このサイトでは、民事裁判のしくみや手続、労働事件、借金の整理 過払い金請求などについて説明しています。
【民事裁判の意義・必要性】
もし民事裁判の制度がなかったら、紛争はどのように決着することになるでしょうか。強者と弱者、例えば大企業と労働者・消費者、暴力団と市民の間での紛争ならば、強者はやりたい放題、弱者は泣き寝入りということになりかねません。市民個人同士の場合でも、図々しい人が無理を通したり、お互いに譲らずいつまでも紛争が続くということもありそうです。
民事裁判は、一定程度公正な手続の下で、法律という一定程度公正な基準で、一定の強制力のある判断をして紛争を解決することによって、弱者の泣き寝入りも、強者のやり過ぎも、無理が通ることも、いつまでも紛争が解決しないことも防ぐことができるしくみです。
「一定程度」って、なんだか頼りない言い方だねぇ。
制度に完璧なものはありません。過信しないでうまく利用することが大切です。
《弱者の武器としての民事裁判》
民事裁判では、相手の主張に対して反論をする機会が確保され、証拠に基づいて事実が認定され、判決には必ず理由がつけられるなど、一定程度公正な手続が確保されています。弱者には一方的に押しつけられがちな契約の内容も、あまりにひどいものは無効とされることがありますし、契約で決まっていない点は法律に基づいて判断されます。その意味で判断の基準も一定程度公正なものです。
もちろん、強者の側、大企業や雇い主・事業者たちは、自分に有利な契約書を作り、紛争が起きる前からさまざまな証拠書類を用意します。主張や証言についても、社会的な地位の高い人の言うことが信用されやすい傾向もあります。ですから、一般的には、強者の側の方が裁判も有利に展開できます。さらに言えば、法律自体、政治的な駆け引きの産物ですから、強者の側に有利な内容のものが多々あります。裁判所は「弱者の味方」というわけではありません。
しかし、事実関係や主張で弱者の側に正義というか理があるときは、やり方次第では、その劣勢を覆して勝利することができる、その可能性が裁判以外の場面よりも大きいのです。その意味で、民事裁判は弱者の武器となり得ます。
《強者の横暴を防ぐ民事裁判》
弱者の側で裁判を起こすことで強者の横暴を止めるという意味があることは当然ですが、強者の側でも民事裁判という制度があることで法に反した横暴なやり方をしないという効果も期待できます。
実力行使すれば勝てる強者も、多くの場合、無理な実力行使よりも、誰からも批判を受けない正当な手段で要求を通したいと考えます。民事裁判の制度が整っていて、民事裁判を利用すればある程度スムーズに要求を通せるのならば、強者の側でも実力行使よりも民事裁判を利用するケースが増えることになります。
民事裁判では、証拠も理由もなく主張が認められることは普通はなく、また内容として無理な要求が認められる可能性は低いので、強者の横暴ややり過ぎが抑えられることになります。
《納得感と紛争解決》
民事裁判では、当事者は自分の言い分を述べ(現実には言い分を書いた書類を提出し)、相手方の主張に反論する機会が確保され、自分に有利な証拠を出すことができるという一定程度公正な手続で、裁判官という当事者のどちらからも独立した立場の人が、法律という一定程度公正な基準で、理由を示して判断をします。そういった手続の過程、判断(理由)の内容から、裁判以外の手続に比べて、当事者の納得感が大きくなります。
もちろん、納得できない当事者もいますし、負けた側が納得できなくても判決の内容を強制でき紛争の最終決着を図るところに裁判の特徴があるのですが、紛争は両方の当事者が納得したときに本当の意味で解決するのです。民事裁判が紛争を解決するということは理論的には強制執行で確保されるのですが、むしろ実際には両方の当事者が納得する(あるいは諦める)ことで解決することの方が多いと思います。
《法の実現への安心感》
現実の紛争の当事者でない人にとっても、民事裁判制度があることで平和な日常生活を送ることができているという側面もあります。
多くの人は、法律や約束を守ろうと考え、現実に守って生活しています。その背景には、自分の権利はいざとなれば法によって(民事裁判によって)守られるという思いがあり、そう思うからこそ、自分を守りまた社会の基礎となる法律を、自分も尊重して守っていこうという気持ちが強くなるのだと、私は思います。そういう人々の確信は、法律が現実に多くの場合に守られているということで強められます。
法律や約束に反発を持つ人も、法律や約束に従わないと裁判を起こされて強制的に従わされると思えば、余計な手間をかけるよりは法律や約束を守っておこうと考え行動する可能性が高くなります。
そういう人々の考え・判断によって、大半の人が法律や約束を守ることで、多くの人々の平和で安心できる生活が確保されているのです。直接に民事裁判で判断・解決されることよりも、民事裁判という制度が存在し、一定程度うまく運用されていることとそのことへの信頼によって人々の社会生活の平穏が保たれていることに、民事裁判の大きな意義があるとも考えられます。
法律って強制的されるものというイメージだけど。
そういう面もあるけど、納得と信頼の方が大事だし、制度としても安定するものです。
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