「本社の総務部配属の亀山さんに、店舗の現場に行ってもらうと言ったのは、あなたが亀山さんに退職を促して断られた後でしたね」
「そうです」
証言台で人事部長は汗をかいていた。
「行き先の店舗がどこかは示したのですか」
「いえ。その前に断られましたから」
「あなたとしてはどこに行かせるか決めていたのですか」
「候補は頭の中にいくつかありましたが、亀山君の承諾を得た後で決めようと思っていました」
「あなたが候補としていたそのいくつかの店舗では亀山さんが必要だったのですか」
「いや、そういうことはありませんでした」
(よし、あと少しだ)
亀山さんは、東証1部上場の大規模小売業の会社の本社総務部に配属されていたが、退職勧奨を受け、断った。すると自分から辞めないのなら僻地の店舗現場に飛ばしてやると言われ、それを断ったところ、配置転換命令拒否を理由に解雇された。裁判所は、解雇についてはそう簡単には有効と認めず、使用者には高いハードルを課している一方で、配置転換などの人事に関しては使用者に幅広い裁量を認めている。つまり配置転換命令が無効だという労働者側の主張は滅多に通らない。有効な配置転換命令に対する拒否は、解雇理由となり、その場合に解雇無効の判決を取ることは難しい。その結果、解雇したい労働者に対して労働者が飲みにくいような配置転換を命じて、断ったらそれを理由に解雇するという手口が横行している。
配置転換命令の有効性については、最高裁が、業務上の必要性がない場合、不当な動機目的による場合、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合は無効となるという判断基準を示している。亀山さんの解雇事件で、会社側は、当然のこととして、退職に追い込む不当な動機目的による配置転換命令ではなかったと主張している。また、僻地の店舗に飛ばすとは言っていないと主張している。店舗側で亀山さんを必要としていなかったという証言は、業務上の必要性がなかったという方向に働く要素だ。
今日の人事部長の尋問にあたり、私は、玉澤先生に思い切ってお願いした。
「亀山さんの事件の人事部長の反対尋問、私に先にやらせてください」
「いいよ。やってごらん」
「それで、私の尋問が合格点なら、玉澤先生が追加して聞きたいことが残らなかったら、私にご褒美をください」
「何だい」
「そのときに私が求めることに、それが何であれ、応じてください」
玉澤先生の左の眉が上がった。
「言っておくけど、私にはさしたる資産はないから、白紙委任状にサインさせても、白地の小切手にサインさせても、たいして得られるものはないぞ」
「はいはい。時間があいたときはじっと手を見ててください。私がそういうものをほしがると思いますか?」
「財産がターゲットでないとすると・・・『何であれ』って言われるとなぁ・・・ポーシャの抗弁は?」
「何ですか、ポーシャの抗弁って」
「シャイロックよ。望み通り、アントニオの胸の肉1ポンドを切り取ってよいぞ。しかし、血は1滴たりとも流してはならぬ・・・」
「却下。玉澤先生にそんな理屈を言わせたら、どんな願いも叶わないわ」
「抗弁なしか」
「そう。無条件で」
「わかった」
「やったー」
私は、思い出し笑いをかみ殺しながら、尋問を続けた。
「そういうことだと、あなたは、あなたの頭の中で候補としていた店舗、つまり配転での亀山さんの受け入れ先と、協議もしていなかったんじゃないですか」
「していませんでした」
「亀山さんに配転を言う前に、本社内では誰かと協議しましたか」
「していません」
「亀山さんに配置転換の辞令は出していませんね」
「出していません」
「その前に断られたから、ですか」
「そうです」
「亀山さんが断ってから解雇に至るまでにも、さらに言えば、現在に至るまで、一度も配転の辞令を出していませんね」
「そうです」
(追い込んだぞ。ここだ)
「ところで、御社では、これまでに辞令を出すことなく配置転換を命じた例はありますか」
人事部長はうつむいてもごもごと口を動かした。
「聞こえません。大きな声で答えてください」
「ありません」
「行き先の店舗では増員の必要もない。店舗とも本社とも協議もしていない。亀山さんに行き先も伝えず、ただ店舗に行け。辞令さえ出さない。これで配置転換を命じたといえるんですか」
私は、ここぞとばかりに声を張り上げ、対して人事部長は、小声で言った。
「私としては、そのつもりでした」
「私からの尋問は以上です」
私は、そう言って、今日は私の右側に座っている玉澤先生を見た。
「反対尋問、終わります」
玉澤先生は涼しげな顔で言った。
「100点満点とは言えない。最後の締めはもう少し工夫の余地がある。しかし、私が追加して聞く必要があることはなかった。もちろん、聞こうと思えば聞けることはいくらもある。だけど聞いた方が裁判官の心証にもっとプラスになると思えるようなことは残っていなかった。合格だよ」
裁判長が閉廷を宣言した後、事件記録をそろえて立ち上がりながら、玉澤先生が言った。
100点満点でないことは確かだ。最後の締めは裁判官に聞かせる整理というか演説で、質問じゃない。人事部長が小声でしか言えなかったこと自体が成果ではあるが、それは直接聞いた裁判官の脳裏に残るだけで証言調書には残らない。相手をハンマーで叩き壊すような尋問だった。日本刀ですっぱり一刀両断する方が美しい。あるいはより丁寧に締め上げていって小刀で鮮やかな細工を残すやり方もあっただろう。しかし、玉澤先生が追加して聞くべきことがなかったというのも本当だろう。ハンマーで叩き壊したあとにその破片をいじり回しても裁判官の関心を惹くことは難しい。事件の当事者の利害がかかっているから、玉澤先生がやれば有効な尋問を私に遠慮して手控えることは考え難いし、玉澤先生のサバサバとした表情を見ても、含むところはなく言葉どおりに解していいだろう。点数が何点であれ、合格は合格だ。そもそも玉澤先生は、どこまでいっても向上を追求していく人だから、自分自身がやった尋問にも100点はつけない。玉澤先生から100点をもらえる日を待っていたら、私はすぐ老婆になる。
美咲に計画を打ち明けた日から、私は、尋問技術を磨くため、ありとあらゆる尋問技術の本を読みあさった。しかし、外国の本は日本での証人尋問とは前提が違い、今ひとつしっくりこない。学者が書いた本はもちろん、弁護士が書いた本も具体的なケースは一部抜き出しているだけで、尋問の流れを習得するには不向きだ。悩み抜いて私は、私が学ぶべき最適のテキストが自分の事務所にあるという、チルチルとミチルのような発見をした。正面から玉澤先生にお願いすればすんなり許してくれることはわかっていたが、玉澤先生に知られたくなくて、私は土曜の深夜に事務所に忍び込み、玉澤先生が過去にやった証人尋問の調書をむさぼり読んだ。具体的な事件での尋問の流れ、どうやって相手を追い詰めるか、どこに布石を打ちどこで仕留めるか、尋問を組み立てる私の能力は、格段に上がったと思う。
私は、玉澤先生の右手を握り、法廷を出て廊下を駆け出した。エレベーターを待つのももどかしく、私たちは非常階段室に入り込む。私に引っ張られて、並んで非常階段を駆け降りる玉澤先生の横顔を見て、私は笑い出した。玉澤先生も、つられて笑っている。1階に降り、裁判所北側の弁護士控え室に走り込んで、奥の相談室の1つに玉澤先生の手を引いて引っ張り込み、そこに他の人がいないことを確認すると、私はドアを閉めて、内側からドアにもたれかかり、ドアの鍵をかけた。
息が切れる。心臓が大きく脈打っている。私たちを邪魔だてする人も、追ってくる人もいないのだが、駆け抜けてきた爽快感と映画の主人公になりきったような高揚感から、笑いがこみ上げてきた。
「先生、約束ですからね。覚悟して」
私は、とっておきの満面の笑みを浮かべ、玉澤先生を見つめた。獲物に狙いを定め、食らいつこうとする私の表情に、玉澤先生も萌えてくれるといいのだけど。
私の表情も性格も、六条さんに似てきたかもしれない。尋問を成し遂げた達成感に加えて、これから玉澤先生に何でも求められるという昂揚感。玉澤先生の私への信頼の証と評価できる何をするかを言わずに勝ち取れた承諾を思う愉悦。あぁ、この興奮、歓喜、恍惚。確かに、これからすることよりも、今このときの気持ちこそ至福のものと言えるように思える。
でも、私は、扉を開けて、新たなステージに踏み出していく。
ここから先は、2人だけの秘密。
「さあ先生、観念して、目を閉じて」
(完)
この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。
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