第13章 復活の日

1.期日取消

 翌週の火曜日の午後、東京地裁労働部から電話が来た。
 梅野さんの事件は、先週金曜日の人証調べの後、私たちがもう午後5時を過ぎて呼び入れられたとき、亀菱裁判官から、原告勝訴の心証を示して、被告側に復職の方向で和解案を検討するように強く説得した、被告側では次回それを検討して可能であれば復職の和解案、それが無理な場合は精一杯の金銭解決案を持ってくるので、原告側でも双方の場合を検討して欲しいと言われて、次回の和解期日が4月17日午前11時30分と指定されていた。
「私としては、大変残念です」
 玉澤先生が、顔をしかめて言う。
「残念ながら、梅野さんの事件の和解期日が取り消された。『新たな期日は追って指定』だとさ」
 その日、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、東京都に『緊急事態宣言』が出された。それまでの「自粛要請」では裁判所はまったく影響を受けず、裁判期日は淡々と行われていた。しかし、4月7日の「緊急事態宣言」を受け、裁判所は手のひらを返したように、一斉に緊急事態宣言期間中の裁判期日を取り消した。
「期日をどうしましょうか、じゃないんだ。こちらの意見を聞かずに、もう『取り消します』ってとりつく島もなかったよ」
 玉澤先生がぼやいた。
 この日は、この後も、東京地裁の労働部から、一般部から、期日取消の電話が続々とかかってきた。
 自粛だ、3蜜は避けましょうって言ったって、集団感染を先送りするだけで、解除したら感染がまた増えるんだから、いったいいつ終われるのか先が見えないじゃないか。国家機能の重要な部分、法的なインフラだと信じていた裁判システムがあっけなく停止したことに、私たちは、言いようのない不安を感じた。

2.訴外和解

「そうすると、復職和解を受け容れるというわけですね」
 4月9日、橋江先生から、和解の申入れの電話が来た。電話のスピーカーボタンを押して、私も玉澤先生の隣に座り、協議に参加している。


「そうです。解雇を撤回し、バックペイも全額支払う。梅野さんに1日も早く復帰して欲しい」
「どういう風の吹き回しですか」
「玉澤先生に隠し事をしても通じないでしょうから、ざっくばらんに言います。1つには、裁判官の心証開示からして判決を受けても敗訴は必至ですから、負けが決まってるならもう仕方がないということです。それから、2つめに、会社側の担当者が、解雇を進めた郷音総務部長が背任で失脚して、この案件は専務の直属になった。この専務は、梅野さんを買っているみたいです。そして、3つめに、実質は、ここがポイントなんですが、忍瓜商会は今梅野さんの力が欲しい。忍瓜商会は、今、マスクの大量の受注をしています。それでマスクの材料を大量に調達することが至上命題になっているんです。梅野さんがいなくなって業績が落ちてそれまで武納さんが自分の業績にしていたことの大半が梅野さんの働きだとわかりました。その上、今は海外に出張ができない。現地に人を派遣しての買付が今できないんですよ。そうすると、現地に行かなくても現地の業者さんたちと人間関係があるバイヤーがいないと調達ができないんですよ。忍瓜商会で、今、アジアから質のいいマスク材料を調達できる一番の戦力は梅野さんだ、そう考えています」
 玉澤先生と、私は、満面の笑みで見つめ合った。
「そうですか。一応、梅野さんの意向を確認して、ご返事します」
「お待ちしています。とにかく、条件はそちらの完全勝訴の場合と同じ条件を保証する、もちろん配転とかの嫌がらせ人事は一切しない。一日も早く復帰して欲しいというのが、忍瓜商会の意向です」
 電話が切れた後、玉澤先生は私とハイタッチを交わし、私は、それでは許さず、玉澤先生をハグした。そばで聞いていた六条さんも、その後ハグをねだり、私は、もちろん自分が十分に堪能した後でではあるが、寛大に玉澤先生の背中を押した。

「あれだけ人でなし呼ばわりした挙げ句に、今は、一日も早く帰ってこい、ですか。会社って調子がいいもんですね」
 事情を話して、至急来てもらった梅野さんは、ちょっとあきれた顔をした。
「どうします。確かに勝手なもんだが、梅野さんにとっても願ったり叶ったりでしょう」
 玉澤先生は、梅野さんの様子を窺う。
「そうですね・・・復職はウェルカムなんですが・・・1つ条件をつけさせてください」
 少し考え込んでから、梅野さんは言った。
「四葉を解雇しない、刑事告訴もしない。それならすぐにでも復職します。四葉の着服額は、私が負担します。バックペイの解決金からその分をまるまる差し引いていいです」
 玉澤先生は、それを聞いて、考え込んだ。

「橋江先生、梅野さんに確認したら、復職には応じる、復職時期はすぐでいい、ただ1つ条件があるって言うんだ」
 私たちは、梅野さんの意思を繰り返し確認した上で、橋江先生に電話をかけた。
「何です?」
「黄嶺さんを解雇しない、刑事告訴もしない、それが条件です。着服額については会社に返す、梅野さんの解決金からその金額を差し引いていいそうです」
「黄嶺さんの雇用維持ですか・・・そいつはきついな。郷音総務部長は懲戒解雇で手続が進んでるんですよ。それで同罪の黄嶺さんをお咎めなしというわけにはいかないでしょう。会社として示しがつかない」
「橋江先生、そんなことないでしょう。郷音部長と黄嶺さんでは全然事情が違いますよ」
「郷音部長の方が地位が上だから責任が重いとは、一応言えますし、郷音部長の方が着服額が多い。そういう差はありますが、どちらも金銭の着服ですよ。黄嶺さんの方が少ないと言ったって、黄嶺さんの着服額も数百万円レベルなんですよ」
「橋江先生、業者からリベートを取る、キックバックを受ける仕組みを作ったのは郷音部長だ。そこに黄嶺さんは関与していない。黄嶺さんはその仕組みができた後、話がすべてついた後に、業者から郷音部長に渡してくれと言われたお金を一部抜いただけだ。だから、黄嶺さんの行為がなくても、業者が渡すリベート額、忍瓜商会が本来払うべき額に上乗せされた損害の額は変わらないでしょ。その場合はすべてを郷音部長が受け取るわけだ。つまり郷音部長の背任行為は忍瓜商会が被害者の犯罪そのものだ。それに対して黄嶺さんの行為は犯罪だとしてもその被害者は郷音部長だ。忍瓜商会は黄嶺さんの行為によっては被害を受けていないんですよ。郷音部長の被害っていうのは胸を張って主張できるような被害じゃない。そういう意味では黄嶺さんの行為が犯罪だとしても、正しい被害者はいないとも言える。郷音部長の行為と黄嶺さんの行為は全然質が違うから、郷音部長が懲戒解雇で黄嶺さんが解雇でなくても問題なんかない。そもそも会社に被害を与えていない行為で懲戒するのはふさわしくもないんじゃないですか。まったくお咎めなしは厳しいとして、黄嶺さんの自宅待機がもう6か月にもなるじゃないですか。停職にして自宅待機期間をそれに充てたことにすれば十分じゃないですか」
「う~ん。ちょっと、会社を説得してみるけど。どうかなぁ」
 橋江先生は、不安げに電話を切った。
「玉澤先生、私のわがままを聞いてくれてありがとうございます」
 横で聞いていた梅野さんは深々と礼をした。
「いや、黄嶺さんを見捨てないで、そこまで助けようとする梅野さんの姿勢は立派だよ」
(玉澤先生も、もし私が愛人になったら、同じように尽くしてね)
 私が玉澤先生に送った微笑みの先には、反対側から玉澤先生を見つめて微笑む六条さんの姿があった。


 翌日、橋江先生から連絡があり、忍瓜商会はこちらの条件を全部のむという回答だった。玉澤先生はそのとおりの合意書を作成し、梅野さんは直ちに復帰した。

エピローグ 東京砂漠 に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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