第13章 時は巡りて

1.密かな監視者

「六条さん、どうしてあなたが?」
 私はスマホを握りしめたまま言った。
「手を挙げなさいって言ったのよ!どうしてあなたがって、それは私が言いたいわ。なぜ土曜の深夜に事務所に忍び込んで玉澤くんのパソコンを覗こうとしているの」
「あ…いや、それは出来心で」
「ごまかそうとしないで。あなたが今何をしているか、私には見えているのよ。スマホを置いて手を挙げてパソコンから離れなさい。撃ち殺しはしないけど、ことと次第によっては許さない」
 私は、ビビってスマホを机に置き、両手を挙げ、一歩後退した。
「六条さん、どこにいるんです?」
 私は、どこかに生霊となった六条さん、姿現しをした六条さん、はたまたホログラムとなった六条さんがいるのではないかと、辺りを見回した。
「辺りを見回しても無駄よ。私にはあなたが見えるけど、あなたからは私は決して見えない」
「ごめんなさい。パソコンは本当に出来心なんです。玉澤先生のパソコンの中身を見たいわけじゃないんです。つい、恋愛ドラマで愛する人のパソコンのパスワードが自分の名前だったことを知って感動するドラマを思い出して、玉澤先生のパスワードを確認したいって衝動に駆られたんです。それだけなんです」
「本当にそれだけ?」
「そうです。本当です」
「2度と玉澤くんのパソコンに触らないのなら許してあげる。それから、心配しないで。パスワードは私の名前じゃないから」
「確認してもいいですか?」
 私は、Enterキーを押した。パソコンは、やはり「パスワードが正しくありません」と表示した。私は、ホッとした。それでホッとすること自体、情けないが。
「六条さんは、知ってるんですか」
「私は確認したことないけど、玉澤くんの性格を考えたら、答は予想できるわ」
 私は、そうかと思い次のパスワードを入れた。
「SORATAMAZAWA」
 画面が開いた。
「それで満足した?じゃあ玉澤くんのパソコンの電源を切って」
 私は、素直に従った。
「六条さんは、ずっと私を監視してるんですか」
「いくら狩野さんをいじるのが楽しくても、あなたをずっと監視するほど暇じゃないわ」
「どうして私が今事務所にいるってわかったんですか」
「パスワードを知ったあなたが玉澤くんのパソコンを覗かないように、教えてあげる。超小型の監視カメラを玉澤くんのデスクに向けて設置して、その映像を私のスマホに飛ばしているの」
「じゃあ、事務所を24時間監視しているんですか」
「カメラの視野で動きがあったときに信号が来るように設定してるの。通常の勤務時間帯は切っているけど、そうでない時間帯にカメラの前で動くと信号が来て、チェックすることにしてるの。だから、今後も、あなたが玉澤くんのパソコンに無断で触ろうとしたらわかるわよ」
「ホントに、もうしません。六条さん、それで玉澤先生が土日に仕事してて休んでないとか19連勤してることを把握してたんですね」
「まぁ、そういうことになるわね」
「玉澤先生、土日に1人だと、無防備にデスクの前で着替えたり、だらしない格好や力の抜けた顔してたりするんじゃないですか。六条さん、そういうの見て楽しんだりしてません?」
「そういう余録もないわけじゃないわね。今日のことは、お互いに秘密にしましょ。さっきも言ったように、玉澤くんのパソコンを触ったら私にはわかるんだから、2度とその出来心を起こさないでね」
 ようやく六条さんから解放された私は、玉澤先生のデスクからできるだけ離れて、目的のブツに辿り着き、こっそりと読みふけった。

2.地雷原のサバイバル

「土曜の夜は何を探していたの?」
 月曜の朝10時に出勤した私を見るなり、六条さんは私を問い詰めた。
「明け方近くまで事務所にいたじゃないの」
 今日の六条さんは、濃い紫色の綾織りのロングのワンピースに身を包み、いつもにもまして魔女っぽい妖しさを感じさせる。私には、薄衣1枚残して消え去るような忍者まがいの技術はない。今日は白黒付けるまで逃がさないという様子の六条さんに、ここはうまく説明して逃げ切らねば。
「私のデスクで、昼間にできないことをしていただけです。約束どおり、その後玉澤先生のデスクには近寄っていません」
 六条さんの監視カメラの視野がどこまで及んでいるのかはわからなかったが、六条さんの覗き見の好奇心が自分にまで向けられてはいないと踏んで、私は、はったりをかけた。
「それはわかっているけど」
「もちろん、何も持ち出したりしていませんよ。なくなったものはないでしょ」
「えぇ、そうね」
 やっぱり朝一番で何かなくなったものがないか、チェックしたんだ。何も持ち出さなくてよかった…私は、胸をなで下ろした。
「玉澤先生が、定時に帰るようにいつも言うので、夜や休日に事務所に残れないんですよ」
「それは、私も同じよ」
(だから、その代わりに監視カメラを仕掛けたんですか)
「私自身の趣味の領域でやりたいことがあるんです。それを事務所でしたいって思うところがあって」
「じゃあ、狩野さんは土曜の深夜に、仕事の残りをしてたんじゃなくて、自分の趣味の何かをしてたの」
「そう、攻略のための攻撃力UPの修行というか、秘密の特訓です」
「何それ?ゲームの話?」
「まぁ、そんなもんです」
「それなら自宅でできるんじゃないの?」
「うちのアパートには、深夜に『ぶぎゃあ゛~~』とか大音声で叫んだり、週末には酩酊して大声で騒ぐヤツがいて…」
「それはたいへんね。それで自宅では落ち着いてできないから土曜の深夜にわざわざ事務所まで来てたということなの」
「まぁ、そんなとこです」
 なんとか、うまく言いつくろえたみたい。六条さんが玉澤先生との過去の関係について「言ったことはすべて本当のこと」というのと同じレベルでは、私も嘘は言ってない。何を攻略し何を攻撃するのかは秘密だけど。
「でも・・・そういうことなら、どうして泥棒みたいな黒装束だったの?狩野さんは、いつも少し渋めだけど色合いのいい服を着てるのに」
 厳しい質問は、えてしてうまくやりおおせたと一息ついたときにやってくる。私は、ぎくりとして、目を泳がせないよう力を込めた。
「いや、六条さんはご存じないでしょうけど、プライベートの時は、モノトーンのラフな格好してるんですよ。ビジネススタイルの時とは違って」
「そうなんだ。意外な面があるのね」
 私は、態度に示さないよう、心の中で大きくため息をついた。何とか、不信感は晴らすことができたと思う。美咲、いやMAか、地雷原から無事脱出したぜ!

「ところで、六条さん。六条さんは、源氏物語の中でどの女性に一番親近感を感じますか」
 美咲への報告を意識したら美咲のレポートを思い起こしてしまった私は、つい、聞きたくなった。
「狩野さん、源氏物語、読んだの?」
「あ・・・いや、私は読んでないんですが、友人が」
「泥船に乗らないように答えるのは難しいわね。源氏物語に登場する女性で、源氏とエッチしない人は限られているもの。朝顔かな、親近感を持つとしたら」
「源氏を憎からず思って、文通を続けて、一定の距離を保って交際していたけど、源氏に言い寄られるとお断りした人ですね」
「そう。源氏が焦って言い寄らなければ、いい関係を保てたのにね。狩野さんも、意外にそういう線なんじゃない?それとも狩野さんは、愛人として逢瀬を繰り返す朧月夜とか、ひょっとして若妻の紫の上になりたい?」
「希代のプレイボーイの源氏と玉澤先生じゃ前提条件がまるで違いますけど、確かに朝顔はちょっといい感じですね」
「それなら、玉澤くんは言い寄ったりしないから、ずっといい関係を保てるわ。でも、狩野さんの質問、私に、空蝉がいいとか言わせたかったのかしら。人妻ながらに一夜の契りを結んでしまって、その後は源氏から逃げ去って、さらには出家してしまうけど、夫の死後には源氏に呼び寄せられてともに暮らすっていう、源氏と空蝉みたいな関係にちょっと憧れるところがないとは言わないけど」
「六条さんって、いつも最後に私の心を波立たせるんですね」
「前から言ってるでしょ。積極的にそうなりたいと思うわけでも、現実に行動するわけでもない。たぶん。でも、そうなるかもって思いを秘めてときめいていたい。私は、正直にそれを答えているのよ。そういう答えを聞きたくないなら、質問しないことね」
「現実に行動するわけでもないって、この間のダイビングは何だって言うんですか」
「あら、あれは単なる事故よ。玉澤くんだってそう思っているわよ。神様が私に楽しいハプニングとときめく思い出を与えてくれたんじゃないかしら。日頃行いがいいご褒美だよって」
(よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。このタヌキ…)
 私は、歯ぎしりしながら、言葉を呑み込んだ。しかし、あれだけ露骨に抱きついておいて、玉澤先生には、単なる事故と、六条さんが「被害者」だと、思わせていられる。六条さんには、やはり私にはない、持って生まれた狡猾さと運があるのだと、しみじみと思う。
 源氏物語問答を通じて、六条さんが空蝉に憧れ感を持つというあたりは想定していたが、朝顔のエピソードは、あまり想定していなかった。六条さんに言われた言葉を反芻し、私はしばらくあれこれと考え込むことになった。

3.控訴審

 午後、私は玉澤先生とともに東京高裁の法廷で裁判官の入廷を待っていた。東京高裁は東京地裁と同じ建物の上階側を占めている。今日は、梅並さんの事件の控訴審第1回口頭弁論期日だ。春の盛りに人証調べを終えた梅並さんの事件では、7月に1審判決が言い渡され、和解での心証開示の通り、梅並さんが勝訴した。会社側が控訴し、先月、会社側の控訴理由書が提出された。私たちは、先日、会社側の控訴理由書に対する反論を答弁書にまとめて提出した。
 控訴審での席は、一方だけが控訴した場合は、控訴した側の「控訴人」が傍聴席から見て左側、控訴された側、言い換えれば1審で勝訴した側の「被控訴人」が傍聴席から見て右側に座る。双方が控訴した場合、つまり1審判決が原告の一部勝訴、例えば解雇無効で月例賃金分のバックペイは認めるが賞与部分は認めないとか、解雇無効とパワハラの損害賠償請求を合わせて提訴して、解雇は有効だがパワハラの一部が認められて損害賠償が命じられたとかで、双方が負けた部分について控訴したというような場合、傍聴席から見て左側に1審原告、右側に1審被告が座ることになっている。

 足音が近づき、法壇の奥の扉が開いて、3人の裁判官が入廷してきた。地裁では、事件によって裁判官が1人の場合と3人の場合があるが、高裁では、どの事件も裁判官3人で審理する。
「起立、お願いします」
 裁判所事務官が傍聴席に起立を促す。傍聴席にいるのは、たぶん、会社の関係者だろう。
 私たちは、裁判所事務官が発声するまでもなく、法壇の奥の扉が開いたところで起立し、裁判長が「お待たせしました」と言って礼をするのに合わせて礼をし、着席した。
「それでは開廷します。控訴人は控訴状及び控訴理由書を陳述、被控訴人は答弁書を陳述しますね」
 玉澤先生は、裁判長の確認に合わせて「はい」と言って頷く。
「双方原判決に基づき原審の口頭弁論の結果を陳述。双方、主張立証は以上でよろしいですか」
 玉澤先生はやはり「はい」と答える。会社側の弁護士からも特に発言はない。
「では、あとは裁判所の方で判断させていただきます」
 裁判長は、あっさりと弁論終結を宣言し、ほぼ2か月後の日を判決言渡期日と指定した。判決言渡期日は、当事者の予定を聞かずに指定される。
 控訴審では第1回口頭弁論で弁論終結することが多い。その場合でも、弁論を終結して判決期日も決めた上で、和解勧告が行われて和解期日がもたれることが多いが、梅並さんの事件では梅並さんが復職を強く希望し、会社側が強く拒否しているという経緯もあってか、和解勧告もなかった。

「控訴審は、裁判官と接する機会が少ないですけど、判決の行方は読めるんですか」
「1審の流れに加えて、会社側から出た控訴理由書で気になるような具体的な事実の主張もなかったし新たな強力な証拠が出たわけじゃないから、事件の筋としては、勝訴だと思う。しかし、法廷で1度顔を見るだけで、和解期日でのやりとりもなしだと、裁判官がどう考えているのかを読み取る機会がない。東京高裁は労働部もないから裁判官の労働事件の経験もばらつきがあることも考えると、正直、十分な自信は持てないね。それが控訴審の怖いところだ」
「1回結審だから原判決維持ってことじゃないんですか」
「それはそうとも限らない。以前、労働事件じゃなかったが、1審別の弁護士がやって負けて控訴段階から受けた事件でね、控訴理由書でかなり説得力のある主張をしてかなり重要な証拠を出せて、わりと自信を持って第1回口頭弁論期日に臨んだんだが、裁判長はつれない素振りで弁論終結して和解勧告もなかった。あれだけやってもダメなのかと訝しく思っていたんだが、判決を見たらきっちりこちらの主張を採用して逆転勝訴だった。全然サインを見せずに逆転ということもあると実感したよ」

 梅並さんの事件も、1審で勝訴し、2か月後には控訴審の判決が出る。梅並さんの念願の復職までの道程も残すところは少ない。控訴審の判決がどうなるか、勝訴した場合に、会社が判決にどう対応するか、越えるべき山はまだあるのだけど、事件は、裁判は、終了に向けて着実に歩みを進めて行き、いつかは終わる。
 いい結果が出るといいのだけれど。第三者である裁判官が判決をするという裁判制度のしくみ上、最後は、人事を尽くして天命を待つことになる。同時に、そのいい結果を出すことに向けてできる限り工夫して展開をコントロールすることが私たち弁護士の仕事なのだから、その過程で、十分に人事を尽くしたかこそが重要だ。
 そう。願っているだけでは、夢は叶わない。

4.研修会で

「会社から退職を迫られた、こういうことを『退職勧奨』と呼んでいますが、退職勧奨を受けて相談に来た労働者に対して、労働者側の弁護士は、辞めたくないなら絶対に自分から退職届を出すなというアドバイスをして、それで帰しがちです。でもそれだけでは相談者は、安心できません。退職勧奨を拒否したときに会社側が解雇してくるか、解雇された場合にその解雇は有効か無効か、つまり闘えば勝てるのか、さらには、裁判をする場合にかかる時間とコスト、その期間中の生活費をどうするのか、弁護士費用は法テラスでまかなえるのか、そういったことまできちんと答えてあげないと、現実に闘えるという自信というかイメージを持てません」
 私の1期後の司法修習生に対して、玉澤先生が弁護士会が用意した研修プログラムでの労働事件の講義をしている。私は、昨年のこの研修で、玉澤先生の講義を受講して、玉澤先生にハートを射貫かれた。いや、玉澤先生は私を狙って矢を発したわけではないけれど、私の心は、労働者のために真摯に取り組む玉澤先生の姿勢の虜になった。玉澤先生と私が出会って、ちょうど1年が過ぎた。玉澤先生の講義に際して、特別に設けてもらったオブザーバー席で、私は、感慨にふけった。

「みなさんは、整理解雇、会社の業績悪化に伴って事業を縮小し人員削減、近年はリストラということが多いですが、人員削減をする際の解雇について、判例上、整理解雇の4要件とか4要素というのがあると聞いていると思います。それを人員削減の必要性、解雇回避努力を尽くすこと、人選の合理性、手続の妥当性とただ覚えるのではなくて、ここでもその原点に帰って考えてみましょう。ものの本には、整理解雇の4要件のリーディングケースは1979年の東洋酸素事件の東京高裁判決とされていることが多いのですが、この東京高裁判決は4要件というのとちょっとニュアンスが違います。そこは判決文に直接当たってもらうと、いいと思います。整理解雇法理の原点は、私は1975年の大村野上事件の長崎地裁大村支部の判決だと思っています。この判決文を少し紹介します。『余剰人員の整理を目的とするいわゆる整理解雇は、いったん労働者が労働契約によって取得した従業員たる地位を、労働者の責に帰すべからざる理由によって一方的に失わせるものであって、その結果は賃金のみによってその生存を維持している労働者およびその家族の生活を根底から破壊し、しかも不況下であればある程労働者の再就職は困難で、解雇が労働者に及ぼす影響はさらに甚大なものとなるのであるから、使用者が整理解雇をするに当たっては、労働契約の信義則より導かれる一定の制約に服するものと解するのが相当・・・』どうですか。この下り、私は使用者側の弁護士によく噛みしめてもらいたいと思っています。4要件などのテクニカルなことがらの前に、整理解雇とは何なのかをよく考えて欲しい」
 判決の格調高さというよりも、弱者である労働者への目線の暖かさに、読み上げながら目を潤ませる玉澤先生を、私は胸を熱くして見つめる。やっぱり玉澤先生の勤務弁護士になってよかった。そして早く愛弟子に、あるいはそれを超えた存在に、私はなりたい。

エピローグ 法廷にてに続く




 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。

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