1.音信不通
11月16日に郵送されてきた被告の第2準備書面は、驚くべき内容であった。前回の橋江先生の言葉からすれば、予測すべきことだったかも知れないが。
被告の主張によれば、総務部員の黄嶺(きみね)四葉(よつは)は長年にわたり調達先の業者からリベートを受け取り着服を続け、その総額は数百万円に及んでいるところ、黄嶺は原告と愛人関係にあり、着服した金銭の相当部分を原告との遊興に使用していた。原告は、解雇前の就業期間中、長らく黄嶺の着服を知りまたは予想しつつ遊興費の提供を受けていたものであり、黄嶺の犯罪行為に加担しまたは関与していたものであるから、原告もまた被告に対する業務上の犯罪ないし不正行為あるいは信頼関係を決定的に害する行為を行ったものとして解雇理由があるという。なお、解雇後においても、原告は黄嶺に被告の機密資料を持ち出させており、これは解雇後の行為であるから解雇理由とはならないものの原告が解雇理由となる一連の行状を反省していないことを示す事情及び被告として復職を認めがたい事情であるから、その旨を指摘しておくとされている。
「先生、梅野さん、携帯の電源切ってます。どうしますかね」
私が前回の弁論準備期日の報告を電子メールで行い、その中で被告が総務部員による電子メールの漏洩を掴んでいることを知らせたあと、梅野さんからは、1度、「気持ちの整理をするのに時間をください。すみません。きちんとお話しできる決心ができたら、必ず自分から連絡します」という電話があったきり、連絡が取れないでいる。もちろん、被告から出された準備書面と書証は直ちに郵送し、電子メールでも連絡をし、連絡を求めているのだが、連絡がない。そして、電話には、「お客様のおかけになった番号は電波の届かないところにいらっしゃるか電源が入っていない為かかりません」というアナウンスが続いている。
「連絡が取れないっていうのはいちばん困るよなぁ。この準備書面に反論できなかったらもうどうしようもないから、そのときは辞任するしかないかな。とりあえず次の期日報告をして、返事待ちするしかない」
悩ましさと諦めの混じった玉澤先生の表情を見て、私もまた無力感を持たざるを得なかった。
2.第4回期日
11月20日午前11時30分、私たちは労働部書記官室脇の小部屋で亀菱裁判官が来るのを待っていた。橋江先生は得意満面の様子で鼻息も荒く、対する玉澤先生は憮然として口を開かず、私はその横で考え込むふりをして下を向いていた。
「それでは本日の弁論準備手続を始めます。期日間に被告から令和元年11月20日付の第2準備書面が提出されていますので、これを陳述されますね」
部屋に入ってきた亀菱裁判官は、直ちに手続を進め、橋江先生が頷くのを見て、続ける。
「乙第9号証から22号証まで、いずれも写しで提出ということですね」
「はい」
「ちょっとよろしいでしょうか」
押し黙っていた玉澤先生が口を挟む。
「はい、原告代理人、どうぞ」
「今回追加された解雇理由ですが、総務部員の黄嶺さんの着服行為に関しては主張として犯罪行為であることも明確ですし、まだこちらで検討はできていませんがそれに関する書証がたくさん出されていることもわかりますが、解雇理由としてはどういうご主張なんでしょう。原告が黄嶺さんと共謀していたとか教唆したとかそういうご主張なんでしょうか、また原告は黄嶺さんの着服行為を知っていたと主張されているのか、知っていたならいつから知っていたと主張されているのか、加担または関与したというのは原告はいったい何をしたと主張されているのか、主張を明らかにしていただきたい」
「あぁ、それは裁判所としても聞こうかと思っていたところです。解雇理由についてどのような立場を取るにしても、解雇理由となる具体的な事実の特定は最低限被告の方でしていただかないといけません。この点については、今原告代理人が聞かれた点についてお答えいただきたい」
「わかりました。解雇理由となる事実なり法律構成という重要な事項についての求釈明ですので、釈明事項も文書化していただき、こちらも書面で回答したいと思います」
「そうですね。そうしてください。原告代理人、求釈明の文書化はすぐにできますね」
「はい。今日の午後にでも」
「まぁ、そこまでは求めませんので、今週中にお願いします」
「はい、わかりました」
「被告は今の求釈明への回答はどれくらいでできますか。すでに主張している解雇理由を明確化しろというだけですから、2週間あればいいですよね」
「はい、けっこうです」
「では、原告代理人の求釈明は11月25日まで、被告の回答は12月9日までに提出してください」
「はい」
裁判官の提出期限の指定に、橋江先生と玉澤先生は声をそろえた。
「さて、その上で原告側では今回の被告の主張にご反論いただきます。確かに原告代理人のおっしゃるように今回被告が追加した黄嶺の着服関係は解雇理由として明確性を欠いてはいますが、それは被告側で明確にしていただくとして、原告が関与しているとすれば、やはり重大なことであることも否定できないわけで、すべてが被告側の立証責任だとして放置されることは適切ではないように思えます。そういう考慮もされて、求釈明への回答前からご準備は始められるということも考えて、どれくらい期間をおけばよろしいでしょうか」
「年内、というところでいかがでしょうか」
「まぁ、いいところでしょう。ただ文字通りで大晦日に提出されても検討できませんので12月27日でいいですか」
「はい、けっこうです」
「次回弁論準備期日ですが、年明け早めですが1月8日の午後はいかがでしょうか」
「裁判所がよろしいのでしたら、私はけっこうです。この日はまだ何も入っていません」
「私も」
私たちが早々にOKすると、橋江先生も新年早々早すぎるとは言えず、「けっこうです」と応じた。
「それでは、午後2時にしましょう。次回弁論準備期日は令和2年1月8日午後2時と指定します。それでは、今回は宿題が多いですが、双方よろしくお願いします」
3.告白
「黄嶺さんとはどういう関係だったんですか」
第4回期日のあと、期日報告の電子メールを送り、さらに玉澤先生からの電子メールでの説得を経て、ようやく事務所に来た梅野さんに、玉澤先生は、黄嶺さんとの関係から聞き始めた。
「四葉とは、同期入社で、最初の頃から馬が合うところはあって、時々飲みに行って上司の愚痴を言い合ってたんです。その頃はただの飲み友達だったんですが、8年前に女房が妊娠して里帰り出産すると言って何か月も独りになって、悪いなとは思ったんですけど、関係ができちゃったんです」
ガタンと音がして六条さんが流しに向かった。お茶の時間ではないが、たぶん六条さんが聞き耳を立てていて、妻の妊娠中に不倫を始めたという梅野さんの話にカチンときたのだろう。私も、顔がこわばっているのかも知れない。玉澤先生が私をチラッと見て首を軽く横に振った。
「その後、女房が里帰りしている間は、べったり入り浸っていましたし、女房が戻ってからは、私が海外出張するときに有休を取ってこっそり付いてきたりしていました。私が海外に行かない時期は、四葉は定時で帰れる日が多いので、私が早く帰れる日は夕方からデートしていたんです」
「黄嶺さんがリベートを受け取って着服していたと被告は主張していますが、そこはどうですか」
「全然知りませんでしたよ。先生方から電子メールでの報告や会社の提出物を受け取って、驚いて四葉を問い詰めました。四葉はそのとおりだと、認めています。業者の担当者から郷音部長に渡してくれと言われた手土産を調べてみたら茶封筒が入っていて中にお金が入っていた。悪いことだとは思ったが、そこからお金から少し抜いてしまい、バレないんで味を占めてずるずると続け、そのうちだんだんと大胆になって、業者に払わせる金を増やさせたりして自分が受け取る分も増やしたそうです」
「梅野さんは黄嶺さんから貢いでもらったりしていないのですか」
「お金をもらったり高額の物をもらったりしたことはありません。贅沢品をもらったら女房にバレますしね。ただ私の給料は女房が把握してますから、四葉が私の海外出張に付いてきたり、私とデートするときの費用は大部分四葉持ちでした。でも、それは四葉の給料でふつうに出せる程度の金額だったので、私は、四葉がお金に困ってるなんて、全然思ってなかったんです。それで、今回、どうしてこういうことになったのかと聞くと、四葉は実家に仕送りをしていたんだそうです。そんなこと、これまで全然教えてくれなかった。そんなことで困ってるなんて、言ってくれれば…いや、私が四葉のことをよく見ていなかったために四葉をこんな目に遭わせてしまって…」
梅野さんは言葉に詰まり、ぽろぽろ涙をこぼし始めた。
(意外に、いい人なんじゃない?)
「黄嶺さんは今どうしてるんです。ここに来ていただくことはできますか」
「四葉は、さすがに監禁はされていませんが、郷音部長から、私や玉澤先生に協力したら刑事告訴すると脅されているそうです。だから表だった協力は無理というか、私がそうさせたくありません」
「なるほど。でも黄嶺さんの気持ちはまだ離れていないようですね。忍瓜商会から、黄嶺さんの陳述書が出てこないのはもちろん、求釈明に対する回答でも、梅野さんとの共謀も教唆もはっきり主張されず、梅野さんが黄嶺さんの着服を知っていたという主張も着服金が梅野さんに渡されたという主張もはっきりとはされず、すべて『との疑いがある』にとどまっているし、最終的には『着服について何らかの関与をしていると思われる』としか主張されていません。黄嶺さんは、圧力をかけられても、梅野さんの指示とか梅野さんが知っていたとかいうことはないと頑として言っているのでしょうね」
玉澤先生の言葉に、梅野さんは泣き崩れた。
4.かくれんぼ
「黄嶺さんのご自宅は、蒲田ですか」
「そうです」
「蒲田通いは、タピオカドリンクが目的ではなくて、黄嶺さんに会いに行っていたのですね」
「そうです。ただ私も四葉もタピオカドリンクは好きですよ」
「梅野さんが葭子さんに声をかけている動画は、黄嶺さんが撮影したものですね」
「そうです」
私の背筋に電流が走った。動画の中でこちらを、というより撮影者をチラチラ見る梅野さん、美咲とともに蒲田に行った日に通りがかった梅野さんと親しげに歩いていた女性、そうか、そういうことだったのか。
「つまり、梅野さんが葭子さんに声をかけた3回とも、梅野さんは黄嶺さんと一緒だった、言い換えればデートの最中だったのですね」
「そのとおりです」
「なぜ、葭子さんに声をかけ、食事に誘ったりしたんですか」
「葭子は、悪気はないんですが、すごくおしゃべりなんです。四葉との関係は、特に男と女の関係になってからは、まわりに秘密にして、デートしてることがバレないようにすごく気をつかっていたんです。ところが、四葉とタピオカドリンク店で話していたすぐ前を葭子が通りかかって、あ、まずい、見られたんじゃないかって思ったんですよ。それで、四葉にここで待っててくれって言って葭子を追いかけたんです。まさか『今四葉といたの見た?』なんて聞くわけに行きませんから、ここで何してるのとか聞いて、本当に葭子の自宅が蒲田だったなんて知りませんでしたからね。とにかく話をつないで様子を見て、四葉に気がついたかを確認していたんです。その話をつなぐ中で、まぁせっかく会ったんだから食事でもって、部下と夕食の時間帯に遭遇して、それも言わないなんて失礼かなとも思いましたし」
「もし葭子さんがOKしたらどうするつもりだったんです?」
私は、思わず、割り込んだ。
「あー、たぶん乗ってこないと思ったし、そういう素振りが見えたら社交辞令だと言ってもいいかと思いました。どうしても行かざるを得なくなったら、四葉に合図かメールすれば、四葉はわかってくれるでしょうし」
「黄嶺さんは何のために動画を撮ったんでしょう」
「ひょっとしたら私を牽制する気だったのかも知れませんが、葭子が立ち去ったあと四葉のところに戻ると、動画を再生して見せてくれて、葭子が一度も四葉の方を見なかったから、たぶん気がついてなかったんじゃないかって言っていました。私も、それを見て安心したんです」
「なるほど、1度目はそういうこととして、2度目、3度目は、どういうことなんです?」
「いやぁ、葭子が帰宅経路を変えるということは想定していませんでした。むしろ、私たちが、葭子に見つかりたくないので、その後蒲田駅西口から西方向のブロックには近寄らないようにしてたんです。だから四葉とのデートで行くタピオカドリンク店も変えたのに、数日後、その前を葭子が通ったんです。それこそこっちがびっくりしましたし、はっきり言って迷惑でしたよ」
「それで、2度目も、3度目も、やはり黄嶺さんとの逢瀬を目撃されなかったかの確認のために声をかけたと」
「そのとおりです。四葉とデートしているときに、四葉を待たせたまま、四葉の見ている前で声をかけてるんですよ。下心はもちろんのこと、食事に誘ってるのだって本気じゃなくて社交辞令だって、わかるでしょ」
第8章 勝負の行方 に続く
この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。
この作品のトップページ(目次ページ)に戻る ↓
「小説」トップに戻る ↓
他の項目へのリンク