを判別することはほぼ不可能です。つまり、第1波は見た目にはほぼ水平で、速い満ち潮とか高潮のような形状となります。
4.3 第2波(1段目)
第2波(1段目)は、第1波のピークから約5分30秒後の15時33分30秒頃に急速に立ち上がり、波高約4〜5mに達しています。波高計設置位置での波形は棚状になっていていわゆる「段波」の形状となっています。
4.4 第2波(2段目)
第2波(2段目)は、第1波のピークから約7分後、第2波(1段目)から約1分30秒後の15時35分頃に急速に立ち上がります。最大波高は波高計の測定限界の7.5mを超えていることは確実ですがどれだけの波高に至ったかは不明です。また波の形状も急速に立ち上がっていることは明らかですが、その後棚状なのか山型なのかも不明です。
5.津波の写真の検討
5.1 はじめに
東京電力は、2011年5月19日に福島第一原発4号機南側の廃棄物集中処理建屋から撮影した写真を11枚公表しましたが、その際、津波が福島第一原発に至る過程の写真は公表しませんでした。国会事故調が、津波を撮影したすべての写真を提出するように求めて初めて、東京電力は上記11枚を含む44枚の一連の写真を提出しました。東京電力がこれらの写真を一般公開したのは、国会事故調報告書公表後の2012年7月9日です。
国会事故調に提出された写真はデジタルカメラにより撮影された写真ファイルで、この44枚のファイルネームは連続しています。したがって、ファイルネームが撮影後に加工(変更)されていない限りは、これらの写真の間の時刻に撮影された未公表の写真はないと考えられます。そして国会事故調に提出された写真ファイルにはデジタルカメラで撮影した写真ファイルに自動的に記録される撮影時刻等のいわゆるExif情報が付いていました。ですから写真ファイルそれぞれに撮影時刻が記録されているのですが、撮影したカメラの内蔵時計に進み・遅れがあればExif情報上の撮影時刻も正しいとはいえないことになります。結論から言うと、国会事故調報告書も私も、東京電力も、このカメラの内蔵時計の時刻は正しくないという前提で議論しています。ただし、カメラの内蔵時計の時刻が不正確であっても、撮影時刻の間隔は正しいものと考えられます。このことが以下の検討の重要な前提となっています。
この文章では、東京電力が2011年5月19日に公表した11枚組の写真と2012年7月9日に公表した33枚組の写真を撮影順に並べた最初から16枚を撮影順に写真1から写真16と表記して検討します(これらの写真は現在こちらでダウンロードできます。このページでは、東京電力が公開している写真をオリジナルサイズのまま貼り付けています)。
福島第一原発の各号機と防波堤などの配置、写真の撮影位置等については図2の通りです。
図2 福島第一原発位置関係図(国会事故調報告書参考資料71ページ)
5.2 写真1〜4:第1波の水位低下局面
写真1
写真2
写真3
写真4
写真2は写真1の34秒後、写真3は写真2の28秒後、写真4は写真3の25秒後に撮影されたもので、写真1〜4はほぼ30秒間隔で撮影されています。
写真1〜4では、海面はほぼ水平で通常の波(波浪)が見られますが津波状の上下動は見られません。南防波堤(写真手前側)、北防波堤(写真左奥)、東波除堤(港内)が露出していますが、防波堤の天端部(最上部の水平面)近くまで水位が上昇しています。南防波堤と北防波堤が高さ5.5m、東波除堤が高さ5mであること、第1波の波形が速い満ち潮状で波高計設置位置での最大波高が約4mであることからすれば、この写真は第1波が福島第一原発敷地直前に押し寄せているところとみるのが自然です。
この写真1〜4では、津波の水位が次第に低下していることがわかります。写真1〜4を並べて全体的に見てもこのことを理解できると思いますが、よりわかりやすくするために写真1〜4(いずれもオリジナルサイズは横幅が640ピクセル)の南防波堤付け根部の同じ箇所(図3参照)を切り出して(切り出しサイズは横幅120ピクセル、高さ40ピクセル)3倍に拡大し(その結果横幅360ピクセル、高さ120ピクセル)、津波の波浪を除いた水位を直線で示し、同じ箇所で防波堤からその水位の直線まで垂線(写真では白抜き)を下ろしたものを作成して並べると写真1-2〜4-2のようになります。直感的にも写真1-2から次第に水位が下がり白抜きの直線が長くなっていくことが把握できると思います。数値で言うと、防波堤天端から津波水位まで下ろした垂線の長さが、写真1-2で9ピクセル、写真2-2で11ピクセル、写真3-2で14ピクセル、写真4-2で16ピクセルとなりました。防波堤の側面が傾斜していますから写真上の垂線は現場では垂線にはなりませんが、現実の防波堤天端と津波水位の差はこの垂線長さに比例しているはずです。
図3 写真切り出し部位説明図
写真1-2
写真2-2
写真3-2
写真4-2
以上のことから、写真1〜4は第1波のピーク以降の部分が福島第一原発敷地直前に到達したところを撮影したものであると判断できます。
そして、写真1の水位が南防波堤付け根部でも天端部に近くなっていることからすれば、写真1は第1波のピーク付近が福島第一原発敷地直前に押し寄せているところを撮影したものと考えられます。
5.3 写真5〜6:私の見解では第2波(1段目)、東京電力はこれを否定
次に写真4の3分34秒後に撮影された写真5とその11秒後に撮影された写真6を検討します。
写真5
写真6
この2枚の写真では、2つの着目点があります。1つは南防波堤付け根部や東波除堤の部分で、これらが相当程度露出していて、水位が明らかに下がっています。もう1つの着目すべき点は防波堤の先(写真奥)に南防波堤の先端部分とほぼ平行に小さな津波が写っていることです。この津波は、カラー写真でも縮小サイズでは判別しにくく、モノクロ印刷ではほぼ判別できません。そのためオリジナル写真から該当部分を切り出したものの下に、そのコントラストを強調加工した写真を参考までに示します(写真5-2、写真6-2)。
写真5-2
写真6-2
写真1からカウントすると写真5は5分01秒後、写真6は5分12秒後に撮影されています。私は、これが第2波(1段目)であると考えています。その理由は第1波のピークから5分ないし6分後、次に写真7以降で見るように第2波(2段目)のほぼ1分前という敷地近傍への到達時刻が波高計の実測データ(図1)に示されている時間間隔ときれいに整合することにあります。
5.4 写真7〜12:私の見解では第2波(2段目)、東京電力は第2波(1段目)と主張
続いて、いよいよ防波堤を呑み込みながら福島第一原発敷地に迫る津波が撮影されている写真7〜12を検討します。写真7は写真6の57秒後、写真8は写真7の11秒後、写真9は写真8の17秒後、写真10は写真9の5秒後、写真11は写真10の23秒後、写真12は写真11の4秒後に撮影されています。写真7以降はほぼ連続して撮影されたと言えます。
この一連の写真に写っている津波が、第2波(1段目)なのか(東京電力の主張)、第2波(2段目)なのか(私の主張)が、現段階では東京電力と私の最大の対立点となっています。
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
写真12
私は、この高さ5.5mの南防波堤を軽々と超え呑み込んでいる津波は、波高計の実測波形で波高7.5m超の第2波(2段目)だと考えています。私は、そのことはこの写真を見れば当然だと考えていましたが、後に紹介するように東京電力はこれが波高計の実測波形で波高5mかそれ以下の第2波(1段目)だというのです。
写真7から写真12にかけて、津波が南防波堤と北防波堤を越えて港内に流れ込み防波堤が津波に呑み込まれて見えなくなる様子、津波が防波堤先端部から防波堤(南防波堤)付け根部へと原発敷地に迫ってくる様子に目を奪われます。
しかし、これらの写真で、津波は南防波堤と北防波堤を越流しているけれども港内への波及はあまりなく港内中央部の海はほとんど荒れていないこと、そして港内にある東波除堤は南防波堤や北防波堤より高さが低いにも関わらず露出したままであることに注意してください。このことから私は、この津波が4号機海側エリアに着岸しても防波堤の奥深くにあることにより守られている1号機敷地への津波遡上には至らなかったという結論を導きました。つまり、1号機敷地に遡上した津波は、写真7〜12に写っている津波(私の主張では第2波(2段目))ではなく、写真15〜16に写っている津波(私の主張では第2波(3段目))か、それ以降の津波だと私は考えています(その点については、東京電力も同じ意見のようです)。
5.5 写真13〜14:4号機南側での津波の遡上
写真13と写真14は、写真11での津波の4号機海側エリア着岸後、津波が4号機南側の敷地に遡上し始めた様子を撮影したものです。
写真13
写真14
これらの写真では4号機南側の10m盤の敷地に津波が遡上している様子が写っています。しかし、写真右上隅に写っている港内部分で東波除堤が露出していることからわかるように、防波堤の外側の敷地には津波が遡上しても、この時点では防波堤の内側の10m盤、つまり1〜3号機の敷地には、津波の遡上は開始されていないと解されます。
5.6 写真15〜16:私の見解では第2波(3段目)、東京電力は第2波(2段目)と主張
次に、津波が港内にも波及する写真15と写真16を検討します。写真15は写真11(4号機海側エリア着岸)の37秒後、写真16は写真11の52秒後に撮影されました。
写真15
写真16
写真15は大津波が南防波堤をまさに越流しているところで、南防波堤に沿って津波が高い波頭を見せています。写真16では津波が東波除堤を越流していますが、波の先端が写真15での南防波堤の線から大きく北側(写真では左側)に移動していることが読み取れます(写真15-2、16-2参照)。この津波の前線とその移動を地図に落とすと、津波は防波堤の影響で防波堤の内側(港内)では東から西へではなく南東から北西に向けて進行していることがわかります(図4参照)。
写真15-2
写真16-2
この写真16での大津波の波の先端は、東波除堤の3号機前部分(2号機との境に近いといってもいいですが)に位置すると見られます(図4参照)。したがって、大津波が1号機敷地に達するのは、この写真16よりもさらに少し後ということになります。写真15と写真16の撮影時刻差が15秒で、写真16の大津波の先端から1号機敷地までの距離が最短距離で見ても写真15から写真16までの大津波先端の移動距離の概ね倍程度と考えられる(図5参照)ことから、1号機敷地への大津波の遡上は早めに見ても写真16の撮影時刻より30秒程度後と、私は考えます。
5.7 まとめ
写真7以降の写真のうち海側を撮影した写真について、波の先端部の位置と私の見方を図示すると図4のようになります。
図4 写真説明図
以上の検討から、写真15までの間は、津波は防波堤内(港内)にはあまり影響を与えず、津波が港内に波及するのは写真15以降で、港内の一番奥深くに位置する1号機の敷地に津波が到達するのは写真16よりも後であることが確実です。写真15と写真16の撮影時刻差が15秒で、その間の津波の先端部の進行距離から考えれば、津波が1号機敷地に達するには最短距離で考えても写真16の後30秒程度を要すると考えるべきです(港内を南東から北西に向かう大津波がさらに東波除堤の影響で屈折して西向きに方向を変えることも考えられますが、その場合1号機敷地までの距離はさらに長くなり所要時間が増えることになります)。
図5 津波進行時間推定説明図
6.直接の観察資料がない間の津波の進行について
6.1 波高計の時刻の正確性について
波高計の時刻については、当初は東京電力から正確性に疑義を呈する主張もなされました。具体的に言えば、新潟県技術委員会の2012年12月14日の会合で東京電力の説明者は「更に波高計の時刻、これも時刻更正を行っておりませんのでずれがあった可能性もあります」と述べ、委員から「波高計の時刻が進んでいたと考える余地がありますか。もし進んでいたと考えられる余地があるのならば、最大限どれだけ進んでいた余地があるとお考えでしょうか」と質問され、「波高計の時刻のずれがどれほどであったかわかっておりません」と文書回答していました。
しかし、私が、波高計の地震直後の水圧波の変動と福島第一原発敷地内の地震計の計測値を比較対照することで誤差はあっても数秒と指摘した後、東京電力も全く同じ方法により「波高計の時刻に大きなずれはない」と認めるに至りました。
その結果、現在ではこれについては論じる必要がなくなりました。
6.2直接の観察資料がない間の津波の進行所要時間についての評価
波高計設置位置から津波が写真に写っている地点までの津波の進行所要時間について、国会事故調報告書参考資料では、写真7を基準に波高計設置位置から防波堤先端部までの距離約800mについて、津波速度m/s=(水深m×重力加速度m/s2)0.5の一般式により計算しました。水深を波高計設置位置の約13mと考えると70秒程度、平均水深を約10mとすると80秒程度となるので、70〜80秒程度としました。そして写真7から4号機海側エリア着岸の写真11までの撮影時刻差が56秒です。波高計設置位置から4号機海側エリア着岸までの所要時間は両者を足して約2分と評価しました。距離約800mは、津波が東から西に進行していることから波高計設置位置と防波堤先端部の直線距離ではなく東西方向の距離を用いたものです。それは現実よりも少し短い(所要時間を短くする)想定になります。
6.3 写真の撮影時刻の評価
私は、先に述べたとおり、写真7〜12は当然に第2波(2段目)であると考えています。したがって、その津波第2波(2段目)が4号機海側エリアに着岸している写真11の撮影時刻は、津波第2波(2段目)の立ち上がり部の波高計設置位置通過時刻15時35分の約2分後である15時37分頃と評価します。つまり、津波第2波(2段目)の4号機海側エリア着岸時刻、写真11の撮影時刻が15時37分頃ということになります。
6.4 1号機敷地への津波遡上時刻についての私の結論
上記の写真撮影時刻についての評価に、先に5.7で述べた私の主張である1号機敷地への津波第2波(3段目)の遡上時刻は早めに見ても写真16(写真11の52秒後に撮影されているので、私の評価では15時37分52秒頃撮影)よりも30秒程度後ということを当てはめれば、1号機敷地への津波遡上は15時38分台かそれ以降ということになります。
なお、以上の事実の他に、津波第2波を1号機北側の汐見坂下の駐車場(図4の☆印)で目撃した者は、国会事故調のヒアリングに対して、重油タンクが津波により南から北へと流されるのを目撃してその時に所持していたPHSで時刻を確認したところ15時39分であった、その後津波が1号機敷地(10m盤)に遡上してきたので汐見坂を上って免震重要棟まで避難したと述べています。このことも、私の主張の裏付けとなっています。
7.東京電力の主張の誤り
7.1 東京電力の主張
東京電力は、国会事故調報告書が公表された後、先に(3、6.1で)紹介したように1号機A系非常用電源喪失時刻について東京電力が再度ヒアリングすると運転員はB系とほぼ同時と供述したとか、波高計の時刻が不正確だなどと述べていました。しかし、津波の到達時刻そのものについては東京電力は長らく沈黙を守っていました。
2013年10月7日になり、東京電力は初めて、津波到達時刻に関する国会事故調と私の主張に対する反論を公表しました(2013年10月7日に原子力規制庁事故分析検討会に提出した資料はこちら、その後さらに詳細な主張をまとめて2013年12月13日に公表した報告書はこちら)。
その内容は、かつて主張していた波高計の時刻が不正確だという主張は撤回し、波高計設置位置から写真に写っている地点までの津波の進行所要時間については国会事故調と私が見積もったものとほぼ同じ手法と結果を導くが、写真7〜12に写っている津波は、私が主張している第2波(2段目)ではなく第2波(1段目)であるとすることによって写真の撮影時刻の評価を私の評価よりも約1分10秒早め、その結果津波の敷地への遡上時刻を15時36分台であるとするものでした。
もう少し具体的に言うと、東京電力はこの文章の6で行った直接の観察資料がない間の津波の進行についての評価で、津波が南防波堤屈曲部を越流している写真8に着目して、波高計設置位置から南防波堤屈曲部までの直線距離約1000mについて、この文章の6.2で紹介した津波の進行速度の一般式を用いて所要時間を計算しています。水深は波高計設置位置で13m、南防波堤屈曲部手前で6mでその間の勾配が一定と仮定しています。その時に、東京電力は津波の進行速度の計算には浅い海では平常時の水深(静水深)ではなく水深に津波の波高を加えた値(全水深)を用いるべきであると主張しています。計算の際には、津波の波高は水深が浅くなるにつれてグリーンの法則(地点1での波高をH1、水深をh1、地点2での波高をH2、水深をh2とすると、H2=H1×(h1/h2)0.25)に従って増幅すると仮定すべきであるとも主張しています。東京電力は結果的に1000mについて静水深で計算した所要時間(106秒)と全水深で計算した所要時間(85秒)の中間値を採用しています。その上で東京電力は写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)という前提で写真8の撮影時刻が波高計設置位置を第2波(1段目)が通過した15時33分30秒から96秒後の15時35分06秒頃のはずであるから、写真の撮影時刻は6分30秒進んでいたとして写真の撮影時刻を補正しています。東京電力の評価によれば、津波の4号機海側エリア着岸時の写真11の撮影時刻は15時35分50秒頃、第1波のピーク近くと解される写真1は15時28分46秒頃の撮影となります。
もっとも、東京電力は、波高計設置位置から南防波堤屈曲部までを直線距離約1000mで評価するのは実際より長く、本来はもっと短い距離(東京電力の示す図からは約900m)で評価すべきとしています。また東京電力は全水深による計算が実際に近いとしながら全水深と静水深の中間値を採用しています。東京電力は、この2点で本来の主張(東京電力の言い分では「実際」)よりも所要時間を多めに見積もっていることになります。この実際より多めの見積もりになるという2点を東京電力本来の主張に直して、波高計設置位置を通る津波波面から南防波堤屈曲部まで約900mの全水深による計算をすると、津波の所要時間は76秒となります。それを東京電力の主張に当てはめると、写真8の撮影時刻は15時34分46秒、写真11の撮影時刻は15時35分30秒、写真1の撮影時刻は15時28分26秒となります。
7.2 東京電力の主張と私の主張の違い
波高計設置位置からの津波の進行所要時間の計算については、私が写真7を基準にして約800mを、東京電力が写真8を基準にして約1000mを津波の進行速度の一般式で計算しているので一見違うように見えます。しかし、波高計設置位置から4号機海側エリア着岸の写真11までの経過時間を見ると、私が2分、東京電力の主張が2分21秒、東京電力が実際より多く見積もっているところを修正して私が計算したものが2分01秒で、両者に違いはほとんどありません。
違いは、結局は、写真7〜12に写っているのが第2波(1段目)か(東京電力の主張)、第2波(2段目)か(私の主張)という点にほぼ絞られます(後で説明するように実はもう1点ありますが)。
要するに東京電力は、波高計の時刻が信頼できることと、波高計が設置されている地点から福島第一原発までの津波の進行所要時間については、私と基本的に同じ結果を採用しつつ、写真7〜12に写っている波が第2波(1段目)だと主張することによってその津波の波高計設置位置通過(スタート)時刻を15時33分30秒と私の主張より約1分30秒早めて、その結果写真7〜12の撮影時刻というか、写真7〜12に写っている津波の4号機海側エリアへの着岸時刻をその分だけ早める結果を導いているのです。
もっとも、東京電力も、写真7〜12に写っている津波が1号機敷地に遡上したとは評価していません。東京電力も私も1号機敷地に遡上したのは写真15〜16に写っている津波かそれ以降の津波だと評価しています。その意味では、本当の争点は、写真16の撮影時刻とその後1号機敷地への遡上までの時間の評価です。写真16(写真11の52秒後に撮影)の撮影時刻は、写真7〜12の撮影時刻が早く評価されればそれと同じだけ早く評価されます。ですからこれは写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)なのか第2波(2段目)なのかという争点に直結しています。しかし、後で7.4の後半で説明しますが、東京電力は写真16の後1号機敷地遡上までにどれだけの時間を要するかという点には触れず敷地への津波遡上時刻をごまかしていますので、後者の争点は見えにくくなっています。
7.3 写真7〜12に写っている津波を第2波(1段目)とすることの誤り
東京電力は、写真7〜12に写っている高さ5.5mの南防波堤を軽々と越えている津波を波高計の実測データで波高5mかそれ以下の第2波(1段目)であるとしています。このこと自体、まず不自然というほかありません。
そして、もし写真7〜12に写っているのが第2波(1段目)であるとすれば、写真5と写真6で防波堤の先に写っている小さな津波は何なのでしょう。東京電力は、これは津波ではないと主張しているようです。国会事故調に提出された写真ファイルに付いているExif情報によれば、写真5と写真6を含め津波が福島第一原発に達するまでの一連の写真の焦点距離は5.80mmです。これは、撮影したカメラ(Finepix F460)の使用説明書によれば、35mmフィルム換算で35mmレンズに相当するとのことです。つまりこれらの写真は、標準レンズと言うにはやや広角寄りのレンズ、広い意味では広角レンズに属する撮影条件で撮影したものです。そして私が指摘する小さな津波が写っている防波堤の先は、撮影場所から約800m離れています。広角レンズでズーム機能を使用せずに約800m先を撮影した写真で「津波ではないふつうの波」が判別できるでしょうか。また、撮影者は写真4を撮影した後3分34秒間何も撮影していません。そして写真5を撮影すると11秒間隔で次の写真6を撮影しています。この撮影者の行動から見ても撮影者は小さいながらも津波だと認識したのだと私は考えます。国会事故調はこういった撮影事情を解明しようと写真撮影者のヒアリングを希望して東京電力に対して再三にわたり撮影者情報の開示を求めましたが、東京電力はこれを頑なに拒否し続け、ヒアリングは実現できませんでした。最近も新潟県技術委員会が撮影者のヒアリングを要請しましたが東京電力はこれを頑なに拒否しています。
さらに、東京電力の主張が決定的に破綻しているのは、写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)だとすると写真1〜4をまったく説明できなくなることです。
東京電力の主張では、写真1の撮影時刻は、15時28分46秒とされています。そして写真1〜4が水位の低下過程であること(まさに敷地直前の南防波堤付け根部で水位が次第に低下していることを5.2で確認しました)から写真1〜4は敷地直前に第1波のピーク以降の部分が到達したところを撮影した写真と解するのが合理的です。4.2で確認したように、第1波のピークは波高計設置位置を15時28分頃通過しています。そうすると、写真1が第1波のピーク以降の部分が敷地直前に到達したところを撮影したものだとするためには、第1波のピーク部分は波高計設置位置から福島第一原発敷地直前までの1.5kmをわずか46秒、誤差幅を考えても1分足らずで進行しなければなりません。東京電力の計算では第1波よりも波高が高い第2波(1段目)が同じ距離を進行するのに2分21秒かかるとされています。それなのに、より波高が低い(普通に考えればより進行速度が遅いはずの)第1波がその3分の1程度の時間で進行したことにしなければつじつまが合わないのです。
さらに、7.1で指摘したように、東京電力は、津波の進行速度について所要時間を多めに見積もるやり方をしていると述べています。それを東京電力がいう実際に近いやり方に直して計算すると、第2波(1段目)の波高計設置位置から4号機海側エリア着岸までの所要時間が2分01秒になり、写真1の撮影時刻が15時28分26秒となります。東京電力の本来の論理に合わせて考えると、写真1が第1波のピーク後の写真であるためには、第1波のピークは波高計設置位置から敷地直前までの1.5kmを何と30秒足らず、より波高が高い第2波(1段目)の4分の1の所要時間で進行しなければならないのです。
このように写真7〜12に写っている津波が第2波(1段目)であるとすることはあまりにも不合理であり、無理があります。
7.4 その他の東京電力の誤り
実は、東京電力の主張を展開した報告書(「福島第一原子力発電所1〜3号機の炉心・格納容器の状態の推定と未解明問題に関する検討 第1回進捗報告」2013年12月13日:こちらから入手できます)は、津波の写真等の検討では「写真18の前後には」原子炉建屋付近に津波第2波(2段目)が到達していたものと判断されるとしています。この報告書には他に1号機敷地への津波遡上時刻について明示的な判断をしている部分はありません。そしてこの報告書ではその「写真18」の撮影時刻は15時37分06秒頃とされています。(念のために東京電力の報告書の「写真18」を下に示します。こういう写真を見ると1号機敷地も津波が遡上しているという印象を持ちますが、この写真に写っている場所は4号機南側の防波堤の外で防波堤に守られずに津波が直撃していること、1号機敷地は防波堤の内側でここから300mあまり離れていることに注意する必要があります)
東京電力報告書の写真18
そうすると、1号機敷地への津波遡上時刻は15時37分06秒前後と認定されるのが、東京電力のこの報告書での論理の運びからみて常識的です。ところがこの報告書は、4m盤上の海水ポンプの異常発生時刻や、報告書で限定的な遡上であると明示している東京電力主張の第2波(1段目)による4号機南側敷地への遡上(写真13、14)など、防波堤の内側の原子炉建屋のある敷地10m盤(1〜3号機敷地)への遡上と直接的に結びつかない事象に15時36分台の数字を付けて羅列して、「当社は敷地への津波到達時間は15時36分台と考えている」と結論づけています。これは極めて非科学的・非論理的なものというべきです。
また、5.6と5.7で写真と図を示して説明したとおり、写真15と16に写っている大津波(私の主張では第2波(3段目))は、南防波堤の影響を受けて南東から北西方向へと進行したと私は考えています。これについては、写真15と写真16に写っている大津波の先端(前線)の位置を比較してその移動を考えれば明らかです(写真15-2と写真16-2、図4参照)。
東京電力は結局1号機敷地への津波遡上時刻を明示していませんが、敷地への津波到達時刻を15時36分台としていますから、これが15時36分59秒までを示すとしても、写真16の撮影時刻(写真11の52秒後ですから東京電力の主張によれば15時36分42秒頃)後17秒以内に津波が1号機の敷地に遡上したと主張していることになります。
図5で示したように、写真15と写真16の間の15秒間に津波の先端部が進行した距離と比較して、写真16の大津波先端部から1号機敷地までの距離は、最短距離で見てもその2倍程度あります。しかも10m盤への遡上には東波除堤、4m盤、10m盤を越える必要があり、海上での進行よりも時間がかかると考えられます。そういう観点からも写真16から17秒以内に1号機敷地に遡上するという東京電力の主張には無理があります。
このように、7.3で論じた東京電力と私の最大の対立点をおいて東京電力の論理で考えても、東京電力が論じているところからは1号機敷地への津波遡上時刻を15時36分台とすることは無理で、15時37分台にはみ出してしまいます。それを最後にむりやりに15時36分台と結論づける理由は、1号機A系の非常用電源喪失が15時37分より前であることがどうしても否定できないので、何があっても津波の敷地遡上時刻を15時37分より前にしたいという事情があるからとしか考えられません。
8.プラントデータの分析問題あるいは「津波でなければ何が原因か?
東京電力は、自らの主張の論拠として、「プラントデータに関する分析」と題して、海水系ポンプの停止時刻等を論じています。
しかし、それらは、もしも各種の異常が津波によるとすれば説明しやすいということにとどまり、それ自体によって津波により異常が生じたことが確実なわけでもなく、それらの異常が発生する前に津波が到達しているのでなければその前提を欠く絵空事になります。
この文章では、その津波の到達時刻自体が、それらの異常より後であることを論証しているのですから、プラントデータに関する分析として述べられていることは、理論的にこの文章の論証に対する反証とはなり得ません。
私は、全交流電源喪失の原因が津波でないならば何が原因かについては、結論を持っていません。それについては、本来的には、非常用電源に関する機器(非常用ディーゼル発電機とその運転を維持するための燃料系や冷却系等、電源盤、母線、遮断器、ケーブルその他の電気系統等)を網羅的に、シミュレーションではなく現実に検査・調査して原因を究明すべきものです。その検査・調査を行わないまま、津波によるとすれば都合がいいとかもっともらしいという見地から、他に原因を求められなければ津波によるというような判断をすることは厳に慎むべきです。
(2014.2.24記)
2015.6.6、2021.5.31リンク切れ対応
2014年4月28日の新潟県技術委員会でのプレゼンを経て最新版を作成しました。
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その5)
東電の2017年12月25日発表の新たな報告書への反論を作成しました。
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その6)
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その7)
損害賠償請求集団訴訟でこれまでの集大成的な意見書を作成して提出しました
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)
事故後10年の特集で「科学」に書いた最新版に裁判での主張等を加筆しました。
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その9)
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