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東京電力はどこまで嘘つきなのか/国会事故調調査妨害事件

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 福島原発事故の国会事故調査委員会は、2012年3月初めに福島原発1号機の原子炉建屋4階の現地調査を行う予定でしたが、東京電力から、現場は現在建屋カバーのために日が差さず真っ暗で照明もないと説明され、爆発等によって床に穴が開きがれきが散乱する中を現場を初めて見る人間が東京電力の案内もなく懐中電灯だけで1階からの高さ21mの原子炉建屋4階を調査することは危険だと判断して、1号機原子炉建屋4階の現地調査を断念しました(現地調査自体は、調査場所を1号機・2号機の中央操作室と5号機にして行われました)。しかし、この東京電力の説明が真っ赤な嘘であったことがわかりました。
 私たちは、国会事故調の一員として、調査対象である東京電力の言葉を鵜呑みにしてきたわけではありませんが、事故についてではなく、事故後の調査についての協議で現在の現場の状況を説明する話までが真っ赤な嘘だというのは想像できませんでした。といいますか、そこまで疑わなければならないとしたら、そもそも事故調査というもの自体がほとんど不可能になります。人間として、組織として最低限の信義というものさえ、東京電力にはないのかと、改めてあきれ果てました。
 この問題の直接の当事者として、詳しい事実関係を明らかにし、記録にとどめておきたいと思います。

1号機原子炉建屋4階の現地調査の意義
 私は、田中三彦委員(元日立の系列会社の技術者で福島原発4号機等の圧力容器の設計等に従事し、現在はサイエンスライター)の指名で国会事故調の協力調査員となり、田中三彦委員と石橋克彦委員が共同議長を務める第1ワーキンググループ(事故原因調査担当)に所属していました。国会事故調の委員選任と発足は2011年12月8日でしたが、事務局の整備や委員の手足となって調査を行う「協力調査員」の選任などが整い現実に動き始めたのは2012年1月でした。国会事故調は、もともと保安院が事務局を務める政府事故調ではできない調査をするというのが、設置の理由でしたから、当時既に発表されていた政府事故調の中間報告書が、東京電力がミスではないといっていたものも「人為ミス」と評価したものの事故原因の事実関係は東京電力が主張するストーリーそのままであったこともあり、事故原因についての東京電力・政府事故調のストーリーを疑い検証することに重きが置かれることになりました。そこでは、当然のこととして、事故原因はすべて津波であり、地震による主要配管の損傷はなかったという東京電力・政府事故調の主張の根幹部分が検証の対象と目されていました(その一環として、非常用電源喪失が津波前に生じたというテーマも扱いその調査結果にその後私が考えたことも加味して書いたのが「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その2)」です)。
 田中三彦委員は、国会事故調の委員になる前から地震で1号機の非常用復水器(IC)の配管が損傷したのではないかという記事を多数の雑誌等に書いていました。非常用復水器というのは、日本では福島原発1号機と敦賀原発1号機だけにある特殊な装置で、原子炉の冷却がうまく行かず炉心の冷却水が過熱して原子炉圧力が高くなったときに、圧力容器内の蒸気を格納容器外のICタンクで冷却して水に戻してから再循環系配管を経由して原子炉内に戻すというものです。(系統図としてはこんな感じ:国会事故調報告書230ページの図2.2.4−1より)
 非常用復水器の特徴は、圧力容器→IC気相配管(IC入口蒸気配管)→ICタンク(の中を走る冷却細管)→IC液相配管(IC凝縮水戻り配管)→再循環系→圧力容器という循環系統のために冷却材が系統外に流出せず起動しても炉心の水位が下がらない、弁(1系統あたり4つの弁があり3つは通常時開いていて、1つだけが閉じている)を開きさえすれば循環は原子炉圧力と水の自重で行われる(ポンプを要しない)ので電源がなくても機能するということにあります。このIC配管が損傷すると、炉心の冷却材が漏洩するわけですから冷却材喪失事故となり、同時にICが機能しなくなって重要な非常用冷却装置を失うことになるのですから、大変な事態になります。それが地震によって生じたとなれば、津波対策だけではなく、耐震設計を根本から見直さなければならなくなり、電力会社と原発推進派にとっては致命的なダメージとなります。そのIC配管は蒸気を通す気相配管が原子炉建屋4階で格納容器を出て原子炉建屋4階の天井部を走って、原子炉建屋4階にあるICタンクに入り、液相配管はICタンクを出た後ICタンク周辺の床面付近を這い回るように配置され、原子炉建屋4階床下に入り原子炉建屋3階、2階と下って、原子炉建屋2階で格納容器内に入ります。
 国会事故調では、2012年1月から2月にかけて、地震発生当時1号機原子炉建屋4階で作業をしていた東京電力の孫請け・ひ孫請け会社の作業員にヒアリングを行い、地震直後に原子炉建屋4階で水が噴出した事実を把握しました。東京電力から提出させた図面類の検討と作業員の証言内容からして、5階の使用済み燃料プールの水が地震の揺れでスロッシングを起こしてあふれて5階床面(4階天井)の開口部から落下したという可能性はないと判断しました。そうすると、IC配管でないとしても、何らかの配管が地震で損傷して中の水が噴出したことは間違いありません。
 そういったことから、第一ターゲットとしてはIC配管、第二ターゲットとしてIC配管でないとしても1号機原子炉建屋4階を通る配管の損傷の有無を確認するために、1号機原子炉建屋4階は絶対に現地調査したいということになりました。

東京電力のIC配管目視確認ビデオ
 東京電力では、田中三彦委員の指摘に対抗するためと思いますが、2011年10月18日に1号機の原子炉建屋に作業員を入らせ、IC配管の目視確認を行い、その状況を撮影したビデオを2011年10月21日に東京電力のサイトで公開しました(今もこちらで視聴・ダウンロード可能です)。
 このビデオについては、私も、関心がありましたので、公表された頃から何度か見ました。東京電力は、このときのIC配管の目視確認で損傷が確認されなかったことも大きな理由として、地震によるIC配管の損傷はなかったと主張しています。なお、国会事故調の調査期間中に何回か聞きましたが、東京電力は1号機の原子炉建屋4階に入ったのはこのときだけだと繰り返し回答しています。
 東京電力のいう「目視確認」ですが、このビデオを見ればわかるように、天井付近を走る気相配管については下側から携帯式の照明を当てて遠くから眺めただけです。(以下、この項目で紹介する写真はすべてこのビデオからキャプチャーしたものです)
 配管には保温材が巻かれてその上に保温材カバーがはめられています。上の写真(↑)で天井付近を走る気相配管は、一見配管そのものに見えますが、見えているのは保温材カバーです。そのことがわかりやすいように、IC気相配管の保温材カバーや保温材が爆発で一部剥がれているところが映っている下の写真(↓)と比較してみましょう。下の写真で赤茶けたのは配管、それに巻かれている白いのが保温材、それにはめられている銀色のものが保温材カバーです。
 保温材カバーを外さないで遠くから見ただけでは、配管がその中で破損して蒸気や水が漏洩していてもわかりません。この「目視確認」では配管そのものではなく保温材カバーの下側半分だけを遠くから眺めているだけで、これで配管の損傷があるかどうかなんておよそわかりません。それを、気相配管(実際は保温材カバー)を映して「配管、大丈夫そうですね」という音声を繰り返して入れているのは、マスコミ向けのパフォーマンスとしてもあまりにもしらじらしい。
 ビデオでは、作業員が機器に触っているのは弁の開度計やICタンクの水位計のキャップを外すときだけで、ICタンクまわりの床面付近を這っている液相配管は手が届くところにあるのに保温材カバーを外すことは全くなく、そもそも液相配管をきちんと見ている様子さえありません。作業員が液相配管について話しているのはICタンク北側(ビデオで見ると奥側)の端で、これが水の方の配管ですねと言っているだけで、その時もその水の配管をビデオできちんとは映していません。意図的に無視しているようにさえ感じられます。
 下の写真では、液相配管は、タンクの下側を蛇行して這うように配置されていますが、タンクに貼ってあった保温材が剥がれたものなどで隠れて見えなくなっています。しかし、作業員が、それを動かして液相配管を確認しようとする場面はありません。

 このビデオは、目視確認としてはまったく論外ですが、1号機の原子炉建屋4階の状況を知るための貴重な資料です。上の写真でもわかるようにあちこちにがれきが散乱・山積し、上の写真左下の大物搬入口(ここから転落すると21m落下)の周囲に安全のために設けられていた鉄柵は爆発で吹き飛んで開口部がむき出しになっています。そういう怖さとともに、原子炉建屋4階がけっこう明るく、暗いところでもぼんやりと見通しがきくことがわかります。
 下の写真は、原子炉建屋4階南側で、上の写真と同じ場所で上向きに見たところです。大物搬入口の吹き抜けが原子炉建屋5階(オペレーションフロア、略してオペフロとも呼ばれています)まで通じていて、そこから太陽光が差し込んでいることがよくわかります。ちなみに右側の赤茶けた配管はICの気相配管で爆発により保温材カバーと保温材が吹き飛んだところです。
 原子炉建屋4階の天井部でもともとあいている開口部はここだけのはずですが、爆発で原子炉建屋4階北側で天井が崩落しています。下の写真はB系のICタンクの東側を行けるところまで北向きに進んでがれきで進めなくなったところで撮った映像で、ICタンクの北側で天井が崩落して太陽光が差し込んでいることがわかります。
 同様に2つのICタンクの間を北側に進んで北の端で北西方向に撮った映像が下の写真です。
 このように、1号機原子炉建屋4階は南側の大物搬入口の吹き抜けと北側の天井崩落部からの太陽光で相当程度明るいということが確認できました。私たちは、被曝さえ覚悟すれば、1号機原子炉建屋の現地調査は十分可能と判断していました。位置関係を図にすると下の図のような感じです(赤が床面の開口部、オレンジが天井の開口部)。

東京電力の説明
 第1ワーキンググループからは福島原発の現地調査の際に1号機の原子炉建屋4階は絶対に現場を調査したいと申し入れ、国会事故調事務局と東京電力の間で調整が続けられていました。2月28日午後7時から現地調査の打ち合わせと説明に東京電力が来るので現地調査参加予定者は参加して欲しいと国会事故調事務局からいわれました。当時、福島原発の現地調査の日が既に決まっていたか確定はしていないけど候補日ということだったか忘れましたが、3月6日に行うという前提での説明だったと思います。当日、朝からずっと国会事故調のヒアリングと第1ワーキンググループのミーティングが続いていましたが、この午後7時からの会合は直近になって事務局からいわれたように記憶しています(国会事故調の協力調査員の時には、日程が直前になって告知・追加・変更されることが日常茶飯事でしたので、自分で日程を決定管理できず、さまざまな人にご迷惑をおかけし、不義理をいたしました。しかも、当時は協力調査員をしていることを報告書提出までは第三者にいわないようにとさえ指示されていたので、理由を説明しないままご迷惑をおかけしたことも・・・)。
 東京電力からの現地調査の説明の出席者は、国会事故調側が田中三彦委員と協力調査員が私を含む4人か5人、国会事故調事務局が1人か2人、東京電力側は玉井俊光企画部部長以下4人でした。玉井部長は、2011年11月までは柏崎刈羽原子力発電所技術総括部長でその後本社の企画部部長となり、国会事故調が東京電力に対しヒアリングを行うときは毎回説明者・司会役を務め、当時は連日のように顔を合わせている状態でした。
 玉井部長らは、私たちが福島原発1号機の原子炉建屋の4階を調査したいというので原子炉建屋4階に入ったときのビデオを見ながらいかに大変かを説明したいとして、2011年10月18日に撮影したビデオ(玉井部長は、昨年10月に入ったときのビデオという言い方でしたが、私の方ではもう何度も見ていたので2011年10月18日撮影のビデオとわかりました)の原子炉建屋4階に行くまでの未公開部分を含めたビデオを映写しました。そのとき、玉井部長は、最初に、昨年10月に入ったときは、建屋のカバーがついていなかったので、4階まで行くと上から明かりが差しているが、今は、建屋カバーがかかっていて、照明がついていないので、建屋は真っ暗だということをご了解して欲しいということを言いました。私たちは、驚いて、建屋カバーは透明なのではないか、1階、2階、3階は光が届かないとしても4階は明るいのではないかということを繰り返し尋ねましたが、玉井部長はその都度、建屋カバーがついたので今は真っ暗だ、このビデオの時は明かりがあった、今は暗いと繰り返しました。
 玉井部長からは、現場は至る所にがれきがあり、上からも落下物があるかもしれないこと、床面には開口部があり、大物搬入口の吹き抜け部分も鉄柵が吹き飛んでいるし、エレベーター部分も現在は縦穴になっており、それら以外にも開口部が生じているかもしれず、4階から転落すると21m落下すること、ビデオの時の作業員は現場に精通している者で初めて行く者が行くと自力で帰ってこれるかどうかさえわからないこと、精神的にもパニックに陥るかもしれないことなども含めとても危険であることが述べられ、他方、東京電力としては国会事故調がどうしても調査するというなら拒否することはできないが作業員の積算線量を無駄に増やしたくないので同行はしない、原子炉建屋入り口までは案内するがその後は行くなら自力で行って欲しいという趣旨の説明もなされました。
 これらの発言について、私は当時大変驚いたのでよく覚えています。録音については、私は国会事故調の調査全体を通じて基本的には質問役で記録担当ではなかったということもあり自分では録音をまったくしなかったので、このときについても録音があるのかどうか明確には覚えていません。しかし、国会事故調の会合等は常時ICレコーダーが数個テーブルに置かれた状態で行われていましたから、録音は、東京電力側も含めて、いくつもあったと思います。

現地調査の断念と当時の判断
 こういう東京電力からの説明を受け、国会事故調では、被曝線量の問題ならどうやっても行くつもりだったが、現場が真っ暗だということでは危険が大きいと判断し、1号機原子炉建屋4階の現地調査を断念しました。私は、暗くても行けばいいじゃないかという考えでしたが、田中三彦委員は国会事故調を背負う立場として何か事故があってはいけないという慎重判断に傾いたものと思います。やめるという判断をするときにも、田中三彦委員が、現場に照明さえあればということを恨めしげに言っていたことが、私には強く印象に残っています。
 この経緯については、国会事故調報告書に「こうした事情から、当委員会は、ある程度被ばくしてでも4階を実地調査したい旨、東電に申し入れた(調査の目的はあえて伝えなかった)。しかし、原子炉建屋内には照明がなく昼間も真っ暗であること、水素爆発によっていたるところにがれきが散乱しているうえ大物搬入口のような開口部もあって非常に危険であること、東電としては従業員に余計な被ばくをさせたくないので当委員会の調査に同行できないこと、などを伝えてきた、熟考の末、当委員会は原子炉建屋内調査を断念した。」(本編229ページ。国会事故調の報告書は、最初に印刷・ネット配布されたものと、その後に出版販売されているものでページ数が違うようです。これは最初の版のページ数です)と説明されています。

 私は、東京電力の説明中に、このビデオについても国会事故調に提出するように求めました。玉井部長は何のためにといぶかしがりましたが、私は東京電力が同行しないならこのビデオを繰り返し見て頭に焼き付けておかないと自力で行って帰って来られないんでしょと言いました。玉井部長は、こいつ、これだけ言ってもまだ行くつもりなのかという顔(もちろん、私の受けた印象です)をしていましたが、提出については正式の手続を踏んでくれれば考えるとのことでした(基本的に、国会事故調の提出請求に対して東京電力には法律上拒否権がありませんから)。福島原発現地調査の翌日の3月7日になってビデオが提出され(3月6日以前には私に渡したくなかったんでしょうね。これも想像ですが)、私は、ほかの思惑もあってこのビデオを、当時、まぶたに焼き付くくらい繰り返し見ました。もちろん、原子炉建屋4階に到着した以降は東京電力がサイトで公開しているビデオそのものでした。
 さて、建屋カバーのことについては、私は事故原因調査担当なので事故後の工事には注意を払っておらず、そのために1号機の建屋カバー設置時期について、この説明当時まったくわかりませんでした。玉井部長とはしょっちゅう顔を合わせており、その話も疑っていたら事故調査が進まないということはあれ、私の方でも一応裏取りは考えました。いつ見たのか具体的な日までは覚えていませんが、東京電力のサイトで1号機の建屋カバーの工事に関する発表を探しました。すると、建屋カバーの屋根パネルの設置が2011年10月14日に完了したという発表と、建屋カバーの工事が2011年10月28日に完了したという発表を発見しました。今から思えば、ここでこの屋根パネル設置と建屋カバー工事の関係も質問を投げておくべきだったかと思いますが、このときは、玉井部長からあれだけはっきりビデオ撮影後に建屋カバーがついて今は真っ暗といわれたことから、建屋カバーの工事が2011年10月28日完了ということなので、10月18日以後も工事が続き、光が遮蔽されたのかと思い自分なりに納得してしまいました。

東京電力の嘘の発覚
 国会事故調が2012年7月5日に報告書を提出して解散した後、東京電力は、1号機原子炉建屋の5階(オペフロ)の写真撮影を試み、8月8日には途中でカメラをつけて上げたバルーンが引っかかって5階に届かず4階の写真を撮影し、10月24日には再度チャレンジして成功したという発表をしました。
 私は、8月頃は国会事故調関係では疲れ果てていたので東京電力の動向に注意を払っておらず、8月8日の発表は見過ごしました。10月25日に、たまたま東京電力の動きを見ようとサイトを見たら、オペフロの写真が発表されている(報道配付資料はこちら)のでビックリしました。
 建屋カバーが光を通さなくて中は真っ暗なんて真っ赤な嘘じゃないか。慌てて田中三彦委員と第1ワーキンググループの協力調査員らに怒りのメールを送りました。その後、この東京電力の発表のタイトルが「再調査結果」となっていることが気になり、遡って見ていくと、2012年8月8日に発表がなされていたことに気がつきました(報道配付資料はこちら)。
 1号機原子炉建屋の大物搬入口の吹き抜け部を通してカメラをつけたバルーンを上げているところを下から撮影した写真(↑)では、建屋カバーの屋根パネルを透過した太陽光が建屋4階にも降り注いでいるところが映っています。写真下側の赤茶けた配管が先ほど紹介した写真(このページの上から4枚目の写真)に映っているIC気相配管です。
 上の東京電力発表の2012年8月8日撮影の1号機原子炉建屋4階の大物搬入口から北方向の写真(↑)で、ICタンク(中央がA系、右側がB系)に太陽光がさしていることがよくわかります。ちなみに2011年10月18日撮影のビデオから似た位置の映像を取り出してみたのが下の写真です。明るさもほぼ同じだということがわかりますね。
 東京電力発表の2012年8月8日撮影の1号機原子炉建屋4階の大物搬入口から北東方向と東方向の写真(↓)で、B系のICタンクとその前方の床面に日が差していることがよくわかります。

 2011年10月18日撮影のビデオでは撮影の方向が違うので、これに相当する映像はありませんが、同じところを違う方向から撮影(概ね90°のズレ。ビデオでは南方向ないし南東方向に向けて撮影)した映像がありましたので切り出してみると下の写真のようになります。これまた同じように明るいことがわかります。

 このように、2011年10月18日撮影のビデオの後に建屋カバーがついて今は昼間でも真っ暗という玉井部長の説明は、真っ赤な嘘であり、2011年10月18日時点もその後もまったく同じように太陽光がさして明るいということが、疑問の余地なく明らかになりました。
 さらにいえば、これも今回東京電力の嘘に気がついてから発見したのですが、日経アーキテクチュア(2011年12月10日号)に掲載された建屋カバー設置工事についての記事につけられている図(↓)を見ると、建屋カバー内に照明もつけられているようです。
 「建屋カバーがついたので真っ暗」も「照明がついていない」もどちらも嘘だったということになります。東京電力がこのような虚偽説明をしてまで国会事故調の現地調査を阻止しようとした(ごく普通に法律家の評価としていえば、玉井部長の行為は、虚偽説明によって国会事故調関係者を騙し、国会事故調の重要な業務である現地調査を断念させたのですから、偽計業務妨害罪に当たると考えられます。もちろん、「そういう意図はなかった」と弁解するのでしょうけど)理由はどこにあるのか、1号機原子炉建屋4階には、当時、よほど東京電力が公表したくないものがあったのだと考えざるを得ません。

 国会事故調が解散してしまった今から何ができるか等を議論しているうちに時間が経ってしまいましたが、1号機原子炉建屋4階の現地調査ができなかったことはずっと心残りだったこともあり、田中三彦(元)委員から衆参両院議長に東京電力の虚偽説明を申告して再調査を求めるということになりました。
 原発推進の政権の下でどういうことになるか予断を許しませんし、東京電力が既に現場を改変・修理しているということも推測できますが、東京電力の嘘を暴き、事故原因隠しを少しでも防いで真実を明らかにできるよう努力したいと思っています。

後日談→ 東京電力はどこまで嘘つきなのか2/嘘の上塗り
            東京電力はどこまで嘘つきなのか3/社長もでたらめ答弁
                    東京電力はどこまで嘘つきなのか4/第三者委員会は赤子かお友達か
             東京電力はどこまで嘘つきなのか5/今度はビデオが真っ暗

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