第6章 神無月に囲まれて

1.第3回期日

 葭子さんに対するストーカー行為に関しては、梅野さんからそれ以上の説明がなされず、面談での打ち合わせもできないまま、私たちは会社主張の解雇理由に対する反論の準備書面を提出した。もちろん、梅野さんに原稿は送り、確認を得たが、事実関係についての情報は追加されなかった。
 葭子さんに対するストーカー行為については、待ち伏せはしていない、他の用事で蒲田を訪れていたところたまたま見かけたので声をかけただけだ、食事に誘ったのは夕食の時間帯に部下に出会った上司としてごくふつうの社交辞令で下心などまったくないことを主張し、それぞれのシチュエーションを動画に沿って具体的に主張した。しかし、なぜ何の用事で蒲田にいたのかについては触れず、タピオカミルクティの件は主張せず、動画も提出しないことはもちろん、その存在にも触れなかった。

「では、本日の弁論準備手続を始めます。最初に期日間の提出物の確認ですが、原告から10月7日付で準備書面(1)が提出されています。この通り陳述されますね」
「はい」
 亀菱裁判官の確認に、玉澤先生が答える。
「甲第5号証から9号証までで、原本があるのは甲第8号証だけであとは写しですね」
「はい、これが甲第8号証の原本です」
 私がクリアファイルからJR東日本から取り寄せたSuica利用履歴を取りだして裁判官に手渡した。
「では甲第5号証から9号証まで、本日提出」
 亀菱裁判官は甲第8号証を確認し、橋江先生に渡し、橋江先生が私に戻すのを待って、手続部分を終えた。
「今回の書面では、原告から葭子さんとのやりとりについてはかなり具体的な事実のご主張がありましたが、どうして原告がそこにいたかについてはご主張がなく、待ち伏せはしていない、ストーカー行為ではない、いずれにしても解雇に値する行為ではないとされています。評価部分はそのようなご主張もあるかと思いますしそこは裁判所として判断すればいいことではありますが、事実部分としてはこれ以上はご主張されないということでしょうか」
「現時点で主張できることは、主張いたしました」
 玉澤先生にしては、歯切れの悪い応答だが、現状ではいかんともしがたい。
「わかりました。経費の水増し請求の点については、過少申告が3箇所あるので、全体について意図的な水増し請求はない、後からまとめて請求するので請求時に具体的な経路を記憶していないものを路線検索で出たとおりに書いたために不正確になっただけだというご主張ですが、偶然にしては過大請求の方に偏っているようにも思えますね。そのあたりはどういうお考えでしょうか」
「少なくとも、経費を水増しして利益を上げる意図を持っていたら、過少申告をすることはあり得ないと思います。結果として利益になったかが問題なのではなくて、水増しの意図があったかどうかが問題なのですから、過大申告と過少申告のどちらが多いかということは問題にならないと考えています」
「水増しが発覚したときに言い訳できるように、ごくわずかに過少申告を紛れ込ませたという疑いがあります」
 橋江先生が割り込んだ。
「水増し請求っていうのは、もともと多少の水増しはいいんだ、慣行として認められると思っているか、そうでなければバレないと思ってやるものじゃないですか。バレたら問題になると考えて、しかもバレると想定してやる人はいないと思いますよ」
 裁判官は、眉間に少ししわを寄せて考えてから、次に進んだ。
「では、原告側でさらに詳しくご主張いただくということでもないですから、この段階で被告にご反論いただきましょう。それでよろしいですか」
 橋江先生も玉澤先生も頷いた。

2.They get her

「1点だけ、お話ししておきたいことがありまして」
 橋江先生が、クリアファイルから1枚紙を取り出し、裁判官と玉澤先生に渡した。
「昨日のことなんですが、それで今回証拠提出までは致しませんけれども、総務部の女性社員が、原告に対して社内の機密資料を持ち出して渡していたことが発覚しまして」
 渡された紙はSMSのやりとりのスマホ画面の写真で、「郷音部長と橋江弁護士のメール入手したよ。今度渡す❤」「やったね。期待して待ってる」というやりとりが写っている。
「総務部長と私の間のメールのやりとりが盗み見されるというのはゆゆしき自体ですが、原告代理人がまさか関与はされていませんよね」
「そのことは、梅野さんから聞いたことがあります。私はその場で、違法なことはやめておけと伝えました。内容はまったく聞いておりません。梅野さんがそういうことに関与しているのならば、よろしくないことではありますが、解雇後に行ったことが解雇理由になることはあり得ませんので、本訴には特段の影響はないと考えています」
 玉澤先生は涼しげに答えた。
「代理人が見ておられない、違法行為はやめるよう指導したということでしたら、それはけっこうですが、現在、その女性についてはこちらで事情聴取しており、原告の違法行為がさらに明らかになることも考えられますので、内容によっては、解雇理由がさらに増えるかも知れません」
 橋江先生は、玉澤先生の答を聞いて、しかたないと手渡した紙を回収しつつ、捨て台詞を吐いた。
「原告代理人が言われたように、解雇後の行為は解雇理由にはなりませんので、それを踏まえて、適宜ご対応ください」
 裁判官は話を収めに入った。
「被告側では準備にどの程度必要ですか」
「提出までに1か月いただけば」
「では提出期限は11月15日でいいですか」
「はい」
「期日ですが、11月20日の午前11時30分はいかがですか」
 橋江先生も、玉澤先生も、私も、けっこうですと答え、次回期日が指定された。


「梅野さんのディープスロートですか。本当に昨日発覚したんですかね」
「さあ、そうかも知れないし、今日いきなりぶつけるための方便かも知れない」
「橋江先生は玉澤先生が糸を引いてるとか、そうでなくとも総務部長と橋江先生のメールを盗み見ていると思ったんでしょうか」
「そう思ったのかも知れないし、事実がどうであれ裁判官の前で私がまずいという表情の一つでもすれば裁判官に悪印象を与えられると考えたのかも知れない」
「なるほど。で、玉澤先生がまったく慌てないで聞いたけどそんなものはいらない、違法な行為はするなと指示しましたと答えて、やましいところが感じられないので、矛を収めたということですか」
「まぁそんなところだろう。裁判中に原告と現役の従業員が通じてスパイ行為をしていると知ったら、そうしたくなるというのはわかるよ」
 実際に梅野さんに違法なことはするなと諭し、総務部長と橋江先生の間のメールに関心も示さなかった玉澤先生は、平気な顔で応答できたが、メールの内容を一部聞いてしまい、もっと見たいという誘惑に駆られた私は、まずいという顔をしていなかったろうか。さっき自分がドキリとしたことを思い出し、私は不安になった。

3.列についてゆけない者に

「狩野さん、ちょっと話があるんだ」
 私は、玉澤先生に話しかけられて甘い期待をしかけたが、玉澤先生の表情の硬さにたじろいだ。
「狩野さんが頑張っていることはわかるんだが、もうすぐ弁護士2年になることだし、もう少ししっかりしてくれないと困るな」
「あ、すみません。努力してるんですが、私、この間もおっちょこちょいで・・・」
 うつむいて言い訳をする私に背を向けて、玉澤先生は歩き去った。
 ふと見ると、六条さんが大きな裁ちばさみを持って近づいてきた。
「クビよ、クビ。ヒヒヒヒヒ・・・」
 六条さんは裁ちばさみを両手で大きく開き、私の首に・・・


「ぶぎゃあ゛~~~~っ」
 まだ暗い部屋で、私は絶叫して起き上がった。
「はあ、はあ、はあ…」
 心臓が肋骨狭しと暴れている。ぐっしょり寝汗もかいていた。
「ちょっと、静かにしてよ」
 隣の部屋の住人が、ドアを叩いて文句を言った。
 私は、慌ててドアを少し開けた。
「これまで『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスに襲われた、魔女に襲われたって、言ったわよね。今度はどんな・・・」
 隣人はドアが開くなり、私がこれまでに夜中に絶叫して迷惑をかけた過去を数え上げたが、私が声も出せずに立ち尽くしているのを見て、言葉を停めた。
「あんた、大丈夫かい。真っ青な顔して」
「だ、大丈夫です。たぶん・・・すみません・・・」
 なんとか声を絞り出した私に、隣人は、勢いをそがれた。
「そう、お大事にね」
 隣人は怒りを鎮め、部屋に戻った。
「ふう」
 私はドアを閉めて、ドアにもたれかかり、ため息をついてドアの鍵をかけた。
 これまでに、私は、六条さんと玉澤先生の仲を邪推した悪夢、六条さんが玉澤先生を襲撃したと疑った悪夢にうなされたが、今回の悪夢はそれと違う種類のダメージを私の心に残した。
 玉澤先生は、私にそんなことは決して言わない。優しくおおらかに指導してくれているし、むしろお褒めの言葉をいただいている。しかし、口に出さないだけで、心の中ではそう思っているのではないか。
 私自身、自分の力不足を歯がゆく感じている。焦っている。
 涙があとからあとからこぼれ落ち、私はその場にうずくまった。

第7章 真相 に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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