私の読書日記  2008年1月

24.インドの衝撃 NHKスペシャル取材班 文藝春秋
 2007年1月に3回シリーズで放映されたNHKスペシャル「インドの衝撃」取材班の取材によるインドの現状レポート。最近のインドを紹介するレポートは、従来の宗教とカースト、貧困のインド像を否定すべく、判で押したようにIT技術者と「新中間層」と政治大国化という新しいステレオタイプに陥る傾向にありますが、やはりそういう内容のレポート。ただ、政治大国化を扱った第3回の後半は、経済自由化の煽りを食って綿花価格が暴落し、土地に合わない高価格の遺伝子組み換え綿花や化学肥料を売りつけられながら収穫も減り多額の借金を抱えて自殺地帯と化したコットンベルトの惨状や経済特区のための強引な土地収用で農地を追い出されて反対闘争に決起する農民たちなど、経済政策の犠牲者たちを描いていて、危ういところでバランスを残した感じです。核実験を敢行し包括的核実験禁止条約への署名も拒否しながらアメリカとの関係を改善し核協力まで取りつけた政治力への羨望/畏怖と密接な批判とも感じますけどね。それはさておき、私としては、卒業生がアメリカの一流企業から引っ張りだこの超エリート大学インド工科大学(IIT)に貧しい家庭の子どもたちが合格できるように授業料免除・家賃食費文房具代も免除で特訓するラマヌジャン数学アカデミーを経営するアーナンド・クマールの話(101〜105頁)に共感しました。クマールは自らがケンブリッジ大学に入学を許可されながら貧しさのために断念し、貧しい若者が学べるようにと思い立って質素な暮らしをしながら経営を続けているといいます。しかもクマールはNHKスペシャルでの放映後出てきた寄付の申し出に対して、身のほどにあった範囲でやっていきたいからと寄付を断ったといいます(115〜116頁)。志の高さに感心します。

23.新バイブル・ストーリーズ ロジャー・パルバース 集英社
 旧約聖書のエピソードを元に改作した短編物語集。古代の話でもあり戦いや暴君の話が続くのですが、平和的な解決に導かれているものが目を引きます。征服された部族の出の娘が妃となって暴君を目覚めさせて平和主義者にし、被征服者たちの武力蜂起にも話し合いで応じ、民衆が反乱軍を取り囲んで追い返すという「エステル」が、その典型。平和路線とそれを支持する民衆という構図が感動的です。武力蜂起して王に迫って民衆に追い返されるのがかつて王の侵略を受けた被征服者というのが、ちょっと複雑な気持ちになりますが。ところで、最初の「ノアの箱舟」。人間たちが神の怒りを買った理由が自然破壊で、「美しい森を荒らし、仕事中毒のビーバーみたいに木を伐りまくった。」(10頁)とされています。それなのに、ノアが「とにかくものすごく大きく、まるごと一個の世界と言ってよかった。」(12頁)くらい大きな箱舟を木で造って救われるのはなぜ?

22.窓の灯 青山七恵 河出書房新社
 大学を中退して住み込みで喫茶店の手伝いをしている女性の店の経営者(ミカド姉さん)や客への愛憎、まわりの他人の生活への関心などを書きつないだ小説。主人公が単調な生活の中で部屋の向かいのアパートの隣人の生活に興味を持って観察する様子から話が始まりますが、それだけにとどまらず夜の街を徘徊して他人の家のドアに耳を押し当てて中の様子を探り、窓からのぞき込んで(オペラグラスも持参)となってくるとかなり危ない感じ。仕事柄、男性がやってたら逮捕一歩手前だよねなんて考えてしまいます。主人公の、そして主人公から見た店の客からのミカド姉さんへの視線とあわせて、見る/見られること、愛・憧憬・羨望を込めた視線・眼差しがテーマとなっているのだと思います。ラスト間際での主人公の破壊衝動と、位置取り・視線を相対化したラストは、物語としての結末は示さずに読者に考えさせる、不満が残るような巧みともいえる味わいを残しています。

21.エピデミック 川端裕人 角川書店
 XSARSと名付けられた新型感染症の蔓延を制圧すべく前線で走り回るフィールド疫学チームが調査で感染源を絞り込んで行く様子を描いた小説。登場する疫学チームのキャラで、深刻な話を軽めに書いて読みやすくされています。ミステリー仕立てなのですが、謎解き部分は今ひとつスッキリしない感じがします。謎解きをスッキリ決めないのは、疫学というもの自体がそういう性質のものという書きぶりとフィットさせているのかなとは思えますが。特に新興宗教団体もどきのバイオテロとかいう話が、話の中で収まりが悪いし、話全体の現実感を失わせていると思いますし、読んでいて嫌な感じが残ります。この設定は外した方が、感染症をめぐる役所の対応や地域間の対立とか、少し書き込まれたテーマが生きると思うのですが。主人公にしかたなく付き従う形になる意欲のない保身が先に立つ小役人も今ひとつ。こういう役回りは途中で変身して重要な役割を果たすかなと思ったら、そうでもなく中途半端ですし。活躍する変人キャラの疫学チームが軽さを作り、脇役の2人の小児科医とその妻、看護師らあたりが地味な味わいを醸し出しているというところでしょうか。

20.狼たちの月 フリオ・リャマサーレス ヴィレッジブックス
 スペイン内戦で敗走し山間部に逃れて落ちのびた共和派戦士たちのその後を描いた小説。フランコ政権下で治安警備隊に追われ、次第に仲間を失いながら、勝利の展望もなく投降したら殺されるので闘い続けるしかないという思いで抵抗を続ける戦士たちの日々が書き連ねられています。敵治安部隊に対する積極的な攻撃はせず/できず、戦闘は仲間を売った者への報復か、治安部隊の攻撃を受けたときの反撃だけ。日常的には無抵抗の市民を銃で脅しつけて食料や物資を奪う山賊のような日々。支持者も、匿う家族や知人もいるが、それも治安部隊の弾圧で消耗し続けて殺害されたりもう協力できないと言い渡されたりしていきます。勝利の展望も未来への希望もなく、大義のためのはずが市民から略奪を続けることで生きながらえ、家族や支持者にも多大な犠牲を強いて生きのびる戦士たちの姿はあまりにも哀れでむなしい。一体何のために闘争/逃走を続けているのかと問いかけざるを得ません。そのことで、正義とは大義とは何か、戦争とは何かを考えざるを得ないのですが、それにしても、正義を掲げて闘う側をここまで報われない救われない描き方をされるのにはちょっと読んでいてあんまりだなと思いました。文章は詩的な言い回しが多く、翻訳も苦労した様子ですが、日本語としてはスッと落ちない表現が多く、読みづらく思えました。

19.きみを想う夜空に ニコラス・スパークス エクスナレッジ
 実直だが無口でコインのこと以外興味を示さない父親との2人暮らしに飽きて、不良仲間とつきあい大学に行かずに陸軍に入隊しドイツに駐留する青年が、休暇中に故郷で巡り会った女子大生とたちまちに恋に落ち、遠距離恋愛する青春恋愛小説。主人公は女性関係もいい加減で粗暴で荒んでいたにもかかわらず、女子大生が主人公を正直で優しい人だと評価してすぐに好きになるという設定が、どうもしっくり来ないんですが、そこを乗り越えれば、遠距離純愛物語として波に乗れます。それにアスペルガー症候群と示唆される社会不適応だがまじめで子育てには誠実に当たってきた父と、高校時代はその父を不愉快に思い離れていた主人公が父の生き方への共感を深めていき関係を確認していく親子物語の流れがかぶさって行きます。ストーリーの進展に従い、最初はただの不良上がりの粗暴な青年だった主人公が成長していく様が読ませどころになっています。最後は、素直な性格の読み手なら感動、斜に構えた読み手ならきれいごとに過ぎるんじゃないと感じるかと思いますし、まあこういう展開ならそう書くしかないなとも思いますが、それでもうまく収めています。

17.18.最後の陪審員(上下) ジョン・グリシャム 新潮文庫
 リーガル・サスペンスを離れて社会派作家になった感のあるグリシャムの、日本語版では久しぶりに法廷シーンのある作品(原書ではこれより先に出版されたThe King of Tortsが日本語版未出版のため)。ということで期待を込めて読みましたが、リーガル・サスペンスとしてはかなり中途半端。刑事事件の裁判そのものは比較的簡単に上巻だけで終わってしまいます。その後それと関係のないミシシッピ州の郡部社会のあれこれが延々と続き、かなり間延びした後に最後にまたサスペンス仕立てとなるものの、犯人は、まぁ私は予想を外しましたが、あぁやられたって感じでもないし、謎解きも特になく今ひとつスッキリしません。物語としてみても、殺人事件については遺族のその後もほったらかしだし、事件は主要なテーマではない感じです。地域の新聞社を買い取った青年記者の目から見た南部社会のあれこれ話と位置づけるべきでしょう。「解説」はグリシャムの集大成なんて書いています(下371頁)が、リーガル・サスペンスを離れた社会派作家としてのグリシャム好みの方向けと考えた方がいいと思います。黒人差別問題を中心に南部の社会問題を書き込んでいて、そういう面ではそこそこ読ませると思います。ただ、1970年代に舞台設定し、あえてすでに改正された法律をその改正前の前提で書いたりさらには現実の法を歪曲したり曲解してまで書いて問題提起する(その点は著者あとがきでそのように宣言されています:下366〜367頁)という手法は、なぜ現在の問題ではなく過去の問題を論ずるのか、また問題提起の方法論としても疑問を感じます。

16.私には夢がある M・L・キング説教・講演集 クレイボーン・カーソン、クリス・シェパード編 新教出版社
 アメリカの公民権運動(黒人差別撤廃運動)の指導者だったマーティン・ルーサー・キングJr牧師の運動の重要な節目となる段階での演説をまとめたもの。モンゴメリーで黒人が白人に席を譲らなかったために逮捕された事件を機に開始されたバスボイコット運動を呼びかける1955年12月5日の集会でのいわばキング牧師の公民権運動のデビューを飾った演説からキング牧師が暗殺される前夜の1968年4月3日の演説まで11の演説が収録されています。2003年に日本語版が出版されたときに一度読んだのですが、子どもの宿題でキング牧師の話が出たのを機に再読してみました。現実の黒人差別と警察や白人至上主義者の苛烈な暴力にさらされながら、団結を抑圧したがるアメリカの風土の中で、非暴力抵抗運動を主張し続け、指導し続けることの困難さと偉大さに感服します。読書日記を始めてから「私のお薦め本」をほとんど追加していなかったのですが、久しぶりに追加することにしました。詳しくはこちらをどうぞ。

15.ニュートン別冊 イオンと元素 岩澤康裕、桜井弘監修 ニュートンプレス
 科学雑誌Newtonの別冊ムックサイエンステキストシリーズの化学シリーズ第2弾だそうです。イオンと元素:原子の構造とか周期表、イオンの仕組み、電池、生体でのイオンの役割(神経での信号伝達とか消化)、炎色反応やイオン交換樹脂の利用、元素の誕生などを説明しています。前半のイオン関係はおおかた中学・高校前半くらいの内容ですが、グラフィックが充実していてわかりやすくできています。アルカリ性食品が体によいというのはやはり科学的根拠はなかったんですね(69頁)。水に何かを溶かすと凝固点が下がる凝固点降下の仕組みはまだ完全に説明できない(26頁)とか鉄より重い元素の合成については現在のところはっきりとはわかっていない(116頁)とか、こんなことがまだわかっていないということが新鮮に思えました。後半の元素の誕生のビッグバン宇宙論の話は何度聞いてもピンと来ないのですが、中性子と陽子の核力がもう10%ほど弱かったら今の宇宙はなかった(118頁)とか、陽子と中性子の重さが(現実には陽子が中性子よりも0.14%軽い)同じだったり中性子の方が軽かったら今の宇宙はなかった(128〜131頁)とかいう話を読むと、なんとなく宇宙の神秘にありがたみを感じます。

14.したたかな生命 北野宏明、竹内薫 ダイヤモンド社
 生物をシステムとして捉えてそれが環境の変動に対応して機能を維持していく仕組みを論じた本。生物だけでなくシステム一般の話も書かれています。すべての事柄に対して強いシステムは実現できないので、特定の環境に対して最適化すると想定外の環境では非常に困難なことになるという指摘は、なるほどなぁと思います。例えばF1レースカーは豪雨の中で低速走行するとハイドロプレーニング現象を起こしやすく制御できないとか、材料をアメリカ産ショートプレートに特化した吉野家はそのリスクをとったから圧倒的に競争力があるがアメリカでのBSEによる牛肉の輸入禁止が弱点だったとか。生活習慣病の糖尿病は飢餓状態で低血糖によって神経細胞と免疫系がやられることを防ぐために人類が獲得したインスリン抵抗性等の機能が運動不足で過栄養という人類史上希有な現在の生活習慣の下では脆弱性となって病気を引き起こしている(109〜113頁)とか、癌がマクロファージなどの自然免疫系をハイジャックして進行している(だからAIDS患者の乳癌や前立腺癌の発症率は相対的に低い)(210〜212頁)とかの仮説は興味深く読みました。システムを強化するための冗長性(故障に備えて同じもの/予備を多数用意しておく)、多様性(設計ミスに備えて他種類のものを備えておく)、モジュール化(1つの故障が全体に波及しないようにある程度で1単位としておく)等の戦略の話もおもしろいのですが、それよりも最適化とは何か、「最適化」が望ましいのかといったことを考えさせられました。

13.群青の空に薄荷の匂い 焼菓子の後で 石井睦美 ピュアフル文庫
 「卵と小麦粉それからマドレーヌ」の続編。小学校時代にいじめにあい別居中の父親の言葉を支えにそれを乗り切り、その後大人びた文学少女になった高1の川田亜矢を主人公に、北村菜穂ら友人たちとの関係、2人暮らしの母との関係を描きながら、再会した小学校の同級生との恋をめぐりいじめの過去と向き合う亜矢の心を描いています。パパっ子だった亜矢の母親との関係はなかなか難しいものがありますが、時に喧嘩しつつも次第に母親を好きになっていく様子が気持ちよく読めます。同時に別居後も月1回続けているパパとのデートを通じての別居した父親との心の交流も好感が持てます。そしていじめが始まる前に転校していった同級生との再会と淡い恋、しかし、そのために度々いじめられた過去を思い出さざるを得ない亜矢の辛さも巧妙に位置づけられ、それと向きあい成長していく亜矢の様子にすがすがしさを感じられます。亜矢を主人公にしたことで前作より重いテーマが描かれているのですが、やはり悲劇的にならずにさらりと読めました。文章は、前作から6年経ったせいか、話者を入れ替えたのにあわせたのか、前作より少しシャープな感じがしました。前作の文章の方が私の好みですが。

12.卵と小麦粉それからマドレーヌ 石井睦美 ピュアフル文庫
 普通か少し子どもっぽい中1の少女北村菜穂が、大人びた友人の川田亜矢らと過ごしながら、母親のフランス留学にとまどいそれを受け容れ成長していく様子を描いた青春小説。ママっ子だった菜穂が母と離ればなれになることを受け容れ、父親と2人で生活してゆく様子を通して家族の関係・絆を描き出しています。その中で友人の川田亜矢が大きな存在となっていて、その大人びた視点は小学生時代のいじめとそれを乗り越えてきた過去、両親の不仲と別居している父親との絆などから形作られているのですが、それが重苦しくなく描かれていることに作者の力量を感じます。文章も、何気ない言い回しが心の襞を示していたり、小じゃれていたり、軽いのですがどこか、うまい。重苦しいテーマもあるのにほんわかした気分で読めるところがいい作品だと思います。

11.記憶がなくなるまで飲んでも、なぜ家にたどり着けるのか? 川島隆太、泰羅雅登 ダイヤモンド社
 酒と脳の関係についての解説書。酒好き・底なし派と飲めない派の2人の学者が掛け合い的に書いているのが、常に反対からの見方読み方を提示していて、楽しく読めました。表題にある、泥酔してもなぜ家に帰り着けるのかについては、泥酔すると新たな記憶を作る能力は失われるが過去の記憶は利用でき、視覚情報から見慣れた景色の情報が入るとこの信号は右にとかいう情報を出すナビゲーションニューロンが働いて、いつもの道であればたどり着ける、しかし新たな記憶を作れないのでどうやって帰ったかは覚えていないということになるそうです(6〜7頁)。でも日常的に通っているルートでないと機能しないので電車を乗り過ごしたりしてふだん行ったことのない場所に連れて行かれたらもうダメだとか・・・(8〜9頁)。酒を飲むと摂取したアルコール量に比例して脳の神経細胞が消えていくそうです(>_<)。加齢でも脳は萎縮するけどアルコールによる萎縮は人間の行動を理性的に抑制している前頭前野から進むんだとか(101〜102頁)。う〜ん。でも、ほろ酔い状態の時に脳は最も活性化するそうです(42〜47頁)。これを底なし派は脳の情報処理能力が高まっていると解釈し、飲めない派は脳の機能低下をカヴァーするために多くの部分を活性化させて取り組むことになり反応時間が速くなるのは酔って抑制が外れていきおいで適当に判断しているためと解釈していますが。どちらにしても、ほろ酔いでは止められないのが酒飲みなんですよね。

10.旗本夫人が見た江戸のたそがれ 深沢秋男 文春新書
 旗本夫人で息子が大奥との連絡等の事務を行う役人だった井関隆子が幕末近い天保年間の5年間にわたって書いていた日記を紹介した本。江戸時代の風俗や習慣が描かれていて興味深く読めますが、あくまでも幕府の役人の家庭からの視点ですので、一般庶民にとってはたぶん違う感じなんだろうなとも思えます。水野忠邦の「天保の改革」についてはかなり批判的で、その点も興味深い。忠邦は「世間には節約するようにと、厳しいお触れを出して、これも将軍家のためであるといいながら、自分自身は領地を増やしてもらっている。また、世には厳しく禁止されている賄賂なども、水野殿自身は、何事につけても、受け取っている。そういう人物である」(136〜137頁)とか。それじゃあ改革も失敗するわなと納得します。この天保の改革関係と江戸城大奥の火事(192〜205頁)あたりが読ませどころでしょうか。新書ですから、まぁ当然とも言えますが、新たな研究発表ではなくて二十数年前に書かれた本の要約・焼き直しのようです。そのためか同じことが何度も出てきたり、本文と最後のまとめ的な部分に対応のズレがあったりして、ちょっと気になりました。

09.君空 美嘉 スターツ出版
 ヒットしたケータイ小説「恋空」(2007年5月01.02で紹介)のヒロ側から書いたバージョン。恋空のストーリーのうち癌と知ったヒロが美嘉の幸せを祈って病気を隠して別れを切り出し、敢えて嫌われるようなことをし続け、しかしそれでも美嘉のことを思っていますということに関わる部分だけをピックアップしてつなぎ合わせた感じです。ただひたすら美嘉のことが好きだ、美嘉の幸せだけを願うというヒロ像を繰り返しそれに純化させたものです。それはヒロを美化したものか、こんなに思われるなんてという美嘉の陶酔/願望なのか。内容的には、今回の描写の中心となるヒロの心情も含めて、ほぼ恋空で書かれていることでわかっていることで(新事実は、例えばヒロパパがマヨラーだったとか:191頁(^^ゞ)、もう一度反芻したいファン向け。癌ものにしては、高3の秋の大量脱毛まで病状や治療についての描写はほとんどなく、その後も入院までは同様で、ヒロの苦しみは美嘉に真実を伝えられないことと美嘉と会えないことだけという状態。一生連れ添えないなら美嘉の幸せのために早めに別れるって(一方で60歳まで生きてやるなんて言いながら)、あまりに観念的。でも、そこは、若気の至りで、男性読者には、そうやって誤った道を選んでもリカヴァーして幸せになれることはあるって、そういう読み方もできるかも知れないところをポジティブに評価しておきたいと思います。あとがきの日付と奥付の発行日が同じって珍しいですが、まぁ年賀状に1月1日って書くのと同じでしょうか。

08.樹の上の忠臣蔵 石黒耀 講談社
 山林に作ったツリーハウスで過ごす夜に娘たちが暇つぶしに始めた「コックリさん」で赤穂藩城代家老の家来の幽霊が呼び出されてしまい、その幽霊が忠臣蔵と幕末の討幕運動の謎を語るという設定での歴史蘊蓄小説。忠臣蔵で悪役になっている城代家老大野九郎兵衛を中心に据えて、慢性赤字だった赤穂藩を製塩への投資で経済復興し、赤穂城明け渡し後も塩相場での蓄財を用いて浅野家復興を画策し、討ち入り・赤穂浪士切腹後は幕府への復讐を誓い経済力による討幕運動を決意して実行するという役回りにしたところがポイントになっています。忠臣蔵自体は前半で終わり、むしろその後の経済活動による幕府の弱体化と幕末の討幕運動へのつなぎが独創的で、読ませどころかも知れません。米相場の長期的な下落による幕府の経済力の低下が独自の通信網による情報収集で相場に先んじた赤穂藩元城代家老の仕業とか、長州藩の経済成長がその赤穂藩元城代家老が儲けを意図的に移して行ったことによるとか、奇兵隊の討幕運動や薩長連合を経済的に支援した白石正一郎が大野九郎兵衛の養子の子孫とかいうのは、ちょっと苦しいですが、ミステリーとしては楽しい。江戸時代後半の歴史の展開が1つの藩のさらには1個人の意思/復讐心で大きく展開したというのは、危ない魅力を持ったロマンですね。作者は火山と地震で名をなしたのですが、前作(2007年1月分06.で紹介)でも歴史ミステリーの方に力が入っていたように感じられ、本当は歴史の方が好きなのかも知れません。ところで、浅野内匠頭の刃傷事件を癇癪持ちで天気の悪い日にはそれが悪化したことによるとしているのですが、そこで「現代なら浅野方が腕のよい弁護士をつけて適当な精神科医の診断書を提出すれば『心神耗弱』という理由で無罪になった可能性もある」(96頁)というのは勘弁して欲しい。心神耗弱が認められても刑が減軽はされますが無罪にはなりません。無罪になるためには「心神喪失」と認められなければならなくて、癇癪持ちとか心臓神経症でそういう認定になるとは考えられませんし、心神耗弱だって認められるのはごく稀だと思います。

07.女神のための円舞曲 大石英司 中央公論新社
 四半世紀前に死んだ母が残した自分の名前でのコンサート主催の予約を知らされ、その実現に向けて奔走することになった女性教師を軸に、死に向かいつつある筋ジストロフィーの青年の家族捜しと、殺人事件の捜査が絡みながら進展するミステリー仕立ての小説。主人公が人の死の予兆を見ることができたり、埋もれた才能が次々と発掘されたり、まるで世界が100人の村だったらというか冬のソナタというか登場人物が偶然にも事件や血縁で結ばれた人だったとわかっていく展開が、いかにも都合よすぎですが、それを受け容れられれば、ジグゾーパズルのピースがはまった快感で読めていけます。だから「女神」であり、それが運命なんでしょう。非現実的な設定ではありますが、人の運命を動かせるとしたら自分はどうすべきかっていうことを考えさせられます。ところで、お話の中で警察官が、やたら裁判員制度を意識して、裁判員だと自白だけじゃ無理だ、物証がいる(203頁、215頁)とか、早く自白すれば裁判は1年くらいで終わる(287頁、292頁)とかいうのは業界人としてはちょっと溜息。裁判員がきちんと証拠にこだわってくれることには期待したいところですけど。自白している事件で1年なんて引き延ばしたってかからないし、何よりもこのお話の設定が2007年8月31日にコンサートがあり(15頁)その日の逮捕ですから裁判員制度の実施まで1年半以上あるのでこの事件が裁判員に裁かれることはおよそあり得ないんですが・・・

06.「言語技術」が日本サッカーを変える 田嶋幸三 光文社新書
 サッカーにおいても、自分で判断してそれを相手に論理的に伝えるということが大事だということを論じた本。冒頭に2006年ワールドカップ準決勝で1人退場して10人になったときイタリアチームの選手は誰1人ベンチを見なかった、ベンチの指示を求めず自分たちで決めたというエピソードが象徴的に示されています(8〜9頁)。それに対して日本人選手はプレイの根拠を聞かれると相手の目を見て相手が求める正解を探そうとするということが対照的に語られます(10〜11頁)。こういう例を引きながら、サッカーには正解はない、それぞれの場面で自分で考え判断することが大事、自分の判断とその根拠を語る習慣をつけることで考えてプレイするようになるということが著者の主張の軸になっています。失敗を繰り返し試行錯誤することから創造性が産まれてくるのに勝敗にこだわりすぎ失敗が許されない環境になりがちとも。間違ってはいけない、失敗が許されないというプレッシャーが子どもを萎縮させて伸ばさないという指摘は、サッカー以外も含めて肝に銘じたいと思います。何か聞かれたら「別に」としか答えず、気に入らないことには「ビミョー」でごまかしてしまう若者の対応を許していては、自分で考え判断する姿勢が育たないという指摘も、いまどきの子どもの親として、同感です。

05.すぐに使える!ビジネス文章の書き方 高橋昭男 PHPビジネス新書
 表題のとおり、ビジネス用の文書、特に企画書・マニュアル・取扱説明書を念頭に置いた文章術の本。優しい言葉で書く、あいまいな書き方をしない、言葉は正確に使うとかはよく言われるところ。1文を短く、ビジネス文章は1文平均40文字で書こう(175頁)。はい、わかりました。注意表示やマニュアルについて、一番言いたいことから書くことが強調されています。作業方法の説明で最後に「必ず電源を切った上で作業してください」と書くのは欠陥文書、これでは電源を切らずに作業してしまう(144〜146頁)という指摘には納得します。こういう取扱説明書多いですもんね。冒頭に差別発言を挙げて障害者等がどう受け取るかの見識を問い、こういう欠陥文だけは書いてはいけない、文章は書き手の知性と品位を証明すると指摘している(20〜25頁)のは、ビジネス書としてはユニーク。う〜ん、これで1文平均46文字・・・

04.もの書き貧乏物語 坂口義弘 論創社
 フリーライター稼業のリスクとよさなどについて論じたエッセイ。フリーライターで生活することがいかに大変かを語る部分(1、4、7等)は、自営業者の1人として、共感というかお察し申し上げます。お願いしてまで仕事をしたくないとか、胸を張って毅然と生きていきたいとか(31頁、77頁等)いうのも。この本の読みどころはやはり、この自営業者の悲哀と矜恃にあると思います。でもその周辺の、持ち込み原稿はコネがないと読んでももらえないとか記事潰しの動きとか取材相手との間合いの取り方なんかのライター稼業を取り巻く裏事情も、楽しく読めました。途中で「目下売り出し中の安部譲二氏」(57頁)とかいうのが出てきて、あれあれっと思ったら10年以上前に雑誌「公評」に連載したもののリライトだとか(あとがき)。そういうことは奥付の前頁に初出を示して断り書きしておいて欲しいなあ。

03.エンドレス・ワーカーズ 働きすぎ日本人の実像 小倉一哉 日本経済新聞出版社
 日本人の労働時間と長時間労働の原因等について分析した本。著者は政府系のシンクタンク労働政策研究・研修機構の研究員で、原因等の分析については主に自ら行ったアンケート調査に基づいて統計的な側面から論じています。年間労働時間の「平均値」では減少傾向にある日本の労働者の労働時間ですが、それは正社員がリストラされて非正規雇用に置き換えられているためで、例えば週60時間労働をしている労働者の割合という形で調査すれば増加している(2〜5頁)し、正社員とパートタイマーに分けて労働時間を調査するとどちらもほとんど変わっておらず(174〜175頁)、パートタイマーの残業は増えている(176〜178頁)そうです。週50時間以上労働している労働者の割合で見ると日本は先進国の中では突出して高い(10〜13頁。但し、アジアでは低い方:14〜18頁)とか。残業の理由として最も多いのは「業務量が多い」ため(68〜70頁)で、サービス残業が長くなる要素は「男性」「若年層」「営業販売職」「医療・教育関係の専門職」「1年前より労働時間が増加した人」「余暇よりも仕事に生き甲斐を感じる人」だそうです(54〜60頁)。要するに与えられた業務が多すぎて残業せざるを得ないし顧客との関係で残業が多くなり、前よりも増えた残業は残業手当を請求できずにサービス残業になりやすいということですね。著者は長時間労働の解消のための提言として勤務時間の厳密な管理(把握)と業務量の調整権をある程度労働者に与えることを挙げています(228〜234頁)。地味な提案ではありますが実務的な提案でもあり注目しておきたいと思います。全体に政府系シンクタンクということもあってでしょう、労働者側が自主的に残業している面もあるということを繰り返し指摘して経営者側だけが悪いという評価を回避していますし、アンケート調査に基づく分析はデータを見ると差異がそれほどでもないことも多く数字の説得力が今ひとつとも感じますが、長時間労働の解消に向けた実務的な仕事として評価しておきたいと思います。

02.官邸崩壊 安倍政権迷走の一年 上杉隆 新潮社
 政界エリートの血筋と温厚な人柄と高い支持率に恵まれた安倍政権がスキャンダルまみれになり支持が急落して参院選で歴史的惨敗を喫する経緯についてのレポート。お友達内閣と揶揄された露骨な論功行賞・側近重用人事の結果、官邸に配置された人材が経験・能力・行動パターン(他人への目配り)において適切ではなく、しかも意思疎通・情報交換が不十分で十分な準備と覚悟なく地位につき事に当たったことから対応に失敗していったということが、繰り返し語られています。政治家として修羅場をくぐる必要もなくその経験も少ないエリートが若くして上りつめたために「お友達」に十分な人材がいなかったということでもあるのでしょうか。しかし、トップの若さという観点でいえば、日本でこそ安倍首相は若くして就任したと言えますが、欧米では40代のトップが珍しくもないわけで、本当はトップが若くてもうまく回るようなスタッフを確保するシステムが大事なのだと思います。お友達を押し込むのではダメなことは明らかですが、派閥の長老の意見に従えばよかったのかというとそれもまた困ったものですし。極端な国家主義指向と強行採決を繰り返した反民主主義的な姿勢から安倍首相には反感しか感じませんでしたから、その政治姿勢や手法で崩壊するというストーリーなら自業自得・当然と思いますが、スタッフの人材不足・意思疎通の欠落・対応のまずさで沈んでいくというストーリーを読まされると、これでいいのかなあということの方を考えさせられました。

01.子供が忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか 本田和子 新曜社
 少子化を解決するためには、産み育てやすい環境整備等の政策では足りず、若い世代に生じている子どもを忌避する心性を解明し子供を産み育てることの意義付けを付与していく必要があるということを論じた本。子どもを忌避する心性は女性個人に帰せられるものではなく、家の継承や国家の人的資源として無前提に出産が善とされた時代が去り子供を持つことの新たな(それに代わる)社会的意義が見いだせないことや医療や流通の発達により子どもの成育に親が絶対的に必要とはされなくなるなどを背景に親子関係が変化したこと、モータリゼーションと公園の貧弱さ等と子ども部屋の標準化で子どもが個室に追い込まれ/閉じこもること、子ども向けメディア(漫画・ケータイ等)の発達や少年犯罪とその報道などによる世代間の意識のギャップ等の社会情勢によりこの1世紀をかけて醸成されてきたものと論じています。言われていること自体は、なるほどとも思いますが、それぞれのテーマの論じ方は、社会が子どもをどう位置づけてきたか、子どもの視点から親がどう見えてきたかの方に重きがあり、まとめで突然そういう事情で親が子どもを忌避する心性を持つようになったと述べているのがどうも読んでいて違和感があります。たぶん著者が専門の子ども学の関係でこれまで書いた論文を集めて各論文のはじめとまとめを少しリライトして1冊にしたんじゃないかなという気がします。もしそうなら最初からそう書いて初出誌も明示して欲しいのですが。そういうところ1冊の本として読み通すのにしっくり来ないのですが、産まない母親に非難を向けるのではなく社会的な問題と捉えましょうという姿勢自体は共感できます(精神論に走って産み育てやすい環境整備をさぼる口実にされなければですが)。しかし、最後に著者が示す解決策が、人類の種の存続という公的目的のためというのはちょっとねぇ。日本の若い世代が産まないのなら、日本は多産多死が続く南半球に支援をして種の存続に貢献し、日本の文化伝統の存続を希望するなら南半球で生まれた子を養子にして育てればいい、生み育てることを拒否するならば血縁幻想も捨てるべきだ(298〜303頁)というのは、そこまで言われれば論としての筋は通っていますし、目からウロコではあるのですが・・・

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