第2章 妖しい美魔女

1.月曜の朝のアンニュイ

「おはようございます」
 月曜日の朝10時に事務所に出勤した私は、デスクで原稿を読んでいる事務員の六条路子さんに挨拶する。玉澤達也法律事務所は、玉澤先生と、事務員の六条さんの2人だけでやってきたが、昨年12月に司法修習を終了して弁護士登録した私が勤務弁護士として入り3人構成になった。
 弁護士事務所の朝は遅い。裁判所の期日の朝一番が午前10時で、業界として午前10時スタートが標準という感覚がある。
 玉澤先生は、月曜日は、裁判の期日や来客の予定が入っていない限り、昼過ぎまで来ない。世にサザエさん症候群と呼ばれる、日曜日の夕方のテレビアニメ「サザエさん」が放映される頃、翌月曜日の出勤を思って憂うという事態があるらしいが、私たちには無縁だ。私は、週明けには事務所に来るのが待ち遠しい。玉澤先生は、サザエさんが放映される時間帯は、事務所で、誰にも電話にも邪魔されずにまとまった書類を作成していることが多い。むしろ月曜日とか金曜日に、あぁまた週末休めなかったなぁと嘆く姿を見る。それで月曜日の朝は遅寝したいし、週末の労働の結果が、今六条さんが読んでいる原稿だ。
「玉澤は、外出しておりまして、戻りは午後3時頃の予定です」
 六条さんが、電話を捌いている。土日は事務所に電話をかけても通じない。実際には玉澤先生が事務所にいて1人で書類作成をしていることが多いのだが、電話に出ていたらまとまった仕事ができないので、玉澤先生は電話に出ない。そのため、月曜日は待ちかねた相談者からの電話が多い。現実には玉澤先生は週末も休まずに仕事をして疲れ果てて寝ているのだが、世間では「まだ来ていない」というと怠惰なやつと受け止められるので、六条さんは「外出している」とアナウンスする。玉澤先生は昼過ぎにはやってくる予定だが、六条さんは、玉澤先生が遅れてもいいように遅めの「戻り」時刻を答えている。もっと寝ていていいよと六条さんは気遣っているようだ。
 六条さんって、長年連れ添った妻みたい。2人はどういう関係なんだろう。

 六条さんが読み終えた原稿を私は受け取り、自席に着く。次の金曜日が書面の提出期限となっている事件の準備書面の原稿だ。読んでみると、玉澤先生が作成した準備書面の原稿は、私が記録を読んで考えたのとは、構想から違うし、証拠の使い方が全然違う。この証拠をあの証拠と組み合わせると、そういうことがいえるのか。この道30年あまりのベテラン弁護士となりたての新人では比べものにならないのは当然ではある。しかし、弁護士同士の実力差が明確になる機会はあまりない。事件で相対して負けた場合でさえ、弁護士の実力以外の要素もあるし、またそこに逃げることができる。ところが、同じ事件記録を読んで書面を書き比べると、言い訳の余地なく実力差を突きつけられる。やっぱりすごいなぁと、惚れ直すことで、私は自分のプライドと折り合うことにした。
 原稿には、六条さんが言い回しについて朱入れをしたり、文章がわかりにくいところに付箋でコメントを付けている。六条さんは、青鈍色の上品な付箋を愛用していて、そこに書かれた文字はしなやかで美しい。普通のペンで書いては見えにくい青鈍色の付箋、こんなものどこで売っているのだろうと思うが、それに少しピンクの入った銀ラメのボールペンで書き込むセンスは、私には、ちょっとついていけないものがある。しかし、「てにをは」や読みやすさに関する指摘は的確だし、文字の優美さというか、気品の類いで私は圧倒されてしまい、手も足も出ない。
 本当は、証拠に基づいた事実関係の論証の部分や法律論部分は、六条さんがチェックできないから、私が見るべきなんだろうけど、今の私レベルでは意見の付けようもない。
 つまるところ、玉澤先生と六条さんが連係して作成した書面に、私が割り込む余地はない。頑張って早く使えるようにならなきゃと思いながら、原稿を玉澤先生の机に置いた。

2.怒号の音声ファイル

 私は、気を取り直して、パソコンに挿したヘッドフォンを頭からかぶり耳当てを調整し、USBメモリーに入った音声ファイルを開く。剛田さんの事件で、先日、会社側から提出された証拠だ。最近は、録音が証拠として提出される機会が多くなった。裁判所は、録音自体ではなくそれを書き起こした反訳書を書証として提出させ、相手方が音声ファイルの提出を求めたらそれも提出させるという扱いをしている。反訳書が正確かどうかはわからないので、玉澤先生は、全件音声ファイルの提出を求めている。この音声ファイルを聞いてチェックするのが、今日の私の宿題になっている。
「このやろう!てめえ、このやろう!」
 割れんばかりの大音声で剛田さんが怒鳴っている。私は、慌てて停止ボタンを押した。剛田さんには悪いが、こういうヤクザまがいの怒鳴り声は嫌いだ。私は、跳ね上がった呼吸と心拍数が小康状態となるのを待ち、自分に落ち着けと言い聞かせたあと、再生ソフトのボリュームを下げ、改めて音声を再生した。剛田さんは、社内の会議の過程で口論になり、相手の胸ぐらをつかんで締め上げたという暴力行為を理由に懲戒解雇とされた。
 反訳書は、音声反訳の常として、言い回しの多少の違いはあるし、聞き取れる部分も一部省略されているという箇所はあるものの、大筋では正確だった。この音声ファイル、裁判官が聞いたら、やっぱり心証悪いよね。裁判官は、これ聞くんだろうか。

「反訳に、特に間違いはないようです」
 あくびをしながら出勤してきた玉澤先生に、私は証拠のUSBメモリーを渡した。
「そうか」
 少し残念そうな顔をして、玉澤先生は立ち上がったパソコンにそのUSBメモリーを挿し込む。
 目をつぶって、しばらく聞いたあと、玉澤先生は私を呼んだ。
「う~ん。剛田さんが怒鳴る30秒くらい前の相手の発言ね、営業部は何やってたんだ?っていうの。これ、反訳書ではふつうの言葉に見えるけど、だいぶ大きな声で怒鳴ってるんじゃないか。それからその後の、何言ってんだ、という発言。声の大きさは普通なんだけど、その後に、フンって、鼻で笑ってないか?反訳書では省略されているけど」
「そういうふうに言えば言えないこともないですけど…」
「そうすると、怒鳴り合いを仕掛けたのは相手の方だし、怒鳴り合いだけじゃなくて相手の態度も挑発的だったと言えないか」
 依頼者に有利な材料への玉澤先生の嗅覚は鋭い。
「それからね。胸ぐらをつかんだあとなんだけど、5分くらいたったら、普通に会議やってるし、笑い声さえ上げてるじゃない」
 あっ、暴力行為のあとのことはあまり気にしてなかった。
「すぐにふつうに会議が再開して、笑い声さえ出る様子なんだから、その時点で周囲はあまり深刻なことと受け止めなかったということだよね」
 これだけ印象が悪い音声ファイルから次々とリカバー材料を拾い出す玉澤先生を、天才か詐欺師かと、私は訝った。
「この音声を聞いて、裁判官が剛田さんに悪い印象を持っていると思うから、指摘できることは指摘してそれを拭わないと」
「裁判官、聞いてますかね」
「ふつうに考えると、忙しくて聞いてられないだろう。でも、この事件の担当裁判官は、わりとマメなタイプだから、私の勘では、聞いてるような気がするんだ。聞いてないとしても、剛田さんが大声で怒鳴っていることは会社側の準備書面に書かれている。つかみかかった経緯で相手方にも問題があったことや、それが深刻なものじゃなかったことを指摘する書面は出した方がいい」
「わかりました。聞き直して準備書面を起案します」
「そうか。任せた。勤務弁護士を雇って、仕事を任せられると、楽になるなぁ」
 いや、先生。全部結局先生が一からやり直してるから、全然楽させてないんですけど。早く玉澤先生を楽にできるようにしたいと恥じ入りながら、私はUSBメモリーを手に自席に戻った。
 再びヘッドフォンを付けて怒号と格闘し始めた私の前で、六条さんの机の横に椅子を持ってきて、玉澤先生が六条さんとひそひそと話している。いや、たぶん、声を潜めて話しているんじゃなくて、ふつうに話しているけど剛田さんの怒声のために私に聞こえないだけだと思う。玉澤先生が起案して六条さんが朱入れした原稿を開いて指さしながら話しているのだから、準備書面の表現を打ち合わせているのだと、理性ではわかる。それでも肩を並べてというか、私には「肩を寄せ合って」と見える2人の仲睦まじい様子に、鼻がツンとする。剛田さんに「ばかやろう」と怒鳴られているのが私のような気がしてきた。

3.ポイントは解雇理由説明書

「解雇理由説明書、タイトルは解雇理由証明書でも退職証明書でもいいけど、解雇の理由を書いた紙をもらってますか。解雇通知書に解雇理由も具体的に書いてあるならそれでもいいですけど」
 私が剛田さんの事件の準備書面を書き上げたとき、玉澤先生は、相談者の電話を受けていた。新規の解雇事件らしい。
「解雇理由説明書をもらってないのなら、内容証明郵便か、それが大げさなら電子メールででも、とにかく要求したことが記録に残るやり方で、使用者に要求してください。それで、拒否されるか、しばらく回答がなかったら、労働基準監督署、労基署って略することが多いですけど、その労基署に行って、その内容証明なり電子メールを見せて、解雇理由説明書を要求したけど交付してくれませんと申告してください。そしたら、労基署が電話するか呼出状出して指導してくれますから。会社なんてお上には弱いから慌てて送ってきますよ。解雇理由説明書をもらうか、それでも拒否されたら、もう一度電話してもらって、そこで来てもらう日を決めましょう」
 電話を終えた玉澤先生に、私は起案した準備書面のプリントアウトを見せる。
「これでいいんじゃないか。明日、もう一度見てから剛田さんにメールしよう」
 玉澤先生は、起案した書類はしばらく寝かせる主義だ。これでいいと言った原稿が、私が帰ったあと見直されて、翌朝には原形をとどめていないことも珍しくない。
「先生は、解雇の事件では、労働者に解雇理由説明書は自分で取れって言ってますけど、とりあえず相談に来てもらう方がよくないですか」
「まず、相談の精度の問題がある。解雇事件の見通しは、使用者が主張する解雇理由をどれだけ潰せるかにかかっている。その潰す対象がはっきりしなければ、相談はどうしてもおおざっぱな話に終わり、見通しの精度も悪くなる。交渉や訴訟をするつもりなら、なおさらだ。解雇事件では、たいていの場合、裁判を起こすまでには使用者に解雇理由説明書を出させて、そこに書かれている解雇理由について労働者に確認していくことになる。解雇理由説明書を取る前に相談しても二度手間じゃないか」
「先に相談を受けて解雇理由説明書は弁護士から要求するんじゃダメですか。その方がお客さんを逃がさなくていいと思いますけど」
「弁護士が代理して請求したらまず間違いなく会社側も弁護士に依頼するよ。そうしたら形を整えた、やたらとたくさんの解雇理由を積み上げた回答が来るし、回答もすごく遅くなるのがふつうだ。労基署に指導してもらう方が早い。それに、自分で解雇理由説明書を要求する程度の手間を惜しむような闘う意欲もない労働者の依頼は受けたくないな、私は」
「でも先生、裁判所は、懲戒解雇の場合は理由の後付けに厳しいですけど、懲戒解雇以外の普通解雇の場合は、解雇理由説明書に書いていない理由を後付けしても鷹揚に認めますよね。解雇理由説明書を取ることにそんなにこだわらなくてもいいんじゃないですか」
「そこは悩ましいところでね。裁判所がそういう訴訟進行を許しているから、使用者側の弁護士は、後から後から愚にもつかない解雇理由を追加主張して、引き延ばしをしている。特に負けそうだと察すると、酷いもんだ。東京地裁労働部は、最近ようやく解雇事件の被告に訴状を送る際に同封する事務連絡に、『解雇理由は早期に一括して主張してください。訴訟係属後相当期間経過してから主張が追加されると、訴訟遅延を招くだけではなく、重要な解雇理由となるものか疑義が生じる場合があります。』と、書くようになったけどね。使用者側がどれだけ意識してるか…それでも、解雇理由説明書に書いていないことは、解雇の際には重視してなかったという主張の材料になるし、後々の解雇理由主張を限定できないとしても、まずは訴状を書く段階で解雇理由説明書は重要だと思うよ」
「訴状を書くために、ですか」
「狩野さん、訴状作成の際の目標は何だと思う」
「請求とその根拠を示して裁判の対象を明確にすること、ではないですか」
「学問的な説明ならそういうことかも知れないが、裁判に勝つことを目的にする限り、私はそういうことじゃないと思う。訴状を読んだ裁判官に、原告の主張は正しい、解雇事件ならこの解雇が不当解雇だ、解雇権の濫用で無効だと思わせる、感じさせることが訴状作成の目標だ」
「それと解雇理由説明書がどう関係するんですか」
「東京地裁労働部が書いた本で、解雇権濫用の主張として労働者側がまず主張すべき事実としては、労働者が何ら落ち度なく勤務していた等の概括的主張で足りるなんて書かれているけど、解雇事件の訴状で、その程度の主張しかしなかったら、それを読んだ裁判官がこの解雇が不当解雇だと実感できるかい?」
「無理でしょうね」
「裁判官が理論的にというか義務として原告に求めるのがその程度というのはいいけど、勝ちたければ、現実には使用者側の主張する解雇理由に具体的に反論してこの解雇がいかにでたらめか論じないと説得力がない。解雇理由説明書を裁判前に入手して初めて、説得力がある訴状が書けるんだ」

4.ごちゃごちゃの解雇理由

ピンポ~ン♪
「3時に予約している生木です」
 先日、勤務態度不良等で解雇予告されたという相談者がやってきた。労働基準法では、解雇は原則として30日前に予告しなければならないとされている。通告と同時に解雇する場合は、30日分の平均賃金に当たる額を解雇予告手当として労働者に払わなければならない。解雇予告手当を払っても即日の解雇にこだわる会社もわりとあるが、30日前に予告する会社も多い。解雇理由説明書は、解雇予告があれば、解雇の効力発生日前でも、請求できるし、使用者はそれに応じなければならない。
「は~い。こちらの相談室へどうぞ。あっ奥の椅子にお掛けください。玉澤先生、生木さんがいらっしゃいました」
 パーテーションで一応区切られた相談室から出て来た六条さんと入れ替わりに、私たちは相談室に入る。

 生木さんが持ってきた解雇理由説明書には、上司の業務上の指示に従わないとか、反抗的な態度を示しているとか、協調性がなく同僚とのチームプレイができず業務上の支障を来しているというようなことが多数記載されていた。玉澤先生は、一つ一つのことがらについて、具体的なエピソードが書かれているものはそのできごとについて聞き、度々あったなどと概括的に書かれているときは思い当たることがあるかを聞き、生木さんの言い分と、それに関して何か記録されたものがないかを確認していった。
 玉澤先生は、事実関係を把握したあと、生木さんにどういう解決を望むか、復職をしたいのか、金銭解決を希望するか、の意向を聞き、今日の話を前提とした見通しを説明し、あり得る選択肢と依頼を受けた場合の弁護士費用を説明した。そして、今日の話で、今日は持ってきていないが生木さんの手元にある会社の資料や電子メール、一部あるという録音についてはそれを書き起こしたものを持って、再度相談に来るように言った。次回の相談を予約して、生木さんは晴れやかな顔をして帰って行った。
 かなりごちゃごちゃした解雇理由説明書の記載を整理する作業で、私の頭は、かなり疲弊した。生木さんがスッキリした分、私の頭はどんよりしている。玉澤先生がいつも文句を言うように、たくさんの雑多な解雇理由を書き並べた解雇理由説明書は、実にうっとうしい。たくさん並べた解雇理由は、多くの場合、解雇することにしてから考えたものだろう。しっかりした解雇理由があるならそれ1本で勝負してみろ、と言いたい。私も、だいぶ玉澤先生に染まってきただろうか。

5.危険な関係?

 相談を終えて自席に戻るとき、六条さんの横を通る。
 六条さんは、美魔女ふうで見た目では年齢はわからない。玉澤先生とはいつも仲良くじゃれあっている。
「六条さんと玉澤先生は、どういうご関係なんですか」
 玉澤先生が事務所の奥のローパーテーションの陰の自席に座ったのを確認して、私は声を潜めて尋ねた。
 六条さんは小首をかしげてにっこりとし、私の耳元に唇を寄せて「気になる?」と囁いた。
「えっ、いや、そんな・・・」
 予想以上の厳しいリターンを食らってうろたえた私を置き去りにして、六条さんは「お茶の時間だわね」と流し台へと向かった。
(不覚だった)
 私の心の声に合わせるようにフフンと鼻歌を歌う六条さんに、背中に耳がついてるのか、声に出してないんだから第六感があるのかと訝しく思う。それ、私が女子力なさ過ぎってことかもしれないけど。

 六条さんが淹れる紅茶はおいしい。午後に3人がそろう時間に、ティータイムが設けられる。お客さんが持ってきたお菓子があれば、それをいただく。玉澤先生は、数年前にお酒を卒業すると宣言し、依頼者に知れ渡っているので、相談の際においしいお菓子を持ってきてくれるお客さんが多い。それがないときは、六条さんが近所のお店で買ってくる。
「たまピ~は、このキウィののった生クリームのやつがいいでしょ?」
「おっ、サンキュー」
 六条さんのチョイスは正しく、私の好みもちゃんと踏まえて、今日もおいしいブルーベリータルトを買ってきてくれている。しかし、この新婚さんみたいな会話は何だろう。放っておいたら「あぁんして」とか言ってスプーンですくってケーキを食べさせかねない。
 いじけた思いをポーカーフェイスを装って隠しつつタルトをつついていたら、六条さんが玉澤先生に声をかけた。
「狩野さんが、玉澤くんと私はどういう関係かって聞くんだけど、話していい?」
「あぁ、いいよ。隠すこともないでしょ」
「そう。じゃぁ、言っちゃお♪」
(何だ?その「♪」は・・・)
 不穏な気配に身構える私に、六条さんは軽く握った手を頬に当てて話し出した。
「私も玉澤くんも今は既婚者だから、家庭を壊すようなことをするつもりはないけど、2人が独身だった頃は、玉澤くんが私のうちに通って毎日のようにベッドをともにしていた時期があったわ」
 ゴホッ、ゲホッ。私と玉澤先生が、同時にむせた。
「毎日のようにベッドをともにしていたって・・・」
 私は鼻の穴からこぼれた紅茶をティッシュで拭きながらうめいた。
「2人が独身だった頃はって」
(えっ、玉澤先生、そっち?ベッドをともにしていたのは認めるけど、独身時代だけじゃないっていうの?)
 私の心は千々に乱れた。
 玉澤先生がさらに何か言おうとしたとき、プルルルル・・・と電話が鳴った。
「はい。玉澤達也法律事務所です」
 六条さんは一瞬で営業ボイスに切り替えて電話を受けた。しばらく話を聞いて、「わかりました。今、弁護士に替わります」と言った六条さんは、保留ボタンを押した。
「たまピ~、布林さんとおっしゃる初めての方からW不倫の相談」
「はい。お電話替わりました。玉澤です」
 玉澤先生は、素早く自席に戻り、そこで電話を受けた。
 六条さんと2人残された私は、続きが聞きたいような聞きたくないような思いで黙っていた。それに、このタイミングでW不倫の相談って・・・
「狩野さんって、思いが全部顔に出ちゃうのね」
(えっ、そんな、それ、困る)
「でも、玉澤くんは仕事以外では、特に男女の機微とか、すごく鈍感だから大丈夫だよ」
 六条さんが予定表に使っている控えの手帳を手に取り、事務所の奥を見る。
「来週の火曜日の午後2時に布林さん相談・・・と」六条さんは手帳に書き込む。
 言われて私も耳を澄ますと、玉澤先生が、電話でアポを入れているのが聞こえてきた。
 私をからかいながら、ちゃんと冷静に仕事してる。私、この事務員さんにまったく歯が立たない。

第3章 眠れない夜に続く



 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。

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