エピローグ 東京砂漠

 この1か月あまりで、世界は大きく変わってしまった。
 東京の、悪名高いが住民には当然の前提でさえあった朝夕の通勤ラッシュは、解消され、多くの場合座って通勤ができ、座席が隙間だらけということも珍しくなくなった。私にとっては一種のカルチャーショックとも言える。世の中に変えられないことはないのかも知れない。
 娯楽産業、文化産業のほとんどが「自粛要請」で閉鎖され、私たちは時間が余っても行く場もなく、引きこもりを強いられた。
 県境をまたいだ移動の「自粛」が強く要請され、広域の移動は困難になった。
 六条さんが楽しみにしていた沖縄旅行は、中止せざるを得なかった。安倍首相や小池都知事の「自粛要請」には反感を持つ玉澤先生も、日頃共感している玉城デニー知事からさえ「来ないで」と言われては、「やめとこう」と言わざるを得なかった。もちろん、六条さんも、「しかたないわね」と応じざるを得なかった。中止が決まったとき、六条さんにキッと睨まれたが、私は、決して内心ガッツポーズをしたわけではない・・・と思う。私の表情に何か隠しきれない感情がにじみ出たのかも知れないが。

 東京地裁、東京高裁は、基本的にすべての事件の期日を取り消し、新たな期日は今も指定されないまま、裁判の進行は止まったままだ。


 弁護士会は、法律相談さえすべて取りやめ、委員会等の会合はすべてWeb会議に切り替えられ、弁護士会館は封鎖されて弁護士の立ち入りも禁止されている。
 玉澤先生は、裁判は裁判官と顔を合わせ、直接に議論をし、心証を読み取りながら行うものだという考えで、遠方の事件で時々行われる「電話会議」には批判的で、相手方が電話会議を選択して裁判所に来ない場合でも、自分は必ず裁判所に足を運んでいた。今年初めから裁判所が、民事裁判のIT化の第1段階として試行的な導入を宣言していたWeb会議にも、同様に批判的で、反対の立場だった。そのWeb会議が、新型コロナウィルス騒ぎを機に、裁判所が求めるまでもなく弁護士会や弁護士たちが競って導入し運用を始めたことを、玉澤先生は嘆いている。導入すること自体は技術的には問題ないはずだが、玉澤先生はZoomの導入を拒否し、弁護士会の委員会のZoom会議のお誘いもすべて無視している。
 玉澤達也法律事務所の顧客は、玉澤先生が企業からの依頼を断っているので、個人客ばかりで、自粛生活でも法律問題は起こるため、相談者は時々やってくる。
 しかし、裁判所の期日がまったくなく、弁護士会の業務もない状態では、次第にやることは少なくなってきている。
 六条さんは事務所にいて電話番をすることが主な業務の1つなので、毎日出勤している。玉澤先生も、残業をすることはほぼなくなったが、やはり出勤して、記録を読んだり、相談者が来れば相談を受けている。私は、実はすることがほとんどなくなったのだが、玉澤先生のそばにいたいので毎日定時に出勤している。

「まったく、県境をまたいで移動するなって、これじゃあ幕藩体制に逆戻りだな。原発が全部停止しても『江戸時代に逆戻り』なんて起きなかったのに、ウィルス1つでこうなるとはね」
「先生は、福島原発事故の時、周囲がマスクだらけになっても一切マスクしなかったんでしょう。その先生でさえ、今は周囲に同調してマスクしてますもの。コロナの方が原発よりよほど強力なんじゃないですか」
 私は、3月中は、まわりがどれだけマスクをしようが頑としてマスクをしなかったのに、今はマスクをしている玉澤先生を見て、言った。


「マスクなんてしても自分を守る効果はない。福島原発事故で東京まで飛んでくる放射性物質は粒径がごくごく小さいものしかないからマスクなんかしても意味はない。ウィルスだって同じだよ。でも、今回の場合、自分が症状のない健康保菌者として他人に感染させる危険性があるっていう話なので、それなら自分から感染させないように、くしゃみとか咳の飛沫を飛ばさない効果は確実にあるから、マスクをしようってことになっちゃうんだよ」
「事務所の中でも、話をするときはマスクをするのは、私や六条さんに感染させないようにって配慮いただいているわけですね」
「そういう狩野さんだって、マスクしてるじゃない」
「そりゃそうですよ。新型コロナウィルスはご高齢の方ほど重症化するリスクが大きいっていいますからね、万が一にでも私が先生に感染させたりしたら、後悔してもしきれませんから」
「それはどうもありがとう」
「私は、先生からうつされるのなら、本望ですけど。私から先生に感染させるリスクがないのなら、先生ともっと濃厚接触していたいです」
 私は玉澤先生を愛おしく思う気持ちで胸がキュンとなり、玉澤先生の左頬を右手で軽くなでて、玉澤先生の顔を見つめた。玉澤先生は少しためらって目をつぶった。私は玉澤先生の目をつぶったその表情をしっかりと見つめながら顔を寄せ、玉澤先生の体を抱きしめて、マスク越しに口づけをした。
 裁判所に行くことなく連日事務所にこもるようになり鬱積したものが溜まりに溜まって精神的に辛くなった私は、そのことを訴え、その解消方法として、私が求めたときにマスク越しにキスをさせてくれと求めた。私が深刻な表情で、メンタルヘルス上の問題さえ指摘して、そうでもしないと私は持たないと言って求めたこと、マスク越しだから実際にはキスではないと私が強調したことから、玉澤先生は、しかたなく受け容れた。以来、私は、気持ちがくさくさしたとき、玉澤先生への愛しさがこみ上げたとき、玉澤先生にマスク越しのキスの特権を行使している。私が玉澤先生の頬をなでるのが、そのサインになっている。本当のキスは、あの3月16日以来していないけれど、私は満足している。マスク越しの疑似キスであれ、それに抵抗がなくなれば、マスクが必要なくなった際に本当にキスをするハードルもきっと低くなっているだろうと、私はもくろんでいる。それに、マスク越しのキスがそれほど不満というわけじゃない。玉澤先生を抱きしめ、目をつぶった玉澤先生の顔を至近距離で見つめられるし、気持ちの上では正にキスをしているのだ。


 街に人がいなくなり、人々を猜疑心と嫉妬と不公平感でギスギスした感情が支配し、東京が砂漠のようになっても、玉澤先生がそばにいれば、私は辛くない。うつむかないで歩いて行ける。外が砂漠でも、事務所の中はオアシスだ。いつかまた陽が昇るまで、そうやって生き延びていこう。

(完)

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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