手続の選択:労働審判を申し立てるかどうかの判断
申立書等の作成・提出
事前打ち合わせ
審尋期日での役割
労働審判は本人でもできる(弁護士はいらない)か?
労働審判と弁護士費用
労働事件について相談を受けたり、相談者から労働審判の申立をしたいといわれたとき、弁護士はまず事案の内容や手元にどういう証拠があるかを確認した上で、その事案に労働審判が適切かを判断します。
労働審判を申し立てることができない場合もあります(使用者と労働組合の間の労働事件とか、公務員の労働関係紛争とか)し、申し立てることはできるけれども他の手続の方が適切だとか有利だと判断することもあります。相手方に対して釈明(しゃくめい)を求めて相手方からいろいろな事実を明らかにさせた上で自分の主張を組み立てなければならない事案や第三者に対して裁判所経由で資料の提出を求める必要がある事案は、労働審判ではそういうことができませんから、労働審判は適切でないということになります。また労働審判では実質的には1回の審尋で勝負の行く末が決まりますので、自分の主張が複雑というかわかりにくい事案では、労働審判では有利な展開を期待しにくいということになります。
労働審判を申し立てるということになれば、弁護士は依頼者(労働審判を申し立てるのはほとんどの場合労働者側です)の話を聞き、手持ちの証拠を検討して、依頼者の主張を整理して労働審判の申立書を作成し、提出する証拠を選択して、労働審判の申立をします。
労働審判では、裁判官と労働審判員に第1回審尋前に読んでもらえる書類は、申立人側では申立書だけですので、申立書がかなり重要な役割を果たします。ここで、依頼者の話をいかにわかりやすくかつ裁判官・労働審判員に受け入れやすい形にまとめ、説得力を持たせるかが、弁護士の腕の見せどころとなります。
相手方の場合(ほとんどの場合使用者側)は、申立書と提出された証拠を検討した上で、同じように依頼者の話を聞き手持ちの証拠を検討して答弁書を作成し、提出する証拠を選択して答弁書とともに提出します。
労働審判での審尋では、裁判官や労働審判員が直接当事者に質問をしていき、当事者がそれに答えることになります。弁護士が当事者の代わりに答えることは、裁判官や労働審判員の心証にあまりいい影響を与えません(というか裁判官から嫌がられることが少なくありません)。
そのため、依頼者にそういう手続だということを説明した上で、この事件ではどういう点が現実的な争点となるか、従って現実的にはどういうことが聞かれそうかを説明しておくことになります。内容としては事実をそのまま答えてもらうしかないと思いますが、何が重要か、法律上の理屈はどうなっているかを頭の中で整理しておくことで、勘違いや不用意な答えをある程度予防できるということです。
申立人側では、相手方の答弁書が第1回審尋期日の直前に出てくることが多いので、その内容について検討して対応を考えるためにも期日の少し前に打ち合わせをする必要があります。
審尋では、弁護士が発言する機会は必ずしも多くありませんが、主張の要点をコメントすることで、ポイントや依頼者に有利な事情を明確にしたり、審尋のやりとりで裁判官や依頼者に勘違いがあるときはその場で指摘して無用な誤解を解くなどが重要な役割となります。労働審判では現実的には第1回審尋期日での審尋で持った心証でほぼすべてが決まります。依頼者に有利な事情のアピールも依頼者に不利な誤解を解くこともすべて審尋の最中にその場でしないと意味がありません。そのために弁護士は、事件の内容をよく頭に入れた上で、審尋の場でのやりとりをよく聞いて機敏に対応して、裁判官や労働審判員が適切なというか依頼者により有利な心証を持つように努力するのです。
審尋で心証がとられると、次は調停案の提示に進みます。調停案が最初に示されることもありますが、どういう調停案を希望するか、あるいはどこまでなら妥協できるかを先に聞かれることもままあります。その場合、予め依頼者と打ち合わせたりその場で審尋室を出て廊下などで協議したりした上で自分の側の調停案を示すのも弁護士の役割です。そういうときは、依頼者の意向と審尋の現状から見て現実的には裁判官や労働審判員がどの程度の調停案を受け入れられるかの読みでその場で決断しなければなりません。
出された調停案に対する意見も同様です。受け入れるのか対案を出すのか条件をつけたり微修正を求めるのか、依頼者と協議して裁判官や労働審判員の心証を読みながら、その場で決断していきます。
最終的に調停案を飲むか、調停案を拒否して審判(決定)を求めるか、審判が出たときに異議申立をするかの判断も依頼者と協議して判断することになります(ここは、最後は本人が決めることですが)。
法律上弁護士をつけることは求められていません(それは通常の民事裁判でも同様です)から、本人でもできるかと聞かれれば、できると答えるしかありません。しかし、(通常の民事裁判でも同じですが)それで本来は勝ち筋の事件をきちんと勝てるか、有利に進められるかは別です。
まずその事件が労働審判を申し立てることが適切な事件か、労働審判を申し立てるのが自分にとって有利かという判断が本人にできるかという問題があります。労働審判が時間的に見て比較的速いということから、最初から労働審判をやりたいという相談者が多いですが、話を聞いてみると労働審判には適さないというケースもままあります。裁判でじっくり展開すれば勝てるかもしれない事案でやみくもに労働審判を申し立てて短い審尋では主張を理解してもらえずに負けるというケースもあると思います。
次に申立書の作成です。一般の方は、自分の主張をわかりやすい文章にまとめること自体が苦手な方が少なくありません。そして、本人が自分にとって有利な事情と考えることと、裁判官や労働審判員がその事案で申立人に有利と考える事情は違うということが少なくありません。それは、労働関係の法律を知っているかということと、事件の当事者本人はなかなか自分に関する事情を冷静に見ることができないということがあります。その結果、自分の主張を裁判官や労働審判員が読んでなるほどと納得してくれるような文章にまとめることは容易ではありません。
そして、審尋当日は、当事者本人は裁判官や労働審判員から次々と質問をされて答えることに追われますから、その場を冷静に見ることはなかなか難しいと思います。もし裁判官や労働審判員が誤解していても、それをその場で指摘することは、難しいと思いますし、またその場の流れを見て自分の主張で一番効きそうなことを短くアピールしていい心証を持たせるなどという芸当は、本人ではかなり難しいと思います。
調停案についても、どの辺が落としどころかの見極めは、相場観や裁判官や労働審判員の顔色を読むなどの要素もあり、本人にはなかなか難しいのではないでしょうか。
弁護士以外の人に頼むことは、申立書の作成については可能です(うまくやってくれるかはその相手の能力次第ですが)。しかし、東京地裁では、司法書士や社会保険労務士は代理人として認めないので審尋の席に出席できないと聞いていますし、労働組合の人については使用者側が承諾するなら出席してもいいという扱いが多いと聞いていますが使用者側が拒否することが多いようですから、審尋当日の対応について弁護士以外の人にサポートしてもらうことは、無理です。
労働局(厚生労働省の地方部局)のあっせん手続の場合、簡単な申立書を出した上で、主張が今ひとつきちんと整理されていなければ労働局の職員が申立人に話を聞いて整理してくれます。また東京都(産業労働局雇用就業部労働環境課:都庁第1本庁舎北31階)のあっせん手続の場合はそもそも書面の作成は求めず職員の聞き取りで手続を進めているそうです。こういう手続では、本人が弁護士なしで行うことが予定されていますので、本人で対応するのが普通です。しかし、労働者側から見ると、これらのあっせん手続の解決水準は、労働審判の場合よりも相当程度低いのが実情です。
またこれらの手続を行う行政庁の職員は、立場上、弁護士と違って、申立人に有利になるようにということで主張をまとめようとしてくれるわけではありません。そして、労働審判については、裁判所はそういうサービスはしていません。
労働審判については、司法支援センター(法テラス)を利用した場合、東京では、着手金が12万6000円、実費相当の手数料が2万円と、申立の印紙代(解雇の事案だと多くの場合6500円:「裁判所に納める費用(解雇事件の場合)」を見てください)の合計15万円あまりで、これを司法支援センターが弁護士に立替払いし、申立人は月1万円程度ずつ司法支援センターに支払うことになります。報酬金は、金銭解決の場合、支払を受けた額の10%+消費税です(事情により増減されるということになっていますが、私の経験上増減されたことはありません)。
解雇事件の場合の労働者は、解雇された時点で収入がありませんから、配偶者(妻・夫)がフルタイム労働者で相応の収入がある(司法支援センターは本人と配偶者の収入・資産を基準にします)とか預貯金が300万円以上(4人家族の場合:これも配偶者の預貯金も合わせて。単身者だと180万円以上になります)あるということでなければ、司法支援センターの援助基準を満たします(司法支援センターの援助基準については日本司法支援センター(法テラス)のサイトを見てください)。弁護士は相談を受けて事件の依頼を受ける場合に、依頼者が司法支援センターの援助基準を満たす場合には司法支援センターを利用する(自分じゃなく司法支援センターに相談に行けと放り出すという意味ではなく、自分が事件を受けることを前提に司法支援センターの審査を受けて援助決定をもらう:法テラスの用語では「持ち込み事件」と呼ばれています)のが通常です(と思います)。ですから、収入・資産が少ない労働者が労働審判を申し立てる場合の弁護士費用は、それぞれの弁護士が決めている報酬基準ではなく、上で説明した司法支援センターの基準で行うことが多くなります(司法支援センターの援助基準に当たらない収入・資産が相応にある人の場合は、それぞれの弁護士が決めている報酬基準によることになります)。
世間では、とかく弁護士費用は高いと見られていて、司法書士や社会保険労務士の方が安いと思われているようですが、本当にそうなのかについても検討した上で、弁護士に依頼するかどうかを決めた方がいいと思います(司法書士のサイトに書かれている報酬基準を見ると、弁護士会のかつての報酬基準、つまり弁護士の多くがサイトで書いている報酬基準と同じということが多いように、私には思えます)。
【労働事件の話をお読みいただく上での注意】
私の労働事件の経験は、大半が東京地裁労働部でのものですので、労働事件の話は特に断っている部分以外も東京地裁労働部での取扱を説明しているものです。他の裁判所では扱いが異なることもありますので、各地の裁判所のことは地元の裁判所や弁護士に問い合わせるなどしてください。また、裁判所の判断や具体的な審理の進め方は、事件によって変わってきますので、東京地裁労働部の場合でも、いつも同じとは限りません。
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